――巌戸台分寮
湊から過去改変について詳しく聞いてきた七歌は、このままでは彼女たちの願いは叶わないと理解し、過去改変や現状維持を望むであろう者たちを順番に呼び出す事にした。
最後の扉の攻略が始まることもあって、説得に割く時間はあまりない。
それでも一度に全員を呼び出せば結託して現状維持を望む可能性があるため、七歌は出来る限り一人ずつ説得してゆく事にした。
最初に呼び出す事に決めたのはラビリス。彼女は湊と深い関係にあったと聞いているが、本人がどういう訳か彼の隣には妹であるアイギスが納まればいいと言っているらしい。
情報元は美鶴なのでそれについては彼女から直接聞いたと信じて良いと思っている。
しかし、姉だから妹の幸せを願っているのか、それとも最初から共に生きるほどの執着は持っていなかったのか。そこが七歌には分からない。
彼女は湊が一度死んだ時もアイギスの世話をしつつ学校には通い続けていた。
同じように学校に通い続けていたゆかりは、過去改変や現状維持を望む筆頭になっている。
そのため、前回は大丈夫だったからと精神的に他の者よりも強いと信じきってしまうのは危険だろう。
七歌が話しかければ傍にアイギスがいたら一緒に来てしまうかもしれないため、呼び出すのは美鶴に頼み、七歌は飲み物とお茶請けを用意して四階の作戦室で待つ。
相手が寮に残っている事は確認しているので、少し待っていればくるだろう。
そう思っていれば、丁度扉がノックされた事で七歌は入室を許可する。
「どうぞー」
「七歌ちゃん、美鶴さんから呼んでるって聞いてきたんやけど?」
「うん。ちょっと、今後の探索に向けていくつか相談があって。お茶とかも用意したから、座って座って」
やって来たラビリスは普段通りの様子で精神的に追い詰められている様子はない。
ゆかりやアイギスは最後の扉の攻略に向けてどこか不安そうな顔をしていたので、それと比べるとラビリスは七歌たちに近い状態と言えるだろう。
過去の映像を見た時に聞いた話では彼女は元々湊の傍にいるために戦う事を選んだという。
では、彼がいなくなった世界についてはどう考えているのか。七歌はまずはそこから聞くことに決めていた。
七歌に勧められるままソファーに座り、紅茶の入ったカップを受け取ると彼女は一口飲んで七歌を正面から見つめる。
旧家の生まれである七歌は社交界にも出て色んな人間を見てきた。相手が自分に対してどういった感情を向けているのか、どういった思惑を持って近付いて来ているのか、他者を蹴落とし利用しようとする社交界ではそれらを見抜く必要があったのだ。
おかげで七歌は相手の目や細かな仕草を見ることで、その内面の表層的な部分であれば多少は理解する事が出来る。
その観察力を使ってラビリスの精神状態を見抜こうとすれば、分かったのは彼女の精神が酷く安定しているという事だった。
彼女も湊の許へ報告会として出向いていたため、ゆかりやアイギス側の考えを持っている可能性を疑っていたが、直接向き合っても安定しているように見えるとなると彼女は付き添っていただけなのかもしれない。
こうなるとやはり本人に直接尋ねない限り分からないので、七歌も自分の紅茶に口をつけて喉を湿らせると話を切り出した。
「探索について相談する前にいくつか聞きたいんだけど、ラビリスは八雲君がいない世界についてどう思ってる?」
「え? エラい唐突な質問やね。うーん、質問の意味にあってるか分からんけど、感情の面で言えば湊君にも生きてて欲しかった。他に選択肢がなかったとしても一言相談して欲しかった。で、理性の部分では救われたこの命の限り責任を持ってこの世界で生きていかんとって思っとる感じかな」
突然の質問にラビリスは虚を突かれた表情をするも、すぐにどこか苦笑した様子で自分なりの答えを返してきた。
やはり、彼女も湊が一人犠牲になって世界を救ったことに納得していない。そこに関しては割り切れていないらしい。
ただ、他の選択肢がなかったことも理解していて、何故彼がそうまでして未来へと繋いだのかを知っているからこそ、彼が守った世界で生きていかなければならないとハッキリ答えた。
彼女の親しみ易い雰囲気と関西弁という方言もあって口調は柔らかく聞こえる。
けれど、目の奥には決意の光がしっかりと宿っており、彼女は既に自分の足で立って未来へと歩み出そうとしているのが伝わってきた。
彼も助かる選択肢があれば選ぶかもしれないが、そうでなければ彼女は過去改変も現状維持も選ばない。
最初の質問でそれが分かった七歌は安堵の息を吐いて、自分で用意したカステラにフォークを刺して口へ運ぶ。
「ふぃー、ラビリスが前向きな思考で良かったよ」
「前向きって言うほど前向きなつもりはないけど、さっきの質問ってどういう意味やったん?」
「んー、端的に言えば現実と向き合ってくれるかどうかの確認だったの」
突然された質問に答えただけで七歌が見るからに安心した様子を見せたことで、ラビリスも質問には重要な意味があったと思ったようだが、その意味について説明した七歌の言葉では理解出来なかったようで首を傾げている。
答えた本人も流石に今のでは分からないよねと反省し、自身した説明に自嘲的な笑みを浮かべつつ改めて説明する。
「私も含めたメンバーのほとんどは事件解決を目指してるの。八雲君が救ってくれた元の世界に戻ってそこで生きていこうって考えてる。でも、ゆかりやアイギスは過去の八雲君と会った事で現状維持や過去改変の可能性を探ってるんじゃないかな」
一緒にいる時にそういった事を考えていそうな素振りはなかったか。
七歌に問われたラビリスは顎に手を当てて考えている。
自分たちにはそう見えていたし、相談に乗っていた湊もゆかりたちがそんな事を考えていると見ていたが、共に行動している彼女には何か話しているかもしれない。
もしも知っていれば教えて欲しい。そんな期待を込めてジッと見つめていれば、考えがまとまったのかラビリスは視線を上げて七歌の方を見ながら口を開く。
「ゆかりちゃんはなんか色々考えてる風やったわ。アイギスは……多分、悩んでるんやと思う。湊君に会える今の状況を喜んでるけど、その過去の湊君に事件を解決するように言われとるから、このままじゃダメやって分かってはいるみたい」
「うん。そうだよね。もう会えないって思ってたから、余計に惜しくなっちゃうのは私たちも分かるつもり」
ゆかりのように可能性を模索するのも、アイギスのように揺れてしまうのもどちらも理解出来る。
出来る事なら七歌たちもゆかりと同じように彼が生き残る世界を目指したかった。
けれど、自分たちの世界では既に結果が出ている。最後の決戦で湊は自分の命を使ってニュクスをあちらの世界に送り返した。
その結果が出てしまった以上、いくら過去を変えようとも自分たちの世界の湊は救えない。
結末を変えるため過去に跳んでしまえば、彼は何よりも大切にしていた少女らが消えた世界に残る事になってしまう。
綾時や過去の世界の湊から聞いた過去改変の真実を七歌はラビリスにも伝える。
「今、私たちは過去と行き来出来てるけど、それは時の狭間に残ってるエネルギーと扉を使ってるから出来てるらしいの。ゆかりの目指している過去改変はその方法じゃ無理で、時の狭間に残ってるエネルギーを使って片道切符で過去に跳ぶしかないんだって」
「過去に跳んだらどうなるん?」
「そこから新しい未来を生きられるようになるよ。ただし、私たちが今いる世界には繋がらない別の世界に分岐した未来だけどね」
七歌たちが最初に過去の世界へ行った際、世界というものは簡単に分岐すると湊から説明されている。
一緒に説明を聞いていたラビリスも、どの程度の選択で世界が分岐するかは分かっていないが、一人の人間の死で別の世界に分岐する可能性がある事は理解している。
ただ、自分たちがこうやって実際に過去と行き来出来ているからこそ、どうして分岐した別の世界にしか行くことが出来ないのかが分からない。
過去への移動が片道切符だったとしても、辿り着くのが今いる世界に繋がる過去になる可能性もあるのではないか。
そこに疑問を持ちつつ、ラビリスはより重要度の高い部分について先に尋ねる。
「過去を変えてもウチらの世界の湊君は助けられへんってこと?」
「うん。結果が観測された時点でその結果はもう変えられないんだって。過去改変って名前だけど、観測者である私たちからすれば記憶は続いてる訳で、“未来の私たちが来る”っていう世界に移動してその世界で生きていくだけらしいよ」
「あ、そっか。ウチらの世界は六月に未来のウチらが来て湊君に会った世界やから、そこ以外に未来のウチらが来たらそれは別の世界って事になるんやね」
未来人が来てもあまり驚いていなかった湊のせいで意識していなかったが、普通に考えれば未来人が来るなど簡単に起きるイベントではない。
それだけに、もしも別のタイミングに未来人がやって来ていれば、そこは自分たちのいるこの世界とよく似た別の世界線という事になる。
分岐した世界でどれだけ湊を助けようとも、元いた世界とは繋がっていないのでそちらの世界の湊には何の影響もない。
自分たちの世界の湊を助けるために過去へ跳ぶというのに、過去へ跳んだ時点で永遠にそれが叶わなくなるとは酷い罠だ。
理屈としては理解出来るものの、素直に納得は出来ない。そんな胸の内が分かるような難しい表情を浮かべるラビリスに七歌は苦笑して声をかける。
「私たちも説明を聞いた時にそこで悩んだんだよ。ある意味、私たちじゃ八雲君をどうやっても助けられないって断言された訳だし」
「せやね。ほんなら事件解決したらもう湊君には会えへんって事やね」
残る扉はあと一つ。それを攻略してしまえば事件は解決という事で、恐らく過去に繋がっている扉も消えてしまうはずだ。
そうなると、湊の救出方が存在しない以上もう二度と生きている湊には会えなくなる。
その事に気付いたラビリスが視線を僅かに落として暗い表情になれば、七歌はそこで悲観する必要はないと告げる。
「そうでもないよ。未来には可能性が残ってるからね。事件解決後に八雲君を助けに行く手段が見つかるかもしれないじゃん?」
「フフッ、確かにそうかもしれへんね。でも、事件解決に納得してるウチはええけど、ゆかりちゃんらがそれで納得するか分からへんよ?」
「うん、説得が難しいのは分かってる。だから、今回みたいに一人ずつ意見を聞いて行こうと思った訳だし」
報告会に行っている全員がゆかりのように考えているとは思っていない。
だからこそ、一人ずつ順番に話をして過去改変の真実を知って貰う事で、改めて事件解決の必要性を知ってもらおうとしているのだ。
ラビリスは一番冷静に見えた事もあって最初の一人に選んだが、残るメンバーはラビリスほど簡単にはいきそうにない。
相手によって七歌が話をするか、美鶴から話をしてもらうか決めるつもりだが、いくら組織のブレインだからといって心に問題を抱えていそうな仲間の説得を二人だけに任せるのは負担が大きいだろう。
そこでラビリスは一緒に報告会に参加していた側の人間として手伝いを申し出た。
「ほんなら、その時はウチも一緒に参加するわ。多分、近い立場の人間として話を聞いて貰いやすくするくらいは出来ると思うから」
「本当に? それはすごく助かるよ。ぶっちゃけ、恋愛感情で八雲君に執着してる人の気持ちは理解出来てないからさ。あんたには分からないでしょって言われたら反論出来ないんだよね」
七歌が湊に抱いているのは家族としての愛情がほとんどの割合を占めている。
異性として意識していない訳ではないが、家族として、姉としての立場で接していた事もあって、ゆかりやアイギスのような恋愛感情で執着している者の気持ちはいまいち共感出来ないのだ。
その点、ラビリスは彼女たちと同じ異性としての付き合いを続けていた存在なので、自分よりも遙かに彼女たちの心に寄り添えるはず。
心強い助っ人を手に入れた事に七歌が喜んでいると、ラビリスは気まずそうに頬を掻いて口を開いた。
「あー、そこはウチも自信ないかも。男女の関係ではあったけど、どちらかというと独りにしたらアカンっていう母性で接してた部分もあるから」
「……母性で接してたのに男女の関係になったの? 倒錯的過ぎない?」
「いや、全部がそうではないからな。ほら、あれよ。ダメな子を放っておけない的な感じやってん。ウチが傍についておいてあげんとっていう」
「うーん、なんか闇が深い感じがする」
「そりゃ、湊君の心が歪やったからな。周りもそうなるもんやって」
言われてみれば確かにそうかもしれないが、歪な心を持つ青年に惹かれる方まで同じように特殊な思考で接する必要はないはず。
だが、ここでそこを深く掘り下げると、余計に深い闇を見つけてしまいそうだったので七歌も言及を避けた。
同じ目的を持った心強い助っ人を手に入れた。今はその事だけを喜ぶ事にして、七歌は用意したお茶とお菓子を食べ終わると、使った食器を持って下へと下りて行く。
食器を洗うためキッチンに行く際、一階で本を読んで待っていた美鶴に上手く行った事を視線で伝え、相手も笑顔を見せると今回の面談が成功した事を心の中で喜び合う。
残るメンバーの事を考えるとまだ安心は出来ないが、とりあえずの成功を喜ぶくらいは良いだろう。
そうして、七歌は洗い物をしながら次は誰と話をするべきかと考え、洗い物を終えてから改めて美鶴とも意見を交えるのだった。