【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四百二十一話 独り

夜――EP社・屋上

 

 七歌から送られて来たメールを見たとき、湊は頭を金槌で殴られたかのような衝撃を受けた。

 影時間の戦いが終われば、影時間に関する記憶を全員が失う。

 そこに適性の強さなどは関係なく、一切の敵性を持たずに影時間の事を知っている者は勿論のこと、七歌たちのように高い適性値を持ってペルソナ能力を覚醒させている者であっても影時間に関する記憶を別の記憶に置き換えられ忘れてしまうのだ。

 本来交わることのなかった世界が再び背中合わせ、コインの裏と表のように出会うことがない状態に戻る。

 それはこの世の在り方の変容、新たな理による世界の再構築にも等しい変化だ。

 人間としての身体を手に入れ一つの個になった以上、元はあちら側の存在だった望月綾時も例外ではない。

 この世界に生きる者たちは、自分たちのいる世界の変化という大き過ぎる変化に気付けない。

 世界によって影時間が“なかった事”にされてしまえば、その世界の住人は自分たちの記憶が蓋をされていく事にも、その蓋の上に別の記憶を上塗りされた事にも違和感を覚えず最初からそうであったかのように受け入れる。

 だからこそ、七歌たちの結んだ約束は本来あり得ない、果たし得るなど出来ない事なのだ。

 誰もいない廊下を早歩きで進み、エレベーターを待つ時間も惜しいと階段を駆け上がった湊は、屋上へ続く扉の鍵を解除すると勢いよく扉を開いて屋上へと出た。

 旧工業地帯だった一帯を買い上げ、計画的に建物を建てていった事で周囲に高い建物はほとんどなく、屋上からは離れた場所にあるムーンライトブリッジや月光館学園を見る事が出来た。

 地上からの高さで言えば学校の屋上よりもこの場所の方が高い。

 人口島という立地で海を間に挟んでいる事や角度の違いはあれど、“自分たちの守った街”を眺めるという事ならここからの景色もそう変わらないだろう。

 転落防止用の柵のところまで進んだ湊は、夜の暗闇の中に浮かぶ明かりで照らされた街を憎々しげに見ながら柵を殴りつけた。

 

(ふざけるなよっ。なんで、そんな約束が平気で出来るんだっ)

 

 七歌からのメールを見た湊は、言葉の意味は理解しながらも、そんな約束を結んだ者たちの心がまるで理解出来なかった。

 ニュクス相手に勝てるかどうかも分からないどころか、下手をすればニュクスに辿り着く前に、ストレガたちとの戦いで犠牲になる者だっているかもしれない。

 最上階層のシャドウの強さはモナドと大差なく、世界中にネガティブな空気が広まっている影響で無気力症も拡大しタルタロスにいるシャドウも増えている。

 当日はシャドウたちの活動も活発になり、普段より凶暴性が増しているため多数のシャドウの相手も骨が折れるだろう。

 状況から考えれば圧倒的に不利であり、最も倒さなければいけないニュクスに勝つ方法がそもそも分かっていない。

 誰よりもニュクスについて知っている綾時ならば、当然、それを分かっているはずなのだ。

 ニュクスは倒せない、ニュクスには勝てない、それが現実なのだと。

 

(記憶を失っても思い出す、絶対にまた会いに行く……ああ、それが出来るならやってみてくれよっ!! お前たちの目指す未来に俺はいないんだよっ)

 

 何を頼まれたところで、彼女たちの目指す未来に自分はいない。

 その約束が彼女たちにとって何よりも動力源となるのなら、それは勝手にすればいいと湊も思う。

 ただ、その約束を自分にまで押し付けられては困ると、荒れた心で再びフェンスを殴りつける。

 力任せに硬い金属にぶつけられた拳は、皮膚が破れて血が出ている。

 それでも構わず湊は他に感情のぶつけ先が無いことで、何度も何度も拳をぶつけ続けた。

 

(分かるだろ! 相手は外宇宙からきた神なんだ。人間がどう足掻いたところで普通は勝てない存在。殺すだけなら手段はある。けど、殺さずに勝つ方法なんてある訳がないっ)

 

 湊の魔眼の一つである“直死の魔眼”を使えば、死を司る神を殺す事も出来るかもしれない。

 それについては湊もずっと考えていた事だが、結果から言えば殺す事自体は可能だと綾時も認めていた。

 いくら神だろうと存在する以上は無に還す事も出来る。

 死を司る存在なので、その存在の寿命を表わす線は非常に視えづらいだろうが、デスと違って人の性質を有していない完全な神でもその存在を理解出来る湊なら殺す事が可能だった。

 しかし、ニュクスは地球上の全ての命にシャドウを与えていた。

 高度な知性を持つ生き物だけでなく、単細胞生物や植物にもシャドウは宿っている。

 おかげで地球上の生き物たちは爆発的な進化を遂げ、ここまで発展することが出来た。

 死の概念を持つことで種を残し次へと繋ぐ事を覚え、心や自我の獲得によって更なる発展を目指すようになったのだ。

 だが、ニュクスが与えたシャドウは未だにニュクスと繋がっていた。

 シャドウは言ってしまえばニュクスが用意した小型の端末。端末が得た情報を収集出来るようニュクスが全ての生き物にばら撒いておいたものだ。

 情報収集のための端末であれば、それを捨てればニュクスに自身の情報が伝わらないだけで済む。

 単純に考えればそれだけの話だったが、その端末は宿った対象を正常に動かす上で不可欠なパーツになっていた。

 大本であるニュクスが殺されれば連動して端末も機能を停止する。

 この惑星に生きる命を守るために神殺しを為しても、それでその命たちが生ける屍のようになっては意味がない。

 少女たちを守るために戦う力を求め続けた青年は、そんな力があったところでどうしようもない事態に怒りと焦りを感じていた。

 殴りつけて拉げたフェンスを血濡れの手で掴みながら、俯いたままの湊は心の中で呟く。

 

(……この事態を招いたのは人間だと綾時は言った。意識的、無意識に関係なく、死を求めた。死にたいと思った者、誰かとの別れによって死後の世界に思いを寄せた者、自分のエゴで他者の死を願った者、そういった死への想いが積み重なってニュクスはその願いを叶えるために降臨する。人は人自身の願いによって滅びるのだと)

 

 今回の滅びは人類の選んだ事。死そのものを願った者、ただ死後の世界について考えた者、死に関わる事柄全てを無差別に“死を求める願い”だとニュクスは受け取ったのだ。

 相手は異なる宇宙からやってきた存在だ。人間と同じ感性や感覚を持っている訳じゃない。

 ニュクスが受け取ったのはあくまでイメージだが、共通した原語や意思疎通の手段を持っていないため、受け取ったイメージの解釈は受け取った側に委ねられる。

 それを踏まえて考えるのであれば、相手は死を求めているとニュクスが認識するに至った切っ掛けを作ったのは確かに人間だと言えるだろう。

 滅びは人間が招いた事態だという綾時の言葉はその点においては正しい。

 

(だが、それは真実じゃないっ。元を正せばこの事態を招く切っ掛けを作ったのはニュクスだ。本来、空間の歪みで偶発的かつ局所的に交わるだけだったこちらの世界に、自身の身体の一部である黄昏の羽根を落とした事が十年前の実験が行なわれる切っ掛けだった。自分から干渉しておいて、見守るだけの神の役割を超える真似をしておいて、全ての原因を人間に押し付けるなっ)

 

 綾時の言葉は事実であって真実ではない。

 掴んだフェンスをぐしゃりと変形させながら、湊は無意識に感情の一部を力に変換してニュクスに届くように心の中で言葉を続ける。

 

(……百年でいい。神であり、星でもあるお前にとって百年なんて瞬きの間のようなものだろ。死を求める声を聞くのなら、それを拒む声を聞いてくれてもいいはずだ。だからどうか、その滅びにもうしばらくの猶予をくれっ)

 

 湊が求めるのはアイギスやチドリたちの安寧だ。

 彼女や彼女たちの属する世界の住人たちが無事に生きられればそれでいい。

 求められれば助力もするだろうが、彼女たちの子孫は本人たちほど優先順位は高くない。

 故に、湊は願った。彼女たちが死ぬまで世界の滅びを待って欲しい。数十億年も生きてきた存在にとって人の一生程度の遅れなど誤差のはずだから。

 そも記録の上では、桐条鴻悦が黄昏の羽根を偶然入手し、シャドウや影時間の存在を仮説として挙げて研究が始まり、今回の滅びに繋がった事になっている。

 しかし、最も重要な部分。こちらに存在するはずがない“黄昏の羽根”がこの世界にあった理由については、一連の事態の原因を考察する上で無視する事は出来ない。

 ニュクスがこちら側の世界に黄昏の羽根を送り込んで来なければ、桐条鴻悦はシャドウや影時間の存在に気付くことなどなかったのだ。

 観測者であるはずの存在が起こしたほんの小さな予定外の行動がなければこの結果はなかった。

 滅びの原因を作ったのはニュクス、それを加速させたのが人間。

 これこそが真実だと相手に突きつけながら、湊は空を見上げ、何も返さず滅びに向けて準備を進めている神に語りかける。

 

「なぁ、お前が育てた命だろ……。死を司るお前が、こんなにも多くの命をこの惑星に芽吹かせたんだ。だから、少しくらい、猶予をくれてたっていいじゃないか……わざわざ自分の手で殺す必要なんて……」

 

 ニュクスの介入がなければこの惑星の生命はここまで進化しなかった。

 意志も自我も持たぬような、単細胞生物のようなものでしかなかった命が、数十億年という途方もない時間をかけて神の分け身であるシャドウと戦うだけの力を得るほどに成長した。

 死を司り、その強大な力によって滅びを齎すはずの存在が、その性質の真逆の結果を齎したのだ。

 シャドウを通じて人々の心の声を聞いているのなら、相手も悪戯にこの惑星の命を消すつもりなどないはず。

 進んで殺すつもりもなく、殺すだけの動機もないくせに、一部の人間たちの心から(じぶん)が求められていると勘違いしている。

 等しい神格を持って語りかける自分の声に何の反応を返さぬ事から、湊は現状をそう理解して怒りのまま神威を放ち空間を歪めて叫んだ。

 

「……だったら、なんで俺たちに心なんて与えたんだっ!! 死を定義し、心を与えれば、その心が死を理解しようとするなんて分かっていただろ!! 人間が求める、考える死は、自身の終わりや定命の存在の終わりだ!! それを拡大解釈し、死と自身を同義であると定義し、自身の降臨が求められているとこじつけて勝手に出しゃばってくるなっ」

 

 空間の歪みは湊の頭上に直径三メートルの範囲で発生する。

 水の中から空を見ているような、そんな不安定な形で像が歪むと湊は瞳を銀色に変化させ、空間の歪みに向けて黒い腕をさし込み黒い炎を全力で放った。

 空間の歪みの先に広がっているのは心の海や集合無意識と呼ばれる空間だ。

 ニュクスの本体、魂とも呼べるものが封印されているのは、その心の海の深層となっている。

 以前、湊が死後の世界でいたのは心の海の浅い階層だったが、それでも封印されたままニュクスは干渉してきた。

 ならば、そちらにさえ繋いでしまえば階層に関係なくニュクスへと攻撃を送ることも出来る。

 そうして湊が腕をあちら側に入れたまま黒い炎を送り続ければ、死後の世界に生者の反応を見つけて力の一部を顕現させてきたニュクスにその炎が衝突した。

 もっとも、湊の黒い炎はニュクスと近い性質を持つ破壊の力。

 物理的に圧力を掛けることは出来てもダメージを与える事はほとんど出来ない。

 それが分かっている湊は単なる嫌がらせでしかなかった攻撃を途中でやめ、腕を引き抜いて空間の歪みを閉じた。

 腕の炎を消し、瞳を元の金色に戻した湊は力無く膝を地面に付けると、縋るようにフェンスを掴みながら俯いて呟いた。

 

「……答えが、分からない…………誰か、俺を助けてくれ……」

 

 今の湊はかつてない恐怖を感じていた。

 以前、即死したチドリを助けられないかもしれないと思った時に味わった恐怖と絶望を超えるそれは、何があっても進む事を止めなかった青年の歩みを初めて止めようとしていた。

 彼にとって死は怖くない。元々、生と死両方の概念を持って生まれるようアマテラスたちが細工していた事に加え、自身が死に瀕し、さらにニュクスと同じ性質を持つデスを身に宿した事で、彼は“死”という概念を完全に理解した。

 だから、彼にとって自分の死は恐れる事ではない。

 今の彼が感じている恐怖は、全て他者の死の訪れを予感してのもの。

 ニュクスに対抗出来るのはデスを内包して相手の性質を一部得た自分しかいない。

 他の者たちはニュクスの本体と対峙した時点でシャドウを失って動けなくなる。

 逆に綾時はニュクスと同じ性質を持っているものの、その性質が近すぎるため対峙すれば吸収されてしまう。

 よって、勝つためには湊が動くしかないのだが、湊にはその答えが全く分からなかった。

 その行動の結果でこの惑星の命の未来が決まる。悲観的に言えば、湊が行動を誤れば大切な少女たちを含む全ての命を殺す事になるのだ。

 これまで殺してきた者、巻き込んで死なせた者たちの事を考えるだけでも、彼は罪悪感で押し潰されてしまいそうになっている。

 その上さらにこの惑星全ての命の未来まで背負えと言われても、たった独りで背負いきれるはずがない。

 大切な者たちの未来を奪う、自分の手で彼女たちを殺してしまう事になる。そんな恐怖に押し潰されそうになりながら、それでも湊はギリギリのところで踏み留まっていた。

 一緒にいる自我持ちのペルソナたちも彼が悩んでいる事は知っている。

 彼が何を選んでも肯定し、出来る事なら手助けもしようと思っている。

 けれど、この選択だけは、何を選ぶのかだけはこの時代に生きる彼自身に選ばせるしかない。

 そうして、しばらく時間が経っても俯いたままの湊は考え続けていた。

 敵を倒すために力をつけてきた、彼が鍛えてきた力はあくまで邪魔な存在を殺す破壊の力だ。

 その力がニュクスには効かない。敵に会うためには力がいるからとこの時のために準備していたものが、最後の最後で役に立たないと言っても諦める訳にはいかない。

 誰も今の自分を救えない、誰も助けてはくれない。

 けれど、それは湊が他の者たちを救わない理由にはならない。

 何故なら、これまで我が儘続けてきた自分は散々救われてきた。助けられてきたのだから。

 

(……助ける…………俺が……守る…………守る?)

 

 折れないために自分がすべき事を心の中で繰り返していたとき、湊は自分の呟いた言葉に引っかかるものを感じた。

 何故だかは分からない。ただ、“守る”という言葉に違和感を覚え、本能の部分がその引っかかりが答えに繋がるヒントになると告げていた。

 

(守る……俺が、チドリやアイギスたちを守る……ニュクスに奪わせないために……俺が自分の手で……)

 

 自分が何に引っかかっているのかを確かめるため、湊はゆっくりと自分がすべき事を確認してゆく。

 具体的な内容は後でいい。何のためにそれをするのか、それをするために何が障害となるのか、それらを一つ一つ確かめるように自分の中で形にし続ける。

 どうしてニュクスは奪う?

 人に望まれたから。

 なぜ望まれたと思った?

 人の心を読み取ったから。

 本当にニュクスは人の心を読み取ったのか?

 シャドウはニュクスの端末、それを介せば可能。

 その端末を持つ者の中に拒む者もいるが?

 認識の齟齬、解釈の違いが一部認められる。

 何故心を読み取って齟齬が生まれるのか?

 

「……それは、人と共通する言語や認識を持っていないから」

 

 疑問の答えを口に出した湊は、自分の勘違いに気付いてハッとしたように顔を上げる。

 自分は大きな勘違いをしていた。倒す事ばかりを考えていたが、戦う方法、その前提が間違っていたと気付いて、自分の中で徐々に求めていた答えが組み上がっていくのを感じる。

 

(そうだ。必要なのは戦う事じゃない。ニュクスは倒さなくていい。倒すべきはニュクスじゃなく、安易に死を求める人間たちの意志だ。ああ、そうだ。最初から俺の敵は人間たちだった)

 

 それが正解であるかどうかは分からない。

 それでも、湊はニュクスに勝つ手段として自分が思う答えを導き出した。

 金色に輝く瞳に力が戻っていく、徐々に明るさを取り戻した彼の目には確かな力が籠もっていた。

 

「ニュクス、お前が観測者であるのなら見ておけ。俺という個の意志が勝つか、人類の意志が勝つか。その戦いで全てに決着がつく」

 

 この場にいない相手に戦う事を宣言すると、湊は傷ついた拳を握り締めて治癒する。

 目標は定まった。あとはそこに向けて進むだけ。それを確かめた青年は確かな足取りで踏み出しその場を後にする。

 決戦までは残り僅か。その時間を無駄にしないため湊は動き始めた。

 

 


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