永久の軌跡   作:お倉坊主

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とりあえず序章にあたる部分は毎日更新していきます。


第2話 特別オリエンテーリング(仮)

 新入生の喧騒から離れた学院の一角。教官室などが並ぶ廊下にある一つの扉の前で、トワはゴクリと息をのんだ。学院長室、扉の上のプレートにはそう記されている。

 部屋の中からは何人かの気配を感じる。どうやら筋骨隆々の学院長と一対一と言う訳ではないようだが、もし他の人も全員が教官で複数対一だったらどうしよう。頭を過った嫌な予想に冷や汗が流れる。

 姿を消したままのノイに背中を叩かれる。尻込みしていないでさっさと行けという事だろう。覚悟を決め、トワは重厚な扉をノックした。

 

「入りたまえ」

 

 入学式でも聞いた皺がれながら力強い声が返ってくる。トワは「失礼します」とおっかなびっくり入室した。

 

「お?」

「へえ、これはまた」

「トワじゃないか。君も呼ばれたのかい?」

「ジョルジュ君? そ、それに駅前で会った……」

 

 扉を開いた先に居たのは、幸いなことに教官だけではなかった。平民生徒が二人に貴族生徒が一人、そして学院長とその横に控える教官と思しき女性がトワの視界に映る。そのうち、平民生徒二人は知った顔だ。バンダナの男子とジョルジュとの思わぬ再会に唖然とする。

 他の人物も特徴的だ。興味深げな視線を向けてくる貴族生徒はショートカットの女子だが、何故か男子のスラックスを穿いているし、女性教官だって他の人とは少し毛色が違う雰囲気である。

 いったいこの場の集まりは何なのだろう。纏まりのないバラバラな面子からは予想がつかない。

 

「トワ・ハーシェル君、で間違いないかね?」

「は、はいっ」

「急に呼び出してすまなかったのう。まあ、そんな所で硬くなっていないでこちらに来なさい」

 

 学院長に促されるままに彼の執務机の前へと歩を進める。トワを含めて並んだ四人の新入生を見渡し、学院長は「うむ」と頷いた。

 

「全員が集まった様じゃな。初日からこちらの要望に応じてくれて感謝しておる」

「流石に初っ端から教官の言う事に逆らうほど無謀じゃないんでね。それより、いったい何の用なんすか?」

「あら、生意気な子ね」

「はっはっは、そうじゃな。それでは早速、本題に移らせてもらうとしよう」

 

 バンダナの男子の捻くれた言いっぷりに学院長は闊達に笑う。女性教官もわざとらしい驚きを浮かべるだけだ。

 この程度の皮肉は痛くも痒くもないのだろう。言い出した本人も失敗したという表情である。

 

「諸君を呼んだのは他でもない。実は、とあるテストに参加してもらいたくてのう」

「テスト……ですか?」

「うむ。少々先の話にはなるが、来年度にトールズ士官学院は新たな試みとして『特科クラス』というものを新設しようと考えておる。今はその実現に向けて色々と動いているところだ」

「特科クラス、か。なかなか面白そうな響きですね」

 

 そう楽しげな様子を見せるのは貴族生徒の女子。紫がかった短髪が揺れる端正な顔は学院長の話に興味津々だ。

 

「その特科クラスでは特別なカリキュラムを用意しようと考えておるのだが……これが上手く機能するかは実際に確かめてみないと何とも言えんのでな。君たちにはそのカリキュラムのテストをお願いしたい、と言う訳じゃよ」

「なるほど。その僕たちにテストしてもらいたいというカリキュラムとは一体?」

「詳しくは担当の方から話してもらうとしよう。サラ君、よろしく頼む」

「分かりました」

 

 女性教官が一歩前に出る。髪色はエミリーとは色合いの異なる赤紫であり、歳は20台の半ばに差し掛かるかどうかだろう。随分と若い。

 そして……何というか、凄くグラマラスである。貧相な体型のトワと比べるべくもない。それを強調するような服装をしているものだから余計に始末が悪い。ジョルジュは目のやり場に困っているようで、バンダナの男子は遠慮なく見ていた。

 

「武術・実技技術担当教官のサラ・バレスタインよ。特科クラスに関する事も一任させてもらっているわ。で、君たちにやって欲しいカリキュラムの内容なんだけど……」

 

 四人の視線がサラ教官へと集まる。既にここまで聞いてしまっては気にならずにはいられない。

 

「正直、口で説明するのは面倒でね。先にお試しで体験してもらう事にするわ」

「ふえ?」

「習うより慣れろって奴よ。ほら、ついてきなさい」

 

 しかし、その口から出てきた言葉は余りにも想像とは異なるものだった。

 言うだけ言ってサラ教官は学院長室から出て行ってしまう。ここで説明するものとばかり思っていた四人は、その後ろ姿をポカンと見つめる事しか出来ない。

 そもそも口で教えるのが面倒とはどういう事だろう。というか、教官としてその台詞はどうなのか。トワ自身も内心、混乱で一杯になっている。

 固まるトワたちに向けて、学院長は苦笑を浮かべながら切り出した。

 

「まあ、テストを引き受けるかどうかはともかく、まずは彼女に付き合ってくれたまえ。話はそれからでも遅くなかろう」

 

 チラリと四人は視線を交わす。それぞれ学院長に対して異論はなさそうだ。

 さっさと先に行ってしまうサラ教官の後を追って部屋を出る。この先で何が待ち受けているのか、それを楽しみにする期待と何とも言えない不安を、それぞれ抱きながら。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 先導するサラ教官についてやって来たのは、学院の裏手にある林道だった。そこに聳え立つ古めかしい建物。察するに、大昔に使っていた校舎か何かだろう。

 しかし、トワとノイにとってはそれだけで片付けられない違和感があった。ただ古い建物特有の化けて出てきそうな雰囲気だけではなく、肌に感じられる確かな感覚として。

 

「ねえ、ノイ。これって……」

『暗黒時代の遺物って所かもね。はぁ、何だか面倒な事になってきたの』

 

 後ろの方でコソコソと喋りながら、やっぱりとトワは納得する。故郷の遺跡とは異なる感覚だが、この建物からは確かに何か(・・)を感じる。謎多き大昔の文明に連なるものと考えて間違いないだろう。

 もっとも、だからと言って心配する必要はないかもしれない。鼻唄を歌いながら扉に掛かった鍵を開ける教官からして、それほど危険な場所ではない筈だ。

 開かれた扉からサラ教官に続いて入っていく。薄暗い建物の中は、先ほど入学式が行われた講堂と似通った構造になっている。そこらに瓦礫が散乱している事から、やはり普段は使われていない場所なのだろう。

 奥にはステージだったと思しき一段高い部分もある。その近くまで来て、サラ教官はようやくトワたちに向き直った。

 

「ふふ、全員ついてきたわね。意外といい子じゃない」

「んなこと言ってないで、さっさと何をするのか説明してくれないんすか? まさか肝試しなんてわけじゃないだろうし」

「それについては同感だね。お預けもそろそろご勘弁願いたい」

 

 どうやらバンダナの男子と貴族生徒の女子は揃って度胸があるらしい。教官に向かって臆面もなく文句を口にする二人に、穏健なトワとジョルジュは苦笑いを零すしかない。

 

「そうね。それじゃあ先にこれを渡しておくとするわ」

 

 文句を軽く流して、サラ教官はそれぞれに何かを差し出す。訝しげにしながらも受け取ってゆき、最後に渡されたトワは自分の手の内のそれを見て疑問符を浮かべた。

 懐中時計型の導力器。それに何かをセットするスロットが備え付けられたこれは……

 

「戦術オーブメント……?」

「ふむ? 戦術オーブメントの支給は初回の実技教練でと聞いていたが……」

「いや、ただの戦術オーブメントじゃねえな。少しばかり形状が違うようだ」

 

 カリキュラムの説明と違う事態に困惑していると、バンダナの男子の指摘にハッとする。

 確かに従来のものとは違う規格のようだ。トワも故郷では自前の戦術オーブメントを使っていたが、それよりも一回りは大きくなっている気がする。知らない間にバージョンアップでもしたのだろうか。

 三人が渡されたそれに疑問を抱いている中、ただ一人だけが違う反応を見せていた。

 

「……なるほど。その特科クラスはコイツ(・・・)の運用を目的としていると言う訳ですか」

「流石に君は気付くか。まあ、目的の一つであるのは間違いないわね」

「おいおい、こっちにも分かるように説明してくれよ」

 

 納得した様子で、しかしどことなく複雑そうな表情でサラ教官と言葉を交わすジョルジュ。そんな二人の遣り取りにバンダナの男子が口を挟んだ。

 

「――それは次世代型戦術オーブメント《ARCUS》。ラインフォルト社とエプスタイン財団が共同開発し、件の特科クラスで運用を予定されている新型導力器……の試作型(プロトタイプ)よ」

「プロトタイプ……じゃあ私たちにやってもらいたいって言うテストは、このオーブメントに関する事なんですか?」

「うーん。それだけだったら話も簡単なんだけどねぇ」

「サラ教官、随分と勿体ぶりますね。そんなに言い出しにくいことなのですか?」

 

 ステージの壇上に上がりながら朗々と語るサラ教官だが、トワの確認に対する答えは明瞭としない。

 ただ勿体ぶっているだけなのか、何か事情があるのか、それとも全く別の要因によるものなのか。いずれの理由によるものなのかは知らないが、トワの個人的な感触としては余り深刻なものではない気がした。

 

「もう、そんな急かさなくてもすぐに分かるわよ」

 

 そう、言うなれば、何かのタイミングを推し量っているような……

 妙に悪戯っぽい顔のサラ教官がステージの奥に下がっていくのを見ながら、そんな考えが頭に浮かんだ瞬間。

 

「さっき言った通り、習うより慣れる形で、ね」

 

 ガコンッという音と共に、トワたちの立っていた床が急激に傾斜した。

 

「ふええっ!?」

「なぁっ!?」

 

 落とし穴のトラップ。見れば、サラ教官はステージの壁面に備え付けられた仕掛けのボタンに手を掛けていた。やたら話を引き延ばしていたのはこのためだったのである。

 落とし穴の傾斜はかなり急だ。普通に踏ん張っても奈落の底に急転直下は避けられない。

 

(でも、このくらいなら……!)

 

 だが、素直に落ちる訳にもいかない。何とか踏ん張るためにも、自分の武具に手を伸ばそうとして――

 

 ガギゴンッ!

 

「へ?」

「あら?」

 

 何かが壊れるような音で、落とし穴は傾斜から垂直へと変化してしまった。

 

「そんなのってないよ~!!」

 

 踏ん張る足場が無くなってしまえば、もうどうしようもない。トワは為す術もなく落とし穴の底に転落していってしまうのだった。その後を慌てて追っていく姿なき妖精を伴いながら。

 一気に人気のなくなった空間の中、サラ教官は「あっちゃぁ……」と頭を掻く。ちょっと失敗してしまったとでも言うかのように。

 

「まさか仕掛けが壊れちゃうなんてね……まあ、来年までに直しておけばいいか」

「あ、アンタそれでも本当に教官かよ……!」

「あら、なかなか逞しいじゃない」

 

 独り言の返事に落とし穴を覗き込むと、バンダナの男子がサバイバルナイフを完全に垂直になった床に突き立ててぶら下がっている。咄嗟の判断で何とか転落だけは阻止したのだろう。

 普通なら、その反応力を評価する所である。だが残念なことに、状況も評価を行うべき教官も普通ではなかった。

 

「でも残念。今日のところは素直に落ちてちょうだい」

「おい、何をこっちに向けてんだ! それは洒落にならぬあああぁぁぁ……」

 

 サラ教官が抜いた導力銃から吐き出された銃弾は、寸分違うことなくサバイバルナイフを撃ち抜く。着弾の衝撃で手をナイフから弾かれたバンダナの男子は、奈落にエコーを響かせながら他の者の後を追うのだった。

 一仕事終えた愛銃の銃口をふっと吹く。そして今度こそ独り言を呟いた。

 

「来年は落とすまで武具も預かっておくことにしましょうか」

 

 この場に誰かいたら、きっとこう言った事だろう。

 落とす以外の選択肢は考えてくれないのか、と。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「わっ、よっ、はっと」

「おっと」

「あ痛っ!」

 

 落とし穴の底、途中から再び傾斜になり滑落していったその先で、トワは何とか着地を果たしていた。貴族生徒の女子も何らかの武術を修めているのか難なく着地していたが、ジョルジュは強かに尻を打ち付けていた。

 見ているこちらが痛くなりそうな派手な尻餅である。トワは慌てて駆け寄った。

 

「だ、大丈夫?」

「あたた……ああ、そこまで大事じゃないさ。あまり底が深くなかったのが幸いだね」

「感覚的に一階分といった所かな? それにしても入学早々にトラップに掛けられるとは、なかなか刺激的な士官学校みたいだね」

 

 そう言って「はっはっは」と笑う彼女はきっと大物なのだろう。いきなり落とされておいて刺激的で済ませられるとは、貴族であることを差し置いても大したものだ。

 トワが呆れ半分、感心半分でいると、落とし穴の上から気配を感じた。

 

「っと。くっそ、マジで有り得ねえぞあの教官。いきなりぶっ放してくるとか、どんな神経しているんだっつうの……」

 

 何故か遅れて落ちてきたのはバンダナの男子。無事に着地するも、どこかで痛めたのか片手をひらひらとさせながら恨み言を零す。

 

「ふむ、君も落ちてきたか。その様子を見るに、下手に抵抗しない方が正解だったようだね?」

「ああ、その通りだよ……」

「……? えーと、よく分からないけど、取り敢えず上の階に戻る手段を見つけないとね。この穴を登ることは出来なさそうだし」

 

 サラ教官の真意はともかく、いつまでもここでじっとしている訳にはいかない。まだ昼を過ぎたくらいとは言え、門限までに寮に戻れるという保証はないのだから。

 トワの言葉に他の三人も頷く。そして一先ずは自分たちが落とされた場所を見渡してみる。

 

「まあ、戻れる可能性があるとしたら、あの石扉の先かな」

「そうだね……って、あれ?」

 

 それなりに広い空間の奥にある石扉にジョルジュが目を付ける。それに追随したトワは、石扉に何かがくっついているのを発見する。近づいて見てみると、それは一枚のカードだった。

 

「メッセージカードか。差し詰め、あの教官殿からといった所かな?」

「状況的にそう考えて間違いねえだろ。まったく、手の込んだ真似をしやがって」

「ふう、いったい何が書いてあることやら」

「あはは……じゃあ、開けてみるね」

 

 口々に好き勝手言う面々に苦笑しながら、石扉からカードを剥がし、その中身を取り出す。紙面に書かれた文面をトワは「えーと」と前置いて読み始めた。

 

特別オリエンテーリング(仮)参加者諸君へ。

 トラップは楽しんでくれたかしら? いや~、あの落とし穴を知ってから使いたくてうずうずしていたから助かったわ。来年も使いたいから後で感想をお願いね。

 さて、これから君たちにはこの旧校舎のダンジョン区画を突破してもらうわ。そこの石扉から始まって、一階に戻る階段まで続いている。魔獣も出るから頑張ってちょうだい。

 詳しい説明と文句の受付は戻ってきたらしてあげるわ。何だったら、お礼のキッスもあげちゃうわよ(ハート)。無事の帰りを待っているわね。

                        サラ・バレスタイン

 

「「「「…………」」」」

 

 トワが読み終えた後、四人はしばらく無言だった。

 呆れ、脱力感、ふつふつと湧き上がる苛立ち。無言の理由はそれぞれであっても、同時にそれを理解した。やはりサラ教官はまともじゃない。

 

「……これってアレだよな? 戻ったら一発くらいはぶん殴ってもいいってことだよな?」

「ふふ、素直に殴られてくれるかは知らないがね。どうやら相当な実力者の様だったし」

「そ、それ以前に殴ったりなんかしたらダメだよ! 確かに無茶苦茶な人だけど、ちゃんとした教官なんだし……一応」

 

 流石のトワも擁護が自信なさ気になってしまう。トワにも教官としてアレはどうか、という思いはある。

 

「しかし魔獣か……念のためにも、ここは全員で行動した方が良さそうだね」

 

 色々と規格外なサラ教官に気を取られていた中で、至極現実的な提案がなされる。カードの内容を吟味していたジョルジュの言だ。

 ジョルジュの言う事は尤もだ。どれほどの魔獣が巣食っているかは知らないが、用心するに越した事はない。それに士官学校に入学したとはいえ、最初から誰もが戦う術を心得ているとは限らないのだ。もし、そういった人がいるのならフォローも必要になる。

 サラ教官の話題は一先ず止めにして、いかにこの建物――旧校舎から脱出するかを考えるべきだろう。言いたい文句はそれから考えればいい。

 

「俺は別に構わねえぜ。はは、それにしてもこんなに早くチビッ子と再会する事になるとはな」

「チビッ子は止めてって言ったでしょ! もう本当に……あ」

 

 反射的に言い返して気付く。トワはまだこの場に居る一人しか名前を知らないのだ。

 

「そういや、まだ名乗っていなかったな。Ⅴ組のクロウ・アームブラストだ。ま、よろしく頼むぜ」

「なら僕も。Ⅲ組のジョルジュ・ノームだよ。よろしく」

「えっと……私はⅣ組のトワ・ハーシェルっていうの。改めてよろしくお願いするね」

 

 トワの様子から察したバンダナの男子――クロウを皮切りに、今更ながらの自己紹介となる。

 二人の名前を聞いたクロウが駅前でも見せた軽薄そうな笑みを浮かべた。そして自然と話の流れをもう一人へと持っていく。

 

「ジョルジュにトワか。それで? お前さんは何て言うんだ?」

「……ふふ。まあ、名乗らない理由も無いか」

 

 一方、話を振られた側が浮かべるのは不敵な笑み。貴族生徒の女子は自身の名前を明かした。

 

「Ⅰ組所属、アンゼリカ・ログナー。出来れば下の名前は気にせず楽な態度で接してくれたまえ」

「ログナー……北部ノルティア州を統括するログナー侯爵家か。なるほど、それじゃあ君が……」

「えーと、確か四大名門っていう大貴族の一つなんだよね?」

 

 頭から引っ張り出した知識を確認するように聞くトワ。アンゼリカと名乗った本人が「まあね」と軽い調子で肯定する。

 エレボニア帝国は統治者である皇帝が座する帝都を中心に四つの州に分かれている。東のクロイツェン、西のラマール、南のサザーラント、そして北のノルティアだ。

 それぞれの州は内部でさらに細かい領邦に分かれており、一つ一つに貴族領主が存在するが、中心である州都は他の貴族とは一線を画する大貴族によって治められている。そして一般的に州内の領邦に対して強い影響力を持っているのだ。

 その四家の大貴族を指す言葉が四大名門。そして、その一角を成すのがアンゼリカの実家、ログナー侯爵家と言う訳である。

 

「へえ、大貴族中の大貴族じゃねえか。その割にはフランクみたいだが」

「偉ぶるのはどうも好きじゃなくてね。それに、こっちの方が君たちにとってもやり易いだろう?」

「はは、否定はしないよ」

 

 クロウの言う通りアンゼリカは大貴族中の大貴族。貴族生徒の中でも随一だろう家格と、それに反して壁を感じさせない性格に注目が集まるのは当然の事だろう。いくら身分の違いに疎いトワでも、それは変わらない筈だった。

 しかし、この時トワの意識は別の方向に向けられていた。会話の端々に見え隠れする些細な違和感へと。

 

「……ん? どうした、トワ。俺の顔に何かついているか?」

「あ、ううん。そういう訳じゃないんだけど……」

「ははーん、さては俺様のイケメンフェイスに惚れちまったな? だが、俺としてはボンキュッボンとしたナイスバディの方が――」

「クロウ、ふざけるのも程々にね」

「へーい」

 

 クロウは人当たりが良い。見たままの軽い性格だが、近寄り難い雰囲気は無いし話の振り方も上手い。所謂ムードメーカーという奴だ。それは出会って間もないジョルジュと仲が良さそうに出来ている事からして間違いないだろう。

 だが、トワはクロウの振る舞いの中から妙な感覚を拭えずにいた。駅前では気のせいと片付けた違和感が蘇り、胸の内にもやもやと広がる。

 

「ま、そろそろ奥に進むとしようぜ。特別オリエンテーションだか何だか知らねえが、こんな辛気臭い所に何時までもいてやる義理もねえしな」

 

 彼は笑っている。軽薄そうな笑みを浮かべて楽しげにしているのに、そこに何ら問題になりそうなことなんて無いのに、どうして――

 

(どうして私は、寂しそうなんて感じているんだろう……)

 

 ふと脳内に過った言葉をトワは頭を振って消し去る。口に出すべきものとは思えなかった。

 この感情に明確な根拠なんて無い。ただの直感のようなものだ。

 そんな事で四の五の言われてもクロウだって迷惑だろう。理由も無ければそれは言い掛かりにしかならないし、ましてや「寂しそうだね」と勝手に哀れまれる事なんて誰も望まないに違いない。

 

「出発するのはいいが、その前に君に一つ聞いていいかな?」

「あん? なんだよ」

「なに、簡単な事さ」

 

 だからトワはその思いを表に出そうとはしなかった。所詮は直感に過ぎない。自分の勘違いかもしれない事を、わざわざ場の空気を壊してまで言い出すべきではない。

 そう理由付けして、心の奥底に封じておこうとしていたからこそ。

 

「――君は、何が面白くてそんな風に笑っているんだい?」

 

 アンゼリカの突き刺すような言葉に、目を見開いた。

 

「…………は?」

「へらへらと楽しそうにしてはいるが、目は冷め切っている。表面上合わせるだけなら、わざわざ面白くも何ともない事で笑ったりしなくてもいいと思うがね」

「おいおい、いったい何を言って――」

「薄っぺらいのさ、君のやる事為すことは。上っ面だけ人付き合いが良さそうにしておいて、実際は周りに合わせているだけで何も感じていやしない。そうだろう?」

 

 遠慮など欠片もない、まるで抉り込んでくるような言葉。不敵な笑みを変わらず湛えながらも、その瞳には相手を見透かすような鋭利な光が宿っている。

 前触れもなく怒涛の勢いでクロウに対して毒を吐くアンゼリカに、トワとジョルジュは戸惑い口を出す暇もない。そして、言われた当人は虚を突かれたような表情から一変し、冷ややかに頬を吊り上げた。

 

「……はっ、よく知りもしねえ相手を好き勝手に。結局は何が言いたいんだ? ログナーさんよ」

「気に入らないのさ。君の嘘臭い振る舞いが、私としては何とも腹が立つものでね。生憎だが、そんな奴と同行できるほど人間が出来ていない」

「だったら勝手にするといい。俺だって、初対面の相手を勝手な偏見で悪し様に言う性悪女は御免だぜ」

「ちょ、ちょっと二人とも……!」

 

 急速に険悪になっていく二人を前に、トワは何とか間に入って取り成そうとする。事情はともあれ、魔獣がうろつくような場所でバラバラになるのは得策とは思えない。せめて喧嘩腰になるのは止めさせなければ。

 その一心で口にしようとした静止の言葉は、言い切る前にアンゼリカの間隙なき返しに遮られた。

 

「私の事を君が何と思おうとどうでもいいが、君に思う所があるのは私だけではないと思うがね。そうじゃないかい、小さなお嬢さん」

「ええっ!?」

 

 思わぬ形で話を振られて驚愕するトワ。確信した目で自分を見るアンゼリカに動揺を隠せない。

 確かにトワもクロウに対して違和感のようなものは感じていた。しかし、それについて不快感を抱いていた訳ではない。少しばかり戸惑い、ただ気掛かりなだけだったのだ。

 とはいえ、心中を言い当てられた事には変わりない。彼女と違って悪い意味ではないと抗弁する余裕もなく、しどろもどろになって口が回らない。

 そして、そんなトワを置いて事態は進んでいく。

 

「まあ、そういう訳で私は先に行かせてもらうよ。そこの気に喰わない男はともかく、君たちは道中気を付けるようにね」

「一人で行くつもりなのかい? 流石にそれは……」

「心配は無用さ。これでも腕っ節には自信があるものでね」

 

 ジョルジュの制止に拳を叩くことで返事としたアンゼリカは、そのまま石扉を開けて先に行ってしまう。悠々と進んでいくその背中に三人が掛ける言葉は無かった。

 

「…………」

「えっと……」

 

 一人欠けた空間に静寂が満ちる。

 アンゼリカが残していった爆弾の効果は抜群だったらしい。つい先ほどまで話の中心にいたクロウが今は無表情で黙りこくっている。的外れな事を言われて憤っているのか、或いは心当たりがあったのか。

 トワも口下手な訳ではないのだが、この重苦しい空気の中では切り出すのを躊躇ってしまう。隣のジョルジュに視線で助けを求めても力なく首を横に振るだけ。どうやら彼にも打開策は無いらしい。

 そしてアンゼリカの背中が完全に見えなくなって、そのしばらく後に途轍もなく大きな溜息が聞こえてきた。

 

「……で? チビッ子も俺になんか文句があるのかよ?」

「ふえっ?」

「あの女が言っていただろうが。言いたい事があるのなら聞いてやるぜ? 悪く言われるのが一回だろうが二回だろうが、あまり関係はねえしな」

 

 随分とニヒルな言い様だが、恐らくは調子を取り戻したのだろう。クロウは皮肉っぽくトワを促す。

 しかし、トワは別に文句がある訳ではない。認識の相違を正すために慌てて口を開いた。

 

「ち、違うよっ! クロウ君に文句があるとかそういう訳じゃ……あ、でも思う所が無いと言えば嘘になるというか……」

「はっきりしない奴だな。結局はどう思っているんだよ?」

「それは、その……」

 

 慌てた結果、言葉が纏まらないトワにクロウも毒気を抜かれたのだろう。皮肉っぽさが呆れに変わった顔で答えを促す。そんな彼にトワは視線を彷徨わせる。

 悪意は持っていないが、正直なところを伝えても彼が不快に思う事はあり得る。少なからずある可能性を前にトワは足踏みをしていた。

 だが、何時までも立ち止まっている訳にはいかない。正面からぶつかってこそ分かり合えることもある。意を決して、自身の思いを口にした。

 

「なんだか笑っているのに楽しくなさそうだから、どうかしたのかなって気にしていただけで……別にクロウ君の事が嫌いとか、そういう訳じゃないんだよ?」

 

気を悪くしないかと危惧していただけに、その声は後になるほどか細くなっていたが、トワは何とか正直に自分の気持ちを伝えきった。

 恐る恐るクロウの様子を見やる。気を悪くした様子はない。ただ、直前の呆れまで消え去った無感情な容貌からは、彼がどう感じているかも分からなかった。それがまた心臓に悪い。

 無言のまま数秒経つ。クロウは気怠そうに頭を掻いた。

 

「――そうかよ」

「あ……」

 

 短い返事を残し、クロウもまた背を向けて先に行ってしまう。結局、彼がトワの言葉に何を感じたのかも分からぬままに。

 その背に向けて伸ばし掛けた手も、途中で力なく下ろしてしまう。失敗してしまった。儘ならない結果にトワは気落ちした。

 

「うう、やっぱり怒らせちゃった。せっかく友達になれると思ってたのに……」

「どうかな。あの様子だと、怒っているとは限らない気がするけど」

「そうかなぁ」

「まあ、本当のところは本人にしか分からないけど、僕にはそう見えたよ」

 

 しょげた様子のトワにジョルジュがフォローを入れる。

 確かに碌な返事もせずに先に行ってしまったが、アンゼリカに対して見せた冷ややかさは感じられなかった。何を思ったかはともかく、少なくともアンゼリカよりはマシに思われているのではないか、というのがジョルジュの意見らしい。

 希望的観測ではある。それでも無いよりは良い。一先ずはそういう事にしておき、トワは何とか気を取り直す。

 

「……うん、分からない事を気にしても仕方ないよね。まずはここから出る事を考えないと」

「問題はあの二人だな。魔獣が徘徊している以上、彼らに危険が及ばないうちに合流したい所だけど」

 

 勝手に行ってしまった二人を思い浮かべ、ジョルジュは困り顔になる。ほんの少し前に彼が提案した一緒に行動しようという案は、既にアンゼリカの爆弾発言で木端微塵になってしまった。こうなってしまったからには残された二人で追いかけるしかない。

 元から魔獣という危険に対して慎重になっていたジョルジュだ。心情的な問題はさて置いて、一刻も早く合流するべきと考えているのだろう。

 

「うーん、あの二人ならそんなに心配する必要はないと思うけど」

「え?」

 

 だが、トワはそれに関しては緊迫したものを感じてはいなかった。不思議そうなジョルジュに気楽に答える。

 

「いくらサラ教官が型破りだからって、いきなり手も足も出ないような魔獣が出る所に放り込むとは思えないんだ。そんなのが学院の敷地内に居たら放置している訳ないし、きっと腕試しになる程度しか出ないと思う。あまり大きな気配も感じないし」

 

 生徒を罠に嵌めるという所業から疑ってしまうのも仕方ない面はあるが、サラ教官といえども学院の一職員だ。最低限、安全面には配慮している筈だし、学院長が止めなかったことから許可は得ているのだろう。少なくとも、命に関わるような事は無いのではないか。

 トワの説明にジョルジュも成程と頷く。最後の気配云々に関してはよく分かっていなさそうだが。

 

「それにアンゼリカさんもクロウ君も強そうだったしね。そこら辺の魔獣には遅れを取るような事は無いんじゃないかなぁ」

「そうなのかい? 僕にはそこのところはよく分からないんだけど……」

 

 トワの私見ではあるが、あの二人が少なからず戦闘慣れしているのは確かだ。それならこの場に居ない者の心配をするよりも、自分たちが先に進むことを優先するべきだろう。

 

「まあ、そうなると自分たちの心配をした方がいいのか。流石に僕たち二人だけだと魔獣の相手をするには心許ない――」

「ううん、それも心配ないよ」

「え?」

「これでも魔獣の相手は慣れているんだ。武術だってちゃんと習っているんだから」

 

 再度の間の抜けた声を漏らすジョルジュに対し、トワは自信満々にそう告げる。そして論より証拠とばかりに自分の武具を取り出した。

 黒塗りの鞘から抜いたのは、刀身に美しい刃紋が揺れる71リジュほどの片刃の剣。東方の地より伝わった、匠の手により鍛えられる芸術的な武具――打刀だ。

 扱いが難しいと言われるそれを、トワは慣れた手つきで正眼に構えてみせる。彼女が剣術を修めていることの証拠である。

 

「私たちもそろそろ行こっか。ジョルジュ君、ちゃんと後ろに付いてきてね」

 

 意気揚々と先導していくトワ。そんな自分より遥かに背丈が低い少女の勇ましい姿を、ジョルジュはポカンと見つめるばかりなのであった。

 


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