永久の軌跡   作:お倉坊主

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オルバス師匠の剣術って片手剣も両手剣もOKどころか斧や棍棒でも使えるって、かなり汎用性が高いですよね。どうなってんだろあれ?


第3話 石の守護者

「――! ――――!」

「――――!」

 

 仄かな導力灯の明かりが照らす薄暗い旧校舎の通路に甲高い鳴き声が響く。その元は猫に翼が生えたような風貌の二匹の魔獣。『飛び猫』と呼ばれる、比較的ポピュラーな魔獣である。

 その二匹が威嚇するように鳴く先には、一人の少女が居た。

 たかが飛び猫と言えども魔獣は魔獣、一般人にとっては危険な相手には違いない。それが幼さの残る容貌をした娘ともなれば尚更だ。

 しかし、その少女――トワは微塵も怯んでいなかった。手に携えた刀剣を自然な様子で構え、喚き立てる目の前の敵を静かに見据える。その姿はさながら凪いだ海原のようだ。

 

「っ」

 

 短く息を吐く。それを契機として、トワは弾かれたように疾駆する。

 瞬く間に縮まった彼我の距離と振り上げられ閃く刃。飛び猫は反応できず、手近にいた方の一匹が袈裟懸けの斬撃の餌食になる。

 同族が屠られた怒りだろうか。もう一匹の飛び猫は酷く興奮した様子だ。飛ぶ勢いのままにトワに向けて突っ込み、強力な蹴りを見舞おうとしてくる。

 

「――――!?」

「遅いよっ」

 

 だが、そんな単純な攻撃を貰うトワではない。

 素早く、それでいて巧みな足捌きで蹴りを躱して相手の側面を取る。その手の打刀を横薙ぎに一閃、二匹目の飛び猫も易々と倒してみせた。一連の流れるような動作には数秒ばかりしか掛かっていない。

 ふう、と一息ついて納刀。息切れは見られなかった。

 

「……いや、大したものだな。まさかトワがここまで剣の腕が立つなんて」

 

 少し離れた所から感嘆の声が漏れる。戦闘を見守っていたジョルジュは純粋に感心しているようだった。驚き混じりの顔で、場が場であったら拍手でもしそうな様子である。

 そんなべた褒めの感想がトワとしては面映ゆい。これくらいは出来て当然の事だと思っているからだ。

 

「そんな事ないよ~。ただ故郷の方でしょっちゅう魔獣の相手をしていたってだけだし」

「それはそれで普通じゃないと思うけどね。まあ、おかげで助かるよ。生憎と僕は魔獣に縁があるとは言えなかったから」

 

 出発してから何度か魔獣に遭遇しているが、やはり矢面に立って相手取っているのはトワの方だ。ジョルジュも戦闘には参加しているものの、まずは慣らしが必要なので余裕を持たせている。たまに一対一の状況に持ち込んで戦ってみてもらう程度である。

 戦闘経験ならトワが圧倒的に上なのだ。そこに男も女も、大きいか小さいかも関係ない。トワには自分が引っ張っていかなければという自負があったし、ジョルジュもそれに関しては弁えているようだった。

 

「えへへ、力になれているなら嬉しいけど。でも、ジョルジュ君の武具って珍しいよね。ただのハンマーじゃないでしょ?」

 

 ジョルジュが肩に担ぐ、魔獣慣れしていないという割には特異な武具に目を向ける。見た目は無骨な鉄槌(ハンマー)そのものだが、戦闘の中でそれが機械的に可動するのをトワは目にしていた。

 視線に対してジョルジュは「ああ、これか」と答える。

 

機械槌(マシン・ハンマー)って言うものでね。導力式の可動機構を備えているんだ。士官学院に入学するにあたって自作してみたんだが、問題なく動くみたいで安心したよ」

「ええっ! じ、自分で作ったの!?」

「まあね。スクラップ処理の経験くらいならあったから、これなら扱いやすいかと思って」

「ほえ~……凄いなぁ。ジョルジュ君って手先が器用なんだね」

「はは、それこそ大したことじゃないさ。昔から機械いじりばかりしてきただけだよ」

 

 今度はトワが感心する番だった。導力機構を一から作り上げるとなると、かなりの専門的な知識が必要となるだろう。その機械槌がどれほど複雑なものかは知らないが、少なくともトワには想像もつかない領域の話だ。ジョルジュの言い分は謙遜にしか思えない。

 

「そういうものかなぁ?」

「そういうものさ」

 

 だがまあ、それはお互い様というものなのだろう。トワは剣術、ジョルジュは導力技術。それぞれ得意分野が違うと言うだけの話だ。

 そう考えれば納得も行く。腑に落ちた所で先に進むことにした。

 

「そっか。うん、それじゃあ先に進もう。前は私が行くから、後ろの方は任せたよ」

「了解だ。魔獣の警戒を怠らないようにすればいいんだろう?」

「うん、お願いねっ」

 

 役割分担を確認して旧校舎の探索を再開する。隊列は先頭にトワ、後ろに少し離れてジョルジュという形だ。

 危険を事前に察知するためにもトワが前面に立つのは自然なことだったが、彼女にとってはもう一つ理由があった。ジョルジュの意識を背後に向けさせ、小声での会話を聞かれる可能性を僅かでも減らすためだ。

 

(トワ、行って来たよ)

(ありがとう、ノイ。それで、どうだった?)

(先に行った二人も無事でいたの。というか、やっぱり心配するだけ無駄だったみたい)

 

 姿を消したまま偵察に行ってもらったノイから報告を受ける。やはりと言うべきか、アンゼリカとクロウの二人は問題なく先に進んでいたらしい。トワの見立て通り、この場を切り抜けるだけの実力は持っていたと言う訳だ。

 何はともあれ、これで僅かなりとも存在した気懸かりも解消できた。あとは自分たちも無事に脱出すればいい。人間関係に関する諸々の問題については、その後に考えても遅くないだろう。

 一安心して小さく息をつくトワ。ところが、ノイの話はそこで終わらなかった。

 

(でも、出来る限り合流しておいた方がいいかもしれないの。ちょうど道なりに進めばアンゼリカって子がいるから、まずはそっちに行ってみて)

(それは良いけど……何かあったの?)

 

 ノイの勧めに異議は無いが、どうして合流した方がいいと言うのかには疑問が残る。聞いてみれば、姿は見えずとも面倒臭げな雰囲気が伝わってきた。

 

(いちおう終点まで行ってみたんだけどね、そこに厄介な奴がいたの)

(厄介な奴? それって――)

「……? トワ、何か言ったかい?」

(やばっ)

「う、ううん! なんでもない!」

 

 声が僅かに漏れ聞こえたのだろう。不思議そうに尋ねてくるジョルジュに、トワは慌てて会話を中断して誤魔化そうとする。ノイも口を噤んでだんまりを決め込んだ。恐らくは距離も離しているだろう。

 ノイの言う厄介な奴についてもう少し詳しく聞きたかったが、今の段階で第三者に彼女の存在を勘付かれたら面倒な事になる。この場で話すのはもう諦めた方がいいだろう。

 

「そうかい? 何か聞こえた気がしたんだけど……」

「ま、魔獣の鳴き声が遠くから響いただけじゃないかなぁ? あは、あはは……」

「……確かにそうかもしれないね。はは、どうやら慣れないことに気が張っているみたいだ」

 

 若干苦しい言い訳をながらも、ジョルジュは一先ず納得してくれたようだ。トワの挙動不審に気付かなかったのは幸運と言うより他にない。

 ホッと一息ついて胸を撫で下ろす。下手に疑われるような真似をするより、このまま先を急いだ方がいいだろう。まずはアンゼリカとの合流を目指さなければ。

 そう判断し、少し足を速めて先に進もうとした矢先、二人の歩みは突如として起こった事態に止めさせられた。

 

「――――!!」

「っ!? こ、これは……」

「魔獣の鳴き声……それに、この音は……」

 

 通路を通して響き渡る人ならざる獣の声。期せずして誤魔化しのために言った事が実際に起きたのはともかくとして、トワにはそれと同時に聞こえてくる別の音が気掛かりだった。

 断続的に聞こえてくる魔獣が暴れる音。それに紛れる形で、何かの打撃音と思しきものも聞こえてくる。単なる魔獣の縄張り争いでは考えられない音に、トワはすぐさま先で起きている事態を察した。

 

「誰かが戦っているみたい! 急ごうっ!」

「わ、分かった!」

 

 大急ぎで戦闘音の源を目指して駆け出す。距離はそこまで遠くなかった。音と気配を頼りに通路を走り抜け、階段を駆け上がった先でトワとジョルジュは目を見張った。

 

「ふっ!」

 

 鋭く息を吐くような掛け声と共に拳打が昆虫型の魔獣――コインビートルに叩きつけられる。拳の衝撃をまともに受けたそれは、トワたちの横を勢いよく吹っ飛んでゆき壁に激突した。

 小型とは言え魔獣を軽々と吹っ飛ばすなんて尋常ではない。開いた口が閉まらないジョルジュの横で、トワはまず間違いなく何かしらの武術を修めた拳だと確信する。垣間見た拳を放つ動作も、確かな「型」に基づいたもののように見えた。

 そして、その拳の主――アンゼリカはというと、トワたちの姿に気付くと構えを崩さないまま気さくに話し掛けてきた。

 

「やあ、君たちも来たか。無事のようで何よりだよ」

「……いやはや、最近の女の子は凄いな」

「あはは……うん。そっちは大変そうだけど、手伝った方がいいかな?」

 

 吹き飛ばしたコインビートル以外にも、開けた空間には複数の魔獣が跋扈している。それらを一人で相手取っていたアンゼリカを目にしてぼやくジョルジュに苦笑しつつ、トワは助力を申し出る。

 

「それは無用というものさ。少しばかり時間はかかりそうだが、別に梃子摺るような相手でも……っと、そうも言っていられないかな?」

「――そうみたい。ジョルジュ君、ちょっと伏せていて」

「え?」

 

 同時にそれに気付いたトワとアンゼリカは表情を引き締める。置いてきぼりにされているジョルジュに説明するような暇もなく、トワは簡単な指示だけ出して彼の肩を借りて宙に跳び上がった。

 天井の隙間より新たに湧き出た、今まさに自分たちに飛び掛からんとしていたコインビートルたちへと。

 

「せいやぁっ!!」

 

 抜き放った刀を空中で円を描くように振り回す。幾重もの斬撃がコインビートルの黄金色の身体を切り刻み、直上にいたものは悉く倒される。

 ――戦技、裂空斬。

 祖父より授かった剣技で襲い掛からんとしていた魔獣を叩き落としたトワは、少しも揺らぐことなく綺麗に着地する。その剣に魅せられたのだろうか、アンゼリカは感心したように「ほう」と声を漏らした。

 

「お見事。その様子だと背中はお願いしてもいいのかな?」

「うん、すぐに片付けちゃおうっ!」

「そうか。ふふ……伴奏が騒がしい魔獣というのは何とも無粋だが、可愛らしいお嬢さんとの演武というのも心が躍るな」

「……? まあ、いいや。ジョルジュ君、援護をお願い!」

「はは……分かった。出来る限り頑張らせてもらうよ」

 

 上からの新手を潰しても、魔獣はまだ両手で収まらない数はいる。落ち着いて話すのは全部を倒してからだ。アンゼリカの独り言染みた言葉の意味はよく分からなかったが、それほど重要な事でもないと判断する。

 刀を構え直し、何故か苦笑するジョルジュと共にトワは魔獣の群れに斬り込んだ。

 

 

 

 

 

 剣が閃き、拳が唸る。視界いっぱいにひしめいていた魔獣も残り少なくなってきていた。トワとアンゼリカが上手く集団を分断して戦っており、その推移に危なげは無い。

 そして最後の一体、集団から外れて取りこぼしていた飛び猫を目にし、トワは鋭い声を上げた。

 

「ジョルジュ君!」

「ああ! そこだぁ!!」

 

 二人のフォローに回っていたジョルジュの機械槌が、飛び猫の頭上より寸分違わず振り落とされる。鉄槌の破壊力と導力機構による衝撃力が合わさり、それに押し潰された飛び猫は為す術もなく力尽きた。

 念のために周囲を警戒するが、もう近くに敵らしき気配はない。安堵の息を吐いてトワは刀を収めた。戦闘終了である。

 

「みんな、お疲れ様。ジョルジュ君もだいぶ慣れてきたみたいだね」

「君たち二人に任せきりだと、流石に僕も帝国男子として情けなくなってくるからね。役に立てたみたいでよかったよ」

「はは、温和そうに見えて根性があるじゃないか。あれだけの数を相手にする面倒も省けたし、おかげで助かったとも」

「ふう……それに関してはアンゼリカさんが揉め事を起こさなければ避けられたとも思うのだけど」

 

 アンゼリカにそう言うジョルジュは呆れ顔だ。口には出さずとも、それに関してはトワも同意する所である。元はと言えば、アンゼリカがクロウに言い放った言葉がバラバラになって行動する原因となったのだから。

 最初から全員で行動していれば、少なくとも今のように大量の魔獣に囲まれるような事は避けられただろう。後々に人間関係の心配を持ち越さずとも済んだ。

 しかし、当の本人に悪びれた様子は無い。クロウの事を思い出したのか、フッと鼻で笑うだけだ。

 

「自分には正直でいるように心がけていてね。気に入らない事は気に入らないとはっきり言う性質なのさ。悪いが、先の発言を取り消すようなつもりは無いよ」

「もう、アンゼリカさんもそんな我儘ばかり言っていたら駄目だよっ。それに良く知りもしない相手を、あんまり悪く言うのはどうかと思うな」

 

 そんな彼女に納得いかなくて、トワは異議を差し挟む。

 誰も彼もが仲良くなれるとは思っていないが、初対面の印象だけで決め付けるのが良いとは思えない。もう少し時間を掛けて相手の事を知ってもいいのではないか。

 トワとしては当たり前のことを言ったつもりだ。ところが、それに対するアンゼリカの反応は意外そうな顔だった。次いでその顔には面白そうなものを見つけたように笑みが浮かぶ。

 

「剣の腕といい、見かけによらず芯の強そうなお嬢さんだ。トワ・ハーシェル君――でよかったかな。ここから出たらお茶でもしようと思うんだが、一緒にどうだい?」

「ふえっ? 別にいいけど……」

 

 急に話が飛躍して少しばかり戸惑ってしまう。相手の意図が掴めないながらも、特に断る理由も無くて承諾しかけた所に声が割って入った。

 

「はいはい、地元のルーレと同じように女の子を誑し込もうとしないでくれ。本当に聞いた通りの奔放なご令嬢なんだから」

「おや、私の噂でも知っていたのかい?」

「縁があって数年ほどルーレに居てね。その時に色々と耳にしたよ。ちょくちょく家出をするとか、女の子にばかり手を出しているとか」

 

 ジョルジュが口にする内容はトワにとっては驚きだった。

 まさか貴族が、しかも名家の子女が家出をするなんて。実際に会った貴族なんて片手で数えるほどしかなく、優雅そうなイメージしかなかった身には衝撃的だ。

 アンゼリカに視線を向けても、彼女は楽しそうに笑むだけで否定はしない。つまりは事実という事だろう。どうやら一口に貴族といっても、アンゼリカのように破天荒なタイプもいるらしい。トワの中で貴族というイメージが上書きされた瞬間だった。

 しかし、いまひとつ疑問に感じる事もある。知らないままではいけないとトワは口を開く。

 

「ねえ、ジョルジュ君。アンゼリカさんが女の子に手を出しているってどういうこと?」

「は?」

「だってアンゼリカさんも女の子だよ。男の子ならともかく、女の子同士でそういう言い方をするのはどうしてなのかなって」

 

 同性同士で手を出すという表現はトワの常識からすると適切ではない。かといって二人が間違った使い方をしているようには見受けられない。ならば都会ならではの表現方法の一種なのではないか。

 ルーレと言えばノルティア州の州都、ログナー侯爵家のお膝元にして、帝国最大の重工業メーカー《ラインフォルト社》が本社を置く大都市だ。辺境中の辺境といっても差し支えの無い故郷から出てきた自分には想像もつかない事もあるだろう。

 そんな予測の下に発せられた質問である。トワとしては疑問の解消と純粋な知的好奇心を満たすくらいの意図しかない。

 

「えーと……あー、それはだね……」

 

 しかし、ジョルジュは何故か気まずそうだ。何か答えるのが憚れる事でもあるのだろうか。

 小首をかしげていると、愉快そうなアンゼリカが会話に入ってくる。

 

「答え辛いなら私が教えてあげよう。簡単に言えば、麗人たる私が可愛らしい子猫ちゃんたちと戯れる事で愛を育むのさ」

「……普通に仲良くする事と何か違うの?」

「フッ、詳しく知りたいなら体験するのが一番だ。純朴で真っ白な君もすぐに私色に染め上げて――」

「アンゼリカさん? お願いだから、この場では勘弁してくれないかな」

 

 掛けられた制止の言葉にアンゼリカはつまらなそうな顔をする。「分かったよ」と答えはしたが、あからさまに渋々と言う様子だった。そして結局、語意を確かめられなかったトワは頭に疑問符を浮かべる事しか出来ない。

 もしかしたら女の子と戯れるとは、俗に言う悪い遊びの事なのだろうか。いや、アンゼリカは普通にお茶に誘っているように感じられた。そう不良染みた真似をする訳でもないのだろう。それにしてはジョルジュが懸命に止めに入っていたが。

 そんな風に考えを巡らしても、アンゼリカの悪癖(?)の詳細は分からない。まったくもって都会の文化とは摩訶不思議である、というのがトワの感想だった。

 

「堅物君に止められてしまっては仕方がない。さっさと進んで次の機会を窺うとしよう……と、その前に。君たちに一つお願いしたい事がある」

「どうかしたの、アンゼリカさん?」

「その『さん』付けは勘弁してくれないか。どうにも背中がムズムズする。もっと親しみを込めて呼んでくれたまえ。私も呼び捨てにさせてもらうからさ」

 

 あまり反省していない彼女からの願いは、ごく簡単なものだった。性格からして分かり切った事だったが、やはり堅苦しいのは嫌いなのだろう。

 それくらいならお安い御用というものだ。元よりトワは貴族という存在との距離を測りかねて「さん」付けしていただけである。本人が外して欲しいと言うのならば是非もない。

 

「そういう事なら、僕は普通にアンゼリカと呼ばせてもらおうかな」

「じゃあ私はアンゼリカちゃ……ん?」

 

 だからジョルジュに続いて意気揚々と呼ぼうとしたのだが、実際に口に出してみて感じた違和感に首を傾げる。

 基本的にトワは同性相手には「ちゃん」付けだ。しかし、アンゼリカ相手にそれは余りにも語呂が悪かった。どうにも違和感が拭えない。

 

「ちょ、ちょっと待ってね。えーと、名前が長いから変に感じるんだから……」

「うーん……そこまで拘らなくてもいいような」

「はは、なんだったら愛を込めてアンゼリカ様とでも――」

 

 うんうんと唸りながら悩むトワ。そんな彼女の姿にジョルジュは苦笑し、アンゼリカは何やら怪しげな事を言い出す。が、その言葉は「あっ!」と何か思いついたような声に遮られてトワには聞こえなかった。

 

「そうだっ! 『アンちゃん』ならピッタリだよ!」

 

 名案とばかりにトワは手を合わせて嬉しそうな顔をする。

 これなら違和感もないし親しみもある。トワの中ではもはや決定事項になっていた。

 

「…………」

「あの……トワ? 僕も大概、貴族相手に遠慮しないタイプだと思っているけど、流石にいきなりあだ名というのは……」

 

 だが、二人の反応はいまいち芳しくなかった。アンゼリカは面食らったように目をパチクリさせ、ジョルジュは遠回しに反対するような事を言う。

 アンゼリカはともかく、ジョルジュの線引きとしてはアウトだったのだろう。どうやら自分は誤って踏み込み過ぎてしまったらしい。トワはしょんぼりと肩を落としてあだ名を撤回しようとして。

 

「――ははっ」

 

 漏れ出た笑い声に「え?」と声を上げた。

 

「ははははははははっ!! そうか、あだ名を付けるとは!」

「ア、アンゼリカ?」

「フフッ、まったく君は悉く私の予想を超えていくと言うか……『アンちゃん』、良い呼び名じゃないか。私はそれで構わないよ」

「本当っ!?」

 

 いきなり爆笑し始めたと思ったら、これまた突然の承諾である。驚くトワに、アンゼリカは含み笑いを残しながらも当然と頷き返す。

 

「もちろんだとも。遠慮なく呼んでくれたまえ」

「よ、良かったぁ。じゃあ、これからよろしくねアンちゃん!」

「ははは。私もよろしく頼むよトワ。ジョルジュ、なんだったら君もあだ名で呼んでくれて構わないよ?」

「い、いやぁ……とてもトワみたいな順応性は持っていないというか……」

「そうか、残念だな。まあ考えておいてほしいな」

 

 ジョルジュが苦笑どころか引き攣った笑みを浮かべてアンゼリカの誘いを断っていたが、トワは嬉しさに舞い上がって気にもしていなかった。断られるかと思って落ち込んでいたところに、本人が構わないと言ってきたのである。喜びもひとしおになって、多少は周りが気にならなくなっても仕方がない。

 まあ、それでも落ち着きを失うほどではない。無駄に騒ぎ立てる事も無く、いつもよりニコニコと笑っているくらいだ。

 どちらかというと、テンションが上がっているのはもう一方の方だった。

 

「よし、それでは行くとしよう! 待っていたまえトワとのバラ色の青春!!」

 

 言うや否や走り出すアンゼリカ。トワに言っている事の意味はよく分からなかったが、取り敢えず旧校舎の脱出に非常に意欲的な事は察することが出来た。

 

「あはは、アンちゃんったらすごい勢いで行っちゃって。何かいい事でもあったのかな?」

「……まあ、そういうところはトワの美点だと思うよ」

「ふえっ?」

 

 小さく笑みを浮かべて呟くように言ったジョルジュは、問い質す間もなくアンゼリカの後に続いていく。いまいち理解の追いつかない事を言われてポカンとしてしまう。

 美点と言われても、自分は何かいい事をしただろうか。新しい友達にあだ名を付けたくらいである。さして特別な事をした覚えはトワにはない。

 

「――どういう事?」

 

 アンゼリカが上機嫌な理由もジョルジュの言葉の意味もさっぱり分からない。

 首を傾げていると、ノイが聞こえよがしに吐いた溜息が耳をくすぐった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「そっかぁ、アンちゃんは泰斗流の使い手だったんだね」

「ま、師事してからだいぶ我流も混じってしまっているがね。教わった期間も師匠が旅立つまでの短い間だったから、正当な使い手とは言えないだろう」

「色々な国を旅していた人から習ったんだっけ。えへへ、アンちゃんのお師匠様なら凄く強かったんだろうね」

「あまり自分の事は話してくれなかったが、末恐ろしいほどの達人だったよ。なんでも『飛燕紅児』と呼ばれていたとか。やれやれ、今はどこで何をしているのやら」

 

 アンゼリカと合流し、探索を再開して十数分。トワとアンゼリカはお互いが扱う武術の話で大いに盛り上がっていた。話の中身が女の子らしからぬ内容であることは、この際関係ない。友達と共通の話題で盛り上がるという事実が大事、とトワは思っている。

 アンゼリカは東方武術の一派、泰斗流の教えを受けた師匠の事を思い出したせいか、どこか懐かしそうだ。きっと郷愁のようなものを感じているのだろう。

 ただ、それを見せたのは僅かな間だけ。すぐに飄々とした様子に戻ると、今度はトワに問い掛けてきた。

 

「そういうトワはお爺様に剣を教わったそうだが、一体どういう人なんだい? 私の目が確かならば、君の剣は一つの完成した流派に則ったものに見えたからね。さぞ高名な剣士と思うのだが」

「そ、そんなことないよ~。故郷で用心棒みたいな事をしているだけだし、剣術だってお祖父ちゃんの我流を家族内で伝えているみたいなものだよ」

「じゃあ無銘の剣術という事かい? その割にはしっかりとしたものに感じたが……」

「うーん……昔は友達と武者修行をしながら大陸各地を歩き回っていたって聞いたことがあるけど、詳しい事はあまり知らないんだよねぇ」

 

 考えてみれば、トワは剣を教えてくれた母方の祖父の過去をあまり知らない。物静かで理知的な老人である祖父は、あまり自分語りをしないタイプだった。定期的に誰かしらから手紙は届いていたので交流関係はそれなりにありそうなのだが。

 里帰りする機会があれば聞いてみよう。今はそう記憶の片隅にメモしておくくらいしか出来ない。

 

「何にせよ大したご老人のようだ。歳は御幾つになるんだい?」

「もう80に差し掛かるくらいだよ。でも衰えは全然感じさせなくてね、たまに一番弟子の伯父さんが帰ってくる度に手合わせしているんだ」

 

 言いながらその情景を思い出して、つい笑みが零れる。

 その時に限って「まだ負け越してやれない」と意地を張る祖父に、子供みたいに対抗意識を燃やす伯父。お互いに本気で派手にやり合って、結局は二人揃って母にやり過ぎだと叱られる。トワはその様子を父やノイと一緒に苦笑いしながら眺めていたものだ。

 故郷を出てからそう日も経っていないのに随分と懐かしく感じる。ホームシックと言う訳ではないが、やっぱり自分はあの島が好きなのだろう。

 他にも思い出はたくさんある。出来ればアンゼリカに語り聞かせたい所だが、仮にも自分たちは魔獣の出る迷宮区画の探索中である。あまり話し込むわけにもいかないし、そろそろ切り上げなければいけない頃合いのようだ。

 

「仲睦まじそうなところ申し訳ないけど、もうじき開けた所に出るみたいだよ。一応、万が一に備えておいてくれ」

 

 聞き役に徹していたジョルジュが注意を呼びかける。油断していて魔獣に隙を突かれたら洒落にならない。改めて気を引き締め、トワたちは通路の先の広間へと足を踏み入れた。

 

「……ふむ、魔獣の気配はないようだね」

「どうやらそうみたいだ。いや、助かったな。流石にそろそろ疲れてきたからね」

「あっ! アンちゃん、ジョルジュ君、あれを見て!」

 

 今まで通過してきたところよりも一回りは大きい空間。まずは周囲を警戒するが、幸いにして魔獣の姿は見当たらない。ジョルジュは安堵の息を吐いた。

 そこでトワは声を上げる。二人にも分かるように指で指し示したその先は、広間の奥にある階段を上った先の扉だった。僅かに光が漏れており、風の流れも感じられる。導き出された答えに一同の表情が明るくなった。

 

「きっとあれが出口だよ! はぁ、やっと戻ってこれたんだ」

「結構な長さだったからね……個人的には食堂で甘いものを頼んで疲れを癒したい気分だよ」

「まあ、気持ちは分からないでもない。あの扉の先で、サラ教官が面倒事と一緒に待ち受けていそうな気もするがね」

 

 アンゼリカの指摘にジョルジュは渋い顔になる。地下に落とされた経緯を魔獣の相手に集中して忘れてしまっていたのだろう。それがあったか、と肩を落とす。さしものトワも苦笑いしてしまった。

 そこでふと気付く。自分たちと一緒に落とされた、もう一人の被害者の事を。

 

「そういえばクロウ君と会わないまま来ちゃったね。先に来た様子もないし、探しに行かなくて大丈夫かなぁ……」

「ああ、あの男か。すっかり忘れていたな」

「アンゼリカ……流石にそれはどうかと思うよ」

 

 この広間に自分たち以外の者が足を踏み入れた形跡は見られない。少なくとも、昨日今日にかけての最近では。という事は、クロウはまだダンジョン区画にいる事になる。

 身の危険に関してはノイにも確認してもらったので心配していないが、このまま自分たちだけ脱出するのは気が引ける。相手の感情はともかく、引き返して合流してから一緒に抜け出すべきではないかとトワは思う。

 もっとも、それは人の良いトワの意見だ。アンゼリカに至っては、彼についてどうこうする以前に頭からすっぽりと抜け落ちていたようだ。

 

「いやはや、トワに夢中になっていたせいでうっかり忘れていてしまったよ。そういえばいたな、あの頭にくる男も……うん、放っておいていいんじゃないのかい?」

「ア、アンちゃん……」

 

 思い出しても即座に切って捨てる有様である。やはり、落とされた直後の一悶着が尾を引いているのかもしれない。

 

「別に余計な気を回してやらなくとも勝手に辿り着くだろうさ。私たちが気に掛ける必要はない」

「それはそうかもしれないけど……やっぱり同じテスト要員に選ばれたんだし、仲間として置いていっちゃうのはどうかなって」

「フッ、私としては薄っぺらな笑みで取り繕っているような奴を仲間と認めた覚えはないがね」

「やれやれ、会って間もない相手を随分と嫌うじゃないか」

「嫌っている訳じゃないさ。あの男の態度が気に入らないだけだよ」

 

 アンゼリカは一見すると変わりない様子だ。口ぶりも態度も飄々としている。

 しかし、その顔には僅かながら不快そうな色が見え隠れする。きっと言っている事も本心からくるものなのだろう。トワが気掛かりに感じた違和感が、彼女にとっては気に食わないものだったのだ。

 碌に言葉を交わさない内から険悪な雰囲気のアンゼリカとクロウの仲を物悲しくは感じるが、現時点では手の出しようもない事は分かっている。そもそも二人の間の問題なのだ。横合いから下手に割り込むような事でもない。せめて出来る事があるとすれば、決定的に仲違いしない様に見守るくらいだろう。

 それに、もしかするとトワもクロウから嫌われているかもしれないのだ。まずは人の事よりも自分の事を先に考えるべきかもしれない。

 

「じゃあ私だけで様子を見てくるから、アンちゃんたちは先に上に戻っていても――」

「それは駄目だ!」

 

 考えを改めて、まずは自分だけでクロウと接触を図ろうとしたのだが、返って来たのはアンゼリカの力強い否定だった。一緒に行きたくないなら一人で行けばいいと思ったのに、いったいどうしたというのか。

 思いがけない事態に戸惑うトワ。当人は「あの男と二人っきりにする訳には……」などとブツブツと呟いており、余計に困惑に拍車を掛ける。本当にどうしたのだろう。

 そしてアンゼリカは本当に、本当に仕方がなくと言った様子で意見を翻した。

 

「くっ、トワがそこまで言うのなら仕方がない。多少は節を曲げて付き合おうじゃないか」

「えーと……別に無理して付いてこなくてもいいんだよ?」

「無理などしてないさ。むしろ君を一人で行かれる方が私には心苦しく感じる」

 

 最後だけはきっぱりと言い切った事から、おそらくは本気なのだろう。ただの親切心で付いてきてくれるにしては妙に力が籠っていたが。意図はともかくとして、ありがたく「じゃあ、お願いするね」と頼むことにする。

 まあ、また一悶着が起きる気もするが、その時はその時だ。何とかして場を収めるようにしなければ。

 

「そうだ、ジョルジュ君は疲れているなら……って、どうしたの?」

 

 アンゼリカは付いてきてくれることになったが、疲労の溜まっているジョルジュにまで無理をさせる訳にはいかない。よければ先に戻っているようにと言おうとして、目を向けた先の彼の様子に首を傾げる。ボンヤリとした様子だったジョルジュは、その声にハッとした。

 

「いや……そこの彫像がちょうど目に入って、いい出来だなと思っていてさ」

「彫像?」

 

 ジョルジュが指差す方向、トワの背後に振り返る。そこにあった物体を目にしてトワは思わず固まった。

 

「へえ、見事なものじゃないか。骨董品として売ったらいい値がつくんじゃないかい?」

「うーん、流石にそれは分からないけど」

 

 有翼の魔獣を模した彫像。台座に据えられたそれは細部まで精巧に形作られた見事なものだった。あまりの精巧さに生々しささえ感じられてしまうほどである。二人が感心するのも無理ない事と言えた。

 だが、トワが硬直してしまったのは彫像が見事だったからではない。それがただの彫像ではなかったことと、ノイが言っていた事が頭の中で結びついたからだ。

 そうだ、確かに彼女は言っていた。終点に厄介な奴(・・・・)がいると。

 

「二人とも、それから離れてっ!」

 

 咄嗟に出した言葉。それに二人が怪訝そうな反応を返す間もなく、それは目を覚ました。

 漏れ出る喉を鳴らす音、四肢の付け根に暗い紫の光が宿り、石の体表が生物の様に動き出す。太く強靭な脚を以て彫像と思われていたそれは台座から跳び下りる。階段前に降り立ったのは、まるでトワたちの道を塞ぐかのようだった。

 

「――――!!」

 

 そして咆哮。旧校舎で徘徊していた魔獣とは比較にならないそれに、トワは表情が厳しくなるのを自覚した。

 

「な、何なんだいこれは!?」

「くっ、魔獣……いや、これは……」

「――石の守護者(ガーゴイル)、暗黒時代の魔導の産物だね。この旧校舎地下の最後の障害ってところかな」

 

 伝承に登場する石に命を吹き込まれた魔物。この建物も暗黒時代のものかと予想してはいたが、まさかそんなのが出てくるとは。地下に落としてくれた張本人の顔を思い浮かべて、トワは少し頭が痛くなった。

 どうやら、この魔物を倒さなければ上階に戻る事は叶わないらしい。ギラギラとした目つきで睨みつけてくる様子からも、先にクロウを探しに引き返すという訳にはいかないだろう。三人で力を合わせて打ち倒すしかない。

 息を整え、腰の得物を抜刀する。覚悟を決めた目は鋭くなっていた。

 

「どうやら倒さなきゃ帰れないみたい。頑張ってなんとかしよう!」

「……ふむ、基本的には魔獣と違わないようだね。それならどうとでもなるか」

「ふ、二人ともこんな化物相手によく落ち着いていられるね……」

 

 二人もそれぞれ武具を構える。胆力のありそうなアンゼリカはもとより、ジョルジュも決して臆してはいない。自分以外の落ち着き様に苦笑いを浮かべてはいるが。

 だから何も問題は無い。目の前の敵を倒して、その後でクロウも探し出して一緒に脱出する。自分はそれを為すために力を尽くすだけだ。

 ガーゴイルの肢体に力が籠る。それを見取り、トワは声を張り上げた。

 

「迎撃準備! みんな、全力で行くよっ!!」

「「おおっ!!」」

 

 鋭利な爪が振り上げられ、それに合わせて三人も動き出す。

 旧校舎の地下、トワたちにとって初めての試練の火蓋が切って落とされた。

 


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