【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百五十九話 遺言状の開封

夜――桐条本邸・離れ

 

 少人数の食事会などに利用する桐条本邸の離れにある食堂。

 そこには美鶴や英恵の他に高寺や桐条の分家筋の人間が集まっていた。

 分家筋の人間の関心は高寺の前に置かれている封筒に集まっており、そこにいるのは年老いた男ばかりだが、誰も彼もギラギラと欲に塗れた目をしている。

 一応、美鶴と英恵にはそれぞれ御側御用を務める斎川菊乃と和邇八尋が付き添っていて、ろくに運動などしていない彼らが乱心した場合には即座に排除されるに違いない。

 故に、美鶴も英恵も身の危険については全く心配していないが、高寺が持ってきていた小箱を開けて、中に入っていた王冠を模したような白いガラス製らしき指輪を出したところで表情を引き締めた。

 分家筋の者たちもそれがどういった道具か説明を受けていた事もあり、実際に目にしてみると少々怖じ気づいている様子だ。

 そんな者たちの反応に構わず、指輪を手に取った高寺は他の者たちに見せるようにしながら口を開く。

 

「では、今からこの簡易補整器の指輪をお配りします。付けるかどうかの最終的な判断はお任せしますが、受け取った時点で影時間に行なう開封の儀に同意したものと見なします。付けずに影時間を迎えた場合、後から遺言の内容を聞いて物申すのは認められませんのでご注意を」

 

 ここに集まっている者たちは影時間の存在を知っている。

 しかし、影時間の記憶補整について正確に把握しているのは美鶴や桐条から直接説明を受けた高寺くらいなもので、他の者たちは色々と勘違いしている部分があるのだ。

 確かに影時間に迷いこんだ者や影時間に起こった出来事に対しては、まるで集団催眠にあったかのように記憶の補整が掛かる。

 冷静に考えれば不自然であったとしても違和感を覚えず、真実を知っている者がそれを伝えても記憶の補整が優先されるように認識されてしまうのだ。

 無論、普段から疑う癖を持っているような者や、客観的に事実を書き出していくなどすることで、そういった認識阻害を突破する事は可能ではある。

 実際、湊もそういった裏技を使って五代やイリスたちに影時間の存在を教えたのだ。

 ただ、ここにいる者たちは影時間を使って他者の記憶を改竄出来ると思っている。

 情報の隠蔽は影時間の記憶補整を利用して行なっているだけだというのに、詳しく知らないせいで随分と都合の良い力だと考えているようだ。

 それを踏まえて、高寺は改竄していない事を証明するため影時間に遺言状を開封すると告げた訳だが、配られる指輪を受け取った者たちは、土壇場になっても覚悟が決まっていないのか不安そうな顔をしている。

 中年を過ぎて既に老人と呼んでいい歳の男たちが、何をそこまで怖がっているのかと眺めていた美鶴はぼんやり考える。

 そこまで不安になるような事ではないはずだが、簡易補整器の指輪は身体への負担があるため、普段は自然豊かな土地で静養している母の身体を心配して美鶴が声を掛けた。。

 

「お母様、体調はよろしいのですか?」

「あの指輪は相応の負担が掛かります。体調が優れないようでしたら、お嬢様と私で話を聞いて後ほどお伝えしますが?」

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。ちゃんと自分用の物を持っているの。八雲君が作ってくれた特製のもので、黄昏の羽根の欠片の含有量が多いから負担がほとんどないの」

 

 言いながら英恵が取りだした小箱の中には、青白く光るシンプルなデザインの指輪が入っていた。

 他の者たちに配られた物は王冠型になっており、実に壊れやすそうな上に光ってもいない。

 逆に英恵の持っている指輪はデザインがシンプルなだけに、造り自体はしっかりしていて、召喚器のグリップ部分と同じ色の光を纏っているため、本当に黄昏の羽根の含有量が多い事が分かる。

 英恵のことを考えてそんな物を用意していた青年の準備の良さには頭が下がる。

 そうして、高寺が英恵たちの許にやって来た時には、自分用の物を持っていた英恵と菊乃が不要だと伝え、最後に残った和邇に高寺が指輪を差し出してきた。

 

「和邇君、英恵奥様に付いているなら君もこれを」

「いえ、結構です。無くとも問題ありませんので」

 

 丁寧な仕草で一礼しながら指輪を断る和邇。

 その言葉の意味を理解した者たちがざわつき、同じく彼女の適性について知らなかった美鶴たちも驚いて彼女を見る。

 昔から自分と一緒にいる菊乃ですら指輪を付けて影時間を過しているのだ。

 だというのに、ここ数年で英恵の屋敷で働くようになった相手が、まさか影時間に適応できるほどの適性を持っているとは思わなかった。

 相手は凜としたクールビューティーといった感じで容姿も整っており、仕事についても有能なのは見ていて分かった。

 母は一体どこでこんな人材を見つけてきたんだと考えながら美鶴は和邇に声を掛ける。

 

「和邇さんは自前で適性を持っているんですか?」

「ええ。嗜みと申しましょうか。むしろ、御当主の後を継ぐつもりでおられる方々が適性も持っていない事に驚いている次第です」

 

 今、食堂にいる者の中で指輪を付けていないのは美鶴と和邇だけ。

 つまり、ここにいる者たちは全員適性を持っていないという事だ。

 意識が戻らず今も病院で眠っている桐条も、訓練を受けて適性を手にしている。

 その桐条の後を継ごうという者たちが、どうして訓練も受けず、適性を持っていない状態でこの場にいるのか不思議でならないと頬に手を当て和邇が呟けば、先ほどよりも食堂内のざわつきが大きくなる。

 いくら英恵の御側御用とはいえ、和邇の立場は従者でしかないのだ。

 分家筋だろうと桐条家の人間として様々な場面で特権階級として扱われてきた者たちにすれば、二十代そこそこの小娘に侮辱されて黙っているという選択肢はない。

 中でも短気な者が和邇に対して怒鳴りつけようとしたとき、空気の変化に敏感になっていた高寺が進んで彼女を諫めた。

 

「お言葉だが適性の入手は本人の生まれ持った資質による所が大きい。後天的に適性を得るためには心身にかなりの負担が掛かる以上、一族全ての方にそれを強いるような事は出来ない」

「そうですか。フフッ、まぁ、指輪を使った方が色々と都合もよろしいのでしょうね」

 

 そういう物なのかと納得したように見せて、和邇はどことなく黒い笑みを浮かべて真実を理解したとばかりに頷いている。

 後ろ暗いことでもあるのか、彼女の言葉にほんの僅かに反応してそれを隠そうとしている者も中にはいたが、純粋に言葉の意味を知りたいからと英恵は彼女がそう考えるに至った理由を尋ねた。

 

「確かに簡単に適性を入手出来るけど、八尋さんはどうして都合が良いと思うのかしら?」

「保険として使えるからです。自分の立場が悪くなれば記憶を消して逃げることが出来ますし。逆に人を使う立場なら壊して口封じが出来ますので」

「あら、随分と怖いことを考えているのね。もしかして、八尋さんも誰かの指輪を壊すつもりなのかしら?」

「影時間に入ってから壊しても象徴化は起こりません。荒療治で適性を得ることもあれば、意識が混濁して気絶する事もあるようなので、面倒な手間を掛けるくらいなら実力行使で意識を奪った方が速いかと」

 

 指輪の力を使ってだろうが、影時間に迷いこめばその人物は影時間が明けるまで象徴化しない。

 例外はアベルの持っていた“楔の剣”による適性の強奪だったが、現在はそれを使えるペルソナもいない。

 そうなると指輪を壊したところで幸運にも適性を得るか、影時間の負荷に耐えきれず気絶するかなので、力尽くで意識を奪えるだけの力を持つ和邇にすれば指輪を破壊する意味がなかった。

 

「ああ、そうそう。高寺さん、夕方頃にグループの人間が他所様に迷惑を掛けたようです。私の方でも犬に注意はしておきましたが、改めて犬と飼い主に“余計な事をするな”と注意しておいてください」

「…………ああ、事実確認をして必要があれば注意しておこう」

 

 本当に彼女にそれだけの戦闘力があるかは不明なものの、簡単にはいかない相手なのは確実。

 故に、高寺は当たり障りのない返事をして、時計に視線を向けるともうすぐ影時間だと他の者たちに伝える。

 

「では、間もなく時間です。影時間になれば明かりが消えますが、すぐに専用の電源に切り替わりますので席を離れぬようお願いいたします」

 

 皆の見ている前でゆっくりと時計の秒針が進んで行く。

 残る十秒、九秒、八秒……そして、ついに針が頂点にきて時計の針が全て頂点を指した時、世界が緑色に塗り潰されて部屋の明かりが消えた。

 

「ぬう、明かりが本当に消えたぞっ」

「くぅ、妙なだるさを感じる……」

「本当にシャドウとかいう化け物が出たりしないんだろうな?」

 

 指輪を付けて影時間を体験した分家筋の者たちは、これまで影時間に入ったことがないのだろう。

 誰も彼もが不安そうに狼狽えており、直前に説明していた高寺もどこか呆れ気味にすぐ専用の電源に切り替わることを再び伝えている。

 言っている間に電源が変わり、先ほどよりもいくらか暗いが部屋の中を見渡すことが出来るようになった。

 おかげで騒いでいた者たちも静かになったため、高寺は鍵付きの箱をテーブルに置くと開封の儀を行なうと宣言する。

 

「では、これより御親族の皆様にお立ち会い戴きまして、御当主桐条武治氏の御遺言状の開封を執り行わせて戴きます」

 

 続けて高寺は上着のポケットから封蝋で閉じられた手紙を取りだし、レターナイフを使って皆の前でそれを開けると中から鍵を出して箱を開けた。

 中に入っていたのはこれもまた封蝋で閉じられた封筒だったが、それを開くと中から紙の束が出てくる。

 随分と枚数が多いようだが、それだけ細かく書かれているのだろうと分家筋の者たちに緊張が走る。

 上手く行けば他の者たちを出し抜いて一族の中で上位に立てるかもしれないのだ。

 そのために、これまで宗家に生まれただけの男に下げたくもない頭を下げ、おだてて機嫌を取ってきたのである。

 男たちがそんな自分勝手な事を心中で考えている前で、高寺がはっきりと聞こえるように文章を読み上げ始めた。

 

「遺言状、主文、私の死後遺産の配分の問題が起こらぬよう、これを以下のように決しておくこととする。一つ、目録十項に示す住所の不動産全てと十項の位置に建てられた宗家邸宅の建物全てを妻英恵に遺贈する」

 

 桐条には分家も合わせれば多数の親族がいるが、彼の家族は妻の英恵と娘の美鶴のみ。

 ならば、その家族に遺すものを最初に書くのは当然だとして、聞いていた者たちも土地と建物くらいならばくれてやると余裕を見せる。

 だが、次は彼の実子である美鶴へ相続するものが書かれているはず。

 まさか、成人もしていない小娘にグループの代表を譲り渡しはすまいなと思って聞いていれば、

 

「一つ、目録二十二項の謄本に記す会社桐条の私が保有する株式はこれらを……ん?」

 

 急に高寺が怪訝そうにしながら黙り込んで文章に目を通し始めた。

 その反応は悪い意味で予想外だったといった様子で、見ていた者たちは途端に小さく口元を歪める。

 

「どうしたのかね?」

「ふぅん。もしかして、お嬢様の分け前が存外少なかったりしましたかな?」

「それは厳しい。まぁ、企業系は難しいですからなぁ」

 

 いくら才女言われようと子どもは子ども。娘には甘いと言われた男も、経営者として最低限の分別はついていたと見える。

 素人でしかない娘にグループを預けることは出来ない。そう判断して分け前を少なくしたのだろうと思っていれば、少し先の方まで目を通し終えた高寺が改めて続きを読み上げた。

 

「……失礼しました。株式はこれらを目録二十三項に記す比率に分割した後、全て売却とする」

「売却っ!?」

「馬鹿げている、持ち分を全て売却だとっ」

「経営権を我々の誰にも相続しないだとっ!!」

 

 株式の保有率の高さで会社の経営権を持つものが決まる。

 故に、最も多くの株式を持っていた桐条から、より多くの株式を継いだ者が次期トップになるはずだった。

 それが蓋を開けてみればまさかの全て売却。

 もし、グループの経営権が欲しいのなら、売りに出された株式を自力で買い集める必要が出たのだ。

 勝手に金が転がり込んでくると思っていた者にすれば、下手をすれば他所の人間に経営権を奪われ、今の恵まれた生活すら奪われかねない状況になってしまった。

 

「そんなっ、本当にそんな風に書いてあるのか?」

「通読いたしました所、どうやらグループの同族経営からの脱却を望む趣旨のようです」

「我ら親族に何も遺さないだと? なんだこの茶番は!」

 

 相手はまだ生きているが、遺言状を開封したからには生前贈与という形で分配されてゆく。

 こんな事ならば書き直せと言いたい者たちも、すぐに手続きが始めるように準備をさせていたせいで、この望まぬ展開を受け入れるしかない。

 妻と娘の前で存命の相手を悪し様に話す者たちの心根のなんと醜いことか。

 薄く笑って眺めていた英恵は娘に聞こえる程度の声で静かに口を開く。

 

「改革に遺言を使うだなんて……あの人らしいというか」

「三代も同族経営など、その方が時代錯誤のような。何故問題に?」

「言ってあげたら? 私は疲れるから遠慮するわ。ただ、あの人も今回の裏切り事件までは予想して書かなかったでしょうから、その事だけはちょっと気がかりだけど」

 

 幾月が生きていて、さらに裏切るとまでは考えていなかっただろう。

 おかげで遺言状は最新の物を用意している最中だったかもしれない。

 これが古い分ならば、また違ったことが書いてありそうだが、まだ娘への配分が説明されていなかったことで、騒ぐ分家の者たちを落ち着かせようとしている高寺に声を掛ける。

 

「高寺さん、美鶴には何を遺すと書いてあるのかしら?」

「これは失礼しました。お嬢様には…………んん、おかしい、どこにも……」

 

 先ほど黙り込んだときは、書かれている文章の意味が理解出来ないといった感じだったが、今度は本当にどこに書いているのか分からないでいるようである。

 妻には土地と建物を与えたため、娘にも同じようにすると思っていたのだが、何度もページをめくって目を通している様子から、どうやら美鶴に遺された物は土地や建物ではないらしい。

 待つこと数分。ようやく文書全体に目を通したらしい高寺が、最後のページにあったとホッとした顔をする。

 

「ああ、いえ。最後のページにありました」

 

 言った直後、書類と一緒に挟まっていたのかカードらしき物が落ちた。

 

「ん? これは、カード?」

 

 それを拾い上げた美鶴は一体何のカードだと首を傾げる。

 カードの表面には数字が書かれており、裏面はカードの取り扱いの注意点など説明書きがなされているのみ。これでは一体何のカードか分からない。

 

「長女美鶴にはこれを遺す、と。使い道を調べさせましょう」

「あの、これ、私の勘違いでなければ、食材などを保存しておく冷蔵室のカードキーじゃないかと」

「冷蔵室?」

 

 分からないなら調べてから改めて伝えれば良い。

 そう考えた高寺がカードを回収しようとすれば、菊乃が恐らくと前置きしつつカードの正体を告げた。

 

「二十番台だから……えっと、これ、旦那様のワインセラーのカードキーです。何ヶ所かあって、確かこの離れにも。入ったことはありませんが、それぞれヴィンテージロゼとシャンパンが何本か」

「ワイン?」

 

 どうして未成年の美鶴に酒など遺すのか。

 意味が分からない美鶴は、それについて父が詳しい説明を書いていないか改めて訊いてみる。

 

「高寺さん、一緒に何かメッセージなどは?」

「一言だけ端書きがございまして、他の相続者が長女美鶴にこれ以外の私の遺産を温情その他によって分け与える事は私の意志に反する。よって、これを厳に禁ずる、と」

 

 端書きだろうと正式な遺言状に書かれているなら効力を発揮する。

 よって、美鶴の配分は父が集めたと思われる高級な酒のみとなった訳だ。

 別に土地や経営権が欲しかった訳ではないものの、娘がまだ呑めない酒を遺した父の真意が知りたい。

 美鶴が考え込んでいれば、小さく笑った英恵が夫の真意を理解したとばかりに深く頷いて見せた。

 

「なるほどね」

「お母様、意味がお分かりになるのですか?」

「意味も何も、書いてある通りよ?」

 

 別に深く考えるまでもない。そう言って英恵は明言を避けた。

 分かっているならどうして教えてくれないのか。

 自分で気付くことが重要なのかもしれないと、美鶴が再び考え始めている間に思い出したように英恵がある者たちの処遇については書かれていないのかと尋ねる。

 

「そう言えば、美鶴のお友達の事は何か書いてあるのかしら?」

「お友達、と言いますと特別課外活動部の事でしょうか? それにつきましては……」

 

 これもまた少し探さないと分からないのか、高寺は何度も書類をめくって繰り返し目を通す。

 桐条の暗部に繋がる情報でもあるので、書かれていない可能性もあるのだが、少し待てば何とも微妙な表情で高寺が書かれていたと答えた。

 

「ありました。ですが、これは……」

「なんと書いてあるの?」

「私の死後、特別課外活動部に関わる全権は相手側の同意があった場合に限り、有里湊に委譲する、と」

 

 その言葉を聞いて考え込んでいた美鶴も流石に顔をあげた。

 高寺が微妙な表情をしている理由は、恐らく相手が湊の復活を知らないためだろう。

 生きていると知っていれば、桐条の暗部を外部の人間に渡すことになり、渋い顔になっていたに違いない。

 ならば、知らぬが仏とばかりに英恵は誤魔化す意味も込めて軽い調子で答えた。

 

「あら、美鶴たちは八雲君に貰われちゃったのね」

「どうして父は有里に託そうと?」

「本当の意味で見ている物が同じだったからでしょうね。それに、それが一番安全だと思ったからというのもあると思うわ。何だかんだ言いながら、あの人は八雲君の活動から見える行動理念とかを信用していたみたいだし」

 

 湊も桐条も自己犠牲を厭わないという点で共通しており、無関係な人間を、被害者も含めた一般人を、それぞれ巻き込まぬようにと影時間を終わらせるために活動していた。

 お互い大切な者たちを守るという目的もあったにせよ。そこに自分の利益を考えるなどという余分な思考は存在せず、誰よりも純粋に影時間に向き合っていたと言える。

 だからこそ、桐条は様々な思惑が渦巻いている親族たちではなく、外部の者だろうと信用出来る人間として彼に託したいと思ったに違いない。

 ところが、湊の生存を知らない高寺は、これでは遺言の通りにはならないと小さく息を吐いた。

 

「ですが、流石にこれは無効でしょう。死者に権限を委譲するなど名目上の処理しか出来ません」

「いいえ。坊ちゃまならいます。ここに」

 

 高寺の言葉に被せるように口を挿んだ和邇は、言いながら自分の胸に左手を当てている。

 一瞬何を言っているのか理解出来ない一同だったが、それが“皆の心の中に”というふざけたメッセージだと認識したところで、和邇の冗談に便乗するように英恵が少し茶目っ気のある笑顔を和邇に向けた。

 

「あら、そうだったの? なら、また一緒にお茶をしましょうと伝えておいてもらえるかしら?」

「了解との事です」

「フフッ、随分とお返事が速いのね」

 

 もし本当に尋ねたとしても、そんなに速く返事が返ってくる事などあるまい。

 しかし、それでも英恵にすれば楽しいのか、気にした様子もなく笑っている。

 テーブルの反対側では未だに分家筋の者たちが騒いでいるというのに、随分と暢気なものだと呆れたように高寺が和邇に声を掛ける。

 

「はぁ……ならば是非ともこの事も伝えておいてくれ」

「既に伝えてあります。返答は“貰えるものは貰っておく。俺の管理下に入った以上、勝手に触るなよ”とのことです。無視した場合は敵対行為と見なすようなのでご注意を」

 

 これもまた本人が言いそうな言葉だから判断に困る。

 彼の性格や言動をしっかりと把握しているからこそ、すぐに彼が言いそうな言葉が浮かんだのだろう。

 英恵だけでなく和邇も随分と彼に近い立場にいた人間なのは間違いないが、そんな事は桐条の遺産配分には関係ない。

 分家筋の者たちはまだしばらく騒いでいそうなので、身体の弱い英恵と、昨夜の戦いもあって疲れている美鶴は、この場を高寺に任せそれぞれの従者と共に部屋を後にした。

 

 

 


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