【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第九十七話 掴んだ可能性

夜――バーラエナ・“久遠の安寧”本拠地

 

 各国の政府や他所の組織から隠された場所にある、裏界最大規模を誇る組織“久遠の安寧”の本拠地。

 その中にある一室でトップを務める白髪混じりの男、ルーカス・ライムント・ヴォルケンシュタインは、各地方から寄せられた同組織の構成員たちが殺されたという報告書を片手に憤っていた。

 

「おのれ、相手は小僧一人だと言うのにまだ始末出来んのかっ」

 

 幹部と構成員を合わせれば、既に殺された人数は七千人を超えている。犯人のこれまでのキルスコアにそれを足せば、たった一人で一万人近い者を殺めていることになる。

 娘の話しを信じるのであれば相手はたかだか十四年しか生きていない少年一人だ。

 それを本職のプロたちが集団で掛かっても仕留められないとは、向かった者たちはプロのフリをした素人ではないのかと疑ったほどである。

 このまま構成員が殺され続ければ、いずれ本拠地の場所を知る者にも出会う事だろう。

 本拠地を知れば当然向かってくるはずなので、相手が攻め込んでくれば敷地内に存在する全ての兵器で応戦するつもりだ。

 建物内部に侵入されればそれこそ終わり。現状、最強の駒であった仙道を超える戦力となる者は組織にいないので、その仙道を殺してしまった敵を屠るのは中々に難しい。

 

「クソっ、蛇共を遣わせようにも敵の動き方が不規則なせいで配置できん」

「あら、それでは特定の施設へ向かうよう誘導してはいかがですか?」

 

 ルーカスが執務机で苛ついた様子を見せていたとき、客用のソファーに座って優雅に紅茶を飲んでいたソフィアが一つの提案を告げる。

 ここは久遠の安寧でもごく限られた幹部にしか知られてない場所だ。ソフィアは外の拠点に出ていたが、外部の者に居場所を知られぬように他の者たちは基本的にこの場所を出ることはない。

 ルーカスも表の会社であるEP社の顔役として出る事もあるが、基本はここからテレビ電話などで会議も済ませることで、この拠点が湊をはじめとした敵対勢力にばれずにいた。

 流石の湊も、まさか久遠の安寧が小さいとはいえ国一つをほぼ掌握し、それを自分たちの隠れ蓑に使っているとは思うまい。

 そんな事も知らずに現在も幹部を殺し続けてこの場所を探している相手を滑稽だと、ソフィアは口元を歪めながら報告書をテーブルの上に置いて、先ほどの話しの続きを父に話す。

 

「部下たちに重要拠点だと報せ、そこに行かせては絶対にならないと厳命を出すのです」

「ふむ、やつが心を読むのを逆手に取り、部下たちには施設のおおよその場所と重要な場所であることだけ伝えておくのか」

 

 施設の詳しい場所や用途など部下に知らせておく必要はない。上層部が部下たちに命令してでも守らせたいと相手に思わせることが重要なのだ。

 拠点防衛に当たっていた者の内、久遠の安寧に所属している者のみが殺されていたことから、湊が他人の記憶か心を読む力を持っているのはほぼ確実だ。

 だからこそ、この偽の情報を知ったならば、こちらの戦力を削ぐ事を目的に動いている相手は乗らざるを得ない。

 例えそこに優れた個の力を誇る名切りと対極な、徹底的に集団戦闘に特化することを目指した暗殺者一族“蛇”の者が待ち構えていたとしても。

 とはいえ、ソフィアの考えた案の有用性は理解したが、もしそれを実行に移すとすればどこかしらの施設を囮に使う必要が出てくる。

 ソフィアが過ごしていたような屋敷では囮にはならないので、消去法で海外の支部か研究所を使う事になるだろう。

 下手な施設を囮に選んで破壊されれば甚大なダメージを負う事になるため、ルーカスは難しい表情で考えながらソフィアに言葉を返した。

 

「しかし、誘い込むのに適した場所など我々は持っていないぞ。ある程度の規模を持つ施設でないとすぐにばれるだろう。だが、規模が大きい場所は何かしら重要な役割を持っている施設という事になる。以前、ソフィアがしたような施設一つを囮に使う作戦などそう出来る物ではない」

「ええ、分かっておりますわ。ですから、我々のではなく他所の施設を使います。蛇を置いておけば重要施設だとカムフラージュも出来ますし。問題はありません。心配ならさらに時間差で仕事屋が向かうようにしておけば良いのですわ」

 

 涼しげな顔でくすくすと笑って答えるソフィアには、ルーカスたち上層部とは別の思惑があるのだろう。

 ルーカスにとっては自分の娘だが、遺伝子操作のおかげで才能を早期に開花させ、さらに数年前に守護天使なる力を手に入れてからは意見一つ返すにも気を遣っているため、機嫌が良いのならそれを下手に損ねぬよう、裏の思惑を尋ねることを彼は避けることにした。

 組織のトップはルーカスが務めているものの、実際に権力を持っているのはソフィアなのだ。

 故に、大人として親として情けないと思われようが、自らの安全のために彼はソフィアの提案を聞きいれ、彼女の言う通りの場所に湊を誘導する作戦を実行に移すのだった。

 

 

12月1日(金)

午前――高級別荘地・桐条別宅

 

 湊を救うため名切りの情報を伝えようと桜と連絡を取った英恵。

 彼女は現在も保養地の桐条別邸にいながら、桐条の保有するサーバから湊やアイギスに関わる情報を桜たちに伝える役目を負っていた。

 交換条件として桜から彼女たちが得た湊の情報を教えて貰えるが、今のところ湊を巡る情勢がどんどんと悪くなっていることしか分かっていない。

 そんな流れを変えるために、一部の事情を知る者たちがアイギスを捜索して情報を渡せるように動いていることも聞いてはいるが、残念ながら捜索は難航しているようであった。

 

(桐条グループも彼女を見つけられないでいる。八雲君の知り合いの方と違って、アイギスの向かっている先を把握出来ていないのだから当然ね。だけど、八雲君が力に目覚めて既に三ヶ月が経とうとしている。時間はほとんど残っていないと思っていいわね)

 

 今日もまた桐条のサーバにアクセスして捜索状況に目を通すが、探している地域が広いだけでそれぞれが離れ過ぎていることもあり、実際に調べている範囲はかなり穴だらけであった。

 アイギス本人は、飛行機が不時着した地点から湊のいるヨーロッパ方面を目指しているというのに、桐条グループは支部のあるロシアやアフリカの方まで探していることもあって、事情を知っている英恵はもどかしい気持ちから真実を夫に伝えてしまいたい衝動に駆られる。

 しかし、それは無駄にグループの者を死なせることに繋がりかねないので、傍に置いていた紅茶を飲む事で心を落ち着かせると、英恵は深呼吸して自分が取れる手段を改めて整理することにした。

 

(アイギスと通信が出来れば八雲君の知り合いの方と合流して貰う事が出来る。けど、彼女は自分が連れ戻されることを危惧して通信を意図的に切っている)

 

 桐条側から強制的にアイギスへ通信を繋ぐ方法がないか調べてみるも、サーバには彼女の設計図等は保存されていないため、断片的に残っている彼女の運用試験データから情報を拾うしかない。

 もっとパソコン関係に明るければ、重要機密として隠されているデータを見つけて復元や閲覧することも可能なのかもしれないが、残念なことに英恵にはそれだけのスキルはない。

 現在のこの調べ物とて夫やグループの情報部に怪しまれぬよう、娘と特別課外活動部に入ったという少年二人の訓練の進捗状況と進歩状況や、新たに発足されたラボでの影時間やシャドウの研究を閲覧することで、娘の活動を心配して調べているという体を繕っている状態だ。

 

(私のアクセス頻度が急激に上がっていることに気付かれれば、私が“有里湊”という少年を気にしていることを武治さんに知られてしまう。サーバには適性者候補として八雲君とチドリさんの顔写真も幹部以上が閲覧できる上位機密として在ったし。写真を見て疑っていると思われてしまうでしょう)

 

 グループ総帥の命令で湊とアイギスの捜索が秘密裏に行われていなければ、勘の良い者なら英恵の調べ物の頻度がここ数ヶ月だけ異様に高まっていることに気付くはず。

 そして、それが桐条の耳に入れば、サーバにある湊の写真を偶然見た英恵が、少年を百鬼八雲ではないかと疑っている可能性を考えることだろう。

 妻と百鬼親子の深い繋がりを知っている桐条にすれば、英恵が湊のことで必死になるのは容易に想像がつくため、気付かれた時点で英恵の行動が全て湊のための物であることもばれてしまう。

 ばれてしまえば英恵はグループの力をもっと効率的に使う事が出来るようになるが、代償として湊との繋がりを失うことになる。

 いざとなれば息子のために自分の全てを犠牲にしても構わないと思っているが、有効な打開策もない状態で息子との縁が切れる事が確定してしまうことだけは避けたかった。

 

(屋久島での運用試験……シャドウの暴走に偽装した開発者の独断行動……シャドウの攻撃から七式を庇った彼女の死、及び彼女の言葉による人格への影響を考え、その後の運用へ支障をきたす恐れがあることから全情報をメモリから抹消……)

 

 何か情報があるとすれば湊と出会う以前の運用データの中だと思われる。

 よって、英恵はポートアイランドインパクト以前に記録された運用データに目を通していき、アイギスと連絡を取れる手段や、彼女がどういった行動指針を持って動く傾向にあるのかを調べた。

 

(開発者の女性はその運用試験で既に亡くなられているのね。同じ研究室にいた方もグループを離れている。岳羽詠一朗さんをはじめとした当時の研究者もほとんどは七年前の事故で……)

 

 最も情報が得られる可能性が高い物として、開発者本人にコンタクトを取れないか期待していただけに、既に相手が亡くなっていたと知り英恵は肩を落とす。

 同じ研究室にいたという女性は、アイギスのメンテナンス等を行っていただけにハード面には詳しいかもしれないが、機能などソフト面は知らないと思われるので、英恵としては当てにするのは難しいと考えた。

 その後も休憩を挿みつつ調べ物を続けるが、運用データから得られるのは彼女の最大速力が時速一三〇キロオーバーであることや、兵器として運用する際に桐条グループの者を襲わない安全装置が備わっているなど、機械としての彼女の性能に関する情報ばかりで目的の物は一切見つからない。

 

(絶対どこかにあるはず……重要機密なら外部保管だけでは災害事故があったときにデータが失われる恐れがあるのだから、高度なプロテクトをかけてネットワーク上にもデータその物を保管してあるはずなのよ)

 

 キーボードに指を走らせ、開いたファイルに目を通してゆくが目ぼしい情報は欠片もない。

 残された時間も少ないというのに、どうしてここまで情報がないのかと英恵は過去にデータを採っていた研究者たちを恨んだ。

 今日中に見つからなければ、グループ総帥である夫に頼って情報を開示してもらうしかない。

 桐条たちもアイギスとの連絡手段がないか探しているかもしれないが、タイムリミットの存在を知っている英恵とでは真剣さが違うので、他の者が調べるよりも該当する資料を早く見つけられる可能性はあった。

 そんなことを考えながら英恵はさらに虱潰しに調べていると、途中でアイギスの人格を生み出す実験についてのファイルを発見する。

 

(……7式特別兵装開発計画?)

 

 確かにソフト面の情報は探していたが、AI作成にも似たアイギスの人格形成の話しまで行ってしまうと分野が異なってくる。

 これならば先ほどまでの機体性能に関する情報の方が探している物と分野的にも近かっただろうと思いつつも、何かしら参考になるものはないかと資料はしっかり読む事にした。

 そこに書かれているのは想像通りといえばいいのか、やはり被験者たちの脳波パターンなどを記録し、それらを元にAIを形成するよう人格データを作り出して、出来たデータをパピヨンハートにインストールすることで七式アイギスは完成したという話であった。

 他には安全面から感情の起伏が乏しい方がいいのではないかという研究者の考察や、被験者たちから採取した脳波をどのように組み合わせれば命令に忠実な人格に出来るかなどの仮説も書かれている。

 被験者たちの個人情報も載っているが、こちらの方は既にアイギスとは関係がないと思って読んでいたとき、英恵はある一人の少女に関する記述に目を見開く。

 

(アイギスとの脳波リンク……彼女が起動している状況に限り、アイカメラやマイクで拾った音声を共有でき、さらに専用に設定された回線を用いて通信する事が出来る……見つけた、これなら、これならアイギスと直接話しをする事が出来るわっ)

 

 あり得ないと思っていた場所に小さく書かれていた情報が、まさか自分が求める全ての条件を満たしているとは思わず、英恵は柄にもなく拳を握りしめて喜びに身体を震わせる。

 被験者の内、ある事情を抱えたその少女だけがアイギスと脳波リンクで繋がっており、リンク自体は七年前の戦いでアイギスが中破し機能停止したことで途切れているとある。

 さらに、開発に関わっていた者は当時の事故で殆ど亡くなり、アイギスが再起動しなければ再びリンクを繋ぐ事が出来ないため、今まで一切起動の兆候が見られなかったこともあって少女のことも含めてグループ内ではこの機能自体が忘れ去られていたらしい。

 通信は少女のプライバシーを考えて専用回線が用意されており、機能自体を知らない現在のグループの者では気付くことはほぼ出来ないだろう。

 少女の父親は桐条の名士会に籍を置いているが、娘の事を除けば影時間に関わっていない人物のようなので、密かに接触すれば夫やグループにばれる可能性は低いと思われた。

 

(菖蒲さん、どうにか八雲君を救えるかもしれないわ)

 

 ようやく掴んだ希望に英恵は感謝し、生前から息子の未来を案じていた親友へ祈りを捧げる。

 まだ大丈夫だと決まった訳ではないが、救える確率が大きく高まったことだけは確かだ。

 だから、どうか上手くいくよう祈っていて欲しいと願いながら、英恵は被験者の少女“水智恵”に接触を図るべく、彼女の両親と密かに連絡を取るのだった。

 

 

――屋敷

 

 去年の夏、湊と出会ったことで全身麻痺が完治した水智恵は、病院でのリハビリ入院を終えて、現在では自宅の屋敷で生活しながら週に一度だけ経過報告のために通院する生活を送っていた。

 リハビリ入院が終わったと言っても、まだ走り回ることや激しい運動をする事は出来ない。

 しかし、普通に歩く程度ならば支えがいらない程度に筋力が付き、文字の読み書きもそこそこに出来る状態になったことで、あとは自宅で学習とリハビリを続ければいいと退院の許可を頂いたのである。

 自宅でありながら自由に回った事がなかったので、退院して帰って来てから、家族三人で住むには大き過ぎる屋敷の全貌に驚いたりもしたが、今では家の中で迷うということもなく風呂にもトイレにも一人でいける。

 そんな彼女は、数ヶ月前に湊のものと思われる叫びを聞いた事で、現在も連絡の取れない彼の身を案じ、一人で部屋にいるときには暗い表情を浮かべていた。

 

(……もう三ヶ月近く連絡がない。今までは長くても二週間とかだったのに、これだけ連絡がないなんて何かあったんだ)

 

 海外に行ってからも湊からは不定期にメールで連絡が来ていた。リハビリの経過を気にして尋ねてくることや、海外でこんな物を見つけたなど内容はその都度違っていたが、文章の雰囲気から元気にやっていることは伝わってきた。

 稀に気落ちしている様子が見られる事もあったが、少しすれば調子を取り戻していたようなので、今回のように完全に連絡が途絶えた事は異常事態としか思えない。

 けれど、相手をいくら心配したところで、恵は携帯電話を通じた連絡手段しか持っていない。

 桐条の情報を流す役目を負ってはいるものの、親が名士会に籍を置いているだけなので、機密情報を入手することなど出来ず、グループの力を借りることすら出来ない立場だ。

 故に、恵はしっかりとリハビリと勉強をこなしつつ、たまに湊の携帯に連絡を入れて繋がらないか確認するのが最近の日課となっていた。

 

(危ないことばっかりしていたし。大怪我を負って動けないのかも。海外のニュースで少しでも良いから八雲さんに関わる情報がやっていればいいのに)

 

 外国で何か大きな事故や事件があれば、日本人の被害者や犠牲者がいないかを報道してくれることがよくある。

 相手の無事を祈りながらも、そういった情報でもいいから何か彼に関する情報を得たいと思うほど、今の恵の心は不安に占められていた。

 

《恵、貴女に電話よ》

 

 湊のことを考えてばかりで集中力が続かず、漢字の書き取りをしていた手も止めてぼんやりしていると、扉がノックされて母親が扉越しに話しかけてくる。

 自宅と病院でしか過ごしていない恵に電話をくれるような相手などいないはずだが、それでも自分宛てと言うからには出ない訳にはいかない。

 相手は誰だろうかと考えつつ椅子から立ち上がり、パタパタと小さく駆けて入り口まで向かうと、扉を開けて母親から電話の子機を受け取る。

 その際、通話口を手で押さえながら小声で相手は誰か尋ねるが、母親も名士会の連絡役の男性らしいとしか知らないようで、どうして名士会の連絡役が自分に電話をかけてきたのか疑問に思ったが、あまり待たせても悪いと考え扉を閉めると恵は電話を耳にあてて話しかけた。

 

「はい、代わりました」

《どうもはじめまして。水智恵さん、でよろしいでしょうか?》

「ええ、水智恵は私ですけど」

 

 母親から相手は男性だと聞いていたが、実際に聞こえてきた声は大人の女性のものであった。

 流石にこの声を男性の物と間違えるとは思えないため、母親と自分の相手をしている人物は別人なのかと推測する。

 ただし、推測したところで、何故そんな事をするのかという新たな疑問が浮かんでくるが、とりあえず相手の用件を聞かないことには話しが進まないため、恵は相手に名を問いかけた。

 

「名士会の連絡役の方とお聞きしたんですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」

《はい。私は桐条英恵と申します。先ほどは執事に協力してもらって貴女のお母様に連絡役と自己紹介させていただいたけど、桐条に関わる内密な話をするために嘘をついてしまったの。ごめんなさいね》

 

 相手の名を聞いた途端、恵は心臓が強く跳ねたような感覚を覚えるほど驚愕する。

 影時間の密会を除けば、湊の仕事用の携帯としか連絡を取っていない自分と湊との繋がりは気付かれていないはずだが、桐条家当主夫人が直接連絡を取ってくるなどただ事ではない。

 桐条家には御令嬢が一人いるだけなので、政略結婚を目的とした縁談話を持ちかけてくることも考えられず。本当に何が目的か見当もつかない。

 何より、相手が自分などという公の場に出た事もない存在を認知していたこと自体が驚きだ。

 桐条夫人は身体が弱くて都市部から離れた土地で静養していると聞いているが、そんな相手でも自分を知っているのだから桐条家の情報網は侮れない。

 そう考えて少しでも冷静さを取り戻そうと努めていると、英恵の方から再び話しかけてきた。

 

《失礼だけど貴女は身体に麻痺があって話せないと聞いていたから、こうやってご本人とお話しが出来るとは思っていなかったわ》

「あ、去年くらいに突然治ったばかりなので、まだ長時間動きまわったりも出来なくて自宅に籠もり気味なんです。ですから、お医者さん以外はまだ私が全身麻痺のままだと思っている方も多いと思います」

《そうなの。身体の自由が利かないのは辛いものね。理由は何にせよ治って健康に過ごしているのなら良かったわ》

 

 英恵も身体が弱い事で自由に動いたり出来ない身なので、身体に麻痺のあった恵の境遇を少しは理解出来るのだろう。

 窓の外にも世界は広がっているのに、手を伸ばす事も出来ない無力感。ベッドという限られた空間が自分の居場所で、ベッドの置かれた部屋が自分の世界の全てだった。

 アイギスを通じて一度は外の世界を知る事も出来たが、一度外の世界を知ってしまったことでリンクが切れてからは余計に自分の世界が狭く感じるようになっていたと今では思う。

 湊と出会い、治療を施して貰っていなければ自分はどのような人生を送っていただろうか。そんなIFの世界を考えながら、恵は相手に改めて用件を尋ねた。

 

「あの、内密なお話しとはいったいどういった事でしょうか? 生憎、まだ文字の読み書きや計算もろくに出来ないので、あまりお役に立てるとは思えないのですが」

《その、実は貴女の持っているある装置を譲っていただきたいの。七式アイギスとの脳波リンク装置はまだ残っているかしら?》

「っ!?」

 

 相手の名を聞いたとき以上の衝撃が恵を襲う。脳波リンク装置は湊の指示で現在も定期的に稼働させて壊れていないかを確かめているが、それを桐条側が今さら回収しようとしてくるとは思っていなかった。

 契約の上では装置は恵の物なので拒否する事は出来る。けれど、既に健常者となっていることで、影時間に関わる情報の秘匿を盾に強制徴収される可能性もあるのだ。

 父親が名士会に籍を置いて桐条グループの恩恵を受けているだけに、ここでグループトップの夫人の頼みを無下に断る事も出来ない。

 だが、大切な友達との唯一の繋がりであり、その友達の大切な人の役に唯一立てる条件がアイギスとのリンクが可能である事なのだ。

 それを失えば湊の役に立てない。何の力も持っていない自分ではリンク出来ること以上に役に立てることなどないと言っていい。

 どんな理由があって相手が装置を求めたのかは分からないが、まだ自由を得たばかりの少女にとって、恩人のために使うと決めた物をやはり簡単に手放す事は出来なかった。

 

「装置は、まだあります。ですが、あれをお譲りする事は出来ません」

《……麻痺は完治したと言っていたけど、まだあれを何かに使うの?》

「使うかもしれませんし。使う事はないかもしれません。ですが、それでもお譲りしたくありません。契約の上でもあれは私個人の物ですから、両親を通じて徴集しに来た場合は法的措置を検討します。あれは私がアイギスと繋がっていたという唯一の絆の証しなんです」

 

 かなりきつい態度を取ってしまったが、相手の方が力を持っているだけに断固とした拒絶の意思を示しておかなければならない。

 子どもが法的措置を取ると言ったところで、両親がそれを止めさせてしまえば、相手は何の障害もなく装置を回収する事が出来る。

 仮に奪われたくないからと破壊するにしても、破壊すれば自分も使えなくなるのだからぎりぎりまで実行に移せる訳がない。

 グループトップの妻がそんな簡単な事を察せないはずはないので、これは脅しなどが目的ではなく、単純に自分が本気であると相手に伝えることが目的であった。

 ただし、アイギスとの絆の証しとは言ったものの、本人に会わせてやると言われれば必要はなくなってしまう。無論、まだ彼女が目覚めていないことは知っているので、“いつか”の話しをされればそれまで断ることも可能ではある。

 それでも恵は自分に譲る意思はないと示したことで、相手がどのような態度を取ってくるだろうかと次の言葉を待った。

 すると、相手は何かに堪えるような、自分の想像とは全く別のベクトルの感情が乗った言葉が返してきた。

 

《どうしてもあの装置が必要なの。譲っていただけないなら、少しの間だけ貸しては貰えないかしら》

「……アイギスの機能が停止してから今まで放置していたのに、どうして今になって装置が必要になったんですか? アイギスに何かするつもりなんですか?」

 

 装置を使えばアイギスの意識に介入出来るが、それはあくまでメインの電源が点いている状態に限り、リンクを利用した介入と本体へのダイレクトアクセスでアイギスを目覚めさせようとしているのなら、アイギスを戦わせたくない湊の意思に反するので協力は出来ない。

 桐条家の御令嬢が対シャドウ対策チームに所属してシャドウと戦っているため、アイギスが目覚めれば護衛や戦力として投入する可能性が最も高いだろう。

 人々のために戦っている御令嬢には申し訳ないが、優先度はお友達と恩人が圧倒的に勝るため、二人を不幸にすることに協力など出来る筈がなかった。

 そうして、棘のある言い方になっている自覚を持ちながらも、理由があるのならちゃんと話して欲しいと告げてみれば、英恵はどこか言葉を濁しながら答えてきた。

 

《人を助けるために彼女の協力が必要なの。でも、今の彼女と話しをするには貴女の持っている装置を使うしか方法がなくて》

「今の彼女って、アイギスが目覚めているんですか?」

《ええ、三ヶ月ほど前に突然目覚めたの。彼女も私と同じ目的で動いてるはずだけど、今の彼女ではその人を助けることが出来ない。事態は既にただ助けたいという想いだけじゃ救えないところまで来てしまったから》

 

 アイギスがまさか起動しているとは思っておらず、恵は装置の動作確認だけでなく装着してリンクの方まで確認しておけば良かったと後悔する。

 しかし、それよりも気になるのはアイギスが目覚めた時期だ。三ヶ月前、丁度湊との連絡が途絶えた時期と一致するのは偶然とは考えづらい。

 恵が聞いた湊の叫びを彼女も聞いたことで目覚めた。そう考えるのが自然だろう。

 口元に手を当てて思案していた恵は、アイギスが現在も湊と不思議な繋がりを持っていると考え、その彼女と同じ目的であると言った相手を試す言葉を口にした。

 

「……英恵様は九月十八日に叫び声を聞きましたか?」

《っ!? どうして、貴女がそれを知っているの……?》

 

 その言葉に恵は確信する。やはり、あの叫び声は勘違いや偶然聞こえたものではなかった。

 条件は不明だが湊と何かしらの繋がりを持つ者には聞こえていたらしい。

 桐条家の人間が湊と繋がっていることは驚きだが、湊の旧姓である百鬼家について密かに調べてみると、桐条家とも面識のある由緒正しい旧家であると分かった。

 ならば、桐条家全体を湊が憎んでいたとしても、極一部の者を自分のように密偵として利用していてもおかしくはない。彼は過程よりも結果を求める主義だから。

 

(にしても、流石に桐条家当主夫人を自分側に引き込んでいるとは思わなかったなぁ。八雲さんの人脈ってどうなってるんだろう)

 

 湊の危機にアイギスの目覚めなど驚いてばかりだが、それ以上に本丸も本丸な桐条家当主の妻を湊が味方につけている事実には驚き過ぎて溜め息しかでない。

 これならば自分など密偵にする必要はなかったのではとすら考えてしまう。

 もっとも、湊と半年以上付き合ってきたことで、恵は自分が密偵に選ばれた本当の理由を今では分かっていた。

 与える役目など本当は何でも良かった。湊は不自由な身の己を憐れんで施しを与えたに過ぎない。湊にとって弱者を救う事は当たり前であり、それ以上の意味はないのだ。

 しかし、それでは恩を感じた自分の気が済まないことも見越していたため、密偵というそれらしい役目を与えた。

 助けられた上に気を遣われたと気付いたときには申し訳ないとも思ったが、感謝の言葉を贈ろうにも天邪鬼な相手は受け取ってくれない。

 だからこそ、恵は相手の危機に与えられた自分の役目を果たそうと心に決める。自分に出来る事、自分にしか出来ない事で湊を助けるために。

 

「去年の夏の影時間に偶然出会って、私の麻痺を治してくれたのは八雲さんなんです。それからもリハビリを続ける私によく会いに来てくれて。でも、三ヶ月前からずっと連絡が来なくて……」

《あの子がしている仕事については聞いてるの?》

「人を殺したりとかって事ですよね? それは知ってます。最初に会ったときは私も殺されそうになったんで」

 

 苦笑して答える恵だが、実際はかなり危ないところまでいっていた。

 湊がアイギス関連のことで情報を得にきた人物でなければ、動けないのを良い事に下手をすれば犯されていた可能性だってある。

 だが、相手は危害を加えるどころか身体の麻痺を治療してくれたので、恵にすればあの日の事は良い思い出であった。

 そう考えて、相手も自分のように何かして貰った事で協力者となっているのか疑問を持ち、恵はベッドまで移動して腰かけながら尋ねた。

 

「英恵様も八雲さんに何かして貰ったんですか?」

《私はあの子の母親と親友だったの。八雲君も忙しい夫と娘の代わりによく会いに来てくれてね。事故で家族全員死んだと思っていたけど、偶然再会してからは影時間にこっそりと会っていたわ。だから、私にとってのあの子は本当の息子のような存在なの。ただ親友の忘れ形見であるというだけではなくてね》

 

 英恵の言葉から伝わってくる湊への想いに、この人物は本当に湊の味方なのだと恵も理解する。

 ただ付き合いがあるだけじゃなく、湊のことをしっかりと想っている者だけがあの叫びを聞けたに違いない。

 

《それで、今回のこの件に関しても私や今の八雲君の保護者の方と一緒に秘密裏に行っているの》

「桐条グループは何も掴んでいないんですか?」

《表の顔としての八雲君が行方不明という事は知っているわ。でも、アイギスが八雲君の元を目指していると気付いているのは武治さんだけでしょうね。他の方たちはアイギスの目標は“あの方”なる人物としか理解していないわ》

 

 湊は語学の勉強をしながら慈善活動を行うために留学に出ていることになっている。

 けれど、月光館学園は海外の学校と姉妹校提携を結んで交換留学なども行っているので、湊のように個人で留学先を見つけてきた場合には完全に行動を把握出来ていないはず。

 それでも行方不明だと分かっているのはすごいと、恵は相手の情報収集能力の高さにただ感心させられるばかりだ。

 

「それは良かったです。桐条グループの方が近付いたら、仕事中の八雲さんなら多分殺してしまうでしょうから」

《それが少し事情が変わっているみたいなの。今の八雲君はEP社でも裏の仕事に関わっている者や過激派のテロリスト以外は殺さないみたいで》

「EP社にテロリストって、最近のニュースでずっと話題になってる犯人が八雲さんなんですか?」

《あの子とずっと一緒にお仕事をしていた方が殺されてしまったの。今の八雲君はその復讐で動いているわ。でも、もう時間がないの。急がないと八雲君の記憶は全て消えてしまう》

「記憶って、アイギスが八雲さんに会えれば状況は変わるんですか?」

 

 記憶が消える理由は分からない。けれど、仮にそれが何かの病気の進行であるとすれば、アイギスが助けに向かったところで意味がないのではと恵は考える。

 すると、相手もどこか自信のなさそうな声色で返してきた。

 

《可能性はある、と言った方が正しいかしら。私もあの子のお母さんから聞いただけなの。でも、話してくれた本人も一族の事をよく分かっていなかったみたいでね。まぁ、数千年かけてようやく生まれた特別な子らしいから、分からなくても無理はないと思うけど》

 

 数千年、言葉にすれば大した事はないが、それだけ長く続いてきた一族など恵は知らない。

 長い年月の積み重ねが湊というペルソナ使いの中でも異端な存在を生み出したのなら、確かに現代人では分かる事も少ないだろう。

 しかし、それでも自分たちのやる事に変更はない。アイギスと連絡を取り、湊と再会させて彼を救ってもらうだけだ。

 思考をシンプルにまとめた恵は瞳に力を宿し、部屋の隅にカバーをかけて大切に保管してある機械を見つめながら口を開いた。

 

「分かりました。アイギスとの通信は私がやります。彼女に何を伝えるか、彼女にどこへ向かって貰えばいいのかを教えてください。必要なら私の携帯に直接連絡して貰って構いません」

《本当に、どうもありがとう》

「いえ、私はただ受けた恩を返すだけですから。それに大切な“お友達”が王子様に会いに行っているなら、やっぱり手伝ってあげないと」

《ふふっ、そうね。でも、今回は八雲君が助けてもらうお姫様側じゃないかしら。あの子はお母さんに似てとても美人だから、お姫様も十分似合うわよ》

「なるほど、両方こなせるなんてお得な方ですね」

 

 自分たちのやるべき事をしっかりと理解し、冗談を言い合う二人に初期のような暗い雰囲気は一切ない。

 湊を救うために必要な欠片を、彼が紡いできた絆同士が結びつき揃えようとしている。束ねられた絆はより強固となって大きな力を生むのだ。

 湊とアイギスが出会うまで、あともう少し。

 

 

 


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