今回の話は八章『第217話 未来人への助言』後半の部分の未来人視点の話になるため、序盤を除きほとんどの会話内容は第217話と同一となっています。
――巌戸台分寮
最後の扉を守る番人を倒した事で“時の鍵”を手に入れた七歌たち。
メティスの話によれば、寮の玄関でその鍵を使えば元の世界に、寮の屋上への扉に使えば過去に戻る事が出来る。
ただし、過去へ行けば戻ってくる事は出来ず、メティス以外のメンバー全員が手にした鍵を一つにしなければ使う事も出来ない。
どちらを選ぶべきかという話になれば、残念ながらメンバーの意志は統一されていない。
最後の戦いで唯一人犠牲になった青年を助けたい。彼が犠牲にならないようやり直したい。メンバーの中に強くそう思っている者がいるのだ。
七歌たちは過去の本人に過去改変の真実を聞いているためその選択肢は選べない。
だが、ゆかりは彼から部分的にしか過去改変の話を聞いておらず、だからこそ仲間と争う事になろうとも絶対に譲れないと思っている。
彼女の表情や雰囲気からそれを察した七歌は、事態が致命的な事になる前に彼に相談しようと提案した。
湊は七歌たちが出来る限り穏便に事態を進めようとしていた事を知っている。
なのに、計画を練っていた七歌たちが話をする前にゆかりらに限定的に過去改変の情報を伝えていた以上、彼は何かしらの狙いがあってわざと限定的にしか情報を渡さなかったに違いない。
ゆかりやアイギスも彼に話を聞きに行くことには賛成し、他の者たちも特に異論は出なかったため、彼女たちは転移装置を使って扉の間へ移動して階段を上って寮へと戻ってきた。
真田たちにとっては二年以上、七歌たちにとってはおよそ一年間暮らしてきた自分たちの家だ。
戦いの場から戻ってきてエントランスの景色を見れば、ようやく帰ってきたと安心感を覚えるのが普通である。
しかし、ようやく戻ってきたなと順平が背伸びをしようと思ったところで、彼らの日常には本来存在していない焦げ臭さを感じて顔を顰める。
「あー……なんかメッチャ焦げ臭くね?」
「あ、うん。さっきも通信で話したけど過去の世界の有里君が無茶したみたいなの。過去への扉の方を見てもらったら分かり易いと思う」
風花に言われて全員が入口横にあるフロントのカウンターへ移動し、今もそこに存在している過去への扉の方を見る。
近付いている時点で焦げ臭さの中に鉄臭さが混じっていたので分かっていたが、実際に扉の周辺を見た途端に順平だけでなく他のメンバーも微妙な表情になる。
そこにあったのは血溜まりだ。一体どれだけの血を流したのか。常人なら意識を失っていてもおかしくないレベルの大きな血溜まりが出来ている。
諸事情により血に耐性のある女性陣は呆れ顔で済んでいるが、日常で血を見ることがほとんどない男子たちは完全に引いている。
「これ、有里さんは無事なんですかね?」
「無事じゃなかったら俺たちの世界のあいつも死んでるはずだ。ならまぁ、一応は大丈夫だったんだろう」
天田の言葉にどこか自信なさげに答える真田だが、彼らは自分ならきっと失血死しているに違いないと考えている。
これほどの血溜まりなど美紀が刺された時や、チドリが狙撃された時にしか見たことがない。
もっとも、ただの学生がそんな場面を二度も見ているだけでも異常なのだが、シャドウとの戦いで少しは血を流すこともあった事で本人たちの感覚も麻痺しているようだ。
後ろでそんな事を男子たちが話しているのを聞きながら、美鶴はとりあえず先にこちらを片付けようと仲間たちに指示を出す。
「まずは血の汚れを拭き取ろう。大部分はトイレットペーパーにでも吸わせて、それから雑巾で細かい部分を拭いていく。明彦たちは見ていられないなら消臭剤のスプレーでも撒いておけ」
指示を受けると女性陣はテキパキと動き始めて血溜まりを処理していく。
逆に男子たちは大量の血液を明るい場所で見るのは苦手らしく、美鶴の指示を受けて全員が消臭スプレーを取りに駆け出した。
私物を持ってくる者、掃除用具のところから持ってくる者、見つからなかったのでただの水が入った霧吹きをとりあえず持ってくる者などもいたが、全員が焦げ臭いエントランスの臭いをどうにかしようとスプレーの消臭剤を撒き始める。
得手不得手はあるだろうが、普段は自信に満ちあふれた顔をしているというのに、いざとなったときに腰が引けるのは少々格好が悪い。
だが、現実世界から切り離されてほとんど換気が出来ない状況にある今、焦げ臭さと鉄臭さをどうにかしてくれれば女子たちも文句はない。
結局一時間以上かけて掃除したことで何とか最低限普段通りに利用出来る状態にすると、七歌たちは一度休んでから再び集まって、過去に行けない綾時に見送られながら過去の世界の湊に会いに行った。
――古美術“眞宵堂”
七歌たちが過去への扉を潜って眞宵堂を訪れると、そこにはレジカウンターでいつも通りに仕事をしている青年がいた。
あれだけの出血をしていながら、どうしてそこまで普段通りでいられるのか不思議でならない。
しかし、彼との付き合いが長い者は彼の態度が、“何も無理していませんよ”と白を切っているだけだろうと見抜いて店に入るなり彼を叱りつけた。
「八雲、どうして無茶をしてまであんな事をしたのよ」
「無茶なんて別にしていない。ペルソナを送るくらいなら大丈夫だと思ったからやってみただけだ。実際、何の問題もなかった」
『ダウト!』
どうしてそんな言葉で騙せると思うのか。彼の言葉が嘘だと分かっている女子たちの声が重なる。
言われた本人は女子たちが何を言っているのか分からないという顔をしているが、ジッと見つめられていると観念したのか小さく嘆息し、それからどうして嘘がバレたのか聞いてくる。
「……なんで怪我したと分かったんだ? 奥の通路はちゃんと掃除しておいたのに」
「はい、確かに通路には血の跡もなく綺麗でした。ですが、わたしたちの寮のラウンジと繋がる扉のところに大量の血液が残っていたんです。こっちの世界の方は上手く誤魔化せても、流石にわたしたちの世界の方までは出来なかったようですね」
話を聞いた湊はそこは盲点だったと納得した顔を見せる。
確かに七歌たちがこちらへ来たときには、こちらの世界の扉の周辺は綺麗なままだった。
彼の目の力を使えば存在を殺せるので、通路の血溜まりは存在を殺して完璧に証拠隠滅出来たのだろう。
けれど、いくら一度見た空間の歪みを再び見抜いて強引に干渉出来る力があっても、大怪我を負っている状態では向こう側の細かな部分の処理まで気を回す余裕はなかったらしい。
そこまで確かな証拠があれば湊もこれ以上は誤魔化す気はないため、別の話題に持っていくことで説教を回避しようと試みる。
だが、彼の性格を理解しているアイギスが正面から彼を見つめ、しっかりと目を合せたままさらに言葉を続けた。
「八雲さん、あなたはもっと自分を大切にするべきです。敵の姿と強さに驚き劣勢だったことは認めますが、それでも自分たちだけでも勝つことは可能でした」
それを伝えながらもアイギスは戦いの状況を思い出して実際はかなり危うかったと考える。
あの番人の湊が本物だったのか偽物だったのかは分からない。解析の専門家である風花とチドリでも分からなかったのだ。他の者に判断がつくわけがない。
おかげで本人の可能性があるからとゆかりやアイギスは戦いに参加出来ず、一気に攻めた綾時らのペルソナが撃破された時には時間を稼ぐためにチドリも含めて妨害に動こうとしていた。
番人の湊が本人だったなら確かにそれを倒すのは間違っている。言葉が通じるなら説得を試みようと考えるのも分かる。
彼女たちのそういった考えもある意味では正しいのだが、そんな彼女たちの思惑も、敵として倒そうと思っていた者たちの思惑も、ここにいる湊の一手で粉々に打ち砕かれた。
終わった今だからこそ冷静に考える余裕もあり、あれは原因を作った者たちが自分の手でどうにかすべき問題であり、過去の湊に手を下させて良いことではなかったとアイギスも考えている。
しかし、アイギスたちのそんな想いを知ってか知らずか、湊は普段通りの淡々とした口調で返してきた。
「……さっさと終わらせたかったんだろ。それに時の空回りの原因が俺なら自分の事は自分でやるさ」
湊の言葉を聞いて、ゆかりは過去の自身の発言が今回の行動を起こさせたと理解する。
彼の性格を思えば十分に予想出来ることだった。
大前提として時の空回りに湊は一切関係ない。影時間の消滅と一緒に消えたタルタロスの残留エネルギーに七歌たちの未練が反応して起きた事故のようなものだ。
彼女たちの未練は彼に関係しているものだが、あくまで残された者たちの心がトリガーなので、湊側にはどうしようもないものなのである。
過去の世界にきたばかりのゆかりは感情的になって、未練の原因は未来の湊が一人で犠牲になったことだと責めた。
それを聞けばここにいる湊が無茶をしてでも責任を取ろうとする事など簡単に予想がついたというのに。
自分のせいで彼に関係のない責任を取らせてしまったゆかりは、彼に償う方法がまるで思い付かず深くを頭を下げてただただ謝罪する事しか出来ない。
「ごめん、私が言ったせいだね。本当にゴメンなさい」
「……別に岳羽の言葉は関係ない。俺は“俺を頼れ”という言葉に従っただけだ。どっちにしろこれで終わりだしな」
頭を下げ続けるゆかりに対し、湊は未来の自分の言葉の責任を全うしただけだと答える。
七歌たちにすれば十分に頼らせてもらっており、物資の補給だけでも十二分に助かっていた。
それだけでなく個々のメンタルケアまで影で行なってくれていたというのに、無理をしてまで戦力を送ってくるなど明らかに“頼る”の域を超えている。
もっとも、湊の先ほどの言葉はあくまで自分の意思でやったことだと告げる事で、ゆかりが責任を感じないよう気を遣っただけだろう。
彼は変なところで強情なので、彼の行動と無関係なゆかりが何を言ったところで謝罪を受け入れたりはしない。
ゆかりもそれは分かっていたため謝罪をやめ、小さくありがとうとだけ返しておいた。
感謝の言葉を贈られた青年は何の話だという表情をしているが、彼がそういった反応をしてくるのは分かっているため他の者は何も言わない。
両者が納得しているならその話はここで終わりだ。
ただ、湊がもう事件は解決したなといった雰囲気を見せてきた事で、実はまだ続きがあるんですとメティスがここへ来た本題を切り出した。
「あの、兄さん。実は兄さんの贋物を倒したら鍵が現われたんです。数は姉さんたち一人につき一本で合計十三本。どうやらそれを一つにまとめて寮の入り口を開けば時の空回りを終えられるはずなんです」
メティスにとっては番人の湊は贋物だったらしく、贋物と断言した状態で話を進める。
目の前にいる青年が未来に向けて送ったアザゼルの一撃で消滅した以上、あれを本物か贋物か議論するだけ無駄なのは分かっている。
そのため、メティスがアイギスから鍵を借りて見せながら説明している時も誰も口を挿まない。
ただ、その鍵を見て彼がやや不思議そうにしているところは気になり、話をしていたメティスが彼に尋ねる。
「兄さん、何か気になることがありましたか?」
「いや、鍵の形状が寮の鍵と違っているからな。これで本当に開くのか気になっただけだ」
「多分、結界に穴を開けるための道具的な扱いなんだと思います。それらしき鍵穴もありませんし」
寮で暮らしている者たちは、何故寮生ではない湊が本物の鍵の形状を知っているのか気になった。
けれど、そこに突っ込むと話が脱線してややこしくなるため、咳払いした美鶴がメティスの説明しなかった方の使い方を彼に伝える。
「だが、その鍵には別の使い方もある。寮の屋上へ続く扉に使えば今のように限定的にではなく本当に過去に戻れるらしい」
もう一つの使い方を説明すると七歌や美鶴は彼の様子を観察する。
元々、過去改変について情報を告げてきたのは彼だ。現われた鍵の使い方も予想出来ていたはず。
となれば、それを伝えた時点で彼がゆかりたちに不完全な形で過去改変の情報を渡していた意味も分かるだろう。
そんな風に考えて彼の言葉を待っていれば、湊は迷う余地はないなと簡潔に答えた。
「……なら入り口に使えばいい。過去に戻る意味はない」
「なんで? 過去に戻れば色々とやり直せるんだよ?」
彼ならば入り口に使って元の世界に帰れと答えるのは分かっていた。
しかし、どうして過去に戻る意味がないとまで言い切るのか。
過去改変に一縷の望みをかけていたゆかりが看過出来ず問い返せば、彼女の話を聞いていた真田が口を挟んだ。
「岳羽、お前は前を向くんじゃなかったのか? 過去をやり直すなど対極なことだぞ」
「分かってます。でも、それでもやっぱり自分に嘘は付けないから。私は過去に戻って有里君が死なないようやり直したいんです」
ゆかりだって最初からそんな風に考えていた訳ではない。
彼が守ってくれた世界だから、彼が繋いでくれた明日だから、そう自分に言い聞かせて生きていこうとしてきたのだ。
だが、目の前にいる青年と出会ったときにそんな自分の生き方は過去に囚われたものだと言われ、本当に自分は間違っていたのかと悩んでいるところに、あの戦いの結末を変えられるかもしれないチャンスが転がり込んできた。
こんな奇跡は二度と起きない。ならば、ゆかりは自分の正直な気持ちに従って過去をやり直したいとはっきり告げた。
他の者だって彼女の言い分は理解出来る。誰だって仲間の死を簡単には受け入れられないし、そんな形で救われた事に思うところがない訳でもない。
ただ、いくら納得出来ないからといって、彼の命懸けの選択をなかった事していい訳がないと荒垣も口を挿む。
「俺だって自分を犠牲にした有里の選択には納得し切れてねぇ。だがな、それでもあいつは命使ってでもお前らを守ったんだ。その覚悟も、想いもお前はなかったことにするのか?」
「……分かるから辛いのよ。苦しいことから逃げてるだけかもしれないけど、それでも私も湊には生きていて欲しい」
荒垣の言葉に、ゆかりに代わってチドリがただ静かに答える。
家族としてずっと過ごしてきたからこそ彼女の切実な願いが重く響く。
真田や荒垣のように彼の想いを汲んで今の世界を生きていこうとする事も、ゆかりやチドリのように転がり込んできたチャンスに賭けようとするのも、どちらも決して間違いではない。
それは彼との関係性の違いであったり、何に重きを置いているかの違いでしかないのだ。
だからこそ、いくら話し合ったところで答えが纏まることはない。
鍵は本人が譲渡しようとしない限り奪ったところで融合しないため、このまま話が平行線を辿るなら鍵を賭けて戦うしかないだろう。
だが、誰かがそれを切り出す前に、今まで黙って彼女たちの話し合いを聞いていた湊が口を開いた。
「……岳羽、チドリ、悪いがお前たちは前提からして間違えてる。過去に戻っても歴史をやり直す事は出来ない」
『……え?』
名前を呼ばれた二人だけでなく、詳しい話を聞いていなかったアイギスも揃ってどういう意味かと彼を見つめる。
過去改変について聞いていた七歌たちも、このタイミングで切り出してくるのかと思いつつ話の続きを聞く。
「お前たちは扉を潜ってこちらに来たな? なら、何故そちらでも同じ事が起きると思わない?」
「つまり、過去をやり直せるのではなく、その世界の自分が存在する過去に私たちが行くということか?」
「ええ、確証はありませんが可能性は高いかと」
彼の言葉を理解しようと頭を働かせている少女らに代わって美鶴が詳しく聞けば、湊はその通りだと頷いて返す。
ゆかりたちは所謂タイムリープ、過去の自分に未来の記憶を持った今の自分の意識が宿る事を想像していたに違いない。
けれど、時の鍵を使おうが過去への扉を潜るという形を取るならば、今の七歌たちのように過去の世界に未来の自分たちが移動するだけだと考える方が自然だ。
その世界にはその世界で生きている本人たちがいるため、いくらそちらの湊が生き残る未来に辿り着こうが、異物である二人目のゆかりたちでは望んだような結果にはなり得ない。
「仮にお前たちの意識だけが過去に跳んだとしよう。だが、そうなればお前たちはその世界の自分の人格を上書きして殺すことになる」
「でも、同一人物なんだから結果的に未来の記憶を得るだけでしょ?」
「いや、違うな。言い訳しようが一人の人間を殺すことにかわりはない。そして、その世界の俺はすぐに変化に気付き、お前たちを自分の知る者たちを殺した“お客さん”として扱うだろう」
さらに湊はゆかりたちが考えていたであろう状況の方でも、お前たちが望んだ結果にはならないと残酷に告げる。
湊は未来人の七歌たちが来たときにすぐ気付いていた。それは気配であったり、適性の強さであったり、様々な要素で未来人だと判断した訳だが、もしタイムリープが起きればその変化にそちらの湊も気付くだろう。
変化に気付いた湊は自分の知る彼女たちの意識を上書きした存在を赦さない。
よって、彼女たちの望んだ形で過去に戻れたとしても、望んだ結果が得られない未来は訪れないという事になる。
時間を概念的に理解していて、状況を誰よりも把握している彼からそんな事を言われてしまえばゆかりたちも納得するしかなく、希望を断たれた彼女たちはどうあっても彼を救えないことに悲しみの涙を流す。
「な、なんでよ。何で死んだのかも分からないままで、せっかく、やり直せるチャンスが手に入ったと思ったのに。……こんな、こんなぬか喜びさせるだけの結果になるなら……」
「……はぁ、じゃあ過去をちゃんと見てくればいいだろ」
目の前で泣き始めたゆかりたちに呆れた様子で湊が呟く。
これには他の者たちもどういう事だと言葉の意味を理解出来ず、それを見た湊は何でこんな簡単な事も分からないんだと深く溜息を吐く。
今回、彼女たちは未練が原因で時の空回りに巻き込まれた訳だが、何故そこまでの強い未練を抱いたのか。
その根本的な原因をしっかりと理解していれば、自分たちの置かれている状況からそれを解決するための方法も思い付くはずだと説明する。
「お前たちは未来の俺が何をしたか分からないから不完全燃焼なんだろ。なら、ここへ来たときのように、ニュクスとの戦いの日の俺の許へ行ってくればいい」
「せやけど、過去に繋がる扉なんてもう残ってへんよ?」
「あるじゃないか。今も過去と繋がってる扉が」
全てのダンジョンを攻略した事で時の狭間にあった扉は全て消えている。
そのためラビリスは過去へ繋がる扉はもう存在しないと言ったのだが、湊の言葉に全員がハッとした顔になった。
確かにダンジョンの最深部にあった“過去へ繋がる扉”は全て消えてしまったが、今も“過去に繋がっている扉”は残っている。
この世界に繋がったのが彼女たちの意思の反映ならば、再び願えば別の場所に繋がる事もあるだろう。
「真実を知って、それから先に進めばいい。どうせ俺の事だ。多分、何かしらのメッセージは残してるはずだしな」
過去の世界の存在と言えど彼は自分たちの知る湊の過去だ。ならば、本人が言った通り時の空回りを解決すれば何かしらの手段で彼のメッセージが届くようになっているのだろう。
自分の死を知っていた彼がどんな言葉を残していたのか。それが気にならないと言えば嘘だが、あの日の真実を見に行けば恐らくここには戻ってこられない。
既にメンバーたちの気持ちはあの日の真実を見に行くことに固まっているが、それでもアイギスはここにいる湊との語らいが名残惜しくて意味のない事を尋ねてしまう。
「もし、あの日の真実を見に行ったら、その後はどうなりますか?」
「……元の世界に帰って終わりだ。もうここに戻ってくる事はない」
「そう、ですよね……」
真実を知ってなお過去改変を選ぶにしろ、元の世界に帰るにしろ、ここに再びやってくる事はもうないだろう。
自分でも分かっていたのに、改めて彼の口からその事実を聞いてしまうと気分が沈んでしまう。
時間はあるのだからもう少しくらいは良いのではないか。しっかり休養をとって、それからあの日の真実を見に行っても問題はないはず。
そんな後ろ向きな考えが頭を過ぎるが、俯いていたアイギスは頭に温かな手が置かれる感触を感じ、視線を上げればそこには優しい笑みを浮かべる彼の顔があった。
「……またな」
「……はい。八雲さんもお元気で、本当にありがとうございました」
それは再会を願う別れの言葉。彼の小さな気遣いに勇気づけられたアイギスはしっかりと笑顔を浮かべてこれまでの感謝を告げた。
「八雲君、今までありがとう。また会おうね」
「もう過去には来るな。それと……向こうに残ってるもう一人にもよろしく言っておけ」
店を出て行く前に今までの礼を言った七歌に、湊はこちらに来ていないもう一人の仲間への伝言を頼んだ。
どこでその存在に気付いたのか。七歌たちは驚きに目を見開くが、メティスが鍵は十三本と言っておきながらメティス本人が持っていない事でもう一人存在する事に気付いたらしい。
それが誰であるかも察してはいるようだが、未来の情報はあまり聞くべきではないからと名前は言うなと彼は言った。
最後の最後でそんなサプライズもあったが、他の者たちも席を立つと彼にこれまでの礼を言って店を出て行く。
七歌たちはあの日の真実を知るため、過去の湊に別れを告げて寮へと帰っていった。