永久の軌跡   作:お倉坊主

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今度の求人も駄目だったら、大人しく既卒枠に乗り換えます(悟り)


第21話 仲間の定義

「おはようございま……って、あれ?」

「んあ? もう朝飯できてんのか?」

 

 明朝、試験実習二日目。

 上階の寝室――ちなみに部屋割りは男女別々である――から下りてきたジョルジュは目をパチクリさせ、クロウは寝惚けた声で眼前の光景に首を傾げる。昨夜に夕食を取ったテーブルには既にトースト、ベーコン、スクランブルエッグなどといった簡単な朝食が並び、アンゼリカとトヴァルはもう食卓に着いていた。それだけならともかく、トワとシグナに至っては支度を終えて今日の業務確認や書類の仕分けを始めてさえいる。

 現在時刻、午前六時。男子二人組としては普通に早起きしたつもりである。それでさえ何故か出遅れたみたいな雰囲気になっているのは、別段、彼らのせいという訳ではない。

 

「トワとシグナさんの朝が早過ぎるのさ。三十分前には既にこの通りだったよ」

「一時間前でさえ朝食はもう終わっていたしな……先生は毎度のことだけど、トワも同じとは思っていなかったぜ」

「漁村の朝は早いですから。これでも本職ではないだけ遅い方なんですよ」

「三時起きとかザラにあるからな。四時起きなんて可愛いもんだ」

 

 残され島の主産業は漁業。夜明け前から海に出る生活の流れは必然的に島全体に影響を及ぼし、島の人々の起床時間はかなり早くなっている。陽が上る前から活動するのは二人にとっては当たり前でさえあった。

 理屈は理解できる。しかし、今しがた起きた男子組としては感心を通り越して呆れる他ない。寝た時間はさほど違いないだろうに、そんな睡眠時間でよくピンピンしていられるものだ。

 そんな内心などいざ知らず、トワは業務確認をいったん中断して昨日と同じように簡易キッチンに向かう。

 

「待ってて、すぐに二人の分も作っちゃうから。あ、でもクロウ君は先に顔洗って来てね。寝癖付いているよ」

「お前は俺の母ちゃんかっつうの」

 

 文句を叩きつつもクロウはすごすごと洗面所に引っ込んでいく。寝起きの頭でそれ以上は口が回らなかったのか、将又そこまで悪い気分ではなかったのか。

 シグナは書類からチラリと目を上げ、ボサボサの銀髪が洗面所に消えていくのを見る。

 

「……駄目な男に捕まらなきゃいいんだが」

 

 小さく呟かれた独り言にトワが「え?」と反応するが、彼は何事も無かったかのように書類へ目を戻しているのだから彼女は首を傾げるしかない。可愛い姪っ子の先行きを思う伯父の男親的な悩みを察するには、まだまだ時間が必要なようだった。

 

 

 

 

 

 男子二人も朝食を含めて支度を終え、食器を片付けたテーブルを囲んで本日の依頼確認と相成る。先ほど仕分けた依頼書の束が入った封筒が、トワの面前に放り投げられた。手に取り、感じた厚みに苦笑いを零す。

 

「今日も盛り沢山だね。本職でも一日でこなす量じゃないでしょ、これ」

「まさか体のいい小間使いとして丸投げしているんじゃねえだろうな……」

 

 クロウが疑惑の目を向けるのも仕方がない。それほどまでにトワたちに任せられた依頼量は多かった。

 遊撃士の依頼量は場所によりまちまちだが、一般的に言えば月の依頼量が五十件で普通、七十件までいけば多忙、あまつさえ百件を超えれば激務というところだ。激務の一日平均が約三件に対して、渡された封筒の中には六件は入っているのではないだろうか。臨時の手伝いとはいえ、これは流石に堪えるものがある。

 だからこそクロウの言い分も尤もではあるのだが、それに対して本職の青年は歯牙にも掛けずに鼻で笑う。

 

「甘い、甘いぜ……これを見ろぉ!」

 

 ばっとトワたちの面前に掲げられる手帳。遊撃士の活動を記すそれは、もはや白いところを探すのが難しかった。

 

「先月の依頼数が九十八件、今月になってヴェンツェルがクロスベルに移籍しちまったせいで百の大台を超えて現在百十二件! それに比べれば一日六件なんて可愛いもんだろ、ははははっ!」

「やかましい」

 

 手首のスナップが利いたファイルが乾いた音を立てて顔面に炸裂する。テーブルに撃沈した金髪頭の後頭部を、四人の憐憫の視線が貫いた。

 

「えっと……なんかすみません」

「ご苦労、察し致します」

「優しさが胸に刺さるぜ……」

 

 よろよろと起き上ったトヴァルの目元は、よく見ればクマが浮いている。手帳通りの激務が続いている証しだろう。昨夜も遅くまで書類仕事をしていたようだし、かなり疲労が溜まっているに違いない。

 激務の理由は、やはり支部の閉鎖に伴う人員移動による人手不足、その皺寄せか。段々と遊撃士が姿を消していく中で彼の負担も倍増していって訳だ。妙なテンションになるのも無理はない。

 

「伯父さん、ちゃんと労務管理しているの?」

「まだ他に残っている支部もあるんだ。帝都は俺とトヴァルしか回せる手が無かったんだよ」

 

 伯父に若干の非難を混ぜての視線を向けても、返ってくるのはげんなりとした表情と不平不満が窺える答えばかり。どうやら帝国遊撃士協会は相当にギリギリで運転しているらしい。

 

「まあ、安心しろ。昨日で別件には片が付いた。後は俺が引き受けるから追加の依頼は無い……たぶん」

「そこは断言してくださいよ」

 

 言って、二人は笑う。それが煤けたものであることは目を瞑るべきだろう。

 これ以上この話題を続けるのは精神衛生的によろしくなさそうなので、トワは話を逸らすことにする。

 

「ところで、その別件っていうのは何なの?」

「そうだな……閉鎖に伴う諸々の手続きとでも言うべきか」

 

 手続き、役所への届け出などといった類のものだろうか。しかし、それくらいで――面倒なのは確かなのだろうが――弟子に負担がいくほどシグナは柔ではないことをトワはよく知っている。だから更に聞こうとして、不意に「おっと」と声を上げた相手に質問を妨げられた。

 

「どうやら噂をすれば、という奴らしい」

 

 瞬間、戸を叩く低い音が支部の中に響いた。玄関口のドアノッカーだ。

 したり顔のシグナを除き、面々は思わず顔を見合わせる。今の時刻は七時過ぎ。依頼人にしても来るには早過ぎる時間帯だ。シグナの意味深な発言もあり、どう考えても普通の来客ではないだろう。

 トワは伯父の顔を見て、顎で玄関を指し示す彼に嘆息した。自分が応待しろとのことだ。釈然としないものを抱えながらも、客人を待たせる訳にもいかず立ち上がり玄関へ。

 

「はーい、どちら様ですか?」

 

 そして戸を開け、そこに立っていた人物を見て固まった。

 居たのは二人。スーツ姿に眼鏡をかけた男性と、灰色の軍服を纏った若い女性。男性は眼鏡の奥の目を驚きからか見開いており、若い女性も同性からしてみても綺麗な顔に怪訝な色を浮かべている。素性は分からずとも、トワはその様子から察した。

 

「すみません、私、ここでお手伝いさせて頂いている者でして。依頼の御用でしたら、どうぞ中へ」

「……ああいや、気を遣わせてしまったようだ。こんな可愛らしいお嬢さんが出迎えてくれるとは思っていなくてね」

「いえいえ、こちらこそ驚かせて申し訳ないです」

 

 遊撃士協会からいきなり学生が出てくれば、てっきり遊撃士が応対すると思っている訪問者からしてみれば虚を突かれるのも無理はない。軽く頭を下げて謝意を示すと、眼鏡の男性も同じく頭を下げた。小皺の窺える顔に浮かべた柔和な笑みから、その人柄が垣間見える。悪い人ではなさそうだ。

 一方、軍人らしい女性は一歩下がった所に控えて動かない。険は取れたものの、その表情は口を堅く一文字に結んだ無表情。軍人らしいといえば軍人らしいが、美人なのに勿体ないとも思ってしまう。男性の付き人、あるいは護衛だろうか。

 応対しつつ想像を巡らせていると、背後から出てきた人物がトワの頭に手を乗せる。悪戯っぽい笑みを浮かべたシグナがそこにいた。

 

「どうも、知事閣下。ウチの姪っ子の出迎えは如何でしたかね?」

「はは……そういえば昨日、言っていましたな。礼儀正しい良い子じゃないですか」

「それはどうも」

 

 一応は敬語ながらも、それは明らかに形ばかり。トワは呆れの目を向けようとし……そして彼らの会話を呑み込み理解した途端、「え……」と数瞬の自失に陥った。

 

「大尉も朝早くからお勤めご苦労さん。オッサンのお守まで仕事になるとは、お互い楽じゃねえな」

「任務ですので」

 

 シグナは後ろの女性軍人にまで声をかけ、そしてにべもない返答に「嫌われたもんだねぇ」と肩を竦める。大尉と呼ばれた女性は女性で警戒の色を浮かべており、何やら厄介そうな関係を窺わせる。

 そんな一方ばかりが剣呑な雰囲気を漂わせるやり取りをしている内に、呆然としていたトワが気を取り直す。伯父の飄々とした態度を咎める余裕もなく、焦りを隠せぬ様子で問い掛ける。

 

「ちょっ、伯父さん、知事閣下って……!」

「ん? このオッサンのことなら言葉の通りだが」

「はは、そういえば自己紹介を忘れていたね」

 

 シグナにオッサン呼ばわりされた男性は、それを気に掛けた素振りも無く丁寧に一礼する。

 

「帝都ヘイムダル知事、カール・レーグニッツだ。君の伯父さんにはいつもお世話になっているよ」

 

 

 

 

 

 支部へ客人を招き入れ、シグナと男性がテーブルを挟み向かい合う。周囲に漂う緊張に反して、一人だけリラックスした様子のシグナが「それで?」と口火を切る。

 

「早朝からどんな御用件で? 昨日からの行政サービスで早速、問題でも起きたとか?」

「その件に関しては心配いりませんよ。皆、慣れない業務に苦労しているのは確かですが、それでもよくやってくれている。そちらの手を煩わせることにはならないでしょう」

「どうですかね、ウチの資料の山を見て白目剥いていましたが」

 

 はっはっは、とこの場の年長者二人は笑い合う。それがまた含んだものが感じられるものだから、見ている側としては笑っていられない。

 少し離れて様子を窺っていたトワは、こっそりと同じく様子を窺うトヴァルに小声で問う。

 

「あの、昨日からの行政サービスって?」

「帝都庁の生活相談サービスって奴のことだな。ウチが撤退するから、その代替サービスとして始まったものだ。先生が言っていた別件っていうのは、それの開設準備の手伝いだったんだよ」

 

 曰く、その生活相談サービスとやらは撤退する遊撃士協会に代わって市民の要望に応えていくためのものらしい。日々、膨大な依頼を処理していた遊撃士協会が無くなれば、その影響は帝都の市民生活に如実に表れることになるだろう。切迫した問題ではないかもしれないが、細やかな要望にも応えてくれた遊撃士がいなくなることは市民にとって確実に痛手である。

 市民生活への悪影響は帝都庁にとっても他人事ではない。となれば、今まで遊撃士が担ってきたことを代行する存在が必要となる。そして導き出された答えが庁舎で相談の窓口を開設すること、という訳だ。

 

「ぶっちゃけ、そっちの都合で潰しておいて勝手だろとは思うけどな」

 

 しかし、ノウハウを持たない職員がすぐに新しいサービスを始められる訳もない。そこで高位遊撃士たるシグナに助力が求められたのだが、トヴァルは良い感情を抱いてはいないようだ。気持ちは分からないこともない。

 

「そう言うな。七面倒な仕事を肩代わりしてくれるっていうのなら助かるのは変わりないだろ」

「うわっ、聞こえていました?」

 

 肩越しに見遣ってくる金の瞳が笑う。地獄耳もいいところだ。

 

「他の貴族領じゃ放置する所を頑張ろうとしてくれてんだ。知事閣下はそこのところマシな類さ」

「完璧な遊撃士の代替、といかないのが現実ではありますがね。細かすぎる雑務には対応しきれませんし、逆に手配魔獣など手に余るものもある。何もないよりマシという程度ですよ」

「だが、それでも実現させた。なら俺も手伝った甲斐があるもんです」

 

 問題点を抱えつつも地に足を付けて前進することをシグナは評価する。だから彼は助力を求められた際、それを受諾したのだろう。目の前の男性、帝都知事、カール・レーグニッツからの求めを。

 レーグニッツ知事は初の平民出身の帝都知事だ。入職して以来、着実に功績を積み上げていき遂には貴族を押し退けて都政の頂点に立った傑物である。鉄血宰相の盟友とも言われる革新派の有力人物であるが、高潔な人柄ゆえに目の敵にされているとは耳にしない。遊撃士にとっては、素直に歓迎は出来ないが話は分かる相手といったところか。

 とはいえ、帝都知事という大層な肩書を持つ人物も傍目からでは人当たりのいいおじさんにしか見えない。取り巻く環境を大まかながら理解しつつも、トワとしては悪い印象は持てなかった。

 

「なら、こちらとしても助かります。改めてお礼を言わせてもらいますよ」

「律儀なもんですな。わざわざそのために?」

「はは……実を言うと、今朝は私の方がついででしてね」

「ほう」

 

 興味深そうに相槌を打ち、視線は後ろに控える女性軍人へ。彼女は先ほどから厳しい表情のままである。

 

「クレア大尉が遊撃士に用とは珍しい。依頼か?」

「いいえ。今朝は……」

「じゃあプライベートか。おじさんとデートしたいなら、もうちょっと経験積んでからな。垢抜けた方が好みなんだ」

「っ、聞いていません!」

 

 そんな鉄面皮も冗談一つで崩される。予想外の言葉に頬をカッと赤らめ、動揺から声を少し荒げる彼女。可愛い人だな、とトワは呑気に思う。同時に、女性をからかう駄目な大人は後で少し叱ろう、とも。

 トワの場違いな感想など露知らず、友人たちは驚き呆れた表情で囁く。

 

「お前の伯父さん、やっぱりとんでもねえな……」

氷の乙女(アイス・メイデン)を初心な小娘扱いか。悔しいが、真似できそうにないね」

「そこは真似しなくていいんじゃないかな」

 

 女性軍人の素性は既に聞いているので、彼らが驚く理由も分かる。

 クレア・リーヴェルト大尉。鉄血宰相肝煎りの精鋭部隊、鉄道憲兵隊の若き指揮官。しかも宰相子飼いの鉄血の子供たち(アイアン・ブリード)なるものの一員らしく、導力演算機並みと称される頭脳と冷静な判断力から氷の乙女(アイス・メイデン)という異名を持っているのだとか。

 しかし、いきなりそんなことを聞かされてもピンとこないというのが正直なところ。トワは友人たちの驚きを理解は出来ても共感は出来なかった。今の心境を語るとすれば、身内が御迷惑をお掛けして、という申し訳なさが大半である。

 件のクレア大尉は小声でそんなやり取りが交わされているとも知らず、場を仕切り直すように咳払いを一つ。

 

「……今朝お伺いさせて頂いたのは謝礼と通達のためです。断じて私用ではありません」

「そりゃ残念。で、謝礼とは?」

 

 全く残念そうに思えない声で先を促され、クレア大尉は事務的な口調で答える。

 

「昨日の偽装事故による恐喝犯の逮捕へのご協力、それに伴う犯罪グループ撲滅の目処が立ったことへの謝礼です。これは遊撃士協会(あなた方)というより、そちらのトールズ士官学院の方々へのものですね」

 

 唐突に話の矛先が向いてきて、トワは「えっ」と戸惑う。これは大人たちの間の話し合いであり、自分たちは部外者と思っていたのだ。他の三人も目をパチクリさせるなど、いずれも想定外なことには違いない。

 

「近々、本格的に洗い出そうとしていたところに有用な情報源を手中に出来て手間が省けました。おかげさまで直ぐにでも動き出すことが出来そうです。改めて、お礼を言わせてください」

「い、いえ。たまたま出くわして首を突っ込んじゃっただけですから、そんなわざわざ……」

 

 偶然から事件解決に貢献したとはいえ、一学生に対して指揮官クラスの士官がお礼を言いに来るなど、それこそ想像の埒外だ。わたわたと手を振りながら謙遜の言葉を並び立てるトワに、クレア大尉はそこで初めて表情を緩めた。

 

「犯人の嘘を看破し、人質を取られた状況にも冷静に対処し、逃走する相手を確保した。本職の軍人でもなかなか出来ることではありません。誇ってもいいんですよ」

「オスト地区で捕えたんだろう。私もあそこに住んでいてね、帰ってから息子に聞いたよ。ところで屋根から飛び降りて捕まえたというのは本当なのかね?」

「え……ええ、まあ」

 

 知事からの質問にぎこちなく頷くと、彼は「それは大したものだ」と素直に感心する。一方ではトヴァルが「お前が?」とクロウに問い、そして「いや、コイツが」と返されて呆気に取られたような視線を向けてくるのが感じられる。

 偶然に関わった出来事でここまで持ち上げられるとは思っていなかった。面映ゆい気分に、頬が熱くなってきた。

 

「ともあれ、貴方たちの功績は帝都の治安に大きく貢献するものだったのです。学院への謝礼は鉄道憲兵隊の方からも心付けておきましょう」

「えっと……正直、あまり実感が無いですけど、ありがとうございます?」

 

 クレア大尉からの言葉は有り難い。だが、昨夜にも話した通り知らぬところで起きたことに実感は得難い。だから何と言っていいか分からなくて、結局、口から出たのは自分でも意味の分からないお礼だった。そして、それは他の面々も同じこと。「そりゃどうも」だったり「これはご丁寧に」だとか「恐縮です」等々。クレア大尉はぎこちない彼女らに笑みを漏らした。

 

「ふふ、お礼を言いに来たのは私の方なのですが……さて」

 

 そう区切った所で、クレア大尉の表情は再び凛としたものに切り替わる。

 

「謝礼は済ませた所で、もう一つの用件に移りましょうか」

「通達、だったか。立ち退きの催促とか?」

「実を言うと、先の犯罪グループに関してのお話です」

 

 シグナのブラック気味の冗談は華麗にスルー。二度も三度も付き合ってやる義理はない、といったところか。

 

「本日、鉄道憲兵隊による犯罪グループの捕縛作戦を行います。遊撃士の方々はこれに関わらないよう通達に参りました」

 

 冷厳と告げる言葉に感情は見出せない。トワたちは――おそらくはレーグニッツ知事も――いわば部外者であり下手に口を出せない。ただ当事者の様子を窺えば、トヴァルは僅かながら眉を顰め、シグナは特に表情を変えることもなく泰然としていた。

 

「そんなことをわざわざ伝えに来たのか? こんな時間に」

「ご自分の胸に聞いてみれば、その理由もお分かりかと思いますが」

 

 惚けた様にシグナが言えば、クレア大尉は冷たく返す。

 その言葉が意図するところは分からないが、想像することは出来る。端的に言えば邪魔をするなと伝えに来たのならば、つまり普段は邪魔が入っているということである。そしてトワがよく知る伯父の性格を考えれば、次に彼の口から発せられる台詞にも察しがついた。

 

「通達なんぞしなくても俺たちの行動指針は変わらんさ。民間人の安全と地域の平和を守る――それが遊撃士だ。余所にどうこう言われてぶれるものでもない」

「俺も先生と同意見だ。アンタたちにはアンタたちの都合があるんだろうが、いざとなったら遠慮なしに動かせてもらう」

「……分かっていたことですが、大概、頑固に過ぎますね。やはり宰相閣下が下した貴方たちへの対処は正しかったようです」

 

 軍と遊撃士の対立。話には聞いていたが、こうして目の前でピリピリとした空気を醸し出されると嫌でも実感せざるを得ない。その渦中にありながら、シグナは不敵な笑みを浮かべる。

 

「まあ、今回の件はそう心配しなくてもいいだろう。そちらが上手くやって表沙汰にならなければな」

 

 遊撃士は民間人の安全が脅かされる事態となれば有無を言わさず行動する。翻せば、民間人に危機が及ばない限りは動かないということ。シグナの言葉は首尾よくことが運べば自分たちは手を出さないと仄めかしていた。

 現実問題、件の犯罪グループによって少なからず民間人に被害は出ている。それでも一先ずは軍に任せると暗に示したのは彼なりの譲歩なのだろう。

 

「それは挑発ですか?」

「いいや、信用さ」

 

 しかし、クレア大尉は相当にシグナを嫌っているのか、険しい面持ちを崩さない。いったい何が起こればそこまで不信感を抱かれるのだろうか、と自分の伯父ながらトワは内心で嘆息する。

 

「美人がカリカリするもんじゃないぜ。それともなんだ、鉄血のオッサンに鼠狩りの雑務でも任されて腹立ててでもいるのか?」

「宰相閣下は関係ありません! これは閣下がご不在の内に不安要素を除外すべく――」

「ほう、あのオッサンは不在なのか。差し詰め、仕込みが上手くいかなかったリベールあたりにアポなし訪問しに行っているってところか。後でカシウスに教えとくとしよう」

「……っ!」

 

 大尉が自身の失言を悟り、苦渋の表情を浮かべる。トワは今度こそ本当に嘆息した。

 シグナは口が上手い。三十年という膨大な遊撃士のキャリアの中で積み上げてきた経験の中で、幾度となくこなした交渉を通じて成長し、今ではもう生半可な口論では敵う相手がいない程だ。感情を刺激する部分を的確に把握し、不意に突くことで情報を得る。予想される可能性をあたかも真実かのように話し、鎌をかけて反応から事実関係を窺うのもお手の物である。

 交渉人としては優秀なことは間違いないが、やられた側としては決していい気はしない。トワは、伯父が大尉に嫌われている理由が何となく分かった気がした。生真面目そうな、まして若い彼女を手玉に取ることなど苦にもならなかったのだろう。

 

「まあ、最後のは冗談だ。何時出航したのか知らないが、昨夜中ならもうじき着く頃合いだろう。くく、たまにはあの中年親父も度肝を抜かれるがいいさ」

 

 シグナは笑うが、周りは笑っていられるような気分ではない。クレア大尉は物々しい雰囲気を二割増しで漂わせ、それを傍で感じているレーグニッツ知事は冷や汗混じり。トワたちは巻き込まれないよう部屋の隅で身を寄せ合い、トヴァルでさえも口元を引き攣らせていた。

 

「……用件は済みました。知事閣下、参りましょう」

「ん、ああ。それでは朝早くに失礼したね。トールズの諸君も、またいずれ。頑張って実習に励んでくれ」

 

 明らかに不機嫌な表情を張りつけたままクレア大尉は辞去し、知事もそれに倣う。去り際に声を掛けられて会釈するも、帝都知事に早々会う機会がるかどうかは疑問である。

 しかし、今はそのような些末なことを考えている暇はない。客人が辞去した先を眺めながら「最近の若者は余裕がないなぁ」などと嘯いている伯父の肩に手を置く。

 彼が振り返った先で、トワは色のない笑みを浮かべていた。

 

「伯父さん、業務前にちょっとお話しようか」

 

 

 

 

 

 カツカツと軍靴が石畳を叩く音を聞きながら、レーグニッツ知事はその後を追う。何時になくペースが速いそれに少し苦労しながらも合わせ、ようやく余裕が出てきたところで声をかけた。

 

「珍しいな。君がそこまで感情的になるというのも」

 

 軍靴のテンポが緩まる。無言のうちに数歩ばかり。少し離れた所に停めてあった公用車に辿り着き、音が止む。

 

「……申し訳ありません。見苦しいところをお見せしました」

「いや、君もまだまだ若いんだ。なんだか逆に安心したよ」

「…………恐縮です」

 

 たっぷり言葉に悩んでから返事をし、クレア大尉は助手席のドアを開ける。知事がそこから公用車に乗り込むと、自身もまた運転席に乗り込む。キーを回すと駆動機関が起動する振動が僅かに体を揺らした。

 今朝は知事が無理を言って付いてきただけなので乗り込んでいるのは二人だけだ。片や鉄血宰相の腹心、片や鉄血宰相の盟友。同じ人物に近しい両者は親しい間柄と言う訳ではないが、知り合い以上の存在ではある。知事は普段より幾分かリラックスして話す。

 

「しかしまあ、彼をああも露骨に警戒しなくてもいいだろうに。確かに少々……うん、少しばかり難があるのは確かだが、悪い人物ではないのも分かってはいるのだろう?」

 

 滑るように公用車は走り始める。向かう先は帝都庁舎。アルト通りを抜けヴァンクール大通りに通じるようにハンドルを切りながら、クレア大尉は幾分か落ち着いた様子で口を開いた。

 

「おっしゃる通り、彼は――シグナさんは、悪人ではありません。遊撃士である以上、立場の違いから意見が食い違うのは致し方の無いことですし、手玉に取られるのも私の未熟ゆえのこと。驕りを持たせないでくれていると考えれば感謝してもいいとすら思っています」

 

 ですが、とクレア大尉はハンドルを強く握る。

 

「情報局でさえ分からない……いえ、調べられない彼のことを、皇帝陛下により干渉を禁じられた彼の素性を知ることが出来ないからには、私は彼を信用できないのです」

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 今日も今日とて帝都を歩き回り、くたくたになって伏し目がちになりながら歩を進める。ふと、自身の影が小さくなっているのに気付く。見上げれば、陽はもうじき頂点に昇ろうとしていた。

 

「もう正午かよ……道理で腹が減る訳だ」

「厳密には十一時半を少し過ぎたところだがね。本職はこれを毎日しているのかと思うと頭が下がるよ」

 

 早朝から一騒ぎあったものの、その後トワたちは無事に二日目の試験実習へと街に繰り出していた。シグナから託された依頼を片付けながら街中を巡ること四時間近く、いい加減に足の疲労からも空腹具合からも限界が近くなってきた彼女らはドライケルス広場に差し掛かっていた。

 残った依頼はあと二件ほど。先に片付けようと思えば出来ないこともないが、それでは昼時を逸するのは確実だろう。トワは振り返り、足を引きずるように歩く仲間たちに提案する。

 

「ちょっと早めだけど、先にお昼にしよっか。食べ損ねても嫌だしね」

「そりゃ大賛成だ。願ってもねえ」

「僕もペコペコだよ……どこで食べようか?」

 

 いざ昼食となるも、何を食べるかを考えると悩ましい。昨日と同じようにプラザ・ビフロストに行くのは味気ない。かと言って高級感溢れるような所に入るには懐が心許なく、良心的な値段の店を探すにしても手間が掛かる。

 どうしたものか、と首を捻る面々。そこでアンゼリカが視界に入ったそれに目を付ける。

 

「そうだな。たまにはお行儀悪く、というのもいいかもしれないね」

 

 

 

 

 

 数分後、四人の両手は買い込んだもので塞がれていた。

 

「……おいジョルジュ、流石に買いすぎじゃねえか?」

「そんなことないさ。むしろ君の方こそ思ったより小食なんだなぁ、と僕は思うよ」

 

 特に量の多いジョルジュの手持ち――あらびきソーセージ、ターキーレッグ、アップルジュース等々――に目を向けながらクロウが疑問を零せば、当の本人はずれたことを平然と口にする。何時もは突っ込まれる側である筈の逆立てられた銀髪頭が「いやいや……」と横に振られた。

 

『…………』

「……ノイ、気持ちは分かるけど、そんな恨めし気な視線を送らないでよ。こんな人通りが多いところで食べさせてあげられる訳ないじゃない」

『分かっていても恨めしいの……!』

「妖精姿というのも楽じゃないのだね」

 

 一方、サンドイッチなどの軽食を購入したトワは背中に刺さる姉貴分の怨嗟が籠った視線に困り顔になっていた。自分だけ食べられないことが腹に据えかねるのは分かるが、引っ切り無しに人が行き交うような場所で彼女に姿を現わせさせる訳にもいかないのだ。この場は我慢してもらう他ない。

 本日の昼食はアンゼリカの提案による屋台での買い食いである。バルフレイム宮を一目見ようと来る観光客狙いなのだろう。ドライケルス広場にはそれなりの数の屋台が出店しており、ただの週末にしてはラインナップが豊富であった。

 さて、購入した後はどこで食べようとなる訳で、四人で座れる適当な場所はないかと辺りを巡る。周囲の喧騒に混じってノイがブツブツと零す文句を聞き流し、ふと目に入った姿にトワは「あれ?」と声を上げた。

 

「ね、あれトヴァルさんじゃない?」

「……うん、確かに。なんだか草臥れているけど」

 

 視線の先では、金髪に白コートを纏った見覚えのある人物がいた。ベンチに座りホットドッグを齧る彼の目は、何やら虚空を見つめていたが。

 場所も空いているようだし丁度いい。ぼうっとしている彼の元へトワたちは足を向ける。

 

「お疲れ様です、トヴァルさん。隣、いいですか?」

「ん……? ああ、お前たちか。そっちも昼飯だろ? 座れ座れ」

 

 一拍遅れてその姿を認めたトヴァルは席を詰めて促す。その好意に甘えて順々に着席。トワ、アンゼリカ、ジョルジュと座っていき、最後に座ったクロウは端の肘掛とジョルジュに圧迫されて「ぐえっ」と呻いた。

 早速、トワはサンドイッチに手をつける。空っぽの胃に栄養分を放り込みながら、偶然の同席者に声を掛ける。

 

「そのホットドッグ、トヴァルさんも屋台で?」

「ああ、手っ取り早く飯を食べるのには丁度いいからな。忙しい身には重宝しているんだ」

 

 言って、大口を開けて食べかけのそれに噛り付く。パンの切れ込みに挟まれたソーセージを噛み切る音が、その出来立て具合と美味しさを伝えてくる。トヴァルは一時の安息を堪能するかのように穏やかな表情を浮かべ……不意に顔を顰め、首筋に手をやった。

 

「なんだ……視線か?」

 

 後ろを振り返るが、もちろんそこには誰もいない。一瞬前には物欲しげな目をしたノイがいたであろうと想像がつくトワとしては冷や汗ものであるが。

 不思議そうに首を傾げる彼の気を引くべく、トワは焦り気味に「そ、そういえば」と切り出した。

 

「随分とお疲れみたいでしたけど、やっぱり伯父さんに沢山仕事を任されちゃっているんですよね? 辛いなら私の方からもっと伯父さんが頑張るよう言っておきますけど……」

「えっ……い、いや、心配には及ばないさ。疲れるのは確かだが、それだけ信頼されているって訳でもあるしな。そもそも先生も抱えている依頼は多いし」

 

 その口から飛び出した申し出に相手もギョッとする。思い浮かべたのは今朝の光景。トヴァルは思わず小さく呟く。

 

「一日に二度も三度も説教されるのは先生だってキツイはずだしな……」

「え?」

「ああ、うん。取り敢えず俺は大丈夫だ。体力と頑丈さにはそれなりに自信があるしな」

「ならいいですけど……体調を崩さないよう気を付けてくださいね」

 

 あの(・・)シグナ・アルハゼンが幼い見た目の少女にこってり絞られる姿を誰が想像できただろうか。身内のトワからすればだらしないところのある伯父も、世間の評判はベテランの凄腕遊撃士。教え子であるトヴァルも師は何時も余裕綽々と思っていただけに、げっそりとした顔で出勤していく様には色々と衝撃を受けていた。それはトワ以外の三人も同様だったのだろう。トワの肩越しから送られる視線は同情の色が宿る。

 ただ一人、伯父を別段特別視していないトワだけが首を傾げることになる。遠慮されているのに親切の押し売りをするほど図々しくない彼女は、純粋な気遣いの言葉だけを口にする。トヴァルはありがたく思いつつも苦笑した。

 

「疲れているのはそっちも同じだろう。どっちかというと、精神的なものみたいだが」

 

 言われ、四人は目を瞬かせる。彼の指摘は的確だった。

 

「分かるものですか?」

「これでも、それなりに名うての遊撃士なんでな」

 

 得意げに胸を張るトヴァル。考えてみれば、疲労困憊になりながらも大量の依頼を回せているのだ。師のネームバリューに隠れているだけであって、少なくとも並大抵の人物でないことは明白な事実だった。

 トワたちは食事の手を止め、目を見合わせる。彼女たちは今、自分たちだけでは解決の目処が立たない問題にぶつかっていた。ここは一つ第三者に相談してみるのもいいかもしれない。特に守秘義務なり何なりがある訳でもないし、相談する分には構わないだろう。

 どんと来いとばかりに聞く姿勢のトヴァルに向き直る。トワは「実は」と切り出した。

 

「私たち、実習の予行演習だけじゃなくて新しい戦術オーブメントのテストもやっているんですけど……そのテストがさっきの魔獣退治でも上手くいかなくて」

 

 午前に済ませた依頼の中には、また別の地下道に巣食う魔獣の退治を願うものもあった。そして臨んだ戦闘において、戦術リンクの途絶もまた再び起きてしまったのだ。

 試作型ARCUS、戦術リンク、その有効性と不安定さ。導入テストの概要をざっくりと解説され、頭の中で咀嚼したトヴァルは難しい表情を浮かべる。

 

「そいつは随分な難物を任されたもんだな。使用者の人間関係が反映される機能か……」

「これでも先月よりはマシになった方なんですけどね。ARCUS本体は僕じゃ弄りようがないし、これ以上は僕自身がどうにかしなくちゃいけないんですけど……この分だと安定稼働は難しそうです」

「俺も戦術オーブメントについては少し齧ってはいるが、そういう最新技術の塊は流石にお手上げだ。技術面だと役に立てそうにないなぁ」

 

 トヴァルはアーツの扱いに優れており、それを駆動する戦術オーブメントの改造にも手を出しているとのことだったが、こればかりは手が出せないようだ。もとより期待薄ではあったが、やはり戦術リンクのシステム自体に手を加えるのは無理と考えた方がいいだろう。

 

「結局、自分たちで何とかするしかない訳かね。後は相談してもどうにもならねえことだし」

「まあ、人様に答えを聞くようなものでもないだろうしね」

 

 となると後は人間関係の問題だが、これこそ相談してどうにかなるものでもない。

 先月のように仲違いした状況を解決したいのなら、まだ相談の余地はあっただろう。しかし、今求められているのは更なる関係の深化。より絆を深めることで戦術リンクの強度を高めること。それは出会って間もない――言ってしまえば他人であるトヴァルに話を聞いてもらってもどうにもならないのだ。

 必要なのは時間。しかし、その間は進展もなく不安要素を抱えたままというのは実に歯痒い。儘ならない現実を前に四人は揃って渋面となる。

 

「……なあ、一つ聞きたいんだが」

 

 そんな彼女らに対して、思案顔を浮かべていたトヴァルはふと疑問を口にする。

 

「その戦術リンクっていうのは、本当に相手と仲が良くなくちゃならないのか?」

「…………え」

 

 不意の疑問だった。トワたちが半ば当たり前のことのように考えていた必要条件に、詳しいことを知らない彼は――知らないからこそ、その疑義を差し挟んできた。

 

「説明した通り、不仲な状態だった先月はまともにリンクを繋ぐことも出来なかったんです。それがある程度は改善したことを考えれば、私たちの仲は密接に関係していると思いますが……」

「それは分かっているさ。でもまあ、なんだ……抽象的な話で説明しづらいんだが、一緒に戦う仲間って言うのはただ単に仲がよけりゃいいもんじゃないと思うんだよ、俺としては」

 

 アンゼリカの整然とした言葉に対し、トヴァルのそれは纏まっていなくて判然としない。だが、徒に口にしたものではない事だけは分かる。そこには確かに経験に裏打ちされた実感のようなものが垣間見られた。

 共に戦う仲間に必要なもの。それが戦術リンクに関係するかどうかは分からないが、トヴァルが口にしたそれにトワたちは興味を惹かれる。先を促す四対の視線に彼の苦笑が浮かぶ。

 

「こういうのを口で説明するのは中々難しいんだが……そうだな、一つ昔話でもするか」

「昔話?」

「ああ。俺が遊撃士でもない、ただの若造だった頃の話さ」

 

 トヴァルが手に持ったホットドッグの最後の一欠片を口に放り込む。咀嚼し、嚥下する。人心地着いた彼はポツリポツリと喋り始めた。

 

「俺は早々に身内がいなくなった口でな。たまたま面倒を見てくれるようになった人から仕事を貰って……まあ、運び屋みたいなことをして日銭を稼いでいたんだ」

 

 大通りも歩き慣れたもんさ、と彼は言う。それなりに重い身の上である筈なのに、その語り口は懐かしむ色はあるものの悲哀は感じられない。

 運び屋、というところで少し言い淀んだのは真っ当な仕事ばかりではなかったせいだろうか。伯父から裏社会におけるブローカーなどの存在について聞かされていたトワはなんとなくそう思った。

 

「あの日もそうだった。小さな包み一つを運びに列車に乗って――そこで彼女(・・)と出会ったんだ」

 

 へえ、とクロウが頬を吊り上げる。面白いものを見つけた表情だった。

 

「その口振りからすると、いい女だったのか?」

「いいや、酷い女だったよ。後ろから腕を捻り上げられてメチャクチャ痛かった」

「それはそれは……出会い頭に引き倒してきた女とどっちが酷いですか?」

 

 悪戯っぽい笑みのアンゼリカからの質問に「捻り上げられた方だな」とトヴァルは迷いなく答える。「そのすぐ後に階段の上から蹴り飛ばされた」と続けられてアンゼリカは降参のとばかりに諸手を挙げた。いったい何を競っているのだろうか。

 

「ぶっちゃけると俺が運んでいたのはヤバい代物だったらしい。どこぞの貴族が猟兵団を差し向けてきて……それから俺を守るためにやって来たのが彼女だった」

 

 守るために来たにしては暴力的じゃないだろうかと話を聞いていて思うが、それは話している当人も思っていたことらしい。自分で言ったことに自分が苦笑いしていた。

 割と波乱万丈になってきた昔話はまだまだ続く。

 

「それから遊撃士に事情聴取されたり猟兵に襲撃されたりと色々あって、最後は彼女と安全な場所まで逃げることになった。帝都の地下水路を走って、猟兵に追われながら」

「絶体絶命じゃないですか。逃げ切れたんですか?」

「お相手は相当に俺が運んでいた荷物にご執心だったらしくてな、後詰めだけじゃなく待ち伏せまで用意していやがった。水路の出口あたりで正面からやり合う羽目になったよ」

 

 肩を竦めてそう言うが、実際に起きたことと考えると飄々と流せるような事態ではない。自分たちはたった二人、それに対して猟兵団の数は決して少なくなかったはずだ。話振りからして片手で収まるものではあるまい。ジョルジュが言う通り、まさに絶体絶命のピンチだった。

 

「猟兵のアーツから俺を庇った彼女は重傷を負っていた。だが、それでも必死こいて得意のアーツを駆動させて、我武者羅に戦って……気付いたら、生きて呼吸していた。彼女も一緒にな」

 

 トヴァルはそこで一息つく。過去に思いを馳せるように、記憶を手繰るように空を見上げる。

 

「戦っていた時のことは余り覚えていないんだ。でも確かなのは、俺と彼女が仲間として一緒に戦ったってことだ」

「……守ってはくれても、出会ったばかりの素性の知れない怪しい女を仲間と呼べるのかよ?」

 

 話を聞く限り、トヴァルが言う「彼女」と出会ってから片手の日数にも満たない間の出来事なのだろう。精々が二日か三日、それだけの僅かな時間で伝え聞くだけでも怪しさが服を聞いて歩いているような相手を仲間と呼べたのだろうか。

 トヴァルが喉を鳴らして笑う。その表情は妙に晴れ晴れとしていた。

 

「確かに俺はその時、彼女のことをほんの少ししか知らなかった。名前、簡単な素性、馬鹿みたいに強いこと……後は話す中で感じた人柄くらい。お互いに知らないことの方が圧倒的に多かったし、まして絆なんていう大層なものなんて影も形もなかったさ」

 

 なら、どうして仲間と思うことが出来たのか。

 その疑問がトワの口をついて出る前に、彼の口から「――ただ」と言葉が紡がれる。

 

「それでも俺は彼女を信じることが出来た。理屈がどうこうっていうものじゃない。ただ、前を行く彼女のことを俺は頼りにしていたし、彼女も俺のアーツを当てにしてくれた。だからその時の俺たちは間違いなく仲間だったんだ」

「信じるだけで……信じることが、仲間として大事なことだとトヴァルさんは思うんですか?」

「こういう仕事をしていると、いつも一緒の仲間と言う訳にもいかないからな。気心が知れる間柄より単純に信頼できるかどうかが大切だと思う」

 

 取り敢えず背中を預けることは出来るからな、と彼は笑う。

 お互いを知ることよりも、絆を深めることよりも、まずは信じ合うこと。それは一見、矛盾しているように感じるかもしれない。よく知りもしない相手を信じることが出来るのかと。

 しかし、トヴァルが言う通りに理屈で説明できない感覚も分からないことはなかった。直感的に信じ合い、頼り、頼られるか。共に戦うとはつまりそういうことだ。いくら積み重ねたものがあったとしても、その根底が揺らいでいては容易に崩れてしまう。

 今の自分たちはどうだろう、とトワは省みる。戦術リンクという枠組みに囚われて、かえって何か大切なことを見落としているのではないだろうか。

 考え込みながらサンドイッチを口に運ぶ。挟まれた具の瑞々しさが今は妙に味気ない。

 

「まあ、これがその戦術リンクにも当て嵌まるかは分からないけどな。一緒に戦う仲間にしたって仲が良いに越した事には変わりないし」

「そう言われると逆に困るんですけど……というかトヴァルさん、割と危ない橋渡ってきたんですね」

 

 そんなトワを見てか、あまり深く考えるなとばかりに拍子抜けさせられることを付け加えるトヴァル。困り顔で頬を掻きつつ、ジョルジュは聞き終えた昔話を振り返り感想を漏らす。

 

「百日戦役で色々あって碌な仕事が無い時期に社会に放り出されたからなぁ。他に食い扶持稼ぐ手段も無くてやっている内に済し崩しに、って感じだったよ。あの時に先生に世話になったおかげで今がある訳だから、人生どうなるか分からないもんだ」

 

 そして返って来た言葉に思索に耽っていたトワは「えっ」と驚く。そこから伯父に話が繋がるとは思ってもいなかった。

 

「ふむ、先ほど話していた事情聴取してきた遊撃士がシグナさんだったと?」

「いや、それはまた別人だ。先生は別のところで動いていて……後始末の時に俺の世話をしてくれたんだ。そのままアーツの腕とかを買って遊撃士に誘ってもらって、それから諸々あって今に至るって感じさ」

「ははぁ、どういう繋がりで《星伐》の弟子になったのかと思ったらそんなことがねぇ……」

 

 クロウがどこか感心した様子で呟くのも無理はない。ひょんなことから猟兵団絡みの事件に巻き込まれて、危ない橋を渡って死にかけながらも生き残って、そこから更に偶然知り合った一級品の遊撃士に弟子入りである。一歩間違えていたら女神行きの可能性が高かったに違いない。だが、今トヴァルはここにいて立派に遊撃士として活躍している。星と女神の巡り合わせを感じようというものだ。

 人生どうなるか分からない。まさにその通りなのだろう。今ここでトワたちと話していられるのも何か縁あってのことに思えてくる。

 

「人使いが荒いのは慣れるのに大変だったけど、そのおかげで一端の遊撃士にもなれたんだ。先生には感謝しているよ」

「えへへ……素直じゃないから口にはしないですけど、伯父さんもトヴァルさんみたいな後輩が出来て喜んでいると思いますよ」

 

 トワの純真な台詞は世間慣れして擦れたお兄さんには刺激が強すぎたらしい。そのまま受け止めきれずに思わずといった様子でそっぽを向く。ならいいんだがな、とトヴァルは照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「ま、そんなこんなで恩人の頼みを断り切れずに支部閉鎖の後始末をしている訳なんだが。その後は帝国各地を転々させる気みたいだし、参ったもんだよ」

「それに加えて今朝の鉄道憲兵隊ですか。苦労していますね」

 

 アンゼリカの一言に眉根が下がり、乾いた笑みが漏れる。考えないようにしていたんだがなぁ、とトヴァルはぼやいた。

 

「それに関してはどうしようもない。先生の言っていた通り、向こうがヘマしない限りは静観だな」

「実際、今までに市民への被害が出ているのにか?」

「よそ様に比べれば好き勝手出来る方だが、遊撃士にもしがらみがあるからな」

 

 軍との関係、国家権力への不干渉原則、民間人の安全と平和のために縦横無尽の活躍を見せる遊撃士もそうした事物により行動を制限されることはままあるようだ。彼らの主義は理想的ではあるが、その実は規則規範を持つ大規模団体なのだ。当然、何事も勝手にとはいかない。

 もっとも、今朝の件に限れば規則云々というよりは最近の帝国における立場的な問題にも思える。やはり活動を縮小するよう抑え込まれている状況では、あまり強気に動くことも出来ないのだろう。

 或いはシグナが居なければ、あそこで粘ることさえ出来なかったのかもしれない。将又、自分たちが実習に訪れる前に完全撤退に追い込まれていたか。ドライケルス広場の向こう、真紅のバルフレイム宮の威容を眺め、トワは思う。帝都における遊撃士の実情を聞き、帝国政府――その中でも革新派と呼ばれる勢力の強大さは否が応にも感じていた。

 

「不満が無いと言ったら嘘になる。が、俺たちは別に名誉や何やらのために活動している訳でもないんだ。今回は憲兵隊が件の犯罪者連中を上手く拘束してくれたのなら、それで良しとするさ」

「まずは何より、民間人の安全ということですか」

 

 そういうこった、とトヴァルが頷く。そこに悲観はない。

 確かに革新派は強大で遊撃士は苦しい現状かもしれない。しかし、だからと言って無闇に反発するつもりもないのだろう。自分たちの意義を見失わず、ただ前を見据えて進み続けること。それが帝国遊撃士協会を立て直す道だと信じているのだ。

 昨夜もやられっぱなしでいるつもりは無いと話は聞いた。それでもやはり、実際にこうしてめげずに真っ直ぐに立つ姿を見ると安心する。そしてそれが伯父の薫陶を受けた人物であることが、トワには何となく嬉しかった。

 

「上手くいくといいですね、色々と」

「だなぁ。何もかもすぐにとはいかないだろうが」

 

 憲兵隊の作戦然り、支部閉鎖の後始末然り、その後の活動にしても帝国遊撃士協会の立て直しにしても、どうか上手くいって欲しいと願いたい。

 きっとシグナもトヴァルも、他の帝国の遊撃士たちもこれから立て直しのために奔走する日々が始まるのだろう。その想いが実るよう、未だ学生の身であるトワには細やかな応援と祈ることしか出来なくても、それでも祈り、願いたい。

 どうか彼らが再びこの国の人々を支える篭手になれますように、と。

 

「――うっし、休憩終わり! そろそろ仕事に戻るとするか」

 

 自身に活を入れるように気合一声、トヴァルは立ち上がる。その姿を追って目線を上げたトワは、降り注ぐ陽光に目を細める。陽は既に中天に昇り切っていた。

 

「なんだかトヴァルさんにばかり話させちゃいましたね。せっかくの休憩中にすみません」

「いや、こっちもいい気分転換になったよ。昔を振り返る機会とか、そうある訳でもないし。むしろ悪かったな、碌なアドバイスが出来なくて」

「とんでもないです。僕は個人的にトヴァルさんの改造技術はすごく面白かったですし」

 

 それに、と四人は目を見合わせる。

 仲間と信じ合い、頼り合う、それが共に戦うということ。彼の話を聞いて何か具体的に掴めたと言う訳ではないが、自分たちの中に見直すべきところがあることに気付くことは出来たと思う。

 

「これ以上は私たち自身が努力するところだと思いますので。トヴァルさんがお気に病む事でもないですよ」

「便利なもの作るには相応に苦労が必要ってことだな。甘んじて受けるとするさ」

「お話を聞かせてくれただけで十分です。上手くいったらお礼に伺いますね」

 

 今はその切っ掛けだけでいい。シグナやトヴァルは先行きの見えない状況の中で頑張っているのだ。自分たちも掴んだ切っ掛けから成功を導き出す努力くらいしなければ不甲斐ない。少し失敗したくらいで凹んでばかりいられないのだ。

 先ほどまでの疲れ切った表情はもうどこにもない。あるのは可能性を探り、ほんの僅かな希望であったとしても絶対にものにしてみせるというやる気だけだ。トヴァルはふっと顔を緩める。

 

「頼もしいもんだ。その調子なら午後の実習も心配なさそうだな」

「そういうアンタは大丈夫なのか? さっき見た時はだいぶ草臥れていたようだが」

 

 心配り三割、からかい七割のクロウの言葉。失礼を咎めるトワの半目に彼はどこ吹く風である。

 

「はは……まあ、心配には及ばないさ。走り回るような仕事は終わらせて、後はまた地下道にも潜ることになりそうだからな」

「地下道というと昨夜話していた?」

「魔獣の親玉、でしたか」

 

 急に探せと言われても見つからないとぼやいていた悩みの種だ。それをまた探しに行くというのに、彼の様子は随分と気楽に見える。魔獣の親玉と聞くと、四人の頭には先月の森のヌシが思い浮かぶ。あれと同等のものを相手にするとなると相応の準備が必要だと思うのだが。

 

「それこそ本当に大丈夫なんですか? なんなら私たちも手伝いに行きますけど……」

「勘違いしているみたいだから言っておくが、見つけたからってすぐに退治する訳じゃないぞ。まずは偵察だけで済まして、それから本格的に掛かるつもりだ。先生やアイツならともかく、俺はそんな武闘派じゃないからな。準備は入念に、って訳だ」

 

 なるほど、とその返答に納得する。どうやら本当に要らぬ心配だったようだ。

 ところが、言った本人は苦笑い気味だ。

 

「ま、それだけに時間が掛かるんだけどな。見つけられなきゃどうにもならないし。もう魔獣の方からこっちに来てくれないかと思うくらいだよ」

「あ、あはは……気持ちは分かりますけど、流石にそんなことは……」

 

 無いだろう、そう言いたかった。言おうとした瞬間、ごぼりと何かが泡立つ様な音がトワの耳に届いた。

 例えるのならば、水中で息が漏れた時の様な音。ほんの微かな、常人であれば絶対に気付かないような音ではあったが、それは確かにトワの耳朶を叩いた。音の源にトワは目を向ける。トヴァルを見上げていた視線を下へ。あるのは石畳の地面、その下にあるのは――

 

「……水道?」

「トワ、どうかしたのかい?」

 

 急に様子を変えたトワにアンゼリカは不思議な目を向ける。他の面々も様子は同じ。

 どう説明したものか、と内心で考えも纏まらない内に、次なる変化は人の目にも明らかに訪れる。

 

「……おい、何か妙だぞ」

 

 ヴァルフレイム宮を囲う水面、真紅の宮殿を映し出すそこに水泡が立ち上る。最初は一カ所、次第に数は増え続け、終いには両手を使わなければ数えられなくなる。広場側の岸と距離は遠くない。いや、むしろ近づいてきているようにも見える。

 周囲の人々も異常に気付く。宮殿へ続く道に控える近衛兵が目を顰め、水泡の数が多くなるにつれて往来の人々も訝しむ。広場のざわめきは賑わいから困惑と疑念に性格を変える。

 そうして十分に注目を集めた元凶は、満を持してとでも言うかのようにゆっくりと水面から姿を現わす。

 濡れて光る鱗、一飲みにせんとばかりの大口、そこに並ぶ人の肉など容易く噛み千切れるだろう牙の峰。

 グレートワッシャー、白昼堂々と姿を現わしたのはそう呼ばれる魔獣たちだった。

 

「…………わざわざ冗談に付き合ってくれなくてよかったんだがな」

 

 魔獣が雄叫びを上げ、人々の悲鳴が空気を裂く。

 帝都が揺れる。

 


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