永久の軌跡   作:お倉坊主

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今回から試験実習も第二回。クロス―バーも本格化してまいります。
挿絵とか描けたらよかったんですけどね……中高で美術が3を超えたことが無いからね、私……絵心皆無のため無理なんですよね……皆さんで想像力を働かせてくださるようお願いします。


第17話 緋の帝都

 五月末日、試験実習当日。トリスタ駅から大陸横断鉄道に乗車したトワたちは、帝都ヘイムダルに向かう鉄路を進んでいた。

 先月の実習に比べ、時間はそこまで早くはない。近郊都市トリスタとヘイムダルの距離はさほど離れておらず、鉄道で三十分ほどしか掛からない。わざわざ早朝に出る必要もないのだ。

 それなので一同は無理に早起きする必要もなく、万全の準備を整えて実習地に迎えているのだが……一名ほど、やけにそわそわしている人物がいた。

 

「……トワ。なんか落ち着かない様子だけど、何かあったのかい?」

「えっ!? あ、ううん。な、なんでもないよ」

 

 先ほどから妙に窓の外を気にしている小柄な少女。それを不思議に思ったジョルジュが問い掛ける。

 手をぶんぶんと振りながらも否定するトワ。しかしながら、その素振りは余計に疑念を助長するだけである。事これに関して、彼女は嘘をつくというのがめっぽう苦手であった。集まる視線に引き攣った笑みを浮かべて冷や汗を垂らす。

 

『もう、素直に帝都の街並みが気になるって言えばいいの。変に意地張っちゃって』

 

 そこに姉貴分の声が響く。どういうことかと首を傾げる一同に、突然の発言に「ちょ、ちょっと!」と狼狽するトワ。制止の声などお構いなしにノイは言葉を続ける。

 

『トワったら殆ど島から出たことが無かったものだから、学院に来るときに泊まった帝都の街並みに圧倒されちゃったの。どうせそれがまた見られることになって気になっているに違いないの』

「ははぁ、つまりは完全にお上りさん気分ってわけだ」

「あう……」

 

 クロウの言葉にトワは俯いて完全に閉口する。全く以て図星であった。

 疑念から生温かさに変わった周囲の視線。居心地の悪さに身動ぎしてしまう。

 

「だ、だって前は夜だったし、ゆっくり見て回るような時間もなかったし……」

 

 頬を赤らめて口にした言い訳のようなものも、精々アンゼリカを身悶えさせるくらいの効果しかない。多勢に無勢、それに帝都の街並みが気になるのも事実。トワは諦めて浮かれていたことを認めた。

 実際、トワが帝都で目にすることができたのは夜景と朝方の駅前くらい。残され島から定期船に乗り、半日ほどかけて港町サンセリーゼへ。そこから更に半日を掛けて帝都に辿り着いたのだ。時刻は深夜間近であり、駅近くの宿にチェックインした後に見て回るような体力的余裕もない。その翌朝にしても、すぐさまトリスタ行きの列車に乗り込むことになったのだ。事実上、トワが帝都を本格的に訪ねるのはこれが初めてと言ってもよかった。

 だからこそ気になってしまう。西ゼムリア大陸でも最大規模の都市が如何様なものなのか。お上りさんと言われてしまえば、それまでではあるのだが。

 

「それならば私の方からヘイムダルについて一通り教えてあげるとしよう。その方が現地に着いてから色々と楽しめるだろうしね」

「それは有り難いけど……アンちゃん、どうして鼻血だしているの?」

「ふっ……君の愛らしさに少々抑えが利かなかっただけさ」

 

 どこかにぶつけた訳でもないのに、鼻血を伝わせる彼女に疑問を投げかけるも、返ってくるのは理解の及ばないもの。トワとしては「はあ」と気の抜けた声を漏らすことしか出来ない。

 ハンカチで鼻血を拭い、コホンと咳払いするアンゼリカ。男子二名からの呆れの目と苦笑いにも動じずに改めて帝都についての講釈を始める。

 

「知っての通り、《緋の帝都》ヘイムダルは西ゼムリア大陸でも最大級の規模を誇る大都市だ。街は十六の街区に分けられ、それぞれが地方都市に匹敵する。そして、その街区同士を結ぶものが街全体を走る『導力トラム』という乗り物だ」

「導力トラム?」

「路面列車とでも言えばいいのかな。帝都は街中に線路が敷かれていてね、そこを走るトラムに乗って街区を移動するんだ」

「公営だから料金も安くてな。帝都市民は専ら定期パスを買って日常的に利用しているって話だぜ」

 

 トワとノイは「『へぇ』」と揃って感心する。トワだけではなく、ノイも何だかんだ興味津々であった。

 

「見所としては目抜き通りであるヴァンクール大通り、バルフレイム宮を臨むドライケルス広場……ああ、マーテル公園も外せないね。あそこのクリスタルガーデンには一度は行ってみるべきだ」

「僕はそこまで帝都に来たことが多いわけじゃないけど、学術系の機関が集まった街区は空気からして身が引き締まるよ。それとアルト通りの落ち着いた雰囲気は結構好きだね。いい喫茶店があるんだ」

「一つの街に随分とたくさんの面があるんだね。クロウ君はオススメの場所とかあるの?」

 

 流石は帝都と言うべきだろうか。見所を挙げていくと切りがない様子だ。そして聞いている限り、街区ごとに雰囲気もかなり異なるらしい。ヘイムダルという一つの街がこれだけ多くの特色を備えているのは驚くべきことだろう。

 それぞれが挙げるものも、その人の特色が現れているようで聞いていて面白い。果たしてクロウはどのようなところを紹介してくれるのか、期待と共に問い掛ける。

 

「そりゃあヘイムダルに来たら帝都競馬場は外せねえだ――」

「まあ、そこの男の戯言は捨て置くとして」

 

 学生として不適切な発言をバッサリと切り捨て、アンゼリカは幾分か真面目な顔をして話を転換する。観光気分の歓談から、今まさに直面する試験実習の内容へと。

 

「話した通り、帝都は途轍もなく広く、そして多様な面を有している。そんな大都市で誰が現地責任者となっているのか、気になるところではあるね」

 

 確かに、とトワたちは頷く。今回の試験実習に関する最も大きな疑問はそれだった。

 前回のケルディックにおける現地責任者はオットー元締め。ケルディックの実質的な代表にしてヴァンダイク学院長とも個人的な関係があり、学院生を受け入れる人物としては最適と言えた。依頼を見繕うのにも、町を取り纏める彼にとって大きな苦労ではなかっただろう。

 しかし、今回の実習はどうだろうか。ケルディックとは比べ物にならない大都市、多様な街区によって構成されている帝都では、膨大な数の住民の要望の中から依頼を見繕うのにも一苦労だろう。いや、そもそも要望を受け付けられる人物がどれだけいることか。加えて学院の実習に協力してくれるような繋がりがある所となると、さっぱり見当がつかない。

 

「サラ教官に聞いても教えてくれなかったからなぁ。何か秘密にする理由があるのか、単に僕たちを驚かせたいだけなのか」

「サラのやることだ。どうせ後者だろうぜ」

 

 うんざりとした表情で吐き捨てるクロウ。他の面々もサラ教官に質問した時のことを思い出して、その答えに深々と溜息をついた。

 

 ――そうねえ……ま、着いたら分かるわよ。駅前で待ち合わせてもらう予定になっているから、その時まで楽しみにしておきなさい。

 

 本人からすれば茶目っ気であろうウィンクと共に言い放った言葉に、トワたちは白い目を向けたものだ。実習を行う当人からすれば、現地責任者はちゃんと把握しておきたいところだ。仮に著名な人が相手ともなれば、相応の心構えというのもあるものだし。

 とはいえ、今更この場に居ない人物の文句を言っても仕方がない。出来ることと言えば、誰が来ても動じないように覚悟を決めておくことだけだ。

 

『うーん……』

「……? どうかしたの、ノイ?」

 

 そんな彼女らを余所に何やら考え込んでいる様子――姿は見えないのだが――のノイ。それに気付いたトワが問うてみると、彼女は『ちょっとね』と零した。

 

『気のせいかもしれないけど……私、どこかでサラ教官と会ったことがある気がするの』

「え?」

「ふむ、興味深い。詳しく聞かせてもらえないだろうか」

 

 突然の告白に間の抜けた声が出てしまう。ノイとサラ教官、接点もなければ教官に至っては存在すら認識していない。そんな彼女らが会ったことがあるなど有り得るのか。トワが一瞬でも呆けるのは当然と言えた。

 知らず、周囲の注目もそちらに集まる。ノイはぽつぽつと喋りはじめた。

 

『最初はそんなことなかったんだけど、ここ一か月くらい見ていたら見覚えがあるような気がしてきたというか……流石に話したことはないだろうけど、どこかで姿を見たことがあるような感じがしてきたの。この前の実技教練から、特に』

 

 どういうことだろうか、とトワは首を傾げる。ノイがいい加減なことを言っているとは思わない。そんなことはしないと長年一緒にいて分かり切っている。

 しかし、本当なら本当で疑問も湧いてくる。ノイの行動範囲は基本的にトワと同じだ。サンセリーゼならともかく、他の街に行ったことなど無いに等しい。三十年の殆どを残され島で過ごしてきた。

 そんな彼女がサラ教官に会ったのならば、それは残され島であることが濃厚だろう。そしてそれは同時に、トワも会ったことがある可能性が非常に高くなる。

 

「でも私はサラ教官みたいな人と会ったことないよ。その、色々と特徴的だし、忘れる筈が無いと思うんだけど」

『まあ、確かに私もあんな親父臭い人と会った覚えはないの』

「結構どストレートだよな、お前」

 

 わざわざオブラートに包んだトワの気遣いを台無しにする直球発言である。割と遠慮知らずの妖精のような少女に、さしものクロウも苦笑いを浮かべた。当の本人はそれを右から左に流して『でも』と続ける。

 

『あの強化ブレードに導力銃を組み合わせた戦闘スタイル、どこかで見かけた覚えがあるんだけど……ううん、やっぱり思い出せないの』

 

 悩ましげな声を漏らしつつ考え込むも、確かな記憶は浮かんでこないらしい。どうやら実技教練で見たサラ教官の戦い方が引っ掛かっているようだが、それだけでは特定することも難しい。彼女の武具と戦術は珍しいものではあるものの、それが直接的に彼女の過去と繋がっている訳ではないのだから。そもそもの話、サラ教官の素性をトワたちは詳しく知らないのだが。

 こうして改めて考えてみると、意外と自分たちを指導する人物について知っていることは少ないものだ。特科クラスの設立のために学院長がスカウトした新任教官、ビールが大好きで親父臭い、これくらいのものである。

 

「うーん……教官になる前の仕事が分かれば予想もつきそうなものだけど。逆に残され島にはどんな人が来るんだい?」

「えっと、観光客の人と日曜学校の神父様と、後はお父さんとかの仕事関係の人くらいかなぁ。それでも、そんなに数は多くない筈だけど」

「御父上の仕事というと、確か博物学者だったかな」

「流石にアイツが学問関係者とは思えねえが。地酒目当ての観光客とかの方が可能性がありそうじゃねえか?」

 

 あんまりと言えばあんまりだが、彼女の生活習慣を考えれば否定できないのも事実。アンゼリカとジョルジュは「確かに」とクロウの意見に傾く。

 

「お酒とかはあまり有名じゃない筈なんだけどな。私としてはそっちよりも――」

 

 だが、トワは酒好きの観光客説にはしっくりきていなかった。そんなものよりも、もっと有り得そうな可能性がありそうな彼女の中にはあったから。

 ところが、それは口にする前に遮られた。響くチャイムの音。車内スピーカーから案内が流れる。

 

『間もなく終点ヘイムダル、ヘイムダル。お降りの際は、お忘れ物がないようご注意ください。本日は大陸横断鉄道をご利用いただき、誠にありがとうございました』

 

 話し込んでいる内に三十分程度などあっという間に経っていたらしい。一同は雑談を切り上げ、第二回の試験実習の舞台に降り立つ準備をするのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 ホームに降りたトワの口から呆けた声が漏れる。眼前の光景に圧倒され、きょろきょろと落ち着かずに視線を移す。

 彼女の後から列車を降りたクロウたちは思わず苦笑する。こうなるだろうとは思っていたが、まさかここまで想像通りの反応を示すとは思っていなかった。

 

「やれやれ、これじゃマジでお上りさん丸出しじゃねえか」

「はは、無理もないと思うけどね。僕だって来るたびに感心してしまうし」

「ヘイムダル中央駅……皇帝陛下を戴く帝都の玄関口だ。立派なものだろう?」

 

 演技がかった仕草で手を広げるアンゼリカに、トワはこくこくと頷くしかない。

 まず駅舎の大きさからして並ではない。見上げるほどに高い天井に、端から端まで歩くだけで苦労しそうな広さ。その構内には何本もの路線が乗り入れ、それぞれに色とりどりの列車が停車し出発の時を待つ。そして何より、人の多さが半端ではない。これだけの人がどこから溢れ出てくるのだろうかと思うほどに、ホームには人の足が途絶えることが無い。

 入学前に立ち寄った時もあまりの広さに放心してしまったものだが、あれは夜間と早朝だったからまだ人が少なかったのだと痛感する。今はホームの広さよりも、まさに人海というべき光景に度肝を抜かれていた。

 

「大陸横断鉄道にクロイツェン、ラマール、サザーランド、ノルティアに繋がる主要線、それと貨物鉄道も集約された最大の駅だ。この人の多さも納得だと思うよ」

『はー……昔に鉄道の話は聞いたことあるけど、ここまで発達しているなんて思っていなかったの』

「帝国全土に渡る鉄道網が整備されたのは、ここ十年ばかりの話だがね。オズボーン宰相の鉄道網拡張政策の賜物という奴さ」

 

 ここまで人が多いと姿の無い状態で声を出しても怪しまれない。ざわめきに紛れてノイは感心の声を漏らした。

 ノイの言う昔となると三十年近く前の話になるが、その頃は数年前に帝都からルーレを結ぶ初の旅客鉄道ができた時期だ。それと比べると隔絶の感があるのも無理はないだろう。ここまで鉄道網を整備した政府の手腕も大したものである。

 

「それよか、さっさと駅から出るとしようぜ。息苦しいったらありゃしねえ」

「あっ、うん。人の邪魔になっちゃうしね」

 

 クロウに促されてハッとなる。ようやく放心を解いたトワは人の波に加わるように出口へ足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

「ほえぇ……」

 

 が、ヘイムダル駅から出たところで彼女はまた放心状態に陥っていた。やっぱり、とクロウたちは苦笑したり微笑ましげにしたりと頬を緩める。

 

「ヴァンクール大通り……帝都のメインストリートだ。この駅からバルフレイム宮前のドライケルス広場まで繋がっている。通りに軒を連ねる建物の中では《プラザ・ビフロスト》あたりが一番有名だったかな」

「最近は導力車の通行が増えたって聞いていたけど……はは、予想以上だな、これは」

 

 遠くに見える巨大な宮廷の影。そこへ向かって真っ直ぐに伸びる巨大な道路には、これまた数えきれないほどの人波があるのは勿論のこと、離島暮らしだったトワには見る機会さえなかった導力車が所狭しと走っている。これには久しぶりに訪れたジョルジュも驚きを隠せない。

 一般に導力車は隣国のカルバード共和国の方が発達していると言われているが、この光景を目の当たりにすると、とてもそうとは思えない。それとも共和国ではこれよりも凄まじい光景が広がっているとでも言うのだろうか。いずれにせよ、トワには想像もつかない話だ。

 ふと目を移せば、駅前の一角に小さな列車のようなものが停車して乗客が下車する光景が視界に入る。鉄道の中で聞いた導力トラムというものだろう。よくよく目を凝らせば、通りの先でも同じ車両が線路の上を走る姿が認められる。

 街を東西に分つように走る大通り。目を上に移せば、その傍に並び立つ建築物の屋根は全てが緋に染められている。緋の帝都――その名の通りの景観に、思わず微笑が零れる。

 そわそわする気持ちをぐっと堪える。改めて帝都に降り立ち、こうして話に聞いた街の姿を見ているだけで気分が高揚してくるが、勝手な行動をする訳にはいかない。まだ実習も本格的に始まらない内から、トワは好奇心が独り歩きしないように抑え込む必要があった。

 

「凄いなぁ……あっ、アンちゃん。導力トラムの運賃はどれくらいなのかな?」

 

 とはいえトワも十代の少女。自分の気持ちを御しきれるほど成熟はしていない。停留所に並ぶ前からいそいそと財布の中身を覗く彼女は、傍目から見て明らかに浮ついていた。

 そんな彼女に「まあ、落ち着きたまえ」とアンゼリカは苦笑する。

 

「どこに行くにしても、まずは現地責任者と合流するのが先決だ。依頼も受け取らなければいけないしね」

「あう……そ、そうだった」

『まったくもう、そそっかしいんだから。これだからトワは放っておけないの』

 

 もっともらしく語るノイではあるが、彼女自身も割と声の調子が高いのはご愛嬌である。

 

「サラ教官の話だと駅前で待ち合わせてくれるって話だったけど、ここにいればいいのかな? 下手に動いたら不味いだろうし」

「さあな。こちとら相手の情報なんざ欠片も持ってないから待つしかない訳だが」

 

 ジョルジュはぐるりと周りを見渡してみるも、それらしい人はいない。そもそもクロウの言う通り、その人物の特徴の一つさえ知らないので見つけられるわけもないのだが。

 前回のケルディックでは先に宿で依頼を受け取り、その後にオットー元締めと会うことになったが、今回は先に現地責任者と落ち合うように言い含められている。となると、実習中の滞在先も宿ではなくその人物と関連のある場所なのか。そう推測はしているものの、肝心の人物に関する情報は何一つない。

 こちらから探し出すことは不可能。ならば向こうが見つけてくれるのを待つしかない。だからトワたちは常に人が行き来する駅前から動こうにも動けないのだった。

 

「……もしかして、向こうも見つけられていなかったりするのかな?」

「いや、その可能性は少ないだろう。この格好で駅前に固まっていたら嫌でも目に入る」

 

 若干不安の芽を覗かせたジョルジュであったが、それはすぐにアンゼリカに否定される。自分の着る服を引っ張ってみせる彼女に一同は納得した。

 自分たちは制服姿だ。いくら人が多いとはいえ、このような姿の集団は他にはいない。ヘイムダルにも幾つか高等学校はあるが、時間が早いこともあってかその姿は皆無。必然的に現地責任者はこの集団が待ち合わせの相手だと分かる筈だった。

 

「じゃあ……遅刻?」

「おいおい、あのズボラ教官と同類とかだったら御免だぞ」

 

 あと思いつく理由としてはそれくらいのもので、クロウが深々と溜息をつきながらぼやいた時だった。

 

 

「おう坊主、流石にアイツと同じ扱いは勘弁してくれ」

 

 

 クロウの背後から声が響く。彼は反射的に距離を取りつつ振り返る。声はあまりにも近く、それなのに微かな気配さえ感じさせなかった。驚愕と警戒を顔に浮かべ、思わず手は銃に伸びる。

 クロウ以外も同様だ。全く気配を感じさせずに接近してみせた相手に対して驚愕は隠せない。

 だが、それ以上にトワとノイは別種の驚愕も抱いていた。

 

「そう警戒するな。サラの奴の教え子がどんなもんか少し試そうと思っただけだよ。驚かす気は……まあ、あったか」

 

 そう自分で自分の発言に笑うのは白銀の髪の男だった。

 金色の瞳、髪と同色の鬚、年齢は三十代後半から四十台か。白地に金の文様が入ったコートは、かつては気品さえ感じさせたのだろうが、随分と使い込んでいるのかくたびれているように見える。白に対して浅く焼けた肌が特徴的だった。

 

「……アンタが実習の現地責任者なのか?」

「ああ。さっきの反応はよかったぞ、坊主。後ろを取られた段階で負けではあるがな」

 

 咄嗟の警戒を解きつつ問うクロウ。にやりと笑みを浮かべて腰に吊った大剣の柄を叩く男に苦い顔をする。声を掛けられる前にあんな得物を振るわれてしまえば、胴が真っ二つになっていたことは明白だったから。気付いた後の反応も糞もない。

 心臓に悪い登場をしてくれた待ち人に、アンゼリカもジョルジュも疲れたような溜息をつく。実習前から一気に疲労が溜まった心地だった。

 

「ふう、どうやら随分と人の悪い御仁に当たってしまったらしい……相当な腕前の持ち主であるのも、確かなようだが」

「全然気付かなかったからね。僕はともかく、三人とも察知できなかったなんて……」

「いや、大したもんだと思うぞ。割と近寄るのに梃子摺ったからな。特に銀髪の坊主と……ま、そこで呆けているチビッ子は当然か」

 

 性質の悪い悪戯を仕掛けてきた男はクロウを見遣り、そしてトワへと視線を移す。先ほどから一言も発せず、あんぐりと口を開けたままの彼女に手を伸ばした。

 

「いつまでボサッとしてんだ。また本の読み過ぎかなんかで寝不足にでもなったのか、ん?」

 

 わしわしと頭を撫でられてトワは「わわっ!?」と声を漏らす。クロウたちはクロウたちで、その気安さに驚きを隠せない。そしてまた、何の躊躇いも無しに響いてきた妖精の声にも。

 

『……ううん、流石にこれは仕方がないと思うの。私もかなり驚いているし』

「なんだそりゃ? 話くらい聞いていただろ?」

『それがさっぱり、なの』

 

 虚空からの声に驚く訳でもなく、まるで当然のように応対する。男はノイの言葉から何かを察したのか、遠い目をして「あー……」と表情に疲労感を浮かべた。

 一方で、ようやく再起動を果たしたトワは口をパクパクさせる。

 

「な、な、な……」

 

 驚きの残滓が思考を阻み、なかなか言葉は出てこない。

 それでも口を回し、目一杯の驚きを吐き出すように彼女は叫んだ。

 

「なんでシグナ伯父さんがここにいるの!?」

 

 放たれた大声とそれに追随する驚愕が、ヴァンクール大通りの喧騒に消えて行った。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ヘイムダル駅より導力トラムでアルト通りへ。閑静な住宅街の一角に建つ建物にトワたちは案内されていた。

 適当にがたがたと集めてきたテーブルと椅子に「まあ、座れよ」と促され、それぞれ席に着いたトワたちは、未だ驚き冷めやらぬ様子だった。トワは予期せぬ家族の登場により。そしてクロウたちは彼女の親族であることは勿論のこと、何より男が名乗ったその名により。

 

「もう、本当に驚いたんだから。伯父さんが来るなんて全然聞いていなかったし」

「サラから何も聞いていないのな……アイツめ、悪戯心に火でも付いたか。相変わらず碌でもないことばかり考えやがる」

「姪っ子たちに出会い頭で悪戯を仕掛けた人の言い分とは思えないの。シグナも少しは自分を省みたらどう?」

「うっせ。お前こそ速攻でばれてんじゃねえか」

「あれは不可抗力なの!」

 

 他に人がいる様子もなく閑散とした屋内のため、気兼ねなく姿を現わしているノイがジト目を向ける。人の文句を言っていた男――シグナは言い訳するでもなく入学一月で存在がばれたノイを揶揄した。これでは反省など望むべくもないだろう。今も昔も変わらない調子にトワとノイは揃って溜息をついた。

 そんなほのぼのとした家族の光景を前に、クロウたちは固まったように動かない。それに気付いたトワが小首を傾げた。

 

「どうかしたの? さっきから皆ずっと黙っているけど」

「どうかしたかってな……いきなりこんな状況に放り込まれたら黙りもするわ」

 

 呑気に聞いてくるトワにクロウは苦い顔をする。端的に言えば、彼らは緊張していたのだ。柄にもなく、しかし否応もなくそうせざるを得ない存在が目の前に突如として現れたことにより。

 

「シグナ・アルハゼン――まさか帝国随一のA級遊撃士にして、武の世界でも五指に入る達人が試験実習の現地責任者とは思いにもよりませんでした」

 

 なんとか肩の力を抜くように息を吐きながら、アンゼリカは言う。自然と彼女の言葉には敬意が籠っていた。

 トワの伯父、シグナ・アルハゼンは遊撃士協会エレボニア支部に所属する遊撃士であり、最高ランクのA級、そしてその中でも随一の実力を持つ人物として名高い。三十年近くにわたるキャリアを持つ超ベテランにして、帝国の武の世界でも五指に入ると言われる武術の腕前、そして培われた経験による洞察眼と判断力は他の遊撃士より図抜けていると専らの噂である。

 最高峰の遊撃士にして武人。そのような人物を前にしてしまえば、流石のクロウとアンゼリカも身を固くせざるを得なかった。ジョルジュに関しては言うまでもない。

 

「うーん、伯父さん相手にそこまで畏まる必要もないと思うけど」

「実際はガキ大将がそのまんま大きくなったみたいな人なの」

「ベテランと言っても、いい歳したオッサンが適当に仕事しているだけだしなぁ」

 

 しかしながら本人と親類縁者は実感に欠けるせいで、いまいち締まらない。緊張をほぐすためでもなんでもなく、本当にそう思っているのだから周囲としては性質が悪いと思ってしまう。

 

「ご謙遜を。《星伐》の名はかねがね聞いています」

「《星伐》のシグナ……武術には詳しくない僕だって名前くらいは聞いたことがあるよ。遊撃士協会の中でも彼の手に掛かれば解決できない依頼はないってね」

 

 二つ名を持ち出されたシグナは白銀の髪をガシガシと掻く。「何時の間に広まったのやら」と呻くように呟いた様子からして、あまり本人は気に入っていないようである。二つ名にしても、名が広まることにしても。

 だが、残してきた実績が名に恥じないものであることも確かだ。だからこそのA級の称号であり、この知名度なのだ。それはトワもノイも知っているし、尊敬もしている。普段の態度のおかげで畏まる気にはまるでならないが。

 

「というか伯父貴がこの人ってことは、お前に剣を教えた祖父さんは《剣豪》かよ……道理で腕が立つわけだぜ」

 

 ようやく緊張は解けてきたようだが、今度は頭痛がしてきたのか頭を抱えるようにしてクロウが唸る。そうだけど、と軽く頷くトワには彼が何をそこまで思い悩んでいるのかさっぱり分からない。

 

「《剣豪》って?」

「オルバス・アルハゼンという武の世界でも知る人ぞ知る達人さ。東方剣術では八葉一刀流という流派を開いた《剣仙》ユン・カーファイと並び称される方だね。そしてシグナさんの父親でもある」

 

 アンゼリカの説明にジョルジュは「なるほど」と納得する。トワの剣の腕はある意味で当然のものだったのだ。

 いつだったか我流の剣術を家族内で伝えているだけ、と言っていたがとんでもない。かの東方剣術の集大成、八葉一刀流の開祖に並ぶ実力を有する《剣豪》が伝える剣術ともなれば、それは並の流派を軽く凌駕する。無銘であることが不思議になってくるくらいだ。

 

「あはは、並び称されるって言われているけど本人たちは普通の友達みたいだよ。ユンさんからの手紙、お祖父ちゃん宛てによく来るし」

「若い頃は一緒に武者修行の旅していたんだと。あのクソ親父、自分のことあまり話さないから詳しくは知らないけどな」

 

 が、かの東方剣術の双璧も実態はほのぼのとしたものらしい。妙な脱力感に襲われ、クロウたち三人は深々と溜息を吐く。シグナ相手に構えるのも馬鹿らしくなってくる心地だった。

 そんな彼らの内心を易々と見抜いたシグナは――狙っていた訳でもないだろうに――ここぞとばかりに口を挟む。雑談はこれにて終了だ。

 

「さあ坊主ども。お喋りも結構だが、これでも仕事でここに来ているんでな。そろそろ本題に移らせてもらうぞ」

 

 予想さえしていなかった登場に驚かされ、その素性ばかりに気を取られていたが、シグナはこの場に試験実習の現地責任者として来ているのだ。雑談ばかりに興じて実習の時間を削ぐわけにはいかない。表情を改めた彼は喰えないオッサンから歴戦の遊撃士に様変わりしていた。

 色々と気疲れしていたトワたちも、それに気付いて適度な緊張感を取り戻す。いい顔だ、と口角を上げたシグナは彼女たちの前に一通の封筒を差し出す。今回の試験実習の依頼だ。

 

「実習は二日間。その間、お前たちにはウチに来ている依頼を片付けてもらう。適当に出来そうなものを見繕ってその中に入れておいた」

「遊撃士協会への依頼ですか。勝手は変わらないとはいえ、責任重大だなぁ」

「ここに案内されたところでそうかなとは思っていたけど……やっぱり忙しいの?」

 

 トワは部屋を――遊撃士協会ヘイムダル支部を眺める。依頼が張り付けられた掲示板、受付が立つだろうカウンター、奥には支える篭手の紋章が掲げられている。

 

「ああ、てんてこ舞いだ。店閉まい前に片付けなくちゃならんことも多いからな」

 

 だが、この支部にはトワたち以外には誰の姿もない。閑古鳥が鳴いているとかそういう訳でもなく、純粋に人の気配がないのだ。まるで誰も訪れることのない空き家のように。

 どこか煤けた笑みを浮かべたシグナに「そっか」と寂しい気持ちで返す。他の三人は彼の言葉に目を見張っていた。

 

「店閉まいって……支部をたたむってことか?」

「まさか。並の都市ならいざ知らず、このヘイムダル支部は東西二カ所に窓口を構えているくらいの一大拠点でしょう。それを閉鎖するなんて……」

「本当だよ。既に西の支部は閉じた」

 

 簡潔に事実を告げられ、ジョルジュは言葉を失う。信じられない。顔にはまざまざとそう浮かんでいた。

 大陸最大規模と謳われるヘイムダルの巨大さに比例して、遊撃士協会の支部も相応の規模を有していた。ヴァンクール大通りを境に二分される街の東西二カ所に支部を置き、エレボニア帝国の遊撃士協会の中心となってきたのだ。ヘイムダルだけでも人口は莫大なものだ。舞い込んでくる依頼の数は並ではなかっただろう。

 その他国と比べても一大支部であろうここを閉じるという。信じられなくて当然だろう。トワ自身、話を聞いた時には冗談か何かと思ったくらいなのだから。だが、この支部内の冷え込んだ様子は現実に間違いなかった。

 

「色々とごたごたがあってな。来月の初めまでにはここも引き払わなくちゃならん。今はそのための後始末をしている最中って訳だ。残った依頼の片付けなり、帝都庁への引継ぎやら手続きやら、な」

 

 肩を竦めるシグナに悲壮感のようなものは感じられなかった。どうして、と問うても無駄なのだろう。彼に詳しい事情を語る気が無いのは「色々」と端折っていることから察せられた。

 

「まあ、そういう訳でお前たちには依頼関係の手伝いをして欲しいってことだ。俺の他にも一人残っている遊撃士がいるが、正直なところ猫の手も借りたい状態なんでな。たっぷり詰め込んでおいたから覚悟しておけ」

「それは構わないけど……伯父さんたちの依頼を私たちがやっていいの?」

「島じゃ簡単な依頼はお前に任せていたし今更だろ。何か言われたら俺の名前を出しておけ」

「ん、分かった」

 

 それが分かっていたから、トワは深く聞くこともなくシグナの話に合わせた。あっさりと流されたことでクロウたちの方は尋ねる機会を逸することになる。家族だからこそ分かる意思疎通に出し抜かれた形だ。

 そこでシグナは「どっこいせ」と親父臭い掛け声と共に立ち上がる。質問攻めにされる前にさっさと遁走しようとばかりに、そのまま玄関口に行ってしまう。

 

「もう行くの? せっかく姪っ子と会ったんだから、ちょっとはゆっくりすればいいのに」

「言っただろ、俺にも仕事があるって。お前もトワが無茶しないようしっかり見張っておくようにな……ああ、そうだ。終わったらまたここに戻ってこい。泊まる部屋は用意してあるからよ」

 

 口早に必要なことだけを伝えると、彼は「じゃあ頑張れよ」と肩越しに手を振って支部から出て行ってしまった。ノイは呆れたように溜息をつく。

 

「相変わらず忙しないんだから。いい歳なんだから、もう少し腰を落ち着けるべきなの」

「無理じゃないかなぁ。伯父さんだし」

 

 シグナを見送り、玄関口に目を向けたまま呑気にのたまうトワとノイ。片や姪の自分に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる伯父に、片や勝手知ったる長年の友人に対して好き勝手に言う。昔から変わらない落ち着きのない人、という認識は完全に一致していた。

 もう四十八歳になるというのに行動力は若い頃から全く衰えていない。元気なのは結構なのだが、そのせいか身を固める気配もないままに五十路間近となってしまった。もともと、その気が無いというのもあるだろうが。

 そんな色々な意味で気心の知れた家族関係を窺わせる彼女らに、クロウたち三人は微妙な視線を向ける。聞きたいことは山ほどあったというのに、聞くべき相手は姪っ子との巧妙な話運びでさっさといなくなってしまった。片棒を担いだ相手に胡乱な目を向けるのも仕方がないだろう。

 トワは苦笑いを浮かべる。分かってはいたが、実際にこうなると気まずい。

 

「えっと……気持ちは分かるけど、いま聞いても伯父さんは答えてくれなかったと思うよ。忙しいのは本当だろうし」

「そりゃそうだがな、こっちだって事情くらいは知っておきたいんだよ。お前が話してくれるのなら、それはそれで楽なんだが」

「残念だけど、私も詳しいことまでは知らないんだ」

 

 帝都支部の閉鎖、帝国における遊撃士協会の活動縮小。その切っ掛けになった出来事については幾分か知っている。だが、実際にそうなった詳細な経緯についてはトワも知り得ていなかった。シグナからそれとなく仄めかされていただけである。

 期待が外れて肩を落とす三人には申し訳ないが、知らないことは答えられない。結局のところ遊撃士協会の現状を深く知るためには伯父の気が向くのを待つ他なかった。

 

「色々と気になることはあるだろうけど、一先ずは任された依頼を頑張ろう。帰ってきたら伯父さんも話してくれるかもしれないよ」

「ふう、それに期待するしかないか。僕たちが気にしてどうなる話でもないけど、やっぱり気になるしね」

「試験実習の現地責任者を引き受けた経緯も伺いたいところだ。サラ教官との関係もね」

 

 アンゼリカの言に、それもそうだと一同は頷く。衝撃の事実が二重三重になって聞き損ねてしまったが、少なくともサラ教官を呼び捨てにするくらいの仲ではあるらしい。もしかしたら、列車中で話したノイのおぼろげな記憶のことも分かるかもしれない。聞いてみる価値は大いにあるだろう。

 そのためにもまずは、と渡された封筒に目を移す。持つトワの手にはそれなりの厚みが感じられる。どうやら「たっぷり詰め込んだ」という言葉に偽りはないらしい。

 

「じゃあ私たちも行こっか。伯父さんに聞きたいことはたくさんあるけど……その前に依頼を任されるに恥じない仕事をしないと」

 

 尊敬する伯父に任された以上、いい加減な仕事はできない、したくない。その気持ちは高名な遊撃士という認識の違いはあれど、他の面々も同じだった。

 応、と元気のいい声と共にトワたちもまた立ち上がる。分からないことは山積み、聞きたいことも知りたいことも沢山だ。だが、まずは自分たちの本分を果たすべく、彼女たちは意気揚々と緋の帝都へと繰り出していくのだった。

 




【シグナ・アルハゼン】
主人公ナユタの兄貴分。残され島の海岸に打ち上げられていたところをオルバスに拾われた過去を持つ。拾われる以前の記憶はないが、持ち前の行動力から両親が行方不明になって沈んでいたナユタを『便利屋』に誘い、彼を元気づけることになった。
サンセリーゼの自警団に所属。夏休みにナユタと一緒に里帰りしたところ、テラを巡る異変に関わることになる。仮面の剣士・セラムと戦ったのを境に姿を眩ませてしまうが……

【オルバス・アルハゼン】
残され島はずれの遺跡に居を構えるナユタとシグナの剣の師匠。シグナにとっては養父でもある。六年前に残され島に来て以来、島の用心棒のような役割を担っている。おかげで衛兵のドラッドには歩哨くらいしか役目が回ってこない。
ダンジョンで彼の鍛錬帳を埋めていくことで稽古をつけてもらえる。奥義の習得、コンボチェインの延長、武器や防具などの装備といった恩恵がある。ちなみに片手剣系の最強武器は鍛錬帳を最後まで埋めると彼からもらえる。

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