【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四百六話 前へ進むために

影時間――ムーンライトブリッジ

 

 湊にとってこの戦いは必要な事だった。

 十年前に不完全な形で結んだ契約を、勝手な解釈で歪めてただ一人で果たそうとする。

 他の者たちが知れば止めるだろう。アイギス本人に至っては湊だけに戦わせようなどと思っていなかったと言うに違いない。

 だが、シャドウを倒すために作られた対シャドウ兵器の姉妹も、今はもうその使命から解放された人間だ。

 戦うために、シャドウから人々を守るために作られたからといって、一つの命として生まれ変わった以上はその使命に縛られる必要はない。

 何より、彼女たちはクリスマス・イヴに言っていた。自分たちは綾時を殺さず、ニュクスに抗う道を選ぶと。

 悩み抜いた末に選んだ答えを容易く変えてはならない。

 戦うと決めていた彼にとって彼女たちの選択自体に興味はなかったが、この戦いに余計な第三者が介入してこないと分かった時、湊は心の中で一人ほくそ笑んだ。

 

《はぁぁぁぁぁっ!!》

「はあっ!!」

 

 中空から大剣に黒い光を纏わせて袈裟切りに振り下ろすデスの攻撃を、刀を仕舞った湊は蹴りで迎撃する。

 半歩ほど後退し、その場で回転して勢いを乗せた蹴りを刀身に当て軌道を逸らす。

 ここからの反撃を先ほど喰らったデスは警戒したのか、軌道を逸らされて大剣が地面にぶつかった瞬間に纏っていた黒い光を解放して爆発を起こす。

 爆発の規模自体は極小であったが、すぐ傍にいた湊に僅かにだが衝撃が伝わってダメージが通る。

 もっとも、多少のダメージを受けた程度で怯んでいるようでは、彼は既に地に伏して立っていないだろう。

 右側で爆発が起きると分かった時点で右腕でガードし、腰溜めにした左手の拳を握り締めていた。

 衝撃で僅かに流れかける重心をコントロールし、右足で踏み込むと同時に大剣を持った相手の腕を殴りつける。

 人でありながら大型シャドウ以上の力を持つ青年の渾身の一撃だ。

 喰らったデスは武器を手放しはしなかったが、殴られた箇所が拉げて黒い靄を大量に噴き出しながら吹き飛んでいく。

 湊は瞳孔の開いた金色の瞳でそれを睨んだまま駆け出し、吹き飛んだ相手を追い越すと背後に回り込んで背骨に蹴りを入れる。

 

《ぐぅっ》

 

 背後からの強襲を受けたデスは身体を海老反りにしながら前方に倒れ、うつ伏せになった相手の頭部に向けて青年は踵落としを見舞う。

 けれど、デスも相手の攻撃パターンを読んでいたのか、半透明な白い手を背中から数本出現させると青年の攻撃を受け止め、さらに青年を拘束したまま掴んだ白い腕ごと橋の鉄柱へと叩き付けた。

 

「―――――かはっ」

 

 かなりのダメージを受けた状態で硬い金属へと叩き付けられ一瞬意識が飛びそうになる。

 叩き付けられた衝撃で飛び散った血で鉄柱に赤い花が咲き、流石の湊でもその出血量が危険域に入る。

 腕を畳んだ状態で拘束されたため、相手の出した複数の白い腕へ即座に対処出来ない湊へ、デスはそのままさらに複数の雷撃を落とす。

 一撃ごとに肉の焼ける臭いが立ち、途中から焦げた臭いに変わったかと思えば、拘束していた白い腕が雷撃で全て消えて地面に投げ出された湊は全く動けなくなっていた。

 相手はニュクスの子。死の属性を持っているため、直死の魔眼で視えるはずの存在の寿命を表わす線が視えづらい。

 そこへさらにペルソナ能力を封じれば、苦戦することなど青年も分かっていたはずだ。

 だというのに、彼はこの戦いだけはと敵由来の力を使うことを拒否した。

 どうしてこれほどの目に遭っても彼は自分の力だけで戦おうとしたのか、玉藻は少女らに向けてこれは“呪い”のよるものだと説明したが実際は違う。

 確かに彼女との契約を果たそうという気持ちはある。その点から言えば影時間に解けて消える前に挑んだこの戦いは契約を果たす最後の機会だろう。

 しかし、アイギスの求めに応じるだとか、彼女の使命を代わりに果たすだとか、そういった想いで湊は戦っている訳じゃない。

 彼が戦う理由は誰かのためなどと高尚なものではなく、もっと幼稚で、独善的で、むしろ単なる自己満足と言い換える事も出来る極めて個人的なもの。

 そう。百鬼八雲という青年はただ“デス”に勝ちたかったのだ。

 十年前、あの戦いで湊は全てを失った。両親を巻き込んで、少女に請われて約束をしておきながら、湊は何も果たすことが出来ずにデスに負けた。

 そこからずっと目的のために走り続けてきたが、力を着実に得ながらも彼の人としての時間はあの時から止まっていた。

 

「だめっ!!」

 

 身体が動かず倒れたままの湊の耳に、遠くでアイギスが叫ぶ声が聞こえた。

 直後、上空に集められた力の塊が青年目掛けて降り注ぎ、光と轟音に呑まれて湊は自分がどうなったのか分からなくなった。

 痛みなど疾うの昔に麻痺している。デスと戦えていたのは脳内麻薬で肉体の限界を無視していただけだ。

 あの日と同じ攻撃で止めを刺される。何とも皮肉な物だと嗤う力も残っていない。

 破壊の光の中にいながら湊は一瞬の浮遊感を覚え、その後に下に向かって引っ張られ自分が落ちているのをぼんやりと認識しながら、あちらの世界で両親と再会したときの事を思い出していた。

 確かに湊の“人間”としての時間はあの戦いから止まっていた。

 身体は十二分に成長し、知識は勿論精神的にも大人になっていながらも、それは目的を果たすために性能を上げていた感覚に近い。

 人間としての脆さを抱えているというのに、生き方自体は命令通りにしか動けない機械のようだった。

 それは、人としての肉体を得る前のアイギスやラビリスも認めるところで、心を持つロボットだった彼女たちの方がむしろ人間らしかったほどである。

 しかし、そんな青年が両親と再会したことで“人間”として再び生きる切っ掛けを得た。

 どうすべき、どうしなきゃいけない。そんな風に心を縛られて生きてきた彼が、両親らの言葉でどう生きたいかを考える事が出来たのだ。

 目的のために走り続け、自分を想ってくれた周りの忠告も無視したのに、それでも彼の周りにいた者たちは青年を見捨てずしょうがないなと彼の我が儘も受け止めてくれた。

 そんな者たちに対して、湊はこれまでの恩を返したいと思った。

 義務感や強迫観念に突き動かされではなく、皆を守りたい、助けたい。今度こそ一人の人間として向き合ってみたいと思った。

 だから、湊はこの場所から始めようと思ったのだ。

 蘇ってきてから時間が経っているのは分かっているが、この戦いを、十年前の決着を付けずに前に進むことなど出来ない。

 

(……心のどこかでずっと追い続けていた。最初の敗北からずっと、俺にとって力の象徴はお前だった)

 

 爆風に揉まれ落下する最中、食い千切られたように一部が崩落した橋のところで中空に留まっているデスを湊は見上げた。

 その強さはやはり本物だった。人間とシャドウという種としての違いだけじゃない。

 同じシャドウと比較してもデスの力は並ぶ者などいないほどに隔絶していた。

 挑むことが間違いなのだと、人如きが敵う相手ではないのだと、そんな事は最初から解っていたはずだった。

 遙かな高みから見下ろされ、自分はどんどん落ちてゆく。幾度も攻撃が通った事で届くと勘違いしたが、これが互いの間にある埋めがたい差なのだと世界にまで告げられているようだ。

 だが、敵を見る青年の目はまだ死んでいなかった。

 

(敵わないからどうした。だから、勝ちたいんじゃないか。一度負けてるんだ。自分の方が弱いなんて事は分かってる。それでも、俺はお前を超えていく。お前を倒し、あの敗北から自分の足で立ち上がってこそ、初めて俺は再び歩き始める事が出来るんだっ!!)

 

 まだ終わりじゃない。こんなところで終われない。その想いが再び青年に動く力を与える。

 今の自分は飛べない。なら、自分と同じ場所まで相手を引きずり下ろせば良いと、湊はマフラーから取り出した特殊合金製の鎖を幾つも投げて相手に絡みつかせる。

 爆風が完全に晴れていなかった事で、不意を突かれたデスの身体に幾つもの鎖が絡み、それに引かれるようにデスも落下を始める。

 鎖の先にいたのが湊だけであればデスが力負けして引っ張られる事などなかっただろう。

 引っ張られ爆風を抜けた先を見たデスの目に飛び込んできたのは、自分に絡みついた鎖に繋がった超重量ハンマー“デュナミス”だった。

 デュナミスは湊がソフィアたちと共に開発した対シャドウ兵器で、超大型の敵に物理で挑むために開発したため持ち手はついているが総重量五千キロを優に超す鉄の塊だ。

 いくらデスであっても負傷した状態で落下の勢いが付いたそんな物を持ち上げることは難しい。

 当の本人は落下していくデスを足場に駆け上がって、ワイヤーを投げて橋の上に復帰しようとしている。

 このままでは拙いと一時的に綾時の姿に戻り、鎖が解けたところで再びデスの姿に戻って湊を追う。

 既に失血死していてもおかしくない重傷でありながら、さらにジオダイン数発や力を溜めた状態のメギドラオンを喰らってまだ動けるなど、相手をする方からすれば脅威を超えて悪夢のようだろう。

 もっとも、湊自身も自分の限界が近いことは分かっている。

 ここで立ち止まればそこでもう終わりだと分かっているからこそ、この後の事は考えず自分が勝つための手を打ってゆく。

 ワイヤーを手繰り寄せるようして橋の上に戻ってきた湊は、デスが完全に追い付いて来る前に橋を支えている人間の胴体よりも太いワイヤーを刀で切り裂く。

 デスの放ったメギドラオンで一部が崩落しているため、ギリギリのところで支えているワイヤーを切れば、この後どうなるかなど分かりきっている。

 自分の両親が死んだ場所だ。毎年花を手向けていただけあって思い入れはある。

 だが、青年は次々にワイヤーを切断してまわり、デスが戻ってきた時には張られていたワイヤーが音を立てながら高速で振り乱れる状況が出来ていた。

 

《くっ、これはっ》

 

 ワイヤーが正面から迫ってきた事で躱すも、すぐに後ろからも別のワイヤーが飛んできて姿勢が定まらない。

 一度振られた程度では勢いが治まらず、振り子のように何度も来ては別のワイヤーとぶつかって軌道が変わる。

 それらはさながらうねる大蛇のように複雑な動きで、これでは体積の大きいシャドウの身体の方が不利だと、デスから綾時の姿に戻って後退する。

 すると、姿が見えなく鳴っていた湊がワイヤーの一つに掴まり九尾切り丸を持って飛来し、綾時は咄嗟に剣で受けて相手を弾き返すも吹き飛ばされた。

 弾き飛ばされた湊は別のワイヤーに着地し、綾時の方へと振られるワイヤーに飛び移ると、その勢いを利用して再び突撃をかけてくる。

 自由に飛べるはずの綾時が動きを封じられ、逆に飛べなくなっている湊が自在に空中を移動する。

 ワイヤーを切ったのはこのためかと、再び突撃してきた湊の攻撃を弾きながら綾時はワイヤーの範囲外の道路へ降りる事を目指す。

 正面から来たかと思えば、弾かれた次の瞬間には左下から迫ってくる。それを防いでも今度は右上から飛んできたりと綾時は完全に防御に回ってしまっていた。

 自分で動くことが出来ないからこそ、他の物の力を借りて足りない速度と力を補う。

 その戦い方は、泥臭い努力でそれぞれの技能の弱点を他の技能で補ってきた湊らしい物だ。

 押されている綾時は、これだから彼は怖いんだと必死に耐え続けるも、体勢が整わないせいで非常に拙い状況にあることを冷静に分析する。

 湊自身もその経験で今が攻め時だと分かっているのだろう。ほとんど相手の頭上と言っていい場所から、右手に持った剣を振り下ろしながらこれまで以上の速度で迫った。

 

「はぁぁぁぁっ!!」

「舐めるなっ」

 

 だが、綾時もこれで終わるつもりなど無い。耐え続けたおかげで地面に足が着き、後退しながらという不安定な状態ながらも、相手の攻撃を躱して切り上げをカウンターで叩き込むチャンスを掴む。

 綾時が放った切り上げは、九尾切り丸を持っていた湊の右腕を上腕のところで切断した。

 ほとんど目の前、ここまでの接近を許すことになったが、それでもこの状況で武器と腕を失って勝てるわけがない。

 理性でそう判断した綾時であったが、腕を切られても動じていない青年の蒼い瞳を見て、背筋に寒いものを感じてすぐに後方に飛ぼうとした。

 そして、思った通り湊は策を残していた。残った左手を腰の後ろに回すと、かつてエリザベスに貰った黒漆仕立ての短刀を抜き放ち、逃げようとする綾時に向かって飛び込んでくる。

 力を求め、足掻き続けた青年の奥の手。それ自体も必殺になり得る直前の攻撃を綾時が防ぐと信じて、彼はこの最後の一撃に懸けたのだろう。

 前へ、ただ前へ、相手の反撃など考えず、ただ勝つために自分に向かって迫る青年の攻撃は届くだろうと不思議な確信が綾時にはあった。

 青年の持つ短刀の刃が自分の胸に迫る時、綾時は時の流れが緩やかになるような感覚を覚えた。

 僅かに視線を逸らせば、視界の端でこちらに向かって手を伸ばし泣きそうな顔で駆け出してくる仲間たちの姿が見える。

 彼らにすれば湊の行動は裏切りだろう。けれど、どうか彼を恨まないでやって欲しいと思いながら綾時は自分の胸にその刃が突き刺さる瞬間を迎えた。

 ――――トンッ、と小さな音だけが耳に届く。思っていたような痛みはない。ただ、急激に力を失っていく感覚と、自分が目の前の青年に敗北したという実感だけがそこにはあった。

 十年前の少年が自分を上回ったという誇らしさと、常に対等でありたいと思っていた友人に負けた悔しさが遅れてやってくるも、綾時は微笑を浮かべて彼の勝利を讃えた。

 

「おめでとう、湊。君の勝ちだ」

「あぁ。さよならだ、デス」

 

 小さく答えた湊は綾時の胸に突き立てた短刀を抜くと、腰の鞘に戻してすぐ仰向けに倒れてゆく。

 同じく綾時も仰向けに倒れ、仲間たちが彼らの許に辿り着いた時、湊が残った左手を天に向けて突き出したながら一人の少女に向けて言葉を放った。

 

「……アイギス、俺の勝ちだ」

 

 その言葉を聞いた少女は彼の傍らで膝をつくと、涙を流しながら彼の突き出した左手を両手で包み込んだ。

 自分の言葉が彼を戦いに駆り立てた。無事な箇所など一つも無いくらいにボロボロで、そうまでして果たすような約束ではなかったはずなのに、自分が彼をここまで追い込んでしまった。

 そう思っている少女は、彼に対する謝罪の言葉を繰り返しながら涙を流し続ける。

 そして、その場に倒れたもう一人の少年の許に集まった仲間たちは、彼の胸から抜け出ていく黒い靄を何とか止めようと回復スキルを使い続けていた。

 湊は直死の魔眼を使って最後の一撃を放っていた。であれば、当然回復スキルを使ったところでどうしようもない。

 涙を流しながら怒ったような必死の表情で自分を助けようとしている仲間たちへ、綾時は穏やかな声で話しかけた。

 

「無駄だよ。湊の魔眼を使って付けた傷は回復スキルじゃ治せない」

「五月蝿い黙って!! ゆかり、もう一回一緒に!!」

「分かった!!」

 

 七歌とゆかりが同時に回復スキルを使うも、黒い靄は止まらず綾時の力は失われていく。

 風花やチドリのようなアナライズ能力を持っている者は、綾時の持つ力の規模自体が徐々に小さくなっている事に気付いているだろう。

 他の傷は癒やせても、胸の傷だけは癒やせない。ほとんど枯渇しけるまで力を使ったところで、ようやく七歌たちはその事実を受け止めた。

 漏れ出ている黒い靄の勢いが弱くなってきた事で、残る時間がほとんどない事を察した仲間たちは、別れの言葉を言おうとするもどうしてもこの終わりに納得が出来ず、なんでこんな戦いをしたんだと問い質してしまう。

 

「綾時……なんで、なんで、こんな終わり方にしたんだよ! そりゃ、有里の方は仕方ねぇ事情があったのかもしれないけど。お前が応えなきゃこんな事にはならなかっただろ!?」

「……そうかもしれないね。でも、彼だけじゃなくやっぱり僕にとっても必要な事だったんだと思う。戦って、決着を付けて、ようやく僕も未練を断てたんだ」

 

 綾時だって出来る事なら仲間たちと一緒にいたかった。

 だが、宣告者である彼にその未来は訪れない。

 ニュクスの許に戻って敵として彼らを阻むか、その前に人の心を持ったまま殺されて消えるか。

 どちらを選んでも“望月綾時”という人格が消える未来しかないのなら、湊と全力で戦って敗北することで後を託したいと思ってしまった。

 他の仲間たちには申し訳ないが、自分にとってはこの状況こそ望んでいたものなんだと小さく笑った。

 その穏やかな表情を見て、他の者が何も言えなくなると、少しして綾時の胸から漏れ出ていた黒い靄が止まった。

 ついに時間が来たのか。順平だけじゃなくゆかりや風花も涙を流し、他の者たちも短い時間を共に過した彼との別れを惜しむ。

 彼が消えれば自分たちの記憶が消えるという事も、この一時は忘れ、こんな結末しか許されない彼の運命を用意した神を恨んだ。

 そして、彼を見送ろうとその顔を見れば、どういう訳か彼は困惑した表情で泣いていた。

 

「そんな……でも、これは…………ああっ、本当に、こんな事が起きるだなんてっ」

「綾時君? どうしたの?」

「湊、ありがとう。本当に、ありがとうっ」

 

 消えると思っていた綾時はいつまでも消えずその場にいる。

 そんな彼が泣きながら湊に礼を言ったことから、青年がただ相手を殺す事を目的に戦っていた訳ではなかった事は理解出来た。

 けれど、湊の攻撃は確かに綾時の胸を貫き、そこから綾時の力が抜け出ていた事を全員が確認している。

 綾時の身に何があったのか、湊はあの戦いで何をしたのか。

 それらの説明を求めて湊の方へと視線を向ければ、力を取り戻したのかツクヨミの回復スキルで失った右腕以外の治療を済ませた青年は、アイギスに支えられながら立ち上がり口を開いた。

 

「……俺が殺したのはデスの力と望月綾時の“繋がり”だ。繋がりを失った以上、デスの力はその器から抜け出ていく。だが、デスの力が抜け出ても最後には“望月綾時”という人格と魂だけは残るって訳だ」

「それって、どういう事?」

「そこにいるのはもうデスじゃない。“望月綾時”としての心を持ったただのシャドウだ」

 

 言いながら湊はマフラーに手を入れ、そこから青く光る六角水晶のような物を取り出し、仰向けに倒れたままだった綾時に向けて放り投げる。

 少年の胸の上に落ちた事で気付いたのか、涙を流していた綾時も渡された物に視線を向け、手に取りながら身体を起こすと少し驚いた表情で湊を見た。

 

「……湊、これは月の欠片かい?」

「今のボロボロのお前には丁度良いだろう?」

「そうだね。なら、よろしく頼むよ」

 

 綾時がそういって笑うと彼の身体が光の粒になって消えてゆく。

 何が起きたのかと他の者たちが慌てる中、綾時だった光の粒は彼が“月の欠片”と呼んだ結晶へと吸い込まれていく。

 彼だった光が全て結晶へと吸い込まれると、結晶は独りでに湊の手に収まった。

 まさか、力を失い自分の身体を保てなくなった事で、再び湊の中に戻るつもりなのか。

 そう思っていると、先ほどまで一緒にいたソフィアと玉藻がキャスター付きの酸素カプセルのような機械を押しながらやってきた。

 

「湊様、持って参りました」

「ああ。すぐに終わらせる」

 

 酸素カプセルのような機械の上半分は透明な素材で覆われており、そこには綾時ソックリの人間が眠っているのが見える。

 アイギスとラビリスが「まさか……」と驚いているため、彼女たちは湊が何をしようとしているのか分かったのかもしれない。

 他の者たちへの説明がないまま湊は機械へと向き直り、手に淡い光を纏わせると先ほどの結晶が黄昏の羽根と同じ光を纏ったまま機械の中で眠っている少年へと吸い込まれ始めた。

 とても不思議な光景で誰も口を挟めずにいれば、一分ほどで全ての光が少年の中へ消える。

 

「ほら、起きろ」

 

 光が消えた余韻に浸る間もなく、作業を終えるなり湊は機械を蹴りつけて寝ている少年に起きろと言った。

 そんな事をして大丈夫かと不安に思う者たちが見守る中、湊の呼びかけが聞こえたのか機械の中の少年がゆっくりと目を開いた。

 

「……ごめん、開け方が分からないや」

「ソフィア、スイッチを押してやれ」

「分かりました」

 

 機械の上半分を覆う透明な素材に触れるも、少年はどうやれば開くか分からなかったようで申し訳なさそうに苦笑する。

 湊に言われたソフィアが外部から開けるためのスイッチを押し、機械の蓋が開くと消える前の綾時と服装までそっくりな少年が笑顔で身体を起こして出てきた。

 雰囲気から何から全てがそっくりなのだが、本物の綾時が結晶に吸い込まれて消えた場面を見ているだけに、自分たちの前に立った少年を綾時と認識良いか判断に迷う。

 相手もそんな七歌たちの内心を察したのか、彼女たちにとっては見慣れた柔らかい笑みを浮かべて話しかけてくる。

 

「大丈夫、心配しないで。今の僕はアイギスやラビリスのような存在になったんだ」

「つってーと、なんだ? 今の綾時は人間の身体になったって事か?」

「そういう事。二人はコアだった黄昏の羽根を使ったけど、僕はデスの力を失ってしまったからね。それを補うためにより力の強い月の欠片をコアとして湊は使ってくれたんだ」

 

 順平の言葉に頷いて返すと、綾時の頭上に水色の欠片が集まってタナトスが現われる。

 だが、現われたタナトスは突如光に包まれると、包んでいた光が弾けた後には全く姿の異なる白いペルソナが存在していた。

 

「これが僕の人間としてのペルソナ。審判“メサイア”だ」

 

 どこか幾月の持っていたアルケー・オルフェウスに似たシルエットのそれは、剣のような翼を背負い、その手には鎖に繋がれた棺が連なっている。

 シャドウの王としての力を失って人間になったと言っていたが、今も彼の頭上にいるペルソナが桁違いの力を持っている事は分かる。

 本来の力を失って尚七歌たちと同等以上の力を持っているとは、彼の傍に立っている青年はよくペルソナを使わずに勝てたなと思わずにはいられない。

 

「綾時君はこれからどうするの?」

「湊のおかげで僕は人として生きる道を選ぶことが出来る。だから、皆さえ良ければまた仲間に入れて欲しい」

「ニュクスとも戦うってこと?」

「うん。遅れてきた反抗期ってやつかな」

 

 綾時が人間として生まれ変わったとなれば、彼はこのまま消えずに自分たちと共にいられるという事。

 このペルソナが味方になってくれるのなら心強いと先ほどまでの暗い雰囲気は吹き飛び、全員が彼の復帰を笑顔で受け入れる。

 だが、綾時の件は円満に終わったと言えるものの、もう一人の青年は右腕を失って全身血濡れのままだ。

 回復スキルで怪我は治療出来ても失った血は回復出来ないし。体力も消耗しているだろう。

 さらに言えば、二人の戦いでムーンライトブリッジは中央付近から崩落して、完全に分断されてしまっている。

 彼自身の身体も含めて一体どうするんだという目で一同が青年の事を見れば、アイギスに支えられていた青年が指を鳴らし、次の瞬間、少し離れた位置に自分たちが立っているムーンライトブリッジにそっくりの橋が現われた。

 

「……あっちが本物だ。ここは少しずれた場所に作った虚像。術を解けば綺麗に消える」

「えぇー……八雲君の幻術系スキルってどうなってるの? 実体を持つ橋一つ作って、本物の方は索敵スキル持ちにもばれずに隠してるって、最早何でもありじゃない?」

「通常スキルじゃなくてミックスレイドだからな。単体じゃここまで大規模な事は難しい」

 

 以前は玉藻の前と鈴鹿御前のミックスレイドで発動していたが、鈴鹿御前が進化して瀬織津姫になった事でスキルの強度も上がっている。

 本物にある小さな傷まで完全に再現された実体を持つ虚像を作り出し、索敵では湊に次ぐ力を持っている風花の力までかいくぐって本物のムーンライトブリッジを隠し通した。

 そこまで出来ればもう出来ない事などないのではないかと思ってしまうが、本人たちが言うにはここまでの規模となると色々準備も必要で言うほど万能という訳ではないらしい。

 だとしても十分に破格の能力だと思えるが、七歌たちがさらに何かを言おうとしたタイミングでソフィアが話に割り込んできた。

 

「湊様、そろそろ影時間も明けますし移動しましょう。連絡を入れておいたので研究所の方でシャロンが腕の用意をして待っています」

「八雲さんの腕は治るのですか?」

「治るという言い方は正しくありません。湊様が事前に用意されていた新しい腕を骨ごと移植するのです。これまでは神経接続ユニットの関係で左腕ほどの性能を出せませんでしたが、今回は肩の関節部から骨ごと取り替えるので、本来の腕と同じ性能を発揮出来る予定です」

 

 新しい腕は月の欠片を加工して作った骨を利用した新しいアプローチの生体パーツだ。

 用意したのも作ったのも全て湊なのだが、優秀な秘書として影時間が明ける前に移植手術の用意をするよう連絡を入れておいた事で、ソフィアはどこか自慢げに説明してきた。

 あまりのドヤ顔に他の者たちが僅かに引いていれば、湊がセイヴァーを呼び出して移動の準備を始めた。

 セイヴァーの空間転移は範囲内の存在を全て移動させてしまうため、支えてくれていたアイギスから離れると湊はソフィアと玉藻を連れて離れた場所に駐まっていた車まで移動し、蛍火色の光に包まれ消える。

 綾時も再び仲間になり、湊の腕が元通りになるのなら良かったが、どこか湊の掌の上だった感じがして全員何とも言えない不満を胸に残る結末となった。

 ただ、それでもやはり綾時とこれからも一緒にいられることはめでたいので、一度人工島側に戻り虚像の橋が消えていくのを見守った一同は、帰りにラーメン屋で小さく仲間の復帰を祝ったのだった。

 

 




補足説明

 今話で出てきた綾時の生体ボディは、第四百話で月の欠片を使った生体義手を作る前に経過を見て生命維持モードに切り替えていた培養器の中身がそれにあたる。

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