五月中旬。トリスタではライノが花を散らし、新緑が街を彩っていた。
入学から一月経ち、トールズの一年生たちもようやくこの士官学院での日々に慣れてきていた。そしてそれは同時に、各種授業が本格化することを意味する。
軍人以外にも優秀な人材を多数輩出してきたトールズの学業レベルは相当に高い。名門の名に違わない人物に育てるべく、日曜学校とは一味も二味も違う授業を課される生徒たちは四苦八苦する毎日を送っていた。
四月の試験実習を無事に終了し、一先ずは普段の学院生活に戻ったトワたちもそれは変わりない。一応は首席入学者のトワも、軍事学のナイトハルト教官から「優秀だが思考形態が遊撃士のそれ」と微妙な表情で注意されたりしている。導力学などの理系に造詣が深いジョルジュは逆に文系を苦手としており、クロウやアンゼリカに至ってはサボタージュの常習犯として名を上げつつあるという。
だが、それに苦労することはあっても頭を悩ませている訳ではない。士官学院である以上、軍規を重んじる教官の言葉は理解できるものであるし、ジョルジュも苦手だからと言って努力を惜しむタイプではない。サボり気味の二人も何だかんだ単位を落とさない程度には上手くやっているようだ。
むしろトワにとって、頭を悩ませている事は別にあった。
「うーん……またかぁ」
「どうした、ハーシェル。いつもは依頼を喜んでこなす
夕方の生徒会室。他のメンバーは既に業務を終わらせて寮に戻り、未処理の依頼整理をしているトワと諸般の事務作業を進める会長だけが残るそこに、思わず出した唸り声が響く。
普段の鉄面皮のままで皮肉を交えて問うてきた会長に苦笑いを零す。生徒会に所属して一月ばかり経ったが、こういう彼の物言いは悪気も何もない素のものだと理解していたからだ。それに否定できない事実でもある。
「いえ、ちょっと最近の生徒会への要望に偏りがあるみたいで」
あまり深刻に見えないように、少しだけ困ったような笑みを浮かべながら答える。悩んでいること自体はぼかした。会長の身分の事を考えると、やや相談しづらい内容だったから。
「なるほど。そろそろ、そういう時期か」
「え?」
「大方、貴族生徒あたりからの愚にもつかない文句だろう。違うか?」
違うか、と言いつつも明らかに確信を持っている様子の会長。その鋭さに脱帽する。トワが抱えていた依頼書の内容はまさにそれだった。
自分のぼかした発言など無かったかのように言い当てた彼に「よく分かりましたね」と頬を掻く。対する慧眼の持ち主は「余計な気遣いは無用だ」とのたまう。心中さえも正確に見抜かれてトワは乾いた笑い声を出すしかなかった。
ともあれ、気遣いは必要ないと言われてしまっては相談しない訳にはいかないだろう。気を取り直して依頼の束を広げる。
「貴族生徒の人……特に一年生から色々と要望が出ているんですけど、それがこちらとしては応じられないものも多くて。どうしたらいいかなって考えていたんです」
例えば、部費の増額や新たな部を作りたいといった部活関連の要望。これが一番多い。
既に今年度の予算は昨年度の生徒会で決まっているのだが、それでもあれが足りないこれが足りないと要求してくる。しかも、部長名義ではなく単なる部員である筈の一年生の名で、である。部内で決まった正当な要求かも怪しい。
対して新たな部を作りたいという要望は、それ自体は積極性があっていいと思う。しかし、問題はその中身である。依頼書に書かれている新たな部の活動内容は些か首を傾げてしまうものであり、学院側に掛け合っても承認されるとは思い辛い。正直、もう少しマシな部活は思いつかなかったのかという感想を抱くくらいだ。
「流石に自分のファンクラブを作りたいっていうのは無理がありますし……」
このヴィンセント・フロラルドという男子の頭はどうなっているのか。さしものトワも引き攣った笑みしか浮かばない。
他にも学生会館三階の貴族生徒専用のサロンを拡充して欲しい等々。どう考えても予算が足りるとは思えない要望が片手では収まらないくらいに来ているのだ。これらをどうしたものか、というのが今のトワの悩みであった。
「そういうのを言ってくるのは大抵、領地で好き勝手やっていた頃の甘ちゃん気分が抜け切っていない輩だ。士官学院で過ごす以上、規則は尊重せねばならんというのに、毎年の如く現れる」
「やっぱり無理な頼みですよね」
「ああ、無理だ」
そんな悩みの種を会長はバッサリと切り捨てる。表情は変わらずとも、その皮肉は痛烈である。
「しかし、放っておいたら騒ぎ始めて五月蠅くて敵わん。明日の内に対処せねばな」
「対処って……普通にお断りするだけじゃ駄目なんですか?」
生徒会にくる依頼は可能な限り受諾するようにはしているが、時には依頼内容に問題があったり、一生徒の手に余ることがあるので断ることもある。そうした際は依頼人に受諾できない旨を連絡するようにしている。
それと今回も同じなのではないかとトワは思っていたのだが、会長の口振りからは少しばかり物々しい雰囲気が伝わってくる。普通とは何か違うのだろうか、と首を傾げてしまう。
いまいちピンと来ていない彼女を見て、会長は「ふむ」と何かしら考えているような声を漏らす。一拍おいて彼は逆に問い掛けてきた。
「君は離島の出身だったな。貴族と関わることは少なかったのか?」
「え? そ、そうですね。島に隠居されているご夫妻以外には、観光客の人を何度か見かけたくらいで」
「ご隠居……そうか、先代のビクター男爵は離島に別荘を拵えて移り住んだと聞いていたが、君の故郷だったか」
納得したように頷く会長であったが、そんな彼にトワとしては驚かされていた。まさかご隠居と言っただけで先代ビクター男爵のことと分かるとは。どうやら彼は貴族社会の情報に随分と明るいらしい。
トワの驚きなど知る由もなく会長は「まあ、あの方は例外だろう」と続ける。何の例外なのかはさっぱり分からないが。
「ハーシェル。明日の自由行動日、君にはそれらの依頼人への対応に回ってもらう」
そして唐突に告げられた明日の活動予定の意味も、また分からなかった。
「通常の業務や依頼は他の者に任せて構わん。それらの依頼を後腐れなく片付けてくるように」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください。片付けてくるようにって、要するに依頼をお断りするということですよね? どうして明日一日かけてまで……」
「甘ちゃんに道理を弁えさせるのは中々苦労するということだ。何、君ならばやって出来ない事もあるまい」
わざわざ断って回るのに一日使う意図が掴めず、やや狼狽しながら説明を求めるトワ。それに対する返答は実に簡潔で、それでいて抽象的なもの。会長はこういうところで明確な答えを示してくれない性質だった。
曖昧な答えにトワが疑問符を浮かべている間に、会長は音も無く立ち上がると荷物を纏めていく。話している最中も作業の手を止めていなかった彼の本日の業務は既に終了していた。実に器用である。
ソファでうんうんと頭を悩ませるトワの横を通り過ぎる。会長が帰寮の途につこうとしている事に彼女はようやく気付いた。
「明日の健闘を祈る。君に女神の加護があらんことを」
「あっ、かいちょ……!」
バタンと扉が閉められ、白の制服の背中を隠す。追いかけることも出来ず、トワは遠ざかっていく革靴の足音をただ聞き届けるしかなかった。
改めて依頼書に目を落とす。そこに記されているのは到底応えられるとは思えない無茶ばかり。会長の言葉からして、断るにも何かしらの面倒があるに違いない。
「……どうしよ」
『どうしようもないの』
悄然とした呟きへの返答はにべもない。姉代わりの言葉にトワはがっくりと肩を落とした。
――――――――――
「それは君、会長殿からの愛の鞭という奴だろうさ」
「あ、愛の鞭?」
日も暮れて空に星が瞬くトリスタの街。士官学院へと続く坂道を下る最中、隣に並んで歩く友達が発した素っ頓狂な言葉にトワはオウム返しになってしまった。
『ちょっと、あまり変なことを吹き込まないで欲しいの』
「言葉の綾さ。他意はないし、そもそもあの堅物会長に似合わない言葉だとは百も承知だとも」
言った本人、アンゼリカといえば、過保護な事に文句をつけてくるノイに楽しげに笑うのみ。変な言い回しをしてくるのはたまに困るが、これもまた彼女の魅力なのだろうとトワは苦笑いを浮かべる。姿なき妖精から溜息が零れる音が聞こえた。
兎にも角にも依頼の整理を終え、しっかりと戸締りをした上で生徒会室を辞したトワは、わざわざ学院内で時間を潰して待っていたというアンゼリカと共に帰路についていた。こんな遅くまで待っていなくてもいいのに、と言いはしたが、相手から「待っていたくて待っていただけさ」と返されては仕方がない。談話に興じつつ三人は寮への帰り道を歩いていた。
そこで、ふと会長から任された貴族生徒からの要望の件を口にして、返って来た言葉が素っ頓狂なそれである。アンゼリカは「言い方は別にして」と続ける。
「まあ、語意に関してはそう的外れでもないと思うがね。会長殿は故郷で貴族と関わりがあったか聞いてきたのだろう?」
問い掛けに若干戸惑いを覚えながらもトワは頷く。どうやら冗談だけで言った訳ではないらしい。
「つまりはトワに貴族との関わり方を学んで欲しいのだろう。私が言うのもなんだが、貴族生徒の中には横柄な輩がいるのも確かだしね。そういった連中の相手をして経験を積めということさ」
「うーん……理屈は分かるけど、そんなに大袈裟なことなのかな? ちゃんと説明すれば分かってくれるんじゃ……」
アンゼリカなりの解釈による会長がこの件を一任してきた理由は分かったが、どうにも納得できずに小首を傾げてしまう。いくら貴族でもそこまで話が分からない相手とはトワには思えなかった。
しかし、アンゼリカはやれやれと言うかのように肩を竦める。その表情は呆れと好ましさが入り混じり何とも表現し難い。
「君が思っているよりも傲慢な人間というのは多いものだ。特に、領地でぬくぬくと育ってきた貴族の子息子女にはね」
彼女の言うところによると、貴族の子息子女の中には理屈だけでは話が通じない相手もいるようだ。それこそ、全てが自分の都合通りに動くとでも思っているかのような勝手な人もいるらしい。親が治める領地で好き勝手してきた感覚が抜けないがために、そのようなことになっているのだろうと。
無論、全ての貴族生徒がそうと言う訳ではない。理路整然とした人物もいれば、身分に拘らず気さくな人物もいるだろう。会長や目の前のアンゼリカのように。
ただ、自分勝手で人の話を聞かない相手も確かにいるのだと、アンゼリカは言う。基本的に人の事を悪く考えないトワに対して、そういう自分本位な輩もいるのだと教え込むように。
「まあ誤解が無いように言っておくと、勝手な連中も決して無能と言う訳ではないということだ。伊達に生まれが良いわけでもなし、それ相応の教養はあるだろう。それを活かすための人格が成熟していないだけでね」
『ふーん……ところで他人事みたいに言っているけど、アンゼリカ自身はどうなの? 色々勝手をしているのは変わらないの』
「心外だな。私は自分に素直に生きているだけさ」
ノイの疑問にアンゼリカは何も恥じるところは無いとばかりに胸を張って答える。それのどこが他の人と違うのかは今一つ理解が及ばなかったが、彼女が周りに迷惑を掛けたという話を聞いたことがある訳でもなし、たぶん大丈夫なのだろう。人に誇れるものであるかどうかは別にして。
そんな自分勝手というよりは自由人なアンゼリカの言に曖昧な笑みを浮かべつつも、トワは内心で考え込んでいた。アンゼリカの話を聞いて、自分が思っている以上に大変な仕事を任されたのだと分かったからだ。
入学してからこれまで、貴族生徒と関わることはあまり多くなかった。普段から話すのは導入試験班の仲間であるアンゼリカ、そして会長をはじめとする生徒会メンバーくらい。彼ら彼女らは理知的で、貴族らしい高貴さというものは感じたが、傲慢といった言葉とは無縁である。だからトワは他の貴族生徒も皆そうなのだろうと何となく思っていた。
だが、それは違うという。道理を説くだけでは解決しない人がいるというのなら、果たしてどうすればいいのか。考えもしていなかっただけに咄嗟に解決策は浮かんでこない。
そうこうしている内に坂道は終わり、三叉路になっている広場まで辿り着いていた。トワが住む第二学生寮はここから左手の坂道を下った先、アンゼリカの住む第一学生寮は右手の階段を上った先である。平民生徒と貴族生徒で学生寮は分けられているため、一緒の帰り道はここまでだ。
名残惜しいが、今日のところはお別れである。アンゼリカの方に向き直り「じゃあ」と別れの言葉を口に仕掛けて、ふと気付く。
「ん? どうかしたのかい?」
「どうかしたって……アンちゃんの帰り道、反対側でしょ。こっちは第二学生寮だよ」
どう考えても一緒についてくる気満々なアンゼリカ。早くも坂を下りようと足を向けている彼女に疑問を呈する。返答は悩む間など存在しないほどの即答であった。
「ふっ、つれない事を言わないでくれたまえ。少しばかり君の部屋にお邪魔して親睦を深めようというだけさ」
『……それを「だけ」と言える厚かましさは、とても真似できないの』
「いやはや、悪いが褒められても何も出せないよ」
『褒めてないの!』
うがーっ、と声を荒げるノイ。都合のいい解釈をするアンゼリカに腹を立てる彼女を、どうどうと宥めながらもトワは軽く諦めの境地にあった。
ああ、彼女は本当に自由なのだな、と。
素直に帰る様子もなさそうなので「あまり遅くまではダメだよ」と一応の釘をさして招き入れる事にする。即座に返って来た「勿論だとも」という言葉がどこまで信用できるかは微妙なところだが、浮かんでくるのはまったくもうという仕方なさそうな笑みだけだった。
扉を開き、寮の中に入る。陽が沈んだ後とは言え、まだ寝るには早い時間ということもあってか玄関近くの共有スペースにはそれなりに人がいた。友達と話し込む人、一人で読書に勤しむ人、過ごし方はそれぞれだ。
そんな中、談話スペースのテーブルでカードゲームに興じていた二人組がトワたちに気付く。
「やあトワ。生徒会のお勤めご苦労様」
「げっ、なんでお前までいやがんだよ」
「随分な言い方だね。私がここにいたら何か不都合でもあるのかな?」
極々普通に声を掛けてきたジョルジュに比して、姿を認めるや否や嫌な顔をしたり不敵な笑みを浮かべたりするクロウとアンゼリカ。顔を合わせる度にこの調子なのでトワも慣れてしまった。もう少し仲良く出来ないのかな、とたまに思うくらいである。
テーブルの上と二人の手中のカードを見遣る。テーブルに山札、手中にはそれぞれ同じ枚数のカード。その様子を見て二人が何をしていたのか大体の察しがついた。
「ブラックジャックかな。どんな感じなの?」
無邪気に聞くトワに、ジョルジュが苦笑いを浮かべる。「どうも何も」と彼は少し情けなさそうに口にした。
「さっきから何回かやっているけど、僕のボロ負けさ。そこそこ良い手札は来ているんだけどね……スタンド」
「おっ、今回は少し自信ありそうじゃねえか。じゃあ俺はもうちょい引かせてもらおうかね」
五枚の手札で勝負に出ることを決めたジョルジュに対して、クロウはそこから更にヒットする。下手したら21以上の数字――バーストになりかねないのに随分と強気だ。それとも手札の数字がそれだけ小さいのか。
ギャラリーの憶測を余所にクロウは六枚目のカードを引く。そして手札に加えたそれをしばらく眺め……あろうことか、七枚目のカードに手を伸ばした。
相手のジョルジュは勿論、観客のトワやアンゼリカさえもこれには驚きを露わにする。六枚だけでもかなり綱渡りの勝負である筈なのに、そこから更に一枚引くとは普通では考えもしない。七枚目ともなれば、勝つためには最強の役を揃えるしかないからだ。
「セブンカードでもやろうというのかい? 流石に無謀だろう、それは」
「俺のツキを見縊ってんじゃねえぞ。まあ、黙って見てなって」
ブラックジャックに存在する役は二つ。二枚の手札で21にする『ブラックジャック』と、バーストせずに七枚の手札を揃える『セブンカード』だ。クロウがやろうとしているのは後者。役が出来れば前者のブラックジャックさえ打ち負かすが、かなりリスキーと言わざるを得ない。
だからアンゼリカも口を挟んだのだが、プレイヤー本人は意にも介さず山札に手を伸ばす。どうすればそこまで自信が持てるのやら、とトワは不思議に思う。
山札からカードが引かれる。それを表返し、一瞬の沈黙の後、クロウはニヤリとした。
「くっくっく。さあ、これで俺もスタンドだ。勝負といこうじゃねえか」
「やたらと思わせぶりだね……今更になってブラフというのも無意味な気がするけど」
「ブラフなんかじゃねえよ。この最後のカードこそが、女神からの贈り物だったのさ」
疑いの目を向けるジョルジュに、彼は最後に引いたカードを見せつけるように掲げる。まるで、その一枚が最も重要な役割を秘めていると言わんばかりに。
その様子を漫然と見ていたトワは、ちょっとした違和感に内心であれ? と首を傾げた。
些細な感覚に気を取られている隙にもゲームは進む。二人ともスタンドしたことでテーブル上に開かれる手札。ジョルジュは五枚合計で20。そしてクロウの七枚の手札は……合計で21に収まっていた。
「……はあ、参ったね。完敗だよ」
「ふむ、まさか本当にやってのけるとは」
「だから言っただろうが。これが実力だよ、実力」
見事にセブンカードを達成し勝利してみせたクロウは得意げに言う。負けた相手のジョルジュは勿論、疑わしげな発言をしていたアンゼリカもこればかりは言い返せない。
「ねえ、クロウ君」
ただトワだけが、純粋に感心するでもなく不思議そうな顔をしていた。
「あん? なんだ、コツでも教えてほしいのかよ?」
「ううん、そうじゃなくて。気のせいだったらいいんだけど……最後のカード掲げている時、左手で何かしてなかった?」
ひくり、と得意げな笑みが引き攣る。何やら雰囲気が怪しくなってきていた。
ジョルジュに向けて最後のカードを掲げて云々言っていたあの場面。わざとらしく目立たせていたカードを持つ右手とは反対側で、人知れず手札に何かしていたようにトワには窺えた。
チラリと見えただけなので確信はない。しかし、一応の確認の意味で問い掛けてみればこの反応である。そんな様子を見せられては、不思議は疑惑へと変わっていく。
「さ、さあ。何の事だか。お前の気のせいじゃねえのか?」
「ははぁ、なるほどね」
すっ呆けた返答をするクロウを見て、アンゼリカがピンときたように表情を明るくさせる。一緒に過ごしていて理解した。これは個人的に面白いことを思いついた時の表情である。
音も無く足が踏み出され、一息に距離が詰められる。瞬時にクロウの左手はむんずと掴み取られ、捻り上げられる。「いってぇ!」と抗議の声を上げるも、それに気を取られる相手はこの面々の中には存在しなかった。
無理もない。三人の視線は、捻り上げられた時に左手の袖口から零れ落ちた数枚のカードに集中していたのだから。
「……クロウ君?」
ジト目のトワにそっぽを向いて口笛を吹き始めるクロウ。尚、全く誤魔化せていないのは言うまでもない。
「はぁ……つまり、僕の負けが込んでいたのはイカサマが原因ってことでいいのかな?」
「わざとらしくカードを掲げることで視線を誘導し、その間に手札をすり替えて数を調整していた訳か。姑息な手を使うものだね、君も」
「う、うるせえ! これも立派な技術なんだよ!」
「その技術とやらもばれてしまえば薄汚い手にしか見えないがね」
至極もっともなことを言い返されてクロウはぐぬぬと歯軋りする。左手は捻り上げられ、反論の糸口も見つからない。完璧に彼の負けだった。何に負けたのかは知らないが。
そんな様子を見ながら、ジョルジュは「まあ、何か賭けていた訳でもないからいいけど」と肩を竦める。寛容だなぁ、とトワが無自覚に人のことを言えないようなことを思っていると、彼は思い出したかのように声を上げた。
「そういえばトワ、君宛に荷物が届いていたよ」
「え、私に?」
「ああ。ほら、あれさ」
ジョルジュが指差す方向に目を向ける。寮部屋の番号が振られた郵便受け。生徒個人宛ての手紙やら荷物やらが届くそこに、一際目立つ物体が置かれていた。やたらと大きいダンボール箱で、隅に置かれていなければ通行の邪魔になるのではないかと思うほどのものだ。
未だ何か言い合うクロウとアンゼリカを放っておき、近づいて荷物を調べてみる。サイズはトワの腹のあたりまであるくらいで、彼女の背が低いことを考慮しても随分と大きい。ほぼ正四面体のそれをちょっと持ち上げようとするが、かなりの重さで断念してしまった。
大きさと重さを確かめたところで、上面に張り付けられた伝票に目が行く。帝国で一般的な配達業者のそれであることを認め、送り主の名前を見たトワは「あっ」と声を漏らした。
「この荷物、お母さんからだ」
『クレハ様からっ?』
思わず声音に嬉しそうな色が混じる。寮に入ってからは沈黙を保っていたノイも、思わず声を出していた。後を追って近づいてきたジョルジュは、それを聞いて微笑ましげだ。
「親御さんからの仕送りか。それにしてもまあ、随分と大荷物だと思うけど」
「そうだねぇ。何が入っているのかな?」
仕送りで何か送ってきてくれるにしても、この大きさと重さは普通じゃない。単純に服飾品や食料品の類だけではないだろう。家具の一つでも詰め込んであるのではないかと想像するが、開けてみなければ確認のしようがない。
とはいえ、寮の玄関口で開封する訳にはいかない。せめて自分の部屋に運び込んでからにするべきだろう。
「でも、ちょっとこの重さは運ぶのに困るというか……」
が、肝心の荷物が容易に動かせないほど重くては部屋に運ぶのも儘ならない。トワの寮部屋は上階にある。この重量のものを、階段を上って運ぶのは女手では少し無理をしなければならないだろう。
申し訳ないが、誰かに手伝ってもらおうか。トワが考えていると、ジョルジュが「ああ、それなら」と言う。
「そこに丁度いい働き手がいるじゃないか」
いい事を思いついた、とばかりに彼はにっこりと笑って視線を移す。その先、アンゼリカにようやく左腕を放してもらって擦っていたクロウは、向けられた目に疑問符を浮かべていた。
【ビクター男爵】
残され島を訪れた帝国貴族。多数の貴族が出資しているヴォランス博士の研究状況を視察しに来たのだが、自由すぎる博士に振り回されいる模様。そんな中、旅行がてら一緒に来た家族と擦れ違いが起こってしまい……