【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第六十四話 土産と修羅場

――ヨーロッパ・オノス地方

 

 湊が強盗に襲われてから数日後、ヨーロッパ北側に存在するオノス地方のとある屋敷に、あの日の男が手土産を持ってやってきていた。

 アポイントを取っている旨を伝え、男は屋敷の中に入ることを許されると、一流の調度品ばかり置かれた広い客間に通された。

 案内の女中が男の紅茶を用意し、すぐに退席すると、黒と白のドレスを着た、銀色の髪に紅玉(ルビー)の瞳を持つまるで生きた人形のような美しい少女が、ソファーの後ろに仙道を控えさせて静かに口を開く。

 

「お久しぶりね、カナード・フォルス。それで、面白い手土産とは何かしら?」

 

 少女が口にしたカナード・フォルスという名。それがやってきた男の名前だが、それは明らかに偽名だった。

 カナードは英語の『canard』、虚報やデマを意味しており。フォルスは『false』、偽を意味する言葉である。

 そんな物を真面目に名前だと言われても、相手の職業が金で簡単に裏切る傭兵であることもあって、普通の人間は誰も信じない。

 けれど、名前がないのは如何にも不便だ。本名でないと理解していても、呼び名に困るくらいならば、とこの男に関わる者たちは皆その名で男を呼んでいた。

 

「へへっ、アンタらが探してたシャオランとか言う小僧の手がかりだ」

 

 そうして、少女に名を呼ばれた男は、何かを企んでいるような笑みを浮かべ、答えながらテーブルの上に黒い鞄を置いた。

 それを見た仙道と少女は、普段よりも僅かに瞳を大きく開いてから、少女が鞄を受け取って真空パックに入った中身を取り出した。

 

「血の付いた布? 貴方、まさか、わたくしの小狼を殺してしまったの?」

 

 袋は開けず、中に入った布を袋越しに手で触れて、布についた血液がまだ乾かずに保存されていることを少女は確かめる。

 赤い液体が血であると分かったのは、普段から血という物を見慣れているからだ。

 だが、こんなにも布を染めるほど出血しているのなら、致命傷レベルの怪我を負っていてもおかしくない。

 少女は、自分の欲しがっていた玩具を、まさか相手が殺してしまったのではないかと思い、責めるような視線を向けて尋ねた。

 

「いや、俺は戦ってねえ。それにまだ生きてる」

「そう。それでは、これをどこで?」

「中東のラナフにハルーフって町があってな。そこで小僧がテロリストに襲われた場面に偶然居合わせた。ははっ、あの小僧、テロリスト共を一撃で殺していきやがるとんだバケモンだと思ってたら、他の人間を庇って銃弾を喰らいやがったんだ。ま、それでも敵を殺し続けたんだが、最後にはテロリストの家族か知らねえが、ガキに自分を撃たせて心臓ブチ抜かれてな。それでようやくぶっ倒れてたぜ」

 

 カナードはそこまで話し、紅茶のカップに口を付ける。

 正面で話しを聞いていた二人は、カナードの言葉から、この血濡れの布の正体が、テロリストに撃たれ負傷した湊の衣服だと気付いた。

 だが、心臓を撃ち抜かれてまだ生きているという意味が、少女には分からない。

 どんな生物も心臓に大怪我を負えば死に絶える。

 全身に血液を送る要の臓器なのだから、それを負傷すれば大量出血は免れず。血を失い過ぎれば、動くことも出来ずに衰弱し、最後には死んでしまうはずなのだ。

 だというのに、どのようなトリックを使えば、その状態から生き長らえることが可能なのか。

 少女は瞳に疑問の色を宿して、カナードに尋ねた。

 

「心臓を撃ち抜かれて、どうやって生きているというの? まさか、機械に繋がれて延命が続けられているなんて言わないでしょうね」

「へへっ、そこが小僧の面白いところでな。なんと、あの小僧、ぶっ倒れて次に起き上がったと思ったらよ」

「身体から全ての傷が消えていた、だろう?」

「あん? なんだ、テメェ、知ってやがったのか……」

 

 せっかく相手が驚くと思い、今日まで話すのを楽しみにしていたというのに、自分が話す前に二メートル近い赤髪の巨漢の言葉で、それは呆気なく終わってしまった。

 こんなにも奇妙なことなど、生きていてそう何度も出会えるものではない。

 それを話す機会を失ったカナードは、つまらなそうに深く椅子に座り直し、少女の後ろに立つ仙道に問いかけた。

 

「そういや、テメェあの小僧とやり合ったんだってな。女みてぇな面してやがったが、相当なたまだぜありゃ。他人がブチ殺すの見て興奮したのなんざ久しぶりだ。殺しの芸術家様ってなもんだったぜ」

「殺しで名切りに勝てる者など、そうおるまい」

「ナギリ? ……っ、あの名切りか! そうか、通りでぶっ飛んでる訳だ。はははっ、こりゃ面白え!」

 

 湊が名切りの出身であることの、何がそこまで男を愉しませたのかは分からない。だが、館の主の前で下品に大声で笑う男を、誰も咎めはしない。

 本来ならば、男は仕事で人が死ぬ場面に慣れているため、呆気ないという感情以外を抱くことはまずない。

 そんなカナードが、湊の殺しからは目が離せず、さらには一種の芸術性すら感じていた。

 仙道のような巨漢の一撃ならば、同じように人が容易く吹き飛び死んでゆくのも分かる。しかし、湊の体格で同じ事が出来る者など、世界にそうはいない。

 敵として戦うのは御免だが、観察のし甲斐はある。そうして、男も『小狼』の名と姿をしっかり自分の中に刻み込んだ。

 大仰な笑いを止め、不敵な笑みをカナードが浮かべると、話すのを待っていた仙道が口を開く。

 

「まぁ、そうは言っても、小僧はソフィアよりも一つ下だ。ただの(わっぱ)でも、その年頃は急成長する。それが名切りで大陸にも渡っていたとなれば、力をつけて完成に至るのも時間の問題だろう」

「フフッ、それは楽しみだわ。成長のための敵は定期的にこちらで用意します。カナードはそれとは別口で小狼を監視していてちょうだい。貴方もその方がやり易いでしょう?」

「ああ、それじゃあよろしく頼みますよ。“裏界の姫君”さま」

 

 男は楽しげに笑ったまま、裏界最大規模の巨大組織“久遠の安寧”がトップの一人娘、ソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタインに挨拶をすると部屋から去って行った。

 

 

――ラナフ・ハンズィール平野

 

 どの町からも離れた、砂漠地帯に近い場所。そこに、湊たち蠍の心臓の部隊は仕事でやってきていた。

 内容は反政府ゲリラ組織の殲滅。

 依頼主は国で、ラナフ陸軍との共同作戦であり、あまりに多過ぎるテロリストのアジトを定期的に潰してゆくという、ナタリアたちにしてみれば仕事の合間を使って行う一種の小遣い稼ぎだ。

 今回のターゲットは、百人規模のそれなりに大きなグループで、新しく仕入れた武器の調子を確かめがてら殲滅するつもりだった。

 しかし、実際に現場に着くと、事前に伝えていた作戦を無視して、湊が単独でアジトに潜入してしまう。

 フォローしようにも湊の速度について行ける者はいないため、しょうがなくアジトを囲むように部隊を展開し、外に逃げ出してきた者を討ち漏らさないようにする作戦へと変更した。

 だが、湊が中に侵入してから十分経っても敵が外へと出て来ない。

 いや、正確に言えば、何人も出て来てはいるのだ。

 けれど、ラースやパトリックが狙撃しようと銃で狙いを付けている間に、湊が壁を切り崩しながら出てきて敵を殺してしまう。

 別の方向から逃げようと関係ない。壁を蹴って屋根の上へと飛びあがり、空中で対物ライフルを構えて撃ち殺す。

 そして、着地までに武器を仕舞って、星噛の刃を屋根に突き立てて、天井を崩落させながら内部へ戻る。

 そんな、通常では考えられない動きを繰り返し、湊はたった一人で中規模グループを殲滅しようとしていた。

 

「おーおー、荒れてるねえ。いや、楽が出来るんなら嬉しいけどさ。あれは……ちょっと拙いんでないの?」

 

 少年兵だろうか。湊と同じ年頃に見える男子がAK-47を肩から下げた状態で走って出てきた。

 顔は恐怖で歪み、靴も片方脱げてしまったというのに、構わず走り続けている。

 逃げなければ殺される。僅かでも止まってしまえば、鬼に食い殺されると分かっているのだ。

 

「……言われなくても分かってるよ」

 

 だが、それでも逃げ延びることは敵わなかった。

 長い髪を広げながら空から降ってきた鬼は、男子の前に着地すると、武器ごと男子を貫き、引き抜く勢いを利用した回し蹴りで顔面の肉を弾け飛ばしている。

 威力が高いのなら骨を砕くことも考えられるが、どうやれば至近距離で爆弾を喰らったかのように、蹴りで骨ごと肉を飛び散らせることが出来るのか分からない。

 人が死ぬ事、人を殺す事、それらに慣れている私兵たちも、今の湊の殺す姿はおぞましい狂気に取り憑かれているようにしか見えなかった。

 

「……あの馬鹿、完全に自分の中の価値観が狂ってる。自分が何をしたいか分からないんだ」

「執拗に武器も壊しているから、ボウヤが何で今の状態になっているかは分かり易いけれどね」

 

 湊がいまの状態になっているのは、数日前のテロリストの調査報告が蠍の心臓に届き、それを目にしたからだ。

 テロリストと思われた者たちは、貧困に苦しんで犯行に及んだただの強盗。

 そして、彼らが持っていた武器は、湊が以前に殲滅した反政府ゲリラ組織のアジトに残っていた武器だった。

 通常、どこどこのグループを潰したと報告すれば、軍の調査団が派遣されて、アジトに残った物資や残されている記録物を押収してゆく。

 しかし、同じような任務が頻繁に行われているせいで、軍も仕事を怠けるようになっていた。

 その結果、湊が殲滅したグループのアジトには武器が残り、偶然にもそこを訪れた彼らが武器を手にして、犯行に及ぶのを後押しすることになったのだ。

 

「悪いのは怠けていた豚であって、別にボウヤが責任を感じる必要はないのにね」

「女の子を殺したのでチェックになってたんだ。そこでズレちまったのが、報告書を読んで完全に崩れた」

「そんなっ、だってあの子を殺したのは警邏兵よ? あいつが手にかけた訳じゃないわ」

「見殺しにしたろ。生き残っても売られたり、町の男に使われるような未来しか見えなかった。なら、復讐を果たさせて、あの場で死なせた方が良いと思っちまったんだよ。今までのアイツなら、そう簡単には切り捨てられなかったさ」

 

 あの日、一緒にいて一部始終を目にしていたレベッカは、少女の死に対する湊の非はないと断言した。

 だが、イリスはその少女が死ぬ状況を許している時点で、以前の湊ならあり得ないと返す。

 こちらに来て価値観が揺れていたようには見えなかった。

 だとすれば、たった数時間の観光の中で、湊の価値観を揺るがす事態が起きていたのだろう。

 一緒にいたからと言って何かを出来たとは思えない。それでも、イリスは湊から離れるべきではなかったと後悔した。

 

「……終わったみたいね。武装した百人を殺すのに二十分ってとこかしら。化け物ね。背筋が寒くなりそう」

「アイツはそんなものじゃないっ」

 

 ナタリアの冷たい言葉に、イリスは声を荒げて反論する。

 今の湊は少し冷静さを失っているだけだ。あんな狂気に取り憑かれた殺人鬼が、湊の本質であるはずがない。

 相手のスーツの胸倉を乱暴に掴み、イリスはナタリアを至近距離で睨みつけた。

 

「なら、修正しなさい。三日以内に戻らないようじゃ、ウチには置いておけないわ。貴女だって分かるでしょ? 皆、あの子が怖いのよ」

 

 力で敵わないから怖いのではない。自分たちでは理解出来ないから怖いのだ。

 普段の湊を知らなければ、いま直ぐにでも総攻撃を仕掛けて討伐してしまいたいほど、本能が警笛を鳴らし拒絶しようとする。

 兵としての経験が長いナタリアやラースは表面上はいつも通りだが、他の者はそうではない。

 子どもが好きなチャド、ラースに次いで古参のセルゲイ、心優しいバーバラに、普段はお調子者のパトリックですら、言葉を失って呆然としたまま、全身に血を浴びて戻ってくる湊を見ている。

 レベッカだけは湊を心配そうに見つめて、ついには駆け出し迎えに行ってしまったが、あれは湊が死にかけた場面を目にしていたことによる例外だ。

 ナタリアに言われなくても、他の者の心の中は分かっている。何故なら、イリスも同じよう恐怖を抱いてしまっているから。

 そして、イリスは抱いてしまった恐怖を無理矢理に押しこめ。強い光を宿した瞳で湊を捉えた。

 

「……ああ、すぐに戻すさ。アイツに自分が守るものを見させてな」

 

 それだけ告げて、イリスも装備をその場に置くと、レベッカの後を追って湊の元へと向かうのだった。

 

 

5月9日(火)

放課後――美術工芸部

 

 授業が終わり、それぞれの掃除当番なども終えてからの放課後。

 部室に集まったメンバーたちは、ラナフから国際便で送られてきた大きな段ボールを床の上に置いて、それを囲むように立っていた。

 元々は、桔梗組と眞宵堂に届いたのだが、眞宵堂の物は栗原へのお土産+商品になりそうな品だったのに対し、桔梗組に届いた物は美術工芸部のメンバーに向けたお土産も入っていた。

 複数ある内の一つがまるまるそうだとメールで連絡を受けていたため、今朝、チドリを学校に送りながら、渡瀬の手で荷物も一緒に学校へ届けられ。現在、メンバーたちの目の前にあるという訳である。

 

「ラナフってすごいとこ行ってるねー。ここ、観光客がテロリストに襲われたりとか、結構、危ないところなんだよ」

 

 段ボールに貼られた紙で、荷物がどこから送られてきたのかを確認した佐久間は、感心したように他の者たちに話す。

 これでも世界史を担当しているのだ。国名を見ただけで、それがどのような地域かくらいは簡単に説明が出来た。

 

「……湊は実際に襲われたってさ。まぁ、警備の兵士が来る前に倒したらしいけど」

「ちょっ、何やってんのよ民間人が……」

「というか、中学生に負けてしまうテロリストもどうなんでしょう?」

「んー、この場合、有里君が普通の人より強かったって考えるのが正解なんじゃないかな?」

 

 チドリの言葉を聞いたゆかり達は、それぞれ湊の心配をしつつも無事であることは確認出来ているので、やや苦笑しながら呑気に段ボールの開封を始める。

 湊が格闘技を習っていることは全員が知っている。それが大人相手でも有効だというのは、去年、盛本という体育教師を殴り飛ばしたことで確認した。

 あれだけ体格の違う相手を一撃で沈めることが出来たのだから、相手がテロリストであっても、それが有効であるのは変わらないだろう。

 通常ならば危険だからと避難するところで、逆に兵士よりも先に鎮圧しにゆく意味は分からない。

 だが、それが湊の行動ならば、避難するよりも鎮圧した方が良いと判断する何かしらの理由があったのだと、湊を見てきた部員らは素直に思えた。

 

「それじゃあ、開けるよ。よいしょー」

 

 蓋を留めていたガムテープを剥がし終えて、ゆかりは明るい口調で蓋に手をかけた。

 中に何が入っているのかは、家族向けの土産を既に見ているチドリも知らされていない。ただ、チョコレートもあるから、早めに渡して欲しいとだけは聞いている。

 そうして、皆の期待が高まる中、ゆかりが蓋を開いて最初に目に飛びこんできたのは、通称『プチプチくん』こと梱包材だった。

 

「……まぁ、そりゃそうよね。壊れたら困るものもあるだろうし」

「うぷぷ、岳羽さんたら『よいしょー』とか言ったのにね」

「い、良いじゃないですか別に。先生にはお土産あげませんから!」

「えっ……酷くない?」

 

 実は、ゆかりは生徒の中でも佐久間にドライに接する方で、チドリや湊の次くらいに佐久間封じの役目を負っている。

 これも湊と接する内に、本人の元々のサバサバとした性格が表に出てきた影響なのだが、掛け声を付けてまで蓋を開けて失敗したことが恥ずかしかったのか、ゆかりは佐久間と段ボールの間に身体を割りこませ、中が見えないようにしながら梱包材を取り払った。

 

「わぁ、可愛いランプ」

 

 梱包材を取ったことで中身が見えた風花が、目を輝かせて中身を取り出す。

 中に入っていたのは、細かい装飾のなされたアラジンランプで、他にも中東らしい模様の壁掛けタペストリーなどがいくつも入っていた。

 ゆかりは中を見ようとしている佐久間を背中で邪魔し続けているが、その間に、他の三人で箱の中身を机の上に置いてゆく。

 そして、ほとんど全て出せたところで、ゆかりは箱の底に一通の封筒が入っていることに気付いた。

 

「あ、封筒が入ってる。有里君からの手紙かな?」

「……読んでみて」

「ちょっと待ってね……あ、これ、どれが誰に向けてかって内容だ」

 

 手に取った封筒の中に入っていた便箋に目を通す。無駄に達筆な湊の字でそこに書かれていたのは、それぞれの荷物が誰宛かといった内容であった。

 他に近況報告的なものが書いていないかとも期待したが、最後の一文まで土産の分配しか書かれていなかったため、ゆかりは湊らしいと思いながら顔をあげて、それぞれに指示を飛ばす。

 

「チドリには家に送ってあるから、全員で食べるチョコレート以外は基本的に私たち宛てみたい。その赤いランプが美紀、白に緑のラインのが風花、細かい柄の銀色は佐久間先生で、青いのが櫛名田先生、白に黄色のは時任先輩のだって。あと、壁掛けは私たちと先輩で、先生たちはマットでしょ。えっと、他には……え、本物の金細工!?」

 

 慌ててゆかりは、持ち上げるとジャラジャラと音のする中身の見えない袋を開ける。

 そこには、腕輪やネックレスなど金細工の品が一つ一つ小分け袋に収められ入っていた。

 あまり高価な物だと相手が気にすると思ったのか、純度は18カラットのようだが、それでも十分に高級品である。

 母親の実家が金持ちであるため、こういった物を見慣れているゆかりも、自分の小遣いでこれを買ってくる感覚にはついていけないため。貰えて嬉しいと思う反面、湊のパーソナリティーに新たな疑問を抱いた。

 

「……ブルジョアめ。ていうか、こういうの普通に税関通るんだ。これとストールも誰って訳じゃなくて適当にだってさ。で、石鹸と香水は先生たち。ティーセットは私たちで……っておい」

 

 ゆかりの指示で、他の者たちが仕分けをしていると、途中でゆかりが顔の筋肉をひくつかせながら止まった。

 仕分けはほとんど済んでしまい。あとは少し平たい白い包みが残っているのみである。

 だが、それには油性ペンで『岳羽用』と書いているので、相手が何に対して怒っているのか分からないが、風花は素直にそれをゆかり宛ての品を集めた机に並べた。

 

「ゆかりちゃん、分けるの終わったよ。ちょっと意外だったけど、一つだけゆかりちゃん用って書いてるなんて、有里君もよっぽどゆかりちゃんに似合う物を見つけたんだね」

 

 並べ終えた品を見て、どれも綺麗だと思いながら風花はにっこりと微笑む。

 ゆかり用と書かれた物が何かは分からないが、それでもお土産に選ばれた品を見る限り、湊は女子ウケが良い物を選ぶセンスを持っている。

 女性に囲まれて育ったためか、それとも骨董品屋でのバイトの経験が活きているのか。

 どちらともかも知れないが、風花はお伽話に出てきそうな可愛らしいアラジンランプを手に取り、留学先での湊が楽しそうで何よりだと思った。

 

「……あんのムッツリスケベ!」

『……え?』

 

 だが、土産物を眺める面々のほっこりとした空気をブチ壊す、ゆかりの怒声が部室に響き渡った。

 急にどうしたのだと、メンバーが振り返った先で、便箋をぐしゃりと握り潰したゆかりが、自分用とわざわざ書かれた包みに近付いてゆく。

 そのまま、包みの脇に紙くずと化した便箋を転がし、やや荒っぽく包みを開けると、そこには煌びやかなピンク色の踊り子衣装が入っていた。

 下はロングのパンツスタイルだが、上は露出の激しいビキニタイプ。男が思春期の同世代異性に贈るにしては、セクハラと言われてもしょうがない際どいチョイスである。

 

「名指しで贈るってどういう了見よ! なに? 私にベリーダンスでも踊って欲しいの? しないっつの!」

 

 よくゆかりは一人でノリツッコミをする。きっと根っからのツッコミ気質なのだろう。

 そのツッコミも基本は湊に対してのみ行われるので、二人は意外なところで相性がいいのかもしれない。

 驚いていた全員の前で大きな声を出して少し気が晴れたのか、一応は貰い物だと広げた衣装を丁寧に畳みながら、包みに入れ直してゆかりは深く息を吐く。

 

「ふぅ……有里君、こういうの好きなのかな? 可愛いとは思うけど、貰っても対処に困るっていうか。あー、メールしてみるか」

 

 相手が自分に合わせて買って送ってきた事は分かる。

 だが、いくら弓道部で身体を絞っていると言っても、ゆかりの周りにいる女性は、皆、同性でも見惚れて羨むようなスタイルの持ち主ばかりだ。

 佐久間や櫛名田がその代表で、二人ともスタイルは良い上に、無駄なとこに肉はついておらず、足まで綺麗ときてる。

 そんな二人にセクシーな衣装を贈るのならまだ理解も出来るのだが、どうして湊が自分だけを選んで渡してきたのか、ゆかりには分からない。

 まぁ、湊のことなので、「特に意味はない」と答えられそうな予感はしているが、一応、確認のためにどういう理由で衣装を贈ったのかを、メールで尋ねておくことにした。

 

「ん、シンプルな内容でいいよね。『こういうの着て欲しいの?』っと」

 

 メールが送れたことを確認し、ゆかりは携帯をぱたんと閉じる。

 向こうとの時差は約五時間で、現在の日本が五時過ぎなので、相手はちょうど昼食を取っている頃に違いない。

 ならば、待っていればすぐにメールが返って来るだろう。その間に他の土産の確認をしておくため、ゆかりはチョコレートの箱を手にして皆の方へ振り返った。

 

「ねえ、これいま食べ……る?」

 

 振り返ったところでゆかりは固まってしまった。

 何故なら、普段よりも三割増し不機嫌そうな顔をしたチドリと、明らかにムスッとした佐久間がジッと己を見つめていたから。

 

「え、えっとぉ……なに?」

 

 湊を除けば学内で最強のスペックを持つ教師と、女子生徒で最高の身体能力を持っているチドリに睨まれて怯えない者はいないだろう。

 自分が何かしただろうか。そう考えたところで、ゆかりには身に覚えがないため、恐る恐る尋ねることしか出来ない。

 すると、尋ねただけなのにチドリは舌打ちし、佐久間は呆れたようにゆかりを見る目を細めて口を開いた。

 

「なにって事はないでしょ? 岳羽さんしか貰ってない物あるよね。この様子だと吉野さんも貰ってないみたいだし。どうして有里君が“貴女だけに”それを贈ったのか教えて欲しいんだけど」

 

 佐久間の言葉を聞いたとき、ゆかりの中で相手が自分を見る目にしっくりくる言葉が浮かんでいた。

 それは、“この泥棒猫”である。

 冗談でも何でもなく、いまの佐久間は、本気でゆかりを好きな相手を横取りした泥棒猫として見ている。

 この歳でそんな目で見られるとは思っていなかった。しかも、その目を向けてくる相手が担任であるとは、想像もしていなかった。

 別に貴重な体験が出来たところで感動はない。あるのは、自分の置かれた状況に対する焦りと、異国の地にいながら余計な問題を引き起こした湊への怒りだけ。

 美紀と風花は少し離れた場所で心配そうに見てきているので、そんなに心配なら助けて欲しいところだが、自分が二人の立場なら声をかけることは出来ないだろう。

 チドリと佐久間、この二人を敵に回して無事でいられるのは湊だけだと理解しているから。

 しかし、ゆかりはそんな絶体絶命の状況に置かれても、自分が無事に生き残るため、状況を打開することを諦めなかった。

 

「えと、今回は私だけってみたいだし。二人にはまた別の民族衣装が届くんじゃないかなぁって」

「……娼婦(ビッチ)

「はぁっ!? いまなんつったゴラァッ!」

 

 ゆかり、キレる。

 いくら大切な人を取られそうだと勘違いしているとしても、流石に言って良い言葉と悪い言葉がある。

 チドリとゆかりは、お互いに積極的に話しかけるということもなく、部活の女子メンバーでは最も関わりが少ないので、他のメンバーほど仲が良いわけではない。

 それだけに、二人の友好度による友達割り引きだけでは、チドリの吐いた暴言を相殺できず。

 黙っていられなくなったゆかりは、持っていたチョコレートの箱を机にバンッと叩きつけるように置いて、鋭い視線でチドリとついでに佐久間もまとめて睨み返した。

 

「他の人がちょっと優遇されたぐらいで、そこまで怒るとか余裕なさすぎ。なに? 自分が選ばれる自信無いの?」

「選ばれるって何が? 貴女が何を言ってるのか全然分かんないんだけど」

「あっそう。じゃあ、なんでそんなに不機嫌なの? 先生も大人のくせに、生徒にそんな目を向けて恥ずかしくないんですか?」

「べっつにー。恥を掻くくらいで済むなら、私は全然OKだよ。だって、欲しいもん。有里君が」

 

 あくまで自分の気持ちを認めないチドリに対し、佐久間は不敵に笑って断言した。

 生徒の前でここまではっきり言い切ったことに、睨み合っていたチドリとゆかりは驚いて目を見開く。

 この部室は上が吹奏楽部の部室で、壁や天井に防音処理がなされているため外には聞こえていないとは思う。

 しかし、外には聞こえていなくとも、佐久間が湊を好きだと生徒の前で告げたのは、当人同士だけのときを除き、今回が初めてだ。

 それを伝えたからには、佐久間はもう躊躇う気はないのだろう。

 チドリやファンクラブの女子だけでなく、ただの異性の友人という関係であったゆかり達にも、湊が絡む事ならば全力で勝ちにゆく。

 ノーマークだったゆかりが優遇されたことで、誰がダークホースとなるか分からないと判明したのだから、この対応も一定の理解は示せた。

 けれど、湊と男女の関係になるつもりのないゆかりにすれば、それでも今の相手の態度は納得できるものではない。

 不敵な笑みを今も浮かべている佐久間を見つめ、ゆかりは再び口を開いた。

 

「先生が彼をどう想うかは勝手ですけど、その気のない私にしたら今の対応は迷惑です。お土産一つでそんなに言うなら、有里君に自分も欲しかったって言えば良いじゃないですか」

「催促して貰うのと、有里君が自主的に選んで贈られるの。それが同列だと本気で思ってるの?」

「じゃあ、自分が貰えるまで待ってたらどうですか? 誰にでも優しい彼のことだから、先生にもチドリにもそのうちくれると思いますよ」

『っ!!』

 

 同じ品物を貰うにしてもシチュエーションで価値が変わる。そう言ってきた佐久間に対する、ゆかりの言葉は正論だ。

 自分で催促せずにプレゼントが欲しいのなら、相手のサプライズを待つしかない。

 だが、湊が誰にでも優しいと言ったこと、さらに二人もいつか貰えるだろうと吐き捨てるように言ったせいで、言われた者たちは、ゆかりが勝者の余裕で言っているようにしか聞こえなかった。

 それが引き金となり、佐久間の顔から笑みが消え、チドリはゆかりを敵と断定したように瞳に敵意を宿す。

 

「……なによ」

 

 父親の死後、周囲や社会から強いバッシングを受けて幼少期を育ったゆかりは、他人の悪意や敵意に敏感だ。

 チドリが敵意を籠めた視線で睨んできたことで、ゆかりも相手が手を出そうとすれば対処できるよう身構える。

 さらに、佐久間も無表情で拳を握り締めていることから、勢力は三つだが、ほぼ『ゆかり対チドリ・佐久間』の構図で一触即発の状態だ。

 子どもの嫉妬で始まった不毛な言い争いは、既に誰が手を出してもおかしくない、女同士の修羅場と化した。

 皆を止めたいと思っている美紀と風花も、流石に武道を嗜んでいる三人が相手では、身体を張っても止められる自信がない。

 そうして、チドリがゆかりに向けて一歩を踏み出した――――そのとき

 

「……状況が分からない」

『……え?』

 

 急にドアが開き、知った声が後ろから聞こえてきたことで、緊張の高まった部室内の空気は一瞬で霧散する。

 全員が驚き振り返ると、そこには出発前より髪も身長も伸びた私服姿の湊が、部室内の状況を不思議そうに眺めて立っていた。

 これには、睨み合っていた者らも、驚きを超えて状況が理解できずに戸惑い。冷静さを欠いたまま、佐久間が湊に尋ねた。

 

「な、なんで有里君がいるの?」

「着物の丈が合わなくなってきたから、直しのために一時帰国したついでに学校に寄った。それより、チドリはどうして手を出そうとしていたんだ?」

 

 一時帰国したと言っても、湊は向こうに開いた扉を残したまま、ベルベットルームを通って戻ってきただけだ。

 イリスの勧めにより午前中のうちに戻ってきて、丈の直しは既に終えたため、チドリを家にでも送り届ければ、そのまま向こうに戻るつもりでいる。

 しかし、部員同士の喧嘩らしきものを見た以上は、そのまま見過ごす訳にもいかないため、湊がジッとチドリを見つめていると、チドリは小さく呟いた。

 

「……別に」

 

 貴方のことで言い争いをしていました、などと本人に言えるはずもなく、チドリはばつが悪そうに視線を逸らした。

 その対応を怪訝に思いながら、続けて佐久間を見ると、こちらもあからさまに視線を合わせようとしない。

 この状況から推測するに、拳を握り俯いて前髪で顔が隠れているゆかりが被害者で、二人は何かしらの理由があって加害者側になろうとしていたに違いない。

 

「大丈夫か?」

 

 そう読んだ湊は、呆れたように嘆息すると、ポケットに手を入れたまま、黙っているゆかりの前まで進み声をかけた。

 声をかけられたゆかりは、俯いて顔を隠したまま、ポツリポツリと話しだす。

 

「……大丈夫な訳あるか、このバカヤロー!」

 

 そして、顔をあげると同時に湊に体重の乗った全力のボディブローをお見舞いした。

 

「うぐっ!?」

 

 予想外の攻撃、それにゆかりの細い腕からは考えられないような威力。そんな拳でモロに腹を殴られた湊は、驚き後ろによろめいた。

 だが、ゆかりの気はまだ治まっていないようで、湊に向かって駆け出すと、跳躍して掴みかかり、相手を床に押し倒しながら、馬乗りになってビンタを連続で放つ。

 

「あんたがっ、私だけにっ、やらしい衣装を寄越すからっ、変な勘繰りした二人に狙われたじゃないのっ! ほら、どういうつもりで渡したか言ってみなさいよっ!」

 

 言っている間、ゆかりは左手で湊の胸倉を掴んだまま、何発も何発も往復で平手打ちを繰り返しており、それで話せる人間などいるはずがない。

 加えて、偶然の産物だろうが、ゆかりは湊の腕を膝で踏んで抑える形となっている。

 それにも気付かず、自分を守る事もできない湊を一方的に攻撃し続けるゆかりを、動けるようになった美紀と風花が後ろから腕を掴んで止めた。

 

「ゆ、ゆかりちゃん。それじゃあ有里君も話せないよっ」

「どうせスケベな理由に決まってるわよっ! 女子みたいな顔してる癖に、私が好きなら直接口で言えっ!」

「ぐっ」

 

 掴まれていた腕を振り払うため力んだゆかりの手は、平手から拳に変わって湊の顔面を襲う。

 勝手に、スケベな理由で贈ったと決めつけられているが、湊はそんな事を思ったことはないし。衣装がゆかりに似合うだろうからと純粋な気持ちで贈った。

 だというのに、何がどう捻じ曲がったのか、ゆかりの中では湊はゆかりに好意を持っているから、あのいやらしくも見える衣装を贈った事になっていた。

 他の部分はどうでも良い。だが、流石の湊もゆかりを異性として好きだという部分は否定したかった。

 

「ゆかりさんっ、やり過ぎですよ!」

「良いのよ、こんなやつ! ほら、自分はゆかりさんが好きですって言ってごらんなさいよ! 盛大に振ってやるけどね!」

「む、無茶ぶりだよ、ゆかりちゃん……」

 

 このとき風花は、殴られている湊の率直な気持ちを代弁していた。

 好きでもない相手への告白を強要しておきながら、自分はその想いを受けとるつもりがない。

 いくら学内でもトップクラスのルックスを持つゆかりに憧れを抱いている者でも、このような姿を見れば、こんなにも我の強い女性はちょっとと引いてしまうに違いない。

 変人へのツッコミ役と親しくない者にはややドライな接し方から、風花や美紀と同じ常識人側にいたゆかりは今この瞬間に死んだ。

 今回の件により、見事に佐久間たちと同じ残念美人の変人側へとクラスチェンジを果たし。この学校ではルックスが良いと変人だというジンクスを、より一層強固な物へとすることに貢献したのだった。

 

「おーい、あいつの土産を受け取りに来たぞー……って、邪魔したか?」

 

 そんなとき、部室のドアが開いて櫛名田が入ってきた。

 しかし、入ってすぐに女子に馬乗りで殴られている湊を発見し、湊がここにいる理由も分からないが、どうしてゆかりに殴られているのかという方が気になってしまった。

 チドリと佐久間は、先ほどのことに自己嫌悪しているのか暗い表情で立っているだけで、風花と美紀だけでゆかりを止めようとしているが、運動部に所属している相手がキレていることもあって、完全には押さえ切れていない様子だ。

 殴られている湊は、入ってすぐの場所に仰向けになっているので、きっと高等部の少し短い丈になっている櫛名田のスカートの中身が見えているだろう。

 普段の櫛名田なら、この状況を利用して湊をからかうところだが、殴られている湊の瞳が時折、金から蒼へ明滅していることが気になった。

 さらに、一応は医者でもある保険医として、生徒が傷付く場面を見過ごせないため、腰を下ろして相手と目線の高さを合わせて正面からゆかりの腕を掴んだ。

 

「お前は少し殴り過ぎだ。その馬乗りもスカートで隠した着衣騎乗位にしか見えないし、その辺で止めておけ」

「はぁっ!? あんたは関係ないでしょうが!」

「怪我人がいるなら、医者として無関係ではいられないだろ。というか、お前はキレると言葉が汚くなるんだな。将来は泣き上戸か絡み酒タイプになりそうだ」

 

 ゆかりの反応にくすくすと楽しそうにしながら、櫛名田は余裕たっぷりに笑ってみせる。

 しかし、それだけの余裕を見せていても、風花と美紀が二人がかりで押さえきれなかったゆかりの腕を、一人でがっちりと掴んで押さえこんでいるため、櫛名田もまた佐久間に近いレベルで超人なのかもしれない。

 そうして、どれだけ櫛名田の腕を振り払おうとも、まったく振り解けなかったゆかりは、少しは冷静さを取り戻したのか、抵抗をやめて腕の力を抜いた。

 

「……もう大丈夫です。放してください。あと、有里君の顔の上からどいてあげてください」

 

 櫛名田が湊の顔を跨ぐように腰を下ろしていたため、ゆかりは冷かな視線を向けて、相手にどくように伝える。

 すると、櫛名田はキョトンとした表情を作って、直ぐに含みのある笑みを浮かべて、さらに腰を落として答えた。

 

「ん? ああ、これはこれで喜んでいるはずだから大丈夫だ。お前の腰辺りにきっと硬いナニかが当たっているだろう?」

「なっ、そんなのないです! というか、わざとだったんですかそれ!?」

 

 櫛名田の言葉にゆかりは顔を赤くして、勢いよく湊の上から飛び退いた。

 美紀や風花も耳まで真っ赤にしているため、この部活のメンバーは初心な者ばかりなのだろう。

 そんな、穢れを知らない少女たちをいじるのも楽しいが、櫛名田はゆかりを止めるために腰を下ろしてから、一度も湊の呼気が自分に当たっていないことに気付く。

 もしや、殴られ過ぎて気を失ったかと、少し心配になってその場からどくと、口と瞼を閉じていた湊がゆっくりと起き出した。

 

「……櫛名田。次に同じ事をすれば女でも殴るぞ」

「からかい甲斐のないやつめ。それに岳羽は許すのか?」

「別に初めから怒ってない。まぁ、状況の説明くらいはして欲しいところだが」

 

 起き上がった湊は、自分の服についた汚れをはたきながら立ち上がり、乱れていた髪を手櫛で多少整えながら他の者を見つめる。

 攻撃を受け続けて赤く腫れた頬が僅かに痛むが、それも少しすれば治まるに違いない。

 そして、ゆかりが攻撃をしてきたこと、それは湊の土産が事の発端として、先ほどのチドリと佐久間が敵意を剥き出しにしていたことに繋がっていたようなので、自分の行動が原因ならば、湊は怒るつもりは全くなかった。

 

「……あの衣装を贈ったのは、ピンク色も含めて岳羽に似合うと思ったからだ。別に俺個人の趣味で着て欲しいという訳じゃない。気に入らなかったなら謝る。済まなかった」

 

 湊が謝罪の言葉を口にしたとき、普段と変わらないはずの表情が、どこか申し訳なさそうにしているように見えた。

 それにより、湊は本当に自分に似合うだろうと思って選び、自分がそれを気に入らなかったことに落ち込んでいるとゆかりは理解した。

 だが、別に贈られたことを嫌がっている訳ではない。ただ恥ずかしかっただけだ。

 ゆかりは、純粋な相手の厚意を踏み躙ってしまった自分の愚かさを嫌悪し、すぐに自分の思っていた素直な気持ちを口にした。

 

「べ、別にそういう訳じゃないよ。着るのは恥ずかしいけど、綺麗ですごく可愛いと思ったし。ただ、他の人にはなかったから、少しビックリしたというか。その……ありがと」

 

 先ほどまでの櫛名田のセクハラ発言による羞恥からではなく、あまりに真っ直ぐな湊の言葉に対し、自分も真っ直ぐ素直な言葉で返したことで、ゆかりは照れて頬を染めてぽつりと礼を述べる。

 ただ土産物に対して礼を言うはずが、どうしてこうなったのか分からない。

 けれど、しっかりと相手の誤解を解くことは出来ただろう。

 そうして、顔が熱いのを自覚したまま、正面にいた自分よりも随分背が高くなっていた少年の顔を、ゆかりはゆっくりと見上げた。

 なんと、そこには、

 

「――――そうか、良かった」

 

 安心したように、微かにだが柔らかい笑みを浮かべた湊の顔があった。

 これには真正面にいたゆかりだけでなく、その後ろにいた美紀や風花、部室の奥にいた佐久間とチドリも驚いたように目を見開いている。

 

「笑った。……ねえ、いま笑ったよね? もう一回、もう一回見せて!」

「……断る。そもそも笑ってない」

「ぜったい嘘! お願い、君が笑ったの初めて見たから、また見たいの。ほら、ね? スマイル、スマイル!」

 

 いつもつまらなそうにしている湊の自然な笑顔。それがこんなにも綺麗な物だとは思わなかった。

 偶然にもそれが見れたことに、つい嬉しくなって、ゆかりは湊の頬に両手を添えて笑顔を強請った。

 

「近い、触るな」

 

 だが、湊は普段よりも数段増しの仏頂面でゆかりの腕を掴み、離れるように言ってくる。

 傍目から見て、それは照れ隠しにしか見えないため、テンションが上がっていることもあって、ゆかりは全く引かずに笑顔を強請り続け。

 その後の土産物の説明のときになっても、ゆかりはニヤニヤしながら湊のことを見続けていたのだった。

 余談だが、湊の後ろにいた櫛名田だけは、貴重な湊の微笑を見る事が出来なかったため、その優位性をネタに佐久間は勝ち誇った顔をしていた。

 貴重な物を見逃し、さらに笑顔を引き出したゆかりならともかく、どうして佐久間が勝ち誇るのか分からない。

 そうして櫛名田は、その日の夜に居酒屋で佐久間と掴み合いの喧嘩に発展し。学校ではゆかりを止めて湊を救ってやったというのに、二人揃ってその店から出入り禁止を喰らうという、なんとも踏んだり蹴ったりな目に遭ったのだった。

 

 

 


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