設定もとても面白かったので続編が出たりしないかなぁ、と思っていたり。倫敦ザナドゥとか海外に舞台を移しても面白いかもしれませんね。私の妄想ですけど。
発売から数週間して、ハーメルンでもザナドゥ二次が徐々に出てきている模様。長編を書く余裕はありませんが、私もそのうち中編くらい書けたらいいなと思っております。
「ぜえ……ぜえ……どっこいせえっ!」
ところ変わってトワの寮部屋。辿り着くや否や、クロウは息も絶え絶えに運んできたものを最後の力を振り絞るような声と共に床へ下ろす。そのまま仰向けに倒れ込んだ彼にトワは苦笑を漏らす。
「あはは……お疲れ様、クロウ君。運んでくれてありがとね」
「こ、扱き使ってくれやがって……何の怨みがあって俺にこんな糞重いもんを持たせるんだっつうの……」
「何って、君がイカサマしていたのが悪いんじゃないか。代償としては安いものだと思うけど」
「ズルをしたら罰を受けて当然なの。ちょっとは反省するの」
クロウは息を乱しながら文句を零すも、ジョルジュとノイからの正論によりすぐさま閉口してしまう。下手に口を開くのは墓穴を掘るだけのようだった。
ジョルジュもジョルジュで実際にイカサマに対して腹を立てていた訳でもないだろうに、それを口実にクロウを働かせるあたり強かというべきか、腹黒いというべきか。一点の曇りもない笑顔で「この荷物、運んでくれるよね?」と言った彼を思い出し、トワは少し苦笑いが引き攣るのだった。
「インチキ君は放っておくとして、早速荷解きをするとしようじゃないか。手伝うよ、トワ」
一方、ここまで荷物を運んできた存在など歯牙にも掛けない様子のアンゼリカ。どうやらトワの故郷から送られてきたという話を聞いて興味津々のようであり、受け取った本人よりも率先して開封せんばかりの意気込みである。焦らなくても逃げないから、と宥めつつ三人で思ったより厳重な封を解いていく。クロウは流石に休憩していた。
最後のテープを剥がし、箱を開ける。途端、中から香りが漂ってきた。その香りに三人は不思議そうな表情となり、そしてトワは懐かしさに目を細める。ノイもどこか嬉しそうな様子だ。
磯の香り、駆ける潮風。海に囲まれた故郷を思い起こさせる香りに郷愁の念が湧く。離れてまだ一か月ほどだというのに、もう随分と懐かしく感じられた。ホームシックなどではないが、故郷を離れて初めて感じるものに不思議な気分となる。
そんな気分に浸りつつも、荷物の中身を探っていく。どれだけの物を入れたのやら、箱一杯に隙間なく詰め込んであり取り出すにも苦労してしまいそうだ。トワはちょっと困ったような笑みを浮かべつつも、まずは一番上に置かれていた手紙に手を伸ばした。
「お母さんからの手紙みたい。ちょっと読んでいるから、その間に他の物を見てくれていてもいいよ」
「おっ、そういうことならちょっくら拝見……うごっ!?」
「はっはっは、この男にはしっかりと目を付けておくからゆっくり読んでいてくれたまえ」
ようやく復活したクロウを交えて中身を覗く三人を傍目に、トワは椅子に座って手紙の封を切る。迷う様子もなくノイもこちらへ飛んできて、トワの肩に陣取った。
「ねえねえトワ、クレハ様はなんて?」
「今から読むからそんなに急かさないでよ……えっと」
待ち切れない様子のノイに背を押されるように折られていた便箋を開く。トワ自身、少しばかり浮ついた心持ちで綺麗な文字で綴られた文言を追い始めた。
トワへ
士官学院へ入学して一か月、もうそちらでの生活には慣れたでしょうか。あなたはしっかりしているように見えて、ところどころ抜けているので私としては心配です。これを読んでいるあなた自身は「そんなことない」と思っているのでしょうけど。
こちらはあなたとノイがいなくなって家が広くなってしまった気分です。アーサさんとお父さんは勿論、ライラや村の皆もどこか寂しそうです。いつも元気に島を駆け回っていたあなた達だからこそ、こんな心にぽっかり穴が空いてしまったような気分になっているのでしょうね。
そこで皆にあなたへ仕送りをする話をしたところ、ぜひ自分からも送りたいという申し出をたくさん貰いました。おかげさまで大変な大荷物となり、あわや連絡船のボートが転覆しかけるという場面もありましたが、こうしてあなたが読んでいるということは無事に届いたということなのでしょう。もしかしたら部屋に運ぶのに苦労しているかもしれませんが、それだけたくさんの人の思いが詰まっているということだと思うようにしてください。
士官学院のカリキュラムについてはあまり心配していませんが、あなたは今まで残され島からあまり出ることなく育ってきたので、学院生活では新鮮な出来事で溢れていると思います。そして時には、辛いことや苦しいことがあるかもしれません。
けれど、どんな時もあなたらしさを忘れないようにしてください。迷ってしまった時には立ち止まって振り返ってみてください。あなたに送った思い出の欠片にはちゃんと刻まれています。あなたがあなたらしく在ることで、どれだけの笑顔をもたらしてきたのかを。私たちの愛する娘なら、どんな辛苦も乗り越えていけると信じています。
士官学院での生活が、どうか実り多き日々となりますよう――あなたに星と女神の導きがあらんことを。
クレハ・ハーシェル
「……もう、心配性なんだから」
読み終わり、ポツリと呟く。
最初の内はあまり気負いもなく書き綴っているのに、後半になるにつれてトワを案じる気持ちが滲み出てくるようだった。そんなに心配しなくても大丈夫なのに、とつい思ってしまう。
だが、悪い気はしない。むしろ胸が温かくなる心地だ。母からの無償の愛が感じられて、トワは満ち足りた気分になっていた。
「クレハ様らしいな。トワのことを凄く思いやっているのが伝わってくるの」
「うん、そうだね……」
何度か読み返しても、その温かみが変わることはない。予期せぬ便りではあったが、こうして送ってくれた母には感謝の念しかない。ちゃんと返事しないとね、と胸の内で呟くのだった。
しかし、読み返しているとふと不思議に思う。あなたに送った思い出の欠片、これは一体何のことを指しているのだろう、と。
「トワ、ノイ、ちょっといいかい?」
「あっ、うん。どうかしたの、ジョルジュ君?」
首を傾げているとジョルジュから声が掛けられる。手紙も読み終わったので応じると、何やら凄く興味深そうな彼と目が合った。
「何か面白そうなものでも入っていたの?」
「まあね。最初は日用品だったり魚の干物だったりで、それはそれで面白かったんだが……一番奥に、私たちではよく分からないものが入っていてね」
「やたらとデカい上に重いからな。荷物の重量の半分以上はこいつのせいだろうぜ」
やや恨みがましく箱の奥を覗くクロウに習い、トワも同じように覗いてみる。彼らが言うよく分からないものとは何なのかと思いつつ、やや暗い中身を見て、トワは思わず「えっ」と間の抜けた声を漏らした。
まさか。いや、でも、思い出の欠片とはこういうことなのか。
何やら落ち着かないトワの様子を見て周りは首を傾げる。本人はそんな周囲の視線など気にする余裕もなく、忙しなくダンボール箱の解体に取り掛かる。この重さだと上から持ち上げるより、箱自体を解体してしまった方が安全に取り出せる。焦りと期待が入り混じった彼女の表情は、どことなくプレゼントを貰った子供のそれに似ていた。
少し手間取り、ようやく解体する。そうして中から現れた物体に、三人はますます疑問を深め、トワとノイは驚き喜ぶ。窪みのある円形の台にランプのようなものが取り付けられた奇妙な置物。荷物の大部分を占めていた物体は、言うなればそのような形をしていた。
「ナユタの星片観測機なの! クレハ様たちったら気前がいいの!」
「わっ、わっ、貰っちゃっていいのかなぁ。確かに嬉しいけど……」
素直に感嘆するノイに対し、トワは嬉しくも戸惑ってしまう。そんな彼女らに外野から「あの」と言葉が差し挟まれる。
「何かいいものを貰ったことは分かるんだけど、そろそろ僕たちにもそれが何なのかを教えてもらえないかなぁ……なんて」
遠慮気味に言われて、トワは浮足立っていたことを自覚する。ついつい興奮してしまって事情を知らない人がいることを失念してしまっていた。
何はともあれ、これが何なのかを説明しなければ始まらない。恥ずかしげに頬を掻きながら口を開く。
「えっと、これは星片観測機っていうものでね。残され島の工芸品である《星の欠片》に収められている映像を映し出す装置なんだ」
「へえ……その星の欠片っていうのはどういうものなんだよ?」
「ちょっと待ってね。たぶん一緒に入っている筈……あっ、あったあった」
箱から取り出された荷物の山――やけに干物類が多い――を探り、目当ての品を発見する。丁寧な包装を広げると、淡い青の輝きを放ついくつかの水晶体が姿を現わした。
これが星の欠片。残され島近辺で採取される工芸品であり、そして星片観測機が文字通りに観測するものである。その幻想的な輝きに、あまり芸術的なものには興味がなさそうなクロウも含めて三人は見入ってしまう。それがなんだかトワには嬉しい。
するとアンゼリカが、ふと何かを思い出したような様子を見せる。
「ふむ、そういえば叔父上が似たようなものを収集していたような。私自身、これで何をするか知っている訳ではないが」
「星の欠片は好事家がよく買うものだから。アンゼリカの叔父さんも、きっとそういう人なの」
「ああ、それは確かに」とアンゼリカは納得したように頷く。
実際、星の欠片を買い求める人は貴族に多いと聞く。割と高価な芸術品の一種であることに加え、限られた地域だけで採取されるという希少性が貴族の購買意欲をそそらせるのだろう。
しかし、この星の欠片の本当の価値は高級さだとか希少性だとかで測れるようなものではない。それを知ってもらうためにも、トワは星の欠片の一つを手に取った。
「星の欠片には色々な風景が収められているんだ。それを読み取るための道具がこの星片観測機っていうわけなんだけど、読み取るのにも一手間かけなきゃいけないの」
「見た感じ、このランプの部分から光を当てて映像を投影するようだけど……何か細かい操作が必要なのかい?」
星の欠片そのものよりも星片観測機の方に興味がありそうなジョルジュが外観からその利用方法を推測する。その指摘は大雑把ながら間違いではない。トワは星の欠片と同封されていたメモ用紙を広げる。
「うん。複数の光を当てて像を結ぶんだけど、上手く投影するためにはそれぞれの光が差し込む角度や光量を調整しなきゃいけないんだ。だから星の欠片は一番映像がよく見える照射角の数値なんかと合わせて売りに出されるの」
メモ用紙に記されているのは、どの星の欠片がどのように光を当てれば映像を移すことが出来るのか、その詳細な数値。星の欠片を観測する上で欠かせない情報である。
無闇に光を当てても星の欠片はぼんやりとした像を浮かべるだけであり、何が収められているか判別することは出来ない。鮮明な映像を映し出すためには的確な照射角と、それを導き出す職人技とも言える技術がなければならない。
だからこそ星の欠片はまず星片観測士と呼ばれるプロフェッショナルに預けられ、そこで導き出された情報料込で商人が買い取り、しかる後に顧客の手に渡るという手順が踏まれている。高価になっているのは、その手間賃が掛かっているからとも言えるだろう。
ともあれ、講釈ばかりたれていても仕方がない。トワは手に取った星の欠片を星片観測機にセットする。メモに書かれた照射角を参考しながら、台の横のダイアルを操作して光を当てていく。観測機の台上に、次第にぼんやりとした蒼白い情景が浮かび上がり始めた。
「おお……すげえな、こりゃ。塔、なのか?」
「《ヘリオグラード》なの! 天蓋は割れていないから三十年以上前のかな……きっと新しく見つけたものなの」
やがてはっきりと像を結んだその光景に、クロウが思わず感嘆の声を漏らす。蒼い輝きの向こうに映る巨大な塔を見ての呟きに、ノイの興奮気味な声が続く。幻想的な光景を見てざわめく周囲に嬉しさを感じながらも、トワは次の星の欠片に手を伸ばす。
花が咲き乱れる艶やかな森、氷河に覆われ時が止まったかのような平原、天を衝く遥かなる峰々、溶岩が脈動する灼熱の大地。普通に暮らしていたならば絶対にお目に掛かれないような光景が、蒼い輝きの向こうに次々と映し出される。気付けば周りの三人は、感心を通り越し半ば放心して見入っていた。それ程までに美しく、荘厳であり、そして圧倒されるものがあったのだ。
「凄いな……まるで、この世の光景じゃないみたいだ」
それ以外に言葉が見つからないといった様子で感想を述べるジョルジュ。彼がそう感じるのも無理はない、とトワは思う。
「昔の人も、きっと同じように感じたんだろうね。この光景は『
「ロスト・ヘブン……古代ゼムリア文明の大崩壊と同時期に消滅したと言われる、遥か西方のレクセンドリア大陸のことか。だが、あそこは――」
過去に星の欠片の光景を見た人々は夢を抱いた。この蒼き輝きの向こうの幻想は、遥か昔に失われた大陸のものなのだと。自然の暴力も斯くやという嵐に阻まれ、生きて帰ることも適わない海の先に存在するものだと。
レクセンドリア大陸という1200年以上も前に消えたと思われた大地の記憶が、星の欠片に収められているのだと考えられていたのだ。それも自然なことだろう。この幻想的な光景と、辿り着けぬ秘境を結び付けてしまうのは当然のことに思える。
しかし、アンゼリカは否と言わんとする。過去の秘境は、現在においてもはや秘境ではなくなったのだから。
「そう、三十年前に嵐は消えて、その向こうに人々は夢見続けていた大陸を見つけた。今では第二十三次国際調査隊が送られていて、そろそろ大陸地図が出来上がりそうって話だよ」
道を阻んでいた嵐は突如としてその姿を消し、人々は進んだ先で夢見ていた大陸を発見した。人の手が入っていない豊かな自然に覆われ、様々な生命が息づくそこは秘境ではなく新天地となった。
発見から三十年が経った今も学者たちの興味は尽きず、国の枠を超えた調査隊が定期的に送られている。聞いた話では、調査のための拠点が一つの街くらいの規模を持っているそうだ。ロスト・ヘブンは、もう幻想の中だけの存在ではない。
では、星の欠片に収められた映像は何なのか?
ロスト・ヘブンが現実のものとなった今、蒼き輝きの向こうの光景はそれとは別のものと分かってしまった。結局、星の欠片に収められた光景は何なのかは一般に判然としていない。
「三十年前ね……妙に符合するじゃねえか。レクセンドリア大陸の発見も、お前さんの故郷に降って来ていた遺跡の元っていうテラの落下もよ」
「そうか、流星の異変……!」
そんな話の中、クロウは何かに思い至ったかのように目を細める。先月の実習でトワが口にした異変と、嵐が消えた時期の一致。彼の言葉にジョルジュもはっとする。
やはり彼は鋭いところがある。トワは言葉を選びながら口を開いた。
「確かに、星の欠片がテラ由来のものであることは間違いないよ。レクセンドリア大陸の発見も無関係じゃない。詳しく話せないのが申し訳ないけど」
「教会との盟約という奴か。それだけひた隠しにされると、どれだけ大それた話なのか気になってしまうね」
「……知らない方がいいかもしれないし、知った方がいいかもしれない話なの」
強い興味を示すアンゼリカに、ノイは迷うような素振りを見せつつも「でも」と続けた。
「もし、あなたたちが真実を知る時が来たのなら、その時はちゃんと受け止めて考えてほしい。当事者として望むことはそれくらいなの」
「う、うん……?」
盟約によって秘された異変の真相。それは確かに社会に混乱をきたしかねないものであるし、このまま何も知らない方が幸運なのかもしれない。
だが、仮に知る時が来たのであれば、その時は向き合って欲しい。あの災厄がどういう意味を持っていたのか、それに立ち向かった者たちがどんな思いを抱いていたのか。真実を知る者として、そう願わずにはいられない。
もっとも、今の彼らに言っても仕方がない。やや戸惑いつつも頷くジョルジュの気を解すように、トワは気安い声を掛けた。
「じゃあ残りの星の欠片も見てみようか。あと何個あるかな?」
「ああ、それならあと一個……ん?」
「どうかしたのかよ?」
星の欠片が入っていた包みを探るジョルジュが首を傾げる。中身をしげしげと見つめていた彼は、クロウの言葉に遅れて返事をした。
「いや……どうにも照射角が書かれたメモが見つからなくてね。これだけ付け忘れたのかな?」
思いがけない返事にえっ、と声を上げてしまう。渡された包みの中身を自分で確かめてみても、確かにメモは姿形もない。星の欠片が一つ、蒼白い輝きを放ちながら転がっているだけだ。
「クレハ様やアーサがうっかり入れ忘れることもないだろうし……もしかしたら自分でやってみなさいってことかもしれないの。試しにやってみたらどう?」
「そういうことなのかなぁ……ちょっと自信ないんだけど」
ノイの言葉に背を押され、最後の星の欠片を観測機にセットしておっかなびっくり操作を始める。先ほどまでの淀みのない作業は用意された答えがあってこそ。自分だけの力で映し出すとなると骨が折れる。
難しい顔をして照射角を弄り始めたトワを見て、周りもどうやら予想していたよりも小難しいものだと気付いたようだ。作業の進捗を窺いながら、遠慮がちに問うてくる。
「いけるのかい? 何やら複雑そうだが」
「一応、本職の伯母さんに教わったから何とかなると思うけど、やっぱり時間が掛かるのは間違いないかなぁ。しばらくくつろいでいていいよ」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらおうかね。手伝えることもなさそうだしな」
ぼんやりとした蒼い光を浮かべる星の欠片とにらめっこするトワの返事に対し、いの一番にクロウは応じる。どっこいせと椅子に腰かけると他の仕送りの中身を物色し始めた。手伝いようがないと見るや否や清々しいほどの割り切り振りである。
「しっかしまあ、見事なまでに干物だらけだな。保存が利くからっていうのは分かるが」
ひょいと袋詰めにされた魚の干物を拾い上げる。それと同じものが仕送りの中には両手で収まらないくらい詰め込まれていた。彼がそう言いたくなるのも分からなくはない。
「干物類は残され島の定番食品だからね。漁業が盛んだし、ほとんどおやつ感覚で皆食べているよ」
「なるほど、海に囲まれた離島だからこその食文化というわけか」
「それにしたって、この量は多いと思うけどね……」
「そうだねぇ……よかったら少し持っていってもいいよ。私だけじゃ食べ切れないし」
干物の山に苦笑いを浮かべるジョルジュにつられ、トワもまた困ったように微笑む。これだけの量を一人で食べるとなると月単位で時間が掛かってしまうだろう。
大方、島の漁師の人たちが良かれと思って詰め込んだのだろうが、トワは別に大食いでも何でもない。かと言って呑気に保存しておいたら、また別の干物が送り付けられそうなので友人たちにお裾分けするのが吉である。味に関しては申し分ない筈だ。
「それじゃあ遠慮なく」と早速開けた袋の中身からスルメを口に運ぶクロウを尻目に、慎重に星片観測機を操作していく。蒼い光が段々と輪郭を現し、そして再びぼやける、その繰り返し。その中から直感的に像がはっきりする照射角を見出していき、徐々に鮮明な映像を映し出していく。
「……これはもう、お邪魔しない方がいいのかな?」
「そうしてあげて。アーサみたいなベテランならともかく、この作業は凄く集中力がいるの」
次第にトワは作業に没頭し、ただ星片観測機が発する光の細かな調整に集中していた。アンゼリカやノイの小声での会話など耳にも入らない。そんな彼女を気遣って他の面々は残され島産の干物の品評に興じるのであった。
「……あっ」
始めてから三十分は経っただろうか。クロウが「酒が飲みたい」とぼやき始めた頃、黙して作業に没頭していたトワが声を上げる。
干物を口に運ぶのを休めた面々は、なんだなんだと日が落ち暗くなってきた部屋で淡く輝く観測機の方に向き直る。そこには先程までとは比べるまでもなく鮮明になった像が今まさに結ばれようとしていた。
バラバラだったパズルが完成するかのように、最後の微細な調整を加えることで星の欠片に収められていた映像はついに全体像を現わす。
それを目にしたトワは少し呆けてしまった。達成感によるものでもあっただろうが、何よりも眼前に映し出された光景が思いもしないものだったから。
「歳のいった兵士と……今より小せえが、お前か?」
「何かを届けたところを収めた映像のようだけど……はは、二人ともいい笑顔しているね」
幼いトワと年配の兵士が映った星の欠片。花咲くような幼少のトワの笑顔に釣られるように破顔する兵士の二人に、どことなく微笑ましい気分になる。
「そっか。クレハ様が手紙で言っていたのはこの事だったんだ」
「ふむ、幼いトワがとても愛らしいということはよく分かる映像だが」
「自分で見るのはちょっと恥ずかしいけど……うん、そういうことなんだろうね」
だが、トワとノイにとっては単なる懐かしい光景ではなかった。
――あなたに送った思い出の欠片にはちゃんと刻まれています。あなたがあなたらしく在ることで、どれだけの笑顔をもたらしてきたのかを。
手紙に書かれていた母の言葉と結びつき、伝えんとしていた意味がようやく分かった。胸に手を当て、温かな心地がじんわりと広がるのを感じる。
「これはね、私が初めて《何でも屋》の仕事をしたときの映像なんだ」
「何でも屋?」
「うん。お父さんと伯父さんが昔やっていた、島のみんなの困ったことを解決するお仕事」
若かりし頃の父と伯父がやっていたものの復刻版。昔とは違って魔獣退治などは遊撃士に頼めるようにもなったけど、物心ついた時から間近でその活躍を見てきたトワがお手伝いをしたいと言い出したのがその切っ掛け。まだ十にもなっていない子供に家族が提案したのが何でも屋の復活だった。
そして、その初仕事の様子がこの星の欠片である。
今でも覚えている。平和を通り越して呑気な島のたった一人の衛兵、ドラッドへの弁当配達。伯母の作る弁当が大好物という彼への差し入れが初めての仕事だった。
姪の仕事ぶりを見物していた伯父が作ったのか、あるいは単なる弁当配達とはいえちゃんと出来るのか心配して後をついてきていた母が作ったのか。どちらがこの星の欠片を作ったのかは知らないが、記念としてちゃんと保管してあったのだろう。
「赤ちゃんのお世話だったりとか、農作物の収穫の手伝いとか、本当に色々なことをやらせてもらったよ。たぶん、島のみんなもお父さんと伯父さんがやっていた頃が懐かしかったんだと思う」
「生徒会にしても特別実習にしても、妙に手馴れていると思ったらそういう下地があったのか。なんだか納得だな」
「しっかし物好きだな。いくら近所の手伝いとはいえ、面倒もたまにはあっただろうが」
「否定はしないの。観光客相手の時とか、小さいせいで侮られたりもしていたし」
「あはは……まあ、そうだね」
姉貴分が引っ張り出してきた苦労話に苦笑いしつつも同意する。時には自分の幼さゆえに及ばない事もあったし、相手の気質ゆえに上手くいかない時もあった。
「でも、不思議と途中で諦めようと思ったことは一度もないんだ」
しかし、トワは引き受けた仕事を放りだした事は一度たりとも無かった。どんなに困難だろうと、どれだけ邪険に扱われようとも、なんとかして解決してきた。精一杯考え、時には人の助けを借りて、そして何より彼女らしくある事によって。
星片観測機が映し出す幼き頃のトワは、屈託のない笑顔でドラッドの役に立てたことを喜んでいる。自分も誰かの役に立ちたい。そう思ったのが、何でも屋を始めた理由だったから。
「どれだけ大変でも、ありがとうって言ってもらえた時に、自分が誰かの役に立てたんだと思えたら、それまでの苦労なんか全部吹っ飛んじゃうんだ。それが凄く楽しくて……生徒会に入ったのだって、元を辿ればそういうことなんだと思う」
「そりゃまた筋金入りのお人好しと言うか、底抜けの善人と言うか」
「ふふ……だがまあ、それがトワらしさというものなのだろう」
何事にも一生懸命で、相手も自分も笑顔になれるよう最善を尽くす。それが何でも屋としてのトワの在り方だった。
自分の中では当たり前になっていて、だからこそ気付くことができなかった。何でも屋だろうと、生徒会だろうとやること為すことは変わらない。自分の気持ちに素直になって前へと進めばいい。
相手が貴族だろうと、自分の在り方を貫けばいいだけなのだ。
「ね、みんな。干物は美味しかった?」
「え? ああ、うん。美味しく頂いたよ。市販より深い味わいに感じたかな」
「これで酒があれば言うことなしだったんだがなぁ……」
「学生は飲酒禁止なの!」
未練たらしいクロウにノイのお説教が飛ぶ。喧騒を尻目にアンゼリカが微笑む。
「私もとても気に入ったよ。今度は焼いたものも是非頂きたいところだね。それがどうかしたのかい?」
突然の問い掛けに好意的な感想を述べつつも、その意図を聞いてくる彼女にトワは「そんな難しいことじゃないよ」と返す。単に彼らの、本土の人たちの口にも合うか聞いておきたいだけだった。
この反応を見る限りなら大丈夫だろう。量も十分以上にある。帰りに感じていた明日への心配は既に消え去っていた。
「ちょっと訪ね先に持っていこうと思っただけだから」
何やら楽しそうな様子さえ見せて言うトワに、三人はきょとんとするばかりなのだった。
――――――――――
翌日、自由行動日も半ばを過ぎた昼下がり。
所用で学院長のもとを訪ねていた会長は、目の疲れから眉間を揉みほぐしながらも学生会館の階段を上る。時間からして他のメンバーも中間報告がてら生徒会室で休憩を取っている頃だ。自分も少し休息を取ろうと思いつつも、その冷厳とした姿を崩すことなく歩みを進める。
一階から二階に上がり、ふと上に続く階段に目が行く。学生会館の三階は貴族生徒専用のサロンだ。会長も貴族生徒ではあるが、あまり利用したことはない。
無論、目が行ったのはそこを訪ねようと思ってのことではない。最近目を掛けている一年生に任せた仕事が上手くいったのか、少し気になったからだった。
(彼女ならば下手を打つことはないだろうが……)
1年Ⅳ組所属、トワ・ハーシェル。
奇特なことに最初の自由行動日から生徒会の門を叩いてきた小柄な少女のことを、会長は表には出さずとも買っていた。高い事務処理能力、明晰な頭脳、人の機微も察することができる。悪意に対して疎いところがあるようだが、それを差し引いても貴重な人材である。気が早いことながら、自分の後継として期待してしまうくらいには。
煩わしい貴族生徒からの駄々への対処を任せたのも、将来的に生徒会を取り纏めていく者として成長することを期待しているからこそ。貴族と平民が交わるこの学び舎で避けては通れない事柄に慣れさせるためであった。
彼女は甘い。優しくするだけでは立ち行かないこともあるのだと学ばせる必要がある。
甘いとは言っても有能であることには変わりない。最初に任せた依頼の時のように、ある程度はこちらの意図を理解して確実に対処してくるだろうという信頼もあった。だから会長も少し気に掛かる程度で済んでいる。
しかし、必要なこととはいえ任せたのは面倒事だ。いくら彼女でも時間は掛かるだろう。この時間までに生徒会室へは戻ってきていないと会長は踏んでいた。
階段の上に逸れた視線を前に戻し、部室が立ち並ぶ廊下を抜けて生徒会室の前に辿り着くまでは、そう考えていたのだ。しかし、そんな彼の想像は扉を開けた瞬間に打ち砕かれる。
「あっ、会長。お疲れ様です」
僅かな間、体が固まった。
来客用のソファに腰かけた件の少女が自然な様子で自身に挨拶し、他のメンバーも続いて「お疲れ様です」と声を掛けてくる。
それはいい。トワが既に戻ってきていたことは予想外だったが、少し見込みが外れただけのこと。意外には思えど、驚くまでの事ではない。
「フッ、お邪魔させていただいています。生徒会長」
「お邪魔しております」
問題は、それ以外。
来客用のソファに座るトワの対面に陣取るのは、華美が過ぎてやや気障になっている貴族生徒の男子と、その側に立つメイドの組み合わせ。会長の記憶が確かであるならば、名前はヴィンセント・フロラルド。トワに処理を任せた傍迷惑な依頼人の一人であったはずだ。
どのような経緯があって彼とその付き人と思しきメイドまでもが生徒会室に入り浸っているのか。さしもの会長にもすぐさまには理解が及ばない。巡り巡って友人になったとでも言うのだろうか。
それだけなら、まだよかった。何の偶然かそうなることもあるだろう。
「ハーシェル……その、茶請けに出しているのなんだ?」
「実家から届いたスルメです。よかったら会長もどうぞ」
だが、テーブルに並ぶ大量のスルメと生徒会室に漂う干物臭さが会長を混乱状態に陥らせていた。冷静沈着な彼も、他のメンバーがむっしゃむっしゃとスルメを口に運ぶ姿を見ては、どうしてこうなったと思わずにはいられない。
再び眉間を揉みほぐす。今度は目の疲れではなく、意味不明の状況からくる頭痛により。
内心の困惑など露知らず、純粋な好意から勧めてくるトワに「……いや」と返事をする。この混沌とした状況を整理しなければ、とても休息を取る気分にはなれそうになかった。
大きく息を吐く。正確な現状把握のために、まずは心を落ち着かせる。
「……幾つか聞きたいことはあるが、まず任せた対処は終わったのか? 依頼主のフロラルドがどうしてここにいる?」
どうして生徒会室がスルメパーティーの場と化しているかは置いておくとして、彼女に任せた事案の進捗を問う。生真面目な会長らしい優先順位の付け方だった。
それに対し、トワは自信満々に頷く。後ろ暗い様子など欠片もない。
「もちろんです。依頼を出していた部活、サロンとはちゃんと話を付けてきましたよ」
「手早いな」
口を衝いて出た言葉は、正直な感想だった。あれだけ図々しい要求をしてくる相手ならば、平民の分際で云々とごねるだろうと見込んでいた。それをこの時間までに片付けるとは予想を上回る手際の良さだ。
「はい。みんな、ちゃんと説明をしたらやる気を出してくれる人たちばかりでしたから」
だが、続く彼女の言葉に会長は理解が及ばなくなる。要求を断ったというのに、どうすればやる気が出るというのか。
疑問の答えは当然、彼女の口から語られる。
「今年頑張って活躍すれば、学院の評判が上がって来年度の新入生増加にもつながる。新入生が増えれば部活やサロンに割かれる予算も増える。すぐに要望には応えられませんけど、この方向で生徒会も応援するということにしてきたんですけれど……いけませんでしたか?」
表情の晴れない会長の様子を気にしてか、遠慮がちに対応の是非を確認してくるトワ。どうやら彼女は対処と聞いて、ただ拒否するのではなく代替案を示してきたようだ。
部費やサロンの諸経費の大本は学院の予算である。そして予算の多寡は生徒の学費、入学金によるところが大きい。即ち、入学者が多いほど予算が増えて、結果的に部活や諸活動に回される金額も多くなる。部活などが外部でも名が知れるほどに活躍して学院の知名度を上げたとなれば、その公算は更に確かなものとなるだろう。
彼女はそこに目を付けて、貴族生徒に欲求を満たす手法を示してみせたのだろう。ただ与えられるのではなく、自ら勝ち取ってみせろと。自尊心の強い貴族生徒なら簡単に乗せられたのは想像に難くない。
「……生徒にも不満が残らないという点では良いが、生徒会で応援するというのは具体的にどうするつもりだ?」
「他の高等学校や外部団体と積極的に交流を持つことで、部活の対外試合や生徒の外部イベント参加の機会を増やしていこうと考えています。そういった紹介でなら生徒会も力を発揮できると思いますし」
立て板に水というかのような返事からして、思いつきではなくちゃんと見込を立てた上での提案のようだ。話を聞く限り、会長としても実現可能性はそれなりにあると思われる。
しかし、それでも彼の口からは溜息が零れる。
「面倒の処理を任せた結果、まさか更に仕事を抱え込んでくるとはな。流石に私も想像していなかった」
「あ、あはは……すみません」
少しばかり嫌味を籠めた言葉に、トワは恐縮する。事後処理を任せたつもりが、何故か仕事が増えているのだから多少は文句を言いたくなるのも道理ではあった。
「まあ、いいじゃないですか会長。ハーシェルも頑張ってくれている訳ですし、ここで踏ん張らないと先輩の名折れって奴ですよ」
「そうそう。可愛い後輩の頼みなら、仕事が少し増えるくらいへっちゃらですよ、私は」
「……実際に動く君たちに文句が無いのであれば、まあいいだろう」
縮こまるトワを擁護するように生徒会メンバーから声が飛んでくる。生徒会全体で異議が無いのであれば、会長だけが難癖をつける意味もない。物分りの良い彼は折れることにした。
「自分で考えたからには当然、責任も伴わなければならない。それは分かっているな?」
「はい。後日にちゃんとした企画書を提出します」
「ならいい。フォローはしよう」
トワがパッと顔を明るくさせる。彼女の感情表現はいつも分かりやすい。
支持してくれた先輩メンバーたちに礼を述べるトワと、それに大したことはないと返す面々を見て、会長はふと気付く。トワが生徒会に入って一月ばかりにも関わらず、他のメンバーから確かな信頼を得ている事に。これも彼女の人徳が為せる技だろうか。スルメをむしゃむしゃと食べ続けているため絵面は冴えないが。
感心しつつもスルメを口に運び続けるメンバーに呆れていると、「んんっ」と気取ったような咳払いが聞こえてくる。発信源は生徒会室には珍しい客人だった。
「ハーシェル嬢。一区切りついたようだし、そろそろこちらの話に戻ってもよろしいだろうか?」
「あっ、うん。待たせてごめんね、ヴィンセント君」
会長が戻ってくるまでは彼と話していたのだろうか。様子を見て口を挟んできたヴィンセントにトワがはにかむ。会長としては何を話していたのか甚だ疑問なのだが。
「ヴィンセント君とは、ちょっと依頼の話が長引いてしまいまして。立ち話もなんですから生徒会室の方に来てもらったんです」
怪訝な顔から会長の疑問を察したのか、トワが経緯を説明する。納得できるようなできないような微妙な心地で「そうか」と返した。
「では、このヴィンセント・フロラルドのファンクラブ設立に向けての道程だが――」
やはり納得できない。ヴィンセントの最初の一言で会長の微妙な心地は即座に傾く。
荒唐無稽なことを尚も口にするこの輩を問い詰めてくれようか。氷点下の眼光を宿らせ、そう思い掛けたところ、横から「失礼」とひっそり声を掛けられた。今まで口を噤んでヴィンセントの傍に控えていたメイドが、会長の近くに寄ってきていた。
「申し訳ありませんが、もう少し見守ってくださいませ。悪いようにはなりませんので」
「貴方は……」
「申し遅れました。私、ヴィンセント様のご実家、フロラルド伯爵家から出向させていただいているサリファと申します」
「どうぞ、お見知りおきを」と会釈するサリファ。初対面ではあるが、それだけで彼女が優秀なメイドであることが分かる所作だった。おそらくはヴィンセントの目付け役も兼ねているのだろう、と会長は推測する。
そんな彼女が悪いことにはならないと言う。決して甘やかそうとしてのものではないだろう。会長は出かかっていた文句を一先ずは呑み込んだ。
一方、先輩と付き人のメイドがコソコソと喋っていることなど気付きもせずにトワとヴィンセントは話を弾ませる。その内容は確かにヴィンセントの無茶な依頼に端を発するものではあったが、もはや当初とは別方向に進んでいた。
「フッ、考えてみれば確かに即座にファンクラブを設立するのは無理があった……このヴィンセント・フロラルドの魅力を理解する者が少ない状態で、体裁を整えるだけでは無意味だ」
「まだ五月だしね。ヴィンセント君のことをよく知らない人も多いだろうし、ファンクラブ云々はともかく色々な人と仲良くなることから始めたらいいんじゃないかなぁ?」
「まずは優雅かつ華麗な姿を示すのが先決だったか……道を示してくれたことに感謝しよう、ハーシェル嬢。クラブ成立の暁には特別会員として招き入れることを約束しようではないか」
「あはは……期待しないで待っておくね」
何やら得心がいったようであるが、まず片手にスルメが握られている時点で優雅さとはかけ離れていることを彼は自覚するべきだろう。この場にそれを指摘する者は誰もいなかったが。
それにしても、最初の無茶苦茶な要望からよくここまで話を持っていったものである。苦笑いを浮かべているトワが、どのような手法を用いたのか会長としては気になるところだ。
「……最初は、私も面喰わされました」
再びサリファが囁きかける。抱いた疑問の答えを聞ける気がして、会長は耳を傾けた。
「どのくらいでヴィンセント様を諌めようか考えていたところに現れたハーシェル様は、要望をお断りする旨を伝える訳でもなく、ご持参したスルメを片手にお茶でもしようと誘われてきたのです」
「……スルメ片手に?」
冷静沈着の会長が唖然とさせられる。同じ学院生とはいえ、貴族相手にそのような真似を試みる平民がどこにいようか。恐れ知らずにもほどがあるだろう。
出だしから斜め上の話に調子を乱されるが、サリファの話は始まったばかり。重要なのはここからだった。
「ヴィンセント様も戸惑っておられましたが、渡されたスルメが思いがけず美味でして――」
「その話は結構だ」
「これは失礼。ともかくスルメで少し気を許されたヴィンセント様に、ハーシェル様は要望の理由をお聞きになりました。この時点でペースはハーシェル様が完全に握っておられ、後は巧妙な話に乗せられるがまま……」
この通りでございます、と締めたサリファの視線の先には空回り気味の貴族生徒と極まってお人好しな平民生徒という奇妙な取り合わせが、これまた妙に気が合ったように談笑する様子だった。無茶な依頼を断りに行かせたはずが、このような結果になるなど誰が想像できようか。
悪い結果ではない。だが、どうにも納得がいかない会長は憮然とした表情を浮かべる。何かが腑に落ちない。それが、彼がトワを素直に評価することを妨げていた。
対してサリファは、その落ち着いた容貌に僅かながら微笑を浮かべる。
「ヴィンセント様がどうなさるか楽しみにしておりましたが、ああも上手く丸め込まれるのは新鮮でございました。生徒会は有能な新人をお迎えになったのですね」
なにやら主人を娯楽の一種として捉えているかのような発言は気に掛かったが、そこは置いておくとする。他家の事情にまで踏み込む必要はないだろう。
それより会長には引っ掛かる言い回しがあった。トワはヴィンセントを「上手く丸め込んだ」と彼女は言った。傍から見れば確かにそうだろう。無茶を言う依頼主の懐に気を緩ませることで潜り込み、巧みな話術で意識誘導することで反感を買うことなく問題を解決した。トワがやったのは、簡単に言えばそういうことだ。確証はないが、他の依頼に対しても同様の手口を用いたのだろう。
だが、会長はその認識から違和感が拭えない。
どこに違和感があるのか、どうして違和感がするのか。思考に埋没し、しばし後に「ああ」と声を漏らす。
「素だったか」
違和感の所在を理解した途端、腑に落ちない感情も氷解する。トワの性質を考えれば、答えは瞭然であった。
丸め込もうなどと、彼女は考えていない。あるのは相手のためになるにはどうしたらよいのか、より良い結末を迎えるにはどうしたらよいのかという純粋な善意。その行動の末に結果的にそうなっただけであって、計算してこの状況に持ち込んだわけではないのだ。
納得すると同時に呆れてしまう。相手の心理を突く計算高さを持っているのかと思いきや、実際は究極のお人好しだ。見聞きした印象と本性が食い違っているのだから違和感があって当然である。
ヴィンセントと談笑するトワは実に楽しそうだ。謀をしたのであれば、あそこまで屈託のない笑顔を浮かべることはできないだろう。つまりは善意からくる素の行動で気難しい貴族生徒を容易く絆し、これまた純粋に相手のことを思っての提案をすることで納得させてしまったことになる。
それを理解し、納得し、脱力してしまう。心なしか大きな溜息が会長の口から漏れた。
「そうとなれば直近の機会は来月の定期テストとなるか。ならばこのヴィンセント・フロラルド、完璧な用意の下に学年一位の座に立つことで、まずは才気溢れる頭脳を知らしめてみせようではないか!」
「うん。その調子で頑張っていけば、ファンになってくれるかはともかくとしてヴィンセント君を認めてくれる人はきっといるようになると思うよ」
「ああ、助言に感謝するハーシェル嬢。行くぞ、サリファ! 手始めに今日の課題を片付けてくれる!」
「かしこまりました」
気の抜けた様子の会長を見てサリファは不思議そうだったが、それを問う間も無く彼女の主が声を上げる。何やら知らないが、当面の行動目標は定まったらしい。
学生として至極真っ当なことを述べつつ退室した彼を追って、サリファも一礼して生徒会室を後にした。客人二人がいなくなっただけで随分と静かになった気がした。
呑気に「頑張ってねー」と手を振って見送るトワ。彼女はヴィンセントが言っていた学年一位の座の前にはだかる最大の障害が自身であることを果たして認識しているのか。いや、きっと気付いていないのだろう。来月の試験結果を幻視して会長は再三眉間に手を伸ばした。
「……? お疲れみたいですし、お茶を淹れますね。よかったらスルメも召し上がってください」
故郷自慢の特産品ですから、と胸を張るトワに適当に相槌を打つ。いちいち指摘するのも面倒くさかった。結果はどうあれ、問題は解決したのであとは野となれ山となれと捨て置くことにする。
会長席に座るや否や出されたスルメを指でつまみ、しげしげと眺める。お茶を淹れに行こうとするトワの背中に会長は「ハーシェル」と声を掛けた。
「君は人誑しの才能があるな」
「はい?」
よく分かっていない彼女に「何でもない」と言ってスルメを口に運ぶ。釈然としないが、正直なところ美味かった。
【クレハ】
那由多の軌跡におけるキーキャラクター。テラの星の庭園で眠りについていたが、とある出来事を切っ掛けに目覚めてナユタと関わっていくことになる。ちなみに小説版ではシグナと一緒に拾われて最初から残され島にいることになっている。
【星の欠片】
内部に映像を収めた結晶体。残され島に落下してくる遺跡と共に発見され、同じく遺跡から発掘された星片観測機を使うことで映像を投影することができる。観測にはコツが必要であり、ナユタの姉、アーサなどの星片観測士がこれを生業としている。
【ロストヘブン】
荒れ狂う嵐の海域、世界の果てに存在すると言われる秘境。星の欠片が映し出す光景はここのものだと想像されている。ナユタの両親はロストヘブンは目指した末に帰らぬ人になった。
【ドラッド】
残され島の衛兵。ただし、あまり実力は期待できない。冴えないオッサンだが、後には力不足を感じてオルバスに鍛えてもらうなど気概はある。
【干物】
既出のロコモコ丼と並ぶ残され島の特産品の一つ。村長お気に入りの一品である。ちなみにもう一つの特産品は遺跡に滞留して結晶化した岩塩。