永久の軌跡   作:お倉坊主

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 何ということだ……何ということだ……(←閃Ⅲをクリアしての感想)
 まさか先輩組の過去話を書くのがここまで苦難に満ちたものになろうとは……女神(ファルコム)よ、私が何をしたというのですか。私はただ、先輩たちにも確かに築いた絆があったことを書きたいだけなのに……
 ……いいや、心折れてなるものか。どんなに胸が痛くても、いずれ崩れ去る日々だと分かっていても、私は筆を折らずに書き続けて見せる。閃Ⅳで先輩たちが笑顔でいる未来を信じて……!


 はい、茶番に付き合わせて申し訳ありません。
 色々と衝撃的な事実が明らかになりましたが、拙作はこれからも変わらずに続けていこうと思います。ジョルジュ君も変わらずに活躍してもらいます。前回までに書いてしまった原作との差異については、カバーストーリーと若干のズレということでご了承ください。
 今後とも「永久の軌跡」をよろしくお願いします……頼むから先輩たちにも救いを与えてくれファルコムぅ……


第31話 心の繋がり

「破ぁっ!!」

 

 裂帛の気合。突き出された鉄拳が魔獣に突き刺さった。

 くの字に折れて吹き飛んだ魔獣は、そのまま停車していた貨物列車に叩き付けられる。ずるずると崩れ落ちたそれはピクリとも動かず、周囲を見渡しても自分たち以外に気配は感じられない。

 残敵なし。それを確認して一様に「ふう」と息をつく。気を張り詰める状況が続いていただけに、ようやく肩の力を抜けたことで気持ちが幾分か楽になる心地だった。

 

「安全は確保しました。出てきて大丈夫ですよ」

 

 貨物列車の機関車に声をかける。すると、そこから恐る恐る出てくるヘルメットを被った鉱員の男性たち。一先ず危険が去ったことを認めると、やれやれ助かったと安堵して胸をなでおろす。

 

「助かったぜ、アンゼリカ。君たちもありがとな」

「当然の務めを果たしたまでさ。ま、一つ言わせてもらうとするなら、酒は程々にするといい」

「はは、違いねぇ」

 

 顔見知りらしい鉱員の一人とニヤリと笑いあうアンゼリカ。それだけでトワは、ここに駆けつけてよかったと思う。ログナー候を説き伏せた甲斐があったというものだ。

 だが、状況は未だ悪いままだ。まだ安心するには早い。

 鉱員たちのことは声をかけて回るアンゼリカに任せ、トワは周囲に気を巡らせる。気配を探る感覚の網目には、億劫になるほどの数の魔獣がひしめいていた。

 

 

 

 

 

 山道を経てザクセン鉄鉱山に到達したトワたち。さあ早速と意気込んだはいいものの、事態はそう簡単にいかないものだった。

 鉱山内には大量の魔獣が入り込んでいた。いったいどこから湧いて出てきたのか。否応なくそう思わせる物量を前に、まずはどうやって鉱山に入るか考えさせられる羽目になった。トワたちの目的はあくまで鉱員の救助と魔鷲の撃破。正面から突っ込んで体力を浪費するわけにはいかない。

 そこで彼女たちは、トワが鉱員たちの気配を探ることでピンポイントに制圧していく作戦をとった。

 

 帝都における地下水路でも発揮したトワの常人離れした気配探知。彼女の隠し事の一端を窺わせるそれは、さすがに個人を見分けることは不可能だが、目星をつけた気配を追いかけるほか、人間と魔獣の区別をつけるくらい訳はない。

 魔獣のひしめく鉱山内から鉱員たちの気配を探り出し、地理のあるアンゼリカが先導することで最短距離による突破、制圧し安全を確保する。即席の作戦ではあったが、なんとか上手くいったようだ。

 手始めは貨物列車に立て籠もった鉱員たち。線路から直接侵入し列車に取り付いていた魔獣を一掃。警戒を続けるが、別の魔獣が寄り付いてくる気配は感じられない。一先ずの安全は確保できたとみていいだろう。

 

「しかしまあ、よくこれだけの魔獣が入り込んだもんだ。崩落で巣に繋がった――って訳じゃなさそうだな」

 

 一息付けたところでクロウが眉をしかめる。それはトワも頷くところだった。

 鉱山における魔獣被害とは実をいうと珍しいものでもない。もとより魔獣が蔓延る市外にあるのだ。いくら導力灯などの魔獣避け設置しても効力は完全ではないし、それを除いても鉱山特有の魔獣被害の原因がある。

 それがクロウの言う崩落による魔獣の出現。人知れず洞穴に住処を築いていたり、あるいは地中を住処にする魔獣たち。坑道が崩落することで偶然その住処に繋がってしまい、縄張りを侵されたことで凶暴化した魔獣に鉱員が襲われたというのは典型的な鉱山事故の一つだ。

 しかし、今回はどうやら違うようだ。興奮した多数の魔獣という共通点こそあるものの、崩落によるものと考えるには明らかにおかしい点があった。

 

「まあな。崩落音なんざ聞こえなかったし、なにより大半が鳥型だ。こんなことは初めてだぜ」

 

 貨物列車に立て籠もっていた鉱員の中でも年配の一人が肩を竦めた。やはり、とトワはその言葉に納得する。

 

「やっぱりそうですよね。あの鷲みたいな大型魔獣にしてもそうですけど、崩落によって出る魔獣じゃないですし」

「デカいミミズみたいな奴は出たことがあるがなぁ。その時はアンゼリカがぶっ飛ばしたんだったか」

「ああ、そんなこともあったね。あの時はあの時で大変だったが……」

 

 今回はその比じゃないね、とアンゼリカはため息を吐く。

 実際に魔獣被害を経験した側からしてもおかしいと感じる状況。今回の件が自然には起こり得ないものであると確信を強めるには十分な理由であった。

 街道門での懸念が再び頭を過る。他の面々もそれは同じだろう。先月の帝都における魔獣騒動、その主犯。未だ手掛かりが掴めていない魔獣を操った張本人がまたもや現れたのではないかと。

 

「まあ、その話は置いておこうぜ。あれこれ言っても憶測にしかならねえだろ」

「確かに。現状をどうにかする方が優先ではあるね」

 

 しかし、証拠も何もない状況では動きようもない。口惜しい気持ちもあるが、今のところは気に留めておくくらいしかできそうになかった。

 それよりも本来の目的を遂行することに専念するべきだろう。鉱員の安全を確保し、魔鷲を撃破すること。鉱山に蔓延る魔獣を撃滅するためにも、懸念を頭の隅に追いやって状況の確認に移る。

 

「他の皆は奥の方に取り残されたままなのだったか。どこらへんか当たりはつくかい?」

 

 先ほどアンゼリカが声をかけて回っていた時に、残念ながらここに全員の鉱員が揃っていないことは判明していた。聞いたところ、坑道から避難の途中で行く手を遮られて閉じ込められたのだろうとのこと。

 救助しに行くとしても具体的な指標があれば助かる。鉱員は「そうだなぁ」と首を捻って考えを巡らせた。

 

「マニュアルだと、万が一のときは計器室か一番奥の制御室に逃げ込むことになっているんだ。あそこなら出入口にロックが掛かるからな。皆そこにいるならいいんだが……」

「ふむ……トワ、どうだい?」

 

 アンゼリカに問われ、トワは瞼を閉じて感覚を外側に拡張させていった。行動を徘徊する無数の魔獣、その中から人の気配を探っていく。数秒ばかりの沈黙の後、目を開いた彼女は難しい表情を浮かべた。

 

「人の気配が集まった箇所が二つ。たぶん、その計器室と制御室だね。でも、魔獣の気配に紛れて分からない人のもあるかもしれない。見落とさないよう注意して進んでいくしかないと思う」

 

 それと、と言葉を続ける。

 

「奥の方……制御室の手前かな。大きな魔獣の気配を感じる。空港に出た大型魔獣で間違いないはずだよ」

「そうか……制御室の手前ってことは、鉱員を助けるにしてもあの魔獣と戦うのは避けられないってことか」

「へっ、手間が省けていいじゃねえか。山狩りをするより遥かに楽だぜ」

 

 威勢のいいクロウに三人は苦笑を浮かべる。だが、言っていることは間違っていなかった。

 どの道、魔鷲も倒さなければザクセン鉄鉱山の安全を完全なものとすることはできない。起伏の激しい山中に潜まれるよりも、空間の制限された鉱山内にいてくれた方が楽というのは道理にかなっている。

 無論、比較的という話であって実際は一筋縄ではいかないだろうが――それでも、気負いすぎるよりはいいだろう。

 

「いいダチができたじゃねえか、アンゼリカ。その調子で男も作ってくれればオッサンたちとしても安心なんだがな」

 

 ガハハ、と豪快に笑う鉱員たち。アンゼリカはやれやれと肩を竦めながらも嫌な表情はしていなかった。

 

「余計なお世話だよ、まったく。しばらくしたら領邦軍が駆けつけてくるはずだ。それまでこのまま待機していてくれたまえ。下手に山道に出るよりは安全なはずさ」

「おう……情けねえが、俺たちじゃ身を守るので手一杯だ。親方たちのこと、よろしく頼んだぜ」

「ああ、ドンと任せておきたまえ」

 

 胸を叩いて応じるアンゼリカ。その頼もしさに鉱員たちが影ながら抱いていた不安も和らいだように見えた。

 いくら豪気な鉱員たちでも、この状況では不安を抱いて当然だ。突如として襲い掛かってきた魔獣の大群、分断されて無事とも知れぬ仲間たち、鉱山に閉じ込められ助けが来るかどうかも分からない。普通だったらパニックに陥っていても不思議ではないだろう。

 

 そんな彼らを捨て置くなんてアンゼリカにはできなかった。駆けつけて、阻む魔獣を吹っ飛ばして、彼らの瞳に希望の光を灯した。単純で短絡で、青臭い動機からの行動ではあっても、そのことは揺るがしようのない事実だ。

 それだけでトワはここにきてよかったと思う。ログナー候を説得した意味があったと思える。アンゼリカの貫く意志にはそうするだけの価値があったと胸を張って言える。

 

「まだまだ先は長いみたい。迅速に、確実に行こう」

「勿論だ。クロウ、ジョルジュも遅れないでくれたまえよ?」

「誰にもの言ってやがる。ゼリカこそ勝手に突っ込むんじゃねえぞ」

「はは……この調子なら心配はいらなそうだね」

『まったくなの』

 

 その意思を貫き通すために今は前に進む。

 いまだ助けを待つ多くの鉱員を救うべく、トワたちは鉱山の奥へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 周囲を飛び交う魔獣たち。それらに囲まれないように注意しつつも、トワは矢面に立って殿を務めていた。

 鋭い嘴を鏃に突っ込んできた相手を、身を翻しては斬り落とす。背後に抜かんとする相手は剣閃とアーツを飛ばして牽制する。対処が追い付かない分は、後背よりクロウの援護射撃が行く手を阻んだ。

 呆れた物量に応戦しつつも、じりじりと後ろに下がっていく。倒し切る必要はない。これは時間稼ぎなのだから。目的を達するまでに魔獣を後ろに通さなければそれでいい。ただ、それを為すために眼前の群れを押し留める。

 戦闘音を聞きつられることで魔獣は数を増やすばかり。些か状況が厳しくなってきた。わずかに眉根を寄せるトワ。そんな彼女の耳に背後から待ち望んだ合図が届く。

 

「こっちは大丈夫だ! 退いてくれ!」

 

 間髪を容れずにトワは動き出す。地面に向けて放った《神風》が土を巻き上げ魔獣たちの視界を塞ぐ。それを牽制とし、全速力で後方に駆け出した。援護に徹していたクロウもそれに倣う。

 眼前には先行するクロウ。その奥、守り抜いていた通路の先には避難場所の一つとして指定されている計器室。開いた扉よりアンゼリカと顔色の悪い鉱員を背負ったジョルジュが、緊張をはらんだ面持ちで待っているのが目に入った。

 土煙を抜けた魔獣が迫ってくるのを背中に感じる。先に計器室に辿り着いたクロウが撤退を支援するべく弾幕を張る。通路を風のように駆け抜けたトワはスライディングで計器室に滑り込んだ。

 

 瞬間、息つく間もなく閉じられる扉。機械式のそれがガシャンと通路と計器室を分断し、流れるようにロックまで掛けられる。不意に行く手を塞がれた魔獣たちが激突する鈍い音が外から響く。苛立ったような鳴き声と扉を叩く音が聞こえてくるが、重厚な鋼鉄製のそれを破られるような気配はなかった。

 ふう、と滑り込んでそのまま床に座り込んでいたトワが息をつく。綱渡りな状況だったが、上手くいってよかった。

 そんな安堵の息を漏らす彼女の周りで、わっと喝采の声が巻き起こる。固唾を飲んで見守っていた鉱員たちがこぞってトワに集ってきた。

 

「やるじゃねえか嬢ちゃん! アンゼリカが最高のダチって自慢するわけだぜ!」

「仲間を助けてくれてあんがとよ。ったく、ちっこいくせに痺れさせてくれるねぇ」

「あ、あはは……どうも」

 

 ばしばしと肩を叩いて礼を言ってくる彼らに、ぎこちない笑みを浮かべるトワ。クロウたちに助けを求める視線を送るも、返答は肩を竦めるだけに留められた。薄情な仲間である。

 興奮しきりの彼らにどうしようかと困っていると、ふと気づく。ジョルジュが背負っていた顔色の悪い鉱員が少し足を引きずるようにしながら近づいてきた。

 

「ご無事で何よりです。捻った足は大丈夫ですか?」

「ああ。おかげさまで何とか、ね。本当になんてお礼を言ったらいいか……」

 

 そこで彼はへたり込むように腰を落としてしまう。緊張していた体から不意に力が抜けてしまったのか。それは足腰だけの話ではなかったようで、目尻には涙が浮かんでいた。

 

「うう……本当に、もう駄目かと思ってたから……助けてぐれて、ありがどう……」

 

 ぼろぼろと涙を零す彼は坑道内で一人逃げ遅れていた。途中で足を挫いてしまい碌に動けなくなってしまったのだ。咄嗟に近くにあった資材コンテナの中に身を隠したまではいいものの、いつ魔獣に見つかるか生きた心地がしなかったという。

 その彼の存在に気付いたのは、計器室に逃げ込んだ鉱員から「一緒にいた奴が見当たらない」という話を聞いたからだ。

 

 もう手遅れじゃないか。そんな意見は一切合財無視してトワたちは念入りに捜索した。トワが気配を探ることで当てをつけ、あとは虱潰し。幸いにして、さして時間を置かずに彼を発見することはできた。

 問題はそれからだ。可能な限り魔獣を刺激しないように行動していたが、計器室まで戻るのにどうしても戦闘は避けられない状況になっていた。トワが殿として奮闘していたのはそういう経緯があってのことである。

 

 何はともあれ、無事に救出できて何よりだ。他の鉱員たちに「ほれ、泣くな泣くな」

「あっちの嬢ちゃんの方が男前だぞ」と背を叩かれて奥に連れて行かれる彼を見送りながら、改めて安堵の息をつく。

 クロウたちもこれで一安心と気を抜いていたが、一分も経たずして再び気を引き締める。親方をはじめとした安否の分からない鉱員のことはもとより、ルーレ空港で起きた現象からの懸念が鎌首をもたげていた。

 

「しかしまあ、ここまで何とかなってきたが、この戦術リンクの窮屈さはどうにかなんねえのか。こんなんだったら前の方がマシだったぜ」

「むらが無くなったのは確かだけどね。繋がるというより括り付けられている感覚というか……」

 

 魔鷲を仕留め損なった原因。シュミット博士によるARCUSの調整の結果、トワたちは言い知れぬ違和感に苛まれていた。それこそ、以前まで出来ていたはずの意思疎通に若干の支障が出るくらいに。

 課題となっていたリンク強度のむらは確かに改善されている。だが、その代償とでもいうかのように今度は繋がりが固定化されてしまったようだった。

 以前までは、不安定さはあっても仲間との繋がりが強くなっていく実感があった。調子がいい時は相手の動きが手に取るように分かり、一分の隙もない完璧な連携を決められることもあるほどだ。だからトワたちはそれが戦術リンクのあるべき姿だと思っていた。

 

 それが実際はどうだ。改善すべき点は改善されたものの、肝心の戦術リンクのメリットが大幅に制限されてしまっている。これでは本末転倒であるし、強力な魔獣との戦いを控えてこの戦力低下は手痛い。

 クロウとアンゼリカが苦い顔をするのも無理はない。トワも難しい表情になっている。ただ一人、空港で何某かに気付いていたらしいジョルジュが思案気に手元の試作型ARCUS目を落としていた。

 

「……たぶん、これが戦術リンクの本来の仕様なんだろう。軍における連携力の向上という意味では最適解だからね」

「最適解って……前より連携の幅が狭まっているのに?」

 

 いまひとつ納得のできないトワ。そんな彼女にジョルジュは「だからだよ」と返した。

 

「兵器にはまず信頼性と安定性が求められる。その点、調整前のものは落第ものだ。時には強力な連携を可能にしたけど、使いこなせなければ基本的なリンクさえ構築できないんだからね」

 

 トワたちは二か月かけてようやく実戦で通用するレベルの戦術リンクを結べるようになった。それは確かに苦労に見合った効果をもたらしたが、そんな不安定なものが軍隊に望まれるだろうか。不採用に違いない。

 ならばリンクによる効果は低減させても、より安定して誰とでも効果を発揮できるものの方が遥かに実戦的だ。そういう意味でシュミット博士の調整は間違っていない。

 

「ちっ、じゃあ何だ。この息苦しい奴でやっていくしかねえってのかよ?」

「……いや」

 

 だが、それで納得できるかというと話は違う。それはジョルジュも他の三人と同様だった。

 

「皆、ARCUSを貸してくれないかな。ここで調整をやり直してみるよ」

「やり直すって……どんな風に?」

 

 計器室に備え付けられた小型の工房設備に足を向けるジョルジュに、トワは当然の疑問を投げかける。シュミット博士が導き出した最適解がこれだというのならば、他にどのような形が有り得るというのか。

 博士が調整する前の状態に戻すという選択肢もあるといえばあるが、あまり意味があるとは言えない手段だ。もとより現状での限界が見えていたからこその今回の調整。元に戻してしまっては何の解決にもならない。それに博士が怒髪天を衝くのが目に見えている。

 その難しい問いに、ジョルジュは簡潔に答えた。

 

「リンク強度の上限を取り払う。その上で最低限の機能を担保する形だね」

 

 あっさりとした答えに瞠目する。それは言葉にするのは簡単でも、実現するのは非常に困難に思われたから。

 

「できるのかい? それが理想であるのは確かだが……」

「博士の手伝いをしているときに糸口を掴めてはいるんだ。後はそれを形にできれば……いや、形にしてみせる」

 

 腕を組んで難しい顔のアンゼリカ。それに対してジョルジュは何時になく真剣な表情で応じる。

 ジョルジュもただ漫然と博士の助手として使われていたわけではなかった。どのようにすれば戦術リンクをより完成に近づけられるのか、仲間の力をより引き出すにはどうしたらいいのか。博士に口出しこそしなかったものの、その脳裏には彼なりの完成図が描かれていた。

 

「行き当たりばったりの紆余曲折の末だけど、僕たちの戦術リンクの形は絶対に間違いじゃなかった。難しいからってそれを諦めるなんて、端くれでも技術者の名折れだ」

 

 そこまで真面目な顔だった彼は、そこで「それに」と口元を緩めた。

 

「これくらいできなきゃ、博士の弟子なんて名乗れないだろうしね。名前負けしないよう精一杯やらせてもらうよ」

「へっ、言うじゃねえか。それならお手並み拝見といこうかね」

「もう、クロウ君ってば偉そうに……でも、そうだね。お願い、ジョルジュ君」

「あの偏屈博士の鼻を明かせるなら是非もない。よろしく頼むよ」

 

 三人から渡されたARCUSを手に、ジョルジュは再び表情を引き締める。

 彼の言葉に嘘はなかった。一人の技術者としてのプライドがあった。シュミット博士の三番弟子という自負があった。それらに懸けて納得できないもので妥協することなど容認できない。その気持ちは本当だ。

 

「ああ――任せてくれ!」

 

 だが、それは表向きの理由でしかなかった。

 本当はもっと単純な理由。彼は作り上げたかっただけだ。自分が望む戦術リンクを。

 軍事利用を前提とした、機械的に人と人を括り付ける鎖のようなものではない。四人がぶつかり合って、共に壁を乗り越えて、そして結実した絆の証。鮮烈で、しかして心地よい温かさと微睡を覚えるそれこそが、この試験実習班が作り上げてきた戦術リンクだ。

 ジョルジュもまだ、あの微睡に浸っていたかった。

 だから全力を尽くす。何が正しいかではない。他の誰でもない、自身が望んだものを作り上げるために。

 

 

 

 

 

――たとえそれが、いずれ黄昏に消えゆく夢幻だとしても。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ザクセン鉄鉱山の深部。中央には長きにわたる採掘で形作られた底の見えない大穴。そして岩盤の天井に空いた穴より陽の光が注ぐその空間で、ルーレ空港を襲撃した魔鷲は羽を休めていた。

 自身より遥かに矮小な生命。だからといって侮っていたわけではないが、不意を打たれてそれなりの負傷をした魔鷲はしばしの時間を休息に当てていた。それももうじき終わりとしようというところ、次なる行動に頭を巡らせる。

 本来ならば、アイゼンガルド連峰の奥地に住まう存在。このような人の集落にまで下ってくることは皆無と言って等しい。だからこのように鉱山に居座ることも、あの巨大な街を襲うのも意味のないことだ。

 

 だが、昨夜より頭に響く妖しき調べが魔鷲に囁き掛ける。

 ――更なる破壊を、更なる血を、更なる恐怖を。

 山の峰々を駆け抜ける風に乗って魔鷲に届いたその調べは、抗いがたい衝動となって人の地への襲撃へと駆り立てた。同じくして調べに狂う魔獣たちと共に山を下り、鉱山を制するやルーレにまでその手を伸ばした。

 普通の魔獣ならばそこで領邦軍に討たれていただろうが、幸か不幸か魔鷲は狂わされながらも理性を残すくらいの知能を有していた。装甲車を見るや鉱山にまで退き、その脅威が届かぬ場でまずは傷を癒すことを選べるくらいは。

 

 それでも、尚も脳裏に響く調べに抗いきることはできなかった。血と狂乱を求む音色に魔鷲は身を起こす。その紅耀の瞳に狂気を湛えさせて。

 先の巨大な集落が無理ならば、見劣りはしても他の集落を潰すまで。

 狂気的な衝動に突き動かされながらも、そのような合理的判断を下した魔鷲は翼を広げ再び空に飛び立たんとする。

 

 瞬間、響く衝撃音。

 魔鷲の目の前に叩きのめされた魔獣が転がり込んできた。

 

「おいおい、つれないじゃねえか。こうして足を運んでやったのにお出かけしようなんてよ」

「まあ、そう言ってやらないでおきたまえ。魔獣にデリカシーを理解させようなど無理な話さ」

 

 坑道に繋がる暗闇。そこから四人の人影が現れる。

 

「クロウ君、アンちゃん。リラックスしているのはいいけど、油断はしないでよね」

「トワの言う通りだよ。戦術リンクだって、まだ不具合があるか分からないから気を付けてもらわないと」

 

 それは魔鷲にも見覚えのある姿だった。生身で自身に少なからず痛手を与えた人。

 妖しき調べのそれとは関係なく、魔鷲の瞳に敵意が宿り嘴から炎が漏れ出る。矮小な存在によってその身に負わされたのは肉体的な傷だけではない。生物としてのプライドもまた傷つけられていた。

 故に、その存在を無視することはできない。飛び立とうとしていたことなど頭から消し去り、全力をもって眼前の存在を叩き潰さんとする。

 

「それこそ心配ご無用というものだ。博士の弟子として名前負けはしていないのだろう?」

「いや……まあ、それはそうなんだけど」

「ま、自信持てよ。お前がいい仕事したってのは俺たちが証明してやるさ」

 

 それはトワたちとしても望むところ。その巨体の奥、制御室に閉じ込められたままの鉱員たちを救うため、このノルティア州を魔鷲の脅威から守るために戦うのは避けては通れない。

 軽口を叩く仲間たちに注意しつつも、トワの口元には笑みが浮かぶ。表面上は軽くても、そこにあるのは確かな信頼。トワ自身も含め、誰もジョルジュの腕前を疑ってなんかいない。

 だから、あとは為すべきことを為すだけだ。

 

「今度は私も全力でサポートするの! 皆、気張っていくの!」

 

 ノイもここぞとばかりに張り切った様子。ルーレでは下手に手出しできなかっただけに歯痒かったのだろう。いつになくやる気満々の姉貴分に内心微笑ましく思う。彼女もまた、試験実習班の仲間としての自負があるのだと。

 士気は十二分。用意は万全。仲間たちの目がトワに集まる。

 刀の切っ先を魔鷲へと向ける。出自も性格も何もかもバラバラな仲間たち。そんな試験実習班の“要”たる彼女は号令を下す。

 

「戦術リンクON――逃がしたらどこで被害が出るかわからない。ここで確実に仕留めるよ!」

「「「応!!」」」

 

 四人の間に繋がりができる。ジョルジュによる渾身の調整により完成された戦術リンク。心の温かさを感じる。想いの強さが伝わってくる。強まる絆と共に力がどこまでも高まっていく。

 空港の時とは違う。純粋な勝利への確信を抱き、トワたちは得物を魔鷲へと向ける。

 言葉を解さない魔鷲にもそれは気迫として伝わった。怒りの声をあげ、嘴より炎が噴き出ることで戦端は開かれた。

 

 迫る火炎。トワとアンゼリカが左右に散開し、ジョルジュはそのまま正面へ。眼前に広がる熱に彼は表情を険しくするが、足を止めはしない。頼りになる小さな妖精が傍にいることを知っているから。

 

「ジョルジュ、今なの!」

「任されたぁ!」

 

 ジョルジュの肩に乗るノイ。その手をかざした先に金色の歯車が回転し、蒼い障壁が展開される。炎に舐められるも堅牢なる守りはその程度で崩れはしない。

 魔鷲を正面にとらえたジョルジュは炎の中で機械槌を大きく振りかぶるように構える。後部が展開、増設されたジェットユニットが露出し蒼炎を噴出する。蒼き炎は留まることを知らず勢いを強め、凄まじい推進力となってジョルジュを打ち出した。

 赤き火炎の中を蒼の障壁と後引く蒼炎が突貫する。炎を突き抜けた先に迫る魔鷲の顔面。心なしか驚きの感情が見えるそこに、ジョルジュは莫大な運動エネルギーを得た機械槌を強引に叩き付けた。

 重い音が魔鷲の頭を強かに揺さぶる。重打に魔鷲は巨体を後退らせ、倒れはしなかったものの眩む頭に動きを止めた。機械槌を地面に突き立て火花を散らしながら制動したジョルジュは、それを認めて後続に叫ぶ。

 

「頼んだよ、二人とも!」

「開幕一発ご苦労! さあ、私たちも続くとしようか!」

「うん! アンちゃん、合わせて!」

 

 左右よりトワとアンゼリカが強襲する。刻まれる斬撃、叩き込まれる拳打。脳を揺らされていた魔鷲がようやく体の自由を取り戻すも、その連撃から逃れるのは容易いことではない。

 考え無しの攻撃ではない。トワの一撃に魔鷲が反撃しようとすれば、反対のアンゼリカにそれを崩される。逆も同様。巨体を挟んでお互いの様子が見えるはずもないのに、その息の合いようは崩れるどころかますます洗練されていく。

 これぞ戦術リンクの真髄。五感に頼らずともリンクする相手と直感的な連携を可能にする戦場の革新。それを十全に発揮するトワたちに魔鷲は傷を増やしていく。

 

「――っ、アンちゃん!」

 

 思い通りにならない状況に業を煮やしたか。魔鷲の瞳に猛々しい色が宿ったのを見て取ったトワは離脱を選択する。瞬間、魔鷲は甲高い鳴き声を上げて暴れ始めた。後方に跳んだトワが着地したクレーンさえも薙ぎ倒し、彼女はさらに後ろに下がらざるを得なくなる。

 その暴虐の範囲にいながらも、アンゼリカは焦ることはない。トワの呼び声からその意は伝わっている。それに応えて切り替えたリンク相手。隣に並び立ったジョルジュに彼女は不敵な笑みを浮かべる。

 

「そら、右は任せるよ。上手く凌いでくれたまえよ?」

「そう言われたらっ、やるしかないじゃないか!」

 

 一人で防ぎきれないなら、二人で。襲い来る猛撃をアンゼリカとジョルジュは互いにカバーしあいながら耐え凌ぐ。

 トワとクロウも、それを座して見ている性質ではない。司令塔たるトワが確実に魔鷲の動きを止める一手を指す。

 

「クロウ君、動きを鈍らせてから火種! ノイはガス! 二人の守りは私がやる!」

「アイマム!」

「一気にやってやるの!」

 

 トワとクロウがアーツを駆動し、ノイもまた四季魔法を発動させる。

 クロウが発動したクロックダウンが魔鷲の動きを一時であれど留め、同時に動作を鈍らせる。それに間を置かずしてトワがアースウォールでアンゼリカとジョルジュに守りを施す。そしてノイが行使した四季魔法が、魔鷲の足元より練り集められた鉱山ガスを噴き出させた。

 

「おら、そこの二人! ちゃんと耳を塞いどけよ!」

「ええ!? ちょ、本気――」

 

 クロウが一切の躊躇なく導力銃のトリガーを引くのを見てジョルジュは慌てて耳を塞ぐ。アンゼリカはガスが噴き出た時点でちゃっかり対ショック姿勢まで取っていた。

 動きが鈍った魔鷲の嘴に寸分違わず命中する銃弾。硬質のそれと衝突したことで生じた火花がガスに着火する。

 

 次の瞬間、鉱山に凄まじい爆音が響き渡る。

 爆裂する空気。巻き上がる炎。局地的なガス爆発が魔鷲を襲った。

 堪らずに悲鳴を上げる魔鷲。アースウォールの効果で難を逃れたアンゼリカとジョルジュは、「ガス臭い」やら「耳が痛い」やら文句を叩きつつもトワたちと合流して態勢を整える。無事のようで何よりだ。

 

 さて、と魔鷲を見やる。爆発に巻き込まれたことで焼け焦げた羽は黒ずみ、蓄積されたダメージは相当なものだろう。それでもいまだ倒れずにいるのは呆れた生命力という他ないが、そろそろ限界も近いはず。トワとしては忍びない気持ちもあるものの、街の安全のためにこのまま倒しきるしかない。

 せめて無用の苦しみを与えないよう、一息に。そう考えたところで魔鷲が大きく翼を羽ばたかせた。

 

「くっそ、あの傷でまだ飛べるってのか!?」

「逃がすわけにはいかないの! 私が追いかけて――」

 

 ノイの言葉を手で止める。何事か、という姉貴分の視線にトワは魔鷲に対して険しい目を向けることで答えとした。

 魔鷲は空に舞い上がりはしたものの、鉱山より逃げる気配はなかった。いや、逃げられないのだろう。クロウが見立てていた通り、魔鷲に逃げ切るだけの体力は残されておらず、ここから飛び立っても時間を置かずして墜落するしかない。

 ならば、せめて最後の足掻きを。自身の敵を叩き潰すべく魔鷲は最後の一撃に全てを振り絞る。

 

「ふむ、一気に私たちを踏み潰そうという腹か。シンプルだが強力だね」

「落ち着いて分析している場合じゃないの! あの質量に重力もあるし、ギアシールドで防げるか……!」

 

 上空からの大質量と重力を加味した渾身の一撃。落下スピードから避けることは難しい。アーツも駆動が間に合わない。ノイのギアシールドもあれだけの質量攻撃を前には押し潰されかねない。

 では、どうするか。トワが答えを出すより先に、ジョルジュが一歩前に踏み出した。

 

「ジョルジュ君?」

「たまには僕にもカッコつけさせて欲しいな。ここぞっていう時に頼りきりなのもどうかと思うしね」

 

 普段ならぬ彼の強い意志を秘めた瞳に、トワは何も問わずに頷いた。ここでとやかく言うのは無粋。クロウとアンゼリカもニヤリと笑みを浮かべ、ジョルジュの肩を叩くだけで全てを任せた。

 全幅の信頼を受けて、これに応えられなければ男が廃る。決意を固めたジョルジュが機械槌を地面に突き立てる。

 

「導力機関開放、出力最大――!」

 

 機械槌の表面装甲が展開し、エンジン部たる導力機関が露出する。臨界点にまで達した出力が甲高い駆動音と導力の光を迸らせる。

 以前の実技教練でサラ教官は言った。ジョルジュは仲間を守る盾になれると。

 その答えがこれだ。自身の技術の粋を集めた成果をもって、ジョルジュは盾を成す。

 

「展開――《ガーディアン・オブ・メカナイズド》!!」

 

 迫る魔鷲の巨躯。それがまさにトワたちのもとに落着せんとしたその時、機械槌を中心に広がった防御フィールドが彼女たちを包み込む。勢いのままに衝突する魔鷲。決死の矛と渾身の盾が拮抗した。

 魔鷲の鋭利な鉤爪とフィールドが接触する点からスパークがまき散る。機械槌を起点としたものだからか。直にその影響を受けるジョルジュが苦悶の声を漏らす。彼の手の中で機械槌の一部が火花を散らした。

 

 だが放さない。背中に守るべきものがあるから。まだ失いたくないと思う居場所があるから。

 だからジョルジュは屈しない。生涯の中で最も強い感情をもって、襲い来る苦悶を跳ね返す。

 

「負けて、たまるかぁ!!」

 

 限界を超えて駆動した導力機関が一際強く輝く。膨張した防御フィールドが、ついに魔鷲を押し返した。

 競り勝った。それを認めた仲間の中で、クロウがいの一番に動き出す。

 

「っしゃあ! よくやったジョルジュ!」

 

 会心の声と共に放つは仲間を信じて溜め込んだ一撃。充填されたエネルギーが双銃より開放され魔鷲の腹に突き刺さる。衝撃にくの字に身を折った相手をみすみす逃がす道理はない。トワとノイが宙に跳びあがった。

 

「いくよ、ノイ!」

「合点承知なの!」

 

 ノイのギアバスターが魔鷲を強かに打ち付け上空に押し返す。そしてもう片方の金色の歯車が、それを足場としたトワを魔鷲めがけて打ち出した。

 ギアバスター自体の速度、そして自身の脚力を合わせてトワは凄まじい速さで接敵する。そして過ぎ去り際の一閃。魔鷲の機動力を担う双翼、その片翼が大きく切り裂かれた。痛みに悲鳴を上げる魔鷲は、もはや自由に動けない。

 

「さてジョルジュ、最後に一仕事頼むよ」

「これくらいならお安い御用さ。アン、派手に決めてきてくれ」

「ふっ、君にばかりいいカッコはさせられないからね。期待に応えて見せようじゃないか」

 

 体力は削ぎ落した。片翼も奪った。ならば、あとはとどめの一撃をくらわせるのみ。

 若干焦げ臭い煙をあげる機械槌を振りかぶるジョルジュ。その前に準備万端とばかりに待ち受けるアンゼリカ。軽口の後、背面より蒼炎を吐いた機械槌がかち上げるように振るわれる。瞬間、それに足を乗せたアンゼリカが空へと舞いあがった。

 

「へまするんじゃねえぞ、ゼリカぁ!」

「行って、アンちゃん!」

 

 背中からクロウの激励が、先に重力に任せて落ちるトワの応援がアンゼリカの耳に届く。

 言われるまでもない。応える以外の道があるはずがない。ここまでお膳立てされておいて、結果を残さないなどどうしてできようか。ノルティアの領主たるログナーの息女として、何よりも試験実習班の一員であるアンゼリカ・ログナー個人として、この大一番を逃すなど言語道断。

 眼下に魔鷲を捉え、アンゼリカは己の中の気を総動員する。師と出会い、今日この日までに積み上げてきた功夫。研鑽の全てをもって結実するは闘気の具象。黒き龍を象ったそれを右足に纏い、この戦いに幕を引く一撃を放つ。

 

「食らいたまえ――《ドラグナー・ハザード》!!」

 

 全力全開、必殺の蹴撃が空に龍の尾を引き魔鷲に突き刺さった。

 声なき悲鳴を上げて叩き落される魔鷲。あまりの衝撃に陥没し罅割れる地面。それは紛うことなき致命の一撃であり、魔鷲の命数を断つに余りあるものであった。

 だが、相手もさるもの。最後の足掻きとばかりに巨躯を動かし、罅割れた大地を叩く。それは離れた位置にいるトワたちはもとより、魔鷲の上に立っていたアンゼリカにも大した脅威になるものではなかった。

 ――ただ、直接的な攻撃という面に限っては。

 

「おい、こいつは……!」

「ま、不味いの!」

 

 地面に亀裂が走る。魔鷲が力尽きたその場を中心とし、地響きを立てて足場が崩れ始める。

 長きにわたる採掘で穿たれた、底の見えぬ深淵の暗闇へと。

 

「ちぃっ!」

 

 舌打ちを一つ。文句を叩いている猶予はなかった。魔鷲の亡骸から飛び降りたアンゼリカは、崩れ落ち始める地面を底の見えぬ大穴から遠ざかるべくひた走る。魔鷲が力なく暗闇に堕ちていくのを尻目に、彼女は全力で足を動かした。

 しかし、崩落は無情にも周囲を飲み込んでいく。足場の崩壊がアンゼリカに追いつき、走るべき場を失った彼女は宙に投げ出される。

 

「アン、掴まって!!」

 

 そんな絶体絶命の状況でも、仲間たちは彼女を見捨てたりなんてしない。

 崩落する中を前に進んでアンゼリカのもとに駆け付けたジョルジュが彼女の手を掴み取る。ノイがジョルジュにギアホールドを括りつけて、二人が暗闇へと落ちぬよう引っ張り上げる。小さな姉貴分が重さに負けぬようトワが抱え、それを更にクロウが支えた。

 宙にぶら下がる二人を引き上げるべく力を籠める。徐々に、ほんの少しずつであるが、アンゼリカとジョルジュが地表に近づいていく。

 

「くっそ、帰ったらダイエットしやがれよジョルジュぅ!!」

「文句言っている暇があったらちゃんと引っ張ってよクロウ君!」

「いや、ほんと申し訳ない……」

 

 アンゼリカに最も近かったのがジョルジュだったからこういう形になってしまったが、引き上げるには些か苦しい形になってしまったのは否めない。主に体重の面で。頭上で響く言い合いにジョルジュは面目なくなってしまう。

 

「やれやれ。しかし、これで――」

「何とかなりそうな……の?」

 

 そうして気を抜いてしまったのがいけなかったのか。

 収まったかに見えた地面の亀裂が、トワとクロウの足元にまで伸びるのに気付くのが一拍遅れた。

 

「えっ――」

「おお!?」

 

 トワの身体を浮遊感が襲う。同じくして足場を失ったクロウが咄嗟に断崖に片手をかけ、もう片手でトワの手を掴み取る。トワもまた、ノイを離さぬように片腕で懸命に抱え込んだ。

 だが、それはクロウが一手に四人の重さを担うということ。片腕を襲う引き千切られんばかりの重力にクロウは脂汗を浮かべた。

 

「う、腕が千切れそうなのー!」

「それはこっちのセリフだ、この妖精もどきがああああ!!」

「言っている場合か! 何とかしなければ、このまま全員仲良く女神逝きになってしまうぞ!」

 

 一転、再び絶体絶命の状況。アンゼリカに怒鳴られなくても、悲鳴を上げる腕が長く持たないことがクロウには分かっていた。現状のままでは数分と経たずに奈落の底に真っ逆さまだ。

 

 クロウの冷徹な部分が囁く。その手を放してしまえ。そうすれば自分は助かる、と。

 胸に抱く宿願の為に、今ここで死ぬわけにはいかない。ならば切り捨ててしまえばいい。偽りの学生生活で得たものなど捨てて、自身の命を拾うのが最も合理的な選択だと理解はしていた。

 

「こん……ちくしょうがぁ!!」

「クロウ君……」

 

 だが、出来なかった。繋がったトワの小さな手を、感じるぬくもりを手放すことが出来なかった。

 認めるしかない。クロウは絆されてしまっていた。温厚そうに見えて割としたたかなジョルジュを、認めてはいるが一々腹立たしいことを言ってくるアンゼリカを、口煩いくらいお節介で世話好きなノイを――こんな偽りの自分でもいいと言ってくれた、類を見ないほどお人好しな馬鹿(トワ)を、彼は捨てることが出来なくなってしまっていた。

 

 持てる力を総動員して片腕で体を引っ張り上げようとする。まさに火事場の馬鹿力。身体のリミッターを外して全力以上の力を引き出したクロウは、僅かではあってもその身を地面の上へと近付けていく。

 それでも、現実は殊更に彼らに対して非情であった。

 

「あっ」

 

 間の抜けた声が響く。それは五人のうちの誰かのものか、あるいは全員のものだったのかもしれない。

 クロウの限界よりも先に訪れた、彼が掴まっていた断崖の限界。支えが崩れ落ちたことで彼らは再び浮遊感に包まれる。

 こうなってしまえば他に手立てはない。後であの魔女にどやされることになっても知ったことか。文字通りの最終手段を取らんと、クロウは脳裏に巨いなる蒼き騎士を描く。

 

「こ――」

 

 

 

 

 

「っ、駄目ぇ!!」

 

 

 

 

 

 その時、トワの声と共に《力》が周囲に広がった。

 波動の如きそれに繋げていた手を弾き飛ばされ、あまりの衝撃にクロウは思わず目を閉じる。自身の周りを駆け抜けていく《力》。クロウが知るどれとも違う、圧倒的なエネルギーを内包した、しかしどこか温かさを感じるそれ。

 一陣の風のように吹いた《力》は、クロウの身体に痛みなどはもたらさなかった。害はなかったようだが、未知の体験に彼は困惑せざるを得ない。それこそ、つい今しがた自分がどのような状況に置かれていたのか失念するくらい。

 だからクロウが目を開き、目に映るその光景を認めたとき、彼は呆然とせざるを得なかった。

 

「…………は?」

 

 クロウは浮いていた。奈落の底に落ちていくはずだったその身体は中空に浮き、落下の兆しは見られない。物理法則を無視した現象に、状況を確かめることはできても頭の理解が追い付かない。

 ただ、彼を包み込む金色に輝く《力》が、それを為していることだけは確かであった。

 

「これは……」

「な、なにが……?」

 

 見れば、アンゼリカとジョルジュも同じように《力》に包まれて浮かんでいた。その当惑を隠せない表情を馬鹿にすることはできない。なにせ、クロウ自身も混乱している真っ最中なのだから。

 《力》はそのままクロウたちを地表にまで浮かび上がらせると、そこで役目を終えたとばかりに消え失せた。残された三人は助かったことを喜ぶこともなく、地に腰を着けたまま只々呆気にとられた顔を晒すほかない。

 まるで現実味のない現象だった。まだ夢か幻覚と言われた方が納得いく。しかし、魔鷲に道連れにされかけた自分たちがこうして生きている以上、夢幻として片付けることはできなかった。

 

「トワ……!」

 

 そんな彼らを現実に引き戻したのは、妹分を呼ぶノイの叫びだった。反射的にその声のもとに視線を向けた三人は、そこで更なる驚愕に襲われることになる。

 白銀(・・)の髪が流れる背を向けた少女が、そこにいた。祈るように手を組んだその身に金色の燐光を纏い、目に見えて感じられる神聖なる気を放つ姿は、著名な宗教画の一つのようにクロウたちの目に映った。

 その神気が収まったかと思うと、同時に白銀の髪も時間が巻き戻るかのように栗色に変わっていく。三人がよく知る姿に戻った彼女は、祈るように組んでいた手を解いて地面につけると詰まっていた息を吐いた。

 

「っ、はあっ、はあっ……」

「あんな急に大きな力を使うなんて……! 無茶にも程があるの!!」

「大丈夫……私は、大丈夫だから」

 

 肩で息をするトワに大声をあげるノイには、ありありと心配の色が浮かんでいた。それに力なく答えるトワの横顔には珠のような汗が流れる。姉貴分の言う通り、相当の無茶をしたのだろう。

 

「……トワ?」

 

 そんな彼女にクロウは声をかける。無意識のうちに慎重な色を帯びていたそれに、トワは肩を揺らす。

 今なにが起きたのか。先ほどの姿は何だったのか。そして、その《力》は何なのか。

 問うべきことは幾つもあり、クロウ自身、混乱から立ち直っていないこともあって何から聞くべきか分からない。

 だが、その迷いはトワが振り返ったことにより空白に帰した。

 

「わ、私……」

 

 ああ、そういえば見たことなかったな、とクロウは奇妙な納得を感じていた。

 誰よりも優しくて、心に芯の通った強さを持つ少女。

 そんな彼女が恐怖(・・)する姿など、クロウたちの中の誰もが想像さえしていなかったのだ。

 

「おーい、あんた等! すげえ音がしたけど大丈夫かぁ!?」

 

 何を聞くべきか、どうするべきなのか。考える前にその機会は逸してしまった。唐突に響いた他人の声にノイは慌てて姿を隠す。声を辿れば、件の制御室と思われるところから年長の鉱員が顔を覗かせていた。

 そこでようやく気付く。自分たちはこの鉱山で為すべきことを為し遂げたのだと。

 まるで実感の湧かないその事実を飲み込めないまま事態は動いていく。鉱員全員の無事を確認したのも束の間、ノルティア領邦軍の部隊が到着し鉱山に巣食った魔獣を殲滅していく。そうこうする間に四人も慌ただしさに追われ――

 

 結局、トワに何かを聞くことも、言うこともできぬまま状況に流されていくのだった。

 


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