永久の軌跡   作:お倉坊主

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皆さま、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ハーメルンに投稿を始めて今年で早三年、時間が経つの早いものですね。新たな一年が皆さまにとって充実したものになれば、と思います。私の抱負といたしましては、まず就職先を早急に決めて仕事にありつくことでしょうか。

堅苦しいご挨拶はここまでにしておくとして、何はともあれ今年も拙作をお楽しみいただければ幸いです。今回は前話にも顔を出していたオリキャラが前面に出ております。


第19話 暗所の遭遇

「いやぁ、しかし本当に助かった! 何度礼を言っても言い足りんよ!」

「ど、どうも……」

 

 午後四時頃、だいぶ傾いてきた陽が窓から差し込むプラザ・ビフロストに陽気な声が響く。

 満面の笑みを浮かべた眼鏡の男性が握手した手を激しく上下する。それにちょっとだけ肩の痛みを感じながらも、やけに感激した様子にトワは愛想笑いを浮かべた。助けを求めるように男性の隣にいる青年に視線を送るが、返ってくるのは苦笑い。暗に諦めてくれと伝えられたようなものだ。

 男性の異様なテンションはもう仕方がないとして、このままでは肩が外れてしまいそうだ。そんな彼女の内心が伝わったのか、仲間からの救援が入る。

 

「なあオッサン、そろそろ放してやってくれよ。ウチのチビッ子の腕がもげちまう」

「……や、これは失礼。淑女に対してする真似ではなかったね」

「あはは……まあ、お気持ちは分かりますから」

 

 はた、とクロウの言葉に気付いてようやく握手を解く眼鏡の男性。気持ちは全く落ち着いていないようだったが。

 しかし、それも無理もない話だろう。事故を起こしてしまったと思ったら、それが実は故意の衝突による詐欺紛いの犯罪であり、しかも人質に取られて命の危険さえ感じたのだ。そこから助け出して、逃走劇の末に犯人さえ確保したトワたちに感謝感激してもまるで不思議ではない。

 それが分かっているのでトワも不思議には思わない。ただ、その興奮しように苦笑いが浮かぶのは致し方ないことだろう。もともとテンションが高い人なのかもしれない。

 

「何にせよ、ご両人ともに無事で何よりです。確か工場長さんと……ドミニクさんでよろしかったでしょうか?」

「おお、そういえば名乗っていなかったね」

 

 アンゼリカが現場での会話で聞いた呼び名を確かめれば、工場長と呼ばれていた眼鏡の男性はうっかりしていたとばかりに声を上げる。仕切るように咳払いをし、彼は改めてトワたちに向き直った。

 

「私はボリス・ダムマイアー。紡績町パルムを治めるしがない子爵だよ」

 

 

 

 

 

 アーツを利用した導力車相手の当たり屋。事故の仲裁に入ったはずが犯罪者との逃走劇という思わぬ事態に発展したものの、無事に犯人を確保したトワたちはジョルジュが連れてきた憲兵隊に無事に引き渡すことが出来た。しばらく事情聴取で時間を取られたものの、彼らに代わり帝都の治安に貢献したのは明白な事実。聴取はさほど厳格なものでもなく、加えて後日に学院宛てに謝礼を送ってくれるそうだ。

 そんな一幕の後、是非とも礼をさせてほしいと声を掛けてきたのが眼鏡の男性、改めボリス・ダムマイアー子爵である。共に憲兵隊の聴取を受けていた彼と秘書のドミニクに誘われ、トワたちはプラザ・ビフロストの喫茶スペースに舞い戻って来ていた。

 一先ずはお互いに自己紹介をし、席に腰を落ち着ける。ボリス子爵が注文したケーキを口に運びながら、四人は自分たちが結果的に助けることになった人物の素性に少なからず驚いていた。

 

「まさか子爵閣下だったなんて……帝都にはどうして? 領主が領地を離れることは普通あまりないと思いますけど」

「まあ、それはそうなんだがね……答える前に一ついいかね?」

 

 ジョルジュの尤もな疑問に対して、ボリス子爵は注文を付ける。何のことかと首を傾げる面々に彼はにっこりと笑みを浮かべた。

 

「その子爵閣下という堅苦しいのはやめてくれたまえ。ボリス子爵でも工場長とでも呼んでくれた方が私としても気が楽だ」

「なるほど、それは同感です。私も妙に畏まられるのはこそばゆい」

「はは、ログナーの令嬢は話が分かるようで嬉しいよ」

 

 感性が近しいのか知らないが、早速順応するアンゼリカに対してトワは少し戸惑ってしまう。アンゼリカの時は同じ学生ということで気兼ねなくあだ名呼びが出来たが、ボリス子爵は正真正銘の領主貴族である。そう軽々しく呼んでいいのかと躊躇もする。

 窺うようにボリス子爵の隣に座るドミニクに視線を送ると、彼は肩を竦めて苦笑する。

 

「工場長は少々貴族らしからぬ人だからね。フランクに接してくれないと拗ねるかもしれないから、了解してくれた方が私としても助かる」

「別に拗ねはせんよ。少しへそを曲げるくらいだとも」

「ふふ……じゃあボリスさんで」

 

 おどけるボリス子爵に自然と笑みが浮かぶ。どうやら本当にフランクな人のようだ。これなら堅苦しくする方が逆に失礼だろう。注文通り気軽に呼びかければ「ああ、構わないとも」と彼も満足そうに笑った。

 

「さて、私が帝都に来た理由だが……簡潔に言えば、商談だね」

 

 その言葉を聞いてまた疑問が浮かぶ。領主貴族が商談とは妙な話だ。領地を持たない貴族――所謂法衣貴族は端的には商人と変わりないとも聞くが、領主には領地の運営がある筈だ。それが責務でもあり収益の手段でもある。少なくとも、領主自らが遠方に商談に赴く理由はない。

 だというのに秘書を伴ってボリス子爵はこうして帝都にやって来ている。いったいどのような理屈なのか。不思議そうなトワたちにボリス子爵は言葉を続ける。

 

「これは私のもう一つの肩書に関係があるのだが、君たち、パルムの主産業は何か知っているかね?」

「そりゃ紡績業だろうよ。街の呼び名にある通り」

 

 紡績町パルム、主産業が何かであるかは日の目を見るよりも明らかだ。何を今更、とばかりにクロウは言う。

 

「その通り。街の名物は良質な布類であり、それらの材料を生み出す導力式の紡績工場だ。中でも随一の規模を誇る工場が、ウチの家が運営しているところでね。私はそこの工場長も兼任しているのだよ」

「工場長……オーナーということですか?」

「いやぁ、そんな偉そうな立場でもないさ。現場監督と商材管理と営業をごった煮にしたようなものだ」

「領主なのに、そこまで一工場と深く関わっているのですか?」

 

 貴族が工場の経営をしているというのは理解できる。だが、生産の現場にそこまで近い立場にあるのは意外という他に無かった。本来ならば、その立場は被雇用者の中から選ばれたものが立つ位置だろうに。到底、出資する家門の当主自らがする仕事とも思えない。

 さしものアンゼリカも不思議がり、首を傾げる。貴族としては型外れな彼女でもそうなのだから、他の三人も同様である。ボリス子爵は「まあ、そう思うだろうね」と朗らかに笑う。

 

「もともと私はダムマイアー家の中でも傍流でね。家が運営する工場長として気楽にやっていたんだが、十年ほど前に色々あって……まあ、そこはいいだろう」

 

 色々、と言ったあたりで彼の表情が少し曇ったように見えたが、すぐさま気を取り直したように明るい表情に戻る。

 

「すったもんだの末に領主になんて担がれてしまったのだ。だからほら、ドミニク君も私のことを工場長と呼んでいるだろう? 現場勤めの方が長いから、地元ではそちらの方が定着してしまっているのだよ」

「だからといって工場長、年から年中屋敷に戻らずに各地を商談で飛び回る免罪符にはなりませんよ」

「ここ数カ月は援助物資を募るという目的もあっただろう。それにだな、領地運営は私がやるより家令に任せた方が上手くいくではないか。以前に手を付けようとした時には、君も皆と揃って私を怒鳴りつけてきただろうに」

「税金をいきなり取っ払うような真似をしようとしたら怒るに決まっているでしょう!」

 

 それは確かに家臣たちが怒っても仕方がない。目の前のやりとりにトワたちは苦笑を浮かべる。どうやらボリス子爵は貴族よりも労働者に気質が近いようだった。

 つい声を荒げてしまったドミニクがはっとしたように居住まいを正してトワたちに向き直る。生真面目な人なのだろう。平静を欠いたことを恥じてか少し頬が赤い。

 

「んんっ、とにかく工場長はこのような人だからね。領地にいるよりも工場で生産した糸や布を営業しに各地を商談して回っていることが多いんだ。今回、帝都に来たのもその一環だね」

「《ル・サージュ》はお得意様だからねぇ、今回もいい取引が出来たよ。君たちも知っているだろう? トリスタにも出店しているし、何よりトールズの制服を販売しているところだ」

 

 四人は首を縦に振る。トールズの生徒ならば一度はお世話になっている服飾店だ。ということは、もしかしたら自分たちが着ている制服もパルムの糸から作られたのかもしれない訳だ。そう考えると何だか不思議な縁があったものだと思う。

 

「なるほどな。しっかしまあ、そんな変わり種の領主様を助けることになるとは妙な偶然もあったもんだ」

「それは私も同感だ。まさかトールズの生徒に助けてもらえるとはね。君たちを実習に送り出してくれた学院に感謝するばかりだよ。今度、ハインリッヒの奴に礼でも言っておくかな」

「ハインリッヒって……もしかしてハインリッヒ教頭のことですか?」

 

 聞き覚えのある名前だ。ボリス子爵は「そう、そのハインリッヒだ」と肯定する。

 

「奴とは腐れ縁のようなものでね。まあ、お互いに若い頃から顔を合わせる機会が多くて、割と連絡もマメにしている仲なのだよ。ところで一度聞いてみたかったのだが、実際どうなのだね? 奴の授業は。友人として少々気になるところでね」

「どう、と言われましても……内容は分かりやすいですけど」

「最近の時事とかにも絡めて教えてくれますし、質問にもちゃんと答えてくれる先生ですよ」

「貴族生徒贔屓なのが欠点だがね」

「俺はサボってるから口煩いこと以外は知らん」

 

 意外な人物との繋がりに少々驚きつつも、それぞれ教頭の授業振りを語る。ジョルジュは当たり障りなく、トワは素直に長所を口にする。アンゼリカとクロウは更に正直に悪いと思う点を言ってしまっていたが。クロウに至ってはサボりを公言する有様である。

 そんな彼女らにボリス子爵は大口を開けて笑う。

 

「知識はあるが、頭が固いからなぁ。奴と社交界でたまに同席しても『君は礼儀がなっていない』だとか『仮にも領主ならば』とか口煩いのだよ。大方、学院でもその調子なのだろう」

「ま、まあ……ご想像の通りかと」

 

 ジョルジュが苦笑いで応じれば、ボリス子爵は「そこがまた面白いところでもあるのだがね」と悪戯っぽくまた笑う。きっと真面目で規則に五月蠅いハインリッヒ教頭に何を言われても、平民気質で奔放な彼は誤魔化したりからかったりして過ごしてきたのだろう。凸凹コンビとでも言えばいいのか。実際に話しているところを見た事がなくても、その様子が目に浮かぶようだった。

 悪い人ではないけれど、ちょっと厳しい先生。トワはそんなイメージをハインリッヒ教頭に抱いていたが、こうして彼の友達に会って話を聞いてみると少し印象も変わってくる。厳しいのは確かなのだろうが、それだけではない人間味もあるのだろうと思えるようになっていた。そうでなければ、ボリス子爵が長年の友人を続けている訳もないだろうから。

 学院に戻ったらサラ教官にも話してみよう。意外なところで意外な人物の一面を知ったトワは、件の人物を毛嫌いする彼女にも伝えようと心の内に書き留める。多少なりとも関係改善に繋がるかもしれないし。

 

「工場長、お楽しみのところすみませんが、そろそろ」

「おっと、そうだった。次の商談が待っているのだったな、うむ」

 

 懐中時計を窺っていたドミニクからの言葉に、ボリス子爵はうっかりしていたとばかりに頭を叩く。歓談に夢中になって仕事のことを忘れてしまっていたのだろうか、ちょっと焦り気味になる。

 

「時間に余裕があるからと高を括ってしまっていた。申し訳ないが、これにて失礼させてもらうよ」

 

 残っていたケーキの一欠片を口に放ると珈琲で流し込む。これは確かにハインリッヒ教頭が見咎めても仕方ない所作である。いそいそと席を立つ準備をするボリス子爵を見つつ、なんだか納得してしまう。

 急なお開きではあるが、トワたちとしてもそろそろ席を立とうとしていたので問題ない。まだ地下水路の魔獣退治の依頼が残っているのだ。陽が沈むまでには今日の依頼を片付けておきたかったので、むしろ都合が良かった。

 

「それじゃあお気を付けて。商談、上手くいくといいですね」

「ケーキ、ご馳走様でした」

「ハインリッヒ教頭にもよろしく言っておきますよ」

「また当たり屋に絡まれないよう気を付けるこったな」

「はっはっは、そればかりは女神の気分次第なので確約できんね」

「笑い事じゃないでしょうに……」

 

 鷹揚に笑うボリス子爵の隣でドミニクが頭を抱える。彼も苦労しそうな性質である。

 最後に眼鏡を手拭で拭いて掛け直したボリス子爵は、トワに向けて手を差し出す。別れの挨拶ということだろう。トワもまた手を差し出し、握手する。工場働きもあってか力強くはあったが、先のような興奮による粗雑さはなく、むしろ優しさがあった。

 

「私たちも明日までは帝都にいる予定なのでね、また会うこともあるかもしれん。その時はどうかよろしく頼むよ」

「はい。ボリスさんもどうかお元気で」

「うむ、改めて今日は本当にありがとう。君たちの実習が上手くいくことを女神に祈っておるよ」

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 とん、と軽い音が鳴った。薄暗がりの中に栗色と鋼の光が舞う。

 降り立った先は碧の塊、その天辺。蠢く触覚が自身に取りついた異物を感知し、振り落とそうと巨体を震わせる。スライム状の物質で構成された体が激しく揺れ動き、周囲に展開して相対していた者たちも迂闊に近付けなくなる。

 しかし、その行動は無為な抵抗でしかない。碧の魔獣は少女に取りつかれたその時、既に逃れ得ぬ結末に囚われていたのだから。

 

「さようなら」

 

 スライム状の不安定な巨体に手足を減り込ませ、半ば強引に体を固定したトワは小さく呟いた。

 逆手に握った刀を振り上げる。宙に引かれた一筋の閃光が碧の塊に突き込まれ、その中に浮かぶ核までをも貫いた。暴れていた巨体の魔獣は寒気が走ったかのようにぶるりと震える。それが最期だった。動きが止まり、力が失われる。魔獣の巨体を成していたスライム状の物質が形を失っていく。

 トワは魔獣から離れると、跳び上がった時と同じように軽い音を立てて着地する。刀身に張り付いた碧の命の残滓を振り払い、納刀。振り返ると、そこにはもう魔獣の姿はない。あるのは、かつて魔獣を成していた碧の半固形と割れた核。そして忘れ形見のように残されたセピスだけだ。

 

「…………」

 

トワの瞳に悲しみはない。ただ、その光景を焼き付けるようにじっと見つめ、そして少しの黙祷をする。

 

「……ビッグドローメ、だったか。取り巻きも片付けたことだし、これで依頼完了だな」

「うん。これでまた、しばらくは大丈夫だと思う」

 

 ややあって横から声が掛けられる。残敵の姿が無いことを確認したクロウに頷いた。後ろに控えていたアンゼリカとジョルジュも、構えを解きつつ「お疲れ」と労いの言葉を掛けてくる。

 トワは仲間に少なからず事情を知られてから、魔獣を殺した後にこう(・・)するようになっていた。特別な心変わりがあった訳ではない。故郷でそうしていたように、この地でも同じくするようになっただけだ。そうするだけ気兼ねが無くなったとも言えた。

 三人は特に何も聞きはしない。ただ、なんとなくトワが自分たちとは異なる価値観を有しているのは先月の実習から察していた。彼女にとって、魔獣とは単なる害悪ではないのだと。

 とはいえ、後に引き摺るようなこともないし時間をさして取る訳でもない。その意味で特に問題はなかったので、不思議には思いつつ誰も指摘はしていなかった。

 

「最後は任せちゃってごめん。もう少し持てば、君に負担を掛けることもなかったのだけど」

「いいってば。ほら、持ちつ持たれつって言うじゃない」

「そうだとも。私としてもトワの華麗な雄姿を眺めることが出来てむしろ役得だったしね」

「偉そうに言うことじゃないの……」

 

 今回もジョルジュが申し訳なさ気に声を掛ければ、なんてことはないように何時もの調子ではにかむ。便乗するように惚けたことをのたまうアンゼリカには、人目を気にせず宙に浮かぶノイの呆れた視線が送られた。

 

「つっても毎度毎度リンクが切れていたら面倒なことは確かだろうよ。どうにかなんないもんかね」

 

 そんな彼女らに、倒した魔獣の残滓からひょいひょいとセピスを拾い集めていたクロウがぼやく。今まさに四人の頭を悩ませる問題に、彼は憂鬱そうに溜息をついた。

 ボリス子爵とドミニクに別れを告げてから数時間。ヘイムダル港から地下水路に入ったトワたちは無事に手配魔獣の討伐には成功したものの、その最中に再び自分たちの課題が表面化していた。意に反して突如として途切れる戦術リンク。サラ教官の実技教練でも起こったそれが、ビッグドローメとの戦闘中にもアンゼリカとジョルジュの間で発生してしまった。おかげで標的に対しての集中的な攻撃は難しくなり、二人には取り巻きの掃討に回ってもらうことになっていた。先のジョルジュの謝罪の理由はそれだ。

 結ぶことはできる。だが、不安定で何時切れるかも分からない状態では、戦術リンクはとても安心して使えるものではない。少なくとも、今のままでは次世代の戦術オーブメントに組み込むのは難しいだろう。実際にテストしているトワたちとしても、なんとかしなければ戦闘中に不安を抱えたままとなってしまう。それは望ましくなかった。

 

「システム自体の方もなんとか出来ないかと努力はしているのだけどね……これ以上は基幹を弄らなくちゃいけなくなるから、流石にそこまでは手を出せないんだよね。RFからのアップデートを待たないことには、なんとも」

「私たちのレポートは向こうにも送られているんだったか。そっちには詳しくないが、実際どれくらいで改善できるものなんだい?」

「原因を特定して改善策を考え付けば後は早いけど、そこに辿り着くまでがね。一カ月で出来るかどうか……そのうち、向こうの方に出張る機会もあるかもしれない。直接のデータ取りとかで」

 

 ちょくちょくARCUSに手を加えているジョルジュだが、ハードウェア方面から改善を試みるのは現状において限界に近いらしい。開発元であるRFに動きがなければどうにもならないだろう。

 となると、手を付けられるのは扱う自分たち自身。リンクの強度を左右する人間関係となるのだが――

 

「でも、それ以外ってなるとどうしたらいいのかな?」

「……さあ?」

 

 前の実習ではクロウの態度だったり、そんな彼とアンゼリカの不仲だったりと明確な不安要素があった。それがある程度は改善されたからこそ、あの巨大昆虫との戦いでも土壇場で戦術リンクを結ぶことが出来たのだろう。

 しかし、今は違う。クロウはなんだかんだ文句は言うものの、拒絶することはないし彼自身も今この時を楽しもうとしているように見える。アンゼリカとは相変わらず仲が良いとは言い難いが、それでも決定的という程のものではない。トワからすれば、もうお互いに意地を張っているだけにも見えている。それ以外に特に問題らしい問題も見当たらず、簡潔に言えば、四人の関係は出会って二か月ばかりの内にある程度の纏まりを見せていたのである。だからこそ、いざ戦術リンクの現状を改善しようと方策を考えても首を捻ってしまう。自分たちの間に明確な問題がなければ改善も何もないからだ。

 そもそも、人間関係をすぐにどうこうするなど現実的ではない。不仲であればともかく、普通に仲間として付き合えているのならば尚更だ。仲を深めようにもそれは意識してすぐに出来るものではなく、時間を掛けて徐々に積み重ねていくものなのだから。

 

「……ま、ここで考えていても仕方ねえだろ。さっさと引き返すとしようぜ」

 

 セピスの回収を終えたクロウが促す。この場で首を捻り続けても妙案が出る訳でもなく、一同はその意見に否はない。踵を返し、薄暗い地下水路を抜けるために歩みを進め始める。

 中世に作られたと言われる帝都地下水路は広い。街のそこかしこに出入り口が存在し、そのどれがどこに繋がっているか完全に把握している人はいないという。しかし、この歴史の遺構もこの巨大都市における生活インフラの一部を未だ担っている。都市の下水はこの地下水路に集約され、アノール川へと放流されているのだろう。石造りの壁面から覗く水道管からはちょろちょろと水が流れ、水路という大きな一つの流れに乗って港側の出口へと向かって行く。中世に形作られた生活基盤が未だ健在である印だ。

 トワは学者の娘だ。こういった場所には知的好奇心を刺激させられる。一応は魔獣の警戒も兼ね周囲の様子を見渡し、水路沿いに進みながら積み重ねられた歴史の気配を探る。知らず知らずの内に目は輝き、肩に乗ったノイはそんな妹分に誰の面影を見てか苦笑した。

 ふと、古ぼけた壺が目に入る。地下水路に入ってから打ち捨てられたように幾つか転がっているものだ。改めてそれを観察し、なんとなしに「そういえば」と話を振る。

 

「私はちゃんと見た訳じゃないけど、ボリスさんに突っかかっていた人が持っていた壺の破片、ちょうどこんな感じじゃなかった? ほら、アンちゃんが値打ちがないって言っていたやつ」

「ん……? ああ、確かに同じような感じだったね。脅しつけるために、わざわざここまで拾いに来ていたのかな」

 

 ご苦労なことだね、とアンゼリカは呆れたように言う。彼女からすれば、あの程度の低俗な犯罪者は目の前に転がっている壺よりも無価値なのだろう。

 

「ここに入る時には港の責任者さんから鍵を預かっていたけど、そんな簡単に地下水路に入れるものなの?」

「さあな。港だったり人目に触れることが多い出入り口なら管理されているんだろうが……あのゴロツキみたいな輩が侵入できるようなら、他に放置されている出入り口とかもあるんだろ。それこそ、どっかの路地裏とかによ」

「行政も全体を把握しきれていないって話だしね。十分に有り得る話だよ」

 

 全容を知るものが居ない程に広大な地下水路。それ故に管理の穴も多く、先に捕えた様な犯罪者が利用するケースもあるということだろう。ノイは辺りを見渡しながら「ふうん」と声を漏らす。

 

「じゃあ納得なの。今でもそうなら、昔はもっと人の出入りがあったんだろうね」

「……ああ、そういうこと」

 

 彼女の言葉に面々は疑問符を浮かべるが、その視線が捉えていたものに遅ればせながら気付いたトワは、その意味する所を理解する。水路沿いから少し離れ、年季の入った石壁の下に埋もれる擦り切れた布の塊のようなものに近づいていく。やや戸惑う三人の視線をさて置いて、しゃがみこんでその塊に手を伸ばす。

 拾い上げたそれは、白骨化し、風化した人間の頭蓋骨だった。

 

「これだけ入り組んだ迷路みたいな場所だもの。悪いことに利用もされただろうし……住む場所もない貧しい人たちが風雨を凌ぐために身を寄せ合っていたことも、きっとあったんだろうね」

 

 今の帝都に、明確に貧民区と呼ばれるような場所は存在しない。オスト地区は他の街区に比べれば不便かもしれないが、それでも十分にインフラは整備されているし生活に困ることはない。

 しかし、昔はそうでなかったはずだ。戦争、圧政、疫病、飢饉、経済恐慌。歴史を紐解けば貧民が生まれ得る事象は掃いて捨てるほどにある。そうして居場所を失い、寄る辺もない人々が集まる場所となれば――人目のない路地裏か、そこから偶然にも入り込んだ地下水路にでもなるのだろう。

 白骨死体はもはや全身を保っていない。周囲の骨片の数からして、一人のものではないだろう。魔獣に荒らされたか、あるいはそれだけ長い時間が過ぎ去ったのか。今を生きるトワにそれを知る術はない。出来るのは細やかな祈りを捧げ、霊魂が星と女神のもとで安らかにあることを願うだけだ。

 

「……そうか。もしかしたら、そこの壺も彼らが使っていたものなのかもしれないね。雨水を溜めたり、僅かな食糧を蓄えるために」

「もしそうなら、あのゴロツキは相当な罰当たりだな。トワに伸されたのも当然だろうよ」

 

 アンゼリカとクロウもこの時ばかりは神妙な顔をする。

 地上では今まさに大陸最大の都市として栄華を誇る緋の帝都。だが、この地下に眠る、誰にも顧みられず、埋葬すらされなかったかつての人々も、また帝都の歴史の一部なのだろう。繁栄と衰退を繰り返す歴史の奔流の中で忘れ去られた遺骨を前に、今を生きる自分たちの幸運を思わせられる。

 トワに習うようにクロウらも黙祷する。しばしの間、地下水路を水のせせらぎのみが満たす。

 

「――トワ、そろそろ」

 

 目を開いたジョルジュが促す。あまり長居するような場所でもない。時間も時間だったので、そろそろ歩みを進めようと声を掛けた。しかし、トワは動かない。クロウが怪訝な表情を浮かべた。

 

「おいおい、まさか死霊と会話なんか出来たりしねえよな?」

「流石にそこまでは出来ないの」

 

 冗談にもならないそれをノイは間断なく否定する。そこでようやく静まり返っていたトワが「ああ、うん」と反応を示す。

 

「そういう訳じゃなくて、ちょっとこの壁の向こうから風の流れを感じていたんだ」

「なに、本当かい?」

「うん。もしかしたら……ちょっとごめんなさい」

 

 謝罪の言葉と共にトワは白骨死体をひょいと何でもないように持ち上げる。あまりに躊躇も忌避もなく平然とそんな真似をするものだからクロウとアンゼリカは表情には出さずとも驚き、ジョルジュに至ってはあからさまにぎょっとしてしまう。

 背後の反応など知る由もなくトワは白骨を脇に避けると、古びた石壁を探り始める。そしてやはり、この壁の向こうから風の流れがあることを確信した。風があるということは外に通じる空間があるということ。何時になく瞳を爛々と輝かせる彼女は姉貴分に声を掛ける。

 

「ノイ、ちょっと上の方をお願い」

「はいはい。こういう所は本当に誰かさんにそっくりなんだから」

 

 探究心に火のついたトワを止める術はないとノイは知っていた。やれやれ、と一息ついて頼みに従い石壁の上方を調べていく。同じくトワも石壁に取りつき、下方から石材の一つ一つを事細かに探っていく。

 急な出来事に置いてけぼりの他三名は、顔を見合わせて首を傾げる他ない。ただ察するのは、何かしら彼女の気を引くものがあったということだけだ。

 そうこうしている内にトワは目当てのものを発見する。積み重なる石材の内、一つだけ隙間が大きく、角がやや磨り減っているもの。思い描いていた通りの形状にピタリと当て嵌まり、思わず笑みを深くする。そのまま件の石材に掌を当て、思いっ切り押し込んだ。

 ごん、と鈍い音が水路に響く。トワが押し込んだ石材がトリガーとなり、石壁の一部が後ろにずれ、そして埃を立てながら横滑りして姿を隠していく。四アージュ四方ばかりの石壁が無くなったその先には、風の流れの経路たる地下道が開けていた。

 

「いやはや、これはまた古典的というべきかお約束とでもいうべきか」

「はは……まあ、中世らしい雰囲気といえばそうだね」

 

 隠し扉。遺跡の仕掛けとしての王道が突如として目の前に現れたものだから、予期していなかった面々は苦笑とも呆れともつかいない表情となる。対して発見した当人といえば、未だ瞳を輝かせつつもどこか遠慮の視線を仲間たちにチラと向ける。まるではしゃぐのを我慢している子供のそれに、クロウは盛大に吹き出した。

 

「くくっ……ま、帰りの寄り道に冒険しても問題はねえだろ。どっかの誰かにしょげられても困るしな」

 

 遠慮が居座っていた顔がパッと華やぐ。分かりやす過ぎる変化に笑い声が響いた。

 

 

 

 

 

「んー……水路とは随分と離れたみたいだね。連絡用の地下道? それにしては無駄に複雑な作りになっているし、一つの目的のために作られたというよりは……」

「トワー? 考えごともいいけど、ちゃんと前を見て歩くの」

 

 きょろきょろするトワにお小言が掛かる。しかしながら、すっかり地下道に興味津々になっている彼女から出てくるのは「んー」という聞いているか聞いていないかすら分からない生返事。まったく、とばかりにノイは肩を竦めた。そんな二人のやり取りを眺めていたアンゼリカは忍び笑いを漏らす。

 

「ふふ、あそこまで夢中なトワも珍しいじゃないか。姉君としては悩みの種なのかな?」

「もう半ば諦めているの。完全に遺伝だし」

 

 ジョルジュが「遺伝?」と首を傾げる。ノイは首肯した。

 

「あの子の父親は学者でもあるけど、それ以前に昔から相当な研究馬鹿なの。未知への興味関心が並々ならないっていうか……そんな父親に小さい頃からテラを連れまわされていたんだから、似ちゃうのも仕方ないの」

 

 残され島に降る遺跡、ロスト・ヘブン、星の欠片。それらの未知や謎に対してトワの父親は並々ならぬ関心と好奇心を持った少年だった。学者になったのもそれが高じてのこと。テラが残され島に落着してからは日がな一日中潜り込んでいるのも珍しくなかった。父親がそんな感じだったものだから、その背中を見て育ったトワに研究者気質が遺伝するのも、ある意味で当然のことだったのだ。

 呆れ口調で話すノイ。だが、その目は決して冷めたものではない。普通の少女なら薄ら寒さを覚えそうな地下道を、ちょこまかと元気よく調べ回るトワを見る彼女の瞳は暖かい。宿る感情は慈しみとも懐かしさとも受け取れた。

 クロウたちは二人のことを詳細まで知っている訳ではない。前回の実習で事情は説明されたが、それは表面的なことに留まる。小さな少女と妖精がいかにして今の関係を築くに至ったのかは知らないし、まして彼女の家族がどのような人々なのかなど知る由もない。

 だが、例え表面上のことしか知らなくてもトワとノイが強い絆で結ばれていることは、その目を見ればよく分かった。それこそ、少しばかり羨ましさを感じてしまうくらいには。

 

「親子揃ってあの様子か。そりゃ苦労してんな、お前も」

「まったくなの。いつも付き合うことになる私をもっと労うべきなの」

「その割には、あまり不機嫌に見えないけど」

 

 ジョルジュが指摘すればむっ、と顔を顰めてそっぽを向く。しかし否定はしないのだから、どうにも可笑しくて三人はまた笑い声を漏らした。

 

「……? どうかしたの?」

「なんでもないの」

「ええ? でも、いきなり笑ったりして……」

「なんでもないって言っているの!」

 

 しゃがみこんで地面を調べていた件の少女が疑問の目を向ける。意固地に言い張るノイに首を傾げるトワ。不思議そうな顔をする彼女にクロウたちは忍び笑いしつつ、ようやくこちらに意識を割いた小さな学者様に成果を聞くことにする。

 

「で、そっちはどうなんだ? 何か面白い物でも見つけたかよ?」

「そうだねぇ。面白いものといえばこの地下道自体だけど、何か特別な発見がある訳じゃないよ。クロウ君にとってはあんまり興味を惹かれないかも」

 

 トワにとって興味を惹かれるのは珍しい品とかではなく、この中世の遺構がどうして築かれ、そして今に至ることになったのか、その歴史だ。金銭的価値より学術的価値に魅力を感じて夢中になっているのであって、クロウにはあまり向いていない分野に思えた。実際、その通りなのか彼は期待外れな表情になる。

 即物的な彼に笑みを漏らしながら「ああ、でも」と続ける。彼にとって面白いものは無かったが、気になるものなら見つかっていた。

 

「ちょっと気になるものならあるよ。ほら、ここの地面」

「んだよ……足跡か、これ?」

「魔獣のものとかもあるけど、これだけ人間のものなんだ。それに、かなり新しいものだと思う」

 

 今まさにトワがしゃがみこんでいる地面をクロウが覗く。長い年月が経って埃っぽいそこには、徘徊する魔獣の足跡に混じって人間の靴のそれが残されていた。鮮明さから窺うに、そこまで前のものではない。昨日今日……もしくは数十分前のものだろう。

 

「こんな辺鄙な場所に用事がある奴が、あの当たり屋以外にいるというのかい? 物好きだね、まったく」

「その理論に当て嵌めると、僕たちも物好きということになりそうだけど……まあ、確かに気になるね。ここに用事があるなんて普通だと考えられないし」

 

 平素から地下道に用事がある人物など、少なくとも普通ではないだろう。先の事件に出くわしたこともあって必然的に描かれる人物像は悪いものになる。

 トワは口に人差し指を含んで立てる。風は足跡がやって来た方向から流れ、その先には誘い込まれるような薄暗がりが広がっている。出口を目指すのなら足跡と反対側に行けばいい。だが、このまま見て見ぬ振りをしていくのも気懸かりが残る。

 四人は顔を見合わせる。奇しくも浮かべているものは同じだった。

 

「行こっか。もしかしたら迷い込んじゃった人の可能性もあるし」

「こんな薄ら寒い観光スポットに来るのが、お前以外にいるのかねぇ」

 

 ここまでくれば最後に一仕事してもさして変わりはない。トワたちは足跡に爪先を並べる。

 クロウの皮肉には愛想笑いで返しておいた。まさしくそれは正論だったから。

 

 

 

 

 

(三つ先の角を曲がった所に金髪の若い男が一人。何か調べているみたいなの)

 

 果たして、足跡は本当につい先刻のものだったようだ。

 姿を消して暗がりの先を偵察してきたノイが耳元で囁く。片手を挙げて感謝の意を示し、そのままハンドサインで三人にも伝達する。仮にも士官学院の生徒。これくらいは既に習得していた。

 足音を忍ばせながら先へと進む。角が一つ、二つ、三つ。壁を背にして懐から手鏡を取り出す。角から覗かせたそれには、確かにノイの言う通りの人物が写っていた。金髪に白いコート、背を向けているため顔は分からない。何かの痕跡を探すように、少し前のトワと同じように地面を検分している。

 真新しい足跡を辿って来てみれば、これだ。人の立ち入らない薄暗い地下道、一人で何かを探す金髪の青年。この二つのワードだけで怪しさがたっぷりだ。

 悪意があるかどうかは分からない。しかし、一人でこんなところにいるのだ。警戒だけは怠れない。武具には手を掛けていなかったが、最悪の場合は戦闘行為も辞さない心構えではあった。

 

(学者さん……という訳じゃないよね。地面しか見ていないし)

 

 地下道自体を調べに来たのならもっと全体に目を向ける筈。可能性を一つ削除し、一先ずは手鏡を懐に戻す。後に続く三人に向けるサインは待機。

 しばらくは様子を見るつもりだった。青年の行動を窺って悪意がない一般人のようなら接触して事情を聞くなりする。もし公共良俗に反する目的の行為ならば……まあ、その時はその時だ。

 

「ここらも外れかねぇ……そう簡単に見つかる筈もないか」

 

 唐突に響いた声に肩が揺れた。仲間のものではない。金髪の青年がぼやくように漏らした独り言だった。気配を殺し、息を潜める。青年の独白が続く。

 

「先生も無茶を言ってくれるよ。長いこと探している奴さんを残り少しばかりの間に見つけろだなんて。まあ、それでもやんなきゃいけないのが後輩の辛いところなんだが」

 

 青年はぶちぶちと愚痴を零すようであり、大仰な溜息まで聞こえてくる。先生、奴さん、あと少しの間。聞き取れる言葉だけでは何を目的しているか判然としない。

 もう少し情報が欲しい。じっと耳を欹てる。

 

「――なあ、アンタもそう思わないか」

 

 瞬間、耳朶を叩いたそれに背筋を凍らせた。

 

「いるんだろ、そこに。こんなところで独り言して寂しい奴なんて思われたくないから、返事してもらえたらありがたいんだが」

 

 金髪の青年は確信的だった。彼が今どのようにしているかは見えていない。だが、見えていなくても感じることはできる。彼は今、振り返ってトワたちのいる角を注視している。

 どうして分かったのか。影は見えていない。音も勘付かれるほど大きなものは立てていない。だとすれば、自ずと可能性は限られてくる。

 

(手鏡の反射、かな。視界の端に映ったのかも)

 

 あるいは気配を察知されたか。これは青年が武術に通じていた場合になるが。

 どちらにせよ只者が出来ることではない。僅かな視界の違和感に気付いたのなら、それはそれで相当な観察眼の持ち主だ。少なくとも、先の当たり屋の様なゴロツキレベルの相手ではない。警戒の度合いが跳ね上がる。

 青年の声は気軽だ。しかし慎重な色が滲む。身構えているのは向こうも同じらしい。

 素直に姿を現わすか、この場から離脱するか、このまま沈黙を守るか。選択に迷うトワの肩が叩かれる。見れば、クロウがこちらを見てニヤッと笑う。任せておけ、口の動きでそう言った彼は青年に言葉を返した。

 

「そりゃ悪かったな。尤も、この辛気臭いところに男一人でぶらついている時点でお互い寂しい奴だと思うがな」

「おっと、それは言わぬが花というものだろ。俺だって叶うものなら美女と一緒にディナーと洒落込みたいさ。現実に目を向けても周りにはガサツな女しかいないけど」

「気が合うな。俺の周りにもお子様とレズビアンしかいないんだ」

 

 アンゼリカがクロウをどついた。音も気配の乱れも生じさせない弱いものだったが。

 クロウは男一人と言った。それに対し、金髪の青年が疑念を抱いた様子は窺えない。おそらくだが、こちらの数までは把握しきれていないのだろう。気配を感じ取れる武術家の線はなし。

 

「探し物でもしていたみたいだが、先生とやらから頼まれごとでもしたのかよ?」

「一応、上司みたいなものだから断る訳にもいかなくてな。おかげさまで日が沈むような時間まで地下潜りさ。そっちは?」

「仕事みたいなもんだ。お子様の我儘で残業中だけどな」

 

 今度は足を踏まれていた。これくらいの軽口は気にしないのに、とトワは内心で思う。それを伝える術が今のところないのは仕方ないだろう。

 クロウがなるべく自然に会話しているが、未だ青年がクロかシロか判別が付かない。地下道にいることやトワたちの存在に気付いてみせた観察眼は怪しい。しかし、話を聞いている限りでは悪意のようなものは感じ取れない。結論付けるための材料が足りなかった。

 迷う内にも時は進む。切り出してきたのは青年の側からだった。

 

「こんな場所で会ったのも何かの縁だ。もう少し話さないか。人と顔を合わせられない程シャイな訳でもないだろう?」

 

 どうするのか、とクロウを見る。彼もまたトワを見ていた。行け、そう雄弁に目は語る。

 それを認識すると同時に、トワはクロウの意図するところを理解する。そして同時に戸惑った。短絡的すぎないかと、もう少し考える余地があるのではないかと。

 ジョルジュはよく分かっていないようだったが、アンゼリカは察しがついているようだ。切れ長の目が獲物を狙う猛獣のように細められる。やる気だ。クロウも「ああ、勿論だ」と応じてしまう。動き始めてしまった事態の流れは止められない。

 ええい、とトワは逡巡を断ち切る。もしもの時は頭を下げようと。壁から背を離し、曲がり角の先へと姿を現わした。

 

「は――」

「えっ?」

 

 金髪の青年が呆気に取られたように動きを止める。男と話していると思っていたら、出てきたのは幼さの残る少女。間の抜けた声を漏らし、動揺するのも無理はない。

 しかし、呆気に取られたのはトワも同じだった。青年の姿を視界に収めると同時に目を走らせ、顔を認識し、全身に意識を移した末に、胸元の一点に気を取られた彼女は一瞬だけ自失する。

 ただ不幸があったとすれば、それは普段は仲が悪い二人がこういう時に限って息が合うことだった。

 

「らぁっ!!」

「ふっ!」

 

 クロウが角から飛び出し突貫する。青年は「んなっ!?」と驚愕を露わにしつつも、組み付いてきた彼を上手く受け流し地面に転がす。だが、流石に二段構えで懐に潜り込んできたアンゼリカにまでは対応が追いつかなかった。足を刈られ引き倒される青年。途端に乱闘の現場と化した地下道にくぐもった声が響く。拘束せんと鞭のように腕がしなり、抵抗を試みる手が懐に伸びる。

 

「ちょっ! アンちゃん、ストップストップ!」

 

 大慌てのトワの声。あまりに切迫したそれにアンゼリカの腕が止まり、青年も懐に手を伸ばしたまま硬直する。事態に頭の理解が追いつかない様子のジョルジュは困惑の渦中だ。起き上ってきたクロウが眉を顰めた。

 

「おい、いったい……」

「早とちりだったんだよ。ほら、その人の胸元」

 

 クロウとアンゼリカの視線が動く。その先にあるものを見て、二人も理解が追いついたのだろう。ああ、と納得の声を漏らすと同時に少し気まずそうな表情を浮かべる。

 そんな彼らの様子から青年も事態の全容を察したのだろう。顔に浮かべるのは苦笑い。地面に引き倒されたまま、彼は言葉を選ぶように口をまごつかせる。

 

「あー……どうやらお互いに不幸な誤解があったようだが」

 

 視線が移る。青年を引き倒した時のまま、アンゼリカの手は彼の胸倉を掴みあげて固まっている。

 

「お兄さんとしては、ダンスのお誘いはもうちょっと優しいのが良かったかなぁ、なんて」

 

 そのすぐ隣、彼が着込む白いコートには証が備えられていた。即ち、支える篭手の紋章が。

 どうにも気まずい空気が蔓延する地下道に、青年の乾いた笑い声だけが空しく響くのだった。

 




【ボリス・ダムマイアー】
拙作のオリキャラ。紡績町パルムの領主子爵にして工場長。イメージは眼鏡タヌキ。

【ドミニク】
同じくオリキャラ。ボリス子爵の秘書。軌跡シリーズの秘書は扱いが悪いのが伝統だったりする。

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