12月3日(木)
深夜――巌戸台分寮
湊の乱入によってアイギスと綾時が戦闘を中断し、他の仲間たちもそこへ合流した事で一同は話を聞くために寮に戻ってきた。
アイギスたちの許へと急いだ七歌たちは、向かっている途中でもムーンライトブリッジで二つの巨大な力が発生した事に気付いていたし。到着した時点では綾時がシャドウとしての姿を取っていた事で、風花とチドリの索敵結果が間違っていなかったと理解している。
けれど、いくら綾時がシャドウと言われても、これまで友人や仲間として過していただけに、本当に敵なのかと困惑している事も事実。
アイギスは元対シャドウ兵器として正体がシャドウである彼を敵視していたが、アイギスが戦いを挑まなければそもそも戦闘は発生していないのだ。
であるならば、同じ人間でも幾月やストレガのように敵対する者がいるように、敵と考えられていたシャドウから人類に味方する存在が出てきてもおかしくはない。
四階の作戦室に集まった全員が席に着き、湊が上座に、綾時が下座にそれぞれ座ったところで七歌が口を開いた。
「色々と聞きたいけど、まず綾時君はシャドウって事で良いのかな?」
「まぁ、そうだね。厳密に言えば違うけど大枠で見ればシャドウと思ってもらって構わないよ」
「似て非なる者ってこと?」
ここにいる者たちはペルソナやシャドウについてある程度知っているが、エルゴ研やラボの研究データを見てきた美鶴でさえも、実際には影時間に関わる物にそれほど詳しくはない。
例えば七歌の持つワイルドは、ラボのデータでは“通常よりも高い適性を持った事で複数のペルソナを扱える能力者”程度の情報しかない。
影時間の発生が日本の午前零時基準で世界規模に展開される等は流石に知っているが、海外で偶発的にシャドウが発生しても気付いていないし、適性持ちやペルソナ使いがいても分からない。
彼らが知っているのはあくまで日本国内の事がメインで、何かしらの事件が発生した際に影時間との因果関係を研究する事は出来ても、シャドウの正体やタルタロスの持つ意味などは十年経っても詳しく分っていないのだ。
故に、自分たちがアルカナごとに分けつつも“シャドウ”と一括りにしている存在が、実際は全て異なる遺伝子情報を持った全く別の種族だと言われても不思議ではない訳で、綾時が正確にはシャドウではないと口にした事で七歌が聞き返せば、その質問には上座にいた湊が答えた。
「……通常、シャドウは共食いしたところで力が増すだけだ。アルカナシャドウのように食い溜めて力が増すことはあっても、ペルソナを掛け合わすように別の存在が生まれる訳じゃない。だが、滅びを求める人々の声が集まり、彼らのシャドウが合わさることで生まれる特別な存在がいる。それがシャドウの王、十三番目のアルカナを持つ宣告者“デス”だ」
一同は綾時本人から説明があると思っていただけに、湊からシャドウの詳しい説明がなされたことで目を大きく開いて驚いている。
影時間に関わる事柄に対しては、元から桐条グループよりも遙かに詳しかったので、彼が知っていたところで不思議ではないのだが、綾時と戦った少女だけはやはり湊は全てを知っていたんだと分かって複雑な表情を浮かべる。
「八雲さんはやっぱり知っていたんですね。十年前の戦いの真相も、綾時さんの事も」
「……まぁ、エルゴ研で調べる時間はあったからな」
「なら、どうして言ってくれなかったんですか!! 知っていれば、思い出していればわたしはっ」
席から立ち上がってアイギスは何も話していなかった湊を責める。
忘れていたのは自分のせいだ。あの戦いでメモリーが破損していたことで、記憶の回復が遅れていたが、それは彼女が弱かったことが全ての原因である。
それを棚に上げて、何も話していなかっただけの湊を責めるのは流石におかしい。
アイギス自身もそれを分かっているが、自身にとって因縁の敵であり、また青年にとっても親の仇の片割れであるシャドウを庇う理由が分からない事で強い口調で言ってしまう。
ただ、他の者たちは湊とアイギスが関係している過去の事件など一つしかないと察しつつも、どういった経緯でそれらの事件が起きたのかは詳しく知らない
綾時からも話を聞き始めたばかりなので、分かっているなら君から話してくれと美鶴がアイギスに声をかけた。
「落ち着けアイギス。望月の正体が特別なシャドウだと言うことは分かったが、私たちは君たちの関係について何も分かっていないんだ。大凡の予想は付くがちゃんと説明してくれ」
言われてアイギスは不満そうにしながらも席に着く。
別に納得がいっていないのはアイギスだけではない。チドリやラビリスだって湊が重大な秘密を持っていた事に不満を持っている。
けれど、彼の行動は全て少女たちが平和で温かな光の当たる世界で生きていくためのものだと知っている。
綾時の事を黙っていたのも、きっとそこに繋がる事情があったのだろうと考えた。
そういった部分ではアイギスはまだまだ未熟で、湊の事を大切に想い過ぎている弊害で視野が狭くなってしまっているとも言える。
彼は人の話は聞くが言うことは聞かないし、自分だけ分かっていれば良いからと重要な事もほとんど話さない。
しっかりとそこを理解して多少のことは目を瞑るようにしないと疲れてしまうので、アイギスの隣に座っていたラビリスが落ち着かせるように背中をさすってやれば、アイギスは深呼吸してから自分たち三人の出会った経緯を語り出した。
「……先代の桐条家当主だった鴻悦氏が、月光館学園の敷地内でシャドウを集めた実験をしていた事は皆さんも知っていると思います。元々は時を操る神器を目指していたのでしょう。でも、その目的は鴻悦氏が滅びに魅入られてから変わっていきました。どうしてそうなったのかは分かりません。老いていく中でふとした時に死を意識して孤独を感じる事はあると聞きますし。シャドウの研究を通して自然と終末思想に染まった可能性もあります。ただ、理由はどうあれ鴻悦氏は研究の中でデスの存在に気付き、その誕生を神器の降臨と騙って研究を進めたんです」
時を操る神器など誰も見たことがないので、その研究の終着点が正しいものであるかなど分からない。
しかし、シャドウの研究を進める中で影時間を発見し、短時間の展開に成功する中で研究者たちは時空間に干渉する手応えを感じるようになっていた。
人間長く生きれば変えたい過去の一つや二つは出てくる。
桐条鴻悦はグループの繁栄を絶対的な物にするだけでなく、功労者にはしっかりと報いると言って、研究者たちのそういった部分を刺激して研究を進めさせた。
「よくも悪くも鴻悦氏には人を率いる才能がありました。おかげで不穏なものを感じる者がいながらも研究は最終段階まで進み。あの事件が起きました」
「……ポートアイランドインパクトか」
「はい。鴻悦氏の目的通りに研究は進み。あの日、集められたシャドウを融合する事でデスが作られました。でも、当時の研究主任であった岳羽詠一朗氏は鴻悦氏の狙いに気付いていました。その時に行なっていた研究の危険性に気付いて実験の中止も進言していたようです。でも、鴻悦氏は止まらなかった。だからこそ、研究の最終段階で彼は装置を強制的に止めて鴻悦氏の目論見を阻止したんです」
美鶴の言葉に頷いて返しながらアイギスは話を続ける。
特別課外活動部の者たちは屋久島で一度近い話を桐条から聞いていたが、桐条の話は一部幾月によって改竄された内容が元になっており、さらに彼は爆発に巻き込まれ怪我を負って結末を自分の目で見ていない。
その点、アイギスは岳羽詠一朗が起こした行動の結果を見ていて、その後の後始末にも駆り出されている。
彼女の語る言葉以上に当時の真実を知る術はない。そう理解している者たちは彼女の言葉を静かに聞く。
「その結果、集められていたシャドウたちは十三体に分かれて港区に飛び散りました」
「待て。飛び散ったのは十二体じゃなかったのか? そこに関しては幾月も嘘を吐いていないはずだが」
「飛び散ったのはデスの力の欠片であるアルカナシャドウ十二体です。最後の一体は不完全な状態のデスでしたが、残っていたデスも研究所から飛び立って行こうとしたので、わたしが追跡しムーンライトブリッジで戦ったんです」
幾月が言っていたのは最初に飛び散ったシャドウの数の事だろう。
しかし、実際には研究所にもう一体残っていて、そのシャドウも最後には研究所を飛び立って行こうとした。
アイギスが十三体と言ったのはそのためであり、数が違っていた意味に納得がいった美鶴が頷いて返せば、アイギスは僅かに表情を苦しげな物にしながら十三体目のシャドウを追った先での出来事を話す。
「そして、そこでわたしは八雲さんと出会いました。炎上する車の傍にいたので保護しましたが、質問する中でご両親も影時間への自然適合者と分かり、高い適性を持っている八雲さんであればペルソナに目覚める可能性もあるのではと協力を要請したんです」
そこで話を聞いていた全員の視線が湊に集まった。
彼の両親が死んだ事故がムーンライトブリッジで起きた事は皆が知っていて、そこで彼らが出会ったことも話としては聞いていた。
ただ、彼の両親も適性を持っていたとは初耳で、さらに言えば文字通りの意味で両親を失った直後に戦っていたとも思っていなかった。
状況がそれ以外の選択肢を許さなかったのかもしれないが、どうしてアイギスが度々湊に対して罪悪感を抱いている様子を見せていたのか改めて理解する。
「結果から言えば正解でした。八雲さんは両親を亡くされた直後だというのに、なんの補助もなくペルソナの召喚に成功し、わたしと共にデスと戦ってくれたんです。敵の前で動けなくなったわたしを守るように一時は一人でデスを抑えてくださって、あの時点でわたしよりも強かったくらいです」
「対シャドウ戦闘を想定して作られた君の目から見ても当時の有里は特殊だったのか?」
「言い方は悪いですがあり得ない存在だと映りましたね。でも、いくら不完全と言っても敵はシャドウの王。わたしたちは上手く戦う事は出来ても、有効なダメージを与える事ができませんでした。結果、敵が広範囲に放ったスキル一つでわたしは大破寸前、八雲さんも重傷を負って意識を失いました。そのままでは八雲さんが死んでしまう。そう考えたわたしは怖くなり、必死に彼を助ける方法を考えた末に思い付いてしまったんです」
両親を失った直後、異形の化け物との対峙、初めてのペルソナ召喚。
少年がまともに動けない理由はいくつも考えられたが、湊はシャドウとの戦闘に慣れているアイギス以上の動きを見せ、機転を利かせて彼女の窮地すらも救ってみせた。
しかし、いくら上手に戦えたとしても地力に差があり過ぎた。
湊とアイギスの連携は一時デスを抑え込む事が出来たが、敵の放ったスキル一つで簡単にひっくり返され瀕死に追い込まれてしまう。
幼い子どもであった湊は一撃もらうだけで死んでもおかしくなかった。
自分が大破寸前だったアイギスも最悪を想像し、けれど、不幸中の幸いか湊が重傷を負いながらも生きていると分かった。
だからこそ、自分で彼を治療することが出来ないアイギスは、あらゆる手段をシミュレートしてその最悪の外法を思い付いてしまった。
「――――そう。目の前にいる“死”を司る存在を彼に封印すれば八雲さんは助かるのではと」
作戦室に何人かの息を飲む音が響く。
シャドウは彼らにとって人類に害を為す敵であり、数多の種類があれどどれも等しく異形の化け物だ。
いくらその存在が“死”を司っていたとしても、それを瀕死の子どもに封印して助かるとは思えない。
ただ、当時のアイギスにはそれが最も可能性の高い手段に思えたし、何より封印自体は目標を倒せない場合の予備プランとして最初から考えていたものであった。
「元々、デスの封印は討伐が不可能な場合の最終手段として考えてはいました。ですが、そのプランはわたしのパピヨンハートか可能性の申し子である八雲さんのどちらかが器に使えるという検討程度。八雲さんの命を繋ぐために死を司るシャドウを封印するのは一種の賭けでした」
人類の滅亡が目前に迫った状態での大博打は、結果から言えば見事賭けに勝ったと言える。
瀕死状態だった少年は封印されたデスの力を利用して回復し、さらにデスを封じた事で滅びの訪れは回避された。
もっとも、滅びの訪れに関して言えば実際はただの延命措置でしかなかったのだが、その時間稼ぎのおかげでこうやって話をする事が出来ている。
アイギスの取った行動がこの惑星の未来を繋いだと本当の意味で理解しているのは湊と綾時だけだが、彼女の話を聞いた事で幼い頃からずっと不思議に思っていた存在の謎が解けたとチドリが綾時に声をかけた。
「じゃあ、八雲の中にいたファルロスがそうだったのね」
「あぁ、その通りだ。僕自身も休眠状態で彼の中にいたけど、エルゴ研で彼は黄昏の羽根を内蔵してしまった。黄昏の羽根は元々こっち側の物だからね。彼に封印された事で人としての性質を得た僕はそこで自分がどういった存在なのかを思い出し、彼の中で話をするようになった」
先ほどの影時間にアイギスと対峙していたシャドウの姿にチドリは見覚えがあった。
それは初めて桔梗組を訪れた日の事、渡瀬に殺された湊を蘇生させていたファルロスが、湊のペルソナ召喚能力を使って自身の分体を呼び出したのだ。
ボロボロの外套に大きな西洋剣、首にかけられた鎖付きの分銅、そして獣の頭蓋を思わせる不思議な頭部。
あそこまで姿が一致していれば、誰だろうと正解に辿り着けるというものだ。
チドリに言われて自身がファルロスだったと綾時が認めれば、ここで聞くとは思っていなかった名前が出てきたため七歌も会話に参加する。
「どうして八雲君の中に封印されていたのに私に会いに来れたの?」
「湊の力が強くて僕もそれなりに回復していたし、出会う少し前に時任亜夜さんという女性から僕の力の欠片を得ていた事で少し自由度が上がっていたのさ」
アイギスも命懸けで封印したというのに、勝手に外に出られれば封印の意味がない。
そう思って七歌は尋ねた訳だが、そも仮に途中で封印が解けようとデスが宣告者としての役目を迎えるのは飛び散った力が戻ってからになる。
力が戻っていない状態であれば本体は湊に封印されたまま、湊にエネルギーを借りて端末として顕現した分体で少し外に出ても問題はなかった。
ただ、湊の身体を借りることなく分体を呼び出せるようになったのは、湊の二つ上の先輩である時任亜夜から力の欠片を回収してからなので、七歌と出会うほんの一月前ほどから出来るようになったばかりだ。
それを聞くと本当に十年経ってようやく事態が動き始めていたと思えるが、知り合いの名前が出てきた真田はそちらの方が気になったらしく綾時を問い質す。
「待て、どうしてそこで時任先輩が出てくる。お前の力の欠片とは一体何だ?」
「アイギスは僕以外に飛び散ったのは十二体のシャドウだと言ったけど、実際はシャドウに満たない小さな存在もいたのさ。落としたお皿が割れる時、大きな破片の他に小さな欠片も出来るだろう? 大きな破片がアルカナシャドウ、小さな欠片が時任亜夜さんに宿った僕の力だ」
「……俺には他人から適性を奪う力があった。だから、時任先輩の中で大きくなり始めていた欠片を抜き取ったんだ」
あのまま放置していれば相手にも何かしらの影響が出ていたと思われるが、そうなる前に湊がアベルの持っていた“楔の剣”で力を抜き取って対処した。
力を抜かれた本人は何も知らず、今も元気に大学に通っているはずなので、影響がないと分かった真田が安堵の息を吐けば、それを見て綾時が小さく笑みを漏らし話題を七歌に出会った時のことへ戻す。
「小さくても僕の力ではあったからね。それを得た事で単独で外界に干渉できるようになり、湊の指示で戦う力が必要になるだろう七歌さんとベルベットルームへ入るための契約を結んだのさ」
「私がシャドウと戦うって分かってたの?」
「七歌さん個人というより戦力の不足する特別課外活動部へのテコ入れだね。ワイルドが目覚めれば切っ掛け次第でペルソナを得る事もあるけど、住人たちの手助けがあった方がやりやすいだろうから」
七歌が巌戸台を訪れた事が特別課外活動部の活動が本格化した切っ掛けでもある。
彼女が参加し、順平が加入し、さらに風花や天田がやってきて、アイギスも十年ぶりにこの地へ戻り、離れていた荒垣も復帰した。
それまでの活動を考えると今年だけで随分と色々な事があったように思える。
けれど、そうなる事が分かっていたとばかりに、湊は七歌が力を得るためのお膳立てをして、タルタロスに自分のペルソナを変化させた“ヒーホー君”を配置し、アルカナシャドウが現われた時にはメンバーたちの窮地を救ってくれていた。
わざわざ荒垣のフリをしてまで助けるくらいなら、全部を自分でやるか正体を明かした方が動きやすかったに違いない。
だと言うのに、敢えて面倒な方法を選んでいたところに青年らしさを感じるが、自分たちのサポートに回っていたとき、綾時も湊を手伝っていたとするとやはり彼はシャドウであっても味方だと思えてしまう。
十年前の戦いの真相、その後の湊と綾時がしてくれていた影ながらの手助け、二つの事柄について難しい表情で考えていた美鶴は顔を上げ、やはり本人に確認を取る以外にないかと口を開いた。
「アイギスたちの出会いと望月の正体は分かった。有里と二人で色々と我々の手助けをしてくれていたこともな。だが、だからこそ聞いておきたい。望月は我々と敵対する意思はあるのか?」
真っ直ぐ綾時へと視線を向ける美鶴の言葉を聞いてメンバーの間に緊張が走った。
この質問に対する答えは自分たちの今後の関係を決定付けるものになる。
綾時からは一切の敵意を感じていないが、世の中には感情を一切ぶらすことなく作業のように人を殺せる者だっているので、敵意を感じない事を安全の根拠にするのは危険だろう。
加えてシャドウに人間としての価値観を期待して良いのかという疑問もある。
シャドウにとっては人を襲うのが当たり前で、人を襲わない綾時の方が異常だというのなら、今後もこれまでと同じように仲間として力を貸してもらいたい。
そうして、綾時の返答を待っている間、メンバーたちは時の流れが嫌に遅く感じた。