【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第七十七話 過去、勧誘

――???

 

 強い衝撃を受けて気を失っていた女は、外から聞こえてくる轟音と銃声によって、無理矢理に目を覚まされた。

 目を覚ました女は状況を確認しようとするが、何故だか身体が横を向いた状態で下に引っ張られる感覚があることに気付く。

 そうか、自分たちの乗っていた車は横転したのか、とそこでようやく理解し、ならばせめて地面に対して垂直になろうと座っていた助手席から抜け出そうとした。

 だが、席から抜け出す事は敵わず、それだけではなく身体を動かした際に足に鈍い痛みを感じる。

 痛みを感じた足の方へ視線を向けると、変形した車体に女の足は挟まれ、骨が折れているようだった。

 

「ん……んん……」

 

 足が挟まれた状態で折れてしまっている事で、どうやれば抜け出せるか考えていた時、女の背後で呻く子どもの声が聞こえてくる。

 

「八雲っ」

 

 女は自分のことなど忘れ、すぐに心配した表情で身体を捻り、自分の真後ろの後部座席に座っている我が子の様子を確かめる。

 衝撃を受けた際に頭を窓ガラスに打って気を失っていたようだが、シートベルトをちゃんと締めていたので、割れたガラスで頬を少し切った程度でその他の外傷はなさそうだ。

 地面を転がる衝撃は数度あったので、車はぼこぼこになっているだろうが、最終的に運転席側が下になったことは我が子の脱出にはありがたい。

 

「八雲、大丈夫? 痛いところはない?」

「おかぁ、さん? えと……多分、だいじょうぶだよ」

 

 状況が把握出来ていないのか、キョトンとしながらも、少年は自分の手足を動かして状態を確かめている。

 そうして、特に問題がないと報告してきたので、女は胸をほっと撫でおろした。

 車が何度も転がるような衝撃を受けたのだ。普通の子どもならば、頭と身体を揺さぶられ、最低でもむち打ちになっているところだろう。

 だが、女だけでなく少年も本当にそういった怪我を負っていなかった。

 ガラスで出来た切り傷や圧力によって骨折はしているものの、この母子は健康状態にそれほど問題はない。運転席に座っている女の夫は、頭から血を流し、女と同じように変形した車体に足を挟まれ、既に息絶えているというのに。

 女にとって自分たちの血筋は呪われた一族だと思っていたが、今はその血筋によって得られた身体の頑丈さに感謝せずにはいられなかった。

 

「八雲、シートベルトをはずして外に出られる?」

「一回下におりて、そこから登っていけばいけると思う」

 

 少年は自分の血筋のことをまだ知らない。少年の祖父であり、女の父だった男は既にこの世を去っているので、自分がそれを少年に教えなければならない。

 けれど、車に火が点いて車内の温度が徐々に上昇してきていることもあって、女はその務めは果たせそうにないと悟った。

 

「良かった……。じゃあ、貴方は先に出ておいてくれる? このままじゃ危ないんだけど、お母さんたちは時間が掛かりそうなの」

 

 女は足の痛みで額に脂汗を滲ませながらも、それを少年に気付かれぬよう、平静を装いながら我が子に微笑みかける。

 自分の父から鬼の一族であることを聞き、桐条英恵から結婚式に招待できないと泣かれたことで、自分の子どもが一族とは無縁に過ごせれば、その方が幸せだと思っていた。

 しかし、少年の父方の祖父である九頭龍家当主とその長男は、一族のことを何も知らぬ幼い少年に恐れを抱いているようだった。

 確かに恐ろしいだろう。屍の山を築いてきた鬼の一族の者と、それを使役していた龍の一族の者が交わることで、古き盟約から解き放たれた子どもが生まれてしまったのだから。

 恐れを抱く男たちの姿を目にしたとき、女も我が子が一族の呪縛から逃れられないと理解した。

 少年がどれだけ心優しくても、世界はそれを信じない。一族が屍と共に築いてきた業が、周囲の悪意を引き寄せ、災いとなって少年に降り掛かるのだ。

 

「なんか、外がうるさいね。あつくなってきたし、お母さんたちも急がなきゃ」

 

 シートベルトを外した少年は、器用にバランスを取りながら一度地面に降りている。

 こんな訳の分からない状況に陥っても、自分たちを心配してくれている我が子に、女は共に居てやれないことや、周囲の悪意から守ってやれないことに対し、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。

 ちゃんと無事に生きていけるだろうか。九頭龍か親友の英恵に引き取って貰いたいが、どちらも家が鬼を恐れているため難しいかもしれない。

 どうして一緒に居てやれないのか。我が子を一人残していく悲しさから、両足を失ってもいいから、どうにか抜け出すことが出来ないかと、女は必死に足を引き抜こうとする。

 だが、何度も車が転がった事で、車の前面が潰れてエンジンが車内の方に押し込まれているらしく、そんな物に挟まれてしまっている足を引き抜く事など、機械を使って慎重にやらなければ不可能であった。

 それでも女は諦めず、歯を食いしばって痛みを堪え、ぶちぶちと嫌な音をさせながら片足を引き抜いた。

 引き抜かれた右足には膝より下が生えていなかったが、身体が少し自由になった女はシートベルトを急いで外し、身体を乗り出す様に振り返って、登って行こうとしていた我が子を力一杯抱き締める。

 

「ごめんね、八雲っ。お母さんたち、ずっと一緒にいてあげられなくて、ごめんねっ」

 

 突然のことに少年は驚いているようだが、車の炎上が激しくなっており、残された時間はもう後僅かだ。

 けれど、せめて最期に少年へ自分が愛されていたことを伝えておきたい。

 一族のしがらみで要らぬ苦労を強いられるだろうが、それでも、決して少年は他者に言われるような呪われた鬼などではないと。

 

「お父さんもお母さんも、八雲のこと大好きだからっ、ずっとずっと、死んでからも愛し続けているからっ。辛い事があっても諦めないで、きっと傍に居てくれる人が出来るからっ」

「お母さん? なんで、泣いてるの? 一緒ににげようよ、お父さんも、ここはあぶないよ?」

「お母さんたちは一緒にいけないのっ。でも、それでも、貴方だけはどうか――――生きて」

 

 車内が炎に包まれる直前、女は自分の口内を噛み切り、流れ出た血液を少年に口移しで呑ませた。

 いつの日か、力に目覚める必要があればこの血が全てを教えてくれる。伝える力の弱い自分の血では、自身の持っている知識しか伝える事は出来ないだろうが、少年に必要なのは血の記憶を引き出す切っ掛けとなるものだ。

 本来ならば、一部例外を除き、元服を迎える十四歳の誕生日に、名切りの親から子へ一族のことを伝えることにより血に目覚めるのだが、伝えるだけの時間がない女が籠めたのは、少年にもしもの事があれば発動する記憶の解禁術であった。

 そうして、名切りに生まれた親としての務めも果たし、女は涙を流しながらも綺麗に微笑んで、割れて開いた窓から少年を車外へ向かって放り投げた。

 少年の運動神経ならば、突然投げられても無事に着地できるだろう。

 窓の外へ放り出されてゆく途中、自分たちの事を呼びながら少年は必死に手を伸ばしていたが、炎に包まれた車内に残った女からはすぐ何も見えなくなった。

 

 

深夜――宿屋・真夏の夜の夢

 

「おい、小狼っ! おい!」

 

 突然、部屋中に響く大きさのイリスの声が聞こえ、湊は何事だと目を覚ました。

 少しぼーっとした頭で、イリスが点けたらしいベッドランプのところに置かれた時計で、現在の時刻を確認する。

 表示されていた時刻は午前四時十二分。夏で明るくなるのは早いとは言え、流石にまだ外は暗いだろう。

 今日の仕事は夜遅くなので、こんな変な時間に起こされるのは正直迷惑でしか無い。

 ベッドに寝転がったまま、何故だか心配そうに自身を見ている相手へ湊は声を掛ける。

 

「……こんな時間にどうした?」

「どうしたって、オマエが苦しそうにしてたんだろうが。大丈夫か? 汗すごい掻いてるぞ」

 

 言われて顔に触れると、珍しい事だが確かに大量の汗を掻いていた。

 フルマラソンをしてもここまで汗を掻くことはない湊が、ただ寝ていただけで大量の汗を掻くことなど異常だ。

 それにイリスが苦しそうにしていたと言った事も気になる。

 タオルを持ってきたイリスに顔や首を拭いて貰いながら、原因は何かと考えていると、湊は自分が久しぶりに夢を見ていたことを思い出した。

 湊は普段、夢を通じてベルベットルームで力の管理者らと鍛錬を積んでいるので、夢を見るという事が基本的に無い。

 だが、極稀にベルベットルームに招かれず、中学校に入学したばかりのように、昔の記憶を夢として見ることがあった。

 イゴール達が招くことを拒否しているのか、それとも何かの力に阻まれて招くことが出来なかったのかは分からない。

 だが、見る夢が全て過去の記憶というのは、何かしらの意味があるのではないかと思うようになっていた。

 そうして、心配そうに今も見つめてきているイリスに、湊は自分が見た夢の事を話す。

 

「……夢を見た。ずっと昔の、あの事故が起きたときの」

「事故って……オマエの両親が死んだやつか?」

 

 相手の質問に湊は首肯することで答える。

 その際、何故かイリスがビクリと肩を震わせ、悲痛な表情で頭を撫でてきたが、相手が何故そんなにも苦しそうな顔をしているのか湊は理解出来ない。

 

「辛いか?」

 

 辛いかどうか尋ねられても、昔の事故を想ったところで憎しみ以外の感情は湧いてこないので、それを辛くないと答えて良いのかどうか悩む。

 そう言えば、ゆかりにも同じように言われた。別々の生き方をした人間から同じように尋ねられたということは、きっと普通は辛いと感じるべきなのだろう。

 質問の答えを考えながら、そんな風にゆかりとの会話を思い出し、湊は中空に視線を送りながら静かに口を開く。

 

「……分からない。ただ、夢を見たのは夏祭りで昔のことを少し話したからだと思う」

 

 結局、しばらく考えて素直に分からないと答えつつ、自分が夢を見たのはゆかりとお互いの昔話をしたからだと説明した。

 それを聞いたイリスは、どうやら話し相手を勘違いしたようで、意外そうに返してくる。

 

「小猫に話してなかったのか?」

「いや、チドリじゃなくて、岳羽っていう見送りに来ていた茶髪のやつだ」

 

 相手の勘違いを訂正しつつ、思い出せるよう容姿の特徴を説明する。

 部活メンバーは全員髪色が異なっているため、茶髪と言われてイリスも何となく思い出せたようだ。

 

「……オマエ、小猫以外にも自分のことを話せる相手がいたんだな」

 

 しかし、イリスにしてみれば、湊が友人に自分の過去について話すこと自体、かなり珍しいことなのではと思っていた。

 自分の両親がポートアイランドインパクトで死んだ事は隠していないが、それ以外は、過去の自分、『百鬼八雲』という存在に辿り着かれる危険を孕むため、湊は必要以上に第三者に情報を漏らす事はない。

 それだけに、相手を随分と信用しているのかと思っていると、湊はそんなイリスの考えを読んだかのように、身体を起こしながら情報を補足した。

 

「岳羽は事故当時にエルゴ研の主任を務めていた男の娘だ。適性も徐々に高まっているようだし、完全に無関係という訳じゃない」

「ああ、栗原の上司か。昔のオマエの知り合いだったらしいな」

「……ああ。まぁ、岳羽に話したのはそういう訳で、あいつも俺と近い経験をしているからだ」

 

 別にゆかりを信用していない訳ではないが、話した理由として最も大きいのは、彼女もポートアイランドインパクトが原因で幼少期に苦労したためである。

 過去の新聞やニュースで、岳羽詠一朗がどれだけ社会からバッシングを受けたのかは知っている。

 生き残った研究者や桐条も同じように批判を受けたようだが、家族が死んだばかりに、周囲から強烈な批判を受けるというのは、ゆかりの心に深い傷を作ったに違いない。

 娘を頼むと頼まれ、それを請け負った湊にすれば、序列こそアイギスやチドリよりも下だが、彼女も同じように守るのが仕事だ。

 湊が過去の事故について話す事により、相手に何か得る物があるのなら、それくらいの手助けをするのも当然と言えた。

 

「そうか。とりあえず、オマエの周りに自分の事を話せる相手がいて良かったよ。そういう相手は貴重だからな。いっそ、自分の女にして傍に置いておけ」

「……好みじゃない」

「え、オマエ、好みとかあったのか?」

「人間だし、親しみなりを覚える要素くらいあるだろ」

 

 そう言って、何を当たり前の事をとばかりに呆れ顔をしながら、寝汗で濡れたシャツを脱いで、脱衣所の洗濯カゴに放り込む湊。

 確かに、湊は服装や武器などにある程度の嗜好を持っているので、それが人間に対して向いてもおかしくはない。

 けれど、今まで恋愛系はまるで興味がなさそうな態度を取っていただけに、湊にも女性の好みが存在すると聞いたイリスにすれば、それはまさしく青天の霹靂にも等しかった。

 

「オマエ、好みがあるんなら、普通に恋愛も出来るみたいだな」

「“普通の恋愛”は無理だろうが、恋愛自体は出来るだろうな。俺にその気がないだけで」

「因みに、どういった感じがタイプなんだ? 特別好みがないなら、可愛い系と美人系ならどっちが良いかでもいいぞ」

「強いて挙げるなら……美人系の方か。可愛い系はどうしても守る対象になり易い。守る対象とは恋愛なんて出来ないからな」

 

 自嘲的な笑みを浮かべながら答え、シャワーを浴びるつもりなのか、湊は自分の旅行鞄から着替えを取り出している。

 そして、そのまま脱衣所の中に入り扉を閉め、少しすると浴室に移動していたらしく、シャワーの音が聞こえてきた。

 シャワーだけのときでも髪はしっかり洗えと言われているので、腰に届く長さに達している湊は、あと十五分は出て来ないだろう。

 部屋に残ったイリスは湊に聞こえないことを確認してから、ベッドの縁に改めて腰掛けると、先ほどの少年の様子を思い出し悲痛な表情で独り呟く。

 

「……今でも夢に見るのか。やっぱり、目の前で死なれるってのはキツイよな。誰かが支えになってやれば良いんだろうが、アイツは守る対象との間に線引きをしちまってる。これじゃあ、エリザベスらの言っていた契約で、守る事を確約された小猫じゃどうしようもない」

 

 湊が仙道と戦った翌日、イリスは桜たちと一緒に、湊の本名を知らされると同時に、彼がチドリと結んだ契約の内容も目にしていた。

 その内容は、『最期までチドリを守り続ける』というもの。

 未来永劫、ずっと守り続けるのではなく、死ぬ最期の瞬間まで守り続けるという辺りに、少年らの妙な現実志向が窺える。

 本人たちは、あの時結んだ契約が自分たちの魂同士を繋いでいる絆だと今も思っているだろう。

 だが、本人たちの知らぬ間に、その契約がお互いを傷付ける最大の障害に為り変わっていることに気付き、イリスはやりきれない悔しさを感じて拳を握りしめた。

 

 

8月19日(土)

午後――月光館学園・中等部

 

 その日、桐条美鶴は普段よりも緊張した面持ちである人物を待っていた。

 現在彼女がいる場所は、様々な運動部の部室が入っている別棟だ。

 美鶴自身もフェンシング部に顔を出す際に利用しているが、今日ここにやってきたのは、湊のサブプランであったチドリの、そのさらにサブプランとしてラボでは扱われている、とあるペルソナ使い候補の少年を勧誘するためである。

 少年の所属する部活はお互いに殴り合うというルール上、試合後は学園と提携を結んでいる辰巳記念病院で検査を受けることを義務付けているのだが、つい先日、検査に訪れた少年に適性の測定も密かに受けさせると、ようやくペルソナに覚醒しうるレベルに達したと報告が入った。

 ラボでは湊が適性限界の十万に達するかもしれないと、新たに巨費を投じて感度と上限を高めた計測器を開発したので、少年の適性値に測定ミスはない。

 ならば相手がシャドウに襲われる危険性も考慮し、なるべく早期に説明をした方が良いだろうと思って、美鶴は今回待ち伏せという形を取ったのである。

 

(入り口の方が先ほどから騒がしいな。相手がもうすぐやって来るんだろう。今回はどうにか上手くいって欲しいものだが)

 

 そんな風に、以前の失敗から少し臆病になっている美鶴が、勧誘のために考えてきたことを何度も頭の中で反芻していると、校舎に生徒らが入って来て揉めているようだ。

 他校の人間が学費半分という金で少年を引き抜こうと言ったのが聞こえてきたときには、思わず出て行って、ならば我が校は全額免除しようと返そうかと思ったくらいだ。

 しかし、最終的に少年がわざわざ準優勝の学校に移る必要性を感じないと、ばっさり切り捨てて追い返していたので、話しに聞いていたよりも面白そうな人物だと小さく笑いながら美鶴は少年の元へ出て行った。

 

「フフ……あの追い返し方はないんじゃないか?」

 

 美鶴が声を掛けると、疲れた様子で深く息を吐いていた相手は、少し驚いたように顔をあげた。

 確かに、ようやく一息ついたところで、突然声をかけられれば誰だって驚くだろう。

 声を掛けてからそれに気付いた美鶴は、相手に悪い事をしたと謝罪を述べつつ、改めて声を掛ける。

 

「失礼、練習後はこうなると聞いていたので、先に来て待たせてもらった。三年C組、真田明彦君」

 

 そう、今回、美鶴がペルソナ使いとして勧誘しに来たのは、美紀の兄である真田明彦だった。

 二年生の三学期の検査と、今年の四月に行った検査では妙な伸び悩みが計測されていた。

 しかし、盆明けにあった試合が終わってからの検査では、何か悩みでも解決したのかと思うほど、すんなり適性が1000spを超えていた。

 自然適応者のペルソナ覚醒条件は未だ不明。

 そのため、どうして急に真田の適性が伸びたのかを桐条の人間に調査させると、その時期に夏祭りで真田が一時帰国した湊と接触していることが判明した。

 湊の適性値は正直化け物だ。あれが傍にいれば、鈍い者でも適性に目覚めそうなくらいに。

 以前から適性のあった真田であれば、適性なしと出ている者よりも、余計に影響を受けた事だろう。

 そうして、今回の覚醒条件は強い適性を持つ者に感化されてと結論が出た真田に、美鶴が凛々しい笑みを見せていると、相手は嘆息して立ったまま壁に背中を預けてから口を開いてきた。

 

「……用件はなんだ?」

「ん……? 私が誰か訊かないのか?」

「必要ない。面倒なしがらみを持って来ないでくれ。俺はただ、自分の力を鍛えたいだけだ」

 

 刺々しいというよりは、ただ面倒事に疲れてうんざりしているといった風に、相手は美鶴との間に壁を作って言外に帰れと言い放つ。

 しかし、事前の調査で『強さに固執している節がある』と書いてあった通り。相手は自分の鍛錬を邪魔するなと言っている印象を受けた。

 これならば、活動内容に戦闘が含まれていることもあって、お互いの利害は一致することだろう。

 そう考えて、美鶴は腕組みをしながら相手に向き直り、会話を続けることにした。

 

「面倒じゃないさ。私の頼みごとは、至ってシンプルだ」

「頼み?」

「……倒したい相手がいる」

 

 倒したい相手がいると言った途端、真田は少し驚いたように目を大きく開いた。

 きっと彼は、喧嘩の代行か何かを依頼されるのだろうかと思っているに違いない。

 しかし、それは誤りだ。美鶴は彼に代行ではなく、仲間になって欲しいと思っている。

 

「但し、相手は人間じゃない。ボクシングのルールを守る事もない。そして、相手は恐らく……君がこの頃、深夜に体験する“現象”と、関係がある」

「なんだとっ!?」

 

 自分と同じ現象を体験している人間が、まさか、こんなにも近くにいるとは思っていなかったのだろう。

 真田は壁にもたれ掛かるのをやめ、どこか値踏みするような視線で美鶴を捉える。

 ほぼ初対面の相手。それも男子が女子をそのような視線で見るなど、甚だ無礼なことだが、美鶴も相手の立場ならば同じようにしていたに違いないため、その無礼を特に気にせず苦笑で返す。

 

「私も同じ身の上なんだ。君と同じく“あの時間”が見える。でも君は、あの時間が何を意味するかを知らない。一緒に来るなら私の知る限りを教えよう」

「お前は、誰なんだ」

「私は桐条美鶴。君と同じ三年生だ」

「桐条? 聞いた名前だな」

 

 これでも美鶴は一年生のときから生徒会に所属し。二年生には副会長として、全校集会などで壇上に立って発表を行っていた。

 さらに、去年の終わり頃からは会長職を引き継ぎ、生徒会長として生徒の中では比較的頻繁に大勢へ顔を見せていたのだが、相手は本当に知らないようで、なんとなく名前は聞いたことがあるという顔で見てきている。

 自分を完全に居ないものとして、視界にすら収めない湊とは異なり。単純に世間の事に疎いから知らないだけのようだが、我が校の有名人男子らはどうしてこうも一癖も二癖もあるのか。

 そんな風に、美鶴は少々頭を抱えたい気持ちになりながら、相手に自分の事を思い出して貰えるよう少しばかり自己紹介を続ける。

 

「これでも生徒会長を務めさせてもらっている。それに、この学校の出資者の家の人間でもあるからな。聞いたことくらいはあるだろう」

「生徒会長……ああ、シンジから聞いたことがある。有里に付き纏って相手にされていないやつ、だったか?」

「……大変不愉快な覚えられ方だが、その彼に付き纏って相手にされていない人間で合っている。ただし、君とも、部の予算会議で顔を合わせていたはずだが、どうやら記憶が飛んでいるらしいな。真面目に参加していないのなら、高等部に上がってからの部の予算はいくらか減らしても良さそうだ」

 

 湊のストーカーのように言われ、組んでいた腕に力を込めながら、美鶴は目だけ笑っていない営業スマイルで相手の弱所を攻める。

 美鶴だって周囲から大人びていると言われても、心はまだまだ幼い中学生だ。

 湊と自身の家の間に浅くはない因縁がある事を知り、少し前まで精神的にも参っていたというのに、その傷をピンポイントで抉るような真似をされれば、流石に怒るのも無理はない。

 尚且つ、確かに客観的に見ればストーカーの数歩手前だったかもしれないが、中学生という多感な時期に、深く知る訳でもない相手から無遠慮にストーカー呼ばわりされれば、誰だって文句の一つでも言い返したくなるだろう。

 そうなると、来年以降も月光館学園のボクシング部で活動しようと思っている相手も、自分たちの活動の生命線を人質に取られると流石に焦ったようで、大きく眼を開き冷静さを欠いて口を開いて来る。

 

「ま、待て! 俺はただ知り合いからそう聞いただけだ。それにお前自身も認めているのなら、その事で怒ってくるのもおかしいだろ」

「事実であれば何でも言って良い事にはならないな。私は君に彼のストーカー呼ばわりされたことで深く傷付いた。具体的に言えば、衝動に任せて部の予算を三分の一にしてしまいたいくらいに」

「そ、そんな大事な物を衝動に任せるなっ。その理性の無さが周囲からストーカーに見られる原因ではないのか!」

「……随分と言ってくれるな」

 

 同じ学生の立場の者で、ここまで自分に対して堂々と意見してくる者など久しくいなかった。

 下級生にはチドリや、ある意味で含まれる湊のような人間もいるが、同輩となると友人とはっきり呼べるような人間も桐条宗家に残っている斉川菊乃くらいしかいないので、こういったはっきり思っている事を口に出来る人間との出会いは新鮮だった。

 まだ先ほど言われた“ストーカー”という言葉に引っ掛かる物は感じている。

 けれど、それ以上に新しい出会いでの妙な高揚感の方が勝っているため、美鶴は脱線していた話しを戻し、本題を切り出すことにした。

 

「まぁいい、話しを戻そう。君は“力を鍛えたい”と言っていたが、それなら戦いに、今よりも大きなものを賭ければいい。そう、例えば“覚悟”や“命”をな」

 

 言いながらポケットから召喚器を取り出して見せる。

 相手は初めて目にした本物の拳銃に驚いているようだが、しばらく待っていると、真田は意を決したように、覚悟の決まった瞳で召喚器を手に取った。

 

「……俺は銃は使わん。だが、あの時間の事を教えて貰えるのなら、この銃も持ってだけおいてやる」

「フフッ、そうか。まぁ、それは武器としての機能はないんだが。今日はもう遅い。詳しいことは後日話そう。都合の付く日を教えてくれ。指定の場所まで迎えを寄越す」

「明日でいい。迎えなら巌戸台駅まで来てくれ」

「了解した。では、明日の十時頃に駅のロータリーに居てくれ。出来れば汚れてもいい動き易い恰好でな。昼食はこちらで出すから、ご家族に連絡するのならそう伝えておいてほしい」

「ああ、わかった。それじゃあ、またな」

 

 明日のことについての連絡を終えると、真田は荷物でも取りに向かったのか、美鶴と別れて部室の方へと去って行った。

 その後ろ姿を見続け、完全に相手が見えなくなってから、

 

「……よっし」

 

 ようやく一歩前進出来たことに、美鶴は一人静かに喜びの拳を握るのだった。

 

 

 


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