永久の軌跡   作:お倉坊主

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 あけましておめでとうございます。ハーメルンに投稿を始めて今年で五年、時が経つのは早いものですね。自分もいつの間にやら学生から社会人となり、なんとか半人前くらいにはなれそうかなという今日この頃です。
 今年はいよいよ軌跡シリーズの大きな区切りとなる閃Ⅳが発売されるということで、今から情報の公開が待ち遠しいです。内心、楽しみにする気持ち半分、何が起きるのやらという恐怖半分といったところですが。三作品を通して溜めに溜め込んだフラストレーションが発散される大団円であることを切に望みます。
 おそらくは例年通りの九月発売でしょうから、それまでに《永久の軌跡》も一区切りつけられたらいいなと皮算用していたり。今の投稿ペースならなんとかなるかもしれませんが、また何かの拍子に別のことに気を取られたりするかもしれないので予定は未定です。
 相変わらずいい加減な私ではありますが、引き続きまったりと投稿していくのでお付き合いいただけたら嬉しいです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


第35話 言い忘れ

 昼過ぎのヴァンクール大通り。夏至祭の盛り上がりは未だ留まることを知らず、午前に比べてもさらに活気に満ち溢れているように感じられる。日が沈むまでの時間は十分すぎるほど。祭りの盛りはまだまだこれからといったところだろう。

 そんな中、ナユタにより半ば強引に送り出されたトワたち。人通りの多いところまで出てきたのはいいものの、ここからどうするかは全くの未定である。流れる人波の邪魔にならないように脇によけつつ、さてどうしようかと顔を見合わせる。

 

「ええと……トワ、どこか行きたいところとかはないかい?」

「あっ、ううん。私はお父さんに会いに来ただけのつもりだったから、そういうのは……」

 

 距離感を計るようなジョルジュの問いかけ。返事は味気のないものだった。

 手紙は突然のことだったというし、元々トワ自身は夏至祭に行くつもりもなかったのだろう。開かれる催しなどについて何もリサーチしていないのは、予測して然るべきだったかもしれない。あっという間に撃沈したジョルジュは「そ、そっか」と苦い笑み。

 

「そうだ。せっかくの夏至祭なのだし、故郷のご家族に贈り物でも見繕うじゃないか」

「……ごめんね。それは午前にお父さんと買っちゃったんだ」

 

 思い切って踏み込むアンゼリカ。しかし、踏み込んだ先が悪かった。申し訳なさそうに肩を小さくするトワにつられて、提案した当人も「む、無念……」と肩を落とす。

 

「「「「…………」」」」

 

 物凄く気まずい空気が四人を包み込む。賑わう雑踏の中で、そこだけが葬式のようだった。

 心の準備も出来ずに、いきなり送り出されたのが不味かった。当初の作戦通り、アンゼリカが脅迫染みたやり方であってもトワを夏至祭に誘えていたらまた違っただろう。相手が落ち込んでいるのは承知の上。それならそれで、クロウたちもそのつもりで事に臨めたからだ。ところが、実際は急転直下の状況に流されるがままで心構えも糞もない。中途半端な気遣いは意味をなさず、むしろ状況を悪化させていた。

 トワも無暗に差し伸ばされる手を振り払いたいわけではないようだが、彼女自身がどうしたらいいのか分からないのかもしれない。心のうちでどうにかしたいという想いと何かに対する恐れがせめぎ合い、結局は恐怖に天秤が傾き尻込みしてしまう。きっとそんな感じだろう。

 互いに及び腰で、沈黙ばかりが降り積もる。鬱々とした空気に気が滅入りそうだった。

 

「――だぁっ! まどろっこしい!!」

 

 故に、その空気を打破するのに必要なのは一種の開き直りと強引さである。

 重苦しさに耐えかねたとばかりに大声を上げたクロウが、トワの手をむんずと掴み取った。

 

「く、クロウ君?」

「いつまでもうじうじしていたら日が暮れちまうだろうが。いいから、お前は黙ってついてきな」

 

 突然のことに目を白黒させるトワをそのまま引っ張っていくクロウ。彼女は為されるがまま腕を引かれ、相手の大股に合わせて立ち止まっていた足が小走りに動き出す。

 

「ちょっとクロウ、あまり無理矢理――」

 

 無遠慮に過ぎたものだからジョルジュは思わず静止の口を挟みかける。道を阻むように出された手が、それを止めた。いつもだったら真っ先にこういうことに文句をつけるだろうアンゼリカは、有無を言わさずにトワを連れて行くクロウを咎めるでもなく静かに見つめる。

 

「今のトワにはあれくらい無神経な方がいいのかもしれない。ここは一つ、彼に任せてみるとしよう」

「……大丈夫なのかい?」

「それは女神のみぞ知る、さ」

 

 手を出しあぐねていては何も解決しないのも事実。力づくであっても事態を動かそうとするクロウにまずは委ねてみよう。一抹の不安はあったが、そこは天に祈るしかない。

 手を引いて引かれて、ヴァンクール大通りをずんずんと進んでいく二人。その後を追ってアンゼリカとジョルジュもようやく動き出すのであった。

 

 

 

 

 

 導力トラムに乗って移動すること十数分。先導するクロウに任せるがまま連れられてきたのは西街区の一角、夏至祭で賑わう帝都の中でも一際熱気に満ち溢れる場所だった。微かに漂う芝生の匂い、一陣の風となって駆け抜ける影、湧き上がる歓声に建物が揺れる。

 

「あの、クロウ君」

 

 そんな中、座席の一つに収まったトワがおずおずと声をかける。周囲に混じって囃し声を上げていたクロウが「あん?」と振り向いた。

 

「学生は競馬をやっちゃいけなかったと思うんだけど……」

「馬券を買わない分にはセーフなんだよ! 細かいことは置いといて楽しんでおけっての」

 

 どこに連れて行くのかと思えば、クロウが選んだのは帝都競馬場。先日の作戦会議で大バッシングを食らったところである。言い分としては間違ってはいないのだが、あれだけ叩かれて尚ここを行き先にするあたりそんなに夏至賞のレースが見たかったのか。

 

「アン、本当に大丈夫なのかい?」

「……すまない、私の見込み違いだったようだ」

「そこ! 今更になってグダグダ言ってんじゃねえ!」

 

 ジョルジュによる再度の確認に沈痛の面持ちを浮かべるアンゼリカ。今になって文句を垂れられる筋合いはないとクロウは叫ぶが、二人がそんなやり取りをしてしまうのも無理はないだろう。

 まあ、クロウの選択にも理解できる部分がないわけではない。想定外の展開により作戦も糞もない状況。この期に及んで都合よく名案など浮かんでくるはずもなく、それだったら当初からトワを連れてくるつもりでいた場所に案内した方がまだ上手くいく可能性はある。尤も、博打に近い選択であることには違いないが。

 他に良い案があるわけでもない。腹を括ろう。歓楽街のカジノよりか、競馬はまだ紳士的で健全な部類だろう。単に馬が好きな子供が観客にいることもあるし。そうして無理矢理に自分を納得させるアンゼリカとジョルジュ。人、それをやけくそと言う。

 

「さぁて、いよいよ本レースだが……見るだけっていうのもつまらねえ。何か賭けようぜ」

 

 先ほどまで行われていたのは所謂前座。夏至賞の本レースはこれからだった。出走順にコースに出てくる馬たちを眺めつつ、クロウはニヤリと笑みを浮かべて提案する。完全にお楽しみモードであった。

 

「賭け事は流石にちょっと……」

「そんな堅苦しいこと考えるようなもんじゃねえよ。どっちが飯を奢るとか、そんなもんだ」

「そう? なら、いいけど」

 

 馬券が買えないのは仕方ないとして、ただ観戦するだけというのも味気ない。ちょっとしたスパイスとして、仲間内でゲームをするくらいは構わないだろう。賭けという言葉に難しい顔をしていたトワにとっても、それくらいは許容範囲だったようだ。承諾を得たクロウは生き生きと仔細を詰める。

 

「トワなんかは勝手が分からねえだろうからな。ここは単純に一着予想にするとしようぜ」

「ふむ、いいだろう。何を賭ける?」

 

 競馬は上位三着の順番を予想するのがオーソドックスだが、まるっきり初心者のトワにそこまで求めるのは酷だろう。簡単な一着予想で勝負を決めるのに四人とも異議はない。ならば、問題は何を賭けるか。ゲームである以上は大層なものではなく、後腐れが無いものがいい。

 先ほどクロウが言った通りに何かを奢るとかでもいいのだが、それでは面白みに欠ける気もする。そこでジョルジュがいいことを思いついたとばかりに手を打った。

 

「じゃあこうしよう。一番予想を外した人は、この夏至祭中に他の三人の言うことを一つずつ聞かなければいけない。それでいいかい?」

 

 何気に最下位のリスクが高いような気もするが、それくらいの方が適度に緊張感もあっていいかもしれない。特に深く考えるわけでもなく、その提案に頷く三人。

 ルールが決まったなら後は予想を立てるだけだ。既に出走する馬は全て騎手と共に姿を現していた。競馬場に響く実況の声がそれぞれを紹介していく。

 

 若年ながら力強い走りを見せる期待のホープ、一番グレートウォリアー。

 安定した堅実な走りを売りにする二番ジャンダルム。

 ここぞというところで凄まじい伸びを見せる三番ゴールドアクター。

 今季一番の成績、絶好調四番コバルトタイクーン。

 そしてかつての王者、五番ライノブルームである。

 

 各々、この日のために仕上げてきたのだろう。どの馬も状態は悪くないように見える。着順を予想するのはなかなか悩ましいところだ。しかし、今回は一着だけを当てればいいだけのこと。クロウにとって答えなどもはや決まりきったことだった。

 

「くく、悪いがコバルトタイクーンは外せねえ。今季はあの馬の独壇場だからな」

「うーん、無難な見立てだね」

「つまらない男だな、まったく。こういう時は大穴を狙うものじゃないかい」

 

 なんとでも言うがいい。勝負の世界は非情、勝ったものが正義なのである。最も勝率が高い馬を選んで何が悪いというのか。無論、同じく考えている人々も多いことからオッズは低い。だが、これはあくまでゲーム。少なくとも上位を外さなければ負けることはない。ならば、面白みは無くても確実な手を取ることにクロウは躊躇いが無かった。

 

「僕は二番のジャンダルムにしようかな。トワとアンはどうする?」

 

 一方、ジョルジュは堅実さが売りのジャンダルムに。彼らしい選択と言えよう。

 早々に予想を立てた男子に対して、女子は決めあぐねる。といっても、アンゼリカは先にトワに選ばせようという姿勢らしく、悩むでもなく待ちの構え。顎に手を当てて考え込んでいるのは競馬の経験が一切ないトワであった。

 コースに並ぶ競走馬を眺める彼女の目には、判断が付きかねているだけでなく物珍しげな好奇の色もあった。しげしげと馬を凝視する彼女にアンゼリカは笑みを零す。

 

「ああいう競走馬を見るのは初めてかい? 馬術部のランベルト君が世話しているのもなかなかだが、こうした場に出てくるのは立派なものだろう」

「そうだねぇ。テラにも馬はいるけど、野生だからこういうのは新鮮かな」

 

 野生馬と競走馬ではそれは色々と違うだろう。少なくとも、野生馬は人を大人しく背中に乗せてくれることはしない……この少女なら容易く手懐けそうな予感がするあたり末恐ろしいが。

 ともあれ、競争するために育て上げられてきた馬というのはトワの目には珍しく映ったようだ。それだけにどういった馬がいいのか分からないのか、視線をあちらこちらに動かすもなかなか決めることができない。見かねたクロウはため息をつきつつアドバイスを送る。

 

「まあ、こういうのは悩んだら勘でいいんだよ。結局は娯楽だしな」

「どの口が言うかな……」

 

 迷わずに勝ち馬を選んだ男が言っても些か説得力に欠ける気もするが、一つの真理ではあるだろう。所詮は遊び、悩み過ぎても楽しめなくなってしまう。納得したらしいトワはしばし瞼を閉じると、開いた眼で一頭の馬を見据えた。

 

「じゃあ……五番のライノブルームで」

「では、私はゴールドアクターとしよう」

 

 全員の予想が出揃う。瞬間、クロウは勝利の確信を得る。

 

(残念だったな、トワ。ライノブルームはいまや老境に差し掛かった馬なんだよ)

 

 確かにかつてはあらゆるレースで名を馳せた王者。だが、それは既に過去の栄光になろうとしている。年を重ねて老齢に入りかけているライノブルームに往年の勢いはない。夏至賞に出場する権利を得たのは流石だが、この面子の前では勝ち目は薄いだろう。それがクロウの、そして大部分の観客たちの見立てであった。

 そのことをわざわざ教えてやる気はない。何度でも言うが、勝負の世界は非情。勝ったものが正義である。簡単なものとはいえ、賭けをしている以上は負けてやるつもりは毛頭ない。相手の失策を指摘してやる義理など欠片もないのだ。

 

(ライノブルームが下位になるのは間違いねえ。この勝負、貰った……!)

 

 内心でほくそ笑むクロウ。友人でも勝負では手加減しないといえば聞こえはいいが、実際は見下げ果てたダメ男である。トワを元気付けるという本来の目的はどこに消えたのだろうか。

 そんな友人のダメ男加減など露知らず、トワは目の前で今まさに始まらんとするレースに集中していた。競馬に興味を持ってもらえるのかという懸念が杞憂であったのは良いのだが、提案した当人の腹の内を鑑みるに結果オーライといっていいのか悩ましいところだ。

 

 次々と出走ゲートに入っていく騎手を乗せた馬たち。いよいよ始まる夏至賞の本レースに観客席も緊張感から静寂が満ちる。スタートを告げる空砲を持った手が高々と上げられる。その引き金に掛かる指に力が籠ったところで緊張は最大限に高まり――

 パンッ、という乾いた音と共に、一気に弾け飛んだ。

 

『さあ、いよいよ始まりました夏至賞本レース。先頭を切ったのはグレートウォリアー、その後ろに一番人気、コバルトタイクーンがついてジャンダルム、ゴールドアクター、ライノブルームと続きます』

 

 爆発したみたいに鳴り響く歓声に負けないように、スピーカーから大音量の実況が流れる。自分にとって悪くない滑り出し。ライノブルームは一歩出遅れた。クロウはますます確信を強める。

 順位はそのままにコーナーへ。そこでレースに動きが生じた。

 

『コバルトタイクーンが仕掛けます。コーナーからグレートウォリアーを抜いて先頭へ。後ろからゴールドアクターも追ってきました。ジャンダルムもピッタリついてくる』

 

 優勝筆頭候補、コバルトタイクーンが先頭に躍り出る。ゴールドアクターがその後を負けじと追いかけ、ジャンダルムは自身のペースを崩さずに走り続ける。経験差が出たか、グレートウォリアーは次々と追い抜かされて下位に落ちてしまう。そしてライノブルームは未だ後塵を拝している。

 順当な流れだ。大方の競馬誌で予想されていた通りの展開。コバルトタイクーンが勝負を制し、あとは若手のグレートウォリアーがどこまで食い下がるかどうか。ライノブルームについては、まず有り得ない大穴としか思われていなかった。

 このままコバルトタイクーンが一着で終わるだろう。多くの観客が、そしてクロウが見込んでいた。やはり好調のコバルトタイクーンの優勝は揺るがないと。

 

「が……」

 

 だが、勝負は水物。

 

 

 

「頑張って! ライノブルーム!!」

 

 

 

 いつ何時、流れがどちらに傾くかなど分からないのだ。

 

『レースも終盤、コバルトタイクーンが最終コーナーに……こ、これはどういうことでしょう! ライノブルームが、ライノブルームがここで猛烈に追い上げてきました!』

 

 実況が思わず動揺する。観客席にどよめきが生まれる。見向きもされていなかった存在が、もはや過去の栄光ばかりと思われていたかつての王者が、ここにきて怒涛のスパートをかける。

 グレートウォリアーを抜く、ジャンダルムを抜く、ゴールドアクターさえも抜いて、今を煌くコバルトタイクーンに並ぶ。変わった流れを止められるものなどもはや存在しない。往年の走りを取り戻したライノブルームが、その勢いのままにコースを駆け抜ける。

 

『抜いたぁ! ライノブルームが、コバルトタイクーンを置き去りにしていく! その威風に怯んだか、走りを乱すコバルトタイクーン! 後続に成す術なく追い抜かれていってしまう!』

 

 観客席を入り乱れる悲鳴、怒号、歓喜。どよめきから分化した感情が空気を揺らす。

 そして、その感情はレースの終結をもって最高潮を迎えた。

 

『ゴォール!! なんということでしょう! 夏至賞を制したのはライノブルーム! かつての王者が、その手に再び栄光を取り戻しました! 着順は5-3-1、5-3-1! いったい誰がこの結末を予想できたでしょうか!』

 

 わぁっ、とトワが歓喜の声を上げる。凄まじい逆転劇。あまりの大番狂わせに帝都競馬場は爆発のような絶叫に包まれ、建物そのものが揺れているのではないかと思うくらいの盛り上がり具合。彼女もその興奮に呑まれ、勢い余ってライノブルームのファンらしいお爺さんと手を取り合って喜びあってしまっていた。

 先ほどまでのしおらしさが嘘のようなそんな姿を目にして、アンゼリカとジョルジュはほっと息をつく。いったいどうなることかと思ったが、想像していたよりも遥かに楽しんでもらえたようだ。掴みは上々、まずは一安心である。

 

「ん、んな馬鹿な……」

 

 だというのに、この場に連れてきた当人はトワに目を向けるでもなく愕然として固まっている。無理もあるまい。それは多くの観客も同じであったのだから。

 結局、コバルトタイクーンはあのまま順位を落として五着でレースを終えてしまったのである。まさかの大穴に加え、優勝候補筆頭の転落という合わせ技によって観客席の半分は阿鼻叫喚の様相を呈している。ライノブルームの大逆転は歓喜と悲嘆の両方を生み出していた。

 必勝を期していたクロウもまた、悲嘆にくれる側の一員であった。あれだけ自信満々だった威勢は影もない。一転して敗者へと瞬く間に成り代わってしまった彼は事態を受け止めきれずに呆然としていた。その肩を二人の友人が叩く。アンゼリカもジョルジュもいい笑みを浮かべていた。

 

「ではクロウ、最下位は君ということで」

「一人につき一つのお願い、後でよろしく頼むよ」

「……畜生ぉ!!」

 

 勝負は勝ったものが正義。敗者はその言葉に唯々諾々と従う他にないのである。クロウにできることは、ただ膝を叩いて負け犬の遠吠えを吐くのみであった。

 

 

 

 

 

「この嬢ちゃんに似合いそうなものを片っ端から持ってくればいいんだな? そういうことなら任せておきな。ばっちり見立ててやるさ」

「心強いお言葉だ。ミラには糸目をつけずにやってくれたまえ」

「あの、アンちゃん……?」

 

 歓喜と悲嘆の爆心地と化した帝都競馬場を後にしたトワたちが次にやって来たのは、ヴァンクール大通りに軒を連ねる《ル・サージュ》の本店であった。トールズの生徒ならば一度はお世話になっている店のオーナー、ハワードはアンゼリカの要望を聞き届けるや意気揚々と裏手に入っていく。ここぞとばかりに大貴族らしい発言をする友人に、トワは恐る恐る声を掛ける。

 

「トワは何も気にしなくていいさ。好きなものを着て綺麗に着飾ってくれれば、私は満足だからね。ふふ……」

「は、はぁ」

 

 初っ端からクロウが競馬などを選んだものだから、他の面子も既に自重を放り捨てて好き勝手することにした。ここでの目的は、アンゼリカたってのお望みであるトワとのショッピング……もとい、ベタ惚れしている友人を心の赴くままに着飾ることである。

 やけに艶っぽい笑みを浮かべるアンゼリカに戸惑いつつも、こっそり懐の方を気にするトワ。お金足りるかな、とか考えているのかもしれない。実に庶民的な感性だ。

 そんな女性二人を眺めながらも、男性陣は口を挟まない。店内の端で傍観を決め込んでいた。

 

「いやぁ、アンは楽しそうだね」

「長くなりそうだな……女の買い物ってのは得てしてそういうもんらしいが」

 

 こと、女性のファッションについてクロウとジョルジュに意見する余地はない。精々が感想を述べるくらい。それ以外は置物に身をやつす腹積もりである。長い戦いになりそうだ、と二人は内心でため息をつく。これも女性の買い物に付き合わされる男の宿命だろう。

 

「さあ、持ってきたぞ。この夏の新作も大盤振る舞いだ。試着もどんどんしていってくれ」

 

 そうこうする内にハワードオーナーが服を山と抱えて戻ってくる。スタッフまで駆り出して持ってきたその量にアンゼリカが目を輝かせ、トワの頬が引き攣る。自分は男装趣味のくせに可愛い子大好きな大貴族及び無駄にノリのいいオーナープロデュースによるファッションショーの始まりだ。

 夏も盛りに向かいつつあるこの季節、涼しげなもので纏めようと選別が進められていく。なお、着る当人はたまに意見を聞かれるのみで後は勝手にアンゼリカとオーナーが決めていってしまう。トワにこの勢いについていくことを求めるのは酷であった。

 

 あれよあれよという間にコーディネートが決まって、服を押し付けられたトワはそのまま試着室に放り込まれる。試着室の中にまでついてこようとするアンゼリカは流石に拒否していたが。膝をつく彼女を慰めるものはいない。当たり前である。

 待つこと数分。試着室のカーテンの隙間からトワが顔を覗かせる。

 

「その、どうかな?」

 

 ちょっと恥ずかしそうにしながらお披露目するトワ。夏らしい空色のワンピース。くどくならないよう絶妙に彩られたレースが可愛らしさを引き立て、足元の編み上げサンダルもマッチしている。思わず男子が「おお……」と感嘆を漏らすほど。ちなみにアンゼリカは力強いガッツポーズである。

 

「いや、随分と映えるもんだ。馬子にも衣装ってやつかね」

「素直に褒めてあげればいいのに……でも本当によく似合っているよ。アンとハワードさんのセンスの賜物かな」

「嬢ちゃんの素材がいいのもあるけどな。これだからこの仕事はやめられないねぇ」

「ああ……いい、いいよトワ。君の可憐さが留まることを知らないようだ……」

 

 一名ばかり自分の世界にトリップしてしまっているが、全員から好評を貰って頬を照れの色で染めながらはにかむトワ。普段は制服姿しか見ないことも相俟って、彼女のめかしこんだ恰好は新鮮であり目を惹きつけて離さなかった。

 周囲としては文句なしの仕上がり。ところが、本人はどこか落ち着かなさそうにそわそわしている。何か気になるところがあるのだろうか。首を傾げる面々に、彼女は照れ臭そうにしながら内心を告げる。

 

「その、こんな綺麗な服を着たことあんまりないから。なんだか落ち着かないなぁって……」

「んだよ、そうなのか? てっきり故郷でも着せ替え人形にされているのかと思ったが」

 

 意外な話であった。トワの見目は十二分に整っている部類であり――身体の起伏はともかく――色目の対象にはなりづらいが、女性から猫可愛がりされるように思える。流石にアンゼリカのような際物はいないにしても、残され島でもよく着飾らされているのだろうと勝手に想像していた。

 

「伯母さんによく勧められてはいたけど、森に氷原に高山に溶岩地帯みたいなところを出歩いていたらすぐ汚れちゃうから。だいたい動きやすい服しか着ていなかったんだよね」

 

 ああ、とクロウたちは凄く納得した。その目が若干遠くなってしまうのは仕方あるまい。聞き及ぶ限り、とても常人が立ち入るべきではないような極限環境まであるらしいテラだ。そんなところに平気で出入りしているトワが、お洒落よりも実用性重視になるのは必然だろう。

 理解できなくはない事情だが、それはそれで勿体ないと感じてしまうのは都市で育った人間だからだろうか。せっかく見目麗しく生まれたのだ。存分にお洒落を堪能してくれた方が見る側としては目の保養になる。勝手な意見ではあるが、それがこの場の総意であった。

 

「というわけで買い物は続行だ。どんどん行くとしよう」

「な、なにがというわけでなの?」

「細かいことは気にしなくていいさ。オーナー、次のコーディネートだ!」

「おっしゃ、任せておきな!」

 

 テンションが高まるばかりの二人に押されるばかりのトワ。クロウとジョルジュは再び蚊帳の外である。もはやトワも抵抗することを諦めたのか、為されるがままに渡される服を身に着けていく。それがどれも文句のつけようがないくらい似合っているのだから始末に負えない。

 そうして何パターンか試した時、ハワードオーナーは天啓がひらめいたように目を見開いた。

 

「嬢ちゃん……ちょっと髪を下ろしてみちゃくれないか?」

「はあ、別に構いませんけど」

 

 突然どうしたのだろうか。大人しく推移を見守っていた男子二人は首を傾げる。言われたトワ自身も不思議そうだったが、取りあえずは言葉通りにリボンを解いて髪を下ろした。

 

「おっ」

「これは……」

「えっと、何か変?」

 

 途端、目に見えて反応する面々にトワは不安そうな表情を浮かべる。変だなんてとんでもない。「いんや」と首を横に振ったクロウが正直な感想を口にした。

 

「髪型一つで印象がだいぶ変わるもんだと思ってな。そっちの方が多少は大人っぽいぜ」

 

 髪を下ろしたトワは、普段の後ろで結んだ姿と打って変わってどこか大人らしい雰囲気を醸し出していた。いつもは幼さが残る印象が先走ることもあってか、そのギャップはなかなか強烈であった。緩くウェーブした長い髪が落ち着いた感じに見える。

 本人としては髪型について気にしたこともなかったのか、思わぬ評価に「そ、そうかなぁ」と頬を掻く。きっと服装と同じく、動きやすければいいやと考えていたのだろう。どうやら彼女はそういったことに関してはとんと疎いようだった。

 そんなトワ自身さえも知らなかった一面を見抜いたハワードオーナーは、有名店を経営しているだけあって流石の慧眼である。素人目線でも素直に感服するところだ。

 

「素晴らしい……よもやトワにこんな隠された大人っぽさがあったとは……! こうしてはいられない。オーナー、追加の服を頼む!」

「あったり前よぉ! こうなれば徹底的に付き合わせてもらうぜ!」

 

 実際に目の前にいるのは、恍惚とした様子で目を輝かせるアンゼリカに悪ノリするいい歳したオッサンなので、あまり敬意を払う気にはなれないのだが。髪を下ろしたトワに似合うものを見繕いに再び裏に引っ込んでいく彼の背中を諦観の目で見送る。どうやら、ここでの買い物にはまだまだ時間がかかりそうだった。

 

「あのね、アンちゃん。気持ちは嬉しいけど、お金を出してもらうのは流石に……」

「やだやだ! 私がトワに買ってあげるんだいっ!!」

 

 なお、会計の際に生じたいざこざについては説明するのも面倒くさいので割愛する。

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ次は僕の番か」

「夏至祭限定のパフェだったか? なんでもいいけどよ、少しはお前も荷物持ってくれねえか」

「それじゃあ賭けをした意味がないじゃないか。クロウだけで頑張ってくれ」

 

 たっぷり時間をかけてショッピングを終えたトワたち。ハワードオーナーに手を振って見送られ、《ル・サージュ》をあとにした彼女たちの中でクロウだけが大荷物を抱えていた。大したことではない。クロウ自身が言い出した賭けの勝者の権利が行使されただけである。

 ちなみに《ル・サージュ》での会計はトワとアンゼリカが折半する形で決着がついた。あまりにアンゼリカが駄々をこねるものだから、トワの方から譲歩した結果である。最初は試着したもの全部を買おうとしていたところ、二つの組み合わせにまで絞っただけ彼女は頑張ったと言えるだろう。

 

 ともあれ、クロウとアンゼリカの案内で夏至祭を回って次はジョルジュの番である。クロウの頼みをすげなくあしらった彼は帝国時報を広げる。尾行していた時のカモフラージュとして買ったものだが、夏至祭特集で有名店の紹介などあったので丁度良かった。

 

「パフェは勿論だけど、それ以外も捨てがたいんだよなぁ。こうして見ていると余計に」

 

 流石は帝都ヘイムダルというべきか、スイーツ系の紹介だけでも両手の指では足りないくらいだ。件のパフェを出している喫茶店はもとより、この時期にだけやっている出店などもある。甘党のジョルジュが悩むのも致し方あるまい。

 

「気持ちは分かるが、我々には身体が一つしかないからね。多くは回れないよ」

「マーサさんが夕飯をご馳走してくれるって張り切っていたから、私もあまりたくさんは気が引けるかな」

 

 この人の出だ。全てを回り切るには無理があり、自分たちの腹の都合もある。欲張ってあれもこれも、というわけにはいかないだろう。ジョルジュは尚更に「うーむ」と考え込む。

 ショッピングが長引いたこともあって時刻は既に四時を回っている。時間と腹が許すのは精々二つくらいだろうか。いつになく真剣に悩むジョルジュ。彼の中で甘味はそれほどまでに重要なウェイトを占めているらしい。

 

「よし、パフェとドライケルス広場のクレープ屋台にしよう……でも、やっぱりジェラートも捨てがたいような……」

「はいはい、決まったらさっさと行くぞ」

 

 放っておいたらいつまでも誌面とにらめっこしていそうだ。クロウが尻に軽い蹴りを入れることでようやく移動を開始する。目指す先はクレープ屋台のあるドライケルス広場である。

 ヴァンクール大通りから導力トラムに乗り込んで広場方面、皇城バルフレイム宮が威容を示すもとへ。まっすぐの一本道なのでさして時間をかけずに目的地に到着する。エレボニア帝国中興の祖にしてトールズ士官学院の創設者、ドライケルス大帝の立像がシンボルとなっている広場は普段から帝都市民の憩いの場となっていることから、多くの屋台が立ち並び盛り上がっていた。

 ジョルジュお目当てのクレープ屋台もその一つ。人波を躱しながら目的の店舗を探して回り、そこまで労せずして見つけたところでトワたちはふと立ち止まった。

 

「……混んでるね」

「ああ、大行列だ」

 

 件の屋台に並ぶ長蛇の列。待ち時間は十分やそこらでは済まないだろう。雑誌で紹介までされているのだ。この人気ぶりは予想するべきだったかもしれない。

 並ぶのはいいとしても、ここで時間を取られてしまってはもう一軒回るのは少々厳しくなってしまうだろう。この調子だと、パフェの方も混雑していておかしくない。あまり時間をかけすぎてはナユタと合流するのに遅れてしまう可能性があった。

 

「仕方がない。ここは手分けしよう」

 

 肩を竦めてそう言いだすのはジョルジュ。妥当な提案ではあるだろう。四人で並んで時間を浪費するよりは、二手に分かれて行動した方がよい。

 

「手分けするっつってもどうすんだよ? パフェの方は喫茶店なんだろ。テイクアウトもできるんなら話は別だが」

「はは、何を言っているんだい、クロウ」

 

 問題は、パフェの方が喫茶店であるという点。クレープは屋台販売なので四人分購入してから合流ということもできるが、店内飲食が前提ではそれもできない。クレープ側に回った方はパフェを食べ損ねる形になってしまうだろう。

 ところが、ジョルジュはそんなクロウの指摘を笑って受け止める。その笑みを向けられた相手は嫌な予感に身構えた。

 

「君が並んでクレープを買う。その間に僕たち三人でパフェを食べてくる。その後に合流……ほら、何も問題ないだろう?」

「問題しかないわ! お前は俺に何か恨みでもあるのかよ!?」

「恨みだなんてとんでもない。ただ、君に使える権利を最大限に有効活用しているだけさ」

 

 穏やかなようでいてなかなかえげつない手を打ってくるジョルジュである。賭けの勝利で得た権利をこの場で使ってくるとは。自分に抵抗の余地がないことを理解したクロウは地団太を踏んで恨み言を吐き捨てることしかできない。

 

「こ、この人でなし! 鬼! 悪魔! おデブ!」

「はっはっは、何とでも言うといい。僕はストロベリー味で頼むよ」

「ふむ……では私はチョコレートでお願いするとしよう」

「ちょ、ちょっと二人とも。えっと……」

 

 甘味の亡者と化したジョルジュにクロウの罵倒は届かない。右から左に流した挙句にしっかりと要望を伝えてさっさと行ってしまう。少し考える様子を見せた後、それに続くアンゼリカ。トワは情け容赦ない二人の背中とクロウの間でおろおろと視線を彷徨わせ、結局は二人の方を小走りに追いかけて行った。

 一人取り残されたクロウはがっくりと肩を落とす。両手を塞ぐ荷物によって地に手をつくことさえも許されない姿の哀れさたるや、もはや言葉にしかねるほどである。それでもしっかりとクレープ屋台の列に並んでいるあたり、彼も律儀というか義理堅い。

 

「くっそ、ジョルジュの奴ぅ……あいつのに激辛ソースを仕込んで……ん?」

 

 かといって取り残された恨みもあり、報復の策を練ることも忘れない。そんなことをぶつぶつ呟いていたところ、小走りに駆け寄ってくる小さな姿に気付く。

 

「……どうしたんだよ、トワ。あいつらと一緒に行ったんじゃなかったのか?」

「ううん。二人にはクロウ君と一緒にいるって伝えてきたんだ」

 

 迷いつつもジョルジュとアンゼリカについていったと思っていたトワが戻ってきていた。どうやらついていったのではなく、クロウと一緒にいる旨を伝えにいっていただけらしい彼女が傍らに並ぶ。

 どうしてわざわざ損な方を選んだのやら。クロウの疑念が入り混じった視線に気づいたのか、はにかんだ彼女は何てことのないように言った。

 

「せっかくのお祭りなんだもん。クロウ君だけ仲間外れにしたらいけないから、ね?」

 

 純粋な善意。ただそれだけを理由に戻ってきてくれたトワに、クロウは不覚にも目頭が熱くなる。甘味の暗黒面に堕ちた友人からの仕打ちもあって彼の心にダイレクトアタックであった。

 トワを元気付けるためにこうして遊んで回っているはずなのに、逆に慰められてしまっているあたり世話はない。が、トワがいつも通りに気を遣って花の咲くような笑顔を出してくれるようにはなっているのだ。経緯はどうあれ効果は出ているのだろう。

 

 他愛のないお喋りをしながらクレープ屋台の列を進んでいく二人。ようやく順番が回ってきたところで所望されていたものと好きなものを購入し、その場を後にしたトワの手には四つのクレープ。しめて三十分ほどは並んでいただろうが、話し相手がいて良かったとクロウは心底思った。

 

「まあ、なんとか目当てのもんは手に入れられたわけだが……どこに行けばいいんだ?」

 

 クレープを買えたのはいいが、そういえばここからどこで合流するかを聞いていなかった。ジョルジュが食べたいパフェが喫茶店のものだとは知っているが、それがどの街区にあるかまでは不明。これでは動くに動けなかった。

 ところが、トワは落ち着いた様子で「ううん」と首を横に振る。

 

「心配ないよ。アンちゃんとジョルジュ君も――ほら来た」

 

 トワが目を向けた先を追う。パフェを食べに行ったはずのジョルジュとアンゼリカの姿がそこにあった。その手にはなぜか四人分のジェラートが。

 

「やあ、そっちも丁度買えたところみたいだね」

「ジェラートの方も結構な盛況だったよ。味は適当に選んできたけど構わないかい?」

「おい、待てコラ。普通に話し進めようとしてんじゃねえ」

 

 勝者の権利を盾に、自分を置き去りにしていったと思っていた相手がここにいる。そして手には人数分のジェラートが。そこまで見て、なにも察せぬほどクロウは鈍感ではない。だからこそ口元は引き攣り、目の前の二人――特にジョルジュに鋭い視線が飛ぶ。それに対して、ジョルジュはいつも通りの穏やかな笑みを湛えて受け答えた。

 

「パフェは口惜しいけど、無理そうなのは仕方ないからね。ここは同じ広場で屋台をやっているジェラートで手を打ったというわけさ」

「へえ……俺に小芝居を打った理由は?」

 

 拳を震わせるクロウに、ジョルジュは尚も満面の笑みを向けた。

 

「そりゃ君、権利はどんな形であれ使わなきゃ勿体ないだろ」

「ジョルジュううぅぅー!!」

 

 とどのつまり、クロウはからかわれていただけ。本当に置き去りしていくよりはマシかもしれないが、これはこれで性質が悪い。被害者が怒りの雄たけびをあげるのも無理はなかった。ちなみに本来はクロウ一人で並ばせるつもりだったので、トワの善意は嘘ではないから安心してほしい。

 仕返しとばかりにジョルジュに蹴りを入れて小突くクロウ。やれやれと肩を竦めるアンゼリカに苦笑い浮かべて男子のじゃれ合いを眺めるトワ。騒がしくて、大人げなくて、けれど掛け替えのない日常の一幕であった。

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

「あー、結構疲れたなぁ」

「年甲斐もなく遊びふけってしまったからね。祭りの熱に浮かされたかな」

 

 夕刻、赤い夕陽に照らされるクリスタルガーデンの情緒的な風景を眺めながら、近くの東屋に腰を落ち着けたトワたちは遊び疲れていた。午後を目一杯使って夏至祭を満喫していたのだ。いくら体力があっても疲労は溜まる。

 クリスタルガーデンの園遊会は既にお開きとなったようで、典雅な催しは既にバルフレイム宮あたりに場を移しているのだろう。マーテル公園は人気もなく静かなものだった。

 もうじき約束の時間だろうと戻ってきたはいいが、ナユタはまだノイと一緒にどこかを出歩いているらしい。彼の帰りを待ちつつ、ひとまずの休憩としたトワたち。必然的に、その話題に上るのは夏至祭で回った諸々についてであった。

 

「それにしても夏至賞でのクロウの負けっぷりは凄かったね。あれだけ自信満々だったのに」

「あんな番狂わせが起きるなんて誰が想像するかっての! ったく、あそこで負けなけりゃ荷物持ちもしなくて済んだってのに……」

「まあ、勝負は時の運というやつさ。トワはどうしてあの馬にしたんだい?」

 

 ジョルジュに蒸し返されて「だぁっ!」と吠えるクロウ。それを軽く流しながらアンゼリカがトワに問いかける。あの中からライノブルームを選んだ理由、そこにあまり深いものはなかった。

 

「何となく、あの子が一番頑張ってくれそうな感じがしたから。本当に感覚的なものだけど」

 

 トワの気配を感じ取る力。そこから得た感覚的なものを頼りにした選択だったようだ。その答えに、クロウが目を怪しく光らせた。

 

「つまり、その感覚に頼れば一着は確実……トワ、俺と一緒に三連単を――!」

「はいはい、下らないことに巻き込もうとしないの」

「あはは……そんなに当てになるものじゃないと思うけど。でも、レースはまた見てみたいかな。ライノブルームがまた頑張ってくれたら嬉しいし」

 

 クロウの杜撰な目論見は切って捨てられるが、トワは思いのほか競馬が気に入ったようだ。というよりも、単純にレースとしてライノブルームのファンになったという方が正しいか。健全な楽しみ方で何よりである。

 

「しかし、《ル・サージュ》でのひと時はまさに至福だった……トワ、買ったものは是非とも着てくれたまえよ。それが私の幸福なのだからね」

「士官学院だとあんまり私服を着る機会がないけどね。今度の里帰りのときかなぁ」

「クレープもジェラートも評判通りの美味しさだったよね……クロウ、そんなに根に持たなくてもいいじゃないか。あれくらいの冗談、普段の課題の手伝いとかでの手間と相殺だろう?」

「お前の冗談は性質が悪いんだよ! やっていいことと悪いことくらいあんだろ!?」

 

 競馬以外でも、この夏至祭は十分以上に楽しめた。一部怒鳴り声をあげていたりもするが、結局はそれも笑い声になる。トワを元気付けるという当初の目的に関係なく、四人で遊んで回って思う存分満喫できたことの確かな証だろう。

 先月の実習から、ようやく日常が帰ってきた心地だった。鉄鉱山の一件から、トワの表情は笑顔が失い皆を避けるようになってしまった。言葉にすればただそれだけだが、クロウたちが味わった喪失感はその比ではない。いつも明るくあった彼女の存在が自分たちの中でどれだけ大きくなっていたのか思い知らされる。今はただ、四人で笑い合える当たり前の日々が戻ってきてくれたことが嬉しかった。

 

「あ――」

 

 何の変哲もない日常、当たり前の光景。それを取り戻して、クロウはようやく気が付いた。

 自分たちが特別でも何でもない、けれど大事なことをトワに言い忘れていたことに。

 

「クロウ君?」

「あー……いやな、今更感が半端ないんだが……」

 

 言い淀むクロウにトワはどうしたのだろうかと首を傾げる。今なら大丈夫だろうか。少しの逡巡の後にクロウは覚悟を決め、彼女の内側に一歩足を踏み入れる。

 

「鉄鉱山の時のことだけどよ」

 

 トワがひゅっ、と短く息をのむ。

 湧きあがった恐怖が彼女を包む前に、クロウは構わずに言い切った。

 

 

 

「ありがとうな」

 

 

 

「……え?」

 

 その言葉に、トワは理解が追い付いていないようだった。恐怖も忘れ、ポカンとした様子でクロウを眺める。言った方の彼は、照れを隠すように目を逸らして頭を掻いた。

 

「あの時、お前が助けてくれなきゃ俺たち全員女神のもとに旅立っていてもおかしくなかった。それは確かだから、な」

「……そうだね。随分と遅くなってしまったが、私からも礼を言わせてほしい。ありがとう、トワ。なりふり構わずに、私たちを助けてくれて」

「そういえば僕たち、命の恩人に礼の一つも言っていなかったのか……トワ、ありがとう。月並みな言葉しか出てこないけど、それでも言わせてくれ」

 

 トワが《力》を使わなければ、きっとクロウたちは死んでしまっていただろう。尋常ならざる手段を取ればその限りではなかったかもしれないが、四人で笑い合う日常はきっと永遠に戻ってくることはなかったに違いない。

 あの時は得体の知れない現象に気圧され、それを引き起こした彼女にただ困惑するしかなかった。隠していたかっただろうものをさらけ出し、後先を考えずに仲間を助けてくれた彼女に大切なことを伝えるのを忘れてしまっていた。

 

 だいぶ遅くなってしまったけれど、それでも伝えよう。クロウも、アンゼリカも、ジョルジュも遅まきながらの感謝の念を口にする。それは紛れもない彼らの本心であった。

 トワはただ、その感謝を呆然と聞き入れる。そんな彼女にクロウは嘘偽りのない言葉を送る。

 

「お前が何を抱えてんのかは分からねえけど、隠し事の一つや二つくらい俺たちは気にしないっての。だからまあ、なんだ……お前もそんな気にすることないんじゃねえか?」

 

 こういう臭いセリフはクロウの苦手とするところである。たどたどしく言い切ったものの、どうにも照れが残っていて格好がつかないのはご愛嬌といったところか。アンゼリカとジョルジュがやれやれと肩を竦めるのも仕方がないだろう。

 そんな言葉を受けて、トワは返す言葉もなく――ただ、その瞳からはらはらと涙を零した。

 

「ちょ、おまっ!? なんでそこで泣くんだよ!?」

「だだだだ大丈夫かいトワ!? この無神経男のせいで傷ついたのなら今すぐにでも――!」

「お、落ち着いてアン! そこでクロウを殴ってもどうにもならないから!」

 

 突然のことに三人はすったもんだの大騒ぎ。とめどなく涙を流すトワに戸惑うばかりのクロウ、錯乱して拳を振り上げるアンゼリカ、それを必死に押しとどめるジョルジュ。しんみりした空気から一転して混乱の渦中である。

 そんな彼らを正気に戻したのは、涙を流すトワの「ち、違うの」という途切れがちな声だった。

 

「私……み、皆に拒まれるんじゃないかって、怖かった……ちゃんと向き合わないといけないって分かっているのに、怖くて、勇気が出せなくて……だから……」

 

 しゃくりあげながら言葉を紡ぐトワ。それだけ聞ければ十分だった。普通じゃない自分は拒絶されてしまうんじゃないかと恐怖に苛まれ、向き合う勇気も持てずに逃げ出してしまった。

 それだけ分かれば――彼女の方から拒絶したかったのではないと分かれば、それでよかった。

 クロウはトワの頭に手を乗せると乱暴に撫でまわす。どうしたことかと泣き腫らした顔でトワが見上げた先で、クロウはニヤッと不敵な笑みを浮かべた。

 

「苦労かけさせやがって。俺たちがお前を拒むわけないだろうが……そうだろ、親友?」

「うん……うん……」

「分かったんなら、泣いていないで笑っておきな。女の涙は別の時に取っておけよ」

「……うん!」

 

 ぐしぐしと涙をぬぐったトワは再び顔を上げる。泣いた直後で顔はぐちゃぐちゃだけれど、憑き物が落ちたようなその笑顔は綺麗で、そして晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 トワの心が解きほぐされたことで、四人の本来の活気が戻ってきた。ますます賑わうそんな東屋の様子をナユタはこっそりと窺っていた。予想していた通りの結末に、彼は傍らに浮かぶ相棒に少し自慢げな目を向ける。

 

「ほら、言った通りだろう? あの子たちに任せておけば大丈夫だって」

「むむむむ……嬉しいはずなのに、なんだか釈然としないの」

 

 大人が余計な口出しをしなくても、あの四人ならばきっと自分たちで答えを見つけ出せる。そう信じて送り出したナユタが正しかったわけだが、ノイはどこか不満げな様子で唸り声をあげる。

 喜ばしい結果であるのは確かだ。トワが再びクロウたちに心を開いてくれたのはノイも嬉しい。しかし、それはそれとして姉貴分を自負する身には複雑な感情を持て余さざるを得なかった。

 

「トワのことは私が一番見てきたのに……納得いかないの!」

 

 お目付け役としてトールズにまでついてきてトワの成長を見守ってきた。だというのに、離れていたはずのナユタの方が彼女のことをよく分かっているようで妙に悔しい。保護者の一人としての些細な意地であったが、それはナユタの続く一言に撃沈される。

 

「それは……僕も父親だからね」

 

 この上ない説得力のある言葉であった。認めざるを得ない敗北にノイは肩を落とす。

 そんな相棒に笑みを一つ零し、ナユタはトワたちのいる東屋へ足を向ける。そろそろ従妹夫妻が夕食を用意してくれいてる頃だろう。こちらに気付いて手を振ってくるトワ。掛け替えのない仲間を手にした娘の屈託のない笑顔に、彼は温かい気持ちを胸に感じながら手を振り返すのだった。

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

「いやぁ、食べ盛りの子たちがこんなに集まると腕の振るい甲斐があるわね」

「ごめんなさい、マーサさん。いきなり押しかけちゃって……」

「いいのいいの。トワちゃんのお友達なら何人だって構わないわ。ほら、遠慮しないでたくさん食べていってちょうだいね」

 

 場所を移して昼頃に訪れたハーシェル雑貨店に戻ってきたトワたち。二階の食卓で夕食をいただきながら、九人もの人が集まれば必然と狭くなる空間に遅ればせながら申し訳なさが募る。対して、夕飯を用意してくれたナユタの従妹、マーサは全く気にした様子がない。むしろドンとこいと言わんばかりである。

 マーテル公園でナユタと合流した後、トワは残っていたお願いごとの権利を行使した。ぜひ、一緒に夕飯を食べていってほしいと。クロウだけではなく三人へのお願いだが、そんなことは権利など使わなくても首を縦に振るに決まっていた。

 雑貨店に辿り着いて事情を説明すれば、難色を示すどころか歓迎一色。むしろ引きずり込まんばかりのマーサの勢いに押され、こうして揃って夕食の席についている次第である。

 

「ありがたい限りです。あ、おかわりお願いしてもいいですか?」

「いや、お前そこは遠慮しろっての」

「はは、気兼ねしなくてもいいさ。食卓が賑やかなことに越したことはないしね」

 

 マーサの夫であるフレッドも突然の客人に対して嫌な顔一つない。懐が広いのはハーシェル家共通の特徴なのだろうか。クロウたちとしては肩ひじ張らずに済んで助かるばかりだ。

 温かな家庭料理に舌鼓を打ちながら、その話題に上るのはトワの学生生活や試験実習での出来事について。そしてハーシェル家の事情についても当然ながら聞き及ぶことになる。

 

「ほう、ではナユタさんとマーサさんは若い頃はあまり互いのことを知っていなかったのですね」

「そうね。お父さんに亡くなった兄がいて、いとこ姉弟が離島に住んでいるっていうのは知っていたけど……初めて会ったのは二十になるかならないかくらいだったかしら?」

「僕がヴォランス博士に連れられて初めて帝都に来た時だね。確か十八くらいだったかな」

 

 ナユタの両親は過去にロスト・ヘブンを探し求める探検に出た末、彼と姉のアーサを残して亡くなってしまっている。帝都に住んでいた親戚とは、その時に連絡が絶えてしまったのだ。導力通信もない時代、距離的な問題もあってそれは仕方のないことであった。ナユタ自身、両親が亡くなった直後は打ちひしがれていたし、アーサは星片観測士の仕事を継いで自立するのに必死だったというのもある。

 その後紆余曲折を経て、帝国でも著名なヴォランス博士に弟子入りしたナユタ。学問の師に随行する形で帝都を訪れた彼は、そこで立ち寄った博物館において思いがけず親戚との邂逅を果たすことになる。当時、帝国博物館に勤めており後に館長になった人物こそが他ならない叔父だったのである。

 従妹のマーサともその時に出会い、数年の時を経て再び親戚づきあいが始まった。帝都と残され島では行き来も楽ではないので手紙でのやり取りが主であったが、それでもこの二十数年は絶えず互いの近況を伝えあってきたし、時には雑貨店にお邪魔することもあった。

 

「それにしてもまあ、色々と驚かせてくれる従兄よ。大人しそうなくせして剣の腕が立つわ、写真が送られてきたと思ったら当然のように妖精が写っているわ、気が付いたら絶世の美女も過言じゃない別嬪な嫁さんを貰っているわ……常識が崩壊したのは片手の数じゃ足りないわ」

「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないか」

 

 散々な言われようにナユタは眉尻を下げる。クロウたちとしては思い当たる節が多々あるので擁護する気にはなれなかったが。三人の視線が向けられるトワは、自覚がないのか首を傾げるばかりである。そんなところまで似なくてよかっただろうに。

 

「別嬪の嫁さん、ね。トワの母ちゃんはそこまで美人なのか?」

「それはもう。一度ご挨拶に来てくれたことがあったけど、正直なところ男としては羨ましい限り……おっと、マーサ。これは男性としての一般的な意見であってだね……」

 

 妻からの冷ややかな視線に冷や汗を浮かべるフレッド。流石に正直すぎる感想だったらしい。

 

「まあ、クレハ様が美人なのは事実なの。会える機会もあるだろうし楽しみにしておくの」

 

 夫妻のささやかな諍いを尻目にそう口にするノイであったが、ごく当たり前のように宙に浮く彼女の姿に夫妻は何とも言えない表情。夫の見逃しかねる言動を追及する気も失せて、マーサは深々とため息を吐いた。

 

「嘘とは思っていなかったけど、実際にこうして目にするとつくづく親戚の家は常識が通用しないところなんだと痛感するわ」

「普通そうですよね。僕たちも最初は似たような気持ちでしたし」

 

 多少なりとも事情は知っているとはいえ、それでも感性は一般人のそれである。世界の神秘に触れる機会などあるはずもない現代の帝都民である彼女らにとって、ノイの存在は事前に聞いていたとしても衝撃的だ。同じ経験をしたクロウたちが揃って頷くのもやむ無しだろう。

 そんな好き放題な言われように、ナユタとトワの親子は苦笑いを浮かべて頬を掻くしかない。現実離れした環境に身を置いてきたのは否定しかねる事実なので、そこに関しては反論のしようもなかった。座して嵐が過ぎ去るのを待つのみである。

 ふと、そこでトワがチラチラと向けられる視線に気付く。食卓についてから碌に口を開いていないはとこのカイからのそれに、彼女は優しく微笑んだ。

 

「カイ君、どうかしたの? さっきから何か気になっているみたいだけど」

「うえっ!? そ、そんなことはない……ですけど」

 

 問いかけられるや、目に見えるほどに狼狽えて視線を逸らすカイ。語尾が無駄に仰々しくなってしまっていることからも、この親戚の少女に対して距離感を掴みかねているのは確かであった。その内実は、多分に年上の女性への照れが占めているだろうが。

 そこのところの男の子の機微にはいまひとつ鈍いトワである。単に緊張しているだけだと判断した彼女は、カイの近くに寄って頭をなでる。慌てて逃れようとしても、剣に限らず体術も巧妙な彼女の手から逃れることなどできはせずに為されるがままスキンシップの餌食になる。

 

「もう、そんなに硬くならなくていいのに。お姉ちゃん、って呼んでくれていいんだよ?」

「う、ぐ……わ、分かったよ。トワ……姉ちゃん」

 

 顔を真っ赤に染めて俯くカイに、男性陣は同情の念を抱かざるを得ない。親戚といっても可愛らしい少女に半ば抱き着かれるようにして撫でられるのは、年頃の少年にはなかなか刺激が強いだろう。トワの方は単純に弟を可愛がっているつもりなのも性質が悪い。

 

「むぐぐ……トワにあんなに可愛がってもらえるとは、なんと羨ましい……!」

「お前、子供を妬んでどうすんだよ……」

 

 一方、アンゼリカは平常運転。残念ながらトワが彼女を弟妹のように可愛がることはないだろう。当たり前のことである。

 

「まったく。トワちゃん、うちのカイをそんなに甘やかさないでちょうだいよ。勉強はそこそこだけど、やんちゃ盛りで親としては手を焼いているんだから」

「うるさいなぁ……そうだ、ナユタさん。シグナのおっちゃんは今度いつ来るとか聞いている?」

「うん? そうだね、シグナならしばらくは帝国各地を回って諸々の後処理をするって言っていたから……帝都にまた来るのは先のことになるかな。具体的なことまでは分からないけど」

 

 母親からのお小言は聞き飽きているのか、頓着もせずにカイはナユタにこの場には居ない親戚の一人について聞く。その声色は期待を感じさせるものだったが、ナユタからの返答はそれに応えられるものではなかった。「そっかぁ」とカイは残念がる。

 シグナは帝都の遊撃士協会に駐在していることが多かったようだし、その時にこの雑貨店にも顔を出す機会があっただろうから知り合っていることに不思議はない。ところが、カイの様子からして彼は特にシグナのことを慕っている様子。その理由にも何となく察しがつく。

 

「なるほど、カイ君の憧れは遊撃士ですか」

「ああ。昔からそうではあったけど、シグナさんが顔を出すようになってからは殊更でね。近所の友達とはもっぱら遊撃士ごっこばかりだよ」

 

 もとより子供たちにとって遊撃士とはヒーローのようなもの。民間人の保護を第一とする支える籠手の担い手たちは、幼い目には格好よく映るのだ。実際はそう簡単な話でもないのだが、子供にそこまで理解を求めるのは酷な話だし、別に憧れるのは悪いことではない。

 最高位のA級遊撃士の中でも特に高い実力を持つシグナが身近にいたとなれば、カイが遊撃士に入れ込むのも無理はないことだろう。普段はだらしのないオッサンらしさが目立つが、それでも類まれな腕前を誇るのは確か。むしろオッサンらしさが親しみやすさになって、余計に憧れを強くする要因になったのかもしれない。

 支部の撤退を余儀なくされるなど、昨今の遊撃士の難しい立場を理解しているからだろうか。フレッドは息子のそんな様子に何とも言えない表情だったが、特に何か言及することはなかった。将来のことはカイ次第といったところだろう。

 

「いつになるかは分からないけど、折を見て一緒に訪ねさせてもらうよ。その時にはクレハも姉さんも……師匠も来てくれるかな。家族全員で顔を会わせられたらいいね」

「親戚一同大集合というわけね。いいわ、その時は楽しみにしておいて。腕によりをかけて料理を振る舞ってあげるから」

「はは、姉さんとかは我慢できずに手伝いに行きそうだけど」

 

 和やかな家族の会話。それを見ていてクロウたちは温かい気持ちになる。

 

「ったく、羨ましいね。こんな家族が身近にいてよ」

「何を言っているのかしら? 貴方たちだって何時でも訪ねてくれていいのよ」

 

 独り言のように呟いたそれに対する返答に、クロウは思わず「は?」と間の抜けた声を漏らす。彼のみならず、マーサの目を向けられたアンゼリカとジョルジュも虚を突かれたような表情にならざるを得なかった。そんな三人に夫婦は温かい笑みを浮かべる。

 

「トワちゃんのお友達なら、もう私たちにとっても身内みたいなものよ。困ったことがあったら遠慮せずに来てちょうだい」

「そうだね。力になれるかは分からないけど、何時でも歓迎させてもらうよ。それこそ、ご飯を食べに来るだけでも構わないし」

「ま、まあ、トワ姉ちゃんのついででよかったら相手してやるよ」

 

 投げかけられる優しさに満ちた言葉。クロウたちは目を見合わせて、それから諦めたように肩を竦める。まったくもって、この血筋の人々のお人好しさには敵いそうもない。結局は彼らも、トワと一緒にまた遊びに来ることを約束するのだった。

 

 

 

 

 

 夕日もとうの昔に沈み、街灯が街並みを照らす夜の帝都。トリスタの街に戻るために帝都中央駅にまで来たトワたちを見送り、ナユタも同行していた。

 

「じゃあ、お父さんはマーサさんのところで泊ってから帰るんだよね」

「うん、流石に列車で夜を過ごすのは厳しいからね。船なら慣れたものなんだけど」

「船ならいいのかよ……」

 

 ナユタのさりげない一言にクロウがげんなりとするが、離島育ちにそこのところを言うのはもはや今更というものだろう。船上で一夜を過ごすくらい、ナユタは学生時代から数えるのも億劫なくらい経験しているのだから。

 トワたちも泊っていけばいいとマーサに誘われはしたのだが、そこはあくまで学生の身。届けも出さずに無断での外泊は校則違反になってしまうので丁重にお断りさせてもらった次第だ。トリスタと帝都は目と鼻の先。わざわざ泊るほどの距離ではなかったというのもある。

 

「お父さん、ノイから話を聞いて手紙くれたんだよね? ごめんなさい、心配させちゃって」

 

 父親に気を遣わせて、学会も忙しかっただろうに時間を作ってくれたことにトワは改めて謝意を示す。そんな我が子に父は苦笑を零した。

 

「そんなに遠慮しなくてもいいさ。僕も久しぶりにトワの顔を見られてよかった。それに、ノイの早とちりでもあったみたいだし。僕がいなくても大丈夫そうだったじゃないか」

『失礼しちゃうの。私だってトワを思ってのことだったのに』

「あはは……うん、分かっているよ。ありがとう、ノイ」

 

 子供が親に対してそんな気兼ねなんてするものじゃない。ナユタの言葉は至極もっともで、トワに反論の余地など欠片もなかった。ついでとばかりに揶揄われて不機嫌そうな声を響かせるノイをフォローするのが精々である。

 父に久しぶりに会えて嬉しかったのはトワも同じだ。だから目的や結果はどうあれ、来てくれたナユタや心配してくれたノイには感謝する他ない。そして、沈んでいた自分を追いかけてきてくれた仲間たちにも。それはナユタも同じ気持ちであった。

 

「君たちもありがとう。娘のことを大切に思ってくれること、一人の父親として感謝するよ」

「なに、トワのためならこれくらいお安い御用というものです」

「普段は僕たちの方が世話になっているようなものだしね」

「ま、これで貸し借りなしにできたのなら言うことはねえな」

 

 あくまで気負いなく、一人の友人としてトワを認めてくれるクロウたちにナユタは心の底から安堵を覚える。きっと彼らだからこそ、トワは向き合うことが出来たのだろう。きっと彼らとなら、トワは前を向いて進んでいくことが出来るだろう。不思議とそう信じることが出来た。

 

「トワ、道を見つけることはできそうかい?」

 

 娘と視線を合わせた父はその胸の内を問いかける。その小さな肩に背負わせてしまったものを代わることはできない。代われないならば、せめて見届けることが父親として彼のできることだ。

 いまだ暗中模索を続けるトワは、父の問いかけに明確な答えを持たない。けれど、今日この日にあったことを通して、掛け替えのない仲間たちと向き合えたことで、一つだけ言えることがあった。

 

「まだ分かんないや。《力》を使うのは怖いし、その意味も見つけられていないけど……でも、立ち止まったりはしないよ。クロウ君にアンちゃん、ジョルジュ君と一緒なら、きっといつか答えを出すことが出来るって思うから」

 

 不安はある。背負うものは重く、その行く先も分からない。

 だが、トワは支えを得た。この親友たちと一緒なら、いつしか歩んでいくべき道も見つけられる――彼女はそう信じることが出来た。他ならない親友たちが手を差し伸べてくれたからこそ。

 それを聞けただけでナユタは満足だった。「そっか」と柔らかい笑みを浮かべる。

 

「クロウ君、アンゼリカさん、ジョルジュ君も。どうかこれからも娘をよろしく頼むよ。頭はいいけど、どこかそそっかしくて抜けているところがある子だから、よく見ておいてやってくれ」

『ナユタ、私もいるの!』

「分かっているって。勿論、ノイも僕たちの分も頼んだよ」

 

 相棒からの訴えに慣れた様子で応じつつ、娘の少しむっとした表情は受け流す。ちなみに、言ったことの殆どが彼にブーメランとなって返ってくるのは言葉にするまでもない。

 だが、娘たちを思う気持ちに嘘偽りはない。学院での忙しい日々に戻っていく彼女たちに、ナユタはささやかな祈りと激励を送る。

 

「君たちに星と女神の導きが在らんことを……また会える時を楽しみにしているよ」

 

 


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