【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第七十三話 二年、夏休み直前

深夜――廃工場

 

 海にほど近い静かな町の外れにある廃工場。

 寂れていつ建物が崩れても不思議ではないからと、地元の誰も近付こうとしないそんな場所に、けたたましい銃声が響く。

 音の発生源はコンテナの物影に隠れている、パーカーを着た小太りの男の持つ銃だ。

 AK-47、丈夫で取り扱いも簡単だからと、中東のテロリストたちにもよく使われている突撃銃の名機。

 優れた性能に対し、銃本体が比較的安価なため、この男も安くて簡単に使える物をと思って手に入れたのだろう。

 

「く、くるんじゃねーっ」

 

 しかし、いくら素晴らしい武器を手にしたところで、射手が三流ではろくな戦果は期待できない。

 隠れながら撃った弾丸は、全て相手に躱されてしまい、トタンの壁にいくつもの穴を増やしただけとなった。

 広範囲に広がるように撃った弾丸を全て躱されて、男はさらに焦りで照準をまとも付けられないでいる。

 すると、相手はそれを見越したように、大きく迂回する形で工場内を駆けまわって、男と同じようにコンテナの影に隠れてしまった。

 

「ハァ……ハァ……ぐっ、ちくしょう、あのクソったれが。化け物が相手なんて聞いてねえぞっ」

 

 相手の姿が見えなくなったことで、男はほとんど残弾の入ってない軽くなったマガジンを交換しながら悪態を吐く。

 男が受けた依頼は、違法な薬の受け渡しが行われる間の見張り役のはずだった。

 何事もなく取引が終了するか、余計な人間が来ても排除してしまえば、仕事の報酬+違法薬物の小さな袋が貰える。

 自分で薬を買う金がない男にとって、非常に好条件な仕事だからこそ受けたというのに、いざ仕事が始まると五分もしないうちに敵が現れた。

 取引をしていた男は真っ先に殺され、薬の入ったアタッシュケースは敵の一人に奪われてしまい。男と同じように見張りの仕事についていた者を、もう一人の敵が今現在狩っている。

 自分を含めて七人ほどいた筈だが、自分と敵以外に物音をさせている者がいない。

 となると、既に他の者は殺されてしまったのだろう。

 今朝は雲一つない青空が広がっていて、良い一日になりそうだと思いながら、つるんでいる連中と一緒に時間になるまで馬鹿をして楽しんでいた。

 仕事の時間が深夜だと聞かされても、自分たちが最も得意な時間帯だと笑って返した。

 本日の仕事で得た金と薬で、しばらくはハッピーな気分でいられる。そう思っていたのに、一体どこで自分は間違えてしまったのだろうか。

 絶対に生き伸びるんだと生にしがみつくことで、無理矢理にでも手足の震えを押さえこむ。銃を掴む指先が充血してピンク色になるほど強く握りしめて、男は恐怖と戦いながら敵の接近に備えた。

 だが、そんな男の決意を嘲笑うかのように、別のコンテナの影に行ったはずの敵が頭上から現れた。

 

「ひあっ!?」

 

 殆ど音もなく降り立った相手から距離を取ろうと男は後退る。

 けれど、既にコンテナと背中を密着させていた状態で、それ以上に下がれるはずもなく、男は怯えて目に涙を滲ませながら首を横に何度も振った。

 

「……じゃあな」

 

 感情の籠もらない呟きが消えるかどうか、そんなタイミングで男の首は宙を舞っていた。

 ごすん、と鈍い音を立てて地面に落ちた首から地面に赤い染みが広がる。

 その場に残っていた胴体からは勢いよく血飛沫が上がり、それが治まる頃にゆっくり倒れるように身体は横たわっていた。

 

***

 

 廃工場のすぐ近くに止められた車に、髪を高い位置で縛った湊が乗りこむ。

 本日、あの場にいた全員を殺したことで、キルスコアはさらに十二ほど増えたというのに、全く普段通りのやる気の無さで、運転席に座っているイリスに声をかけた。

 

「……素人だったな。見張りを雇ってるなんて聞いていなかったが、こっちじゃ報告のミスも日常茶飯事のようだし。仕事は問題なく終わったから別に構わないが」

「あー、いや、確かに情報の正確さはピンキリだけど、こうも報告ミスが重なるのは珍しいぞ。一応、違約金で報酬を多めに貰えるけど、アタシらは命懸かってるからな。偶然にしても嫌な感じだし。厄落としにちょっとお祓いして貰った方がいいかもな」

 

 最近、二人でも湊単独でも、受ける依頼の事前情報にミスが増えていた。

 湊らも先に情報収集をしてから依頼に臨むのだが、極狭い範囲の人間しか知ることの出来ない情報となると、時には依頼人の情報が頼りになる事もある。

 なので、そこに誤りがあっては、湊たちも当然困るのだが、一級の仕事屋である湊は自分の力でカバーすることにより無事に依頼を完遂していた。

 情報の伝達ミスは契約違反なので、イリスからはほくほく顔に見える、実際は普段と変わらぬ無表情で、湊はそれぞれの依頼人から違約金として三倍以上の報酬を受け取っている。

 もっとも、あの満月の日の依頼についてだけは許せなかったのか。湊はギルド経由で依頼人を直接呼び出し、報酬を受け取らずに相手の全身八ヶ所の骨を圧し折って病院送りにした。

 その場にいたイリスとマダム・リリィが必死に止めていなければ、そのまま相手を嬲り殺していたところで、依頼人と共に来ていたギルドの仲介人にも、今度仕事を回してくるときは裏取りをしておけと顔面に拳を叩き込んでおり。湊の仮面舞踏会は、ギルド側から仕事を回す際は注意せよと密かにマークされてしまっている。

 とはいえ、湊が異能持ちでなければ味方が殺されていたのだから、依頼人もギルドの仲介人も殺されても文句は言えない立場だ。

 それを病院送りで済ませて貰ったのだから、お互いの信頼関係で人殺しに物を頼んでいるという事を再認識するには、安い授業料だったと言えるだろう。

 そうして、最近ではめっきりギルド経由の依頼を受けなくなった湊は、走り出した車の中で、先ほどのイリスの言葉で彼女の宗教観が気になったのか、ドリンクホルダーから取ったコーラの瓶から口を離して話しかけた。

 

「……クリスチャンだろ?」

「いや、実家はカトリック系だけどアタシは無宗教だぞ。生き残れるなら、神でも仏でも拝むさ。ってか、教会でもお祓いはしてくれるからな? エクソシストとか日本でも割と有名だし」

「ああ……そんなのもあったな」

 

 確かに日本でも悪魔払いを行う者としてエクソシストは知られており、日本語では『祓魔師』と訳されている。

 ただし、神道とキリスト教では宗教観の違いから、払う魔の意味が異なっているので、同じ感覚でお祓いをしてもらうのはどうかという疑問が浮かぶ。

 相手はそんな湊の考えをまるで気にしていないのか、前を向いて運転をしながら、楽しげに口元を歪め喋り出す。

 

「オマエ、司祭服(キャソック)も似合いそうだよな。今度、買って来てやるから着てみろよ」

「あれ、売ってるのか?」

「そりゃ、専門店に行けば売ってるだろ。しっかり仕立ててくれるとこもあるけど、日本の吊るし売りっぽいノリで売ってるところもあるぞ。あれ、言って普段用の仕事着だからな。祭服(アルバ)よりも扱いは軽いさ」

 

 日本では司祭服などコスプレ用を除けば一般流通している物ではないため、外国ではそれなりに取り扱っている専門店がある事に、湊はそうなのかと軽く感心した。

 だからと言って、イリスが買ってきたとしても着るつもりはないが、二人はそのまま雑談を続け、押収した違法な薬物を適切に処理してくれる依頼人のもとへと車を走らせたのだった。

 

 

7月21日(金)

昼休み――月光館学園

 

 一学期の期末試験が行われた翌週の週末、ここ月光館学園の中・高等部では、全生徒が総合得点で順位を貼り出されていた。

 チドリたちのいる2-Bの教室にも、順位が貼り出されたと報告に来た生徒がいたため、美術工芸部のメンバーは揃って職員室前の廊下へ集まっている。

 彼女たちの学年はトップだった湊が留学しているため、上位陣はやや繰り上がる形で、去年とほぼ同じメンバーが名を連ねていた。

 

「あ、中間と同じで美紀ちゃんとチドリちゃんが一位と二位だね。私は……十二位かぁ。もっと頑張って、十番以内に入りたいな」

 

 人混みの中で一生懸命に背伸びをして順位を見ている風花は、ようやく自分たちの順位を把握できたことで、ホッと息を吐きながら密かにやる気を見せている。

 月光館学園は学力の幅は広いが、上位陣は超進学校や難関大学に進むので、そんな中で十位前後の順位に付けているだけでも優秀と言えるだろう。

 けれど、現在の地位に甘んじることなく、さらに上を目指すところに風花の真面目な性格が伺えた。

 ただし、今後も努力しようという言葉を、本人の意図とは別の受け取り方をする人間もいるので、他の者と話しているときには注意が必要である。

 

「……風花さ。それ約二四〇人中で八十三位の私に対する嫌味かなにか?」

「ええっ!? ち、違うよ。私、そんなつもりじゃっ」

 

 去年よりも順位が落ちてきているゆかりは、ほとんど順位に変動がない他の三人との差にかなり落ち込んでいた。

 他の三人と違い。美術工芸部がない日でも、ゆかりは弓道部に出ているので、勉強時間は劣っているかもしれない。

 だが、話しを聞いてみると、湊とチドリは学校の勉強は宿題以外全くしない人間であり。美紀と風花も、宿題にプラスして当日のノートを清書しながら、翌日の授業の範囲の確認として少し予習する程度だという。

 テスト期間になれば、チドリも他の人間と同じように試験範囲を勉強したりもするが、学校で他の者たちと一緒にするくらいで、家ではやはり勉強しない人間だ。

 それで常に学費免除圏内に入っているのだから、出来ないなりに必死に努力しているゆかりとしては、何とも言いようのない不満を感じずにはいられなかった。

 

「ってか、去年と同じように試験前には皆に教えて貰って勉強してるのに、なんで私だけ成績下がるんだろう……」

「それはやっぱり、二年生になって授業内容も難しくなっているからではないですか? 私も授業だけでは理解しきれない部分が増えていますから」

 

 落ち込んで肩を落とすゆかりに、美紀が自分も一緒だとフォローを入れて慰める。

 しかし、美紀とゆかりではあまりに順位に差があり過ぎるため、効果はほとんどなく、ゆかりを元気付けるには至らなかった。

 全体の人数を考えれば、ゆかりも悪い成績という訳ではないのだ。

 ただ、周囲の人間が少しばかり勉学に秀でているばかりに、中の上程度のゆかりが惨めに映ってしまうだけで。

 そんな暗い影を落として順位の確認を終えて教室に戻る途中、飲み物を買うことにしたゆかりは、購買に立ち寄っておばちゃんに『後光の紅茶』を注文する。

 相手が冷蔵ケースから500mlのペットボトルを取り出すのを眺めて待っている間、先ほどから何やら静かに考え事をしていたチドリが話しかけてきた。

 

「……思ったんだけど、貴女って私たちと学習方法が違うんじゃないの?」

「は? いや、一緒に勉強してたじゃん。自宅学習のこと言ってるなら、確かに違うかもしれないけど」

「そうじゃなくて、自分に合った勉強法の話し。去年と今年の差異を考えたら、湊がいるかいないかが一番大きな違いでしょ。それで、去年の試験勉強のときを思い出すと、貴女ってほとんど湊と勉強してたのよ」

「……そうだっけ?」

 

 購買のおばちゃんに代金を渡し、後光の紅茶を受け取りながらチドリに言われた事を思い出してみる。

 試験勉強は部室で行っていたので、メンバーは佐久間も含めて揃っていたが、よく考えると湊だけは本を読んで試験勉強をしていなかった気がする。

 けれど、他の者に質問を受ければ、佐久間か湊が指導に当たっていたので、ちゃんと試験範囲の内容をマスターしているからこそ、他の者の邪魔をしない程度に自分の時間を過ごしていたのだろう。

 そして、ゆかりは最も成績が悪いという事で、学年トップである湊の隣に座って試験勉強に励んでいた。

 席が隣であるため、質問をするのも自然と湊ばかりに集中していた気がするので、確かにチドリの言っていることは正しいのかもしれない。

 今まで気付いていなかった事を気付けたことで、自身の成績が下がった原因と解決法が見えてくる。閃いたとばかりに明るい表情でゆかりは口を開いた。

 

「あ、それじゃあ、試験勉強のときは彼を借りていけば!」

「岳羽さーん、独占禁止法って知ってるかなぁ? もしも、有里君が戻って来てから、試験期間の度にそんなことするなら、教師の権限をフルに使って内申点大幅に下げるからね?」

「なにそれ、生徒の成績の方が大切なはずでしょ? ってか、先生どこから現れたんですか?」

 

 急に背後から現れ、ゆかり発案の成績アップ法を絶対にさせないと言い切った佐久間に、ゆかりは眉を顰めて嘆息する。

 今日の佐久間は、ブラウスの上に薄水色のサマーカーディガンを羽織っており、都会の夏を過ごすには随分と涼しげだが、それ以上に彼女の瞳は氷の如き冷たさを宿していた。

 顔は笑っているが目だけ笑っていない。佐久間は性格はともかく、ルックスは最高ランクなので、美人がそんな表情を作るとそれなりに威圧感がある。

 また、彼女本来の性格は仕事中の湊に近く、周囲に欠片も興味を抱かず、冷酷なまでに現実主義だった。

 元々、世界は色褪せていてつまらないと諦め、心の中でまわりの人間を冷めた思考でくだらないやつらだと見下していたのだ。

 湊との出会いによって、“孤独な天才”から“普通の人間”の輪の中へと戻った折に、演じていた佐久間文子も自分の性格となった訳だが、素の佐久間文子の性格が消えた訳ではない。

 故に、佐久間は本来の自分の性格でもって、少し前から恋愛においては敵であると認識している相手を見つめて言葉を返す。

 

「確かに、あたしも教師として成績も含めて生徒を大切にしてるけどさ。優先順位ってのがあって、生徒は三番目なのよ。ああ、言わなくても分かると思うけど、一番は有里君で二番は自分ね」

「……湊が言ってた本性ってソレ?」

 

 “氷の女”、そう呼称したくなるような、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている佐久間に一同が目を丸くしている中、チドリだけは湊に佐久間の本性が別にあると聞いていたようで、やる気のない瞳でジッと見ながら尋ねていた。

 相手はその質問を気にした様子もなく、胸の辺りで腕を組んで薄く笑い答える。

 

「ん? ああ、そうね。普段のイメージからすると冷たいっしょ。今はどっちが素って事もないけど、有里君に会うまでこっちが素で、普段のは演技で作った性格だったの。まぁ、貴女たちは有里君の雰囲気に慣れてるから、今のあたしでも特に問題ないと思うけど。ってか、やっぱり彼にはバレてたか」

 

 別に隠していた訳ではないが、こちらが本来の性格だと気付かれた上で何も言われていなかったことに、佐久間は少しばかり気恥ずかしさを覚え苦笑する。

 普段の佐久間がノリの良いお姉ちゃんだとすれば、今の佐久間はクールな美人秘書とでも言いたくなる大人の女性だ。

 酒が入っていても誰にも見せていたかったため、そんな友近の好みにど真ん中ストライクな性格を、どうやって湊は看破していたのか。

 少しばかり気になる佐久間であったが、湊はたまに人の心を読んでいるのかと思う発言をしてくることがある。

 その度にいつも心臓を掴まれたようにドキリとしている訳だが、そういう不思議さもあって、佐久間は敢えて究明しようとは思わず、ゆっくり息を吐いて元は仮面だった普段の佐久間としての性格へと戻った。

 

「さってとー。ま、岳羽さんが成績に不安を覚えたなら、部活のときでも質問にきていいからさ。有里君を独占しようとするのはやめようね。先生との約束だよ!」

「え? ああ、はい。……別に独占しようとは思ってなかったけど」

 

 成績アップのために臨時教師になって貰おうと思っていただけで、自分の勉強のみを見て貰おうと思っていた訳ではない。

 そう小さく呟いたゆかりだったが、自分の担任の隠された一面を見たせいで、これ以上、何か言い合いになるような事は避けるべきかと、相手の言い分を受け入れた。

 それで佐久間は満足なのか、上機嫌で何度も頷き購買へと歩いてゆく。

 お菓子と飲み物を買っているようだが、もう教室に帰っても良いのだろうかと一同が考えていると、買い物を終えた佐久間が戻ってきて、チドリに声をかけてきた。

 

「あ、そうそう。吉野さんさ。有里君の夏休みの予定って聞いてる? いつ帰ってくるとか、この日は空いてるとか」

「……一応ね。七月中は全く帰ってこないって。で、八月も私の誕生日に合わせて一時帰国するだけで、すぐに向こうに戻るってさ」

 

 学校が公募しているような交換留学ではないため、湊の留学中の情報は知り合い以外にはほとんど入って来ない。

 そのため、佐久間は湊がちゃんと夏休みに帰ってくるのか尋ねたのだが、チドリからほぼ帰ってこないと聞いたことで、相手は眉根を寄せて拗ねたように不満を漏らす。

 

「えー、それじゃあ全然会えないじゃーん」

「知らないわよ。ていうか、夏休みなんだから、元々そんなに会う事もないでしょ」

「会わないのと会えないのじゃ違うんだよぉ。はぁ……今年は二人で温泉旅行にでも行こうと思ってたのに、来年に持ち越しかぁ」

 

 言いながら、佐久間は腕をだらりと下げて脱力しながら落ち込んでいる。

 しかし、彼女の口から洩れた秘密の計画の内容は、決して生徒にばらしていいものではなかった。

 幸いにも他の者には聞こえていなかったようだが、近くに居たことでしっかり聞いた美術工芸部のメンバー内でオフェンスの二人が、やや相手を軽蔑したような目付きで佐久間に言葉をぶつけた。

 

「先生、流石に女性教師が男子生徒と二人で温泉ってのは、世間体も含めて問題あると思うんですけど」

「あんた、湊と温泉に行って何するつもり?」

「何って、別に観光したり温泉でのんびりするつもりだけど? あ、さては、吉野さんったらえっちぃ事を想像したな! 駄目だぞぉ、中学生でそんな事ばっかり考えてちゃ」

 

 最後に「めっ!」とばかりに腰に手を当て、佐久間は人差し指を立てて注意してくる。

 確かに、佐久間自身は夏休みに一緒に旅行へ行こうと思っていたと、自分が考えていたことを口にしただけだ。

 元々、彼女は男女の交際はちゃんと順序を踏んでからという、最近の若者にしては真面目な貞操観念を持っていることを度々匂わせていたので、湊へのスキンシップは多少過度だった時期もあったが、その点に関しては信じても良いかもしれない。

 けれど、仮に相手の貞操観念がそうだったとしても、何もしないとは信じきれない部分が存在する。

 故に、変なところで大人や教師として振舞われても、二人は引かずさらに返した。

 

「あっそ。クマモンが無職になるのは構わないけど、湊の経歴に傷がついたら堪らないから、やるなら他所でやってよね」

「ええー、嫌だよ。私は有里君がいいもん」

「マスコミの取材があったら、いつかやると思ってましたって答えますね」

「うへぇ、いつの間にか私のイメージが犯罪者になってるぜい……」

 

 取り付く島もない生徒らの言葉に、佐久間もゲンナリした様子で落ち込んでいる。

 そもそも、佐久間の普段の行動が全て原因なのだから、自業自得でしかないが、深く鋭い読みが出来るくせに行動に反映させない彼女は、すぐにパッと顔を上げて不敵な笑みでさらに返してきた。

 

「けーど、甘いなぁ。私は既に有里君とのキスを済ませてるもんね。貴女たちが青い春を過ごしている間に、私は私で大人な時間を過ごしていたのだよっ」

「……警察って110番だよね。あーあ、夏休み前に知り合いから前科持ちが出るなんてついてないなぁ」

「ちょっ、岳羽さんやっぱり私にだけ酷くない? そんな扱い受けるようなこと何かした?」

 

 ゆかりの自分に対する態度があまりに辛辣すぎる。

 佐久間は自分が相手に何かしてしまって、現在のような状況になっているのか考えてみたが、特に思い当たる節がなかったため、携帯電話を持っている相手の腕を掴みながら問いかけた。

 すると、尋ねられたゆかりは、先ほどの佐久間に近い冷やかな表情で、相手を突き放す様に淡々と答える。

 

「いえ、単に男に依存する女性が嫌いなだけですから、気にしないでください」

「わ、私は自立してるよ?」

 

 湊に付き纏っている部分はあるかもしれないが、依存していると言われるほど、行動を共にしている訳でも、頼りきっている訳でもない。

 それ以前に、湊は普段は誰とも関わりを持とうとしないくせに、何か困っていれば無言で手を貸して、勝手に解決していくような不思議な性格をした人間だ。

 あとでお礼を言われても、「……そう」と返す程度で、本当にどうして助けてくれたのか分からないと感じる人間が続出する始末。

 相手に好意を抱いている身ならば、心の支えにはしているかもしれないが、そんな人間に依存する事など難しい訳で、佐久間は暗い表情をして黙っているゆかりの意図を図りかねた。

 それから、しばらく一同の間に暗い沈黙が続き、昼休み終了五分前の予鈴が鳴った事でようやく動けるようになったことで、佐久間は職員室に、他の者は自分たちの教室へと別れて戻ったのだった。

 

夜――月光館学園・女子寮

 

 部活を終えて学校から帰り。夕食や入浴を済ませたゆかりは、独りベッドに寝転がりながら、昼休みのことで自己嫌悪に陥っていた。

 最近の佐久間の態度にイラついていた事は事実だ。何かにつけて『有里君』と、それしか無いのかと言いたくなるほど、佐久間の口にする話題は湊に関してのことが多かった。

 授業中は割と真面目で、他の教師よりもよっぽど教え方も上手いので、指導者として非常に優秀なのだろう。

 テスト期間には担当外の科目だろうと教えてくれることからも、彼女とスペックで競えるのは湊と櫛名田くらいなものだと実感している。

 だが、彼女が笑顔で『有里君』という度に、父の死後、付き合う男に依存していた自分の母親の姿が重なって見えて、昼休みのような冷たい態度を取ってしまうのだった。

 

(はぁ……なにやってんだろ、私。先生は別に悪くないじゃん。それなのに勝手に八つ当たりして、場の空気まで悪くしちゃって。本当に最悪だよね)

 

 自分は母親のようにはならない。幼い頃から、死んだ父親のことを忘れてしまったかのように、別の男と付き合ってばかりの母を見て、ゆかりが思っていた事だ。

 学校から帰ってくると、家には知らない男がいて、母から「今お付き合いしている方よ」と紹介を受けていた。

 最初は、夫の死と社会からのバッシングで沈んでいた母が元気になるならと、複雑な思いをしながらも笑って受け入れていた。

 けれど、各地を転々としている間に、付き合う相手を何度も変えていたので、次第に母は誰かに依存したいだけで、死んだ父など既に過去のことと割り切っているようにしか見えず。

 父との思い出を今も大切にしているゆかりにとって、母親のように自分の弱さから眼を背け、男性に頼ること自体が嫌悪すべき物という今の考えに至るようになった。

 

(なんで、そんなに男の人に依存するんだろう。守られたいから? 安心したいから? 分からないのは私が子どもだからなのかな)

 

 母親の考えていることが全く分からない。

 つい先日にも、母親から電話がかかってきて、夏休みには実家に帰ってくるかと聞かれた。

 寮暮らしを始めてから、長期休み以外で会う事など基本的に無いので、久しぶりに会って色々と話したいと。

 だが、どうにも母親の言葉に裏があるような気がするので、何か話したいことでもあるか尋ねれば、

 

「いまお付き合いしている方が、ゆかりにも会ってみたいと言っているの」

 

 と、また別の男と付き合っていることを暴露してきた。

 そんな話を聞かされて快く了承出来るほど、ゆかりはまだ大人ではないため、部活の練習と友達と出掛ける用事が入っているから、帰れるか分からないと返しておいた。

 母はそれを聞いて残念そうにしていたが、ゆかりが実家へ帰る事を拒否したのには、もう一つの理由が存在した。

 母方の実家は桐条の名士会に名を連ねている名家なので、実家に帰れば、桐条家主催のパーティーに出席しなければならなくなる。

 しかし、父親の死の原因を知ろうとしている身としては、核心にいる人物らと顔を合わせるのは、どうにも気まずい物がある。

 桐条美鶴は一生徒でしかない自分など知らないだろうが、学校の廊下ですれ違うこともあるので、何も調べられていない状態で、顔を覚えられて動きづらくなることは避けたい。

 そういった理由もあって、ゆかりは出来るだけ桐条と接触しないよう注意して普段も行動していたのだった。

 

(爆発事故の新聞記事は色々と読んでみたけど、実験の失敗で装置が爆発したことが原因って書いてるくらいで、真相らしいものは何もなかったな。他に何を調べたら良いのかも分からないし。いっそ、有里君とか被害者に当時の状況を……聞ける訳ないか)

 

 父の死に関係している爆発事故だが、どこで爆発があった、事故発生時に現場にいたのは誰か、分かっているのはそれくらいで、何が原因でどんな規模の爆発があったのかは、ほとんど記録が残っていない。

 父親が事故を起こした張本人というのも、当時の父の肩書きが主任だったために、責任者として槍玉にあげられていただけに過ぎない。

 何せ、事故原因も詳しく分かっていないのだから、話題の欲しいマスコミとしては、現場に居て死亡した責任者をそう仕立て上げるしかないだろう。

 十分な証拠もない状態で、死んだ家族に汚名を着せられた身内としては堪ったものではないが、被害に遭った人々の感情の矛先を向ける受け皿が必要だったというのは、逃げるように各地を転々として生活の中でゆかりも嫌というほど理解していた。

 

(けど、私だけは真実に辿り着いてみせる。お父さんが大勢の人を犠牲にしようとしたはずがない。お母さんは逃げたけど、私だけは絶対に逃げずにお父さんの無念を晴らしてみせるから)

 

 うじうじと悩んでいてもしょうがない。誰も助けてくれなくとも、自分のやることは変わらないのだ。

 ベッドから起き上がったゆかりは、机の置いてある父から貰ったストラップに視線を送ると、しっかりと頷き、決意を新たにした。

 そうして、明日からまた頑張るため、とりあえず佐久間に本日までの八つ当たり染みた態度を謝罪する事に決め、ゆかりは歯磨きをしてからゆっくり休むことにした。

 

 

 

 


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