【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第六十七話 候補者の勧誘

5月30日(火)

朝――月光館学園・巌戸台分寮

 

 桐条美鶴は目を覚ますと学校へ行くための支度を整え、軽い朝食を済ませてから登校まで余裕があったので、紅茶を飲みながらある資料に目を通していた。

 彼女が今いるこの巌戸台分寮は、対シャドウ特別組織であるペルソナ使いの拠点として改装された元ホテルである。

 しかし、元がホテルであると分かるのは外観を除けば、エントランスや別館の大浴場に面影が残るのみで、個室は学生寮の体裁を取っているため内装を若者向けにリフォームされていた。

 加えて、一目見ただけでは気付かないが、大切なペルソナ使いを守るために各部屋の扉や窓は特殊仕様で、物が当たった程度では壊れないどころか、拳銃でも貫通出来ないようになっており。四階の作戦室の装置を使うか、桐条のラボに連絡することで遠隔でロックする事も出来る。

 それらは防犯にも使えるので、ペルソナ使いや候補者が入寮した場合のセキュリティは万全だ。

 さらに、シャドウとの戦いで心身ともに疲労を感じることが予想されているため、入寮者のケアのために各フロアロビーの休憩スペースには自動販売機を完備。

 男女で分かれている大浴場にはサウナとジャグジーを備え、キッチンの調理機材も業務用冷蔵庫や大型オーブンなど非常に高価な物を揃えているため、入浴や食事も十分に楽しめるようになっている。

 あとは候補者を招き、ここで生活しながら訓練を積んでペルソナに目覚めて貰えば言う事なしだ。

 現段階ではもっとも経験を積んでいる美鶴がリーダーを務めることになっているが、それ以上に相応しい者が現れれば、現場の判断で役割を交代してよいことになっている。

 美鶴自身、自分がリーダーの器ではないことは自覚していて、普段は冷静でいようと努めているが、どうしても目的のために非情になりきれないのだ。

 シャドウとの戦いは人々を守るためのもの。自分たちペルソナ使いが戦って倒さなければならず。倒さなければシャドウに襲われた者たちが心を喰われて影人間になってしまう。

 それを防ぐために、美鶴はなんとしても仲間を増やしてシャドウと戦う必要があるのだが、

 

(……吉野は相変わらず高い適性を有しているな。有里は今期の測定が出来ていないが、吉野は去年よりも着実に適性が伸びている。ラボで戦闘訓練を始めたというのに、差はさらに広がっているな)

 

 そう、候補者は既にいるのだ。

 有里湊と吉野千鳥。この二名は、去年の四月に行った身体測定を利用した適性検査で、それぞれが美鶴の倍以上の適性を有していると出ていた。

 去年まで美鶴の適性はほぼ横ばいで、ラボにいる訓練用に調整されたシャドウを使った戦闘訓練を始めたことで、ようやく数値が上がり始めた。

 シャドウは影時間にしか出現しないが、訓練用の調整個体は研究員が手を加えたことで、自分の周囲に影時間に似た空間を展開することが可能となっている。

 そのおかげで美鶴は影時間以外でも、放課後や休日を利用して訓練を行えていたのだが、厳しい訓練を積んだ美鶴よりもチドリの伸び率の方が上回っていた。

 この結果を見たときは、流石の美鶴もショックを隠しきれず愕然とした。

 所属しているフェンシング部のトレーニングなど、ただのウォーミングアップではないかと思えるほど、戦闘以外にも体力や筋力をつけるため激しいトレーニングを行ってきた。

 実際の戦闘訓練では生傷が絶えず、過労で病院に運ばれたことも一度や二度ではない。

 だというのに、友人らとわいわい楽しく学校生活を満喫しているだけの学生に成長速度で負けている。これでショックを受けるなという方が無理な話だ。

 

(私が弱いのか、それとも有里や吉野が強いのか……)

 

 ラボの研究員の仮説では、本人の持っている素体スペックによって伸び代が異なり、チドリはまだまだ上限に達していないために成長速度が速いのではないかと言っていた。

 今学期の結果によるとチドリは美鶴の二倍強、湊に至っては去年の一学期ではチドリの三倍だったというのに、夏休み明けの二学期の身体測定の時点ではチドリの四倍になっていた。

 冬休み明けの三学期ではそれほど変わっていなかったが、四月から九月の間にいったいなにをすれば、そこまで驚異的に数値が跳ね上がるのかと研究員らも疑問に思っていた。

 さらに、このまま湊が成長を続ければ、いつか現行の装置では数値を計測しきれなくなるとも言われていて。数値を振りきれば計測結果はゼロを示すので、どんなに数値が低い者でも生きている限りゼロになることはあり得ないことから、それはそれで分かり易いだろうと研究員らは冗談ぽく笑っていた。

 だが、素体スペックの話しが本当だとすれば、成長の遅い美鶴の伸び代が残り少ないということになり、チドリと湊はまだまだ余裕があるからこその成長速度だと、結果がその説の正しさを証明する様相を見せていた。

 

(個人の資質ならまだ諦めもつくだろう。しかし、これがメンタルの問題だとすれば、彼らはどこでその強さを手に入れた? 家が極道だから胆が据わっている? いや、それだけでは説明できない。けれど、他に思い付く理由もない。やはり、最低でも彼女と接触を図るしかないか……)

 

 自分とチドリたちの差を知りたい。真似したところで、それが直ぐに数値の上昇に繋がるとは思えないが、ほとんど横ばいの結果しか出せていない現状を美鶴は打破したかった。

 話しを聞くからには仲間にも誘うつもりだが、仮に断られても当てはまだある。

 その当てとは美鶴と同じ三年生の真田明彦。彼は去年の秋の終わり頃から適性をぐんぐんと伸ばし、適性だけでなくペルソナを得られるラインにすら届こうとしていた。

 以前、二年生だったときに湊と野試合をして、かなり悲惨な結果に終わってから、何かに取り憑かれたようにトレーニングに励んでいると美鶴も聞いている。

 力を求めるならシャドウとの戦いはぴったりだ。ペルソナは心の力であるため、シャドウと戦うことで心も同時に鍛えられるだろう。

 ならば、チドリは湊と同じように断ってくる可能性が高いが、真田の方は誘い方によっては喰いついてくるに違いない。

 湊には無視され続けているものの、チドリが自分を認識している事も含め、断られても保険があるという事実に、美鶴はいくらか心が軽くなったことを感じながら資料を鞄に仕舞って学校へと向かうのだった。

 

昼休み――2-B教室

 

 今朝、チドリとコンタクトを取る事に決めていた美鶴は、四限目が終わると教室を出て、真っ直ぐチドリのいる2-Bの教室へと向かった。

 廊下で通り過ぎる生徒の多くが挨拶をしてくるので、それらに笑みを浮かべて応じてゆく。

 中には三年生が二年生のフロアにいるのが珍しいのか、共にいる友人に声をかけて視線を向けてくる者もいる。

 しかし、美鶴は自分が桐条の娘ということもあり、周囲の者に視線を向けられることに慣れていた。

 そういった者たちは、顔を向けて見てくるだけで、声をかけてくることもなければ、自分の行動を阻害するような行為もしてこない。

 何もしてこないのなら、その場にいるだけで背景と特に変わらない。美鶴は無意識に彼らの存在を思考の端へ送ると、到着した教室のドアを開いた。

 美鶴がドアを開けて教室に入ると、廊下での視線とは違った色が後輩らの目に宿る。

 どうして上級生が、桐条美鶴がクラスにくるなんて一大事だ、大概の者らはそんな事を考えていそうだが、教室を見渡して見つけた目的の人物の視線は訝しむような色をしていた。

 自分が相手に何かしたかと、視線の意味が気に掛かる。

 けれど、来たからには目的を達成しなければ無駄足になるので、美鶴は「失礼する」と短く告げて教室に入るとそのままチドリのいる席に向かった。

 

「食事中に済まない。私は三年生の桐条美鶴。吉野千鳥さんに少し用事があるんだが、放課後に時間を作ってはくれないだろうか?」

 

 前の席の女子と一緒に弁当を食べていたチドリと視線がぶつかる。

 訝しむような色は消え、今は純粋に美鶴が何の用事で来たのかを読みとろうとしているように見える。

 もっとも、そのような目で見られたところで、美鶴は影時間に関わる内容を公にするつもりがないので、ここで用件を話せと言われたところで答える事は出来ない。

 影時間・ペルソナ・シャドウ、どれも質の悪い冗談かフィクションにしか思えない内容ばかりだ。

 それらを信用して貰おうと、存在を裏付けるための資料はちゃんと用意してあるが、その資料とて現在は教室に置いている鞄の中。

 取りに行っている間、待たせた相手の大切な休憩時間を消費することにもなるので、相手が素直に応じてくれれば嬉しいのだが、美鶴がジッと相手の答えを待っていると、チドリは視線を弁当に戻して食事を再開しながら答えた。

 

「……それ、貴女が湊に付き纏ってたことにも関係あるんでしょ」

「そうだ。人前では詳しく話せないが、率直に言えば優先順位は彼の方が高かった。だが、君も無関係ではないので、是非とも話しを聞いてもらいたい。お願い出来ないだろうか?」

「……別にいいわ。けど、部活があるから手短にお願い。それと交渉事みたいだから、決裂した場合、今後一切、私と湊に同様の交渉を持ちかけないで。それが話しを聞く条件」

 

 チドリの出してきた条件に、美鶴は意表を突かれて瞳を大きく開き、組んでいた腕にも僅かに力が籠もる。

 確かに、ずっと湊に話しを聞いてくれと付き纏っていたため、傍でその光景を見ていたチドリでなくとも、美鶴が何かしらの交渉を持ちかけたがっているのは理解出来ただろう。

 そして、湊が全く相手にしていなかったとは言え、家族がしつこく付き纏われているのを知って、相手が良い気分などするはずがなかった。

 チドリがここでそれらを清算するため、湊と違って話しを聞く事を了承する代わりに、美鶴にとって苦渋の選択を条件として突き付けてきた理由も納得がいった。

 そうして、ここでそれを受けるか美鶴は深く考え込み。湊が一度として会話を交わしてくれない現状から、いつか会話をしてくれるかもしれないという希望的観測を捨て、厳しくとも現状ではマシだと思えるチドリの条件を呑む事にした。

 

「わかった。交渉が決裂した場合、君と有里には同様の件では一切付き纏わないと約束しよう。だが、学内行事で関わることがあれば、そのときには一生徒として普通に接しても構わないか?」

「あくまで生徒同士としての内容ならね。事務的な対応にはなるでしょうけど、行事の準備や進行のために関わるのはしょうがないから。まぁ、交渉がなくなっても湊の対応が変わるかは知らないけど」

「ああ、有里に関しては諦めている部分があるので構わない。では、生徒会室を開けているので、放課後になったらきてくれ。詳しい話しはそのときに」

 

 約束は取り付けた。湊に今まで無視されたことを考えれば、条件を呑むのは難しい選択だったものの前進に違いない。

 色良い返事を貰うことはチドリの性格を考えるに出来ないかもしれないが、それでも美鶴は事態が僅かにでも動いたことに喜びを感じた。

 去る前に、「では、また」とだけ言い残して教室を出ると、美鶴はそのまま学食で昼食を済ませてから、自分のクラスに戻ってチドリに分かり易く説明する方法を考えていた。

 

放課後――生徒会室

 

 チドリと約束を取り付けてから、美鶴は授業を受けている間も放課後の事で頭がいっぱいになっていた。

 耳で音は聞いていたので、指名されれば直ぐに答える事も出来たが、学生の本分を無視して集中できないなど己の未熟さに自嘲的な笑みが人知れずこぼれもした。

 けれど、今日の話し合いはそれほどまでの価値が美鶴にとってはあった。

 授業を終えて生徒会室の鍵を開けると、昼休みの間に借りてきていたカセットコンロを使ってケトルにお湯を沸かし、ポットとカップも温めて紅茶を淹れる準備をする。

 相手がコーヒー党なら好みのリサーチ不足だと非常に初歩的なミスに嘆くところだが、紅茶嫌いでなければ楽しんでもらえる味のお茶を振る舞うつもりだ。

 時計に目をやり、ショートホームルーム終了のチャイムから既に十分が経過していることを確認する。

 チドリが掃除当番でなければ、そろそろくる時間だ。条件を出したからには約束をすっぽかす事はないと信じたい。

 そうして、本当にやってくるのか不安を感じつつ待っていたとき、控えめにドアを四回叩く音が聞こえた。

 ノックのマナーを知っていることに、やはり相手は一般生徒とは異なっていると再確認し、美鶴は気を引き締めてからドアの向こうの相手に声をかけた。

 

「鍵は開いている。入ってくれ」

「……お邪魔します」

 

 やる気の感じられない目付きで部屋の中を眺めながら、ドアを開いたチドリは生徒会室に入ってくる。

 美鶴はその場で立ち上がると、机を挟んで向かい側の席に座るよう告げて、相手が着席した事で笑みを浮かべて口を開いた。

 

「来てくれてありがとう。あまり時間を取らせる気はないが、何もないというのも味気ないのでな。紅茶くらいはご馳走させて欲しい」

「なら、準備をしながらでも概要を話してくれる? 資料があるなら、先に目を通してもいいけど」

「資料は用意しているが、ただそれを読んでも信じて貰える内容ではないんだ。すぐにお茶の用意を済ませてしまうから、少し待って欲しい。私も君にはちゃんと理解して貰いたいんだ」

 

 チドリからこういった効率重視の発言がくることは予想していた。

 相手は美鶴が校内で一目置く四人の内の一人。他は湊・佐久間・櫛名田の三人で、この四人は一般生徒や一般人とは違う切り口から物事を見ている節がある。

 だからこそ、マナーをあえて無視した発言も十二分にあり得ると踏んでいたのだが、美鶴は自分の予想が見事に当たった事で、そうくる心の準備をしていて良かったと内心安堵した。

 そして、美鶴の言葉に渋々従って大人しくしていたチドリの前に紅茶を注いだカップを置き、美鶴は自分の前に出していたファイルを相手に見せながら説明を始めた。

 

「質問があればその都度してくれて構わない。だがまずは、君や有里を呼んでいた理由から説明させてくれ」

「ええ、いいわ」

「では、私が君たちを呼んでいたのは、ある検査で君たちが高レベルの適性を有していると分かったからだ。その適性とは、毎日深夜零時に発生する“影時間”、その非日常とも言える時間帯に順応し活動するためのものなんだ」

 

 言いながら、そこで美鶴は持っていたファイルの表紙を開いて、簡潔に影時間や象徴化など用語について書かれている書類をチドリに見せる。

 相手は美鶴の話しを聞きながら文章にも目を通しているようなので、質問がこないのであれば、そのまま話しを続ける。

 

「この適性は生物なら誰しもが持っているが、影時間でも活動出来るほどとなると普通に生活していて得られるものじゃない。天然でそれほど高い適性を持つ者がいれば、“才能”と言って良いだろう」

「……そう。でも、悪いけど私はそんな不思議な時間なんて知らないわ。どうやって検査したのか知らないけど、計測ミスでしょうね」

「残念ながら計測にミスはない。君が本当に知らないのだとすれば、深夜零時まで起きていてくれれば体験出来るはずだ。適性のない者は棺のオブジェになり、全ての電子機器が動作を止める影時間をな」

 

 美鶴は会話の合間に紅茶が入ったカップに口を付け、中身を飲みながらチドリの様子を観察する。

 書類に目を通し、話しも聞いているようだが、表情が普段通りのやる気が感じられない物なので、真面目に考えてくれているのか判断に困る。

 頭の回転が速いのは事前調査で分かっているため、必要な情報は渡した書類を読むことで理解していると思う。

 けれど、影時間に対する理解を持ってもらうのが彼女を呼んだ理由ではない。目的はチドリを味方に引き入れることであり、知識など最低限分かっていれば後々に教えても問題はなかった。

 

「君が影時間を体験したことがないにしろ。影時間は確かに存在する。そして、君と有里は我々が行った検査で、他を寄せ付けないほど圧倒的な数値を叩き出した。影時間の適性だけではなく、ペルソナという異能を覚醒し得る数値だ」

「ペルソナ? ああ、ここに書いてるわね。心の具現化した存在……これが現実に存在したらとんだファンタジーだわ。あれば楽しいでしょうけど、到底信じられるものではないわね」

「フフッ、それは分かっているさ。だが、君が少しでも信じて、我々に協力してくれるのであれば、直ぐにでも見せる用意がある。そこに書かれている人類の敵、シャドウについてもだ」

 

 ラボには本日、学校が終わってから向かうという連絡は入れていない。

 だが、ペルソナ使いの候補者として湊・チドリ・真田の三名の名前と適性数値は伝わっているため、その内の一人を見学に連れてゆくと言えば、すぐに準備をしてくれるだろう。

 ペルソナとシャドウを信じさせるには、訓練用個体と美鶴が実際に戦闘を行えばいい。

 実戦を目にして相手が怖がって協力を断る可能性も十分に考えられるが、ペルソナ使いとしての活動は命懸けになるのだから、怖がって当たり前だ。

 いくら仲間が欲しいと言っても、戦闘訓練も受けていない学生を、不用意に危険に晒すつもりはない。

 万全のサポートをしようにもシャドウについては分かっていない部分が多いため、どこまでサポートが出来るか分からない以上、話しを聞いた上で活動に向かないのなら美鶴もすんなり諦める覚悟はしていた。

 

「単刀直入に言おう。人々をシャドウの脅威から守るため、私と一緒に戦って欲しい。仲間になってくれ」

 

 一度でいいから自分を信用して一緒に来て欲しい。美鶴は真っ直ぐチドリを見つめると、瞳に強い意思を宿して言葉を発した。

 相手も書類から顔を上げて見返して来ている。どう返してくるか、美鶴が表情には出さずに緊張しながら待っていると、三十秒ほど経ってからチドリは静かに答える。

 

「そう言われても、事情が飲み込めないわ。貴女の言っていることが現実にあるという前提で考えるにしろ。どうして貴女とバックにいる組織がシャドウと戦うようになったのか。それ以前に、それらをどうやって発見したのか。そこを伏せた状態では、貴女を信じる以前の問題ね」

「……私が戦う理由は、力に目覚めたからだ。ノブレス・オブリージュという訳ではないが、人々が危険に晒されていて自分に守る力があるのなら、力を持つ者の義務として守らねばならないと思っている。君だって、自分に力があるのなら、困っている人間を助けようと思うだろう?」

「いいえ、思わないわ。確かに知り合いが困っていれば、手を貸す事もあるでしょうけど。それが見ず知らずの他人なら、私は手を貸そうとは思わない」

「なっ……!?」

 

 あまりにきっぱりと言い切るチドリに、美鶴は驚きから暫し言葉を失う。

 難しい性格をしているとは思っていたが、ここまで周囲との関わりを求めようとしないとは思っていなかったのだ。

 事前に調べていた湊とチドリの普段の様子には、湊がよく生徒を痴漢から守っていると書かれていた。

 さらに、高等部の女子生徒がポートアイランド駅の近くで、数名の不良に絡まれていたときにも、不良の腕を捻るだけで退散させたという報告も受けている。

 湊がそれだけ人助けを日常的に行っていたのだから、家族であるチドリもそれに近しい考えを持っていると思っていただけに、想像とのギャップに受けた衝撃は大きい。

 言葉を失ったまま、優雅に紅茶を飲んでいる相手を眺めること数秒。美鶴は自分が勝手に相手に幻想を抱いていただけだと思い直し、ならば、相手を改めて理解しようと率直な疑問をぶつける事にした。

 

「その、君はどうして他人を助けようとは思わないんだ? 有里はよく女子生徒を痴漢から助けていると聞いている。なら、家族である君も、彼に通じる何かしらは持っていると思うのだが」

「……こっちも一杯一杯なのよ。して貰ってばっかりで、私は湊に何も返せてない。だから、助けが必要だと思ったときには全力で助けたい。あの湊に助けが必要なくらいだから、私なんかじゃ命懸けでも足りないかもしれないけど。それでも、救って貰った恩を返せるなら、私は自分の命だって使うわ」

 

 正面にいる美鶴をまっすぐ見たチドリの瞳に、絶対とも言える強い意思が宿っている。

 こんな目は知らない。どうすれば中学生でここまで強い決意を持てるのか。

 湊がチドリに何かしたことで恩を感じているらしいが、ただ子どもが普通に接しているだけで出来ることではないのだろう。

 相手を知ろうとすればするほど、反対に自分の想像を超えた答えが返ってくるせいで、美鶴は酷く混乱していた。

 しかし、相手は美鶴の心中などまったく気にせず、自分の想いを言葉にして続ける。

 

「既に私は一度助けられなかった。だから、次は絶対に助ける。そういう訳で、私は湊以外のためには基本的に動くつもりはないの。他の事に構って、湊を助けられなかったら一生後悔するから」

 

 助けられなかったと言ったとき、チドリの瞳には激しい悔恨の色が混じった。

 チドリが周囲に興味を示していないのは、本人が大勢の者と深く関わろうとしない性格だという以外に、元からそう見える顔つきというのがある。

 実際、どこか面倒そうにしながらも、風花や美紀が話しかけてきたときには、チドリは特に嫌そうにはしないで接しているため、周囲が思っているほど無関心という訳ではないのだ。

 けれど、普段から似た雰囲気を纏っている湊は違う。

 関わろうとしてくるのは殆ど女子だが、チドリよりもよっぽど多くの者と関わっているというのに、湊はそこにいながら別の場所から話しているように見える。

 違和感というよりは異質と言った方が正しく。人に囲まれていても孤独に映るのだ。

 美鶴も育ちの違いから周囲から浮くことはあるが、流石に家族と一緒にいるときまで孤独に見えたりはしない。

 それだけに、チドリの言った『助けられなかった』というのは、湊が孤独でいることに関係しているのだろう。

 そう考えた美鶴は、家族を救う事に手一杯だと告げた少女に、少し残念さを感じつつも、どこか納得したように苦笑で返した。

 

「……それでは、この件は受けられないということでいいかな?」

「ええ、申し訳ないけど、私にも優先順位があるから」

「フフッ、そこまで想う事が出来るとは羨ましい関係だな。将来的には結婚するつもりでいるのか?」

「……さぁ? でも、湊が誰かを選ぶなんて想像できないわ。そっちは私のせいでもあるけど。とりあえず、湊が自分を赦さない限り、誰かと恋仲になることはないと断言できるわね」

 

 チドリは湊が誰とも付き合わない理由に心当たりがあるらしく。どこか諦めの入った表情で溜め息を一つ溢した。

 原因があるのなら、それを解決してしまえば問題はクリアーされ、晴れて恋人になれる可能性が浮上する。

 けれど、家族として昔から共にいるチドリが、直ぐに実行に移さないという事は、簡単には解決できない事柄なのだろう。

 治療の副作用で、瞳と髪の色がそれぞれ変化した二人だ。生まれてからまだ十数年だが、他の生徒とはかなり違った人生を歩んできたに違いない。

 そんな相手に、仲間欲しさに重荷になるような事を頼んでしまったのは申し訳なかったと、美鶴は謝罪の意味も込めて一つ進言した。

 

「色々と複雑なようだな。あまり話したくはないだろうから、深く聞くつもりはない。だが、私はこれでも生徒会長をしている。何か相談事があれば頼ってくれて構わないぞ」

「相談相手はいる方だと思うけど、必要があればそうさせてもらう。ただ、湊には日常の面でも関わらない方がお互いのために良いと思うわ」

 

 話しが終わったことで、チドリは部活に行くため部屋を出る準備をしながら告げる。

 飲み終わった紅茶のカップは美鶴が洗っておくつもりだったので、ファイルと一緒にそのまま置いて行って貰って構わない。

 しかし、チドリの言葉の中に気になるものがあったので、扉に向かっていた相手の背中に美鶴は声をかけた。

 

「ふむ……君は、彼が私を無視し続ける理由を聞いているのか? 知らぬ内に何かしてしまったのなら、どうにか謝罪だけでもしたいのだが」

「私も気になっていたけど、本人に直接聞いたことはない。ただ、湊の両親は七年前に桐条グループが起こした爆発事故で死んだって聞いてる。爆発の余波で車が横転して、外に投げ出された湊の目の前で焼け死んだって」

「なっ、なん……だと……」

 

 チドリの言葉に美鶴は顔面を蒼白にして、机に手を突いて思わず立ち上がっていた。

 ペルソナ使い候補者の二人の過去は、桐条の力を使って現在も色々と探っている。

 生まれ育った土地、家族構成、家庭環境、交友関係。それらの何がペルソナ使いとして覚醒する要因になるか分からないため、とりあえず候補者のそれぞれのデータをサンプルとしておき、後に覚醒者が現れたときに比較して、どういった条件が重なれば目覚めやすいか調べるつもりなのだ。

 けれど、第三候補者の真田明彦と違い、湊とチドリのデータは思うように集まっていなかった。

 戸籍の方から両親や生まれた土地を調べたが、いつ両親から離れて桔梗組で暮らす様になったのかがまず分からない。

 借金の(かた)に売られたのかもとも思ったが、特にそう言った形跡もなく、突然二人は桔梗組に現れて未成年後継人になって貰っている。

 一応、チドリは親に捨てられて保護された孤児という記録が桐条系の養護施設に残っていたので、色々な施設を転々としているうちにデータが混ざってしまい、訳の分からない状態になってから貰われていったのではという仮説が立った。

 けれど、湊の方は戸籍に両親として載っている者が、既に鬼籍に入っているのは確かだが、公的には子どもを授かっていない夫婦だと出た。

 両親の記録が存在し、湊に関する文書も公的にはあるというのに、その二つを繋ぐものが存在しない。

 そんな事は普通に考えてあり得ないため、桐条グループがそこから導き出した結論は、湊に関するデータは出生時に作成されたものではないという事だった。

 美鶴もその報告は受けていたが、知られていなかった湊の情報にこれほど重要な話が含まれているとは思わず、ドアに手をかけたままのチドリの話しをただ動揺して聞く。

 

「……貴女は桐条の人間。だけど、事故とは無関係。そういう、頭では理解しても簡単に割り切れない気持ちを抱えた結果、不干渉という距離の置き方を選んだんじゃないかって思ってる」

「彼はその……桐条を恨んでいるのか?」

「聞かない方が良いと思うけど? 貴女にとっては厳しい答えになるもの」

 

 ほとんど答えを言っているようなものだが、振り返って美鶴を捉えたチドリの瞳は、美鶴がいま考えているよりも数段深刻だと告げていた。

 両親を事故でただ亡くしただけではない。一人だけ助かり、両親が目の前で焼け死んだとなれば、心の傷は深く恨みはさぞ濃いだろう。

 

「…………」

 

 当時の父親の多忙さや、同日に事故に遭って親友家族を亡くした母親の姿が脳裏を過ぎる。

 自分も事故で怪我を負ったというのに、父親は加害者側の人間として連日対応に追われて、何度もマスコミの前で謝罪をしていた。

 親友家族の死は爆発事故と関係ないだろうが、被害者側として母親が非常に痛々しい姿をしていたことも記憶に残っている。

 両親がそれぞれ加害者と被害者としての姿を見せていたことで、桐条としての責任を意識している美鶴は、当時の事故と自分は無関係ではないと考えた。

 そうして、しばらくして覚悟を決めて顔を上げると、黙って見ていたチドリに教えてくれるよう頼んだ。

 

「それでも知りたい。教えてくれ、彼はなんと言っていた?」

「……桐条武治を殺すって。桐条武治も相手を肯定する人間も許せない。だから、邪魔をするなら誰であろうと敵として同様に対処するって」

「お父様を……殺す……? そっ、そんな、出来る筈がない。仮に出来たとしても、自分もただでは済まないぞっ」

 

 明らかに動揺しながら、なんとか絞り出した言葉を美鶴は発した。

 法治国家の日本で世界的大企業のトップを殺すなど、周辺警備の厳重さから見ても不可能だ。

 加えて、仮にそれが成功してしまったらしまったで、湊もただでは済まない。“爆発事故の被害者”というのは免罪符にはなりえないのだ。

 いくらか情状酌量の余地は与えられるだろうが、それでもトップを失ったことで企業やそれに関わる人間の生活にも影響が出る。

 トップを失った混乱で、自分たちでは現在の規模で企業運営が出来ないからと、幹部たちが傘下の子会社や下請けを切り捨てる可能性もあり。路頭に迷った家族から湊は恨まれるに違いない。

 そうなれば、出所してきたところを、恨みを持った人間に襲われることも容易に想像できる。

 学年トップの成績で、勉学以外の知識に関しても豊富に備えている湊なら、そんな簡単なことが分からないはずがない。

 どう考えても聡明な湊がそう言ったとは思えないので、美鶴は何かの冗談だろうと、心臓の鼓動が速くなっていることを感じながら、ドアを開いて出て行きかけているチドリを見つめた。

 すると、そんな美鶴と視線を合わせながら、チドリは出て行く前に言葉を残してゆく。

 

「……そうね、私もして欲しくないわ。でも、湊はそれでもやると思う。だって、湊が知識を蓄え、身体を鍛えているのは――――桐条武治を殺すためでもあるんですもの」

 

 言い終わると同時に、チドリは去りドアは閉められた。

 音の消えた生徒会室に独り残された美鶴は、全身を言い知れない恐怖と寒気が襲い、自分の肩を抱いて椅子に座りこんでしまう。

 

(彼は見た目は派手にしているが、二年生の真田のように根は真面目だと思っていた。だから、学業に置いて非常に優秀であり続けていると思っていた。だが、お父様を殺すために、復讐のために自らを鍛えてきただと?)

 

 自分の中に作りあげていた“有里湊”という人間のイメージが音を立てて崩れてゆく。

 爆発事故は七年前に起きた事だ。当時、まだ幼かった子どもが事故の原因が桐条であると知り、そこから今日(こんにち)まで復讐のために鍛え続け、学業は学年トップ、武道はボクシング部エースを一方的に倒すレベルに達している。

 才能に恵まれた部分もあるのだろうが、並みの精神力では決して成し遂げられないことなのは間違いない。

 故に、有里湊は本気で復讐を果たそうとしていると信じざるを得なかった。

 尊敬する父が人から恨まれていることは辛い。自分の知る父は厳格ながらも、自分に深い愛情を注いで傍に居てくれた人物だ。

 けれど、有里湊の知っている加害者としての姿も事実だ。

 当時の最高責任者という訳ではなかったが、それに準ずる地位にいて関わっていたことは間違いない。事故の直接の原因が父にある訳ではなくとも、地位にはそれ相応の責任も伴う。

 それだけに、美鶴は湊の復讐を止めることが出来ない。彼から家族を奪い、復讐に走るよう人生を歪めてしまったのは自分たち桐条なのだから。

 

「お父様、私は……私は、どうすればいいのですか……」

 

 弱々しく呟いた美鶴の声は、誰もいない部屋に寂しく響いて消えていった。

 

 

 




補足説明
シャドウ調整個体は、1999年5月の屋久島が舞台の携帯電話用ゲーム『アイギス THE FIRST MISSION』に登場していた存在。詳しい調整方法は不明だが、調整されたシャドウは自分の周囲に影時間のようなフィールドを発生させ、そのおかげで影時間外でも活動できるようになる。通常のシャドウよりも存在を探知しやすく、ペルソナを使わずとも桐条製の装置だけで大体の位置を特定できるなどの違いがある。


原作設定の変更点
『アイギス THE FIRST MISSION』は舞台が原作の十年前の屋久島だったので、それよりも研究や技術が進んでいる本作内では、完全に確立した技術として『世俗の庭テベル』程度の下位フロアのシャドウならば捕獲できれば調整出来る状態にあり。美鶴も真田たちが仲間になるまでは、その調整個体を使って訓練していると設定。

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