昼休み――月光館学園
死んだはずの青年が現われた事で、校舎はパニックに陥った生徒たちの声に包まれた。
けれど、怪我人が出る前に青年がそれを止め、さらに大人しく自分の教室に帰るように告げたことで既に騒ぎは一定の治まりをみせている。
だというのに、二年E組では今も生徒たちが騒いでおり、自分の席の机に腰掛けた青年は呆れたように騒いでいるクラスメイトたちを見ている。
「……お前たち、既に次の進路について考え動き始めなければならない時期だろうに、修学旅行に浮かれて大騒ぎして自覚が足りないんじゃないか?」
湊の周りでは今も大声で騒いでいる生徒たちがいるが、笑っていたり泣いていたりと中々に混沌としていた。
彼はそれを修学旅行が目前だから浮かれていると判断し、かなり見当違いな事を言っているのだが、青年の言葉を聞いた中等部生徒会時代の同僚である西園寺と渡邊は、真っ赤になった瞳から更に涙を流してこれが湊だと嬉しそうにする。
「うわぁぁぁぁん!! やっぱり、本物のミッチーだよぉ!」
「あぁ、間違いねぇ! 自分が原因なのにこんな上から目線で見当違いな事言えるのなんて会長しかいねぇよ!」
「……お前らぶっ飛ばすぞ」
周りの者たちはこれこそ湊だと、泣きながら大喜びという器用なリアクションを見せる。
しかし、その納得の仕方は喧嘩を売っているのかと湊が呆れ気味に睨むも、他の者たちが再び「本物だ!」と騒いだ事で青年もこれはどうしようもないと相手することを止めた。
彼が反応しなければ周りも大きなリアクションは取れない。
そう思っていたのに周りはお祭り騒ぎを止めず、一度は自分たちの教室に帰ったはずの生徒たちがE組の出入り口から教室内を覗きに来たことで、騒ぎは更に大きくなっていく。
チドリたちはそんな周りの様子を少し離れた場所で眺めていたが、メンバーの中で一人だけ彼の帰還を知らなかった美紀が困惑気味にチドリらに尋ねた。
「あ、あの、チドリさんたちは有里君が生きてるって知っていたんですか?」
「私たちもずっと知らなかったわよ。四日前の深夜に急に帰ってきたんだから」
「流石にウチらも死んだと思ってたから驚いたのは一緒やで」
今の美紀は影時間の記憶を失ったことで湊との思い出を失っている。
他のメンバーたちと美術工芸部と総合芸術部で過した事は覚えているのに、その中に彼の存在だけが綺麗に抜け落ちているのだ。
ただ、風花をいじめていた森山が彼女を気に掛けるようになったように、影時間に関わる記憶を失っても感情が焼き付くことはある。
おかげで美紀はこれまであまり親しくなかったはずの湊の帰還を、自分でも不思議に思うくらい心から喜んでいるのだが、彼女の持つ常識が邪魔をして他の者たちと同じように振る舞う事は出来なかった。
チドリやラビリスも彼が死んだと思っていたなら、彼の死は現実として起こったはず。
ならば、どうして死んだはずの青年が生きているのか。
美紀だけでなく他の者たちも同じ疑問を持っていたため、代表して湊の傍にいた渡邊が直接彼に訊いた。
「あ、そこっす。会長マジでどうなってるんスか? 死んだのは嘘だったとか?」
「そんな無駄な嘘吐く訳無いだろ。ちゃんと死んださ」
彼が死んだと聞いた時には渡邊も現実を受け止められず、一人になってから泣いたりもした。
あの時の涙を返せとは言わないが、仮に嘘を吐いていたら質が悪すぎると言わざるを得ない。
同じように思っていたクラスメイトたちも真剣な顔で湊を見れば、そも別に自分で自身の死を周りに広めた訳ではないと答えつつ、湊は死が現実に起こった事実だと告げた。
それを聞いたクラスメイトの何人かは青い顔をして距離を取り、西園寺もどこか不気味そうに湊を見つつ確認を取る。
「じゃ、じゃあ、ここにいるミッチーは幽霊ってこと?」
「ちゃんと肉体があるだろ」
「なら、ゾンビ的な?」
「そんな不思議生物と一緒にするな」
幽霊ではないことは確実だが、それでゾンビ扱いされては堪らないと湊は嫌そうな顔をする。
ただ、ゾンビが生物の枠に含まれるかは議論の余地があるだろう。
周りのほとんどの者たちは生物ではないだろうと思っているが、敢えてそれを指摘せずにいれば、湊が小さく溜息を吐いてから口を開いた。
「お前たちだって寝ても時間が経てば起きるだろ」
「まぁ、二度寝する時もありますけど、寝飽きたら起きますよ」
「それと一緒だ。永眠だって眠りだ。ならそれから起きただけのこと」
『えー…………』
永眠とは死を別の言葉に呼び変えただけであり、睡眠の一種という訳ではない。
そんな事は小学生でも知っているし、いくら彼が真面目に言おうとも納得できる者などこの場にはいない。
だが、彼がどこか他の者と違っているという認識は全員が持っているため、どんなに非科学的な事であっても“彼ならもしかして”と思えてしまう部分がある。
真実を明かす気が無くて適当なことを言っているのか、それとも彼の言っている事は事実なのか。
クラスメイトたちの意見が分かれていると、教室の入口の方が騒がしくなり、中を覗いていた野次馬の人垣が分かれて誰かが勢いよく教室に入ってきた。
入ってきた相手は湊を見るなり大粒の涙を流しながら駆け寄り、最後にはその勢いのまま彼に向かって飛び込む。
子どもならばともかく、成人と変わらぬ体格の人間砲弾など、まともに受け止めれば一般人なら簡単に吹き飛ぶだろう。
けれど、湊は相手の力の向きを読みきり、力だけを受け流すように殺して、自分に向かって飛び込んできた後輩を抱きとめた。
「……羽入、危ないから飛び込んでくるな」
「……うんっ…………うんっ……」
湊のファンクラブである“プリンス・ミナト”の会長に続き、自分の胸で泣くのは本日二人目だ。
相手が年下なので黙って受け入れてあやしているが、久しぶりに学校に来たくらいで何故こんなに泣くやつが多いのかと湊は少々うんざりしていた。
「羽入さんっ!!」
湊が自分に向かって飛び込んできた一年の羽入かすみをあやしていれば、再び教室の入口の人垣が割れて一人の少女が入ってきた。
相手は湊が中等部で生徒会をしている時に部下として所属していた一年の宇津木。
彼女は羽入の友人もあるため、恐らくは教室を飛び出した少女を心配して追って来たのだろう。
だが、そんな彼女も羽入をあやしている青年を見るなり、表情をくしゃくしゃに歪ませて泣き出してしまう。
「……かい、ちょう…………ううっ、ぐすっ……あぁぁぁぁぁぁっ」
「はぁ……人が一人死んだくらいで大袈裟な」
湊の正面は羽入で埋まっているからか、宇津木は泣きながら近付いてくると、そのまま湊の右腕辺りに抱きついて号泣し始める。
どうして自分が後輩たちの面倒を見る必要があるのかと、湊は相手の泣いている理由も含めて理解できないと嘆息する。
しかし、相手が泣くに至った原因は彼との死別だ。事故など突然の別れで親しい者を失えば、ぽっかりと心に穴が空いたような喪失感を覚え、突然すぎて理解が追い付かない事もあって哀しみを引き摺る事が多い。
彼女たちは特にそういった部分が強かったのか。まだ完全に彼の死を受け止める事すら出来ていなかった。
悲しくて、辛くて、どうしようもなかった時に湊が戻ってきた。
これで泣くなという方が無理がある。
湊にとっては“一人死んだ”程度のことであっても、他の者からすれば掛け替えのない存在の喪失だったのだ。
もっとも、他の者たちは心の中で人が死んだら十分に大事件だよとツッコミを入れるが、場の空気を優先してそれを口に出す者はいなかった。
そうして、二人の少女もしばらくして泣き止むと、クラスメイトたちと同じように彼が生きて現われた理由を尋ねてくる。
「あのね。湊君が死んじゃったって聞いた時はとっても悲しかったの。もう会えないんだって思ったら涙がたくさん出て、香奈ちゃんと一緒に泣いたりもしたの」
「あの、またお会いできて嬉しいです。ただ、どうして会長がここにいるんですか? その……亡くなったというのは誤った情報だったのですか?」
「いや、間違いなく死んだぞ。戻ってきてから手続きしてないから、もしかすると、公的には死亡したままかもしれないな」
湊が死んだ時に辰巳記念病院で死亡診断書を作り、鵜飼が湊が死んだという届けを公的機関に提出している。
湊が戻ってからまだ四日しか経っておらず、戻ってきた日の夜以外は外で活動していたので、湊の死亡届は撤回されていない。
本人がいない場で訂正など出来るはずもないのだから、間違いなく彼は公式記録では死んだままだ。
本来それはとても大変な状況なはずなのだが、本人は何でもないことのように言ってのける。
おかげで周りの者はそこまで問題がある訳ではないのかなと勘違いしたりもしたが、後輩二人は湊が生きてここにいる事が重要なようで、その部分についてはスルーして話を続ける。
「えっと、湊君はおばけさんなの?」
「…………そのくだりはもうやったな。ちゃんと生き返ってるから安心しろ」
「生き返るってどうすれば出来るんですか? いえ、その、私は会長と再び会えて勿論嬉しいのですが」
こんな聞き方をすると、まるで生き返って迷惑だと伝わると思ったのか慌てて宇津木が本心を伝える。
別にそんな事を言わなくても問題はないのだが、湊は後輩相手だと甘くなるのかクラスメイトに訊かれた時よりもいくらか真面目に答えた。
「こっちで俺の死体が盗まれたと話題になったそうだが半分正解だ。俺の死体は完全に体組織が死ぬ前に運び出されて保管された。で、後は蘇生させるだけの準備が整ってから解凍し、蘇生処置を施して復活という訳だ」
「解凍って……コールドスリープという事ですか?」
「まぁ、それに近い。日本ではまず認められない方法でな。国外に運び出す必要があった訳だ」
「そうだったんですか。すごいですね」
そんな技術があったのかという驚きと、それを可能とする技術を持った人間との繋がりを彼が持っている事への驚きに周りはしばし呆ける。
彼の話を聞いた限りでは事前にもしもの時の対応を話し合っていたようだが、遺体の運び出しも含めて蘇生方法には非合法な部分が多そうに思える。
これ以上はやぶ蛇を突く事になりそうなので、湊がどうやって戻ってきたのか理解できた宇津木は、それ以上の言及を避けて湊の帰還を素直に喜んだ。
「またお会いできると思っていなかったので、本当に嬉しいです。会長、おかえりなさい」
「えへへ。湊君、また一緒にあそぼうね」
「……ま、時間があったらな」
湊が帰ってきた事をしっかりと確認出来たことで満足したのか、彼の返事を聞くと後輩たちは昼休みが終わる前に自分たちの教室に戻っていった。
ようやく解放されたと小さく溜息を吐いた湊は、ワイシャツに続けてTシャツまで人の涙で濡れた事を地味に憂鬱に思う。
羽入も雪広と同じように涙で濡らしただけで、別に汚いとは湊も思っていない。
ただ、それでも濡れている服を着ているのは不快なので、湊はマフラーを解きつつ中から新しいシャツを取り出すと、上着をラビリスに投げ渡してからその場でTシャツを脱いだ。
急にイケメンが目の前で脱ぎだし、その鍛え上げられた肉体を見せられた女子たちから黄色い歓声があがる。
中には鼻血を噴いて倒れた者もいるようだが、青年はそれらを一切無視して新しいシャツに着替えると、急に上着を投げ渡されて不機嫌になっているラビリスから受け取って着直した。
「着替えるんやったらトイレとか更衣室いきーや」
「……移動が面倒だろ」
「食事中に脱がれたら皆も驚くわ」
「まぁ、次回から善処しよう」
その言い回しは絶対に何もしない人間が使うものだ。
これまでの経験から、絶対に彼は同じような状況になれば繰り返すだろうと分かっているラビリスは、呆れた目で彼を見ると何か言う気も失せたのか机に置いていた紙パックのジュースに口をつける。
そこで彼との話を再開出来ると思ったのか、後輩が来ている間は黙っていた渡邊が何やら冊子を片手に声を掛けてきた。
「あ、会長。このタイミングで帰ってきたなら、会長も修学旅行行けるんスよね?」
「まぁな。学園側に手続きさせるのもあれなので、宿自体は同じ宿の部屋を個人で取ったから部屋自体は別になるが」
実際には学校に手続きさせるのを躊躇ったのではなく、単に他の者たちと同じ部屋を嫌がった事が理由だったりする。
彼のとった部屋はその宿で最も高級な部屋で、ただ広いだけでなく部屋から出たところに専用の露天風呂があるのだ。
そのため他の客に気遣うことなく二十四時間入り放題なので、風呂好きの湊としては帰還が旅行ギリギリになったのはむしろ良かったと思っていたりする。
それを聞いた渡邊は、中等部時代のように夜中に話したり出来ないのは残念だが一緒に行けるなら良かったと、湊の金持ちっぷりに口笛を吹いてリアクションを返す。
「ヒュー! 会長ブルジョアっすね。けど、一緒にいけるならマジ楽しみだわ。京都ですよ京都!」
「別に神社仏閣以外にこれといって見る物もないだろ」
「いや、それメインなんで。てか、舞妓さんとかに会えるかもしれないじゃないですか」
「会える訳ないだろ。夜に仕事がある分、日中に稽古やら準備があるんだぞ。昼間の明るい内からあんな化粧して出歩いてるのはただのコスプレだけだ。そもそも、舞妓の人数なんてパンダの生息数以下だぞ。探しても会えるものじゃないし。写真NGなんてざらだ」
そも、ほとんどの者が想像する舞妓の姿は仕事中のものである。
本番形式で稽古をするでもなければ、普段からあんな濃い化粧をして出歩いている訳がない。
一応、舞妓体験として観光客が舞妓風の化粧と衣装などで着飾って京都の町を歩いている事はあるが、あくまでそれはコスプレでしかないので、渡邊の期待するものはないぞと湊は断じる。
「マジかよ……。うわぁ、舞妓さんと写真とかメッチャ期待したのにさぁ。あ、でも、京都って全国で一番巨乳が多いってテレビでやってたんスよ。なら、スタイル良い子と出会うチャンスはあるって事ですよね?」
「そのデータはどうせ自己申告制だろ。事実としてそんな事はない。むしろ、近隣の大阪や兵庫の方が平均で上だ。京都は見栄張りが多いからな。実際より上に答えているか、風俗が多いからそういった人間にアンケートを採ったのかもしれない。何より、そのデータにルックスは含まれてないしな」
「やめろー! 少年の夢を壊すなー!」
京都の人間は性格が悪い。見栄張りが多い。テレビやネットでそう言われる事が多いが、偏見でも何でもなくその傾向が強いのは事実である。
湊は仕事で京都に行ったこともあり、他の関西圏の都府県と比べて間違いなくその通りだというのを体験していたので、実物に遭遇してからショックを受ける事がないように現実を渡邊に突きつける。
それに対し、渡邊は聞きたくないと耳を塞いで抵抗するが、そんなに京都の人間が良いなら近くにいるぞと教えてやる。
「一応言っておくがラビリスの親の実家は京都だぞ。だから、ラビリスの言葉も崩れているが京訛りだ」
「へぇ、そうなんスか。でも、そこは京言葉じゃないんスか?」
「どう言い繕っても方言は地方訛りでしかないだろ。親しみを持つのは分かるが、そこに誇りを持つ感性は俺にはない」
部活で稲羽市に行った時の佐久間やチドリほどではないが、地方に対してかなりボロクソに評する青年に周囲は大丈夫かと不安を覚える。
ここで言っているだけならばいいが、現地についてからもこれでは現地の人間と喧嘩になるのではないか。
そう思った渡邊は周囲の者と意見を共有しておこうと声を掛けた。
「なぁ、俺さぁ。修学旅行に会長連れて行くのめっちゃ怖いんだけど」
「大丈夫だよ。ミッチーも流石に現地民と喧嘩したりしないって」
「ああ。他人なんて路傍の石と変わらないからな。そもそも相手しないさ」
確かに湊は現地でわざわざ問題になるような事を言ったりはしない。
完全にゼロとは言わないが、自分の顔が売れていると分かっているので、余計なトラブルに巻き込まれないように出来るだけ会話を減らすようにしている。
しかし、それ以前の問題として湊は現地の人間になど興味がなかった。
どこにでもある道路標識の方が情報を伝えるという意味でまだ興味が湧くくらいだ。
そんな存在と喧嘩などするはずがない。湊がそう断言すれば、周りは小さく溜息を吐いて昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったことで自分たちの席に戻っていった。