【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第八十四話 葬儀

――桐条コンツェルン・本社

 

 グループの運営をしながら、影時間の研究を進めるという多忙な日々を送っていた桐条武治。

 本日もまた分刻みのスケジュールを過ごすため、予定に目を通しながらメールの確認をしていると、夜中のうちに屋久島の研究所からメールが届いていたことに気が付く。

 相手は深夜だからと電話ではなくメールにしたようだが、むしろ、夜中でも叩き起こして貰って構わなかったと内容に目を通していた桐条は思った。

 

(七式アイギスが突然目覚めて脱走しただと? 職員の制止を振り切り、“あの方”なる人物の元へ向かった……)

 

 実際にアイギスを止めようとした職員らの証言を元に、このメールを送ってきた代表者は彼女の目的を推測したらしい。

 任務時における命令の優先権が書き換えられていることや、対人用の安全装置が解除されていること、桐条の中でも最上級機密である対シャドウ制圧兵装にそのような細工が行われている時点で十分に問題だ。

 しかし、メモリに触れないようにしていたはずなのに、彼女が口にした“あの方”と呼ばれる人物は、職員の目を掻い潜っていつの間にかアイギスのマスターのような存在になっていた。

 内部の者の犯行ならば、修復や改良名目で接触の機会があるため、そのようなプログラムを組み込む事も可能かもしれない。

 だが、非常に考えづらいことだが、これが外部の者の犯行であったならば、桐条のサーバも含めてセキュリティを組み直さなければならない。

 世界でもトップクラスの厳重なセキュリティを突破し、職員らにばれないようプログラムを書き換えるウイルスを仕込んだ。

 アイギスは基本的にネットワークから切り離されていたため、タイミングとしては、システムチェックで一時的に桐条のサーバへとバックアップを取るため繋いだときに感染したのだろう。

 近々サーバを増設する際にセキュリティも組み直させるつもりだったので、ハッキングの痕跡等を詳しく調査させるのは構わない。

 けれど、メールを読み終えた桐条武治は、プログラムを書き換えた犯人はアイギス本人だろうと推測していた。

 

(……八雲君は留学中だったか。海外での情報は一切入っていないが、アイギスが慕う相手など彼しかいないはずだ。ならば、彼女の目覚めは何かを感じ取ったと思うべきか)

 

 あくまで個人の推測だが、桐条はアイギスが慕う相手など湊以外にいないと思っている。

 接触したのはデスとの共闘時のみ。それでも、破損したメモリから抽出した映像では、アイギスが湊に一種の執着を持っているように見られた。

 事故以降に目覚めたという記録は無く。事故以前にも特定の人物をそのように呼んだ報告はないので、アイギスのいう“あの方”は十中八九、現在は海外にいる湊だろう。

 他のペルソナ覚醒候補者を遠目から監視している桐条の調査員が、一時帰国して監視対象と接触した湊を見つけたときには、急いで応援を呼んで同じようにマークしている。

 だが、どういう訳か途中で見失ってしまい。その間に再び出国しているせいで、桐条側は未だに湊がどの国へ留学しているのか把握出来ていない。

 地域によっては非常に危険な場所もあるため、湊が何かに巻き込まれたことを感じ取り、アイギスが突然目覚めたことは十分に考えられる。

 ペルソナは未だに全容を解明できていない不思議な力だ。共鳴にも似た、能力者同士を繋ぐ何かがあるのかもしれない。

 

(屋久島から飛び立ったセスナは、中国の黄山市付近へと不時着したという。ならば、アイギスもどうやってか彼が海外にいることを知り。現在もそこへ向かおうとしているに違いない)

 

 とりあえず上海を目指し、エリザベスとの会話で当面の目標をトルコに決めたアイギスだが、彼女の乗っていたセスナは何故だか上海から大きくずれた場所に落ちていた。

 地元の警察と現場に向かった軍が調べても誰も乗っておらず、機体を引き取りに向かった日本側の者が調べても、不自然に配線が壊れている以外、通信記録すら何も残っていないという。

 けれど、誰も乗っていないということは、セスナから降りたアイギスは現在も単独で行動している証拠。

 ほぼ同時期に、ヨーロッパの方では天まで伸びる謎の火柱が数日発生する事故も起きている。

 どう見ても自然発生した炎でないことから、あれを湊のペルソナが生み出したと考えれば、湊の身に何かが起き、アイギスもそこへ向かっていると見ていいだろう。

 

(抵抗を受けるかもしれないが、これは早期に両者の保護が必要だな)

 

 広い海外で特定の二人を見つけるのは難しいが、セスナの不時着現場と火柱の発生した地点を結んだ範囲から、海外の桐条グループの者らに二人を探させてみようと考えた。

 グループとしては機密であるアイギスを優先したいが、戦力として考えるのならば、湊の方が優先順位は高い。

 何より、親友の息子が生きていることを妻に黙っている身としては、罪滅ぼしではないが、せめて、彼の身の安全を確保してやりたいと思った。

 そうして、今後の方針を決定すると、桐条はその旨を組織の極一部の者らに通達し。桐条グループも湊とアイギスの捜索に乗り出すのだった。

 

 

9月21日(木)

午前――真夏の夜の夢

 

 イリスの死を知り、湊が去って行った同日。

 どこか沈んだ様子でリリィがグラスを磨いていると、入り口の扉が開きベルの音と共に誰かが入ってくる。

 ベルの音が聞こえたリリィは、条件反射で顔を上げてお客を迎える挨拶を口にした。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 いくら悲しい事があったとしても、彼女もこの仕事を長く続けてきたプロだ。

 挨拶の際に浮かべる笑顔には、先ほどまでの影は一切混じっておらず、迎えられた初老の男性も笑顔で返してきた。

 

「どうも、こんにちはマダム」

「あら、グロスマンさん!」

 

 杖を突いて歩きながら、被っていた帽子を脱いで挨拶した男の名前はエックハルト・グロスマン。

 彼は先日リリィが仲介して湊とイリスに仕事の依頼をした人物である。

 そう、イリスが死ぬこととなった、久遠の安寧の薬品研究所から薬か調合リストを盗んできて欲しいという仕事の依頼主だ。

 グロスマンは歩いてリリィの前のカウンター席に腰掛けると、ホットのコーヒーを頼んで、相手が用意している間に話しかけてくる。

 

「今日は、先日した依頼の進行状況を聞きたくてお邪魔したのです。小狼さんかダランベール氏はいらっしゃいますかな?」

「え、えっと、それが……今朝、出て行ってしまったんです」

「なっ!? ど、どういう事ですか?」

 

 状況が理解出来ない。そう思っている事がありありと分かる表情で、カウンターへ乗り出す様に腰を上げた相手へリリィは訳を話す。

 

「ニュースでやっている研究所の火災事故はご存知でしょうか?」

「え、ええ、それを聞いて不安になって訪れたのですが、もしや、何かあったのですか?」

「はい。依頼自体はどうやら成功したみたいです。でも、あの事故でイリスが……」

 

 リリィの言葉を聞いた相手は息を呑み、ゆっくり腰を下ろして暗い表情のまま俯いた。

 自分の依頼が原因で相手が命を落としたのだ。孫のために非合法な手段に頼ったにしろ、ただの一般人がそれに罪悪感を覚えない方がおかしい。

 カウンターに視線を落したままコーヒーに口を付ける相手へ、リリィは相手を気遣いながら静かに言葉を続ける。

 

「小狼ちゃんは、イリスを故郷で弔うために今朝去って行ったんです。グロスマンさんも今から向かえば会えると思いますが、声をかけるのはどうか葬儀が終わってからにしてあげて欲しいんです」

「え、ええ、勿論です。それで、ダランベール氏の故郷とは?」

「フランスのシャテーニュ村です。墓地は教会にしかありませんから、教会に向かえば会えるかと」

 

 本当はしばらくの間、湊をそっとしておいてあげて欲しい。

 だが、グロスマンも孫の病状が悪化する前に、少しでも早く投薬治療に移る必要があるとリリィは理解している。

 お互いの事情を察した上での妥協点が彼女の言ったタイミングなので、相手が素直に受け入れてくれたことに感謝した。

 そうして、しばらく視線をカップに落とし、無言でコーヒーを飲んでいたグロスマンが立ち上がると、相手は財布から少し多めの料金をカウンターに置いた。

 

「……分かりました。教えて下さりありがとうございます。コーヒー、美味しかったですよ。孫が元気になったら、一緒にまた来ます」

「はい、是非お待ちしています」

 

 穏やかな笑みを浮かべて帰る相手を扉まで見送る。

 この相手なら、きっと湊のことも気遣った対応をしてくれるだろう。

 そんな安心感を覚えながら、去っていく相手をリリィは見えなくなるまで見つめていたのだった。

 

――フランス・シャテーニュ村の教会

 

 首都であるパリから南東に位置する、山や森に囲まれた長閑な田舎。

 そこにイリスと彼女の家族が暮らしていたシャテーニュ村はあった。

 マダム・リリィの『真夏の夜の夢』があるカニスの街との距離はおよそ三四〇〇キロ。飛行機ならば数時間で着く距離だが、湊のペルソナでも流石にマッハで飛べる者はいない。

 しかし、シャドウの時流操作で自分を周囲よりも加速させ、問題点をクリアした湊は朝のうちに既に到着していた。

 教会に向かうと高齢の司祭と若いシスターが、昨夜のうちに連絡していた湊を出迎えてくれた。

 僅かに肉の残った骨を包んでいる布を、とても大切そうに抱いた少年の瞳を見た二人は言葉を失い。どこか気遣いながら用意していた棺の元へ案内する。

 

「……さぁ、彼女をゆっくり寝かせてやりなさい」

 

 眼鏡をかけ長い白ひげを蓄えたニコラ司祭に言われ、湊はイリスを棺に寝かせて布を解いてゆく。

 フランスでは火葬も行うようになったが、今でも土葬が一般的だ。

 イリスの遺体はほとんど焼けて骨だけになってしまっているものの、彼女をもう炎に晒したくないという湊の意向により、一般的な土葬と同じように棺に納めて埋葬することになっている。

 そうして、湊が棺から一歩下がったところで、ニコラ司祭と共に若い修道女であるシスター・アンナが十字を切って祈りを捧げた。

 

「本当は、ちゃんと届け出をしないと葬儀は出来ないんです」

 

 二人の祈りを虚ろな瞳で眺めていた湊へ、祈りを終えて振り返ったシスターが声をかける。

 彼女の言った通り、フランスでも日本と同じように死亡診断書をはじめとした、諸々の書類の提出と手続きを公的機関にしなければならない。

 けれど、イリスは自分の夫と息子の墓を建てるとき、自分の名も一緒に刻んでいた。

 裏の仕事という危険な世界で生きると決めたのだ。その時点で同じ場所で眠ることは出来ないと諦めていたに違いない。

 だからこそ、せめて墓標でだけは家族と一緒にいたい。そんな彼女の想いを聞き届け、当時ニコラ司祭はイリスの名も夫と息子と並ぶ形で刻むことを許可したのだ。

 そして、フランスの墓は掘った穴に直接棺を納めるのではなく、縦に長い棚構造のちょっとした地下室のような形で、寝かせた棺をいくつも納めるようになっている。

 イリスが依頼した棚は三段なので、墓石をどければすぐに彼女の棺を納める事が出来るため、彼女の仕事を少しばかり聞いていたシスターは今回の届け出は不要な旨を告げる。

 

「ですが、きっと死亡診断書は発行されませんから、お墓の点検のフリをして棺を納める手筈になっています。事情を知っている村の方々が手伝ってくれるそうですが、彼らも彼女にお別れを告げても宜しいでしょうか?」

 

 時流操作を過去方向に進められたなら、湊はすぐにでもイリスの焼けた肉体を復元してやりたかった。

 あんなにも生命力に溢れ美しかったイリスも、今では焼け焦げた黒い肉が僅かに残り、頭蓋骨には貫通する形で二つの孔が開いた、ただの骨だ。

 いくら彼女の事情を知っている者だろうと、こんな姿で見せるのは彼女に悪い気がした。

 故に、湊はとても小さな声でぽつりと溢す様に返す。

 

「……この姿を晒すのは、あんまりにも可哀想だ」

「分かっています。なので、棺を完全に閉めた状態で、献花と挨拶のみで我慢していただこうと思っています」

「……それなら良い。俺なんかに見送られるより、きっと喜ぶだろうから」

「そんな事はありません。彼女はここへ連れて来てくれた貴方に感謝しています。見送りにも参加して欲しいと思っているに違いありません」

 

 自分を卑下する言葉を吐いた湊の手を優しく包み、シスターはそんな事はないと微笑みかける。

 会話が成立していることが不思議なほど、今の湊からは一切の生気が感じられず、瞳は本当に死んでいるのではないかという濁った色をしている。

 そんな状態の人間に必要なのは休養と他者の優しさだ。

 今は大切な人の死で自暴自棄になっているだけ、そう思って湊を気遣い。優しい言葉をかけるよう心掛けていたのだが、

 

「……自分を殺した相手に思うわけないだろ」

 

 そう言い残し、湊はシスターの手を振りほどくと、イリスを包んでいた黒い布を手に持ったまま、マフラーを洗って花を買ってくる、と言い残して教会の二人に背を向けて歩いて行ってしまった。

 司祭もシスターも、自分の事を何も話さない相手の言葉が真実かどうかは分からない。

 だが、少年がイリスの死に責任を感じていることだけは理解出来た。

 全て自分のせいだと思いこみ、他者を拒む姿はあまりに痛々しい。

 イリスの棺を閉め、村民に葬儀について知らせる準備をしながら、司祭とシスターは自らを追い込んでいる少年を救うため力をお貸しくださいと神に祈りを捧げた。

 

***

 

 湊が花を買いに出ている間に、司祭とシスターが村民にちゃんと伝えてくれたようで、教会の中には多くの人で溢れていた。

 教会の入り口と閉じられた棺のまわりには花が置かれ、黒いマフラーを首に巻いた長髪の少年が現れると、喪主だと説明されていたらしく、中年の女性が何名かやってきて湊を抱きしめてきた。

 周囲からその一点のみ存在が欠落しているような違和感を放っている少年を、いくら喪主とはいえ抱き締めるのは勇気がいったことだろう。

 けれど、そんな様子を一切感じさせず、女性らは涙を流してイリスの死を悼み、湊にどうか笑顔で送ってあげてと声を掛けてくる。

 喪主の到着から少しすると葬儀が始まり、聖歌や司祭の追悼説教、聖書の朗読に讃美歌、途中に村民がイリスとの思い出を語るなど、静かに進行していき出棺という流れになった。

 外は生憎のどんよりとした曇り空だが、墓地は教会の裏手から少し歩いた場所にあり、喪主とされながらも湊は手向ける花を持ったまま、列の最後尾をシスターに付き添われ歩いていた。

 

「皆さんにお任せして宜しかったのですか?」

 

 現在、イリスの棺を運んでいるのは村民たちだ。

 彼女を弔うために連れてきた本人が、最後まで付き添ってやらなくていいのかとシスターは尋ねる。

 しかし、湊は最初から自分が喪主だとは考えておらず、イリスを弔いたいとやってきた村民らが望むのなら、彼らに任せて構わないと考えていた。

 

「……イリスはもう平和な世界に戻ったんだ。だから、俺は最後に少し挨拶をさせてもらえれば、それで十分だ」

 

 イリスは既に平和な日常側へと還った。湊がチドリやアイギスに居て欲しいと願う場所へ。

 故に、見送りも同じ世界の住人らに任せるべきだと話す。

 ただ、最後に挨拶を望んでいることが、湊なりの未練なのだろう。

 口で言うほど全てを村民らに任せる訳ではなく、自分で見届けた上で、イリスに別れを告げて去るつもりのようだ。

 そして、それ以降、式が終わるまで湊は一言も話さなかった。

 落ち着いている。達観している。そういった実年齢よりも不自然に大人びた印象の風貌だが、隣で見つめていたシスターからすれば、墓下へ降ろされた棺を眺める横顔はどこか不安げで泣いているように見える。

 棺が完全に収容され、蓋をするようにゆっくり墓石が戻されているときなど、花を持っていない手の拳を強く握り締めて何かに耐えていた。

 墓石を戻し、土を被せて、司祭が祈りを捧げると、村民らは花を手向けてから湊に声を掛けて去って行った。これで葬儀は全て終了だ。

 本来ならば、通夜のように死者との別れの期間を数日設けるが、イリスの葬式が公に出来ない事を皆理解していたため、少し慌ただしくも半日で終わるように手配してくれた。

 帰って行く参列者に湊は頭を下げて見送り。小雨が降り出したことで先にも戻っておくと告げて司祭も帰ったことで、イリスたち家族の墓前には湊とシスターだけが残る。

 すると、一歩、一歩進むような、そんな足取りで墓のすぐ前にやってきた湊は、しゃがんで花を手向け、どこか無理をして作った穏やかな笑顔で墓石に語りかける。

 

「……俺はもう大丈夫だから。仕事はもうしないし。何かあっても独りでやっていける」

 

 仮面舞踏会と小狼の名を捨てる訳ではない。

 しかし、もう依頼を受ける気はない。血に覚醒した今、仕事を続ける意味を失ったのだ。

 日本に帰ってからどうするかは決めていない。それでも、湊はもう仮面舞踏会として仕事をする気はなかった。

 墓石に触れながら眠る相手にそれを伝えることで、心配性だった彼女を安心させようと湊はさらに言葉を続ける。

 

「もう、戦わなくていいんだ。何かを奪う事も、誰かを傷付ける必要もない。だからイリスも…………本当の家族と一緒に……安心して、静かに……眠ってくれ」

 

 言葉を詰まらせながらも最後までどうにか言い終える。

 だが、強く降りだした雨に打たれ、手と膝をついたまま顔を俯かせて肩を震わせる少年はもう限界だった。

 イリスを弔うまでずっと気丈に振る舞っていた少年の、そんな悲痛な姿にシスターは静かに涙を流し、服が汚れることも気にせず、そっと隣に腰を落として相手の肩を抱きしめる。

 

「……我慢しないでください。誰も見ていませんから」

「っ……」

 

 優しく掛けられたその言葉に、今まで保っていた湊の心の堤防が決壊する。

 

「死なせないって、言ったのに…………俺はまた守れなかったっ!! 最初から力を使っていれば、こんな事にはならなかったのにっ」

 

 縋るようにシスターに抱き付き、膝に顔を埋めて、自分はまた守れなかったと心のままに湊は叫ぶ。

 七年前、両親を失ったことで戦って守る事を選んだ。

 しかし、己の無力により、自分を庇ってチドリに怪我を負わせたことで、代償を払ってでも力を得ようと足掻いた。

 それでも足りず、被験体たちの多くを死なせたことで、自身の心を捨てて敵は全て殺すと決意した。

 そうして、何千という屍を築いて今日まで戦ってきたというのに、自分のくだらない我儘で力を使わず。不要なリスクを負わせてイリスを死なせてしまった。

 

「ごめん、イリスっ。俺のせいなのにっ、苦しい思いをすることも、死ぬこともなかった筈なのにっ」

 

 仙道から仕組まれた依頼だったと真実を聞いたところで関係ない。守るために全力を尽くしていなかったことに変わりはないのだから。

 人によってはイリスの死は自業自得だと言うだろう。彼女自身も数多の人間を殺してきたのだから、その報いを受けて当然だと。

 けれど、湊はイリスが狙われた事を知ってしまった。

 彼女に恨みを持った報復ではなく、己に何かをすることが目的で、ただ傍にいるのが邪魔だからと排除されたに過ぎない。

 つまり、相手は単純にイリスが目障りだから消したのだ。他の理由は特になく、湊がただ一人でいたなら殺されることはなかった。

 背負い過ぎる少年にとって、その事実が何よりも辛い。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 弱々しい力で縋ったまま俯いて謝り続ける少年は、その後、シスターに付き添われて教会の部屋へと案内され、シャワーを浴びるよう勧められようが、無理にでも食べろと食事を出されようが、眠りにつくまで一言も喋らなかった。

 

***

 

 シスター・アンナは湊と一緒に教会に戻ってから、濡れたままでは風邪を引くからとシャワーへ案内し、彼が泊まる部屋や食事を用意して、少々無理にでも食べさせてから寝かしつけた。

 戻ってきて湊がシャワーを浴びている間に、シスターも別のシャワー室を利用として身体を温め着替えたが、寝かしつけてからも教会の仕事をしていたため、もう一度風呂に入り直し。ネグリジェの上にストールを纏って就寝前に戸締りの確認をしていると、部屋の明かりが点いていたので、司祭に挨拶をしに部屋へと向かう。

 控えめにノックをすれば、すぐにどうぞと返事が返ってきたので、シスターはゆっくり扉を開いた。

 

「司祭さま、まだ起きていらしたんですか?」

「ああ、彼が急に起きてこないか心配でね。ちゃんとまだ寝ていたかな?」

 

 執務机で聖書を読んでいた司祭が心配そうに湊の様子を尋ねてくる。

 先に戻っていた司祭は、イリスの墓前での彼の様子を知らないが、シスターに支えられながら帰って来た姿を見て、大体の事情は察したらしい。

 鞄一つ持っていなかったので、名前も含めて本来の素性を知ることは出来ていないが、それでも多くの人々を見てきたことにより、湊がまだ未成年の子どもだということは理解している。

 そんな子どもが、身近な人間を亡くして全く動じない訳が無い。

 教会に来たときからの態度で、かなり無理をしていることもお見通しだったらしく、ずっと世話を焼いていたシスターから見た湊の状態を司祭は聞きたがっていた。

 

「……あの子は今、身も心もボロボロです。身体もすごく軽くて、手を握ってあげていないと寝付けないくらい弱っています」

「無理もない。あんな幼い少年が他者の死で自分を責めるくらいだ。きっと、とても大切な人だったんだろう」

 

 今の湊は大切な人を亡くし憔悴しきっている。

 ベッドに横になっても寝付けず。見かねたシスターが眠れるまで手を握ってあげることで、僅かに不安が薄れたらしく、ようやく眠ったくらいだ。

 食事をさせている間に名前などを尋ねても何も答えず、心と一緒に言葉まで閉ざしてしまったと感じた。

 あの様子では起きてもすぐには動けないだろう。

 少しずつ時間を掛けて、ゆっくり心の整理を付けて傷を癒してゆくしかない。

 

「司祭さま、あの子をしばらく教会においてあげても宜しいですか? あの子に必要なのは、心の休養です。あんな状態の子どもを放っておくなど、私には……」

「ああ、いいとも。彼が自分の足で立ち上がれるまで傍にいてやりなさい」

 

 心から訴えるように頼んできたシスターへ、司祭はにっこりと穏やかに微笑んで頷く。

 独りでは立てぬほど傷付き、また、自分の進むべき道を見失った迷える小羊を導くのも自分たちの務めである。

 今の湊は、数年前、ナタリアに支えられて夫と息子を埋葬しに帰って来たイリスとどこか重なるため、当時の彼女に何もしてやれなかった司祭にとっては、罪滅ぼしとして湊に何かしてやりたいとも思っていた。

 なにより、ここ数年、墓参りに一人で帰ってくる度、放っておけない少年がいるとイリスが楽しそうに話していたのをよく覚えている。

 彼女から聞いていた特徴と湊の容姿が一致することから、湊がその少年であると感付いていた司祭は、イリスから聞いていた少年の名をシスターに伝えることにした。

 

「そういえば、彼女は少年を小狼と呼んでいたよ」

「中国の生まれなのですか?」

 

 アジア系の顔付きだと思っていたが、瞳が金色だったことで、湊がどこの生まれか不思議に思っていたシスター。

 そして、司祭の告げた名前が中国語であると判断し。ならば、出身も同じく中国なのかと尋ね返す。

 日系ブラジル人や中華系アメリカ人など、人種と国籍が違うパターンも考えられるので、生まれ自体はどこでも良いのだが、せっかくなので世話する少年の事を知っておきたいと考えた。

 すると、尋ねられた司祭は首を横に振ってから、イリスに聞いていた情報を簡潔に纏めて話す。

 

「いいや、彼は日本人だ。ただ、あの歳で危険な仕事をしているらしい。小狼という名前は、それ用の偽名だろう」

「日本人なのに金色の瞳なんて珍しいですよね。ハーフやクォーターでしょうか?」

「そこまでは聞いていないな。しかし、長年神に仕えてきたがあんな少年は初めて見た」

 

 流石にそこまで詳しくは聞いておらず、司祭は少し申し訳なさそうに苦笑してシスターに返す。

 けれど、すぐに表情をやや引き締め、机の上に置いた手へと視線を落として何やら考え込んでいるため、シスターは何か少年について思う事があったのか問いかけた。

 

「あの子に何かありましたか?」

「ん、いや、そうだな。どう説明すれば難しいが、あの少年を見ていると光のような物が時折見えてな。侵し難い純白の光だ」

 

 司祭が湊に見た物、それは少年の身体から全身を包むように溢れだす白い光。

 現実にそんな物は発生しておらず、他の者からはむしろ、その長い髪とマフラーを巻いていることもあって、黒のイメージを持たれていることだろう。

 湊のいる場所だけ、この世からぽっかりと存在が抜け落ちているような違和感は覚えていたシスターも、司祭がどうして白い光を見たのか分からず、首を傾げて尋ね返す。

 

「純白の光? むしろ、彼は黒い衣を多く纏っていますし、心も暗闇の中にいるように思うのですが……」

「ああ、私も自分の見間違いではないかと思ったよ。しかし、絶望の中にありながら、彼の光は増し続けている。命の輝きか、それとも希望の光か。何にせよ、私のような未熟な者でも視えたんだ。普通の子どもではないだろう」

 

 信仰の賜物か、司祭は霊視に似た力によって湊に光を見た。

 気のせいだと思いたかったが、雨に濡れて帰って来たときにも同じ光を纏っていたため、思い過ごしではないと今では感じている。

 司祭と同じように敬虔な信徒であるシスターには何も見えていないが、強過ぎる光はそれと気付かず近付けば深い闇以上に危険だ。

 闇を象徴する黒を纏いながら、白い光を内より放つという、相反する物を宿す少年。

 今はまだ大丈夫だろうが、彼が再び自分の足で立つとき、少年の力がどちらに傾くか分からない。

 神話でも光を象徴する神や天使が、時に裁きとして人を滅ぼそうとすることがあった。

 それは、神や天使にとっての正義が、必ずしも人間にとって良い事とは限らないという話しだが、今の湊の光も同じような怖さを孕んでいる。

 少年に見た光が人を救うためのものならば良いが、世界を浄化するためのものであったなら……。

 そう考えて、期待と共に不安も感じた司祭は、彼の身を案じているシスターに改めて世話を頼むことにした。

 

「シスター・アンナ。教会の仕事よりも、しばらくはあの少年を優先してやってほしい。私の見た光は、必ずしも人にとって良いものだとは限らない。どうか、彼の心を癒して、彼を人のままでいさせてやってくれ」

「はい、分かりました。では、私もそろそろ戻りますね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 部屋を出て自室へ戻るシスターを見送り、司祭も聖書を本棚へと片付けてから、自分の部屋へと向かう。

 どうか何事もなく、ただ無事に少年の心が癒えてゆく事を願いながら。

 

 

 


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