永久の軌跡   作:お倉坊主

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仕事(とスプラトゥーン2)が忙しくて投稿が遅くなってしまいました。閃Ⅲも勿論プレイしていますので今後も更新が安定しない予感。気長にお待ちいただけたら幸いです。


第30話 己の足で

「別の用件とやらは終わらせてきたのだろうな? ここから先はテストに専念してもらうぞ」

 

 ARCUSの調整が終わると言われていた目安、正午過ぎを狙って戻ったシュミット博士の研究室。期せずして得た息抜きの時間によってリフレッシュしたトワたちとは対照的に、昨日から変わりない気難しい博士の顔が出迎える。

 彼が研究以外に何か気を向けるものはあるのだろうか? ふとそんなことを思ったが、聞いたとしても絶対にまともな返答は期待できないに違いない。藪をつついて蛇を出したくないので疑問は胸の内に仕舞っておく。

 代わりと言っては何だが、別の質問を投げかける。聞いても怒られず、且つ、必要な質問を。

 

「それはもちろん大丈夫ですけど……えっと、テストというのは昨日のような模擬戦を?」

「そうなると色々と手間がかかるので、すぐというわけにはいかないのですが」

 

 昨日と同じく領邦軍に模擬戦の相手を頼むのであれば、あまりいい顔をすることはできない。昨日の時点で無理を通してお願いしたのだ。続けて今日も、というのであれば絶対に不可能とまでは言わないが相当に難しいと言わざるを得ない。

 かといってシュミット博士が譲歩するとも考えられないので、アンゼリカはかなりマイルドな表現でそのことを伝える。無理とは言っていないのが肝である。そんな彼女にしては珍しい配慮を博士は徒労に帰させる。

 

「その必要はない。昨日の模擬戦は詳細なデータを観測する必要があっただけのこと。今日のところはまず所感が得られればいい。魔獣程度で十分だろう」

 

 四人そろってこっそりと息を吐く。気遣いの意味がなかったことへの肩透かし半分、余計な苦労がなくなったことへの安堵半分。自分本位な博士に振り回されていることを嫌でも自覚してしまう。

 けれど、と気を取り直す。振り回されてはいても結果的には楽になったのだ。魔獣を相手にするのならば街道に行くだけで事は済む。再びログナー邸に赴いてこっそりと領邦軍に協力を仰ぐより遥かに気が軽い。そう前向きに考え直すことで、トワは疲労感を誤魔化すと博士に向き直った。

 

「分かりました。何か指定とかはありますか?」

「貴様たちの好きにして構わん。だが、いい加減な報告は認めんぞ。あとの予定も押している。手早く済ませてくるように」

 

 その二律背反の要求こそが最も難しいのではないか。そんな思いをぐっと飲みこんで頷き返す。言っても何も変わらないのは目に見えていたからである。

 

「では、早速――」

 

 だから手早く行動に移ろうとして、そこでトワたちは動きを止めざるを得なくなる。

 突如、街から音が響き渡った。耳に響く、大音量のそれ。街中に聞こえるように流されるサイレンの音がシュミット博士の研究室にまで轟いてきていた。

 何か危急の事態が起きているのか。表情を険しくしたトワが地元であるアンゼリカとジョルジュを見る。

 

「街道門に備え付けられた緊急用の警笛だ。滅多なことでは鳴らないはずだが……」

「ぼ、僕もメンテナンスの確認時にしか聞いたことがないよ。いったい何があったんだろう?」

 

 何の音かは分かったが、どうして鳴っているかは二人にも見当がつかないようだった。嫌な予感が胸の中で膨らむのを感じる。実習の後半になって厄介ごとが起きるのは最早ジンクスになってきている感じさえあった。

 自分たちはどう行動するべきか。緊急事態を知らせるサイレンを耳にしながら考えていると、そこに舌打ちの音が混じる。その源を辿れば、あからさまに不機嫌な表情をしたシュミット博士の顔があった。

 

「耳障りな……貴様ら、さっさとあれを止めてこい」

「えっ」

「こう騒がしくては研究に差し障ると言っている。テストのついでにあの喧しい警笛もどうにかしてくるがいい」

「んな無茶苦茶な……」

 

 緊急用のものが鳴っているということは何かしら街に危険が迫っているのだろう。そんな状況下においても、自身の研究を第一に置くシュミット博士の変わらない姿勢には清々しささえ覚える。それに巻き込まれる側としては堪ったものではないが。

 

「止める云々はともかく、ここで手をこまねいていても仕方がない。まずは様子を見に行くとしようじゃないか」

 

 どうするか決めかねるトワに、どこか落ち着かない様子のアンゼリカが進言する。首を縦に振れば今にも飛び出していきそうな彼女の意見をトワは落ち着いて吟味した。

 確かに、ここにいても状況は良くならないだろう。何が起きているかわからないし、何より加速度的に不機嫌になっていくシュミット博士と同じ空間にいるのは精神衛生的によろしくない。まずは状況を確認しに出向くことについては賛成できる。

 だが、状況が確認できたところで何ができるかは分からない。自分たちはあくまで学生、不用意な行動は褒められたものではない。その意味で普段より前のめりに感じるアンゼリカの様子には少し不安が残った。

 

「……うん、とりあえず様子は見に行こう。でも勝手なことはしちゃダメだよ。領邦軍にも面子とかがあるだろうし」

「帝都の件でそれは今更って感じもするがなぁ」

「あれは他にできる人がいなかったから仕方ないの」

 

 クロウの茶々に屁理屈染みた言い訳を返す。帝都に放たれた魔獣の退治まではともかく、地下水路への突入はクレア大尉に苦言を呈された通り独断専行の気は否めない。けれど、そこまで回す他の手がなかったことも事実である。

 今回の件に関しては、まだ自分たちの手まで必要な事態かは分からない。精強のノルティア領邦軍なら助力など必要ない可能性の方が高いだろう。

 だが、どうしてだろうか。トワは否応もなく事態の渦中に飲み込まれる予感がしてならなかった。

 

「博士は念のためここで待っていてください。僕たちが戻って来た時にいないと困りますし」

「ふん、もとより出歩くつもりはない。さっさと片付けてこい」

 

 ジョルジュの一応は師の身を案じての言葉に当人は素っ気ない。それに肩を竦め、トワたちは研究室を辞して街へ急ぐ。サイレンの音が彼女たちを追い立てるように響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 ルーレの街中に飛び出してまず感じたのは、市民の動揺からくるざわめきだった。常ならぬことに不安は蔓延しているが、パニックにまでは陥っていない。どうやら市内に直接的な害が生じる問題が起こっているわけではなさそうだ。

 となると、怪しいのはサイレンの出処である街道門。帝都へ繋がる黒竜関方面か、それともザクセン鉄鉱山に繋がる山道方面か。どちらに向かうか考えていると耳元で囁かれる。

 

『上から見た感じ、山道方面が騒がしそうなの。たぶんそっちだと思う』

 

 気を利かせたノイが上空から見た様子から当たりを付けてくれた。ありがと、と小さく礼を言ってトワは皆を先導するように走り出す。エスカレーターをすっ飛ばすように駆け下りて騒動の根源たる山道へ。街道門から急いで遠ざかっていく市民の流れに逆らい、たどり着いたそこでトワたちは目を見開いた。

 街道門を守るように立ち塞がる領邦軍の背中。その先で相争う魔獣の群れに、トワたちは警報の原因を理解する。

 

「おいおい、最近の魔獣は発情期かなんかなのか? ゆく先々でこんなことばっかじゃねえか……」

「さてね。そこら辺の実態は置いておくとして――君、状況はどうなんだい!」

 

 前回、前々回の実習に続いて、またもや魔獣騒動に巻き込まれることになって辟易とした様子を隠さないクロウ。アンゼリカも内心では同じ心持ちのようだ。苦い表情を浮かべるや、すぐさま後詰めの兵に状況を確認せんとする。

 

「こ、これは姫様! こちらは魔獣が押し寄せて危険ですので……」

「見れば分かる! どこからこんな大群が来たのかと聞いているんだ!」

 

 突如として現れた令嬢の姿に慌てる兵士にピシャリと言い返す。反射的に背筋を伸ばした彼は従順であった。

 

「はっ! 守衛の報告によりますと、鉄鉱山方面から何の前触れもなく現れたとのこと。現在、即応部隊が防衛中。装甲車含む増援部隊が到着次第、殲滅に移ることとなっております!」

 

 兵士の報告にトワたちは自然と眉をしかめる。何の前触れもなく突如として現れる大量の魔獣。先月の帝都における魔獣騒動と符合するものを感じてしまうのは当然だった。あの時の首謀者は結局、手掛かりさえつかめていない。もしや今回も――という考えが頭をよぎる。

 しかし、現在の街道門の状況を改めて見るに、被害の拡大という点についてはあまり心配する必要はないように思えた。領邦軍は防戦を心掛けて戦線の維持に努めており、大火力の増援が来るまでの時間稼ぎに徹する堅実な戦いを見せている。さすがは精強なノルティア領邦軍というべきか、数で攻めかかる魔獣相手にも崩れる様子はない。

 

「アンちゃん、ここは領邦軍の人たちに任せよう。下手に手を出すわけにもいかないし」

 

 安定した戦況にトワたちが首を突っ込んでも、かえって戦列を混乱させてしまうだろう。装甲車が到着したときに魔獣のど真ん中にいては機銃を向けるのも遅らせてしまう。客観的に考えて、ここでトワたちが動く必要はなかった。

 アンゼリカも「むう」と肩透かしを食らったように唸りながら前のめりな姿勢を解く。令嬢自ら防衛にあたるつもりだったのか、理由に納得はしても少し不満げな表情であった。

 

「些か口惜しいが、仕方ないね。お手並み拝見させてもらうよ」

「はっ、お任せください」

 

 やけにやる気に満ち溢れているアンゼリカだが、考え無しに突っ込むような愚行はしない。渋々といった様子で肩を竦め、この場を託する兵より敬礼を受ける。

 幸いにして、今回は小規模な騒動で収まりそうだ。まだ事態は動いているさなかとはいえ、解決の見通しは立っていることからトワは胸をなでおろす。緊張で体に張っていた力も抜けていった。

 そんな風に気を抜いてしまったのがいけなかったのか。耳を叩いた異音にトワは空を見上げた。

 

「何か来る! 気を付けて、皆!」

「何かって――って、おいおい!?」

「で、デカい!」

 

 それは、巨大な翼であった。

 山峰の陰より姿を現した猛禽の特徴を有する鳥型魔獣。言うなれば、魔鷲とでも呼ぶべきそれは双翼を羽ばたき悠然と空を舞う。はるか上空を舞う相手を押しとどめる手段をトワたちは持ち合わせていない。自分たちに影を落としながら、ルーレ市内に悠々と侵入した魔鷲を彼女たちは見送るしかなかった。

 あの方向からして、おそらく行き先はルーレ空港。トワたちや領邦軍の顔に焦燥が浮かぶ。

 

「馬鹿な……あのような魔獣が山道にいるはずがない!」

「そんなことを言っている場合か! あちらの迎撃に避ける戦力はないのか!?」

 

 アンゼリカの詰問に兵士は苦渋の面持ちとなる。街道門の戦局は安定しているとはいえ、戦力に余裕があるとは言えなかった。魔獣の大群の侵攻を防ぐにはこちらも数をそろえなければならず、討ち漏らしや負傷者が出た場合に備えて後詰めから戦力を割くのも不安が残る。

 言葉にせずとも、無言のうちにアンゼリカはそれを理解した。そして彼女と行動する者たちも、同じく理解するとともに勇猛な令嬢である友人の考えを察する。こうとなってしまっては止める理由はなかった。

 

「くっそ! 疫病神でも憑いているのかよ!?」

「アン、先に行っているよ!」

 

 だから口にされなくても先に行動に移る。毎度の騒動に文句を叩きつつも全速力で走りだす男子たち。その背中をやや驚いたように見つめるアンゼリカに、トワは手を差し伸べる。

 

「行こう、アンちゃん!」

「――恩に着る!」

 

 余計な言葉はいらない。それだけの絆を彼女たちは既に培っていた。

 街道門より取って返し、ルーレ空港に急行するアンゼリカたちの背中に「ご武運を!」という兵士の声が響いた。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「な、なんだって言うのよ、一体……!」

 

 その光景を前にして、アリサ・ラインフォルトは思わず悪態をついていた。

 ルーレ空港は阿鼻叫喚の様相を呈していた。突如として市内に響いた警報、そして空港に襲い掛かってきた巨大な鳥型魔獣。停泊していた飛行船に降り立ち、翼を広げて威嚇の声をあげる魔鷲に群衆はあっという間に混乱に陥った。

 

 気分転換に、と特に目的もなく歩いていたところに居合わせたアリサは歯噛みする。せめて弓を持っていれば注意を引くことくらいはできたのに、と。しかし、今の彼女は丸腰。他の人たちと一緒に一刻も早くこの場から離れることが先決であった。

 だから空港の出口に向けて駆けだそうとした。だが、その足取りは数歩いったところで止まってしまう。

 

「うっ……ぐすっ……」

 

 転んだまま、涙を浮かべて動けなくなっている男児を見つけてしまったから。

 

「――ああ、もうっ!!」

 

 踵を返す。魔鷲に近づくことになってしまうのにも構わず、まっすぐに男児の元へ。駆け寄ってきたアリサに男児は驚いたような表情を浮かべる。

 

「お、お姉ちゃん……?」

「大丈夫!? 怪我はしていない!?」

「ぐすっ……走っていたら転んじゃって、ママともはぐれて……」

 

 逃げ惑う群衆に巻き込まれて転倒してしまったのだろう。母親も流れに逆らえずに子どもを取り残していくことになってしまったようだ。見れば、かなり派手に膝を擦りむいてしまっている。幼い子にこれは痛かろう。不安と痛みで動けなくなってしまうのも仕方がなかった。

 かといって、ここでグズグズしているわけにもいかない。男児を少しでも安心させようとアリサは無理やり笑顔を浮かべて励まそうとする。

 

「大丈夫よ。私がママのところにちゃんと連れて行ってあげるから。ほら、お姉ちゃんの背中につかまって」

「うん……あっ」

 

 涙をぬぐった男児は、そこで動きを止めてしまった。目が行く先はアリサの肩の向こう。振り向いてその行方を追ったアリサは、彼と同じくしてその身を固めてしまう。

 魔鷲がこちらを見ていた。周囲を威嚇するのを打ちとめ、逃げ遅れた矮小な存在を真っ赤な双眸で睨み据えていた。

 

(やばっ……!)

 

 魔鷲の胸が膨らむ。嘴の隙間から漏れ出る火炎。生命の危機を直感したアリサは、しかし保身のために動かなかった。

 彼女が咄嗟に取った行動は、男児をかき抱いて少しでも襲い来る炎から守ろうとすること。それは意識してのものではなく反射的なものだった。魔鷲の口腔より炎が放たれる。背中を焼く熱が迫るのを知覚し、アリサは固く目を閉ざす。

 だが、それよりも前に覚えのある声が耳に届いた。

 

「よく頑張った、アリサ君。後は任せたまえ」

 

 え、と戸惑いの声が口からこぼれる。それが音となって自身の耳に届く前に、凄まじい突風がそれをかき消した。激しく吹きすさぶ風が止む。熱はもう感じなかった。おそるおそる目を開き、アリサは目の前に立つ背中に驚きを露にした。

 白い制服、紫紺の髪。麗美な印象を与え人を虜にするその人は、拳を振り抜く形で魔鷲と相対していた。

 

「あ、アンゼリカさん!?」

「久しぶりだね。その様子だと元気そうだ。間に合ってよかったよ」

 

 拳を解いてひらひらとさせながら肩越しにアンゼリカが笑いかける。そこでアリサは気付く。今まさに迫っていたはずの火炎を彼女がどうやって防いだのか。単純な話だ。この型破りな知人は拳圧をもって炎を吹き飛ばしてみせたのである。

 

(あ、相変わらず滅茶苦茶な……)

 

 名門中の名門の貴族子女であるはずなのに、なぜか格闘術に精通していたり家出騒動を繰り返したりするアンゼリカ。そんな彼女と家の関係でそれなりに付き合いのあるアリサは、その変わらなさに驚き呆れてしまう。そのおかげで助かったことも間違いないのだが。

 とはいえ、状況はいまだ危険なことに変わりはない。ひとまず立ち上がろうとし、目をあげた先で映った光景に悲鳴を上げる。

 

「アンゼリカさん、危ない!」

 

 火炎が効かなかったことを認めた魔鷲が次の手を打った。その巨大な翼を無造作に振るい、飛行船に積まれていたコンテナが散り散りに飛散した。迫りくる鉄塊を炎と同じように拳一つでどうにかできるとは思えない。

 だが、アンゼリカは動かなかった。冷や汗の一つさえ浮かべず、変わらず笑みをたたえている。それがなぜなのか分からず焦りを募らせるアリサの視界に、大柄な青年の背中が割って入ってきた。

 

「どっせええええいっ!!」

 

 裂帛の気合と共に振るわれた青年の鉄槌とコンテナが衝突する。耳を貫くような轟音を立ててコンテナが吹き飛び、空港の一角に土煙をあげて突っ込んでいった。再び窮地をしのいだ安心感に浸る余裕もなく、アリサは男児と同じくしてやけに機械的な鉄槌を担ぐ大きな背中を眺めることしかできない。

 

「ちょっとアン、少しは避ける動きを見せてくれないかい? こっちは冷や冷やもんだよ……」

「なぁに、君が間に合うと分かっていたからね。なら避ける必要もないだろう?」

「信頼は嬉しいけどねぇ」

 

 飄々と宣うアンゼリカ、苦みが混じった笑みを浮かべる青年。そのやり取りにアリサは少なからず驚いた。アンゼリカはもともと貴族という壁を感じさせない気さくな人柄ではあるが、これは違うと感じる。もっと親密な、背中を預けあう者たちの間柄だ。

 アンゼリカは帝都近郊の士官学院に進学したと聞いている。そこで友誼を結んだ相手なのだろうが――アリサはそのことに、羨望に似た感情を抱いていた。

 

「そこの子は知り合いかい? 早く逃がした方がいい。今ならトワとクロウが引き付けてくれているからね」

 

 言われ、アリサは聞こえてきた銃声にはっと魔鷲の方を見上げた。襲い来る銃弾を鬱陶しそうに払う魔鷲の足元から、小さな影が駆け上がり刃を振るう。身の危険を感じた魔鷲が暴れまわれば、飛行船の上を縦横無尽に跳び回って撹乱する。魔鷲の意識は完全にアリサたちから逸らされていた。

 おそらく、あそこで戦っているのもアンゼリカの仲間なのだろう。あれほど頼れる仲間がアンゼリカにはできたのかと再度の驚きを覚える。そしてやはり、そのことがたまらなく羨ましかった。

 

「と、いうわけだ。アリサ君、こちらは任せてくれたまえ。君にはその子を母親のところに送り届けるという大切な仕事があるのだからね」

「~~っ! ああもう、分からないことだらけだけど分かりました! 今度ちゃんと説明してくださいよ!」

 

 今も腕の中で震える男児のことを持ち出されては敵わない。色々と聞きたいことはあったが、それを胸の内にしまい込んで、男児を背負って走り出す。普通ならあの場に残ったアンゼリカの心配をするところだろう。しかし、仲間とともにいる彼女なら大丈夫だろうという漠然とした予感があった。

 

 そう、仲間だ。アンゼリカはルーレを飛び出していった先で信頼する仲間を得ていた。

 それに比べて自分はどうだろう。仕事に目を向けない母に鬱憤を募らせ、結局は母に味方する姉貴分に不満を抱き、かといって文句を垂れるばかりで何もできないでいる自分がいる。

 アンゼリカはルーレにいた頃と変わっているように見えた。彼女も以前は家への不満を募らせていたが、無軌道な反抗に終始しているように思えた。だが、きっと今は違うのだろう。今の彼女の眼には、以前にはない明確な意思の光があった。

 仲間を得た、変われたアンゼリカがどうしようもなく羨ましかった。

 

「私も――」

「お姉ちゃん?」

「……ううん、なんでもない。さ、早くお母さんを探しましょう」

 

 自分も変われるだろうか。ここから飛び出して、母の手の内から外に行く勇気を持てば。

 胸に湧いた願望を今はしまい込む。まずはこの子を無事に親許へ連れて行かなければ。家族がバラバラになる辛さは身をもって知っている。だからこそアリサは懸命に駆けていった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 放たれた火炎をトワは的を絞らせない小刻みな動きでしのいでいた。飛行船上のコンテナ群を跳んで回り、船首の鉄柵に辿り着くや赤熱し溶解するそれを尻目に切り返す。ちょこまかと目障りな外敵に業を煮やしたか。艦橋に陣取っていた魔鷲が再び飛翔する。

 思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。あのまま動かないでいてくれたら楽なものを、空に場を移されては反撃の糸口は細くなってしまう。自分では《神風》で斬撃を飛ばすくらいしかできない。ここが街中でなければ、ノイに四季魔法で応戦してもらうところなのだが。

 頭上より降り注ぐ火炎にトワは思考を中断する。飛ばれてしまった以上、飛行船の上に留まる意味はない。彼女は鉄柵が燃え溶けた船首から飛び降り、援護射撃をしていたクロウと合流する。

 

「ね、あれ届きそう?」

「無理だな。ありゃライフルとか機関銃の射程だぜ。おまけに図体のわりに機敏ときてやがる」

 

 ぼやくように問いに答えるクロウ。うんざりとした目で空舞う魔鷲をにらみつけるが、相手はそう都合よく降りてきてくれそうになかった。

 さて、どうしたものか。

 油断なく魔鷲を、見据えながら頭を回転させるトワ。攻撃が届かないなら、まずはなんとかして空から引きずり落とすしかない。その手段をどうするかというと、やはりノイに頼らざるを得なくなってしまうが――

 考えを巡らせるうちにアンゼリカとジョルジュが駆け寄ってくる。逃げ遅れた市民の救助は問題なく済んだのだろうか。

 

「こちらは万事つつがなく、だ。さあ、あとは偉そうに空に陣取る奴を何とかしようじゃないか」

 

 目線でトワの聞きたいことを察したアンゼリカは歌うように答える。状況に反して軽い言葉に、クロウが「つってもなぁ」と応じる。

 

「射程範囲外じゃどうしようもねえ。どうにか叩き落す手がいるぜ」

「あの高度に届く攻撃というと……」

 

 三人の目線がトワに、さらに言うなれば、彼女の傍にいるだろうノイに向けられる。

 導力魔法では上空からの火炎で駆動を阻害されかねず、確実性に欠ける。対してノイならば、空も飛べれば透明化の四季魔法で魔鷲にも察知されていない。不意の一撃を叩き込むにはうってつけの人材だ。

 トワは周囲に視線を巡らせる。先ほどアンゼリカとジョルジュが避難させたのが最後の市民のようだ。他に人気は感じられない。多少、摩訶不思議なことが起こっても問題ないだろう。

 

「ノイ、お願いできる?」

『任せるの!』

「そうこなくてはね。では――っと!」

 

 上空からの熱気にトワたちは散開する。甲高く鳴きながら炎の雨を降らす魔鷲を注視しながら、ばらばらに駆ける仲間たちにトワは声を張り上げる。

 

「ノイの一撃の後が最大のチャンスだよ! 戦術リンクで一気に畳みかけて!」

 

 応、という三人からの返答を聞き届け、まずは炎を避けるのに集中する。ノイの気配は既に隣にはない。空に舞い上がった妖精は炎を避けて大回りに魔鷲へと近づいて行っているのだろう。

 言った通り、ノイが魔鷲を叩き落した後がチャンスだ。だが、同時に仕留める機会はその一回限りしか望めないということでもある。ひとたびノイに気付かれてしまえば、再び魔鷲を地に下すのは困難になる。この機を逃せば被害の拡大は免れない。

 だからこそ万全を期する。万が一にもノイに気付かれぬよう、無駄と知りつつも剣閃を放ち魔鷲の注意を引く。即座に反撃に打って出られるよう、仲間の状況に気を配ることを怠らない。

 

 そして、そのときは訪れる。魔鷲の頭上を取ったノイが姿を現し、掲げた手の先に金色の歯車が現出する。

 

「これでも――食らうの!」

 

 振り落とされた質量の暴力が魔鷲の頭蓋を襲う。強かに脳を揺さぶられて意識を混濁させた魔鷲は、身動ぎさえできずに墜落する。巨体が地に堕ち地響きが足元を揺さぶる。身を屈めてそれを凌ぎ、訪れた最大のチャンスにトワは号令を下す。

 

「みんな、今だよ!」

 

 待ち望んでいた好機。トワたちの動きに淀みはなかった。墜落した魔鷲に集中攻撃を仕掛け、戦術リンクの連携をもってして反撃を許さずに撃滅する。今までの試験実習を経て絆を深めた自分たちにならできるという自信があった。

 ――そう、本来ならば、出来るはずだったのだ。

 

「ぐっ……!?」

「な……んだ、こりゃ!?」

 

 戦術リンクを結んだ瞬間、それは起こった。

 普段ならば仲間との繋がりを通じて意識が拡張されるような感覚が、今回は違った。まるで無理やり型に押し込められたような感覚。繋がりは感じるが、有無を言わさず強引に繋ぎ止められたような窮屈さと不快感。十全さとは程遠いそれに、トワたちの足は小石に躓いたかのように勢いを削がれる。

 その隙は最低限のものに留められた。だが、それでも千載一遇の好機を前にして相手にわずかでも時間を与えてしまったのは致命的な失態であった。

 

「駄目! みんな離れるの!」

 

 手傷を与えることはできた。手傷を与えることしかできなかった。決定的な一撃を見舞う前に魔鷲は体勢を立て直し、双翼を振り回して鬱陶しい外敵を振り払う。再び上空に舞い上がられてしまい、四人は一様に歯噛みした。

 考え得る限り最悪の展開だ。まさか、こんな形で戦術リンクの調整が仇になるなんて。

 

「……何なんだい、今のは? シュミット博士の言う調整とは改悪のことだったのかい?」

「いや、まさか……そうか、そういうことか!」

「おい、一人で納得してねえで――うおっ!?」

 

 怒気の混じったアンゼリカの問いに、ジョルジュは戸惑いの後にハッとして声をあげる。何かに気付いたのか。それを聞き出す前に状況は更に悪化した。

 不意を突かれ、手傷を負った魔鷲が怒りに嘶く。四方八方に炎をまき散らし、空港を火の海にせんとばかりに猛り狂う。吹き荒れる熱波を前にしてトワたちは近寄ることさえままならない。

 

『こんなんじゃ近寄れないの! このままじゃ……!』

 

 再度の接敵を試みるノイも、その暴れように音を上げる。ここで打倒することはもはや不可能だ。

 空港に回っていく火の手。市街とは隔てられた空間であることが幸いして燃え広がる可能性は低そうだが、不味い状況であることに変わりはない。飛行船の導力機関が熱暴走して爆発なんてしたら洒落にならないことになる。

 どうにかしなければ。されど成す術がない。

 ひときわ大きく膨らむ胸郭、漏れ出す火炎に空は陽炎に歪む。万事休すか。そう冷や汗を流した時だった。

 

撃てぇっ(Feuer)!!」

 

 腹の底に響く重音が空を震わせた。閃く火線。装甲車の機銃から放たれた銃弾の嵐が魔鷲に襲い掛かった。

 自らを脅かす危険に対する魔鷲の動きは迅速なものだった。怒りに駆られて暴れていたのを忘れたかのように、破壊の手を止めるや身を翻して銃弾に空を切らせる。不利を悟ったのだろう。そのまま上空に羽ばたいてルーレから離脱していった。

 

「あの方向……やっぱりザクセン鉄鉱山から?」

「だろうね。それはともかく――」

 

 魔鷲が飛び去った先を推察し、表情を曇らせるトワ。言葉は軽くとも、それに厳しい面持ちで応じたアンゼリカは、装甲車から駆け寄ってくる人物に向き直る。街道門で防衛にあたっていた兵士の一人だった。

 

「姫様、ご無事ですか!?」

「見ての通り、五体満足だとも。手こずりはしていたけどね。来てくれて助かったよ」

 

 大急ぎで駆けつけてきたのか荒い息で安否を確かめてくる兵士は、そこでようやく胸をなでおろした。侯爵令嬢に大型魔獣を相手取らせていたのだ。これが普通の反応である。へっちゃらな顔をしている本人がおかしいだけだ。

 辛うじてとはいえ、魔鷲は無事に追い払えた。しかし、それに安堵している暇はない。表情を引き締めたアンゼリカが兵士に指示を飛ばす。

 

「何はともあれ、まずは空港の消火だ。そちらは頼めるかい?」

「それは勿論ですが……姫様は?」

 

 魔鷲が去ったとはいえ、今なお燃え続ける炎を消し止めるのは当然の急務。そのことに疑問を挟む余地はないが、兵士は首を傾げた。アンゼリカの言いようが、自分には別にやるべきことがあるように聞こえたからだ。

 

「私はこのままザクセン鉄鉱山に向かう。親方たちの無事を確かめないといけないからね」

 

 その言葉に兵士は瞠目し、反してトワたちは肩を竦めるに留まった。なんとなく、そんな気がしていたからだ。

 

「ま、そうなるわな。大挙して押し寄せてきた魔獣の出処だ。何事もないわけがねえ」

「鉱山でも魔獣対策はしているだろうけど、あの大群だとどこまで効果があるか……早急な救援が必要なことは間違いないよ」

「私たちだけで、あの大型も含めた魔獣を鎮圧できるとは思わないけど、それでも偵察と鉱員の安全確保はできると思う。だよね、アンちゃん?」

 

 我が意を得たり、とアンゼリカは満足げに頷く。トワたちの言葉は彼女の考えている通りだったようだ。

 魔獣がやってきたと思しきザクセン鉄鉱山――より正確に言うならば、その奥のアイゼンガルド連峰だろうが――には、いまだ多くの鉱山作業員がいるはずだ。ルーレにまで雪崩れ込んできた魔獣が、彼らを見過ごしてきていると考えるのは楽観にすぎる。鉱山内は危険に晒されたままに違いない。

 かつてアンゼリカは家出の挙句に鉱山でバイトしていたという。当然、鉱員とも親しい関係を築いていたのだろう。そんな彼女が、彼らの危機を見過ごすはずがない――トワたちの推察はこれ以上ないほどに的を射ていた。

 

「昨晩はボリス子爵としこたま飲んでいたらしいからね。どうせ酒が残っていて立て籠もるくらいしかできていないだろう。悪いけど、もう少し付き合ってもらえるかい?」

 

 その問いに対して否やはなかった。お安い御用である。

 揃って首を突っ込む気満々な様子にポカンとする兵士。そんな彼にアンゼリカは不敵な笑みを向ける。

 

「と、いうわけだ。悪いが止めてもだからね」

「いえ、それは……小官としては、そのようなつもりはないのですが……」

 

 兵士の眼が右往左往する。立場上、止めなくてはならないことに思い悩んでいる――にしては、やけに緊張気味だ。言っては悪いが、アンゼリカがこのような勝手をいうのは初めてではないだろうに。

 まるで、何かと板挟みになっているような。

 トワがそう思い浮かべたとき、兵士はちらと後ろに視線をやって言葉を紡いだ。

 

「その……侯爵閣下がなんと仰るか……」

「なに?」

 

 彼女の眉が吊り上る。トワたちの耳朶を怒声が叩いたのは、その直後であった。

 

「アンゼリカァッ!!」

 

 つんざく怒号にトワは思わず肩を跳ねさせた。クロウとジョルジュも突然のことに目を白黒とさせる。ただ、その名を呼ばれたアンゼリカだけが、渋面を浮かべて近づいてくる男性に険しい視線を向けていた。

 その姿は(いわお)を連想させた。恵まれた体格、緩みなど一切残さないとばかりに鍛え上げられた肉体、そして短い黒髪を後ろに撫で付け髭を蓄えた厳格さを体現したかのような顔。ログナー侯爵家当主にしてアンゼリカの父親、ゲルハルト・ログナーその人は厳然とした空気を纏って目の前に立ち塞がった。

 

「これは父上。そんな大声を上げてどうかしましたか?」

「戯けたことを。目が離れたのをいいことに、好き勝手しておる放蕩娘に釘を刺しに来たまで」

 

 隠そうともしない皮肉の色に対して、ログナー候は至って平静に返した。しかし、それは言葉の上だけのこと。実際は青筋を浮かべて鬼の角でも生えてくるのではないかと思わせる形相に、アンゼリカの後ろに控えるトワたちは戦々恐々である。

 一方で、アンゼリカも父の言葉に眉をひそめた。放蕩娘であることを否定する気は更々ないが、今回の件に関して咎められる謂われはなかったからだ。

 

「おかしなことを言うのですね。魔獣に襲われた領民を救うことが悪だとでも?」

 

 より一層増していく険悪さ。だが、こればかりはトワも彼女の気持ちを理解できた。

 普段の行いはどうあれ、今回は逃げ遅れた市民のために体を張って魔獣に立ち向かったのだ。あの場で最も早く動けるのは自分たちだった。領邦軍の増援を待っていたら重傷者も出ていたかもしれない。アンゼリカは取り得る限り最善の選択をした。そう信じているし、それはトワも同意するところだ。

 それさえも否定するというのなら、アンゼリカにとってログナー候は到底許容できない相手になるだろう。今でさえ親子仲は劣悪の一言。これ以上は修復のしようもない関係になってしまうのではないかという予感があった。

 

「……ふん、それについては百歩譲って認めよう」

 

 ところが、ログナー候の反応は予想を裏切るものだった。

 怪訝そうに眉をひそめるアンゼリカ。違うというのならば、何のためにこの場に姿を現したというのか。

 その答えは「だが」と彼が続けた先に紡がれた。

 

「領邦軍の兵を勝手に動かしたばかりか、私用に用いたのを悪ではないとは言わせんぞ」

「げっ、ばれてやがる」

 

 思わず、といった感じで声を漏らしたクロウの横腹をジョルジュが小突いた。アンゼリカは渋面を浮かべるが、立て板に水とばかりに口をついていた皮肉は飛び出してこない。その件に関してはこちらの分が悪かった。

 トワは周囲に目を走らせる。既に領邦軍は消火に回っている。その中で、ログナー候の後ろに控える一群に見覚えのある顔を見つけた。

 侯爵と同じくらい厳めしい隊長と思しき人の隣に立つ、つい先日テストに付き合ってもらった副隊長。修正でも受けたのか。頬を腫らした彼はトワの視線に気づくと、ぎこちない口の動きだけで伝えてきた。

 

 めんご。

 

 どうやら心配する必要はないらしい。ふい、と目を逸らしてアンゼリカとログナー候のやり取りに目を戻す。

 

「へえ、よくご存じですね。そのような些事に気を止める暇があるとは思っていませんでした」

「ハイデルが告げ口してきおったぞ。貴様が兵を連れて行くのをRFビルから見たとな」

「チッ、あの窓際役員が」

「弟が姑息な男であることは否定せんが、それで貴様の行いが帳消しにはならんぞ」

 

 否定しないんだ、とアンゼリカ以外の三人は胸の内で呟く。ログナー候の弟――つまりアンゼリカの叔父に対する両者の評価は揃ってストップ安のようだ。険悪な仲なのに、そんなところだけ息が合うのが何とも言えない。

 背中に呆れ混じりの視線が刺さっていることなど素知らぬように、アンゼリカは一つ息を吐くと開き直った。

 

「いいでしょう。その件については素直に非を認めます。ですが、今は一刻を争う事態。このようなところで言い争っている場合ではないのでは?」

 

 正論と言えば正論だった。徐々に鎮火に向かっているとはいえ、いまだ火災の憂き目にあっている空港。そして、あの魔鷲もいまだ健在であり、鉱山が危険にさらされている可能性が高いとあってはのんびりしている暇はあるまい。手遅れになる前にすぐ動き始めるべきだろう。

 だというのに、ログナー候はそこから頑として動こうとしない。眉間に深い皺を刻み、娘を睨みつける双眸に宿る眼光は些かも揺るがない。

 

「ああ、そうだろう……だが、それに貴様が動く必要はない」

「なんですって?」

「勝手すぎるのだ、貴様は。そのような輩にどうして領民の安全を任せられよう」

 

 それは、領邦という巨大な共同体を統括するものとしての答えだった。領邦軍のみならず、ノルティア州の治安と秩序を預かるログナー侯爵家当主として、アンゼリカが動くことを認めることはできない。彼の判断は、つまるところそういうことだった。

 

「ザクセン鉄鉱山には領邦軍の部隊を編成次第、魔獣の掃討に向かわせる。先ほどの大型魔獣のことを踏まえれば、慎重を期するに越したことはあるまい」

「何を悠長なことを! 鉱山労働者を見捨てるというのですか!?」

 

 アンゼリカの反駁は「くどい!」という一喝で切って捨てられた。

 

「貴様が動いたところでどうなる。徒に魔獣を刺激し、再び街への侵入を招く可能性もあるのだぞ!」

「くっ……」

 

 旗色はアンゼリカの劣勢になりつつあった。無理もない。普通に考えれば、道理はログナー候の方にあった。自分たちはしょせん学生で、組織に属さない部外者。秩序と規範の中で動こうとするログナー候にとっては目障りな存在でしかない。

 周囲の領邦軍の一部からは気がかりそうな目が向けられる。しかし、彼らが何かを口にすることはない。口にすることはできない。その心中がいかようなものであっても、軍人である以上は上官、ひいては統率者たるログナー候の意に反するわけにはいかないのだから。

 

「お待ちください、侯爵閣下」

 

 ゆえに助けの手は、隣に立つ仲間こそが差し伸ばさなければ。

 後ろのジョルジュが「ちょ、ちょっと……」と慌てるのに目もくれず、トワは真っ直ぐにログナー候と向き合った。

 

「そなたは――」

「お初にお目にかかります。トールズ士官学院一年Ⅳ組、トワ・ハーシェルと申します」

「……《星伐》の姪御か。平民ながら学年の首席と聞き及んでいる。大したものだ」

 

 感情の薄い称賛にこちらも淡々と「恐縮です」と応じる。ログナー候の表情は変わらず険しいものであり、しかも誰かの姪御と呟いた時には苦み走った様子でもあった。あまり良い印象ではなかろう。

 

「放蕩娘の級友が何用だ。下らんことには取り合わんぞ」

 

 冗長な文句はこの際必要ないし、求められてもいないだろう。単刀直入にトワは申し立てた。

 

「恐れながら、領邦軍を編成したうえで鉄鉱山に赴いても大型魔獣の討伐は困難でしょう」

 

 アンゼリカたちと聞いていた領邦軍がぎょっと目を見開き、ログナー候はかっと頭に血をのぼらせた。予想していた通りにログナー候は大口を開けて怒鳴り声をあげる。

 

「何を分かった風な口を! 士官学院の候補生風情が、軍の何たるを――!!」

「軍のことは知らずとも、魔獣のことは知っています!」

 

 その烈火のごとき怒りをものともせず、トワは自身の言葉を叩き付ける。思わぬ反論にログナー候は虚を突かれて口を開いたまま固まった。

 

「例の大型魔獣は高い知能と学習能力を持っていると思われます。侯爵閣下は装甲車と重機関銃をもっての討伐をお考えでしょうが、相手も自身の天敵は承知しているはず。起伏が激しい山岳、あるいは鉱山内に入り込んでこちらの動きを制限してくるでしょう」

 

 あの魔鷲は一度受けた奇襲に対して即座に対応したのみならず、装甲車の機銃の危険性を察するや否や翼を翻していった。魔獣の中でも相当に賢い部類であることは疑いようがない。

 そんな相手が危険性の高い長射程、高火力兵器をむざむざと迎え入れるだろうか。装甲車では走破できない山岳部、重装備が適さない入り組んだ場に身を潜めると考えるのが妥当だ。魔鷲自身の飛行能力も制限されるが、あの手の狡猾な魔獣は身の安全を取るとトワは推察していた。

 固まっている間に言い切られてしまったログナー侯は苦虫を噛み潰したような面持ちだ。ところが、否定の言葉は飛び出してこなかった。考えていたことを言い当てられ、そしてトワの主張に少なからず納得してしまった部分があったからである。

 

「くっ……では、どうするというのだ! 大言壮語を吐いておいて策はないとは言うまいな!?」

「少数精鋭をもって大型魔獣を撃破。その後に鉱山内の掃討に移るのが上策と考えます」

 

 その返答にログナー候は今度こそ動きを止めた。トワは意に介さず言葉を続ける。

 

「少数の機動力で鉱山内の魔獣を突破して鉱員の安全を確保、大型魔獣を討伐すれば後は領邦軍の数をもって鉄鉱山を制圧できるでしょう。小回りの利かない大部隊をぶつけるより確実性は高いと考えますが、いかがですか?」

 

 ログナー候は衝撃を受けていた。かつて、これほどまで真っ向から自分に意見してくる平民がいただろうか。こんなにも強い意志を秘めた瞳を持った、いまだ学生の時分の少女がいただろうか。否である。斯様な少女は見たことがない。

 衝撃は怒りの炎を消し飛ばし、鎮火した脳裏はトワの言葉を冷静に受け止めるだけの余裕を取り戻していた。理論上では確かにその通りだろう。徒に兵が損失を被るのは望むところではない。

 だが、問題は誰がその少数精鋭の役目を負うかであった。

 

「……その先鋒、そなたらと蒙昧たる我が娘が担うというのか?」

 

 はい、とトワは迷うことなく頷いた。

 

「若輩ながら、それなりに修羅場は潜っている身。役目を果たすのに十分な実力は有していると自負しています」

 

 それに、と隣に視線を移す。呆然とことの推移を眺めていたアンゼリカと目が合った。

 

「アンちゃん――娘さんは、確かに自由奔放で貴族らしからぬ人ではありますけど、自らに恥じぬよう在ろうとする誇り高さと友と民を大切にする気持ちは本物です。決して侯爵閣下のご期待に反することはないかと」

「トワ……」

 

 それはトワの偽らざる本心だった。

 ARCUS導入試験班として共に過ごしてきた三か月。まだまだ短い付き合いではあるけれど、試験実習という濃密な時間を過ごす中でアンゼリカへの理解は深めてきたつもりだ。奔放さも、頑固さも、誇りも、友愛も、良いところも悪いところもひっくるめてこそのアンゼリカである。

 そんな彼女だからこそ、仲間としてその想いを支えたい。領民であり友でもある人々を救いたいという願いを無下にさせたくない。それは、彼女が彼女らしくあるために必要なことだから。

 そんな思いを秘めてログナー候を真っ直ぐに見据えるトワの横顔を、アンゼリカは呆気にとられた様子で見つめていた。その顔がやや赤く染まっていることにトワは気付かない。

 

(な、なんつう殺し文句……)

(はは……流石というかなんというか)

(ああもう、これだからあの子は……!)

 

 ついでに言うと、後ろの方で頬を引き攣らせていたり、呆れを通り越して感心していたり、はたまた頭を抱えている面々がいることにも気づいていない。これが天然なのだから始末に負えなかった。

 

「…………」

「っ、父上!」

 

 しばし瞑目していたログナー候が唐突に踵を返して背を向けた。娘の声に彼は振り返らない。ただ、背を向けたまま重々しく口を開いた。

 

「そこまで言うのならば、やってみせるがいい。制圧のための兵はこちらでまとめ次第向かわせよう」

「それは――」

「勘違いするでないぞ、アンゼリカ。貴様の行いを認めたわけでは断じてない」

 

 アンゼリカが何かを発する前にログナー候は釘をさすように言った。その言葉は相変わらず厳しいものであり、彼の中で根本的なことは何も変わっていないのだろう。

 けれど、気のせいだろうか。その声色に剣呑さはないような気がした。

 

「だが……やるというのならば、ログナーの名に恥じぬようにすることだ」

「……はっ、言われるまでもない。どうぞごゆるりとお待ちください。必ずや吉報を持ち帰りましょう」

「ふん、精々犬死にならないよう気を付けることだな――消火班以外は撤収! 掃討部隊の編成を急げ!」

 

 どうしてこの親子はこうも喧嘩腰でしか話せないのか。トワは内心でため息をつく。

 ログナー候の指示に「イエス、サー!」とすぐさま行動に移っていく領邦軍。そして彼自身もまた、振り返りもせずにさっさと空港から去っていく。アンゼリカもそんな父の背中に何も言いはしなかった。

 親子関係は前途多難のようだが、今はこれでいいのだろう。これから時間はいくらでもある。焦らず、少しずつ歩み寄っていけたらいいとトワは思う。いつまで掛かるかは分からないけれど。

 

 ともかく、これで一段落だ。ログナー候にああ言った以上、すぐさま鉄鉱山に向けて動き始めなければ。

 そう思って後ろに振り返ったところ、なにやら白い眼をしたクロウと目が合った。不思議に思ったトワは小首を傾げる。

 

「クロウ君、どうかしたの?」

「いや……お前のクソ度胸と誑しっぷりに呆れているだけだっての」

 

 彼がそんな風に言って大仰にため息をつくものだから、トワとしては「な、なにそれ」と抗議の声をあげざるを得ない。頑張ってログナー候を説得したというのに、そんな言い方はあんまりではないか。

 

「いやぁ、こればかりは」

『クロウの言う通り、なの』

 

 しかし、何たることか。ジョルジュとノイは逡巡することもなくあっさりクロウに追従する。

 

「むう……ねえ、アンちゃんからも何か言って――」

 

 甚だ遺憾である。アンゼリカに同意を求めようとして、そしてトワは「わぷっ」と言葉を詰まらせた。唐突にアンゼリカが抱き着いてきたことで、その胸の内に顔を埋められてしまったからである。

 突然のことに慌てるトワ。他の面々は苦笑を浮かべるばかりで止めようともしない。アンゼリカの喜色満面の笑みを見ては、止めようという気も起きなかった。

 

「まったく――私のトワは本当に最高だ! ますます惚れ込んでしまったじゃないか、このこの!」

「ふええっ!? あ、アンちゃんどうしちゃったの!?」

 

 戸惑うばかりのトワだが、こればかりは彼女の自業自得だった。無自覚と鈍感は実に罪作りである。

 そんな彼女らの過剰なスキンシップは、呆れ果てたノイが止めに入るまで続くのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「改めて礼を言うよ、トワ。私だけではあの頑固親父は説得できなかった」

 

 ザクセン鉄鉱山への道すがら。散発的に襲い来る魔獣を撃退しながら山道を進むさなか、アンゼリカは改まって感謝を告げる。それに対するトワの反応は、予想していた通りに謙虚なものだった。

 

「もう、そのことは十分に伝わっているから大丈夫だよ。それに友達が困っていたら助けるのは当然でしょ?」

「やれやれ、敵わないな」

 

 末恐ろしいものだ、とアンゼリカは思う。あれだけのことを友達のための一言で済ませられるトワの感性を。

 ただの一平民が、四大名門の一角である侯爵家当主に真っ向から意見した挙句、その主張を通したばかりか僅かながらも心変わりを起こさせた。トワがやったこととは、つまるところそういうことだ。とても十七ばかりの少女がなせることではない。

 クロウがクソ度胸と評したのも頷くしかない。ひっそりと納得していると、そんな評価を下した当人が混ぜっ返してきた。

 

「っていうか、お前が普段から素行を良くしておけば揉めずに済んだ気もするんだがな。おかげで嫌な汗をかく羽目になったぜ」

「まあまあ、丸く収まったんだからいいじゃないか……トワには肝を冷やされたけどね」

 

 男子二人が余計なことを言うものだから、トワは怪訝そうな面持ちのまま考え込んでしまう。自分の行いを顧みているのだろうが、そのズレた感性では気付くかどうか怪しいところだ。

 アンゼリカは特に返すべき言葉を持たなかった。否定しかねる事実であることは自覚するところだったから。

 

「でも、実際アンゼリカはどうしてお父さんに反抗しているの? 頭は固そうだけど、悪い人には見えなかったの」

 

 街を離れたことで姿を現しているノイが問うてくる。それは皆が多かれ少なかれ、以前から疑問に思っていたことなのだろう。集まる視線に、アンゼリカは苦笑を浮かべた。

 いつか聞かれるだろうとは思っていた。けれど、今このときでよかった彼女は思う。自分の中で探していた答えが、時ここに至ってようやく明瞭にすることができたのだから。

 

「そうだな――一言でいえば、認めたくなかったからかな」

 

 反抗の原点を思い返す。「少し長くなるが」とアンゼリカは切り出した。

 

「『真の帝国貴族なればこそ、まずは己の足で立つべし』……幼いころ、私は父上にそう言い聞かされて育った。質実剛健を旨とする帝国貴族にしたって硬派だが、そのころは素直に父上を尊敬していたものだ。叔父上が軟弱だったものだから尚更ね」

 

 なにもアンゼリカとて、最初から父親に対して反抗していたわけではない。矢面に立って領邦軍の練達に努め、自らの背中で規範を示す姿を尊敬していたことも確かであった。

 分かり易い悪い例――家名を笠に着て偉そうにふんぞり返るだけの叔父のハイデルを目にすることもあって、父の言葉こそが正しい貴族の在り方なのだと思っていた。自分もそうなれるよう己を高めていくべきなのだと。

 

「だが……侯爵家当主として時を過ごす内に、父上は変わっていってしまった。革新派の台頭があったからだろう。権力闘争に身をやつし、確かなことは窺わせなかったが、後ろ暗いことにも手を出すようになった」

「それは……」

 

 叔父の私腹を肥やすような真似を黙認するようになった。資金があるに越したことはないから。カイエン公などと怪しげな会談をすることが目に見えて増した。鉄血宰相に対抗するためにはそうする他なかったから。

 

「分かっているさ。四大の一つとしてはそれが正しい行いなのだろう……そう理解はしていても、私は納得できなかった。そんな父上が正しい貴族の在り方なのだと認めたくなかったんだ」

 

 我ながら青い理由だとは思う。常識的に考えれば、当主である父の意に沿って生きるのが当たり前なのだろう。

 それでも、アンゼリカは認めることができなかった。幼いころの教えを忘れることができなかった。己の足で立てる貴族であろうとする彼女に、道義に反する行いをする父に従うことなど、ましてや道具のように婚姻を宛がわれることなど真っ平ごめんであった。

 

「それからさ。鉱山でバイトして食い扶持を稼いだり、偶然巡り合った師に泰斗の教えを授かったり……まあ、思いつく限りのことをして父上に歯向かったよ」

「なるほどな、そう繋がるのか。はは、お父さんへの盛大な反抗期ってわけだ」

「ま、反抗にかまけるあまり自分を見失っていた節もあるがね」

「……どういうことなの?」

 

 不思議そうに首を傾げるノイに自然と笑みが浮かぶ。それは愛らしさからくるものであり、そして自嘲の笑みでもあった。

 

「簡単なことさ。父上に反抗しようとするあまり、自分が望む在り方にまで意識がいっていなかった。そこらへんを自覚したのはトールズに入ってからだね」

 

 ルーレではどうしても侯爵家の娘という肩書がついて回った。だから誰しもの前でも奔放にあり、おおよそ貴族らしからぬ立ち振る舞いをしてきた。それはアンゼリカなりの独りでの立脚の仕方でもあったが、やはり父への反抗心が先走っていたことは否めなかった。

 トールズに入学し、ログナーというしがらみから離れて初めてそのことに気付いた。父に反抗していただけで、自分は本当に恥じることなく己の足で立てているのだろうか。アンゼリカの胸に去来したのは、そんな疑念であった。

 

「自分が目暗になっていたと思うと、ね。ルーレに戻るのも若干ナイーブになるものさ」

「でもアンちゃん、街の人に好かれているじゃない。領邦軍の人だって、酒場の人だって、アンちゃんのことを認めてくれている人はたくさんいたよ」

「ああ。どうやら、私は自分が思っているよりも捨てたもんじゃなかったらしい」

 

 意外に思ったものだ。テスト相手を頼みに行った領邦軍には二つ返事で引き受けてもらえた。街行く人々は誰もが笑顔を向けてくれた。こんな好き勝手な放蕩娘に。

 

「だったら、こんな私を慕ってくれる民の危機に立上らないでどうするというんだ。それが私なりのノブレス・オブリージュというやつさ」

「やけにやる気だとは思っていたが、そういうことか。納得がいったぜ」

「青臭い話につき合わせて悪かったね。君には少々、耳障りな内容だったかな?」

「いんや、嫌いじゃねえぜ。そういう大真面目に馬鹿をやる奴っていうのはよ」

 

 おや、と意外に思う。リアリストな彼の理解を得るのは難しいと考えていただけに。そもそも入学当初の馬の合わなさから、彼のとは全く正反対な価値観だとアンゼリカは認識していた。

 それがどうだろう。今では曲がりなりにも仲間として認め合えている。ほんの三か月ほど前には考えられなかったことだ。

 クロウもトワに絆されてから随分と丸くなったものだ――と内心でひとりごちて、そして苦笑した。それは、そのまま自分にも当てはまることだったから。

 

「よーし、じゃあ尚更頑張っていかないとね。皆、気を引き締めていくよ!」

 

 先頭に立って仲間を鼓舞するトワは気付いているだろうか。

 彼女が「アンちゃん」と屈託なく呼んでくれるそれだけで、アンゼリカがどれだけ救われたかを。侯爵家の娘でも何者でもなく、ただのアンゼリカとして見てくれたからこそ、自分こそがログナーの名に縛られていたのだと気付けたことを。

 きっと気付いていないだろう。それでいいと思う。わざわざ伝えて変に気負って欲しくないし、それではトワの魅力が台無しになってしまう。彼女が思い、感じた、ありのままでいるその姿に、アンゼリカは魅せられたのだから。

 

「ああ――勿論だ!」

 

 そんないい女に、ああも口説かれて堕ちない輩がいるものか。否、いたとすればそいつは不能に違いない。

 トワの背を追い、その隣に並ぶ。

 アンゼリカはかつての父の言葉を信じている。己に恥じなく在ろうとしている。

 今それに、この掛け替えのない友の隣に立つに相応しくありたいという願いが加わった。純朴で一生懸命な、誰よりも仲間のことを大切に思う小さな少女に誇れる自分であろうと心に決めた。

 この騒動を無事に収めることで、自分の新たなる第一歩としよう。

 ついでにいけ好かない父親の鼻を明かすためにも、アンゼリカは山道を駆ける足に力を籠めるのだった。

 


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