永久の軌跡   作:お倉坊主

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大学決まったのも三月になってからだったし、就活もまだまだこれからでしょ(震え声)


第20話 想い定まらず

「ははははっ! それで勘違いされてその様か。相変わらずツキがないな、お前は」

 

 暖色の照明をその白銀の髪で照らしながら、シグナは腹を抱えんばかりに笑う。本人は愉快そうであるが、言われた相手としては堪ったものではない。テーブルを挟んで向かいに座る白コートの青年はげんなりとした表情を浮かべる。

 

「勘弁してくださいよ、先生。そんなこと言われたら本当に運が無い奴みたいじゃないですか」

「事実には違いないだろうが。第一、遊撃士になった経緯自体ツキがなかった結果みたいなものだろうに」

「だぁっ! それは言わなくていいでしょ!」

 

 しかし、抗議の言葉は藪を突いて蛇を出しただけだったらしい。ニヤニヤとするシグナが言えば、青年は声を荒げて続きを遮る。彼のあまり触れられたくないらしい部分を的確に突いてくるあたり、シグナの付き合いの長さと同時に意地の悪さが窺える。

 大笑いしたり声を荒げたりすれば、多少は離れていても話は聞こえてくる。部屋の奥に備え付けられた簡易キッチンからトワがひょっこりと顔を出す。

 

「ちょっと伯父さん? あまりトヴァルさん困らせたりしないでよ」

「これくらい弟子との普通のコミュニケーションだよ、普通の。後輩いびりにもなりはしないさ」

 

 まるで悪びれない伯父に彼女は「まったくもう」と溜息をつく。例え当人たちにとっては普通であったとしても、親類がこうして人に迷惑を掛けているのを見るのは少しばかり恥ずかしいものがあるのだ。

 

「ごめんなさい、伯父がいつも苦労を掛けているみたいで。地下道のことだけでも申し訳ないのに……」

「はは……気にしなくていいさ。俺も先生には世話になっている身だし、今日の件はこっちの不注意でもあったからな」

「まあ、お前もまだまだ精進が足りないってことだ」

「先生が教えてくれなかったのも原因の一端なんですがね……」

 

 偉そうに言ったシグナは青年の文句を右から左に流し、何事も無かったかのように背中越しにトワに声を掛ける。

 

「それよか晩飯はまだか? 最近は仕事詰めでまともな食事にありつけていなくてな」

「不摂生しているとまたお母さんや伯母さんに注意されちゃうよ。あと食器とかどこに仕舞ってあるの? フライパンとかもごちゃごちゃに置いてあったし、もう少し整理整頓しておいてよ」

「まともに料理する奴が移籍してからは適当にしか使っていなかったからな……仕方ない」

 

 億劫そうにシグナは席を立ち、簡易キッチンのトワの下に向かう。あれでもない、これでもないと乱雑に放置された食器を奥から引っ張り出すや、またもトワからお小言が飛ぶ。のらりくらりと躱す様子からして、改善の見込みはないようだが。

 そんな二人のやり取りを見て、青年の口元には自然と笑みが浮かぶ。彼にとって恩義ある人物であり、武術の世界では指折りの達人も姪っ子の前ではただのだらしないオッサンらしい。そのどこの家庭にでもありそうな様子が、とても尊いもののように感じられた。

 視線を隣に移す。そこには青年と同じく笑みを浮かべる三人の男女が座る。

 

「……いいもんだな、こういうのも」

 

 何となしに口にする。口々に反応が返ってくる。

 

「まるでトワが私の伴侶になったかのようなシチュエーション……実にいい」

「いやぁ、どんな料理なんだろう。楽しみですね」

「くく……これでもかと辛口に品評してやるとしようじゃねえか」

 

 青年の笑みは固まる。

 おかしい、自分はとてもいい事を言ったつもりだったのに。

 純粋な食欲と細やかな邪念を隣に感じつつ、青年は夕食までの今しばしの時間を口を噤んで過ごした。

 

 

 

 

 

 今日の依頼を全て終わらせたトワたちは、シグナの言いつけ通り遊撃士協会帝都支部に戻ってきていた。地下道で不幸な出会い方をした白コートの青年、もとい、遊撃士トヴァル・ランドナーを加えて。聞けば、彼も帝都支部をたたむ前の諸々の仕事を片付けるために走り回っているのだとか。地下道で鉢合わせたのはその最中だったのだ。

 トワが平謝りしたりトヴァルが逆に申し訳なくなったりとしながら支部に戻ると、迎えるのはシグナの夕飯を催促する声。出来れば食料品の類も撤退前に消費したいとのことだったので、仕方なくトワが雑然とした台所に立った次第である。

 買い出しに行く時間もないので有りあわせの食材を使っての料理となったが、ちょうどオムライスを作れるくらいのものはあった。六人分というそれなりの大人数の食材を消費し、食料品の蓄えを注文通りに寂しくしたところで夕食と相成る。全員がこの一日を忙しく過ごしたせいか、食の進みは早い。気付けば会話もそこそこに皿は既に空けられていた。

 

「ご馳走さん。美味かったよ、このオムライス。店でも出せるんじゃないか?」

「お粗末様です。けど、そんなことないですよ。ちょっと美味しく作れるくらいで」

「いやぁ、そう表現するのは随分と謙遜が入ると僕は思うけどね」

 

 頬を薄く染めながら両手をパタパタと振るトワに、健啖な友人がそんなことはないと口を挟む。実際、彼女のオムライスは並の家庭料理よりも遥かに美味だった。アンゼリカが恍惚の余韻に浸り、ケチを付けようとしていたクロウが口を噤むくらいには。

 

「アーサ直伝の黄金オムライス、なかなか美味く作るようになったじゃねえか。火加減を間違えて魚を消し炭にしていた奴が見違えたもんだ」

「何歳の頃の話をしているの。もうアーサ伯母さんから太鼓判だって貰えるようになったんだから」

 

 苦い記憶を穿り返され、つい口をへの字に曲げる。料理を始めたばかりの十にもならない頃の失敗を今でも覚えているあたり、なんとも意地が悪い。いらない口を叩いて姪の機嫌を損ねたシグナは「悪かったよ」と肩を竦めた。

 そんなやり取りを微笑ましげに見ていたトヴァルが、ふと思い出したように尋ねた。

 

「アーサさんというと……シエンシア支部のアーサさんですか?」

「ああ。お前、面識あったか?」

「導力通信越しで話したことなら何度か」

 

 遊撃士同士で急に話し出されては、トワはともかくとして他の面子はついてこられない。アーサという人物にしろ、シエンシア支部という名にしろ、クロウたちにとっては全くの未知である。

 

「おいおい、こっちにも分かるように説明してくれよ」

「おっと、悪い悪い。シエンシア支部っていうのは残され島にある、帝国南西に広がるシエンシア海の群島をカバーする遊撃士協会の支部でな。アーサさんはそこの受付をやっている人なんだ」

 

 エレボニア帝国の南西に広がる海の先には、数多の群島が浮かぶシエンシア海という海域がある。トワとシグナの出身地である残され島もこの群島の一つである。その群島地帯を活動範囲とする遊撃士協会の支部、それが残され島に存在する遊撃士協会シエンシア支部であり、その受付を務めるのがアーサという女性なのだ。

 シグナは普段は帝国本土で活動しているものの、時にはシエンシア海に戻ってそちらの依頼対応にあたっている。その関係で支部に連絡した際、アーサと言葉を交わしたことによってトヴァルも彼女を知り得ていたのだった。

 その受付の女性をトワは伯母と呼ぶ。ということはつまり、と訳知り顔の二人を除く面々はハーシェル家の家系図を思い浮かべる。

 

「確かシグナさんはトワの御母上の兄上とのことだから、そのアーサさんは御父上の血縁なのかな?」

「うん。アーサ伯母さんはお父さんのお姉ちゃんだよ」

 

 アンゼリカの推測に首肯する。アーサ・ハーシェルはトワの父方の伯母である。

 トワに父方の祖父母はいない。父が十二ばかりの頃にロストヘブンを探し求めて海の彼方に赴き、そして行方知れずとなったからだ。そんな状況の中で、まだ幼いといえる時分に両親を失った父を女手一つで育て上げたのが伯母のアーサであった。祖母が生業としていた星片観測士を引き継ぎ、自身も若年であるのに父をサンセリーゼの学院にまで通わせて独り立ちするまで見守り続けたのは立派という他に無い。

 無論、姪のトワも随分と世話になっている。星片観測機の扱いを教えてくれたのはアーサであるし、料理の腕にしても昔から父の弁当などを手掛けていた彼女から手解きを受けたことが大きい。

 

「伯父さんが遊撃士で伯母さんは支部の受付か。はは、なんだか随分と家庭的な支部みたいだね」

「うーん、家庭的というか職場が家庭そのものというか……」

「ぶっちゃけるとナユタの家――コイツの実家をそのまま支部にしちまったからなぁ。もともと便利屋の仕事場に使わせてもらっていたのを転用して、アーサには副業がてら受付を頼むことになった訳だ」

「いいのかよ、んな適当に支部を作って……」

「いいんだよ。どうせレマン本部の目はあまり届かない海の向こうだからな」

 

 あまりにもいい加減な言い分にクロウさえも呆れ顔になる。このグレーゾーンを我が物顔で進む中年男性が帝国随一の遊撃士だと呼ばれているのだから、現実とは分からないものである。実際、そのグレーゾーンの産物である実家兼支部で生まれ育ってきたトワとしては苦笑いを浮かべるしかないのだが。

 

「まあ、先生の実績もあってお目溢し貰っているんだろう。ここを閉めたら俺もそっちに移籍しようかなぁ」

「馬鹿野郎、そうしたら俺の引退がますます遅れるだろうが。お前はレグラムで馬車馬の如く働かせるって決まっているんだよ」

「リベールの剣聖と張り合う現役バリバリがどの口で引退とか言っているんですか」

 

 軽口を叩き合う遊撃士二人組。トヴァルがシグナのことを「先生」と呼ぶ辺り、単なる上司部下というだけではなく師弟的な関係にあるのだろう――その割にはフランクだが。いったいどのような経緯で今に至ったのか気になるところではある。

 しかし、トワたちにとって重きを置く事柄はそちらではない。ちょうど会話の端に出てきた事もあって、ジョルジュが「あの」と言葉を差し挟む。

 

「ここを――帝都支部を閉めるって、やっぱり本当なんですか?」

 

 確認するような、しかし信じ難さも含んだ問い。トヴァルは目をパチクリさせて師に顔を向ける。

 

「言ってなかったんですか?」

「言ったさ。詳しいことは説明してないが」

 

 悪びれた様子もないシグナに苦労性の気がある弟子は肩を落とす。それは言っていないのと同じようなものだろう、と哀愁漂う姿は無言のうちに語っていた。

 トワたちにしてみれば、依頼を受け取った際に事実だけ知らされて詳しい事情は知る術もないというお預け状態だったのだ。一大支部の閉鎖という聞き捨てならない事態にどうして陥ったのかは是が非でも聞いておきたかった。

 その想いを、自身を見つめる四対の視線からありありと感じたのだろう。トヴァルは困ったように一度頭を掻くと、言葉を選びながら口を開いた。

 

「あー……まず支部を閉めるっていうのは本当だ。俺たちとしても不本意なんだが、止むに止まれぬ事情があってだな。来月頭までに引き払うことになったんだ」

 

 そこまで言って、彼は視線を迷わせる。これ以上のことを伝えてもいいのだろうか、という逡巡が窺える。同時に、伝えるのを迷うほどの理由があることも。

 

「今さら隠し立てしても仕方ないだろ。帝国政府から活動の縮小を申し渡されたんだよ」

「……政府から、ですか?」

 

 対してあっさりと口を割ったシグナ。帝国政府という公的権力の登場にアンゼリカが眉を顰める。

 

「直接の原因は昨年に起こった帝国支部の襲撃事件だ。あれで目を付けられてな。臣民が危険に脅かされる可能性が云々とか理由を並び立てられたら、こちらとしては頷く他なかった訳だ」

「ちょ、ちょっと待ってください。襲撃事件って……!」

 

 突然に飛び出した不穏な単語に驚愕と動揺が発生する。ジョルジュは明らかに取り乱した様子であり、クロウとアンゼリカも目を見開く。ただトワだけが、驚く訳でもなく少し表情を暗いものにしていた。

 

「昨年にウチで騒ぎがあったのは知っているだろ? それだよ」

「確かに支部で火災事故が起こったという記事は目にしましたが……」

「……まあ、流石に帝都のど真ん中で猟兵団が爆破テロを仕掛けたって知られたら大混乱だからな。政府から箝口令が敷かれて、マスコミにはダミー情報が撒かれたんだ」

「猟兵団、ねえ。動機は日頃の怨みか何かだったのかよ?」

 

 遊撃士と猟兵団――ミラによって雇われる凄腕の傭兵――の関係は犬猿の仲そのものだ。民間人の安全を第一とする理念と、ミラを対価に如何なる戦闘行為も辞さない流儀が交わる筈もなく、一度同じ場に居合わせれば衝突することも少なくないと言われている。故に猟兵団の中には遊撃士を目の敵にしているものがいても不思議ではないだろう。

 その仕事敵を排除してやろう。そう考えたからこそ、遊撃士協会の帝国支部は襲撃を受けることになったのではないか。普通に考えれば、襲撃の動機はそのようなものになるだろう。

 だが、順当な推測にシグナは「いや」と首を横に振る。泰然とした様子は崩れていなくとも、その金色の瞳には何時になく鋭い光が宿る。

 

「あれは連中(・・)が仕掛けた陽動だ。ご丁寧に俺がレマンに離れている時を狙って来たもんだから、まんまとカシウスが釣られてな……だがまあ、重要なのは目的じゃない」

 

 重要じゃないと言われても、連中とか知らぬ訳でもない某遊撃士の名とか色々気にはなる。そんな気懸かりも、次に飛び出してきた言葉に吹き飛ばされるのだが。

 

「結局、支部を閉鎖に追い込まれたのは状況を利用し尽くされたからだ。オズボーン宰相直々に支部に乗り込んできて襲撃の事実を盾に取られたら、もう感心する他ない」

「鉄血宰相直々に……抑え込む気満々だったという訳ですか」

「……遊撃士は政府にとって必ずしも益になる存在じゃないからね。リベールとかだと友好な関係を築いているけど、帝国だと貴族からも疎まれることもあるし……」

「俺も居合わせていたが、まあ凄いもんだったよ。襲撃からなんとか立ち直ってピリピリしているところに堂々と踏み込んできてな。そんな中で平気な面して活動縮小を申し付けてくるんだ。ありゃ絶対に心臓に毛が生えているな」

 

 民間人の安全を第一にする。それはつまり、時と場合によっては政府の都合などお構いなしに行動するということだ。政府はもとより帝国の特権的階級である貴族としては目障りに映ることも少なくないだろう。

 だからこそ、襲撃事件によって生じた活動縮小の大義名分を使わない理由はなかった。駄目押しのように政府代表のオズボーン宰相直々という念入り振り。シグナが怒りを通り越して感心するというのも無理はなかった。トヴァルも冗談めかしてはいるが、こちらはそこまで達観していないのか思い返す表情は苦々しい。

 

「おかげさまで各地の支部は続々閉鎖、帝都支部も秒読み状態って訳だ。残ったのはレグラムのように領主の理解があるところか、残され島みたいな辺鄙なところだけ。遊撃士も殆どは転属か転職だ」

「それで天下の《星伐》とお弟子は後片付けの残業か。遊撃士っていうのも世知辛いもんだな」

 

 皮肉られても浮かぶのは苦笑だけだった。説明した通りのにっちもさっちもいかない現状では、足掻こうにも動きようがないのだから。

 

「だがまあ、俺たちもやられっぱなしでいるつもりはないさ。機を見て必ず立て直すつもりだ。転属していった奴らとも約束したしな」

「勤続三十年近くでリストラっていうのも締まりが悪い。俺も引退するのは支部が持ち直してからにするさ」

「だから先生はまだまだ現役でしょうが。レマンからも昇格の話がきてるって聞いてますよ?」

「どこぞの不良親父が准将閣下になったから俺にお鉢が回ってきているんだよ。S級なんてアリオスの小僧みたいな若い連中にくれてやれって何度も言っているんだが」

 

 しかし、そのような苦境にあっても目の前の二人に悲壮な様子は見られない。現状を認め、それでも諦める気は欠片もないのだ。だから笑っていられる。その胸中に宿っているのは諦観ではなく希望なのだから。

 トワは少し安心した。襲撃事件と支部閉鎖の話を伯母から伝え聞き、帝国の遊撃士がこれからどうなるのかと、忙しさからあまり顔を見せない伯父はどうしているのかと心配していた。それが杞憂と分かったのだ。何時もの様子で愚痴を吐く伯父を見て微笑が浮かぶ。

 クロウたちも現状を知り、納得する。端的に言えば、帝国の遊撃士はやられはしたが、やられっぱなしでいるつもりは毛頭ないということだ。

 

「じゃあ、まずは目の前のことからって訳だね」

「ああ、帝都の支部を閉める前にやることは片付けないといかん。立つ鳥跡を濁さず、ってな」

 

 姪にシグナは東方の諺で応じる。糞親父呼ばわりする割に養父からの教えは確かに根付いている伯父であった。

 

「そのためにはトヴァルはもとより、お前たちにも存分に働いてもらいたい訳だが……くく、まさか出会い頭に引き倒されるとは俺も思わなんだ」

「だから勘弁してくださいってばぁ!」

 

 そこで終わらせておけば綺麗に締まるものを、後輩いびりのネタを蒸し返すものだから締まりが悪い。トワは仕方のない伯父に溜息をつき、他の面々も苦笑いを浮かべるしかない。

 

「はは……そういえばトヴァルさんはどうして地下道にいたんですか? 何か調べていたみたいですけど」

 

 心根が優しいジョルジュからのフォローに弄られていた当人は感激の目を向ける。一も二もなく飛びついた。

 

「そう、それなんだよ。地下水路を縄張りにしている魔獣の親玉を片付けてこいなんて言われて痕跡を探していたんだ。けどまあ、そんなすぐに見つかる奴でもなくてな……」

「そう愚痴るな。軍が地下水路の魔獣に取り合うと思うか?」

「そりゃ、その通りですけど」

「支部を閉める前に片付けなきゃ放置する羽目になりかねない、そういう訳か」

 

 トヴァルが地下にいたのはそこに巣食う魔獣――その中でも群れを統率するリーダー格を探してのこと。あの複雑な地下道で易々と発見できるはずもないが、探さなければいけない理由も納得がいく。

 遊撃士が撤退した後に好き好んで地下の魔獣を相手にしようとするものがいるとは思えない。大都市の地下に少なからず脅威は放置され、いつ事故の原因になるとも知れない。後顧の憂いは晴らして支部を閉めたいのだろう。

 

「ちなみに、貴方が私たちをやけに警戒していたのにも理由が?」

「うぐっ」

 

 そこで話が終わればいいものの、重ねられた意地悪な問いにトヴァルは呻く。アンゼリカに窘める視線を送るが、肩を竦めるに留まる。反省はあまり期待できなさそうだ。

 

「いや、確かに俺もピリピリし過ぎた所はあったしな……あれは正直、近ごろ好き勝手している犯罪グループの類かと勘違いしていたんだ」

 

 犯罪グループ、穏やかではない単語だ。夕食後で緩んでいた気持ちに、やや緊張が走る。

 

「オズボーン宰相の政策に対してデモをやっていた連中がエスカレートしたみたいでな……施設への放火やら革新派の政治家への脅迫やら、最近の帝都ではよく耳にする話だ。面倒な奴らだよ」

「鉄血宰相絡みの犯罪者……テロリストか?」

 

 幾分か表情を険しくしたクロウが問う。いや、と首を横に振ったのはシグナであった。

 

「奴らはそこまで本気(・・)の連中じゃない。社会でドロップアウトした鬱憤を何かにぶつけたいだけだ。でなければ、目的も無しに騒ぎばかりを起こしたりはしないだろうさ」

 

 聞けば、その犯罪グループが起こしたのは無視こそできないが、政治的に何かしら影響があるとは思えない局所的な事件ばかり。題目こそ鉄血宰相批判を掲げているものの、テロリストと呼称するにはやっていることが小さいのだという。

 ならば目的は政治的なものではなく、騒ぎを起こすことそのもの。自分たちの失敗を社会のせいにして八つ当たりしている。シグナの分析は的を射ているように思えた。

 テロリストという懸念が消えてトワはホッと息をつく――危険が無い訳ではないが。

 

「たぶんだが、お前たちも目にしたと思うぞ。報告で偽装事故やって慰謝料をふんだくろうとしていた男を拘束したと言っていただろ」

「え、あの人が?」

「どこからミラを調達していたのか知らなかったが、報告を聞いてピンときた。今まで上手く逃げ隠れしてきたのも終わりだな。お前らが捕まえた奴から居場所を吐き出させて、近いうちに片が付くだろうさ」

「はあ、そうなんですか? なんだか実感が湧きませんけど……」

 

 自分たちが捕えた男が、その犯罪者グループの一員と言われてもピンとこない。それが発端となって件のグループの壊滅にまで繋がると言われれば尚更だ。

 

「自分たちの与り知らぬところで物事っていうのは巡っているもんだよ。先生の読みはだいたい当たるから、たぶんその通りなんだろう」

「そういうもんかね……ならミスったな。憲兵にもう少し褒賞をたかっておくんだった」

「邪だなぁ、君は」

 

 だが、実際はトヴァルの言う通りなのかもしれない。物事と物事は知らない所で繋がっていて、自分たちが関与したことが巡り巡って一つの結果に結びつくこともある。自分たちが知らない時に、知らないどこかで。世界の全てを見通せる人などいないのだから。

 本気とも冗談ともつかないことを嘯くクロウにジョルジュが呆れ、他の面々も苦笑する。シグナは快活に笑っているが。トワの目に映り、認識できる現実など目の前の光景だけだ。

 シグナのような達人になら、理に至るような傑物なら、より広い世界を見ているのだろうか。思うが、やめる。身の丈に合わないことを考えても仕方がなかった。

 

「別にいいじゃない。知らずのうち役に立ったなら、それはそれで」

「俺はお前ほどボランティア精神に満ちていないんでね」

 

 無理に遠くを見通そうとして、足元が疎かになっては本末転倒。今のトワには冗談を言い合ったり皮肉を叩く日常しか見えない。なら、まずはそこから取り組んでいくしかない。至らない身で背伸びをしても失敗するだけなのは、よく知っていたから。

 

「ま、魔獣やら犯罪やら帝都も色々と騒がしいが気にすることはない。目の前の実習に取り組んで、そこでぶつかった壁に向き合っていけばいい。自分の手の届く範囲で、な」

 

 そこに内心を透かして見たような言葉を投げかけられるのだから堪らない。ばっちりとこちらに目を向けて。

 トワは「はぁい」と気の抜けた返事をする。伯父にはまだまだ敵わないようだった。

 

 

 

 

 

「――でね、エミリーちゃんが朝練のせいか居眠りしちゃって。頑張って起こそうとしたんだけど、全然起きてくれなくて。結局、教頭先生にばれて大目玉。ちょっとかわいそうだったかな」

「いやぁ、そりゃ自業自得ってものだろ。甘やかしも程々にな」

 

 そうかなぁ、と無自覚を晒しながらトワは手を動かす。再びキッチンに立った彼女はスポンジを洗剤で泡立たせ、洗い物に勤しんでいた。話し相手たるシグナは一人テーブルに居座り、ワインボトルとグラス、つまみのレバ刺しを広げて晩酌を決め込んでいる。

 今ここにいるのは二人だけだった。クロウたちは報告のレポートを、トヴァルは書類仕事を片付けに上階に引っ込んでいる。ノイには先ほど遅れて夕飯を馳走したが、またどこかに姿を隠している。一応はトヴァルを警戒しているのだろう。

 一足早くレポートを片付けたトワを捕まえ、酒のつまみを所望した伯父に仕方なく応じたのが今の状況。洗い物がてら学院での近況を話すトワの言葉は弾む。手紙で母には何度か知らせているが、直に話すのはこれが初めてだった。酔っ払いより余程口が回る姪っ子に伯父が微笑ましげにしていることなど、背を向けているトワは知らなかった。

 クラスメイト、生徒会、教官たち、試験実習。一通り話し終わる頃には洗い物も同じく終わる。ぽたぽたと手から滴る水を拭き取り、足は飽きずにグラスへ赤い液体を注ぐ伯父の下に向かう。半分ほど開けられたボトルをひょいと取り上げる。酒精を帯びてほんのりと頬を紅くしたシグナが縦皺を刻んだ。

 

「明日もお仕事でしょ。あまり深酒しちゃダメだよ」

「……そういう所はクレハに似なくてよかったんだがな」

「それは残念だったね」

 

 一片の躊躇もなくコルクで栓を閉め、ボトルをさっさと片付ける。シグナは残り一杯をチビチビ大事に飲み始めた。

 洗い物で捲っていた袖を戻し、何となしにシグナの向かいに座る。学院での大方のことは話してしまった後ではあるが。今回の実習についても深く聞きたいことは特にない。サラ教官との関係は気になるが――正直、察しはついている。なんだか聞くのが野暮な気さえしていた。

 静かな時間が流れる。夜の帝都に滑り込んでくる列車の音が、遠くから響く。

 

「なあ、トワ」

「うん?」

 

 ふと切り出され、呼び掛けてきた伯父へと顔を向ける。

 

「当たり屋を追っていた時、アレ(・・)使っただろ」

 

 そして唐突に飛び出した言葉に、表情が強張るのを自覚した。

 何故、どうして、頭の中で混乱が渦巻く。無理矢理に抑え込んだ畏れが蘇り、冷たい汗が背を伝う。震える手を押さえるように両の手を重ね、トワは寒気に耐えるように俯いた。

 シグナは小さく笑みを浮かべる。「怒っている訳じゃないさ」と声音を和らげて彼は言う。

 

「ただ、どういう風の吹き回しかと思ってな」

「……よく、分かったね」

「報告の時、妙な感じがしたからな。後は勘だ」

 

 強張っていた顔に苦笑が浮かぶ。随分と便利な勘もあったものである。

 気持ちを落ち着かせるように息を吐き、吸って、吐く。伯父は何も言わずに待ってくれた。

 

「……使わなくちゃ、逃げ切られていた。歓楽街の人混みに紛れて、普通に目で追っていたら見失っちゃうって思って」

「そうか」

「でも、捕まえなくちゃ何も分からずに終わっちゃうから。何の解決にもならないから、それで……」

「そうか」

「でも……」

 

 言葉が詰まる。二人以外に誰もいない空間に、息遣いだけが空気を揺らす。でも、とトワの口から音が漏れる。小さく、呟くように。

 

「やっぱり、怖いよ。意味も、意志もないまま持つ大きいだけの力なんて」

 

 それが、トワの心情そのものだった。断片的で、クロウやアンゼリカ、ジョルジュが聞いても何のことか分からないだろうが、シグナにはそれで十分だった。彼女がまだ、迷いの最中にいることを知るには。

 トワはゆっくりと立ち上がる。足は寝室のある上階ではなく、外への扉へと向かった。

 

「風、浴びてくるね」

「身体を冷やさない程度にしとけよ」

 

 気遣いに「うん」と縦に頷く。扉のノブを捻り、外に出ようとする小さな背中へシグナは声を掛ける。

 

「すまんな」

 

 その謝罪は、果たして何に対するものだったのか。

 しかし、トワは分かっていた。分かっていたからこそ立ち止まり、開けた扉から吹き入る風に髪を揺らしながら、今度は横に首を振った。

 

「ううん。向き合わなくちゃ、いけないことだから」

 

 扉が閉まる。しばらく姪が出て行ったそこを眺めていたシグナだったが、不意に大きく溜息をつくとぐったりと背凭れに寄り掛かった。無造作に頭を掻きあげた指先から銀糸が零れ、天井を仰ぐ彼の頬へ流れる。

 一文字に引き結んだ口元に笑みはない。あるのは、どうにも避けられない事物への苦々しさと、それを押し付けなければならない罪悪感だけだ。

 

「文句があるなら言ってもいいんだぞ、お前も」

『……そういうところ、歳とって性格悪くなったと思うの』

 

 徐に言葉を誰もいない空間に投げかける。返って来たのは苦言。アーツを解いたノイが姿を現わす。その表情は分かりやすいほどに機嫌を損ねていて、思った通りのそれにシグナは苦笑する。

 どこぞに姿を隠していると思われていたノイは、ずっとこの場で話を聞いていたのだ。それにトワは気付かなくとも、シグナは気付いていた。気付いていてノイが聞けば顔を顰めるだろう話題を、わざわざ目の前で話していたのだ。文句を叩かれても仕方がない。

 だが、意見が食い違う話題であったとしても、何時までも避けては通れないのも事実。目を逸らしているだけでは、決して良くならないのだけは確かなのだから。

 

「ねえ、シグナ……ううん」

 

 重い口を開いたノイは、そこで言葉を区切る。真剣な目がシグナをじっと見据える。

 

「敢えて呼ばせてもらうの、セラム様(・・・・)。あの子に――トワに継がせる必要なんて、本当にあるの?」

「お姉ちゃんがすっかり板についたもんだな」

「茶化さないでほしいの」

 

 ピシャリと言い返され、シグナは肩を竦める。酔っ払いが真面目を通すことは難しい。

 

「どちらにせよ苦労するんだ。なら継がせた方がいい、と俺は思う」

「でも、あの子が普通に生きるのに大きすぎる力なんて……!」

 

 必要ない、そう続けたかったノイの言葉は途中で遮られた。シグナは無言のうちに首を横に振り、彼女の言葉を否定する。瞳に酔いの微睡みはなく、ただ静かな光を湛えた双眸がノイに向けられる。

 

「分かってはいるんだろ。生まれたその時から、アイツに人並みの人生を歩ませてやることなんて出来ないって」

 

 その一言でノイは口を噤んだ。認め難くも認めざるを得ない事実。自然、表情は曇る。だが、それは言ったシグナも同じであった。

 普通の少女だったなら、普通に生きるだけでよかった。しかし、トワは普通ではない。その身に流れる血が、遥か過去の遺物が、何も知らない無垢な少女でいることを許さない。今はそうでなくても、いずれ、必ず。

 だから教え得る限りのことを伝えてきた。父からは学問を、祖父からは剣を、そして母と伯父からは力の使い方を。身内の贔屓目抜きでも聡明なトワは、それら全てを余すことなく吸収した。

 そして聡明だからこそ恐れているのだ。もはや意味を失った、その人の身に余る力を。

 

「だがまあ……最後は全て、アイツ自身が決めることなんだがな」

 

 今は見守ることしか出来ない。彼女が答えを出す、その時まで。

 シグナは口の中の苦みを押し流すように、グラスに残ったワインを一息に呷った。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 外に出たトワは夜の帳が下りたヘイムダルの空を見上げていた。雲は一つすらなく、星々は思い思いに輝き暗闇を彩っている。しかし、その煌めきは故郷の夜空と比べると幾分か精彩に欠ける。帝都に灯る人々の光が、天上の輝きを塗り潰してしまっているからだ。

 大崩壊から1200年余り、人々は失われた文明を積み重なる歴史の中で再び築いてきた。過去の遺物から導力というエネルギーを新たに得てからは、その流れは一層早まってきている。オーブメントという文明の利器を生み出し、そして同時に、人間同士の争いを激化させながら。長年に渡り対立する帝国と共和国、十年前の百日戦役、そして帝国内の革新派と貴族派の不和。この時代、争いの火種は彼方此方に転がっている。

 争いの中で人々は力を求める。そして力を持つ者を放っておかないだろう。それを遠ざけることは出来るだろうが、何時までも出来るとは限らないし、何よりその行為は世界から目を背けることに他ならない。

 だが、例え向き合ったとしても、意志なき力はこの星に仇為すだけではないだろうか。

 

(伯父さん、心配させちゃったかな……でも、私は……)

 

 トワは恐れている。その身の力が能うことを知っているが故に、意味も意志も無く振るうことを。

 人は常に正しい選択をすることが出来る訳ではない。しかし、それでも信じられる道を彼女は欲していた。

 

(私は……この世界で、何がしたいんだろう?)

 

 自問の答えは未だ見つからず、ただ時だけが過ぎ、世界は徐々に混迷へと向かっていく。

 緩やかに吹いた夜風が、トワの頬を冷たく撫でていった。

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

 小さな少女が夜空を見上げている頃、同じ空の下では複数の人間が闇に包まれたヘイムダル港に集っていた。数は十数人程度、そこまで大きい集団ではない。その顔には、一様に厳しい表情が張り付けられていた。

 そんな彼らこそが、巷で騒ぎを起こしている犯罪グループであった。

 

「……おい、どうするんだよ?」

「はっ、知るか」

 

 リーダー格の中年の男が吐き捨てる。問い掛けた側のやや年若い男は眉根に皺を寄せた。

 

「知るか、じゃないだろう。資金稼ぎが捕まったんだ。隠れ場が割れたら明日にでも憲兵が差し向けられるぞ」

「そうだぜ。さっさと逃げる算段をつけなくちゃならねえだろ」

「くそっ、そもそもあの馬鹿がドジを踏まなけりゃ……!」

 

 彼らは今、追い詰められていた。偽装事故を起こして慰謝料を巻き上げる役割を担っていた男が捕縛されたからだ。遠からず隠れ場にしている地下水路の一角の情報は吐かされ、一網打尽にするための手を打たれる確信があった。捕まった男が無関係を装い、口を割らない可能性は万に一つも考えていない。そこまで楽観視するほど馬鹿ではないし、仲間内の信頼も無かった。

 矢継ぎ早に声が上がる。殆どは早く逃走しようというもの、後は捕まった仲間への悪態。耳に入れたリーダーは皮肉っぽく頬を吊り上げる。

 

「逃げる? どこから逃げるっていうんだ。駅も街道口も既に鉄道憲兵隊の手が回っているだろうさ」

 

 彼からすれば、今から逃げればどうにかなるという考えは見込みが甘すぎると言わざるを得なかった。尋問とはそう生易しいものではない。訓練も何も受けていない資金稼ぎ役の男では隠れ場所どころかメンバーの顔まで全て吐かされた後だろう、と見立てた方がいい。

 帝都憲兵隊だけならいざ知らず、鉄道憲兵隊は精鋭だ。自分たちみたいなちんけな犯罪者に網を張るくらいどうということはないだろう。考え得る逃げ道は既に潰されている筈だ。

 リーダーからの無情な言葉にメンバーの顔には影が落ちる。物悲しい雰囲気の閑散とした港も相俟って、集団は悲壮な空気に包まれる。対して言った当人といえば、あっけらかんとも言える妙に軽薄な表情を浮かべていた。

 

(俺も焼きが回ったかねぇ……いや、単なる潮時か)

 

 元々、彼は政府に務める役人だった。特別に有能な訳でもなく、むしろ同僚より劣る部分が多い。しかし、彼には他の誰よりも長じる部分があった。職場を牛耳っていた貴族に取り入る狡猾さである。

 今より昔は――十年以上前は帝国政府内も貴族勢力が強かった。彼が務めていた職場も例外ではなく、貴族の強い影響力が及んでいた。そこに付け入ったのだ。貴族に気にいられるよう立ち振る舞うことで彼はそれなりの立場を築いていた。これでそこそこ良い生活が出来る、そう思っていた。

 しかし、その思惑はオズボーン宰相の就任と革新派の台頭で泡と消えた。政府内から貴族勢力は廃され、そこから甘い蜜を吸っていた彼も無能者の烙印を押されて放逐された。職を失った後は酒場に入り浸る飲んだくれとなり、憂さ晴らしに参加した反政府デモにのめり込み、次第に過激な運動に変貌していって……後はもう、流れに身を任せていたようなものだ。

 目の前で勝手に落胆しているメンバーたちも、そう身の上は変わらない。社会の変化によって職を失った者、そもそも社会に馴染めなかった者。時代の流れに自分を合わせられなかった人生の落伍者だ。

 

(まあ、俺たちみたいなろくでなしには妥当な結末かね)

 

 自分たちの行いがただの八つ当たりだとは自覚している。大義名分に政府批判を掲げてはいるが、それらしいものを謳い文句にしているだけで実質は社会への不満をぶちまけているだけに過ぎない。やっていることも放火や脅迫としょうもないものばかり。騒ぎや混乱を起こすだけで満足できるのだから。

 今まで捕まらなかったのは、そんな些末な事件に相手が本腰を入れてこなかったからに過ぎない。やるからには憲兵や遊撃士の目を逃れるために手を尽くしてきたのも確かだが、本気になったプロを欺けると思うほど自惚れてはいない。いや、メンバーの中には本気で思っていた奴もいるかもしれないが。

 しかし、確実な情報源を手中にした憲兵が目下の害虫を放置しておくとも考え辛い。遠からず自分たちはお縄につくことになり、どこぞの豚箱にでも放り込まれるのだろう。

 明確な未来像を思い描き、彼は嘆息する。この結末を仕方ないと割り切ることは出来る。それでも胸の内に去来する空しさに似た感情を追い出すことは出来なかった。

 

「せめて最後に一発、派手にやらかせたら文句ないんだが」

 

 憲兵連中の度肝を抜けたら思い残すこともないだろうに、と叶いもしない願望を零す。手持ちにあるのはナイフに導力銃と人数分もない――しかも捕まったせいで一個減った――戦術オーブメントだけだ。最新装備の鉄道憲兵隊が出てきたらあっという間に制圧されてしまうだろう。

 もう色々と諦めて残った食料と酒で最後の晩餐にでも洒落込もうか。そんなやけなことを考えていると、不意にメンバーの声が閑散とした港に響いた。

 

「だ、誰だお前は……っ!」

 

 顔を上げる。もう来たのか、と思ったが、目に入った光景にその予想は否定される。

 居たのは一人だった。コンテナの影から姿を現わしたのだろう人物は、フード付きのマントに身を包んですっぽりと顔まで覆い隠し、人相すら窺い知れない――背丈からして、おそらくは男だろうと想像しか出来ない怪しい風体をしていた。

 得体の知れない人物の出没にメンバーの間に緊張が走る。それぞれ武器に手を掛け、臨戦態勢に入ろうとしたところでリーダーは「まあ、待て」と制止した。

 

「何を呑気な……!」

「どうせ明日とも知れない身だ。どんな怪しい奴だろうと気にする必要はないさ。で、アンタは何か用でもあってきたのかい?」

『…………』

「だんまりか」

 

 メンバーの抗議を流しつつ、フード男に近づいていく。話しかけても返事はない。だが、何故か苛立ちはしなかった。人生に諦めがついて一種の悟りの境地にでも至っているのかもしれない。

 

「ここは人生の落ちこぼれの溜まり場だ。用が無いなら帰んな。それとも最後のどんちゃん騒ぎに参加したいって言うのなら歓迎するが」

 

 尚もフード男から返答はこない。何かおかしい。内心で首を傾げた所で、背後からの悲鳴が耳朶を叩いた。

 

「ひいっ!?」

「ま、魔獣だ! 魔獣だぞ!」

 

 慌てて振り返る。そこには港の岸壁からずるずると這い上がってくる、水に濡れてぬらぬらと光る鱗に身を包み、身震いするくらい鋭利な牙が並ぶ顎を備えた魔獣。グレートワッシャーと呼ばれる大型の水棲魔獣だ。冗談でも街中に出てきていい類のものではない。

 突然の魔獣の出現に腰を引かせながらも導力銃を構えるメンバーたちに悪い出来事は続けざまに襲い来る。岸壁の下から鳴る水音、鱗が地面を擦る擦過音は鳴り止まない。一匹でも洒落にならない手合いが二匹、三匹とその数を増やしていく。

 続々と姿を現わす魔獣。それは確かに恐ろしい。だが、本当に恐ろしいのはそれらの魔獣がまるで襲ってくる気配が見えないことだ。何かに操られているかのように、意志を感じさせない目がただこちらを見つめてくる。それがどうしようもなく不気味だった。

 リーダーの背に冷や汗が流れる。先ほどまでの悟ったような気分は吹き飛んで、頭の中には混乱が渦巻いている。ただ混乱の中にあっても一つの確信があった。再びフード男に視線を向け直し、そこに変わらず立っている姿を見て確信はより確固なものとなる。

 この男だ。この男が、何かをしているのだと。

 

「アンタ……」

『…………』

 

 相も変わらず言葉はない。だが、反応はあった。

 フードの仄暗い闇の中で、男は確かに笑みを描いていた。

 




【黄金オムライス】
高級料理の一つ。黄金色に輝く卵で包んだとろとろのチキンライス。食べると特殊効果でミラの入手率がアップする。

【アーサ・ハーシェル】
ナユタの姉。両親が亡くなったナユタにとっては唯一の肉親である。母が生業にしていた星片観測士を継いで弟を養い、果てにはサンセリーゼの高等学校に行かせたりと、こんな姉が居たら絶対に頭が上がらないと思える人。しかも料理上手で気立てもいい。
物語の途中で倒れてしまい、とある病に罹患していたことが判明するが……

【レバ刺し】
一品料理の一つ。鉄分たっぷりのレバーのお刺身。しょうがと一緒に。

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