永久の軌跡   作:お倉坊主

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今回でルーレ試験実習は終了となります。クロウ、アンゼリカ、ジョルジュの三人が原作に向けての下地が出来上がり、残すところはトワ一人。あと三つの試験実習は彼女に焦点を当てたものにしていく予定です。贅沢な使い方ですね。
Ⅲで過去のことや進学理由が明らかになって、より魅力的なキャラクターになった原作トワ。そんな彼女に負けないよう拙作のトワもカッコ可愛く書けていけたらと思います。


第32話 解けたもの 残されたもの

「流石ですな、姫様。鉱員の安全確保に大型魔獣の討伐……おかげさまで特段の被害もなく魔獣を殲滅することが出来ました。部隊を代表してお礼を申し上げます」

「ん……ああ。なに、礼は不要さ。侯爵家として当然のことをしたまでだからね」

 

 ひしめいていた魔獣が一掃され、ひとまずの安息を得たザクセン鉄鉱山。いまだ戦闘の痕は克明に刻まれており、平穏を取り戻すにはしばしの時間を要するだろうが、それは翻せば時間が解決してくれることだ。追々、日常は取り戻せる。

 鉱員の中には怪我人もいるが、幸いにして死傷者はいない。無事なもの、負傷したものに関わらず、既に全員が領邦軍によりルーレへ護送されている。負傷者を病院に搬送するのはもとより、魔獣に閉じ込められたことで彼らは強いストレスを感じていた。家族の元といった安心できる場所に送り届けるのは道理と言えた。

 

 そして今、襲撃の後処理の為に多くの軍人が入り乱れる鉄鉱山。魔獣の死骸を片付ける他、損壊した設備のチェックなど、やるべきことは多岐にわたる。しばらくは慌ただしい状況が続きそうだ。

 魔鷲をなんとか討伐したトワたちは、その邪魔にならないよう脇に避けて休息を取っていた。魔獣の群れを突破しての鉱員の救出、魔鷲との激闘、そして最後の絶体絶命の状況から九死に一生を得た彼女たちは、流石に肉体的にも精神的にも限界だった。

 そこへ訪れた領邦軍の部隊長。律儀に敬礼を取る彼に対し、アンゼリカはどこか気がそぞろな対応だった。それを疲れによるものと判断したのか、部隊長は気遣いの眼を向ける。

 

「一息つきましたら、街へ戻って休息をお取りください。ご学友共々送らせていただきます」

 

 実際は疲労ばかりが原因ではないのだが、せっかくの心配りを無下にすることもない。あえて否定はせずにアンゼリカは一つ肩を竦めるに留めた。

 

「手間をかけるね。頃合いを見て声を掛けさせてもらうよ」

「ここから山道を下る気力は流石にねえからな。願ったり叶ったりだぜ」

 

 もう懲り懲りと言わんばかりのクロウ。気持ちは分からないでもないが、物事はそう都合よく進まないのが世の常。横からジョルジュが「はは……」と乾いた笑いと共に現実を突きつける。

 

「帰ったら博士に報告に行かなきゃならないけどね。機嫌を損ねていないといいけど……はぁ」

 

 溜息につられて揃って肩を落とす。そもそも警報を鬱陶しがったシュミット博士に追い立てられて首を突っ込むことになった今回の一件。さっさと片付けてこいと言われていたのが、結局は夕刻になってしまっている。博士が苛ついている姿は想像に難くなかった。

 さりとて、今回の試験実習の主眼を見て見ぬ振りをするわけにもいかない。戦術リンク自体はジョルジュの手により満足のいく仕上がりとなったのだ。それを博士がどう評価するかは分からないが、悪いようにならないことを今は祈るばかりだ。

 仔細は知らずとも、そんな気苦労を感じ取られたか。部隊長は苦笑いを零した。

 

「あー……力になれることがあれば遠慮なくお申し付けください。助力は惜しみませんぞ」

「おや、そういうことなら父上から事務的に回されてくる見合い話をどうにかしてくれないかい? 無駄と分かっているだろうに懲りずに来るものだから断るのも面倒……冗談だよ。他に何か困ったことがあったら相談させてもらうさ」

 

 視線を右往左往させる彼にアンゼリカは悪戯っぽい笑み。今度は部隊長が肩を落とす番だった。

 

「まったく姫様もお人が悪い……では、私は部隊の指揮に戻らせていただきます。姫様、それにご学友の皆様、改めて本日はご協力いただきありがとうございました」

「殆ど勝手に首を突っ込んだようなものですけど、そう言っていただけると嬉しいです」

「そちらもお勤めご苦労。もう危険はないだろうが、注意して任務にあたってくれたまえ」

 

 アンゼリカはそこで「ああ、それと」と付け加える。

 

「あまり彼女たち(・・・・)と揉めないように。騒ぎを起こしてくれるのは魔獣だけで十分だ」

 

 その目が向けられる先は、灰色の軍服を纏った正規軍兵士。そして、それらを率いる涼しげな雰囲気の女性士官を。彼女もトワたちに用があるのだろうか。こちらに気を向けていたらしい彼女は視線に対して目礼を返した。

 鉄道憲兵隊。四大名門のお膝下であるルーレにおいては、厄介な部外者と言われても仕方のない鉄血宰相の肝煎り部隊がこの場に駆けつけてきていた。何の思惑があってかは分からないが、彼女たちも領邦軍と並行して今回の被害の調査をしている。

 無論、貴族勢力に属する側としては面白くない。部隊長は隠すことなく渋面を浮かべた。

 

「……善処いたします」

「ま、気持ちは分かるがね。この場は辛抱してくれたまえ」

「はっ、失礼いたします」

 

 気を取り直すように再度の敬礼を取り、部隊長は踵を返して部隊の方へと戻っていく。入れ替わるようにこちらに近づいてくる女性士官を、すれ違いざまに睨み付けることも忘れなかったが。

 それに大して堪えた様子もなく涼しい顔の女性士官。感心すればいいのか、呆れたらいいのか。どうにも反応に困るトワたちに、彼女は心なしか表情を緩めて声をかける。

 

「お疲れのところを立て続けにすみません。少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「こちらも色々と窺っておきたかったところです。喜んでお付き合いしますよ――クレア大尉」

 

 不敵な笑みをたたえて迎え入れたアンゼリカに、鉄道憲兵隊の指揮官、クレア・リーヴェルト大尉は少し困ったように眉尻を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 領邦軍の後を追うようにザクセン鉄鉱山に赴いてきた鉄道憲兵隊だが、当然ながら領邦軍は当初、彼女たちが立ち入ることを認めようとはしなかった。話を聞くに、空港の方でも相当に揉めたらしい。鉄道沿線地域の捜査権が認められている鉄道憲兵隊だが、関係の無い余所者がしゃしゃり出てくることに反発が生じるのは自明の理である。

 権利を主張する鉄道憲兵隊、道理から拒む領邦軍。埒のあかない押し問答に終止符を打ったのは、額に井形模様を浮かべたアンゼリカの鶴の一声だった。

 

「いつまで下らないことに時間を割いている! 鉱員の護送、被害の調査、操業再開への復旧! 調査したいというのなら勝手にやらせておいて、まずは自分たちの職務を果たしたまえ!」

 

 やっとのことで騒動を収められたと思ったら、その矢先に起こった人間同士の派閥争い。うんざりした気分でさっさと仕事しろと怒鳴りつけ、ようやく事後処理が始まったのだから頭が痛い話だ。アンゼリカが珍しく重い溜息をついてしまったのも無理はない。

 そんな経緯で領邦軍とは別個に調査をしている鉄道憲兵隊。士官学院とはいえ一学生にその状況を教える義理はないのだが、トワたちは当事者であるのに加えて結果的に領邦軍を説得してくれた借りがある。だからか、クレア大尉はトワたちの質問に概ね隠すことなく答えてくれた。

 

「帝国各地で魔獣の狂暴化……こんなことが他でも?」

「ええ。規模はまちまちですが、ここ最近で前触れの無い魔獣による襲撃が散発しています。それも帝国全土において場所を限らずに」

 

 クレア大尉たちがここに現れた理由。それは彼女たちが追っている案件にあった。

 先月の帝都で起きた魔獣騒動、そして今回のルーレにおける大型魔獣の襲撃。形や規模は違っても、いずれも魔獣が原因不明の狂暴化をしたことで人や街を襲う事例が帝国各地で起きているのだという。その事実にトワたちは驚きを禁じ得ない。

 

「帝都の一件だけならまだしも、これだけ類似した事件が続いているのです。鉄道憲兵隊と情報局は一連のものを同一犯によるものと考えています」

 

 思い浮かぶのは、帝都において反政府活動を行っていた者たちを唆したという男。音波を用いた何かしらの手段で広範囲の魔獣を操ることができると推測されるその人物が、帝都のみならずルーレや他の地域でも暗躍していたというのか。時折感じていた嫌な予感に符合するクレア大尉の言葉に、四人の表情は自然と厳しいものになる。

 

「それでルーレでも同じようなことが起きたから急行ってわけか。外様の方までご苦労なことで」

「それが任務ですから……風当たりが強いことは否定できませんが。ですから、先ほどは結果的なものとはいえアンゼリカさんには助けられました。お礼を言わせてください」

「分かっているのなら、そちらの親玉にもう少し穏便になってほしいものですが」

 

 アンゼリカの溜息混じりの返事に、クレア大尉は苦笑のような曖昧な笑みを浮かべる。それくらいしか出来なかったのだろう。角が立つようなことを言わず、この場は誤魔化して波風立てずに済ませようという考えが察せられた。

 鉄血宰相と鉄血の子供たち。その関係性が如何なるものであるかは知る由もないが、ただ盲目に従っているというわけでもないようだ。少なくともクレア大尉からは、立場からくる責任感とは別に彼女自身が持つ良心が感じられた。世間では《氷の乙女》と呼ばれている彼女だが、決して冷たい人ではないのだろうとトワは思う。

 アンゼリカもそこは同感だったのかもしれない。小さく息をついて構えたような態度を解いた。

 

「詮無いことを言ってしまいましたね。これ以上はやめましょう」

「いえ、そう言われても仕方のない面があることも事実ですので……」

「ええっと……そ、そういえば僕たちに何か聞きたいことがあったんじゃないですか? わざわざ話し終わるまで待っていたようですし」

 

 切り上げようと言いつつも、どこか引きずりそうな雰囲気を察したのか。ジョルジュが本題の方に話を引き戻そうと試みる。意図が丸わかりのわざとらしいものであっても、その心遣いがありがたいことには違いない。クレア大尉も素直に彼の善意に乗った。

 

「ええ。先ほども言った通り、我々は一連の騒動を同一犯によるものとみているのですが――その端を発したのが、トワさんたちが関わった二か月前のケルディックの一件からと考えています」

「ケルディックっていうと、あの馬鹿でかい昆虫か」

 

 クロウが辟易とした表情を浮かべる。轢き飛ばされかけたのはいい思い出とは言えなかった。

 

「あれもおそらくは同じ手口によるもの。トワさんたちはケルディック、ヘイムダル、そしてルーレの三か所で事件に遭遇したことになります。偶然にも複数の現場に居合わせた皆さんに、それぞれで何か符合する点がなかったか聞いておきたかったのです」

 

 なるほど、とトワたちは納得する。幸か不幸か試験実習の行く先々で騒動に見舞われ、それに首を突っ込んでは解決に貢献してきた四人。事件が同一犯によるものならば、それぞれ起きたことは違っても共通する点はあるかもしれない。クレア大尉が話を聞きたいと思うに十分な理由だろう。

 ところが、四人はそこで言葉に詰まってしまう。協力したいのは山々だ。しかし、肝心の共通点がとんと思い浮かんでこなかった。三回の試験実習で起きた出来事なるべく詳細に思い出しても、これといったものは見つからない。

 

「ふむ……どれも前触れらしい前触れがなかったことが共通しているといえばそうだが……」

「帝国の各地で起きてるってことは街の外から来やがった奴が犯人なんだろうが、どこも観光なり商売なりで人の出入りが激しかったしな。そこから特定するのは難しいか」

「三か所全部で会った人もいないしね……ボリス子爵は帝都に続いて今回も会ったけど」

 

 ジョルジュがふと思いついたように呟いた言葉にクレア大尉が反応する。彼女の視線にジョルジュは若干たじろいだ。

 

「そのボリス子爵という方は?」

「えっと、パルムの領主をされている人で……普段は各地を商談で回っているそうです」

「大尉も一度会っていたと思いますよ。ヘイムダル港にいた眼鏡に髭の丸っこい男性なのですが」

 

 アンゼリカの説明にクレア大尉も思い出したようだ。「ああ、あの……」と独り言ちると、口元に手を当てて思案気な様子になる。彼女の中でボリス子爵に疑いが向いているのかもしれない。

 各地を商談で回っている、という点は確かに容疑者の候補として挙げられても仕方のない要素かもしれない。とはいえ、実際に何度か言葉を交わした人間からすればあまり疑う気になれなかった。

 

「つってもあのオッサン、昨晩は酒場で宴会を開いた挙句に今朝がたまで潰れていたからな。あんまり気にする必要はないんじゃねえの?」

「今回会ったのも、友達のハインリッヒ教頭に実習先を聞き出して合わせてきたみたいだからね。僕たち、彼になんだか気に入られているみたいだから」

 

 庇うつもりで言ったわけではないが、彼がこのような大それたことをする人物にも猶予があったようにも見えなかったのが正直なところだ。クレア大尉にもそれは伝わったのだろう。一つ頷くと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。

 

「そうですね……完全なシロと決めつけるわけにはいきませんが、そこは先入観を持たずに調べるとしましょう。最初から疑ってかかっては真実を見誤りかねません」

 

 妥当な結論だろう。どちらにせよ捜査は彼女たちの領分、四人もそれに異議はなかった。

 そうしてボリス子爵の話が一段落したところで、クレア大尉が「ところで」と視線を移した。

 

「トワさん、先ほどから口数が少ないようですが……顔色も悪いですね。大丈夫ですか?」

「えっ……それは、その……」

 

 心配そうな目が向けられる先のトワは、クレア大尉の言う通りに青を通り越して白い顔をしていた。普段は血色もよく、試験実習班のまとめ役であるだけに言葉少なになるだけで違和感が際立つ。付き合いの短いクレア大尉にさえ分かるのだから、クロウたちも当然のごとく気付いていた。

 ――あの《力》を見せてから、トワが何かに怯えていることに。

 

「やはりお疲れだったみたいですね。すみません、時間を取らせてしまって」

「そ、そんなことはないですけど……」

「……ま、あまり鉱山に居座っていても仕方ない。そろそろお暇した方がいいかもしれないね」

「そうだね。博士も待っていることだし……はぁ」

 

 そのような事情を知る由もないクレア大尉は頭を下げるが、トワとしては恐縮する限りだ。とはいえ変調をきたしている彼女の返答は言葉に反して弱々しいものであり、それが一層クレア大尉に自分が無理をさせてしまったのではないかと無用の罪悪感を抱かせかねないくらいである。

 そこで気を利かせるのがアンゼリカ。なるべく自然にルーレへ戻ることを促すそれにジョルジュも同調する。彼の場合、演技にしては溜息に実感が籠りすぎているきらいがあったが。

 クレア大尉もそれに異を唱えるようなことはしない。むしろ、すぐにゆっくり休める場所に送ってやってほしいという気遣いの念が表情から透けて見えるようである。トワの憔悴ぶりは彼女を軍人からただの人の好い年上の女性にするくらい酷かった。

 

「そんじゃあ、俺たちはこれで失礼させてもらうぜ。あんま力になれなくて悪かったな」

「いえ、そんなことは。鉱員の救出と大型魔獣の討伐を為し遂げたのです。皆さんの功績は余りあるものでしょう。帝国を守る一人の軍人として感謝を――ちゃんと休んでくださいね」

 

 最後にトワに向けて付け加えたのは、とある型破りな遊撃士の姪っ子であることが頭を過ったからだろうか。無理、無茶、無謀を平気で押しのけていくシグナに幾度となく頭の痛い思いをさせられたクレア大尉としては、本質的には似ているように思えるトワに念押ししたくなったのかもしれない。

 尤も、今のトワに常日頃の元気は見る影もない。念を押されるまでもなく下手な行動など取りをする気はなかったし、する気力もなかった。はい、と小さく頷くことで返事として、トワたちはクレア大尉と別れてルーレに戻るべく鉱山の入り口に向かう。領邦軍の誰かに声を掛ければ送っていってもらえるはずだ。

 

「そういえば送ってもらえるってことだけど、つまりは装甲車に乗せてくれるってことだよね。あまり乗り心地は良くなさそうだなぁ」

「正規軍のよりは大分マシという話だがね。あちらは劣悪の一言らしい」

「兵員輸送の席なんてそんなもんだろ。領邦軍が無駄金使ってるって言われても仕方……っと」

 

 普段通りに取り留めのない話をしながら歩を進めていく。それはいっそ不気味なくらいに静けさを保っているトワを気遣ってのものだったが、対応としては毒にも薬にもならないものだった。口を開かないトワに三人が内心で焦燥を感じていると、曲がり角で不意に一人の男性と鉢合わせた。

 

「おっと、悪い悪い。邪魔しちまったか?」

「いえ、お気になさらず。ただの雑談でしたので」

 

 ぶつかりはしなかったが、軽い謝意を示してくる男性。赤毛の彼に、どこかクロウに似た軽い感じを覚える。歳は二十台前半くらい。正装で通じそうな整った装いをしていることから、軍人というよりは役人のような印象だった。

 彼は順々にトワたちの顔を見ていくと、「なるほどなぁ」と興味深そうに呟く。

 

「噂の学生たちがどんなもんかと思ったが、なかなか粒ぞろいな感じじゃねえの」

「えっ?」

「そんじゃ、お疲れさーん」

 

 意味深な言葉だけを残して、彼は後ろ手を振りながらトワたちの脇をすり抜けていってしまった。捉えどころのない男性をトワたちはポカンと見送るしかない。結局、何かよくわからない人だった。

 

「何だったんだろう?」

「……さあな。ま、さっさと帰るとしようぜ」

 

 首を傾げても何が分かるわけでもない。疑問を残しつつも、四人は帰路を辿っていくのだった。

 そうしてトワたちが去ったあと、赤毛の男性は目当ての相手を見つけるとそちらへ足を進めていく。顔にどこか軽薄さを感じられる笑みを浮かべて、彼女に声を掛けた。

 

「ようクレア、お勤めご苦労さん」

「レクターさん……ええ、お疲れ様です」

 

 クレア大尉は若干驚いたような様子を見せた後、柔らかい笑みを浮かべる。直接顔を会わせるのは久しぶりになる同僚の登場だった。

 レクター・アランドール。情報局所属の特務大尉であり、帝国政府の三等書記官の肩書も持つ。そしてクレア大尉と同じく《鉄血の子供たち》として《かかし男(スケアクロウ)》の異名で呼ばれる人物であった。見てくれだけでは調子の軽い兄ちゃんという風体なのだが。

 

「二か月ぶりくらいでしょうか。リベールからクロスベルへの閣下の訪問、流石の手際でしたね」

「あー、あれな。面倒ったらありゃしなかったぜ。マスコミを誤魔化すのにどれだけ苦労したか……」

 

 大袈裟な所作で苦労の程を語るレクターであるが、彼の能力を知るクレア大尉としては何を言っているのやらという気持ちである。これまでに数々の非公式な交渉の全てを成功に導いてきた手腕を持っているのだ。マスコミの目を晦ますくらい訳もないだろう。

 

「それはそうと、こんなところまで出向いてくるとは珍しいですね。何か進捗でも?」

 

 世間話はさておいて、用件を尋ねるクレア大尉。それにレクターはどこか渋い表情を浮かべた。

 

「あー、進捗といえば進捗だな……ちょいと頑張ってもらっているところには伝え辛いんだが」

「……?」

「この魔獣騒動に関する調査は今回をもって終了――要するに手を引けってことだ」

 

 その言葉にクレア大尉は目をむいた。当然だろう。今まさに追っている事件の捜査に対して、突然の打ち切りを宣告されたのだから。納得のいかない気持ちが口から飛び出しかける。

 

「そんなこと――!」

「ギリアスのオッサン曰く、これは“盤面の外”の出来事らしくてな。手を出す必要はないとさ」

 

 それを見越していたレクターが機先を制す。ギリアス・オズボーン、その名を出されてはクレア大尉も口をつぐむしかない。そして、その理由も理解できないわけではなかった。

 “盤面の外”という言葉の意味を完全に理解できているわけではないが、ある程度は意を汲み取ることが出来る。要はこの一件、今自分たちが専心するべきことには直接のかかわりはないということだろう。更に言うなれば、昨今で蠢動の機微を見せる貴族派の手によるものではないということ。

 

 それ自体はクレア大尉自身も察してはいた。あまりに貴族側に対して利益も何も見いだせない状況だったからだ。帝都で起きた一件はまだしも、今回のルーレに関しては貴族側も被害しか被っていない。彼らの手による計画的なものとは思えなかった。

 であれば、積極的に手出しをする理由はない。鉄道憲兵隊や情報局といった限られたリソースを重要度の低い案件に割り振るよりは、貴族派の動きを探るのに注力した方が合理的であることは否定できない事実だった。

 

「閣下が……しかし、それでは……」

「言いたいことは分からんでもないけどな。ま、貴族連中も馬鹿じゃない。こっちから手を出してやらなくても、向こうは向こうで勝手に降りかかってくる火の粉は払うだろうさ」

「……了解しました」

 

 しかし、それらとは関係のない無辜の民の安全はどうなるのか。クレア大尉の胸の内には憂慮の念があったが、レクターの口ぶりからそれが既に決定事項であることは分かっていた。彼の気休め程度のフォローもあって、気は進まないでも承服する。軍人として上からの命令は絶対だった。

 それでも浮かない気持ちであることは傍目から見ても明らかであった。レクターは参ったように頭を掻くと、遠慮がちに口を開いた。

 

「これは俺の勘なんだが……そんな気にする必要はないと思うぜ? あの皇子の仕込んだ士官学院の奴らもなかなかやるみたいだからな。大事にはならねえだろ」

「トワさんたちですか? 確かに学生としては目覚ましい活躍ですが……」

「そうそう。アルハゼンの姪っ子が頭張ってんだ。まあ、なんとかしてくれるだろうよ」

「そんな人任せなことを……いえ、レクターさんの勘ならあながち否定もできませんか」

 

 子供に負債を押し付けるような口ぶりに反駁しかけるが、そこでクレア大尉は思い出す。レクターは不思議とこの手の予想を外したことがないのだ。かといって納得できるかと言ったら違うのだが。

 

「ですが、大丈夫でしょうか? トワさんも今回は相当に無理をしていた様子でしたし……」

「確かになんか凹んだ感じには見えたけどな。ありゃ疲れがどうこうっていうより――」

 

 レクターはトワたちが去っていた方に目を向ける。憔悴した様子の、周囲の気遣いにさえ気を回す余裕のない小さな少女の姿が思い出される。ほんの少しの邂逅だったが、それでも感じ取れるところはあった。

 

「重苦しいもの背負わされて苦労してるって感じだな。精々潰れないように祈ってやるとしようぜ」

 

 それもまた勘ではあったが、確信めいたそれにクレア大尉は否定の言葉を見つけられなかった。ただならない事情があると言われてしまえば納得してしまうくらい、トワの様子は沈痛だったから。

 レクターと同じく、トワたちの行く末を見つめる。彼女たちにできることはそれだけだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ようやく戻ったか。どこぞで野垂れ死んだかと思っていたのだがな」

 

 夕日も地平線に沈みつつあるルーレ。紆余曲折を経てようやく工科大学に戻ってきたトワたちを出迎えたのは、予想していた通りにしかめっ面をしたシュミット博士の毒舌だった。やっぱり、と肩を落としはしたが、気落ちしたりはしない。この博士はこういう人だと諦めはついていた。

 

「遅くなったのはすみません。色々と立て込んでしまって……あの、ところで」

 

 一応の謝罪をするジョルジュが視線を動かす。この場にいるとは思っていなかった人物へと。

 

「イリーナ会長とシャロンさんはどうしてこちらへ?」

「あら、何か不都合でもあったかしら」

「うふふ、会長がいらっしゃると場が緊張してしまうからでしょうか?」

 

 滅相もないと慌てて首を横に振るジョルジュ。多忙の為に昨日の顔合わせから姿を見せていなかったイリーナ会長は、不意を突くようにシュミット博士と共にいたかと思えばわざとらしく意地の悪いことを言ってくる。それに便乗してくるシャロンも性質が悪かった。

 実際のところ、ルシタニア号の件で過密スケジュールとなっていると聞いていたイリーナ会長がこの場に現れるとは思っていなかった。実習の終了報告もシャロンを代理にするのかと想像していたくらいだ。その人が突然この場に居合わせたのだから理由の一つも聞きたくなる。

 

「まあ、冗談はさておくとして。単に同席させてもらった方が手間が省けるからよ。RFとしてもARCUSの要たる戦術リンクの開発進捗は気になるところ。それにもう遅い時間だし、この場で試験実習の報告も済ませるのがあなたたちにとっても楽でしょう」

 

 そんな疑問は相変わらず簡潔で要点を抑えたイリーナ会長の説明で解消される。開発元のRFの都合と、そろそろ帰りの列車の時間が気になるトワたちの事情を考えれば、確かにこの場に同席するのが最適解である。なるほど、と揃って納得する。

 納得を得られたところでイリーナ会長は「ところで」と話を切り替えた。

 

「話に聞く限り、随分と危ない道を渡ってきたそうね……そう構えずとも説教なんてしないから安心なさい。あなたたちの選択が如何に困難を伴うものであれ、結果を出したのなら文句はないわ」

「結果がすべて、か。イリーナさんらしいですね」

 

 ザクセン鉄鉱山での一件に言及した途端、身を硬くしたトワたちにイリーナ会長は肩を竦める。その言葉にアンゼリカは安堵の息をつきながらも得心した。実にこの女傑らしい考え方だ。同時に、もし失敗に終わっていたらと思うと背筋が凍り付く思いである。

 

「鉄鉱山はRFの生産力の礎。その平穏を取り戻してくれたことについては、私の方からも感謝させてもらうわ。無茶をしたことについては学院に口添えしておきましょう」

「皆さん、お疲れ様でした。トワさんは特に疲労が溜まっていそうですが、よろしければ気分が落ち着くハーブティーでも淹れましょうか?」

「あ……いえ、帰りの列車で休ませてもらうので。イリーナ会長もお気遣いありがとうございます」

 

 目聡く変調を見抜いてきたシャロンの気遣いをトワは丁重に断る。言葉少なであるのは続いているが、ルーレに戻る道中を経て彼女も傍目には平静を取り戻していた。こうして応対している様子を見る分には疲れ気味なだけのように思える。

 しかし、あの尋常ではない様子を見たクロウたち三人としては、とても常日頃の彼女に戻ったとは到底考えられなかった。手の出しようもない巨大な不発弾が埋まっているような、そんな感覚だ。

 そのような複雑な心中を抱える面々だったが、シュミット博士がそれを顧みるような性格をしているはずがない。鉱山での一件もまるで気にした様子もなく本来の要件について切り出した。

 

「前置きはもういいだろう。戦術リンクの調整結果、実際に使用した所感を聞かせてもらおうか」

 

 ジョルジュが三人に目を向ける。クロウとアンゼリカが無言の頷きを返し、トワも遠慮がちながらそれに続く。仲間に背を押され、威圧感を醸し出す師の前に立ったジョルジュは臆することなく自分たちの成果を示す。

 

「話をするよりも、まず見てもらった方が早いでしょう。確認願います」

「ふん……?」

 

 眉をひそめつつも、ひとまずは差し出されたARCUSを受け取るシュミット博士。工具であっという間に分解すると戦術リンクのシステム部分を検分し始める。ジョルジュはそれを緊張の面持ちで待っていた。トワたちも思わず息をのむ。

 調整を施したのはシュミット博士自身だ。自らが手掛けたものがどのように変更されているか調べることなど容易い。一通り状態を確認した博士は声を荒げるでもなく、至って平静とした様子でジョルジュに対して鋭い視線を投げかけた。

 

「安定性を損なってでも効力と拡張性を突き詰めたか。一応、理由を聞いておこう」

「はい。運用するだけなら博士の調整が最適でしたけど、より効率的な部隊行動を考えると――」

「違う」

 

 短い否定の言葉で話を断ち切られたジョルジュが虚を突かれたように固まる。シュミット博士の刺し貫くような眼光が、彼に誤魔化しは許さないと物語っていた。

 

「そんなどうでもいい理屈は聞いていない。貴様自身が、どうしてこうしたかを聞いているのだ」

 

 理屈ではなく、理由。他ならぬジョルジュの意思をシュミット博士は聞いてきていた。

 鋭利な視線にジョルジュが俯く。だが、後に退いたりはしなかった。顔を上げ、その眼に強い意志を籠めてシュミット博士を見つめ返す。

 

「僕は……僕たちは、初めはまともに戦術リンクを結べないくらいバラバラでした。喧嘩して、信じ合えなくて、受け入れることが出来なくて……それでも、ぶつかり合うことで自分たちなりの戦術リンクの形を築き上げてきたつもりです」

 

 試験実習班が結成した当初は本当に目も当てられないような状況だったと思う。ただでさえ碌に機能しない戦術リンク、いがみ合うクロウとアンゼリカ。皆が皆、胸の内に何かを抱えていて信じ合うことが出来なかった。今から考えると空中分解しなかったのが不思議なくらいだ。

 だが、そうはならなかった。四人でぶつかり合って、数えるのも億劫なくらい躓きながら、それでも一緒に足並みを揃えて進んできた。お互いを認め合えるようになった。

 

「それを無かったことにはしたくなかった。機械的で冷たいものなんかじゃない。僕たちが築き上げてきた、僕たちなりの戦術リンクを形にしたかった――そんな自分勝手な理由です」

「…………」

 

 合理的ではないかもしれない。最適解ではないかもしれない。それでもジョルジュは自分たちが導き出した最高の答えを選んだ。それは身勝手なものかもしれないが、彼は自分が間違っているとは思わなかった。こうして師に睨み据えられようと、後悔など欠片もしていないのだから。

 シュミット博士はしばしジョルジュと睨み合いを続け、彼が目を逸らさないと分かると瞑目した。そこに弟子の勝手に対する怒気は感じられない。

 

「……我を出せるようになったと考えれば、士官学院とやらも少しは意味のある選択だったか」

「え?」

「グエンの娘、戦術リンクの基本システムはこれで完成とする。文句はあるまいな」

 

 独り言のように呟かれたシュミット博士の言葉を理解する間もなく、彼はイリーナ会長に向けて告げる。そして彼女もまた、トワたちが反応する間もなく答えを返した。

 

「ええ、問題ありません。机上の理論よりもテスターたちが出した答えの方が取り入れられるべきものでしょう。後は試験運用を通じて機能の拡張に取り組んでいこうかと」

「ふん、そちらに私は関わらんぞ。既に別件が入っているのでな」

 

 トワたちを他所に何やらとんとん拍子で話が進んでいく。ジョルジュが「ちょ、ちょっと待ってください」と焦って口を挟んだ。

 

「お二人とも何を言っているんですか!? それは僕が勝手に調整した――」

「テスターたちが最適だ、と考えた調整でしょう? それなら私から異存を挟むつもりは毛頭ないわ。もとより戦術リンクには適性があるもの。多少の不安定さがあっても、それ以上の効果が得られるのならばお釣りがくるというものよ」

「いや、まあ分からない理屈ではないけどよ……」

 

 イリーナ会長の言葉にジョルジュは口をパクパクさせるばかり。自分たちの勝手を押し通してシュミット博士の調整から正反対ともいえる方向に突っ走ったのだ。当然、罵詈雑言を浴びせられる覚悟をもってこの場にやって来たというのに、気付いたらあれよあれよという間にこの仕様で正式採用されようとしている。訳が分からないよ、というのが彼の心中であった。

 現場の判断の尊重、そして適性のことを考えれば人間関係による若干の不安定さは今更というイリーナ会長の考えは理解できなくもない。しかし、トワたちからしてみればあまりにも急展開過ぎて気持ちが追い付いていなかった。

 

「そう難しく考えることもないかと。皆様が築き上げてきた戦術リンクがお二人にも認められた、それだけのことでしょう。もっと素直に喜んでもいいのでは?」

「簡単に言ってくれますね、シャロンさん」

 

 クスクスと笑うシャロンにアンゼリカが仏頂面を向ける。とてもではないが、そんな素直に受け止められそうにない。このしかめっ面と鉄面皮を前にしてどうして認められたと安直に受け止められようか。むしろ何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうところだ。

 ジョルジュに至っては尚更である。戸惑いに染まった目をシュミット博士に向ける。

 

「本当にいいんですか? 僕なんかより博士が仕上げた方が……」

「くどい。完成と言ったら完成だ。私がこれ以上手を加えるつもりはない」

 

 ピシャリと言い返されジョルジュは二の句に詰まる。博士はますます眉間に皺を寄せた。

 

「貴様は以前からそうだ。課題を与えれば人並み以上にこなすが、自分の意志で何かを成そうとしたことがない。小手先ばかりの技術はあっても自らの考えを持とうとしなかった」

 

 言葉が機関銃のように襲い掛かってくるが、ジョルジュは何も言い返さなかった。言い返せなかったのだろう。それは彼自身が一番よく分かっていることだったから。

 

「それが私の元を離れてようやく自分の手で仕上げてきたと思ったら、あまつさえ私が仕上げた方がだと? ふざけるな。基盤こそ私の手が加わっているが、ここまで戦術リンクを作り上げてきたのは貴様らだ。自分が作ったものを自分で認めないでどうする」

 

 シュミット博士は工具の中からテストハンマーを手に取る。デスクに置かれたARCUSを前に、ジョルジュを睨み据えた。

 

「それすらも出来ないようなら構わん――今ここで粉々にするだけだ」

 

 作り手に認められない作品など破壊した方がマシだ。言外にそう告げるシュミット博士の目に冗談の色は一欠片もない。凄まじい剣幕にトワたちは差し挟む言葉を持たず、イリーナ会長にシャロンも静観の姿勢を保っていた。

 ただ一人口を開ける者がいるとすれば、それは師に対する弟子に他ならないだろう。

 

「……いえ、それには及びません」

 

 シュミット博士にここまで言われて分からないほど、ジョルジュは愚鈍ではなかった。自分が一人前の技術者となるのに必要だったのは作品の意味を考えることではない。たとえそれがどのように使われるものであったとしても、自らの意志で作り上げ、そして一個の作品として認めること。列車砲だろうがそれは変わらない。後悔はしたとしても、作り上げたことを否定してはならないのだ。

 

「これは僕たちが作り上げてきた戦術リンクです。博士の手を煩わせなくてもより一層の洗練を重ねていって……そして繋いでいきます。完成したARCUSを運用する、僕たちの後輩の手に」

「……ふん、初めからそう言えばいいのだ」

 

 ハンマーを手放したシュミット博士はしかめっ面で、けれども少し棘の取れた声音で言った。

 

「分かったのなら士官学院でも研鑽を怠らないようにすることだな。後で研究草案を幾つか持っていけ。形にしてレポートを送り付ければ評価してやらんこともない。いいな、三番弟子(・・・・)

「あ……」

 

 それは、もうその口から出ることはないと思っていた呼び名。ボロクソに罵られながらも技術を積み上げていった日々の中で、数少ない博士から認めてもらっていると理解できる証。見限られただろうと思っていた。だからこそ、不意打ちのように呼ばれてジョルジュは一瞬呆けて固まった。

 徐々にその言葉を咀嚼して、またそう呼んでくれることの意味を理解して、彼の口元には自然と笑みが浮かんでいた。

 

「――はい、またよろしくお願いします」

 

 シュミット博士は鼻を一つ鳴らすのみ。彼らの間にはそれだけで十分だった。

 どうにか丸く収まった師弟関係に見守っていた三人も胸をなでおろす。最後まで冷や汗ものなやり取りをするだから気が気ではなかったが、こうして蟠りが解けたのなら結果オーライである。

 ジョルジュとシュミット博士然り、アンゼリカとログナー候然り。戦術リンクの件や魔獣騒動を差し引いても気苦労に耐えない二日間だったが、いずれも一応の解決を見せた。その紛れもない成果を胸に、ルーレにおける試験実習は終わりを告げるのだった。

 

 ――四人の要が見せた、正体の知れない《力》と《恐怖》が影を引いたまま。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「なかなか面白い子たちだったわね。シャロン、あなたはどう見る?」

「会長に同感いたします。トワ様、クロウ様にジョルジュ様。アンゼリカ様も幾分と成長なさっていたようですし、きっとお互いに良い影響を与え合っているのでしょう」

 

 工科大学からRF本社の会長執務室に戻る道すがら。ルーレを一望できるエレベーターの中で、イリーナ会長とシャロンは先ほど見送った四人のことを思い返していた。

 トールズ士官学院の新たな試み、その雛型である生まれも育ちも何もかもが違う四人の学生たち。いったいどれほどのものかとシャロンを通じて活動の様子を見ていたが、いろいろな意味で想像以上だったと言えるだろう。自らの目でこの国の現状を捉え、そして自らの意志で動いていく。なるほど、非常に効果的な試みであるのは確かなようだ。

 どうやら彼女たちの間にはまだしこりが残されているようにも見受けられたが、それはイリーナ会長に関わりのあることではないだろう。重要なのは、その試みに一定の効果があると認めたうえでどうするか。シャロンが見計らったように問いかける。

 

「では会長、オリヴァルト殿下からのご要望については?」

「受けましょう。スケジュールもそちらの方向で調整してちょうだい」

「はい、かしこまりました」

 

 即決だった。迷うことなど何もない。彼女は自身に利があると判断できれば、躊躇いなくそれを選択できる決断力を持っていた。トールズ士官学院理事の任、それもまたRFにとって利益足り得るものであれば、引き受けることに否はない。

 しばし、会話が途切れる。そこでイリーナ会長が「そういえば」と切り出した。

 

あの子(アリサ)が最近、高等学校のことを調べて回っていたわね」

「さて、わたくしには何のことか……」

 

 白々しい様子のメイドにイリーナ会長は呆れの目を向ける。大方、母親に隠してことを進めようとしている娘の意図を汲んでの言動であろうが、まるで隠す気がないことが明白だ。

 まあいい、と流して言葉を続ける。

 

「丁度いいわ。トールズのパンフレットもさりげなく混ぜておきなさい」

「それだけでよろしいのですか? 何でしたら、それとなくお嬢様を誘導して――」

「選択肢を与えるだけよ。そこまで強制する気はないわ」

 

 遅めの反抗期なのか分からないが、ここのところ反発が強い一人娘。彼女が母親の手の内から逃れたがっているのは知っていた。そのために密かに高等学校への進学を企てており、金銭面について遠方に隠居している祖父に相談していることも。本人は細心の注意を払っているつもりだろうが詰めが甘い。母親にはすべてが筒抜けになっていた。

 止めるつもりはない。しかし、それならそれで本人の糧になる選択をしてほしいところだ。逃れた先で無為に時間を過ごしてもらっては見逃す意味がない。

 

「ただ、もしそこを選んだのだとしたら……あの子に進ませるのも悪くないかもしれないわね。厳しく険しい、されど必ず糧となるような、そんな道を」

 

 その点、トールズの特科クラスとやらは間違いないだろう。雛型でさえ今回のような有様なのだ。間違いなくエレボニアという国の現実にもまれ、様々な壁に直面していくことになる。果たしてその時、どのような選択をして自らの糧にしていくのか。

 

「うふふ……では、そのように」

 

 知らず、イリーナ会長の口元に僅かな笑みが浮かぶ。シャロンは恭しく礼をすることでそんな雇い主の命を承るのだった。

 真実を知った娘が絶叫するまで、あと一年と幾許か。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ノルティア本線を走る導力列車。日は既に沈み、空には星が瞬いている。最終便でどうにか、という時間帯だ。帝都を経由してトリスタに戻る頃には深夜になってしまっているだろう。諸々の事情で遅くなってしまったとはいえ、なかなかに厳しい帰り道である。これで明日は普通に授業日だというのだから辛いことこの上ない。

 かといって、列車の中で延々と明日のことを憂いているのもどうかというもの。時間が時間だけに人気のない車両のボックス席に座ったトワたちは、今回の実習のことを振り返りつつもジョルジュが帰り際に貰って来たものについて聞いていた。

 

「へえ、導力車の二輪化……いや、自転車の導力化と言った方がいいのかな? なかなか面白そうな研究テーマじゃないか」

「口で言うほど簡単にはできないだろうけどね。導力車とは構造から全部変わってくるし、自転車にしても人力から導力に変わることで操縦方法からバランスのとり方まで色々と考えなくちゃならない。やりがいのある課題になりそうだよ」

 

 トールズに在学中にも研鑽を積むようにとシュミット博士に申し付けられたジョルジュ。博士の研究室に積み上げられた雑多な研究草案の中から彼が選び取ったのは、導力駆動の二輪車をどのように実現するかというものだった。

 理由は、と問われるとジョルジュは少し悩んでこう答えた。面白そうだから、と。きっと良いものを作り上げるにはそうした気持ちが大切なのだろう。彼がこの実習を通じて学んだことだった。

 

「どんなものになるか知らねえが、まあ力仕事くらいだったら手伝ってやるよ。技術部に入り浸ってればどの道居合わせることになるだろうしな」

「まずはおおよそのモデリングをして設計図を引くところからだから、手伝ってもらうのはしばらく先になりそうだけどね。その時が来たらお願いさせてもらおうかな」

「ふふ、楽しくなりそうじゃないか。進捗は随時聞かせてくれたまえよ?」

 

 ここ最近は完全に試験実習班のたむろする場所と化していた技術部だが、ようやく本来の使用用途としても活躍できる機が巡ってきたようだ。しばらくは退屈せずに済みそうな案件に今から賑やかしくなる。入り浸る時間もますます増えそうであった。

 

 しかし、これは話を逸らすための方便でしかなかった。そんなものが長い列車旅の中でいつまでも続くわけもなく、次第に交わされる口数は少なくなっていく。先ほどから曖昧な相槌しか打ってこない、変調したままのトワのように。

 聞かなければならないことがあった。されど安易に触れてはならないという確信があった。これはきっと、トワが抱えるものの核心にまつわる話だと三人は言葉にせずとも察していた。だから鉄鉱山から今に至るまで下手に口にするようなことはしなかったし、せめてトワの調子が戻るまで待とうとした。

 かといって、これ以上の誤魔化しは不可能だ。踏み込まねばならない。どのような結果になろうとも、自分たちが今ここから先に進むためにはそうする他にないのだから。

 自分でもあの場をどうにかできたという無意識な負い目があったのかもしれない。いつの間にか重くなっていた空気の中、汚れ役を引き受けたのはクロウだった。

 

「あー……なあ、トワ」

 

 小さい肩がびくりと揺れる。言い知れない罪悪感に苛まれながら彼は言葉を続ける。

 

「鉄鉱山でのことなんだが――」

「あのっ!」

 

 それを言い切る前に、クロウの言葉は突然立ち上がったトワに遮られた。俯いているせいで表情はよく見えない。けれど、握りしめた小さな両手が震えているように見えたのは、決して気のせいではなかったのだろう。

 

「わ、私あまり体調がよくないみたいだからお手洗いに行ってくるね。心配しなくていいから……」

 

 下手糞な言い訳を口早に告げるや、トワは半ば走り去るように車両から出て行ってしまった。当然、それをみすみすと見送るようなクロウではない。「お、おい!」と慌ててその後を追おうとして、彼は数歩も進まぬうちに道を阻まれることになる。

 姿を現したノイが、妹分の後を追わせないように宙に浮いていた。

 

「……ちょいと過保護なんじゃねえか? 放っておいて元通りになるものでもねえだろ」

「分かっているの……でも、お願い。もう少しだけ、あの子に時間をあげてほしいの」

 

 苛立ちを滲ませたクロウに対してノイの言葉は弱々しい。しかし、そこをどくような気配は微塵もなかった。舌打ちをしたクロウが荒々しく席に戻る。

 

「教会との盟約が云々、という話とは違うようだね。関わってはいるが、それが本筋ではない」

「…………」

「その……答えにくいんだったら無理に聞き出しはしないけど」

 

 アンゼリカの言葉にノイは答えに窮した。否定はしない。けれど、その先のことはトワ本人が伝えなければいけないことだ。姉貴分が余計なお世話で口にしただけでは何も解決せず、むしろ余計に事態が悪化することにも繋がりかねない。

 沈痛な表情のノイをジョルジュが気遣う。悩んだ末、彼女は絞り出すようにそれだけ口にした。

 

「あの子は何も悪くないの……普通の女の子でいさせてあげられなかったのも、あんな臆病にさせてしまったのも……全部、私たちのせいなの」

 

 

 

 

 

 仲間たちから逃げ出したトワは車両を二つ通り過ぎたところでようやく足を緩めていた。途中、数の少ない乗客から見咎められもしたが、それを気にするような余裕もなかった。フラフラと力のない足取りで人のいない席まで来ると、そこに崩れ落ちるように腰を下ろした。

 自分の両手を見下ろすと、みっともなく震えていた。鉄鉱山からルーレに戻るまでに何とか取り繕えたと思っていたのに、ほんの少し話を聞かれそうになっただけでこれだ。情けなさ過ぎて笑えてきそうだった。いっそのこと笑えれば楽だったかもしれない。実際には頬が歪むばかりでちっとも笑えそうもなければ、嘲笑うこともできそうになかった。

 膝を抱えるようにして座り込む。逃げているだけでは駄目だと分かってはいた。けれど、頭で理解していても心が無理だった。向き合おうとほんの少しの勇気を湧き起こそうとする度に、記憶の彼方から響いてくる言葉が足を竦ませる。

 

 

 

 ――近寄るな、この化け物っ!!

 

 

 

 膝を抱える腕に力が籠る。そうしないと、体の震えが抑えられそうになかったから。

 

「駄目だな、私……」

 

 島から旅立って多くのものを見た。初めて友達と対等の仲間を得た。変われたと思っていた。

 本当は、全然駄目だった。何も変われていない自分に涙が出てきそうになるけれど、それだけは我慢する。仲間にこれ以上、余計な心配をさせるわけにはいかなかった。そうは思っていても彼らのところに戻る勇気は湧いてこず、トワは身動きが取れなくなってしまう。

 結局、恐怖で雁字搦めになったトワは帝都に着くまで彼らのところへ戻ることはなかった。

 


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