永久の軌跡   作:お倉坊主

26 / 61
出張先からしばらくぶりの投稿。慣れればホテル暮らしも存外悪いものでもありませんが、据え置きゲームができないことが難点。早く家に帰ってペルソナ5やりたい……


第26話 黒鋼の街

 六月末。定期テストも終わり、しばらく降り続いていた雨も上がった気持ちのいい晴れ空の下、士官学院のグラウンドには五人の人影があった。少し前まで戦闘の音が響いていたそこは、既に剣戟は収まり荒い息と戦いの余韻だけが残る。

 月末となれば試験実習も間近に迫る。無事に定期テストで赤点を逃れたクロウも滞りなく引き続き参加する運びとなり、今日は二度目の実技教練へと臨んでいた。

 

「……驚いたわね。一カ月かそこらで随分とやるようになったじゃない」

 

 構えていた得物の強化ブレードと導力銃を下ろす。息を荒げて倒れ伏す四人の教え子に向けて、サラ教官が口にしたのは純粋な称賛だった。それは世辞でなければ誇張でもない。手合わせの結果として、彼女が肌で感じたものをそのまま言葉にしただけだ。

 

「げほっ……よく言うぜ。全員のしておいてくれてよ」

「そこはあれよ、アタシだって簡単にやられちゃ面目が保てないでしょうが」

「むぅ、まだまだ精進が足りないということか」

 

 咳き込みながら文句をつけるクロウと唸り声を漏らすアンゼリカ。その表情は悔しげで、それなりに自信があったからこそ余計に口惜しい思いなのだろう。

 だが、余裕そうな態度を見せてはいるものの、サラ教官をして冷や汗をかかせられる場面が何度かあった。それこそ一歩間違えていたらグラウンドに倒れ伏していたのは自分の方だったかもしれない。そう思わせられるほど四人は肉薄してみせ、彼女も本気を出さざるを得なかった。

 

(ARCUS、それに戦術リンク……なるほど、大したものね)

 

 サラ教官は改めて新たな戦術オーブメントの有用性を実感していた。

 先月の実技教練ではまだまだ余裕を持っていなせていたというのに、たった一カ月でこれだ。個々の実力に大きな変化が無くとも、それらが噛み合わさり、相乗することにより集団の戦力は何倍にもなる。

 これが戦場に出回ればどうなるか。そう考え、途中で打ち切る。今はまだ、それを考える時ではないだろうと。

 

「リンクは切れなかったんだけどなぁ。まだまだ改善の余地がありそうだね」

「当面は、より安定したリンクを確立するのが目標かな。現段階ではリンクの強さにむらがあるみたいだ」

 

 息を整えたトワとジョルジュは早速、課題の洗い出しに掛かっている。出来たこと、出来なかったこと、双方を比較検討し今後の目標を定めていくことが実技教練の趣旨である。悔しがっていたクロウとアンゼリカも話の輪に加わる。

 

「むら、か。確かにリンクの感覚が一定ではないように思える時はあるね」

「それなら分かるぜ。なんというか、こう、途端に手応えが軽くなっちまうような感じだろ?」

「言葉にするのは難しいけど、そんな感じだね」

 

 先月の実習を通じて戦術リンクの断絶はなくなった。ただし、それで戦術リンクの全てを引き出せるようになったわけではない。むしろ、ようやく存分に活用するためのスタートラインに立てたと言った方がいいだろう。

 現にトワたちはリンク強度の安定性に難を感じていた。お互いの一挙一動が分かるような強い結びつきを感じる時もあれば、なんとなくこうするだろうという漠然としたイメージしか感じられない時もある。強い結びつきが保たれていれば良いのだが、途端にそれが弱まってしまうと連携の幅も比例して狭まってしまう。

 そして、それは相手にとって攻勢が緩まった付け入る隙となってしまうのだ。

 

「あたしから見ても、そんな感じの緩急は感じたわね。おかげさまで楽に斬り込めたけど」

 

 差し挟まれた一言に四人は「むぅ」と唸る。他ならぬ対戦者が言うのであれば、これは明確にして重大な課題として認識しなくてはならない。現状のちぐはぐな連携では実用性があるとは言い難くなってしまうのだから。

 リンク強度の安定性向上。

 次の課題をそう定めたのはいい。しかし、問題はそこからどうするべきかであった。

 

「ジョルジュ、君の方でそこらへんは調整できるのかい?」

「微調整くらいなら。でも、これは少し手を加えたくらいで解決するような類でもないと思う。もっと根本的な対応が必要だね」

 

 問題は戦術リンクシステムの奥深くに根差している。いくらジョルジュが学生離れした技術力を持っているとはいえ、ただ一人で最新鋭の戦術オーブメントの基幹部分に手を加えるのは厳しいようだった。

 

「これまで面倒くせえレポートなりデータなりを懇切丁寧に送ってやっていたんだ。そろそろ開発メーカー(ラインフォルト)にクレームの一つでも入れてやろうぜ」

 

 そうなると自然、頼るべきは開発元のラインフォルト(RF)となる。正確にはARCUSはRFとエプスタイン財団の共同開発となっているが、話に聞く限り戦術リンク機能自体はRFが主導して開発しているようだ。言い方は乱暴ではあるものの。クロウの提案はそれほど悪いものではなかった。

 もとよりトワたちは試作型ARCUSのテスター。テスト対象自体に不良個所があるのならば、それを是正するよう要求しても罰は当たらないだろう。リンク断絶が起こらないようにするところまでは自力で何とかなっても、これ以上は本職の技術者たちの領分であるように思えた。

 戦術リンクに関しては、自分たちの力だけではそろそろ限界。そう結論付けたトワたちはサラ教官へと目を向ける。

 

「というわけなので、先方への連絡お願いします」

「実習まで時間もあまりないだろ。何時もみたいに怠けていないでさっさと頼むぜ」

「……アンタたち、色々と遠慮が無くなってきたわね」

 

 引き攣った笑みを浮かべるサラ教官は内心で後悔した。もっと徹底的に叩きのめしておけばよかったと。実際には先月の実習後にシグナに奢ってもらった際、しこたま飲んだ挙句に翌日は二日酔いで終始蒼い顔をしていたという醜態を晒した結果だったりする。要するに自業自得である。

 それはさておき、問題は戦術リンク、ひいてはARCUSのこと。別段、戦術リンクに進展の余地が見られなくても実習の意義はある。試験実習の主目的は来年の特別実習の予行演習なのであり、戦術リンクの運用自体はそれに並行して行っているだけ。だからRFへの連絡やARCUSの改善を急がなくても別にいいと言い訳しようと思えば出来るのだ。

 だが、幸いにしてというべきか、今回はだらしない大人の言い訳をせずに済む手があった。

 

「まあ、そう焦る必要もないわよ。どうやら向こうも同じことを考えていたみたいだし」

「向こう、ですか?」

 

 要領を得ないサラ教官の言葉にジョルジュが首を傾げる。それに何と答える訳でもなく、彼女は脇に置いていた封筒を手に取って差し出してくる。

 有角の獅子の紋章が目を引く四つの封筒。先月と同じ、試験実習の詳細が記された書類が入っているのだろう。受け取ったそれとサラ教官の顔を見比べれば、さっさと開けてみなさいとばかりに視線で促される。焦る必要もない、向こうも同じ、彼女が口にした言葉と話の流れから「もしや」と思う。

 果たして、その推測は封筒から出てきた書面により肯定された。

 

「黒銀の鋼都、ルーレ――なるほど、そういう訳ですか」

 

 アンゼリカが納得したとばかりに呟く。その様子に、トワは「あれ?」と内心で少し不思議に思う。

 顔には相変わらず不敵な笑みが浮かんでいたが、そこには確かに苦みのようなものが存在していた。アンゼリカだけではない。ジョルジュも口では何も言わずとも、ルーレという名に感情が入り混じった複雑な表情をしている。その理由は窺い知れないが、二人ともルーレに対して何か思うところがあるのは確かなようだった。

 

「実習期間は今週の土曜、日曜の二日間。今回はちょっと変則的になるかもしれないけど、ま、程々に頑張ってきなさい」

 

 サラ教官の激励を耳にしつつ、トワは思う。

 今回もまた、色々と厄介事が起こる実習になりそうだ。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「んで? ゼリカとジョルジュは何をそんな微妙な顔してやがんだ?」

 

 そう言って、クロウは『六』のカードを手札から放った。アンゼリカがピクリと眉を動かす。それは彼に言い当てられたことはあるだろうが、出されたカードに関係があるかどうかは分からない。

 

「分かるかい?」

「そりゃあ、いつも顔合わせる度に皮肉吐いてくる奴の口数が少なくなりゃ分かるさ。ジョルジュに至っては明らかに溜息が増えたしな」

「否定はしないが、君に言われると微妙にイラッと来るね」

「アン、こんな時に限って調子戻さなくてもいいじゃないか……でもまあ、僕も気付かない間に気を遣わせちゃっていたみたいだね」

 

 窘めつつも、ジョルジュは自嘲するように笑う。アンゼリカにしても常に比べてキレが悪いように感じられた。クロウの言う通り、やはり二人は何がしかの事情を抱えているようだった。

 そして、そんなことを聞いてトワが黙っていられないのも、また当然のことだった。

 

「ルーレは二人の地元なんだよね。気になることがあるなら相談して欲しいな」

『って言っているけど、この場で断ってもしつこく聞いてくると思うから早めに吐いた方が楽なの』

 

 気遣いのつもりで聞いているというのに、ノイがそんな口を挟んでくるものだからトワは「もう!」と頬を赤らめる。しかしながら、姿なき姉代わりに抗議の視線はむけていても口では何も言わないあたり、自分でも少なからず自覚があることは周囲の目にも明らかであった。

 そんな漫才染みたやりとりに気持ちが多少は解れたのだろうか。アンゼリカは小さく喉を鳴らして笑い、ジョルジュも苦笑を浮かべる。それは影のないごく普通の笑いであった。

 

「ふふ……そうだな。まだ鉄路は長い。実習地のおさらいがてら、お言葉に甘えて少し話を聞いてもらおうか」

 

 言って、アンゼリカは『ボルト』のカードを出す。クロウはあからさまに渋い顔をした。

 

 実技教練から数日、試験実習当日にトワたちは早朝のトリスタを出発して鉄路を走る列車に身を揺られていた。帝都ヘイムダルでクロイツェン本線からノルティア本線に乗り換え、北部ノルティア州に走り出して小一時間。州都にして今回の実習地であるルーレまで未だ時間がある中、暇つぶしにクロウが布教しているという《ブレード》なるカードゲームに興じているときのことであった。

 ルーレ――黒銀の鋼都と呼ばれるノルティア州の中心地であり、巨大企業ラインフォルトが本拠を置く帝国随一の工業都市。街を治めるのはアンゼリカの実家であるログナー侯爵家。街自体が一つの建造物のような重厚で機能的な都市だという。トワもそこまでは知っていた。反対に言えば、それくらいしか知らなかった。

 こういう時に地元の人間がいるというのはありがたい。アンゼリカは引き続きクロウとのブレード勝負に興じながら口を開く。

 

「ルーレは知っての通り、私の生家であるログナー侯爵家が治める街である訳だが……四大名門などというご大層な家に生まれてしまうと、色々と面倒なことも勝手に降りかかって来てね。柄にもなく憂鬱になっていたみたいだ」

「へえ、列車を降りた途端に人の行列がお出迎えでもしてくれるのか?」

「ご期待に沿えなくて悪いが、それはないだろうね」

 

 茶化すクロウにアンゼリカはニヤリと笑う。どうやら調子が戻ってきたらしい。

 

「領主はログナー侯爵家とはいえ、ルーレにおいてその権力は絶対的なものとは言えない。ルーレは大陸規模の巨大企業、RFのお膝元でもあるのだからね」

 

 ルーレは他の四大貴族が治める各州都とは少し事情が異なる部分がある。帝国という枠組みを超え、国際的に強い影響力を持つ大企業、ラインフォルト社の存在だ。

 他の州都では四大名門が完全な統治体制を築いている。当然のことだ。公爵、侯爵に及ぶ権威を持つものなど存在せず、格下の爵位である貴族たちはその権威を前に首を垂れるしかないのだから。帝都では圧倒的な存在感を示す革新派も、流石に貴族派の牙城においては姿が霞んでしまう。

 その中で、唯一RFという例外を内包しているのがルーレだ。

 RFは強大だ。元は一つの武器工房だったものが、帝国の軍事国家という側面、そして導力革命という技術革新と相俟って拡大に拡大を重ね、今や帝国最大の重工業メーカーにして大陸企業の総資産額第二位の巨大企業である。その影響力は帝国のみならず大陸各国にまで及ぶ。

 そんな化物じみた規模を誇る企業が本社を置く都市が、どうして影響を受けずにいられるだろうか。街の各地には工場をはじめとした各種関連施設が林立し、住まう人々もRFに関連した仕事をしているものが多くいるという。ルーレの根幹にまで深く食い込んだRFの存在は、四大名門であるログナー侯爵家をして無視することはできないのだとアンゼリカは言う。

 

『じゃあアンゼリカの家にとっては目の上のタンコブみたいなものなの?』

「いや、実を言うとそう悪い関係でもない」

 

 ではログナー家としては目障りに思っているのかと問えば、どうやらそういう訳でもないらしい。

 

「RFが本拠を置いているからこそ、ルーレの重要性が増して結果的に他家に対する発言力に繋がっている側面もある。それに、RFの経営にはログナー家も筆頭株主として一枚噛んでいる。仲良子よし、とはいかないが上手く付き合っているとは思うよ」

 

 なるほど、と話を聞いていた面々は納得する。確かに対立して険悪な関係になるよりか、お互いに美味しい思いができる協力体制を築いた方が建設的だ。いわゆるビジネスパートナーのようなものなのかもしれない。

 ルーレの権力構造を大まかながら理解したところで、アンゼリカは「話を戻そうか」と区切る。RFのことに話が逸れたが、元は彼女が言う面倒事について聞いていたのだ。

 

「まあ、私の方はRFとかそっちにはまるで関係がない。単純に家のしがらみが色々と面倒臭いのさ」

「しがらみって……アンちゃん、そんな不自由には見えないけれど」

「むしろ、お前が不自由だったら世の中の人間は殆どが雁字搦めってことになるっつうの」

 

 四大名門どころか貴族という枠組みからさえもはみ出した立ち振る舞いで有名なアンゼリカである。それがなにの冗談を言うかとばかりのクロウを彼女は笑い飛ばす。

 

「それは君、私が反抗期真っ盛りだからこそそう見えるだけだよ。仮に父上の言いなりだとしたら、私は見る影もない貞淑な女子生徒に成り果てているだろうさ」

「いや、ちょっと想像がつかないかな」

 

 なんとも言えない様子のジョルジュにトワやクロウも首を縦に振って同調する。きっとノイも同じようにうんうんと頷いていることだろう。貞淑なアンゼリカなど、それほどまでに想像の埒外にある存在であった。思いの外、否定的な反応が返ってきたせいか「私を何だと思っているんだ」と本人はやや不満げである。

 何と言われても、トワの中でアンゼリカは自由奔放な人柄と認識されている。貞淑さとは縁もなさそうだ。が、貴族子女という立場を鑑みれば本来はそうあって然るべきなのだろう。そうならなかった理由をアンゼリカ自身は反抗期と語るが、それはきっと成長期に起きる親への反発心とは異なったものなのだと思う。父であるログナー侯爵と何か相容れないことがあったのか、それとも。

 色々と想像は巡るものの、アンゼリカからはこれ以上の話はしてくれない様子だった。言葉が途切れるタイミングよくつかみ、話題の対象を自身からもう一方に挿げ替えてくる。

 

「そういうジョルジュはどうなんだい? 私見では、工科大に関係があると踏んでいるんだが」

 

 急に話を振られたジョルジュは少し息を詰まらせる。工科大が何のことか分からないトワとノイは頭に疑問符を浮かべた。

 

「……ご明察。まあ、地元の君なら少し考えれば分かることか」

「ルーレで導力技術に強いとなれば、必然的にRFか工科大関係になるからね。可能性としてはそちらの方が高いと思っただけさ」

「えっと、話の腰を折っちゃって悪いけど、工科大って何なのかな?」

 

 はた、とアンゼリカとジョルジュはその問いに動きを止める。他の面々が話についてこられていないことに気が付いたのだろう。いわゆる地元トークをしてしまっていた訳だ。アンゼリカは咳払いを一つ。居住まいを正すとトワたちの方へ向き直る。

 

「これは失礼。ジョルジュ、説明を」

「あ、僕がやるのか」

 

 改まっておいて人に丸投げという変化球にジョルジュがワンテンポ遅れて応じる。アンゼリカは先ほどRFの説明をしてくれたので丁度いいといえばいいのかもしれないが。

 

「じゃあ簡単に。工科大――ルーレ工科大学は導力技術の研究開発をしている専門教育機関でね。全く新しい導力製品を作ったり、他にもまだ製品化の段階にない新技術のテストなんかをしているんだ」

『なんだか凄そうだね。技術者にとってはこれ以上ない環境に聞こえるの』

「はは、まあ実際、凄いところだよ。教授もその世界じゃ名の知れた人が多いし、卒業生だって主にRFの技術者として第一線を張っているしね」

 

 そう話すジョルジュはどこか楽しげだ。まるで我がことを誇るように。

 新技術の研究開発。つまりはRFが世に送り出す新製品なども、元を辿れば工科大で作り出された技術が基礎となっているのだろう。世の中を便利にしていく礎に携われる。それは想像するだけでやりがいのあることで、きっと技術者冥利に尽きることなのだと思う。

 だから彼が何を誇っているのかは分かる。分からないのは、どうして彼が誇るかだ。

 

「名前は聞いちゃいたが大したもんだな。で、そんなところにお前がどう関係してるっていうんだ?」

 

 ジョルジュは十七の学生だ。今年にトールズ士官学院に入学した、である。ルーレ工科大学の生徒ではないし、年齢から考えて生徒であったという可能性も低いだろう。日曜学校を卒業して僅か一年ばかり在籍していたというのは、あまり現実的には思えない。

 うーん、と当の本人は何か悩むようにうなる。ややあって「少し長くなるけど」と彼は切り出した。

 

「別に、工科大に席を置いていたわけじゃないんだ。ただ昔から導力技術に興味があって、最先端の研究を見てみたいと機会があれば工科大に足を運んでいた。公開講義を受講したり、自作の導力器を持ち込んでみたりね」

 

 懐かしむ色を浮かべながら語るジョルジュは、そこで声音に喜びが混じる。

 

「そんなある時だった。とある博士が、自分の弟子にならないかと誘ってくれたんだ」

「お弟子さんにって……その工科大で教授をしているような人に?」

『凄いの! ほとんど飛び級みたいなものなの!』

 

 最先端研究を行う学府に所属する博士ともなれば、かなり優秀な人に違いない。そんな人に弟子にならないかと誘われたのだ。今のジョルジュの導力技術への造詣の深さへの納得もさることながら、その当時から人の目に留まる才覚を有していたという事実に感嘆を隠せない。

 

「もちろん二つ返事で同意したよ。それからは毎日のように研究室に入り浸るようになって、博士に色々なことを教えてもらったりコネで講義も受けさせてもらった。かなり厳しかったけど、弟子にしてくれたのは本当に感謝しているんだ」

「君の技術者としての腕はそこで磨かれたというわけか。しかし、そうなると分からないな」

 

 ジョルジュの技術力の由来は分かった。だが、分かったからこそ疑問が生じてしまう。どうして彼はそのまま工科大に正式に進学せず、わざわざトールズ士官学院にやって来たのだろう。技術者として成長していくのなら、その博士のもとにいた方が遥かに合理的なのに。

 言葉にせずとも共有された疑問を、ジョルジュも当然のことながら理解している。少し逡巡し、彼は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。

 

「僕は……ちょっと、その博士についていく自信がなくなっちゃったんだ。士官学院に来たのも、もとを辿ればそれが理由かな」

 

 まるで情けないことを告白するかのように、ジョルジュはトーンの落ちた声を自嘲的な笑みと一緒に漏らした。今まで見たことのない彼の様子にトワも戸惑ってしまう。これは果たして、踏み込んでもいい領域の話なのか。

 

「その博士と喧嘩別れでもしたのかよ?」

「喧嘩、ね。そういう感じではないかな。ただ僕が勝手に離れていっただけで……失望されてはいると思うけど」

 

 間合いを推し量るようなクロウの問いかけ。拒絶はされなかったが、どこか立ち入りづらい空気も感じる。きっと聞けばジョルジュは答えてくれるのだろう。答えてはくれるが、それは同時に彼の心を削る行為になるのかもしれない。

 まだ実習が始まる前というのに、そんなことをするのはあまり気が進まない。これ以上の詮索は躊躇われた。

 

「博士とまた顔を会わせると思うと気が滅入ってさ。それだけだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「……そっか」

 

 だから、そこから先はあえて聞かなかった。機会があれば、いずれ彼の口から語られることがあるだろう。

 

「ったく、揃いも揃って面倒ごとばかり抱えた面子だぜ。毎度こういう話題には事欠かないよな」

「君が言うことかい? 最初に面倒ごとの火種になったのはどこの誰だったのやら」

「あれは突っかかってきたお前も悪いだろうが、よっと」

 

 クロウが茶化すように文句を垂れれば、それに乗っかるようにアンゼリカも応じる。そう、まだ実習は始まってさえいないのだ。だというのに今から憂鬱な気分に浸っていては、実習のさなかでへばってしまう。気がかりや心配事があったとしても、今は前向きに実習を有意義なものにできるよう心掛けるべきだろう。

 垂れこめていた暗い雰囲気を振り払うかのような彼の言葉に、トワとジョルジュも幾分か表情を明るくさせる。もしかしたら単に文句を叩いただけかもしれないが、皮肉っぽいユーモアがあるとないとでは大きく違う。意図してかしないかはともあれ、暗がりを晴らしたクロウは中断していたブレード勝負を再開させる。

 出したのは『一』のカード。アンゼリカの『ボルト』によって伏せられていた『六』のカードが復活し、ゲームは再びクロウの優勢となる。手札はクロウが一枚、アンゼリカが二枚。布教者たるクロウがこのまま勝利を収めるのだろうかと思う場面。

 

「否定はしないさ。だがまあ、あれから紆余曲折を経て諸々の問題もあったが、こうして共に行動するようになったんだ」

 

 不利な状況であってもアンゼリカは余裕を崩さない。この期に及んでブラフの意味はあまりないだろう。クロウが嫌な予感に身を震わし、アンゼリカの手札の一枚が晒される。

 

「今回もまた、実り多き実習としたいものだね」

 

 表となったのは『ミラー』のカード。お互いのカードが反転し、優位と不利は瞬く間に逆転する。クロウが声にならぬ悲鳴をあげ、トワとジョルジュは思わず吹き出してしまう。車窓の向こうには、幾本もの塔がそそり立つ黒鋼の街が迫りつつあった。

 

 

 

 

 

「わっ、けっこう広い駅だね」

 

 そして降り立ったルーレ駅。ホームを見渡したトワが喜色を含んだ声をあげる。

 

「先月に比べたら随分と控えめな反応じゃねえか。もっとお上りさん丸出しかと思っていたぜ」

「クロウ、カードに負けたからってトワに当たらないでよ」

 

 皮肉たっぷりの台詞を吐いたクロウをジョルジュがたしなめる。いくらこっ酷い負け方をしたからといって、これはあまりにも大人げなかった。「うっせ」と吐き捨てて、つんと拗ねる彼の姿はまるっきり子供である。

 かくいうトワは男子二人のやり取りなど意に介せず、ルーレ駅の様子をつぶさに観察する。ヘイムダルの圧倒的な大きさを目にしたことで慣れはしたものの、まだまだ彼女の中ではもの珍しさが先行する。

 

「やれやれ、懐の狭い男だ。トワ、なにか面白いものでもあったかい?」

「あっ、うん。あの列車は何なのかな」

『随分と飾りっ気のない列車なの』

 

 指さした先の列車は、ノイが評したとおりに飾り気のない無骨なものだった。客を乗せるような車両は連結されておらず、どうやら貨物列車の一つようだ。しかし、同じ貨物系でも他とは分けられて佇んでいるそれはトワの気を引き、何よりもその周囲の様子が気になった。

 

「あれはノルド行きの貨物列車だね。国境のゼンダー門に物資を送るものなんだが……」

 

 ノルド。確か帝国北東に位置するカルバード共和国との緩衝地帯の一つだったと思う。かねてより帝国と親交がある民族が住まう地であり、その関係はドライケルス帝の時代より続いているのだとか。

 つらつらと本の知識を思い出すが、それとは別に目の前の状況に小首を傾げてしまう。簡単な説明をした側のアンゼリカもまた同じであった。

 

「ふむ、やけに慌ただしい。あれだけの戦車を運ぶことなど滅多にないのだが」

「かといってノルドで何かあったわけでもなさそうだよ。そこまで深刻な感じは見られないし」

 

 貨物車両に積載された戦車。その数は機甲部隊を構成できるだけはある。しかし、それらは最新型のアハツェン(18)ではなく旧式のものが目立つ。ゼンダー門への増強にしてはちぐはぐな印象を受ける。そもそも、ノルドはクロスベルと違って共和国との摩擦は少ないと聞く。貨物列車の周りを動く軍人たちの様子も、忙しそうではあるが切迫したものは感じられない。なんとも奇妙な光景にトワたちは不思議がる。

 

『んー……戦車には三のエンブレムが施されているの。所属を示すマークなんだよね、あれ』

「つうことは第三機甲師団の戦車か? 《隻眼》のゼクスの駐屯地は南部国境だったと思うんだが」

「私に聞かれてもね。現実に目の前にその戦車があるのだから、何かしら理由があってノルドに向かうところなのだろうとしか言えないな」

 

 ノイが遠目に確認した戦車の所属は第三機甲師団。ゼクス・ヴァンダール中将率いる柔軟な作戦行動を得意とする師団である。そんなトワでも名前くらいは知っている用兵家がノルドに何の用なのか。アンゼリカはさっぱりわからんと匙を投げる。

 様子からして救援などの類ではない。仮にそうだとしても、本来ならば南方に駐留する部隊から持ってくる必要もないだろう。だとすれば考えられる可能性は限られてくる。

 

「配置換え、かな。ほとんど部隊ごと移動しているみたいだし」

 

 あれだけの数の戦車。増援などの目的でないとすれば、そこに駐留するために行くためと考えた方が自然だと思う。わざわざ南方の第三機甲師団がノルドに出向くのも、配置が換わったとすれば一応の説明はつく。

 

「確かにそれが一番しっくりくるけど……こんな時期に配置換えなんてするものなのかな?」

「だよねぇ」

 

 しかし、それはそれで疑問は浮かんでくる。

 どうしてこの時期に、どうして精強な第三機甲師団が波風立つ様子もないノルドへ。

 いくらでも問うべきことは思い浮かんではくるものの、あいにくとそれに答えられる人物はこの場には存在しない。彼女たちは遠目に戦車をちらと見て、憶測を広げていただけのただの野次馬。わざわざ貨物列車の周りを動き回る軍人たちに聞きに行って迷惑をかける気もなく、また軍人たちも彼女たちのことなど気にも留めていないだろう。

 だからトワたちは「まあ、いいか」と話を切り上げ、そろそろ本題に向き合うとする。

 

「あまり話し込んでも仕方ねえ。そろそろ行くとしようぜ」

 

 ホームをまばらに流れる人の波に乗って駅の外へ。件の貨物列車はすぐに見えなくなった。機会があれば、いずれことの事情を知る機会もあるだろうとトワは頭の片隅に仕舞った。

 

「実習の責任者の人、また駅前で待ち合わせることになっているんだよね。今度はどんな人だと思う?」

「オットー元締め、シグナさんときて、ルーレでそれに相当するような人というと……」

 

 ジョルジュがちらりとアンゼリカに視線を送る。初めに思い浮かべるとしたら領主関係だ。

 

「正直、父上がこういうことに関わっているとは思えないね。実習先の領主として報告くらいはいっているかもしれないが、まず間違いなく好きにしろと気にも留めていないだろう」

 

 ところが、その娘からはにべもなく否定される。あまり仲が良くない親子のようだが、それでも家族として過ごしてきたからには性格くらい承知している。彼女は疑う余地もないとばっさりと切り捨て、その断言ぶりにトワたちもまた納得するほかない。

 では、他に有り得るとしたら何者になるのだろうか。

 考えられる候補を思い浮かべていると、外の光が目に入った。歩きながら話しているうちに駅の出口はあっという間に近づき、いよいよ実習地であるルーレの街に足を踏み入れる。

 

「わっ……!」

 

 瞬間、考えていたことなどトワの頭から全部吹き飛んでいった。

 目の前に広がる光景に心奪われ、クロウにおちょくられたお上りさんぶりを恥も外聞もなく晒してしまう。それもこの特異な街並みを見てしまえば無理もないことだろう。

 

『街の上に、また街が……一つの建物みたいなつくりなの』

「噂には聞いちゃいたが、こりゃまた名前負けしない街並みだな」

 

 雑貨店や酒場、住宅が立ち並ぶ駅前の街並み。トワがまず驚かされたのは、その一段上にも街が築かれていることだ。いわゆる下町のような雰囲気がする下層とは打って変わり、上層にはビジネス街のような趣が垣間見える。それらをつなぐのは街の中央に存在する導力式のエスカレーター。そして、その先に存在する建造物は否が応にも目を引いた。

 まるで天に手を伸ばさんがごとく高くそびえ立つビル。ルーレの街並みの中でも一際高く、領主たるログナー家さえも霞んでしまうかのような威容に、車中で聞いたアンゼリカの話に改めて納得する。刻まれた社章が日に照らされ、その栄達を誇るかのように輝く。

 ラインフォルトグループ本社ビルを前に、トワは呆けた顔で見上げる他ないのであった。

 

「はは、驚いたみたいだね。僕も小さい頃に初めて来たときは目を輝かせたものだよ」

「黒銀の鋼都――上下二階層からなる、工業都市としてのあらゆる機能を余すことなく備えた鋼の街。お気に召していただけたかな?」

 

 二階層の街やRFの巨大な本社ビル以外にも目を引かれる点は多々ある。街の外周に立ち並ぶ機械的な尖塔や大規模な工場設備、帝国最大の重工業メーカーの本拠地たらしめる要素がルーレの各地に点在している。

 先月に訪れたヘイムダルは《緋の帝都》の名のとおり、緋色に染まった街並みと皇帝の座する都としての華やかさがあった。ルーレもまた同じだ。《黒銀の鋼都》の名のとおり、まるで洗練された機械のような機能美と工業都市特有の力強さに似た何かを感じる。人々が称するその名が、街の本質を評したものであることを自身の目で見ることで実感を伴う。

 

「うんっ! こんな街があるなんて思って……も……?」

 

 思ってもいなかった。そう言おうとして、言葉は不意に頭の上にかかった影に途絶えさせられる。何事かと空を見上げた先、そこに存在していた度肝を抜かれる光景を目にすることで。

 それは、巨大な飛行船だった。

 通常、定期便として運用されている旅客飛行船の大きさなど比ではない。もはや船の範疇に収まるのか疑問さえ感じられるサイズは、まるで空に横倒しになったビルが浮かんでいるかのように錯覚してしまうほどだ。飛行船が空に浮かぶ理屈からして、飛翔機関の出力が足りるのであれば大きさは関係ないということは理解できるが、いざ目にすると非常識な光景に思えてしまう。

 トワは開いた口がふさがらず、ノイやクロウも呆気にとられているのが雰囲気から伝わってくる。そして驚いているのは地元であるアンゼリカとジョルジュも同じであり、街の人々の誰もが空を見上げずにはいられなかった。

 やがて巨大飛行船は降下して街の陰へと姿を消していく。空港に着陸したのだろう。その様子を唖然としたまま眺めていた四人は、弩級の船が見えなくなったところでやっとの思いで口を開く。

 

「……おいおい、この街はびっくり箱か何かかよ」

「噂には聞いていたが、まさかあれほどとはね……」

「アンちゃん、あれが何か知っているの?」

 

 素直な驚きを見せるのはアンゼリカにしては珍しい。そんな彼女が漏らした思わせぶりな一言に、つい反射的に問いかけてしまう。

 

「《ルシタニア号》。ラインフォルト社がこのたび世に送り出す、世界最大級の豪華飛行客船ですわ」

 

 果たして、その問いに対する答えはまったく見当違いの方向から聞こえてきた。

 先ほどまで誰もいなかったはずの空間。そこに湧いて出たかのように突如として姿を現していたのは、メイド服に身を包んだ若い女性。ジョルジュから「い、いつの間に……」と驚かれても、悪戯っぽくふわりとほほ笑むのみ。どこか確信犯的な印象を受ける。

 

「なるほど……今回、面倒を見てくれるのはそちらというわけですか」

「はい。ルーレにおける皆様の実習を実り多きものになるように、と承っております。お久しぶりでございますね、アンゼリカ様」

「ふう、私もさすがに貴女からの出迎えを受けるとは思っていませんでしたよ」

 

 そして、この癖がありそうな淡い紫髪の女性と、この街の領主の令嬢は顔見知りであったらしい。他の面々からの疑問の視線にアンゼリカは苦笑を浮かべ、促すように女性へと目を向ける。女性は「うふふ、これは失礼いたしました」と悪びれた様子もなく名を名乗った。

 

「お初にお目にかかります。ラインフォルト家のメイド、シャロン・クルーガーと申します」

 

 ラインフォルトのメイド。トワたちがその肩書を飲み込まないうちに、彼女は道の先へと促す。そして色々とありすぎて容量オーバー寸前の頭に、ご丁寧にとどめの一撃を振り下ろす。

 

「早速ではありますが、ラインフォルトの本社ビルにご案内させていただきますわ。イリーナ会長が皆様をお待ちですから」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。