永久の軌跡   作:お倉坊主

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地獄の出張、怒涛の24連勤から無事に帰還。
しばらくは働きたくないでござる(´・ω・)


第28話 技の業

「実験相手を探して来いといってもよ、正直、割かし無茶な注文だと思うぜ」

 

 研究室から追い出され、兎にも角にも工科大学の外まで出てきたトワたち。さて、これからどうしようかとなったとき、明らかに面倒くさそうな顔をしたクロウがこぼした文句に彼女らは一様に頷いた。シュミット博士はまるで事も無げに言っていたが、彼が求める条件は現実的に厳しいものであったからだ。

 れっきとした戦闘が成立するだけの実力を持った相手を探してくること。なるほど、確かに実験を精度の高いものにするためには必要な条件だろう。

 だが、それを満たす人物を街中から探して来いとなると無茶ぶりもいいところだ。そもそも戦闘ができる人がそこらに転がっているわけもない。

 

「こんな時にこそ遊撃士を頼れたらいいんだけど……」

『まあ、ないものねだりをしても仕方がないの』

 

 護衛や魔獣退治を生業とする遊撃士ならその要望にも応えられるのだが、活動規模の縮小を余儀なくされている彼らは、このルーレでも漏れなく撤退済みである。その選択肢を採ることはできない。

 もっとも、仮にまだ支部があったとして依頼料が経費で落ちるのかは甚だ疑問だが。

 

「あまり時間をかけすぎると博士がしびれを切らしかねないよ。どうにかしないといけないけど……」

 

 もたもたしている余裕はない。博士がいう機材の準備がどれだけかかるものかは知らないが、あの博士の剣幕を目の当たりにした直後から楽観的でいられるほどトワたちは図太くもなかった。

 頭を寄せ合って考え込むが、五人が寄ろうとも良い知恵は浮かんでこない。早くもげんなりしてきたクロウが不満たらたらな様相で「っていうかよ」と疑問を投げかける。

 

「俺たち四人いるんだから二対二でやればいいんじゃねえのか? どっかから適当な相手を見つけてくるよりも、よっぽど手っ取り早いだろうが」

 

 ある意味で最も妥当な提案だった。戦術リンクの実験をやりたいのであれば、その相手が必ずしも他人である必要はない。二人一組に分かれて模擬戦の要領で戦えばいいだけだ。こうして頭を悩ませる必要もない魅力的な案に思える。

 

「……いや、残念だけど博士はそれじゃ納得しないだろうな」

『どういうことなの?』

「ほら、レポートでリンク先を切り替えるときに上手くいかないとか、逆に二人以上の複数人でリンクしているような感覚があったっていうことも書いただろう。そういう報告をしてしまった以上は、博士は必ず僕たち四人が一緒に戦う形での実験じゃなきゃ首を縦に振らないよ」

「マジかよ……」

 

 がっくりと肩を落とすクロウ。我ながら名案だとでも思い始めていたのだろうか。相手探しという面倒も回避できる妙案が却下され振出しに戻ってしまったことに落胆を隠せないようだった。

 現実問題、彼以上の案が出てこないからには手詰まりの感が否めない。どう考えても実験相手に応じてくれる戦闘技能を持った人物――しかも四人を相手にするなら複数人であることが望ましい――など、博士の切れやすそうな堪忍袋の緒がもっている間に見つけられる気がしなかった。

 

「うーん……街中にいる戦える人なんて、遊撃士以外には軍人しか思い浮かばないけど……」

 

 まさか軍人が実験相手なんて引き受けてくれないよねぇ、と続く言葉をトワは飲み込んだ。言っても仕方がないことだと思ったからだ。彼女の中ではそれくらいに望み薄な候補であったし、それは常識的に考えても当たり前の判断ではあった。

 しかしながら、その発想は今まで発言せず、だが最も悩まし気な顔で考え込んでいた彼女の口を開かせるには十分だった。

 

「……仕方ない」

「アン?」

「非常に、非常に不本意な選択ではあるが……当てがないわけではない」

 

 もう駄目かと思っていたところに出てきた希望の芽。アンゼリカに期待の視線が集まる。

 

「当てがあるなら最初から言ってくれよ。云々唸っていたのが馬鹿みたいじゃねえか」

「不本意だ、と言っているだろう。できれば頼りたくない口だ……まあ、私だけが我儘を言っているわけにもいけないのも確か。腹を決めるとしようじゃないか」

 

 言って、先導して歩き始めるアンゼリカ。その背を小走りに追いかけてひょっこりと顔を覗き込んだトワは彼女に問うてみた。

 

「ねえ、アンちゃん。当てと言ってもどこに行くの?」

「決まっているさ――我が生家、ログナー侯爵邸だよ」

 

 

 

 

 

 ノルティア州を治める四大名門の一角、ログナー侯爵家の屋敷はルーレの東側を空港と二分する形で存在する。アンゼリカの案内でその目前までやって来たトワたちは、橋を挟んで見えるその威容に驚き呆れる。さすが大貴族、外から窺うだけでも小さな町一つがすっぽり入りそうな大きさには恐れ入るほかない。

 少なくとも、残され島に住む人たちは全員が収まってしまいそうだ。あんな屋敷で暮らすなんてどんな気分なんだろう、と取り留めのない考えを巡らせているとアンゼリカが「さて」と切り出した。

 

「威勢よくやって来たはいいが、正直なところ上手くいくかどうかは賭けに近い。まあ、何とかなるよう女神に祈ってくれ」

「運任せなのかよ!?」

 

 ここまで連れてきてからのカミングアウトにクロウが吠える。起死回生の一手かと思いきや、その実態は博打である。トワとジョルジュもガクッと調子を崩されてしまう。

 

「まずは我が頑迷なる父上が在宅か否か、これが最も重要だ。あの頑固親父がこのじゃじゃ馬娘に領邦軍の兵を貸してくれるとは思えないからね。こっそり事を進めるには居ない方が助かる」

 

 自分でじゃじゃ馬娘とか言っていたら世話がないと思う。それにしても、とトワは思い浮かんだ言葉を口にした。

 

「アンちゃんの家に行くって言うからもしかしてと思っていたけど、領邦軍の人を実験相手にお願いするつもりなんだね、やっぱり」

「ああ。他に当てがない以上は正規の訓練を受けた兵士に頼るしかない。それに我が家の方針でノルティア領邦軍は実戦志向の精強だ。相手にとって不足はないだろう」

「なるほど、確かに条件としてこれ以上は望めないくらいだと思うけど……それだけに簡単にはいきそうにないね」

 

 ジョルジュの懸念に発案者たるアンゼリカも頷く。その顔はいつもよりも神妙に見えた。

 準正規軍とはいえ領邦軍も軍隊には違いない。それを兵士数人とはいえ動かそうとなると、とてもではないが普通の手段では無理だろう。依頼ではあっても実験の件はあくまで私用。そんなことで規律第一の組織たる軍隊は微動だにするまい。

 しかし、軍隊ではあっても領邦軍であれば要求を通す目はまだある。彼らは正規軍に劣らない兵力を持つが、その実態は大貴族の私兵であるからだ。

 

『でも意外なの。アンゼリカ、こういうの嫌いだと思っていたの』

「言っただろう、我儘ばかりもいけないと。それにせっかくの家名だ。こんな時くらい有効活用させてもらうさ」

 

 幸いにして、ノルティア領邦軍を統括するログナー侯爵家の令嬢がここにいる。彼女からの要求となれば兵士数人を借りることくらいはできるかもしれない。

 アンゼリカは奔放な性格だ。普段は自身を四大名門の一人として見られることを嫌い、そしてその権威を頼りに物事を通そうとすることを厭う。だからこういった家名に任せた手段は取りたくないのではないかと思っていたが、仲間のことを思って彼女は節を曲げてくれたのだった。

 申し訳思うのではなく、感謝するべきなのだろう。ありがとね、と言うと「お安い御用さ」と笑みを返された。

 

「じゃあ行ってみるとしよう。まずは門番に通してもらわないとね」

 

 邸宅に向かって気負いもなく大股で歩いていくアンゼリカ。実家に帰るだけなので気負いがないのも当然なのだが、こんな大邸宅に入ったことなど一度たりともないトワなどはおっかなびっくりその背中を追いかける。

 門に近づくにつれ、その前に立つ人の様子も仔細にうかがえるようになる。立ちっ放しはやはり暇だったのだろうか。二人組の門番はなにやら話し込んでいて、こちらに気付くのが一拍遅れた。

 

「む、なんだお前たち。ここはノルティア州を治めるログナー侯爵家の――って姫様ぁっ!?」

 

 来訪者の姿を認めた途端、門番のあげた素っ頓狂な声にクロウが吹き出した。トワは眉をちょっと吊り上げて見咎める。確かに姫様なんて柄ではないかもしれないけど、笑うようなことでもないだろう。

 

「おかしい。姫様はいつも門の方から我々をしばき倒してお忍びで出かけていくはずなのに……」

「実家帰りなんて殊勝な真似をするはずないのに……」

「お望み通り、しばき倒してあげようか?」

 

 コキリと拳を鳴らして迫れば、彼らは「「お帰りなさいませ、姫様!」」と最敬礼。何故だろう。トワは直前の自分の行いが馬鹿らしくなった。

 

「冗談はさておき姫様、どうして屋敷へ? 実習で戻ってきていらっしゃるとは聞いていましたが、こちらを訪ねてくるとは思っていなかったものでして」

「なぁに、ただの野暮用さ。想像のとおり、わざわざ父上に挨拶に来たわけではないから勘違いしないように」

「はあ、それはまあ思っていた通りと言えばそうですが」

 

 当主ではないとはいえ、仕える相手に対してやけにフレンドリーな門番たちである。察するに、アンゼリカが頻繁に勝手な外出をするおかげで彼らは否応なしに苦労しているのだろう。対応が砕けたものになるのも自然なことなのかもしれない。

 

「ところで、その父上は在宅かい?」

「いえ、ゲルハルト様は会食に出席しに外出中です」

 

 よし、とガッツポーズのアンゼリカ。父親の不在をここまで喜ぶ娘もそういないのではないだろうか。いや、今回に限っては理由が理由なのでトワとしても居なくてありがたいことには変わりないのだが。

 何にせよ、まずは第一の関門を突破したことで希望が見えてきた。まだまだ不透明ではあるものの、可能性は高まったといえよう。心なしか表情が明るくなったアンゼリカがこちらに向き直る。

 

「じゃあ君たちはここで待っていてくれ。中には私一人で行ってくるとしよう」

「それは……大丈夫なのかい?」

 

 ジョルジュが少し心配そうな目を向ければ、彼女は「大げさだな」と肩をすくめた。

 

「こっそりやるのに四人でぞろぞろ行くわけにもいかないだろう。我が家は無駄に広いし、勝手が分かる私がさっさと話をつけてくる方が余計な手間はかからないさ」

 

 改めて門の向こうの邸宅の威容をうかがう。確かに、これは勝手を知らないトワたちには荷が重そうだ。

 どこに何があるのか分からない三人を案内して連れ歩くよりも、さっさと一人で行った方が目的を果たすことを考えるのであれば効率的だ。当主のログナー侯爵にばれないようにするためにも人目につかないようにする必要もある。彼女の意見を否定する要素はなかった。

 三人が納得して頷くのを見るや、アンゼリカは「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」と少し開いた門の隙間にするりと滑り込んでいった。見るからに重厚な鉄門を苦も無く抜けていくあたり、かなり手馴れていることがうかがえる。無断外出の常習犯は伊達ではないようだ。

 

「……君たち、姫様のご学友か?」

 

 任せたはいいものの、時間を持て余す形になってしまったトワたちに門番が声をかけきた。少なくともあだ名で呼ぶくらいには親しい仲だ。迷うことなく――約一名は渋々といった様子で――頷くと、彼らは何か感慨深そうに「そうか」としみじみと呟いた。

 

「あの姫様が学院に行ってどうなることかと思っていたが、君たちのような普通の友人を作れているようで安心したよ」

「まったくだ。侯爵閣下という枷がなくなってハーレムでも形成しかねないと思っていたからな……」

 

 クロウとジョルジュが肩をすくめた。否定しかねる想像だったためである。実際、トリスタにもアンゼリカをお姉さまと敬愛する集団がいるとかいないとか。もっとも、そういう方面に疎いトワは同性から慕われているとしか思っていないので、遠慮のない人たちだなぁ、と門番たちにある意味感心していた。

 

「しかしまあ何だ、あんたたちとしてはいいのか? その姫様が平民とつるんでいてよ」

 

 なんとなく疑問に思ったのだろう。おもむろにクロウが口にした言葉に、トワとジョルジュも思い当たる節があった。

 例えば、前々回の実習で会ったクロイツェン領邦軍の軍人たち。彼らは概して平民に対し高圧的な態度をとっていた。税の問題を差し引いても、普段からああいった感じなのだろう。州は違えど同じ領邦軍。大なり小なり似たような性質があるのだとすれば、侯爵令嬢に馴れ馴れしく接する平民というのはあまり歓迎できないのではないだろうか。

 だが、質問を投げかけられた門番たちはというと、きょとんと眼を瞬かせていた。

 

「確かに、そういった厳格な意見の奴らもいるが……」

「個人的には姫様にそういうことを求めるのは今更っていう感じだよなぁ」

「そ、そこまで思われるほど奔放なんですか」

「奔放も奔放、鎖にでも繋いでおかないと姫様を大人しくさせることなんてできないよ」

 

 曰く、先ほどの発言のとおり無断外出は日常茶飯事。その折に労働者向けの酒場に出向いてどんちゃん騒ぎをするやら、女性を矢鱈に口説いては後日詰めかけてきた彼女たちの対応に苦慮する羽目になったりだとか。過去の出来事を振り返る彼らは自然と哀愁に似た雰囲気を纏っていた。

 

「一番度肝を抜かれたのはやはり例の鉄鉱山の件だな」

「ああ、家出したと思ったら鉱山でバイトしていたっていう」

「あ、アンちゃん……」

 

 侯爵令嬢が家出するだけでも大騒ぎだろうに、挙句の果てに鉱山でバイトしていたというのだから脱帽するほかない。友人の自由気儘なところは十分に承知していたつもりだったが、明かされる過去の所業にトワたちは戦慄を隠せなかった。

 ここまで聞いてしまえば嫌でも納得できる。確かに平民との友達付き合いなど今更なことだろう。

 

「その、父親のログナー侯爵とはあまり仲が良くなさそうですけど、やっぱりそういうところが……?」

「ああ……閣下と姫様の親子喧嘩もいつものことだ。どちらも頑固だから切りがないんだよ」

「よく勘当されていないな、あいつ……あんたらにとっても悩みの種だろうに」

 

 話を聞く限り、アンゼリカの勝手にはほとほと苦労させられている様子。臣下にも不満を持っている人たちがいるのではないかと想像できる。

 ところが、門番たちは思いのほか「それが、そうでもないんだな」と首を横に振った。

 

「そりゃあログナーの令嬢にあるまじき所業って腹を立てる奴らもいる。けど、それと同じくらい姫様のことが好きな輩もいるのさ。俺らみたいにな」

 

 身勝手で貴族という枠にはまらないのは事実。だが、それを補ってあまりある魅力を彼女は有しているのだと門番は笑う。

 貴族としての壁を感じさせない気さくさ、それでいて集団を引っ張っていく統率力、何よりも彼女についていきたいと思わせるカリスマ性。どうやら虜にしていたのは女性ばかりでもなかったらしい。この門番たちも自由奔放な様に振り回されつつも、そんなアンゼリカの姿に魅せられてしまったものたちの一人であった。

 

「人徳、とでも言えばいいのか。自然とついていきたいと思わせられる。不思議な方だよ」

 

 互いに「もの好きには違いないがな」と笑いあう門番たちの笑顔が、自然とトワにも移っていた。アンゼリカのことを好ましく思ってくれている人がいることが嬉しく、そして安心したからこそ浮かんだ笑顔であった。

 ルーレが実習先に決まった時からアンゼリカは浮かない顔をしていた。領邦軍の兵を借りる案を出した時も不本意だと漏らしていた。実家に近づきたがらない彼女の様子から、もしかしたらログナー侯爵家にアンゼリカの味方がいないのではないかとトワは憂慮していたのだ。

 だが、それは幸いにして杞憂だった。少なくとも、ここにいる彼らは間違いなくアンゼリカの味方である。やけに遠慮がないのは否めないけれど。

 

「腫れもの扱いかと思ったら、そうでもねえみたいだな」

「だね。アンらしいといえばそうだけど」

 

 本人の前では口にせずとも同じことを考えていた友人たちはホッと一息。そんな様子から察したのだろう。門番の彼らは「心配無用さ」と言ってくる。

 

「姫様のことが好きな奴らなんてこの街には沢山いるとも。ただまあ、あだ名で呼んでくれるような友達っていうのは君たちが初めてかもしれないな」

「うむ、姫様も学院で得難い経験を積んでおられるようで何よりだ。暴れ馬もかくやと言わんばかりの方だが、これからもよろしく頼むぞ」

 

 そんな彼らの言葉に、トワたちは苦笑いで返した。そして門の向こうを指さす。

 四人ばかりの兵を引き連れたアンゼリカがいい笑顔で拳を鳴らしているのを見て、門番たちは頬を引き攣らせるのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 宙返りしたトワの鼻先を風が薙ぐ。必中を期した模擬剣の一閃を空ぶった兵士の目が大きく見開かれる。それは己の剣を躱されたことに対してであり、そして妖精のように軽々と宙に舞った少女の背後から飛び出してきた鉄拳に対してであった。

 顔面狙いのそれを必死に顔を逸らして回避。掠めた拳が薄皮を切る。不意の一撃を躱してみせた兵士にアンゼリカはにやりと笑う。つられて冷や汗交じりに頬が吊り上がった兵士は兎にも角にも体勢を立て直すべく後ろに下がろうとし、そして唐突な足元への衝撃と続く浮遊感に襲われて「おおっ!?」と驚きの声をあげた。

 アンゼリカは拳を振り抜いたまま次の動きに移る猶予はなかった。彼の足元を襲ったのは、宙返りしてアンゼリカの背後に回ったはずのトワの足払いであった。剣を跳んで回避した彼女は、間髪を入れずにアンゼリカの股下を潜り抜けて体勢を崩した兵士に追撃を加えたのだ。

 凄まじい敏捷性、それだけではない。回避と同時にアンゼリカと入れ替わったのも、その不意打ちを陽動に仕掛けてきた足払いも前兆を全く気取らせなかった。理想的な連携攻撃に兵士は感服する他ない。

 だから今度こそ迫りくる鉄拳を「お見事」と受け入れた。

 

「ぷべらっ!!」

 

 身体を浮かされた無防備な状態から顔面に拳が振り落とされる。鈍い音をたてて床に叩き付けられた兵士は間の抜けた悲鳴とともにダウンする。小刻みに痙攣するばかりで起き上がる様子はない。

 勝利を確認しハイタッチするトワとアンゼリカ。そんな彼女らの耳に周りからの声が響く。

 

「ああっ、副隊長がやられた!」

「姫様のパンチをもろに食らうとか絶対に痛い奴だ!」

「でもちょっと羨ましい!!」

 

 既に床に倒れ伏していた他の兵士たち。先ほどの門番同様、やけに賑やかしい彼らにトワはちょっと親しみを覚える。最後の一言には同意しかねたが。

 

「ったく、こんな連中なのに練度は一端っていうのがなぁ……」

「おかげで、いいテストにはなったと思うけどね」

 

 ぼやくクロウに苦笑で応じるジョルジュ。実際にその通りなのだからクロウはため息をつくしかなかった。

 アンゼリカが連れてきた領邦軍の四人編成一班。アンゼリカと特に親しい間柄らしい彼らは、彼女に声を掛けられて二つ返事でテスト相手を引き受け嬉々としてルーレ工科大にまで来てくれていた。

 シュミット博士が保有する実験室の一つ、主に実際の稼働テストを行う広い空間でトワたちと模擬戦を繰り広げた彼らは相応の手練れであり、戦術リンクがなければ勝利は危うかったかもしれない。

 それを率いるトワとアンゼリカを相手に攻防を繰り広げた兵士、もといノルティア領邦軍副隊長はようやく痙攣を治めると大の字に転がったまま「ううむ」と呻き声を漏らした。

 

「いやはや参りました。しばらく見ない間に姫様もお強くなられた」

「刺激には事欠かない学院生活だからね。腕も上がるってものさ」

「それは何より。しかし、私としては腕っ節ばかり強くなって嫁の貰い手がなくならぬか憂慮するところも――」

 

 何気ない動作で大の字になっている副隊長の股間に蹴りが入れられる。「嗚呼ああぁぁっ!!」とゴロゴロ床を転げまわる哀れな姿に男性陣は自然と内股になっていた。

 

「まったく、私寄りの兵士はどうしてこうも変わり種の輩しかいないのかね」

「鏡でも見たらいいんじゃねえの?」

 

 スッと蹴りの予備動作に入るアンゼリカ、股間をかばいながらじりじりと距離をとるクロウ。どうどう、とトワがアンゼリカを抑えることでその場は事なきを得る。流石に実習に支障をきたしそうな真似は遠慮願いたかった。

 模擬戦の緊張した空気がすっかり弛緩した実験室。そこに不機嫌そうな声が割って入る。

 

「騒がしいな。人の実験室であまりふざけないで欲しいのだが」

 

 強化ガラスを挟んだ隣室で戦闘データを観測していたシュミット博士は、評判通りの気難しさを発揮してじろりとトワたちを睨む。そんな師の様子に肩をすくめたジョルジュが話を逸らすように声をかける。

 

「それはそうと博士、肝心のデータはちゃんと取れましたか?」

「ふん……現状、望める限りでは上等なものだろう。今のところテストはこれで十分だ」

 

 どうやら博士のお眼鏡にかなうデータを観測することはできたらしい。取りあえずはホッと一息である。これでダメだしされてもう一戦となったら体力的に厳しいものがあった。

 

「と、いうことらしいから君たちは戻っても大丈夫だよ。市街パトロールの名目で押し通すのも限界があるしね」

「隊長は閣下第一の厳格な方ですからな。ばれないうちにこっそり帰隊すると致しましょう」

 

 テストが終了なら領邦軍の彼らを引き留める理由もない。嬉々としてついてきたとはいえ、それなりのお題目を付けて上を誤魔化すことも忘れていなかった様子の彼ら。話を聞くに、隊長はそこまで寛容な人物ではないのだろう。ばれないうちに帰還するのが最善であるようだった。

 そうとなれば訓練を受けた軍人、動きは早い。もとより最低限の準備できたので少ない荷物を手早く纏めると、四人そろってアンゼリカに敬礼の姿勢をとる。

 

「それでは姫様、実習の成功を空の女神に祈っておりますぞ」

「ああ。面倒をかけて悪かったね」

「どうもありがとうございました」

 

 最後に「お気になさらず」と笑った副隊長は颯爽と――とはいかず、急所のダメージにより足を小鹿のように震わせながら帰っていった。大丈夫かなぁ、と呟くトワ。「まあ、やわな鍛え方はしていないさ」とアンゼリカ。それが下手人の言葉でなければ素直に頷けたのだが、トワは苦笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。

 さて、と一息つく。テストが上手くいったのはいいとして、これからどうするのか。シュミット博士の様子を窺うと、視線に気づいた彼が口を開く。

 

「まずはご苦労だったと言っておこう。あとはこちらでデータを解析、ARCUS本体に調整を施して後日に再びテストを行う。今日のところはもう結構だ」

「後日って……俺たち明日までしかルーレにはいないぜ?」

 

 技術者ではないトワたちにはどれくらいのものか具体的には分からないが、戦術リンクの調整とは生半可なものではないということくらい想像がつく。間に合うのだろうかという疑問は持って然るべきものだった。

 

「舐められたものだ。もとより不安定性の原因には察しがついている。ならば一晩で片はつく」

 

 しかし、相手は帝国一の叡智と称される偉人。それは愚問にすぎるようだった。

 

「戦術リンクは使用者が発する波長――思考、感情により絶えず変化するそれを増幅し同調させることで機能する。意識の表層を互いに感じ取れるようになることで、限定的な思考の共有、それによる高度な連携が可能になるわけだ」

「お、おう……?」

 

 突然の講釈に戸惑いがちながら頷くトワたち。一部、今一つよく分かっていなさそうな面子もいたが、シュミット博士は「細かい論理はいいだろう」と流した。

 

「問題はその波長の流動性。不安、不信、拒絶、そうした感情を相手に抱いてしまえばリンクはたちまち断絶する。貴様らの運用初期がその状態だな」

 

 表層の意識を共有するということは、相手に抱く感情もダイレクトに影響することを意味する。波長を同調させるためには使用者同士がお互いを受容しなければならず、信頼関係が築けていない状態では同調も不可能ということだ。使用者の人間関係が重要となるのはこの点が大きい。

 となると、現状のリンク強度の不安定さはどうなるのか。わざわざ聞かずともシュミット博士は話を先に続ける。

 

「リンクのムラ(・・)もその延長線上として説明できる。些細な感情の揺らめきにまでARCUSが過敏に反応してしまっているのだろう。結果として戦術リンクは強度が変動してしまい、安定した効力を発揮できない。つまりは、そういうことだ」

 

 あれだけトワたちが頭を悩ましてきたリンクの不安定性の原因を短い間に看破したという事実に、トワは驚きと納得を得る。どれだけ気難しいやら偏屈だとか言われていようと、その頭脳は間違いなく帝国随一のものであるのだと。

 

「開発当初からの懸念事項ではあったが、実戦で運用するにはまだ強度の固定化が必要だったようだ。ならば、変動の幅を抑える調整を加えれば実用に耐えられるものには近付くことだろう……分かったか?」

 

 トワたちは首を縦に振る。分かっていようと分かっていまいと、ここは頷いておかなければ不興を買いそうな予感があった。あの途轍もなく端的な依頼書を送りつけてくる御仁だ。個人的にはこれでも懇切丁寧に説明してやった態だろうに、この期に及んで分からないと言ったら怒髪天を衝くのではないだろうか。

 その直感が功を奏したのか、シュミット博士は「ふん」と鼻を一つ鳴らすと興味が失せたかのようにトワたちに背を向ける。トワたちは音を立てずに安堵の息を吐いた。

 

「分かったのなら帰るがいい。明日の朝までに調整の準備は整えておく。ジョルジュ、貴様は残りだ。私の元を離れたとはいえ、腕を鈍らせてはいないだろう」

「断るっていう選択肢はないんですよね、どうせ」

「下らんことを聞く暇があるなら、さっさと解析に移れ」

 

 ただ一人、この場に残っての助手を命じられたジョルジュは疲れの滲む溜息を吐く。トワたちに顔を向けた彼は申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 

「というわけだから、先にホテルに戻っていていいよ。時間がかかるだろうし……戻らないようなら晩御飯も僕抜きでいいからさ」

「それは……そんなに大変なの?」

 

 激務の雰囲気を漂わせるジョルジュにトワは心配げな目を向ける。自分では役に立てないことだと分かってはいても、彼だけに負担をかけてしまうのは心苦しいことだ。どこかしゅんとした様子のトワに苦笑して、ジョルジュは気負わせまいと思ってかやわらかい口調で言う。

 

「まあ、いつものことだよ。なるべく早く戻れるようには頑張ってくる」

 

 そうして、解析のための別室に大股で歩いていくシュミット博士の後を追っていった。置いて行かれた形のトワたちは、その場でしばし佇んでしまう。もうやれることはない。ホテルに戻ってレポートに手を付けるくらいしかないのだが、それでも仲間を一人置いていくのは躊躇われるものがあったからだ。

 ジョルジュとシュミット博士が普通の師弟であったのならば、こんな気持ちになることもなかっただろう。だが、彼らは既に師弟の関係を解消している。加えて博士はあのような性格の上に、ジョルジュは再開する前から何度も憂鬱そうにしていた。本当に大丈夫だろうかとトワたちが思ってしまうのも無理はなかった。

 

『心配なのは分かるけれど、ここにいても仕方ないの。まずは戻ろう?』

「……仕方ねえ。気は進まねえが、手っ取り早くレポートでも片付けておくか」

 

 人目を忍んで口をつぐんでいたノイの言葉にトワたちは、二の足を踏んでいた状態からようやくホテルへの帰路につくことにした。後ろ髪を引かれる思いをしながらルーレ工科大を後にした彼女たちは、まずはレポートを形にして大柄な友人に少しでも楽をさせてやろうと決めるのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「……遅いね」

 

 そうしてジョルジュを待ち続けること数時間。日は沈み、月が昇って中点を過ぎ下り始めても彼はいまだホテルに戻ってこないでいた。日付が変わっても戻らないのはさすがに遅すぎる。レポートはとうの昔に終わり気を紛らわせる手段もないトワは真剣に仲間の心配をし始めていた。

 

「もしかして何か事件に巻き込まれているんじゃ……」

「トワ、心配だからってそれは突飛なの」

「何かあったとしても酔っ払いに絡まれているのが精々だろう。それにしたって遅いのは確かだがね」

 

 トワほど深刻に考えていないとはいえ、クロウやアンゼリカも気にしていることには変わりない。遅くなるとは言われていたが、まさか深夜になっても戻らないとは思っていなかったのだ。

 試験実習も三回目。その中で反発しあったり気まずい雰囲気になったりすることはあったものの、基本的にはいつも四人(と密かに一人)で一緒に行動してきたのだ。ジョルジュだけでもいなくなるだけで拭えない違和感を抱いてしまう。

 

「せっかくのディナーもおかげで食が進まなかったしよ。さっさと帰ってこないかね、ったく」

「それは君、ミラがないとか言って安いのを頼んだのも原因じゃないかい?」

 

 ホテルのレストランで夕食をとったのだが、そこは格式の高い場所ゆえにお値段もそれなりに張るものだ。遊び回っているせいで常に金欠気味なクロウには最安値のメニューをちまちま食べるしかなかったのだ。たまの贅沢と割り切ったトワとしては、サラ教官に食事代を経費で落とせないか掛け合ってみる所存である。

 それはともかく、ジョルジュがいないことで今一つ調子が上がらないのは事実である。遅くなる彼を思ってレストランからテイクアウトしてきた料理は冷めても大丈夫なメニューにしてきたが、それでも早く食べるに越したことはない。何よりも食が太い彼はそろそろ空腹が限界を超えているのではないかと別の意味でも心配だ。

 

 あれこれ話しつつ仲間の帰りを待つ。そうして二時を過ぎた頃だろうか。遠慮がちな、小さな音でトワたちの部屋の扉がノックされた。

 飛びつくように扉へ駆け寄るトワ。鍵をかけないで待っていた扉を開けると、そこには疲れ切った様子のジョルジュが少し驚いたような顔をして佇んでいた。

 

「……まだ寝ていなかったのかい? みんな?」

「当たり前でしょ。私もアンちゃんもクロウ君も、そんな薄情じゃないよ」

「私もなの!」

 

 トワの肩から顔をのぞかせてノイが続く。やれやれと肩をすくめるアンゼリカ、ようやく帰ってきやがったと呆れ顔のクロウ。それらを見渡したジョルジュは小さく笑みを浮かべる。

 

「そっか……そうだね」

「分かったなら、そんなところに突っ立っていないで早く入るといい。夕飯……という時間ではないが、食事は用意してある。どうせ何も食べていないんだろう?」

「はは、ご名答」

 

 乾いた笑い声を漏らしたジョルジュは早速とばかりに用意された料理に目を付ける。テーブルの上に置かれていたそれを見て、彼は「おっ」と喜色を帯びた声をあげた。

 

「レストランの上等な奴じゃないか。これは嬉しいな……支払いは誰にすればいいのかな?」

「安心するといい。君の勤労に免じて今回は私の奢りだ。遠慮なく召し上がれ」

「俺には一ミラたりとも出そうとしてくれなかったくせに。待遇の改善を要求する」

「クロウ君は特別なことしていないでしょ。文句言わないの」

 

 強いて言えば、試作導力銃のテストがそれに当たったかもしれないが、その件に関しては既に導力銃の贈呈という形で彼は個人的な報酬を得ている。さらに食事代を要求するのは図々しいというものだろう。せめて後日に経費で落ちることを願っていてほしい。

 軽口を叩きあう友人たちに笑みを浮かべながら夜食に手を付けるジョルジュ。普段もなかなかだが、今はそれ以上のペースで口に運んでいく。実際、かなりの空腹だったのだろう。シュミット博士の助手とはそこまで追い込まれなければならない役どころなのか。技術系の研究開発になど携わったことのないトワには、そこのところよくわからない。

 わからないが、ジョルジュにはそれが堪えていることは、なんとなく察していた。

 

「ねえ、ジョルジュ君」

「うん?」

「シュミット博士のお弟子さんをやめたのって、こういう風に毎日大変だったから?」

 

 ジョルジュの口に運ぶペースが、少し落ちる。

 どこか考え込んでいる面持ちで、しかしなんだかんだ食べるのをやめずに沈黙が続く。

 結局は完食したところで、彼はゆっくりと考えていたことを口にした。

 

「……大変なのは確かだけど、それを嫌と思ったことはなかったかな。僕が博士の元を離れたのは、もっと感情的な理由からだよ」

 

 浮かべるのは自嘲的な笑み。今まで語ることのなかった事情を、彼はぽつぽつと喋り始める。

 

「博士は昔から自分の興味本位に従って動く人でね。そうした結果として導力鉄道とかを生み出して技術の発展に貢献してきたわけだけど、弟子入りした当初は振り回されて大変だったよ」

「見た感じ、振り回されているのは今も変わらない気がするの」

 

 ノイの突っ込みにジョルジュは肩をすくめる。否定しないあたり、自覚もあるのだろう。もっとも、誰であったとしてもシュミット博士に振り回されずにいるのは相当に困難だと思わざるを得ないが。

 だが、振り回されているとは言っていても、ジョルジュから悪感情のようなものは感じられない。むしろ、どこか楽しげな様子にさえ見受けられた。

 

「大変だったのは確かだけど、それ以上に充実していた。画期的な発想、それを実現する卓越した技術。博士と一緒に研究する中で僕は多くのことを学ぶことができた。そのことについては本当に感謝しているんだ」

 

 ジョルジュが一息つく。「でも」と声を漏らした彼の表情は、一転して曇り始めていた。

 

「師事していくうちに、僕は博士とズレ(・・)を感じていくようになったんだ」

「なんだそりゃ? 研究方針の違いとかそういうのか?」

「はは……そう大層じゃないけど、大雑把に言えばそうなるのかな」

 

 クロウとしては、辛気臭くなってきた雰囲気を少しばかり茶化そうとしたのかもしれない。ところが、ジョルジュが返したのは苦く乾いた笑みだけだった。根深いものであると察するしかなく、クロウも思わず仏頂面になってしまう。

 

「博士は本当に最高峰の開発者だ。でも、その興味は作り出すことにしか向いていない。自分が作ったものがどうなろうと、どう使われようとどうでもいいんだ」

 

 その言葉に、トワは今一つピンとこなかった。

 開発したものに愛着を持たないということだろうか。ただそれだけならば、そういう人もいるのだろうとあまり気にはならないことだ。創作物に対する執着心の大小は個人差という言葉だけで片付いてしまう。

 だから、たぶん違うのだろう。もしそうならば、ジョルジュがこんなにも苦悩を露にするはずがないのだから。

 

「日常導力用品でも導力兵器でも関係ない。人の生活を豊かにするか、人を殺めることになるかもどうでもいい。博士は自分が興味を持ったそれを完璧に作り上げることにしか意識を割いていないんだ」

「……なるほど。君が感じていたズレとはそういうことか」

 

 自分が作り上げたものがどのように使われるのか、使われたことによりどのような結果をもたらすことになるのか。シュミット博士はそれを全く意に介さず、ジョルジュは無視することができなかった。

 言葉にすれば、ただそれだけのこと。だが、当人からすればそれだけで片付けられるものではなかった。

 

「何年か経った頃から感じてはいた。それが決定的になったのは……やっぱり、博士が列車砲の開発に関わったときかな」

「列車砲って……クロスベル自治州の、あの?」

「戦術性も糞もねえ、属国を支配するためだけの大量破壊兵器、か」

 

 エレボニア帝国がカルバード共和国と領有権を主張しあう係争地の一つ、国際的な貿易都市クロスベル自治州。それに面する東部国境の要衝、ガレリア要塞に配備されている戦略兵器――共和国を牽制し自治州に隷従を強いる暴力の権化こそが列車砲である。

 カタログスペックでは百二十分でクロスベル市を壊滅させることが可能と言われるそれは、もはや実際に使用されることを想定したものではない。要塞に設置されたその二門の砲口が存在することに意味があり、それだけでクロスベルの人々は震え上がるような思いを味わってきたことだろう。自分たちをたった数時間で燃やし尽くせるような兵器が突き付けられているなど、悪夢以外の何物でもない。

 

 オズボーン宰相からラインフォルトに発注されたというそれを開発した人々は、自分たちが作り上げたものにいったい何を思ったのか。その答えの一つが、ジョルジュが語るそれだ。

 シュミット博士は何も感じてなどいなかったのだ。自身の作品が人々を恐怖で縛り付けようとどうでもいい。彼の興味は列車砲を作り上げたその時点で尽きており、その行く末には欠片も意識を割いていないのだから。

 

「正直、博士のことが怖くなったよ。その時は僕もまだ十四歳で、一流の技術者はそういうものなのかもしれないとも思っていた……けど、やっぱり年を経るごとに博士の研究姿勢についていけなくなっていく自分がいたんだ」

 

 自分の為したことが、何をもたらすのか。

 シュミット博士と違い、ジョルジュはそれを無視することができなかった。できなかったからこそ彼は苦悩し、そしてその末に一つの決断を下した。

 

「だからジョルジュ君は博士の元を離れて、士官学院に?」

「ああ」

 

 そして、それこそがトワたちと出会うことになった道に繋がる決断であった。

 

「博士のやり方が正しいのか、僕には分からない。だから確かめたかったんだ。軍において技術はどう使われていくものなのか。自分たちが作り上げたものがどのような結果をもたらすのか。僕が本当の意味で技術者になるにはそれが必要だと思ったんだ」

 

 最先端の技術が使われるとすれば、真っ先に挙がるのはやはり軍だ。極論、効率的に人を殺すために日進月歩で兵器の技術レベルは向上し続けている。

 過去に学べば、導力通信の開発によって百日戦役におけるリベールへの電撃侵攻が可能となったという事例もあれば、逆に飛空艇の開発により帝国は手痛い反撃を食らったという事例もある。

 軍は最先端の技術が集積される場であるとともに、技術が持つ負の側面を最も目の当たりにできる場でもあるのだ。列車砲のように元来から人を傷つけることを目的にしたものもあれば、導力通信のように本来は人々の生活を豊かにするものが殺し合いの道具に使われることも儘ある。技術は使いようによって如何様にもその姿を変えるのである。

 だからジョルジュは士官学院という道を選んだのだ。工科大学に進学し、シュミット博士のもとでさらなる技術の研鑽に励むよりも、作り出した技術の行く先を知ろうと志した。

 

「大したもんじゃねえか。思ってもなかなか行動に移せるもんじゃねえぜ、そういうの」

「同感だ。思考停止に陥るよりはよほど立派なことだよ」

 

 ジョルジュのその選択は尊重されてしかるべきものだ。先刻のシュミット博士とのやり取りからして、彼からはあまり好意的に受け止められていないようだが、トワたちからすれば感心に値するものだった。

 褒め言葉にジョルジュは照れ臭そうに頬をかく。

 だが、その表情は決して明るいものではなかった。

 

「そんなことはないさ……それに、最近になって迷い始めてもいるんだ」

「……どういうことなの?」

「確かめたいとか言葉を並べ立てているだけで、自分が本当は逃げているだけじゃないかってことさ」

 

 それは自嘲であった。トワたちがいくら感心していようとも、彼自身は自らの選択に自信が持てなくなっていた。

 そんなことはない、と言うことができたのならどれほど良かっただろうか。だが、これはジョルジュ自身の懊悩であり、彼以外に正確に理解できることは難しいもの。軽率に彼の言葉を否定することはトワにはできなかった。

 ジョルジュが懐から戦術オーブメント――試作型ARCUSを取り出す。このルーレに来る前からも、彼はなんとか戦術リンクを安定させられないかと調整に苦心してきた。この試験班の中で、誰が最もARCUSの運用テストに貢献しているかと問えば、それは彼に違いない。

 その彼が、自らの技術を費やしてきた存在を見る目は複雑なものであった。

 

「僕が試験班に参加することを決めたのは、自分も末端ながら関わってきたARCUSがどう結実するか自分の目で確かめたかったからだ。戦いの道具にしかならないのか、それとも別の答えがあるのか。自分の手でその答えを探せるのなら願ってもいなかった」

 

 「けど」と彼は言い淀む。自分の中の受け入れがたいものを直視するかのような苦々しさが、そこにはあった。

 

「けど……最近は違った。僕は博士と同じになっていたんだ。どうやったら戦術リンクを完成させることができるのか、そればかりに夢中になっていた。ARCUSがどう使われるのかなんて考えてもいなくて、実習先がルーレだと聞いたときに気付いて愕然としたよ」

 

 乾いた笑みが彼の口から洩れる。疑いようもない、明確な嘲笑であった。

 

「格好悪いだろう? さっきまで博士と作業していた時だって、心の底では充足を感じていた。技術者の業からは逃げられないんだと痛感したよ」

「それは……」

 

 トワは何も言えなかった。なんと声をかけたらいいのか分からなかった。それはクロウもアンゼリカもノイも同じで、ただジョルジュの言葉に耳を傾けるしかなかった。

 

「結局、僕は博士と同じ穴の狢なのかもしれない。もしそうだとしたら、士官学院に進学したのはただ目を背けるだけだったんじゃないかって……」

 

 その言葉に、トワの胸中に不安がよぎった。このままジョルジュがいなくなってしまうんじゃないかという、そんな不安が。

 それが顔にも出てしまっていたのかもしれない。ジョルジュは誤魔化すようにお道化た声を口にした。

 

「――なんてね。ごめん、長々と変なことを言ってしまった」

「そりゃ構わねえが……まあ、なんだ。たまに愚痴を吐くくらいなら付き合うぜ」

「はは、クロウとアンがもう少し真面目に勉学に励んでくれたら僕の苦労も減るんだけどね」

「おっと、そいつは耳が痛いね」

 

 傍から見れば、いつもの調子のいい掛け合いに見えただろう。

 だが、ジョルジュの話を聞いてしまってからでは、それは彼が無理をしているようにしかトワの目には映らなかった。今、彼が話してくれたことは紛れもなく本心であり、ルーレに来てからずっと思わしくない様子であることの原因だと理解せずにはいられなかったから。

 

「でも、本当に無理はしないでね、ジョルジュ君。私たちでよかったら、いつでも相談に乗るから」

「……トワにそう言われたら断れないな。うん、ありがとう」

 

 ただ、今はそうやって声をかけるのが精いっぱいで、彼女の心中から不安を拭うことはできなかった。

 

「さて、と。もう夜も遅いの。明日も早いんだし、さっさと寝た方がいいと思うのだけど」

「ふぁ……そういや、もう深夜もいい時間だったな」

「そうだね……あふ」

 

 思い出したように欠伸を漏らすクロウ。これほど遅くまで起きているのはトワも滅多にないことだ。自然、欠伸が移ってしまう。

 それが丁度いい区切りだった。もう今日はここまでにしておこうと解散することにし、女子たちは男子部屋から退室する。静まり返ったホテルの廊下を、音を立てないよう忍び足で割り当てられた部屋に戻る。

 その道すがら、トワはぽつりと口にした。

 

「……知らなかったね。ジョルジュ君があんな風に悩んでいたなんて」

「そうだな……自分で言うのもなんだが、私とクロウで好き勝手やっている分、彼が自分を前に出してくることはあまりなかったからね。こうして口にしてくれた分、幸いであったと思うよ」

「ジョルジュ、結構ため込んじゃうタイプに見えるの。どうにかしてあげたいけど……」

 

 ノイの言葉が後に続かないように、トワもまた何をするべきか思いつかなかった。それがたまらなくもどかしい。

 部屋に戻った後も、胸の内の詰まりは消えてくれない。小魚の骨が喉に突っかかったような感覚を残しながら、ルーレの実習は一日目の終わりを告げるのであった。

 


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