永久の軌跡   作:お倉坊主

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今まで一番ふざけた題名になりましたが、内容自体は真面目(?)です。


第33話 始動! オペレーション・トワ・リターンズ

 七月。湿気た空気が憂鬱だった梅雨も明け、今度は夏の暑さが訪れる頃。トールズ士官学院では制服が夏服に切り替わっており、それが幾分か汗ばむ不快感を軽減していた。制服自体はオールシーズン対応なので必ずしも夏服にする必要はないのだが、そこはやはり気分の問題なのだろう。生徒全体で見れば夏服にしている方が大半だ。

 そんな中、トワは比較的珍しく上着を着用したままでいる方だった。時には溶岩が海のように広がるテラの千変万化な環境に慣れてしまった影響か、これくらいの暑さで装いを変えようという気持ちに彼女はならなかった。周囲が暑さに汗を流す中、一人だけ涼しい顔である。

 夏の陽気をものともせず、普段通りに、いや、普段以上に生徒会活動に励むトワ。他のメンバーはよくやるものだと感心し、自分も負けじとやる気を出すところ。よい循環であるように見えた。その最初の内、表面上のことだけに目を向けている間は。

 

「ハーシェル……ハーシェル!」

「ふえっ……会長、どうかしましたか?」

 

 放課後、そろそろ夕暮れが近づいてきた生徒会室に会長の声が響く。一拍反応が遅れたトワに、彼は深々とため息を吐いた。

 

「どうしたか、ではない。いい加減に休みでも取ったらどうだ。正確に仕事をこなしながらぼんやりするなどという離れ業を見せられても、こちらとしては反応に困る」

 

 書類の仕分けを行っているトワはいつも通りに手際が良い。だが、会長の呼びかけに遅れて反応したことから心ここにあらずであるのは明らかであった。すみません、と肩を小さくして悄然とする様も違和感を募らせる。ちょっとした失敗くらいなら、いつもは人好きのする笑みを浮かべて頬を掻くぐらいだというのに。

 ここ半月ばかり、トワはずっとこんな調子だった。生徒会の仕事に打ち込んでくれるのは構わない。しかし、それが熱心さからくるものではなく何かから目を背けるためにやっているように会長には思えた。当初は様子を見ていたものの、ここまでくると口を出さざるを得ない。

 

「でも、やらなきゃいけないことはまだありますし……」

「どの口が言う。他のメンバーが、君が仕事を根こそぎ片付けてしまうと嘆いていたぞ」

 

 小声の反論は一瞬で閉口させられた。早朝から始業までの時間も仕事に割り当て、放課後になってからは夜遅くまで生徒会室の明かりが消えないこともままある。優秀な処理能力が悪い方向に暴走していた。生徒会の中では、そのうち倒れるのではないかと今では心配の声が多数である。

 

「誰もそこまで根を詰めるように頼んでなどいない。君が過労で倒れたら私までベアトリクス教官に睨まれるのだぞ。少しは自分を顧みたらどうだ」

「それは、そうですけど……」

「……今日はもう帰るといい。反論は聞かん。これは会長命令だ」

 

 会長には何があったか分からないが、トワがかなり重症であるのは間違いないとは理解していた。そして、この手合いには強権を発動でもしないと言うことを聞かないということも。トワはその命令に対して何か言おうとしたが、口をまごつかせるだけで言葉にならなかった。

 本格的に重体だな、と会長は内心で独りごちた。トワがここまで精神的に参ることを彼は想定していなかった。たとえ横柄な貴族生徒相手でも根っからの善人気質で毒気を抜いてしまうのだ。余程のことが無ければ調子を崩すことはないだろうと過信していたことは否めない。その余程のことが起きてしまったのだろう。おそらく、先月の試験実習において。

 目をかけている後輩を助けてやれないことに会長は歯がゆい思いを噛み締める。これは自身の手が及ばない領域の問題であることも、彼は理解していた。だからせめて、体を壊さないように押し留めて一言かけてやるのが彼のできる範囲のことであった。

 

「目を背け、耳を閉ざし、逃げ続けるだけでは何もよくならん。向き合う勇気が無いというのならば、一人で抱え込まずに誰かに頼れ……私に言われずとも、分かってはいるだろうがな」

 

 

 

 

 

 追い出されるように生徒会室を後にしたトワは、学生寮への帰り道をとぼとぼと歩いていた。日が出ているうちに帰路につくのは久しぶりのことだ。ここ最近はずっと夜遅くまで帰らないでいた。そうすれば、仲間とも友達とも目を合わせることは少なくなるから。

 クロウ、アンゼリカ、そしてジョルジュともあの試験実習以来、まともに口をきいていない。向こうからアプローチを掛けてきたことは多々ある。その度にトワは異様に鋭い感覚で察知するや無駄に速い逃げ足で身を隠してしまう。生徒会への依頼を殆ど抱え込むことで自身を多忙に追いやり、それを言い訳に他者との関わりを絶ってしまっていた。

 

『その……トワ? 今回ばかりは会長の言う通りなの。少しは休んだ方が……』

「うん、分かってる……分かってはいるんだ」

 

 ノイに言われずとも、会長の判断が正しいことは理解していた。逃げているばかりでは何も解決しないことも、誰かに頼って悩みを打ち明けた方がいいことも。

 だが、誰に頼ればいいというのだろうか。相談するとなれば、きっと自分の本当のことを話さなければならなくなる。そのことがトワはたまらなく恐ろしい。クロウたちにもクラスメイトにも、会長やサラ教官にでもそんなことはできそうになかった。

 傍にいる姉貴分は、そんなトワの心中を理解していながらも手をこまねいていた。一緒にいて深く理解しているからこそ、彼女がどうしようもない立ち往生に陥ってしまっていることも分かってしまう。妹分のかつてない沈みように、ノイは自分だけでは助けてやれないことを認めざるを得なかった。

 

 いつにも増して言葉少なな帰り道。すれ違った二人組の生徒の話し声もよく聞こえてくる。どうやら来週の自由行動日のことで盛り上がっているようだった。そういえば、と思い出す。今月の自由行動日は帝都のとある行事に合わせられていた。

 

(夏至祭だっけ……帝都では一か月遅れなんだよね)

 

 精霊信仰の名残である帝国各地で開催される夏至祭。先月に訪れたルーレでも、その後に無事開催されたと聞いている。帝都ヘイムダルでは二百五十年前の獅子戦役の終結が七月であったことから、各地より一月ずれて開催されるのが伝統なのだとか。相変わらず脱線が酷いトマス教官の授業で最近に聞いたことなのでよく覚えていた。

 帝都全体で様々な催しが開かれ、皇族のパレードもあって非常に盛り上がるという。親切なことに自由行動日が重なっているので、トールズでも遊びに出向く予定の生徒が多数いるそうだが――トワはとてもそんな気分になれそうになかった。

 いつも通り生徒会活動に、と考えたところで思い至る。今日の会長の様子からして、「こんな日にまで仕事しに来るのではない」とつまみ出されそうだ。トワがオーバーワークなのは周囲の目からも明らかなので強くは言えない。明瞭に想像できる情景に彼女はため息をついた。

 

「お祭りかぁ……そういえば今年は《星降り祭》にも行けないんだよね」

『それはまあ、どうしようもないことなの。残念なのは分かるけど』

 

 残され島で八月に行われる島をあげてのお祭り。行く先を導いてくれる星々、恵みを与えてくれる海原、そして先祖の霊に感謝の念を捧げ、安寧と豊穣を願うという趣旨のものだ。実際のところ、お祈りが終わるや否や夜通しのどんちゃん騒ぎになるのが常なのだが。

 毎年、欠かさずに参加していたそれに今年は行けないと今更ながらに実感して郷愁の念が募る。歌い手に担ぎ出された挙句、とある人物のもとで煉獄の如き猛特訓をする羽目になり大変だったこともあるが、それも大切な思い出だ。精神的に参って、トワはホームシック気味になっていた。

 

 島に帰れば、何も怖がらずに済む。あそこはありのままの自分を受け入れてくれる故郷だから。

 だが、それはただの逃避だ。きっと誰も怒らないし、責めもしないと思う。それでも他ならないトワ自身が何もかも投げ捨てて逃げ帰ることを選べなかった。変わりたいと願って島を出てトールズに入学したのだ。ここで逃げてしまったら、きっと変われなくなってしまう。

 そうは思っていても、これからどうすればいいのか何も分からない。肩をますます小さくしたまま力なく足取りを進め、気付いた時には第二学生寮にまで帰ってきていた。日々のルーチンで配達箱を確認し、そのまま自室に引っ込んで勉強でもしようと考える。

 ふと、そこで自分の配達箱に何かが入っていることに気付いた。

 

「手紙……?」

 

 誰からだろう。不思議に思いながらひっくり返して裏面を確認する。そこに書かれていた送り主の名を認め、トワはわずかに目を見開いた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……来たわね」

「ああ。いったい何の用だ? こっちも暇じゃないんだがな」

 

 場所を移して校舎裏。夕暮れとなり薄暗くなりつつあるそこで、一組の男女が向かい合っていた。男子はクロウ、女子はエミリー。どうやらエミリーの方から呼び出した形のようで、クロウはクラスも違う相手からの突然の話に訝しげである。

 シチュエーションだけを見れば、甘酸っぱい青春の一幕……と思えなくもないのだが、エミリーから漂う雰囲気がそれを否定していた。まるで親の仇を見るかのような険しい視線。気を抜けば今にも殴りかかってきそうな様相に、クロウは素直に出向いたことを後悔し始めていた。

 

「何の用かですって? 少しは自分の胸に聞いてみなさいよ」

「……いや、まあ何となく察しはついているけどよ」

「ふん、なら話は早いわね」

 

 心当たりはある。顔見知り程度の間柄である自分と彼女に関係することを考えれば、何が原因でこんな憎悪せんばかりの目を向けられるのかは明らかであった。

 が、エミリーの口から飛び出したそれはクロウの想像の若干斜め上をいっていた。

 

「さあ白状しなさい……あんたがトワをいじめたんでしょ!?」

「違うわ!! 何がどうなったらそういう結論に至るんだっての!」

 

 ズビシィッ、と犯人を告発するかのように指さしてくる相手に吠える。その関係で問い詰められるのだろうとは思っていた。しかし、いじめが云々という話は想定の埒外である。謂れのない罪にクロウは断固として無罪を主張する所存である。

 

「この前の試験実習から帰ってきてから、あのトワがまともに口もきいてくれないのよ!? 生徒会で馬鹿みたいな量の仕事抱え込んで、放課後になったら逃げるように教室からも出ていっちゃう! あんたが実習中にあの子を傷つけるような真似したとしか考えられないじゃない!」

「なんで俺限定なんだっつの! ゼリカにジョルジュもいるだろうが!?」

「あのトワ大好きっ子なアンゼリカさんがそんな真似をするわけ無いし、ジョルジュだっていじめをするような性格じゃないでしょ! 残るのはあんたしかいないじゃない!」

「偏見! それ凄い偏見!!」

 

 クラスメイトの様子がおかしいのを心配して原因を探ろうとしたのは分かる。時期的に考えて試験実習中に何かあったと判断するのも理解できる。そこから何がどうなっていじめにまで発想が飛躍するのか。しかも犯人の絞り方が完全に独断と偏見である。客観的な証拠が一欠片もない。

 ところが、頭に血がのぼっているエミリーにはそんなこと関係ない。大切なクラスメイトを傷つけた不倶戴天の敵としてロックオンした相手に言い逃れなど許すはずもない。認めないというならば、実力行使あるのみである。

 

「むっきー! そっちがそのつもりなら私にも考えが――」

「はい、エミリー。どうどう」

 

 幸いにして荒事にはならなかった。事態を見守っていたハイベルがエミリーを後ろから抱えて抑え込む。まるでこうなることを予見していたかのような手際の良さである。

 

「悪いね、クロウ。エミリーも悪気があるわけじゃないんだ」

「そりゃ分かっているけどよ……こうなる前に止めてくれたっていいだろうが」

「はは、まあ念のためというやつさ」

 

 じたばたと暴れるエミリーを他所にハイベルは涼しい顔でそんなことをのたまってくる。そんなに信用がないだろうか、と流石にクロウも自分を省みてしまう。日頃の行いというやつなのか。それならアンゼリカも大して変わらない気もするのだが。

 とはいっても、ハイベルも本気でいじめが云々と考えていたわけではないのだろう。クロウの反応からも彼が原因ではないと理解できたのか、興奮冷めやらぬエミリーを宥めに掛かる。

 

「いい加減に頭を冷やさないか、エミリー。彼らがそんなことする意味がないって言ったろう」

「むぐぐ……じゃあトワはなんだって私たちのこと避けているのよ。何も分からないまま納得できるわけがないじゃない」

 

 それは、とハイベルも返答に窮する。エミリーが本気でトワのことを心配しているのと同じように、彼もまた得難い友人が抱える問題をどうにかしたいと思っていた。だからその目は、きっと何かを知っているであろうクロウの方へと向けられる。

 クロウとしても無下にはしたくない。だが、困っているのは彼も同様だった。あれから話をしようにもトワはその優れた能力をフル活用してクロウたちの手を逃れ続けており、半月経った今でも依然として捕まえられていない。普段は頼もしく感じるのがこうも厄介になるとは思わなかった。

 

 そして肝心のトワの様子がおかしくなってしまった原因も、彼の口から軽々しく言えることではない。詳しい事情は分からないが、トワはきっとあの《力》のことを知られたくなかったのだろう。それがどうして周囲を遠ざけることになるのかは判然としないものの、本人の知らぬところで話を広めてしまえばそれこそ彼女は自分たちの前から姿を消しかねない予感があった。

 

「本当のところは俺たちにも分からねえ……だが、近いうちに何とかするつもりだ。それまでは見守ってやっておいてくれねえか? あいつも、そのうち元に戻るかもしれないしよ」

 

 だから今は気休め程度のことしか言えなかった。そのうち元に戻るかも、と言いつつも自分でそれはないだろうと思う。そんな余裕があれば半月のうちに彼女の方から動いていたはずだから。それが無いということは、きっと自分ではどうしようもなくなってしまっているのだろう。

 クロウをじっと見据えるエミリーは、彼のそんな内心を薄々感じていたのかもしれない。だが、結局は諦めたようにため息をつくと脱力した。

 

「分かったわよ……悔しいけど、トワを助けられるのはあんたたちだけってのは理解しているの。だから約束して。あの子をまた笑顔にしてあげるって」

「僕からも頼む。彼女に暗い顔なんて似合わないからね」

「……おう」

 

 

 

 

 

 尋問紛いのエミリーからの問い詰めより解放されたクロウは技術部へと足を向けた。先のやり取りを思い出してため息が零れる。あんなに思ってくれる奴らがいるのに何してんだあの馬鹿は、と。

 校舎裏から技術部はほど近い。時間もかけずに辿り着いたクロウが扉を開けて中に入ると、そこには既にいつもの面子がそろっていた。正確には、一人と妖精もどき一体が欠けているが。姿を現したクロウにアンゼリカが咎めるように睨みつける。

 

「遅いじゃないか、クロウ。至急集合するようにと言ったはずだが?」

「あいつのクラスメイトに絡まれていたんだよ。ったく、危うく冤罪を吹っ掛けられるところだったぜ」

「ああ、エミリーにハイベルか。同じクラスだったら心配になって当然だよね……」

 

 クロウの弁明にジョルジュが納得したように頷く。アンゼリカも「それなら仕方あるまい」と矛を収めた。今はそんなことを追及して無用な言い争いを繰り広げるよりも、早急にこの試験実習班の一大事への対策を練ることが重要であった。

 

「今月は帝都の夏至祭もあって試験実習が遅めに設定されているが、このままでは本格的に不味いことになる。情けない話だが、トワが不調のままでは私たちは半分の力も出し切れまい」

「せっかく戦術リンクが完成しても、このままじゃ悪い頃に逆戻りだ。実習までになんとかしないと」

 

 試験実習の活動にしても戦闘にしてもトワは試験実習班の要だ。このままでもある程度の成果は出せるだろうが、司令塔を欠いたままでは全力など出し切れるはずもない。戦術リンクにしても、その効力を十分に発揮することはできないだろう。

 どうにかして現状を打破する必要がある。先ほどエミリーとハイベルにああ言ってきた手前、クロウも手を抜く気はない。それに、せっついてくるのは何もクラスメイトだけでもなかった。

 

「サラも様子がおかしいことには当然勘付いてやがる。この前、俺に睨みきかしてきやがった」

 

 思い出して苦い表情が浮かぶ。実技の授業の後に「何とかしなさい。いいわね?」と

末恐ろしい笑顔で告げられたのは忘れたくても忘れられなかった。

 

「トワのこと可愛がっているみたいだしね。師匠の姪っ子という理由ばかりじゃない気がするけど」

「まあ、その教官殿も私たちに任せようとしてくれているんだ。期待に応えないわけにはいくまい」

 

 トワのことを知る様々な人が彼女のことを心配していた。その誰もが、彼女を助けられるのは他ならぬ彼女の仲間たちだと信じてくれていた。その想いを裏切るわけにはいかない。

 

「時が惜しい。そろそろ始めるとしよう」

 

 手を組んで瞑目したアンゼリカが告げる。異議はない。クロウとジョルジュも首肯する。東方では三人寄れば文殊の知恵という諺があると聞く。自分たちの頭を振り絞れば、きっとトワと再び笑い合える日常を取り戻すことが出来るはずだ。

 そのために今こそ始動しよう。くわっ、とアンゼリカが目を見開いた。

 

「各員、全力を尽くしてくれ――これよりオペレーション・トワ・リターンズ立案会議を開始する!」

「いや、そのネーミングは失敗するだろ」

 

 直後、クロウの顔面に鉄拳が食い込んだ。

 

 

 

 

 

「大前提として、トワが私たちを避けている原因があの《力》に関係していることは間違いない」

 

 真面目腐った顔で――実際、大真面目なのだが――話を進めるアンゼリカ。鼻を抑えながら「殴ることねえだろ……」と文句を垂れるクロウは黙殺された。そんな彼に気の毒そうな目を向けつつも、余計な被害を食らいたくないジョルジュは涙を呑んでアンゼリカの話に乗っかる。

 

「だろうね。一体どういうものなのか気になるところだけど……」

「けどよ、それが知られたくなかったんだからトワは隠していたんだろうが。聞いたところで教えてくれないどころか、猛スピードで逃げ出しかねないんじゃねえか?」

 

 ザクセン鉄鉱山で試験実習班を墜落死の危機から救ったトワの謎の《力》。凄まじい未知のエネルギーが吹き荒れたと思ったら、クロウたちは宙に浮いて助かっていた。白銀に染まった髪をなびかせ、神気を纏ったトワの後姿は彼らの目に焼き付いて離れていない。いかなる原理によるものであるか、そして彼女が何故そのような《力》を有しているのか、知りたいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。

 だが、クロウの言う通りトワがそれを口にするとは今の段階では思えない。実習から帰る列車での一幕を思い返す。クロウがその件に触れようとした途端、彼女は拒絶反応を起こしたように酷く怖がった様子で逃げてしまった。あの二の舞を踏むのは避けたいところだ。

 

 同感だ、とばかりにアンゼリカが頷く。彼女もそれは当然ながら想定していた。

 

「おそらくトワには《力》のことを知られてしまうことで何か問題があったのだろう。それがどのようにあの怖がりように繋がるかは分からないが……それについて今は無視するべきだと思う」

 

 男子二人が疑問符を頭に浮かべる。原因が分かっているというのに、それを無視するとは如何なる理由によるものなのか。当然の疑問にアンゼリカは言葉を続ける。

 

「私たちの第一の目的はトワに心を開いてもらうことだ。彼女が頑なに口を閉ざす話題を出すのはむしろ厳禁と言っていい。まずは以前と変わらないトワに戻ってもらうことが肝要、あの《力》については二の次。違うかい?」

「それは……そうだね。アンの言う通りだと思うよ」

 

 目的を違えてはならない。自分たちが為すべきことはトワの秘密を暴くことではなく、閉ざされてしまった彼女の心を再び開くことだ。試験実習も戦術リンクも、まずはそこを解決しなければ立ち行かない。反面、《力》のことについては後回しにしても問題はなかった。

 アンゼリカの本質的な問いかけに対し、ジョルジュはもとよりクロウも異存はない。であるならば、この場で話し合うべきはどのようにしてトワの心を開くかに尽きた。

 

「地雷は避けていくにしても、難儀するのには変わりねえ。何か策はあるのかよ?」

 

 開くべき扉は固く閉ざされている。いかなる手法をもってそれを為すか、まずはそこからだ。

 

「具体案は定まっていない……が、大筋は立っている。トワをどこかに遊びに連れ出せばいい」

「そんなことでいいのかい?」

「そんなことだからこそ、だ。トワが私たちから遠ざかるのはあの《力》を見たからだ。逆説的に考えれば、《力》を見ても私たちが変わらない態度を示せばトワも安心するんじゃないだろうか」

「……なるほど、一理はあるか」

 

 思えば、あの一件から自分たちもトワに対して戸惑いに似た感情を抱いていたことは否めない。それが彼女を余計に刺激してしまっていたというのは考えられないことではなかった。

 ならばその逆、以前と変わりない姿勢をこちらから示すことで気持ちを解きほぐす一助とする。そのためにトワを遊びに連れ出すというのは悪い案ではない。具体的にどうするかにしても、ちょうどお誂え向きのイベントが目前に迫っていた。

 

「今度の自由行動日、帝都の夏至祭が狙い目か。そこを逃したらチャンスは限られちまう」

「その通り。万難を排し、確実を期さなければならない」

 

 軍学校らしさはないが、それでも士官学生の身。普段は遊びに出回るような猶予はない。唯一、公然と自由に振る舞える自由行動日を逃してしまえばチャンスはないに等しい。そのまま試験実習に一直線だ。なんとかそれまでには事態を解決したい。

 そのためには夏至祭を最大限に活用しなければ。開かれている催しは様々であるし、店舗においても夏至祭のセールなどで賑わっていることだろう。その中からトワが楽しめるものを選別し、どうにか以前と同じ笑顔を見せられるようになってもらわねばならない。

 難易度は極まり、絶対の保証もない。それでも諦めることは許されないのだ。少しでも可能性を高めるために、どのように夏至祭を回るかを考える。

 

「私としては《ル・サージュ》でショッピングと洒落込みたいのだが……」

「ちょっと待とうか」

 

 が、真面目な空気の中に邪念が入り混じる。ジョルジュが片手をあげて待ったをかけた。

 

「何かいけないかい? あの天使の如きトワを存分に着飾れる絶好の機会なんだ。楽しめること間違いなしだろう」

「それアンが楽しんでいるだけだよね。思いっきり私欲にまみれているよね」

 

 夏至祭に出向く趣旨はトワを楽しませて心を開いてもらうことである。まかり間違ってもこの機を利用して我欲を充たすためではない。奇天烈な作戦名はともかく、ここまで真面目に話し合ってきただけにジョルジュは頭が痛い思いだ。

 対するアンゼリカは不満げな表情。彼女は己の正当性を確信していた。

 

「先に言っただろう。変わらない態度でトワと接することが肝要だと」

「それってそういう意味だったのかい!?」

「お前の趣味を前面に押し出してどうすんだよ! トワが別の理由で逃げ出すっつうの!」

 

 男子からの猛反発にアンゼリカは眉をしかめる。彼女なりに真面目な意見――それが真っ当かどうかはともかく――だっただけに、ここまで全否定されると頭にくる。

 

「ほう、では君たちに何かいい案があるというのだね?」

「当たり前だろうが。少なくとも、お前の案より百倍マシなのは間違いねえ」

 

 自信満々に応じるクロウ。その様子に特に腹案を持っていなかったジョルジュは期待の目を向ける。彼は盛り上げ上手な男だ。こういったお祭りを楽しむ術は熟知しているだろう。

 

「ここは帝都競馬場で夏至賞観戦にだな――」

「はい、アウト」

 

 果たして、その期待はいとも容易く裏切られた。

 

「学生の賭け事はご法度だし、馬券も買えないじゃないか。クロウ、君もそれくらいは分かっていると思っていたのに……」

「知っとるわ! それでも夏至祭で盛り上がるものといったら、競馬の夏至賞は外せねえだろうが。しかも見る分にはミラもかからねえ。財布に優しいのもポイント高いだろ」

「こんな時にまでケチ臭い男だな……そもそもトワが競馬に興味を示すか分からないだろう」

 

 見下げ果てたとばかりに白けた目をクロウに向けるアンゼリカ。あれだけ自信をもって口にしたのが競馬だったのはもとより、それを選んだ理由の一つが情けないにも程がある。こんな時にまで財布の心配をしなくてはならないほど彼は困窮しているのだろうか。

 アンゼリカもクロウも趣味が表れすぎている。これではトワが楽しんでくれるか不透明であり、とてもではないが安心して実行に移すことなどできない。かといって、代替案があるかと聞かれたらジョルジュも怪しいところなのだが。

 

「じゃあ、ジョルジュはどうなんだ。なんかいい考えでもあるのかよ?」

「僕かい? そうだなぁ……夏至祭限定メニューのパフェが気になっているんだけど……」

「君の腹の考えは聞いていない! そちらこそ私欲に染まっているではないか!」

 

 この有り様だ。結局のところ三人ともどんぐりの背比べ。具体的な方策を練る段階に入った途端、このぐだぐだ具合。無駄に大きな声で怒鳴り合っていたことにより肩で息をする始末である。

 無為な言い争いに一段落着いたところで、クロウが「っていうかよ」と根本的なことを切り出した。

 

「行く先はともかく、肝心のトワはどうやって連れ出すんだ? この半月ばかり、捕まえようとしても悉く逃げられているのによ」

 

 いくら議論を交わし合っても、連れ出すべき相手が捕まえられなければ話にならない。逃げに徹したトワを補足するのは至難の業であり、生徒会の案件でトリスタ中を駆けまわっているので居場所も定まらない。夜半に部屋へ訪問するという手もあるが、あまり気が進まないし狸寝入りを決め込まれる可能性もある。

 

「それについては一応、考えがある。おそらくは大丈夫なはずだ」

 

 その難題に、アンゼリカは思いのほかしっかりとした答えを返した。若干の不安を覚えながらも二人は聞き手に回る。

 

「まず放課後、トワが生徒会に直行する前に私がⅣ組の前に陣取っておくことで彼女を捕まえる」

「まあ、確かにそれが確実だろうけど……君の授業とかは?」

「無論、サボる」

「無論って……いや、今回は目を瞑っておくよ」

 

 当たり前のようにサボタージュを宣言するアンゼリカに小言が出かけるジョルジュだったが、このときばかりはそれを飲み込む。トワを確実に捕捉するためには、彼女が絶対にいる場所で張り込む必要があるのだ。緊急事態であるがゆえに、ある程度の無法は見逃すほかない。

 ともあれ、第一段階として教室前でトワを捕まえるまではそれでいいだろう。最大の問題はその後。心を閉ざしている彼女をどうやって夏至祭に誘うかである。

 

「そこまできたら小細工を弄することはない。誠心誠意、トワに頼み込むまでだ」

「正面突破ねえ。行けると思うか?」

 

 アンゼリカの出した答えは正面からまっすぐにぶつかっていくこと。その一本気通った心意気は好ましいところなのだが、果たしてそれで上手くいくかクロウは懸念を示す。

 

「心を閉ざしているとはいえ、根が人の好い子であるのには変わりない。私が恥も外聞も投げ捨てて、土下座してでも頼み込めばトワも頷いてくれるはずだ」

「それ、ある意味で脅迫染みているような……」

 

 教室の前で土下座するアンゼリカに、トワがあわあわと狼狽えた末になし崩しに頷いてしまう姿が目に浮かぶ。上手くいくとは思う。ただ、トワのお人好しさに付け込んだ真似であるだけに少しばかり心が痛んだ。真っ直ぐぶつかっていくこと自体は間違いないはずなのだが。

 だが、それ以外に妙案があるわけでもない。時間が限られている以上、すぐにでも行動に移りたいのも確か。少しでも可能性が高い手があるのなら、それに乗らない選択肢はなかった。

 

「……いいぜ、乗った。明日にでも実行するのか?」

「ああ。ことは拙速を尊ぶ。一気に我らが将を射止めるとしよう」

「僕たちもなるべく早く駆けつける。頼んだよ、アン」

 

 作戦の第一段階をアンゼリカの手に託し、三人は必勝を空の女神に祈る。できる、できないを論じる段階はとうに過ぎた。やるのだ。あの屈託のない笑顔を取り戻すために。

 

「ところでトワとブティックに行く案はやはり駄目だろうか?」

「まだ言うかっ!」

 

 ちなみに、夏至祭でどこに行くかについては最後まで纏まらなかった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 かくして翌日の放課後間近。授業もSHRも放り出してⅣ組の前に張り込んでいたアンゼリカは勝負の時が近づいてきているのを察していた。トマス教官のどこか間の抜けた声が号令を促し、「起立、礼」という声と共に席を立つ音が聞こえ始める。

 アンゼリカは神経を張り詰めた。まずはここでトワを捕まえられなければ話にならない。各方面から話を聞くに、最近のトワは放課後になるや否や教室から出て行ってしまうと聞く。ならば、いの一番に扉を開く人物こそが狙うべきターゲット。その人物が出てくる瞬間を逃すまいと全感覚を総動員して待ち構える。

 やや立てつけの悪い扉が軋む音、ドアノブが回される。その瞬間を、万全の準備を整えていたアンゼリカは余さず捉えていた。今だ、とⅣ組から出てくるその人の前に立ちはだからんとする。

 

 

 

 だがその時、彼女の直感(トワセンサー)が脳裏で閃いた。

 

 

 

 違う、騙されるな。理屈も論理も飛躍して頭に走った電流に従ったアンゼリカは、急激な方向転換で廊下に摩擦音を響かせながら、扉から出てくる人物――その脇から抜け出そうとしていたトワの前に立ち塞がった。

 危なかった。普通にびっくりしているトワの行く手を塞ぎながら、アンゼリカは内心で冷や汗を流す。おそらくは教室にいる段階で待ち伏せの気配に気付いていたのだろう。勘に従っていなかったら見逃すところだった。

 

「おや~? アンゼリカさん、こんなところでどうかしましたか?」

「いえ、トマス教官。少々、彼女に用事があったもので。お騒がせして申し訳ない」

「あはは、構いませんよ。それでは次の授業で」

 

 トワが影にしていた人物、トマス教官は軽く笑って流すとのんびり去っていく。アンゼリカが自分のクラスのことをすっぽかしているのは明白であるのに、それについては触れもしなかった。

 もしかしたら、こちらの意図を察して見逃してくれたのかもしれない。心のうちで瓶底眼鏡の教官殿に感謝しつつ、アンゼリカはようやく捕まえた愛しの子猫に向き合った。

 

「さて、トワ。やっと顔を会わせて話ができるね」

「あ、アンちゃん……どうかしたの?」

 

 ぐへへ、と手をわきわきさせつつトワに迫る。視線を彷徨わせてどうにかこの場から逃げられないか考えているようだが、そうさせるつもりは毛頭ない。Ⅳ組の方から冷たい視線がアンゼリカに向けられているような気もしたが、かといって手を出してくる様子もなかった。どうやら一先ずは任せてもらえるみたいだ。

 余計な言葉を弄してもトワを刺激するだけだ。作戦通り、アンゼリカは単刀直入に切り出した。

 

「端的に言わせてもらおう――私たちと夏至祭に行かないかい?」

「夏至祭に……?」

「そうとも。せっかく自由行動日と重なっているんだ。試験実習前に英気を養うとしようじゃないか」

 

 想定外の誘いだったのか、ぱちくりと目を瞬かせるトワ。そんな彼女にアンゼリカは柔らかい声音で言葉を続ける。努めて普段通りに、トワに怯えることなんて無いと伝えるために。

 トワはどこか困ったような様子になっている。分かっていた、簡単に首を縦に振ってくれないことなど。それでも、この機を逃してしまったら後はないに等しいのだ。例え地面に頭をこすりつけてでも、アンゼリカはトワに承諾してもらう腹積もりであった。

 拒否に対する心構えはできていた。問題は、それが思いがけない言葉を伴っていたことだった。

 

 

 

「あの……ごめんね。実は他の人と約束しちゃっているんだ」

 

 

 

 その時、アンゼリカの身体に雷鳴が迸った。

 他の人と約束――トワの口から紡がれたその言葉は、アンゼリカに白目を剥かせて劇画調の絵面のまま硬直せしめた。脳がその意味を理解することを拒絶した。彼女からそんな言葉が出てくることなど欠片も想定していなかった。ショックのあまりアンゼリカはフリーズを起こす。

 

 何やら傍目にもヤバいことになっているアンゼリカに気がかりな目を向けつつも、トワは「じゃ、じゃあそういうことだから」と退散していってしまう。いそいそと足早に去っていく無二の友人の後姿を、アンゼリカは固まったまま見過ごすほかにない。

 

「おい、首尾は……ゼリカ? おーい」

「な、なにがあったんだい?」

 

 遅ればせて駆けつけてきたクロウとジョルジュも彼女の異変に気付く。目の前で手を振っても反応を返さない。二人も何やら途轍もないことが起こってしまったことを察した。

 他の人――他の人とは? 試験実習班の誰かでもない、クラスメイトも違う、教官でもないだろう。ならば誰が……硬直したまま思考を巡らせるアンゼリカ。困惑したその明晰な頭脳は、およそ彼女にとって許容できぬ答えを叩きだす。

 

「ふっ、ふふ……」

「あ、アン?」

「まったく、どこの誰か知らないがやってくれる……」

 

 ようやく硬直が解けたと思ったら、何やら怪しい笑みを漏らし始めたアンゼリカにジョルジュは戸惑うばかりだ。クロウに至っては内心でドン引きしていた。

 そんな二人の様子など、アンゼリカは歯牙にもかけない。今の彼女に見えているものは一つだけだった。その瞳に憎悪が宿る。許してなるものか、と怒りが心に満ちる。自身の大切なものに手を出した報いを必ずや受けさせてみせると胸に誓う。

 

「傷心のトワを誑かした男め、女神のもとに逝けると思うなよ……!!」

 

 憤怒に目を血走らせるアンゼリカ。男子二人の「ええ……」という戸惑いが廊下に木霊した。

 




ちなみに劇画調に固まったアンゼリカは、ベルサイユのばらみたいなイメージで大丈夫です。

【星降り祭】
残され島で夏に開かれるお祭り。先祖の墓にお供えをしたりすることなどから、おそらく盆祭りのようなものと思われる。那由多の軌跡のエンディングはこの祭りに皆で行くイラストでラストを飾っている。


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