【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四百五十六話 取り残されたもの

2月13日(土)

放課後――ポロニアンモール

 

 この一年の集大成ともいえる学年末テストを月末に控えた放課後。学校を出た美紀は制服姿のまま一人ポロニアンモールを訪れていた。

 明日は二月の十四日、恋人や想いを寄せる相手に愛を伝えるバレンタインデー。

 ポロニアンモールにある店も、バレンタインデーに向けた商品を揃えて客を呼び込んでいる。

 コートを着込み、マフラーを巻いて歩きながらそれらを眺めるカップルの見つけると、美紀は思わずここにいない青年の姿を重ねて目で追ってしまう。

 

(……もう、いないと分かっているのに。やっぱり簡単には気持ちの整理がつきませんね)

 

 コートの色は茶色で、マフラーは赤や緑のカラフルなチェック柄、どうみても彼が身に付けていた黒一色とは異なっている。

 それなのにコートやマフラーを巻いている男性を見ると無意識に視線がそちらに向く。

 頭では分かっているはずなのに、心がまだ追い付いていない事に美紀は苦笑した。

 あの日、最後の戦いで湊の呼び出したドラゴンはニュクスを連れて地球を離れていった。

 地上に残っていた者たちはその光景を見て、口々に奇跡が起きたと滅びは免れたんだと驚きながらも喜んだ。

 眞宵堂店主の栗原や桐条たちと共に巌戸台分寮の屋上でその光景を見ていた美紀も、ニュクスという“死”の到来を目の当たりにした時点で、本当に彼が神を退けられるとは思っていなかった。

 だが、彼は約束を果たした。この惑星に生きる者たちの意思に呼ばれた神を、たった一人で退けて人類の意思を拒絶してみせた。

 死の神の到来が人類の総意であるというのなら、確かにたった一人の力によってそれが拒絶された以上は人類史の敗北だろう。

 七歌が世界に向けて放った言葉により、人々の想いが彼に届いて力になったとしても、神と直接対峙して打ち勝ったのが彼一人だった事実は変わらない。

 過去に存在した数多の予言通りに、人々が積み重ねてきた歴史と想いはあの日確かに一人の青年の願いに敗北したのだ。

 

(ですが、その結果敗北したはずの人類は生き残り。勝者である有里君だけがこの世界から消えてしまった)

 

 ニュクスを連れてドラゴンが地球を離れた後、宙で大きな爆発が起こり世界は白い光に包まれた。

 何の光だったのかは分からないが、その光に包まれると徐々に意識が遠のいて、自分の記憶に靄が掛かっていくように感じた。

 あれが影時間の記憶補整の兆候だったのだろう。何の対策もしていなければ、美紀も他の者と同じように再び影時間に関する記憶を失っていたに違いない。

 ペルソナ使いとして誰よりも高い適性を持つ七歌たちも記憶を失った。

 戦いから帰ってきた時はどことなく気怠そうにしていて、ほんの少しだけ言葉は交わしたものの、部屋に戻るなりすぐに全員が寝てしまった。

 全員が必死に戦ったのだ。精根尽き果てても当然である。

 だが、美紀たちは帰ってきた七歌たちは既に記憶補整が始まっていたのだろうと推測した。

 

(誰も有里君が戻ってこなかった事を気にしていなかった。恐らく、兄さんたちは世界が光に呑まれた時点で有里君の事が意識から消えていたんでしょう)

 

 最後の決戦に向かう皆を見送った者たちの中で、美紀だけが何の説明を受けていなかった。

 ニュクスとの戦いで湊が死ぬだなどと、それを大人たちは事前に知っていたなどと言われても、全てが終わってしまった後に聞かされて何を納得しろと言うのか。

 彼はチドリを助けるために一度死んだ。なのに、その死を乗り越えて蘇り、今度は世界を存続させるために犠牲になった。

 知っていたならどうして止めなかったのかと大人たちを責めたくなった。

 また彼らは全て湊に押し付けたのかと、自分たちの尻拭いを湊に押し付けて殺したのかと糾弾したかった。

 けれど、そうは出来なかった。帰ってきた七歌たちが眠った後、桜や英恵だけじゃなく、他の大人たちも全員が己の無力を悔やんでいると表情から察してしまったから。

 

(……有里君、私は貴方を恨みます。生涯赦すことはないでしょう。こんな、こんな自己満足な結果を押し付けられて、どうやって平然と笑って生きろというんですか)

 

 美紀は彼の事を覚えている。燃える建物の中から助けてくれた横顔も、中等部で出会ってから共に過した日々も、一度は失った記憶を取り戻した事で彼女の中で今も鮮明に思い出の光景が残っていた。

 彼女以外に記憶を保持する事に成功したのはあの場にいた大人たちと、湊の指示で簡易補整器の指輪を付けて記憶のバックアップを取っていたEP社の人間だけだ。

 桐条武治と栗原は自力で適性を入手していたようだが、湊に言われて指輪を付けて記憶のバックアップを取っておいたという。

 同じくEP社側でもソフィアやシャロンは適性を得ていたようだが、同じく指輪を使って記憶を残す事に成功した。

 世界中に記憶の補整が掛かる際に指輪を付けていなくても、一度でも付けた事があれば記憶を失ってからでもその指輪を付ければ記憶は戻るのだという。

 そこまで分かっていたならどうして湊はそれを仲間たちには伝えなかったのか。

 ソフィアの話ではあくまで可能性であって、それらは賭けでしかなったという話だが、だとしても仲間にも同じ事をしていても良かったはずだ。

 しかし、湊は自分が死ぬことも伝えず、記憶を失わずに済む可能性があることも仲間には話さないまま逝ってしまった。

 

(自分がいなくなれば平和になると思ったのでしょう。誰も記憶を取り戻さなければ、最初からいなかったのと同じだと。わざと貴方はチドリさんたちに記憶を残させなかった)

 

 あの最後の戦いを終えてから最初の学校の日、美紀は教室に行って何度も驚いた。

 湊に関する情報が影時間に関する記憶に含まれる事は知っていたが、影時間に関わっていないはずの一般人も湊の事を覚えていなかったからだ。

 いや、正確に言えば他の者たちも湊の名前は知っていたのだ。

 なのに、彼との思い出や姿についてはほとんど誰も覚えていなかった。

 その症状は影時間の記憶補整そのもので、どうして影時間に関わっていない者まで影響が出ているのか不思議だった。

 美紀がほぼ唯一相談出来る栗原の許を訪ね、学生や教師らの様子を伝えると、深く考え込んだ末に栗原は一つの推論を告げた。

 

(あの日、貴方は世界に呼びかけて影時間について説明した。それにより世界中の人間が影時間に関する記憶を得た。そんな方法を使ってまで自分の痕跡を消そうとするなんてやり過ぎですよ)

 

 影時間の記憶補整は、影時間に迷いこんだだけならその間の記憶を失ったり夢だと思い込む形でなされる。

 ペルソナ使いたちや桐条グループ、EP社の人間たちのように、しっかりと影時間について知識を持っていた場合は、以前の美紀のように影時間に関する記憶を失った上で、その間の思い出を偽物の思い出で上書きして違和感を抱かないようにさせる。

 どちらの方が影響が強いかと言えば圧倒的に後者で、影時間の知識を得てからの期間が長い者ほどしっかりと影時間のない生活の記憶で本来の記憶を上書きされるのだ。

 誰よりも影時間に詳しかった湊は、どの程度の知識を得れば自分の事を忘れるのかもEP社で実験していたらしい。

 簡易補整器の指輪を壊すとそれを付けていた者は影時間に関する記憶を失う。適性を失った美紀と同じ状況を簡単に再現出来るのだ。湊なら実験して当然だろう。

 そして、その実験によって得た情報を利用し、湊は象徴化が解けた世界中の人間の混乱を治めつつ、影時間が消えた後の記憶補整が働くよう全員に影時間の知識を与えた。

 まさか、あの行動にそんな意図が含まれていたなんて気付かなかった。

 彼が説明したおかげで混乱は抑えられ、人々の避難もスムーズに行なわれて被害も最小限で済んだ。

 なのに、それが人々の記憶から自分を消すための布石だなんて、実際に世界が変わるまで美紀だけでなく栗原たちだって気付けなかった。

 彼のあの行動の裏にそんな意図があったと知った桜たちは、あまりにも徹底した彼の行動に呆れていた。

 望まれて生まれてきたのだと知り、この世界で生きて良いのだと自分を許せるようになったはずの青年が、そこまで自分の痕跡を世界から消そうとした理由は分かる。

 だが、彼の記憶を保持したままでいる者たちにすれば、そんな事に全力で取り組むくらいなら彼の死を知っても少女たちが傷つかない方に努力して欲しかった。

 故に、美紀は彼の事を恨み続けて赦さないと決めた。

 美紀自身が彼に抱いていた想いは恋にすら到っていない淡い物だ。

 それでも、五年間傍で過した友人として、記憶を保持している他の者たちと同じように彼の死を悲しんでいる。

 自分の兄や友人たちに真実を告げられない事も苦しく、こんな想いを自分にさせた湊を絶対に生涯忘れず恨み続けると彼女は決めた。

 美紀から相談を受けた栗原たちにすれば、それは恨みではなく彼を想っての誓いでしかない。

 共に戦った仲間ではなく、学校の友人として過した少女がただ一人彼の事を覚え続けてくれる。

 それはそれでとても幸せな事だろうと、桜や英恵は母親として美紀に深く感謝した。

 そして、そんな密かな誓いを立てた少女がショッピングモールの中を進み、栗原の営む古美術眞宵堂の傍までやってくると、噴水の近くに置かれたベンチに知り合いの姿を見つけた。

 

「アイギスさん?」

 

 美紀が視線を向けた先には制服の上にコートを着たアイギスが、とくに何をするでもなくボンヤリとした表情で座っているのが見えた。

 今日はチドリのバイトは入っておらず、総合芸術部の活動も休みなので、アイギスの友人たちもテスト勉強をしないのであれば暇なはずだ。

 だというのに、アイギスは一人でベンチに座ったまま、ボンヤリと人混みの方へと視線を向けている。

 そちらに何かあるのだろうかと視線を追ってみれば、妻や子どもと一緒に歩く暗い色のマフラーを巻いた背の高い男性がいた。

 先ほど自分も同じようにマフラーを巻いた男性を目で追ったり、コートを着た男性をつい見てしまったりしていたので、もしやアイギスも記憶が残っているのだろうかと考えてしまう。

 しかし、美紀は思い付いた考えをすぐに否定する。記憶が残っていればアイギスが平静でいられる訳がないからだ。

 そう。アイギスは何も覚えていない。なのに、無意識の行動か彼のトレードマークだった物と似た物を身に付けた男性を目で追ってしまっている。

 忘れていても残っている物がある。そう理解した美紀はアイギスの許まで近付くと声を掛けた。

 

「アイギスさん、こんにちは」

「……あなたは、真田美紀さん」

「はい。E組の真田美紀です」

 

 記憶を失う前と違ってアイギスと美紀の繋がりは薄くなっている。

 相手からすれば姉と同じ部活に所属する同級生くらいの認識だろう。

 それでも名前を覚えていてくれた事に安堵し、相手の視線が自分に向けられると美紀はここで何をしているのか尋ねた。

 

「今日はラビリスさんは一緒じゃないんですか?」

「はい。姉さんはテスト勉強を始めるそうで、わたしは少し考え事をしたかったので一人で散歩していました」

「考え事ですか?」

「はい。といっても、何を考えようとしているのか自分でも分かっていないのですが」

 

 美紀に話しかけられて意識が覚醒した様子のアイギスは、そう答えてから苦笑して視線を地面に落とす。

 アイギス自身もどうして自分がこんな場所に来たのかよく分かっていないのだろう。

 だからこそ、美紀からの質問の答えにちゃんとなっているのか不安に思っている様子だ。

 美紀は相手が何について悩んでいるのか察しており、けれど、湊が何のために痕跡を消し続けたのか分かっているから答えを教える事が出来ない。

 ただ、それ以外の部分なら助言も出来ると美紀は口を開いた。

 

「……アイギスさん、その悩みは忘れないでください。ちゃんと、考え続けてしっかりと思い出してださい」

「思い出す? 美紀さんはわたしが何について悩んでいるのか分かるんですか?」

「正確には分かりません。でも、貴女の本当の心は全てを忘れた訳じゃない。それだけは断言出来ます」

 

 助言しているつもりだったが、美紀はこれでは何の助けにもならないだろうと思っていた。

 それでも、少しでも彼女が記憶を取り戻す切っ掛けになればと言葉を続ける。

 

「分からなければラビリスさんや寮の皆さんに相談するといいでしょう。いえ、すべきです」

「あなたは一体何を知っているんですか?」

「……お願いします。絶対に、絶対に思い出してください。そうじゃなきゃ、あまりにも報われない」

 

 美紀はアイギスの問いに答えることが出来ない。

 言ってしまえば、きっと彼女はすぐに答えに辿り着いてしまう。

 ここから自分で思い出すのなら構わないが、そうでなければ美紀は湊の望みを尊重する気でいる。

 こんな中途半端で支離滅裂な事を言われてもアイギスだって困るだろう。

 言った本人もそれは分かっているが、これが彼女が相手に教えられる精一杯だ。

 

「ゴメンなさい。でも、これ以上は教えられないんです。ただ、アイギスさんの悩みは気のせいではありません。それは断言出来ます」

「よく分かりませんが、何かしらの事情があるのは理解しました。美紀さんに言われた通り、これが気のせいでないのなら、姉さんや皆さんと話して悩みの正体を見つけてみせます」

「……ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 それだけ言うと美紀はアイギスと別れて元来た道を戻ってゆく。

 本当は栗原に相談しに行くつもりだったのだが、アイギスと接触して事態を進めてしまった。

 これ以上美紀にどうする事も出来ない以上、後はどうなるか見守るしかない。

 どうか思い出してくれるように祈り、美紀はそのまま自宅へと帰っていった。

 


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