【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三十五話 夜の散歩

4月19日(火)

放課後――月光館学園

 

「じゃあねー、みんなー!」

 

 部活を終えて下校して行く生徒らに、下駄箱の置いてある生徒玄関から佐久間が手を振る。

 手を振っている担任に、女子たちは軽く頭を下げているが、湊とチドリは振り返りもせずスタスタと歩いていた。

 そうして、他の生徒も前を向いて歩きだしたことで、振っていた手を下ろし、今まで張っていた気を抜く様に息を吐く。

 

「フゥ……」

 

 佐久間の目が追っているのは、青みがかった黒髪の男子の後ろ姿。自分が正式に教師となって初めて会った記念すべき生徒だ。

 ルックスも威圧感も人並み以上で、存在感という意味では他を圧倒している。

 初めて会ったとき相手は着物を着ていたが、何故か蒼い瞳をしているように見え、保護者がいるというのに挨拶よりも先に「綺麗……」と思わず呟いてしまったほどだ。

 生徒と対面することが教師人生のスタートというのなら、佐久間はこれ以上ないくらい衝撃的な出会いをした訳で、例えこれから定年まで教鞭をとり続けたとしても、始まりの出会いを忘れない自信がある。

 生徒には平等に接するべきというのは理解できるが、それほどの出会いをした相手を、他の生徒と同じように扱う気にはどうしてもなれなかった。

 

「んー……あれ? むむむぅ」

 

 そうして、佐久間は湊の姿が見えなくなるまで眺めていようと思ったが、湊の隣に何やらぼんやりとした人影が動いているように見えた。

 一瞬の事だったので、はっきりと認識するには至らなかったが、人影の髪は湊と似た色の長髪で、背は少し低いくらいの印象だった。

 あれが何かは分からない。だが、何か悪いモノの可能性も考慮して、今後の学校での湊の様子に注意しておく事にし、佐久間は職員室へと戻ってゆくのだった。

 

影時間――タルタロス・27F

 

 タルタロスの狭い通路に銃声が響く。一つ、二つ、三つ、飛びだした薬莢が固い地面に落ちた際の甲高い音が銃声の反響と共にその場に余韻を残しながら、心の化生たるシャドウと共に静かに消えてゆく。

 

「…………」

 

 残弾が空になったのか、湊は弾倉を外してその場に捨てると、腰のホルダーから新たな弾倉を取り出し、銃に装着した。

 何年もしてきた動作だけに、最初期のようにもたつくことはない。しかし、来週の日曜に満月が迫っているため、シャドウたちも活発になっているのか、倒したばかりだというのに新たな敵が姿を現していた。

 敵の数は六。目の前に四体の魔術師“ダンシングハンド”が、背後から二体の女帝“ヴィーナスイーグル”がさらにやってきた。

 

《グララ!》

 

 二体のダンシングハンドが現れてすぐに攻撃を仕掛けてきたため、蒼い瞳で敵を睨み、銃を構える際にグリップの底でカード砕くと、水平撃ちで素早く相手を撃ちながら呼び出したペルソナに指示を出す。

 

「ザシキワラシ、後ろの鳥にマハブフ」

 

 節制“ザシキワラシ”は、ふわりと青い髪を揺らしながら現れると、こくりと頷いて両手を突き出し氷の刃を幾つも放つ。

 決して小さくない身体で羽ばたき空中に留まっていた敵は、面で迫りくる攻撃を回避しきれず、仮面や胸、羽ばたいていた翼を氷に貫かれ、落下すると黒いもやとなって消滅した。

 襲いかかってきた敵を殺した湊がそれを気配で感じながら、銃を構え直しリアサイトとフロントサイトで正確に狙いを付けると残りの敵の仮面に弾丸を撃ち込み、全ての敵の排除を完了した。

 

「…………フゥ」

 

 周囲の敵の気配も消え、とりあえずの安全が確保されると、セーフティを外したままの銃を腰のホルスターに戻し、湊は自分を見上げていたザシキワラシの頭を撫でた。

 ペルソナだというのに、撫でられた相手は嬉しそうに顔を綻ばせもっと撫でろと頭を突き出している。

 ザシキワラシは、湊がこの五年の間に新たに作ったペルソナで、見た目は身長一四〇センチ後半ほどの女の子にしか見えない。

 髪は湊よりもさらに青みがかった長髪で前髪をパッツンと切り揃えており、服は胸元に大きな水色のリボンがアクセントとなった白地に黒の生地を重ねたパフ・スリーブの膝丈ドレス、さらに真っ白のレース付きのソックスを膝辺りまで伸ばし黒のエナメルシューズを履いている。

 古来から知られている日本の妖怪でありながら、服装が完全に現代風であるため、最近になって初めて対面したチドリは「……変」とこぼしていた。

 しかし、湊にしてみれば、相手は現れた時点で今の服装で似合ってもいるというのに、どこが変なのかが分からない。

 ザシキワラシ自身は、マスターである湊と同様にどこがおかしいのか分かっていないので、彼女の服装は湊の心象イメージが反映された可能性があるというのが、ベルベットルームの住人の推測である。

 

《もっと……撫でて……》

「影時間が明けるから、そろそろ帰る。俺の中に戻ってくれ」

《私は……ペルソナだってばれない……》

 

 シャドウだけでなく他のペルソナも鳴き声のようなものは発するので、ザシキワラシが声を出しても不思議ではない。何より、今では馴染み過ぎて宿主もすっかり意識から外しているが、ファルロスという本来はシャドウでありながら人の形をして流暢に話す先人もいる。

 だが、別の人格であるファルロスならばともかく、湊のペルソナでありながら、さらに湊とは別の思考を有している点については、流石にベルベットルームの住人も首をかしげた。

 以前から、心の具現たるペルソナを同時召喚が可能だったことで、湊は精神が複数に分裂している可能性を指摘されていたが、飛騨が精神鑑定や診断を受けさせた時点では、全く異常は見られないという結果となっていたのだ。

 しかし、異常がないとすれば、湊と別の記憶と人格を持ったザシキワラシが何者なのかという疑問が生じる。

 ザシキワラシは呼び出す度、過去に呼び出された記憶も連続して持っている。呼び出されていないときには、不思議な広い空間を他のペルソナと同じように漂っているらしいが、それが湊の心の海であるとすれば彼女は確かに湊の心の一部ということになるのだ。

 ならば、ザシキワラシの行動は全て湊の心が反映されている事になり、湊には自分自身に甘えたい、自分自身に懐いているという部分があることになるが、相手が自分だけの記憶を持っていることでそれは否定された。

 今は彼女を生み出す素材として使ったため手元にいないが、最初にペルソナ合体で生み出したプチフロストも同じ様子が確認されていた。それは相手が呼び出されたときの事を、己の記憶として保持しているということだ。

 確かに、声を出し、ある程度は自律して動いていたので、身体の構造も生物に近いということで脳などが存在するのかもしれない。

 そうなると、脳があるのだから自分だけの記憶を持てていても不思議ではなくなるのだが、記憶があるのならば、いつかそのペルソナだけの自我と心が形成され、ペルソナでありながらペルソナやシャドウを生み出せるようになってしまう可能性も危惧される。

 

《あなたと……お散歩……したい、な》

「……少しだけだぞ」

《……やった……うれしい》

 

 湊のように複数のペルソナを扱える“ワイルド”の覚醒者ならば、仮面の一つを失う程度で済むが、他の者は自分の精神の根幹を呼び出し使役している状態だ。

 それが自我を形成し、勝手に動き回るようになれば、シャドウが抜け出た状態と同じようになり、途端に影人間になってしまうだろう。

 相手を倒したところで、自我の生まれた者を精神の根幹に戻して大丈夫なのかという疑問も残る。

 ペルソナ及びシャドウが自我を持って、さらにペルソナ能力に目覚めた前例はないが、湊とベルベットルームの住人達の間では、そのような存在が現れたときには、抜け出ている間の元の持ち主の状態の確認と、討伐して自我を持ったペルソナが戻ったときに持ち主にどのような変化が起きるかを確かめようという意見で纏まっている。

 湊ならば問題が起きる前に解決することも可能かもしれないが、相手がチドリやチドリのまわりの世界の人間でもなければ、それほど進んで助ける気はない。

 何故なら、救える力があるからと言って、救わなければならないなどと湊は思っていないから。

 仮に力があるなら救わなければならないのであれば、世界中の募金箱からお金が溢れ出る事になり。さらに、輸血の血が足りなくなることはあり得ないし、ドナーは必要な情報を打ち込めば簡単に見つかることになる。

 しかし、現実はそうではない。今の世界の人間の多くは、“救ってやりたいとは思う”に留まり、結果的に救う気の殆ど無い湊と同じように行動には移さないのだ。

 まわりがしていないから良いかと言えばそうではないが、やりもしない口先だけの人間の言葉はあまりに軽い。親を殺され自分の身を器として既に地球上の全ての生物を一度救っている湊が、そんな者の戯言を聞く必要はないだろう。

 

《私……海の近くを歩きたい……》

「まだ水は冷たいぞ」

《波の音が……聞きたいだけ……》

 

 湊の上着の裾をちょこんと摘みながら、その後をついて行くザシキワラシの言葉を聞くと、湊は彼女に視線を送り、すぐに前を向いて脱出装置を目指す。

 他の者は十六階の階段を柵が囲っているため登ってこられないが、湊は空を飛んで窓から上階に侵入している。番人のいるフロアには転送装置が置かれていたが、柵で囲われていることにも意味があるのだろうと、敢えて起動させずに置いていた。

 しかし、脱出装置は一方通行のため利用しても問題がない。行き止まりに装置を発見した湊は、操作して起動させるとザシキワラシと共にタルタロスを後にした。

 

***

 

 影時間が明けて既に一時間が経過しただろうか。湊は真っ直ぐ帰らずに、月夜の散歩に付き合っていた。

 夏には海水浴客で賑わう浜辺を歩き、暗い海を眺めながら波の音に耳を傾ける。

 傍らには、少女の姿をした仮面の一つが砂に足を取られないよう注意しながらとてとてと歩き、言葉を交わしていないにもかかわらず、どこか楽しそうに穏やかな表情をしている。

 

(……静かだな)

 

 ブーツの底が沈みこむ感触を感じながら立ち止り、湊は空に浮かぶ月を眺めて独り心の中で呟いた。

 仕事を始めてからというもの、湊は鍛錬か仕事かシャドウ狩りにばかり出向いていた。チドリや桜に付き合って出かけたこともあるが、素直に遊びを楽しめるほど今の湊は感情に揺らぎがない。

 チドリやその周辺の人物に関わることであれば、他よりも感情が動きもするが、それらは全て激情である。先日の盛本との一件がその良い例だ。

 鍛錬を重ね、仕事をこなしていく中で感情のコントロールも徐々に覚えたことで、完璧ではないが攻撃に感情を乗せないことも成功し、魔眼の発動を抑えられるようにもなっている。

 だが、怒りは未だに抱き易く呑まれ易い。敵になる可能性がある者は殺せという、自分の中に居るナニかが囁き続け、湊も仕事の中でそれに同調しかけたことがあった。

 仕事では探知以外でペルソナを使用しないことにしているので、幸いなことに周囲を巻き込まずに済んだが、人質の子ども奪還の仕事では犯人らを全員細切れにした事もある。

 引き金となったのは、人質の中にいたチドリに似た背格好の少女が犯人に殴られたことで、探知でその瞬間を見ていた湊は、イリスと決めていた当初の予定も無視して壁を切り崩し、銃火器を使ってくる犯人グループを相手に、中華剣一振りで鏖殺してみせた。

 人質の子どもらは、湊が入ってきた壁の穴から先に逃がしたので、トラウマになるような凄惨な場面は目撃していないが、制圧後に現場を目にした依頼人も信じられず、青ざめ引き攣った表情で湊に依頼金を倍額払うと申し出た。

 仕事は自身のスキルアップの他、チドリが一生涯お金に困らないようにと稼いでいるため、不思議に思いながらも素直に受け取ったが、イリスは作戦を無視した事と、湊の行動が人質救出から犯人の殺害に切り替わっていた事を指摘し、湊の頬を全力で殴りつけ怒っていた。

 

《……楽しい、ね……》

「なら、良かったよ」

《あなたは……楽しくない……?》

「いや、いい気晴らしになる」

 

 湊が立ち止まって月を眺めていたことで、少し先を行っていた少女が振り返り小さく笑いながら喜びを表した。

 その言葉を聞いて淡々と返すと、今度は不安そうな表情を見せたので、湊は仄かに笑みを浮かべて歩み寄り頭を撫でた。

 

《あなたが……うれしいと……私もうれしい……》

 

 そう言って、途端に相手は湊の胸に顔を埋めて抱き付いてくる。どことなく昔のマリアの姿がそこに重なるが、やはり相手が自分の精神の一部だとは思えなかった。

 現在、湊の持てるペルソナの最大数は十体で、既に八体が埋まっている。可能性の芽のカードチャンスでは、探知で絵柄を見抜くという反則技を使って選択しているため、新たなペルソナを得ようとしない限りは、手持ちが増える事はない。

 嘗てのように、精神が大きく変化・成長することで、新たなペルソナが目覚めることもあるが、湊もそんな物は一度しか体験していないので、ほぼあり得ないと思っている。

 エリザベスの説明では、合体で生み出す以上に、自力で目覚めたペルソナの方が強い力を秘め易いということだが、無限の可能性を秘めたワイルドの力を持っている者には無関係と言っていいだろう。何せ、ペルソナさえ付け替えれば、攻守ともに楽に対策を取れてしまうのだから。

 そして、ある程度の時間マスターである湊の胸に顔をうずめていた事で満足したのか、ザシキワラシは身体を離した。

 離れてもまだ服の裾をちょいと摘んでいるが、それには何も触れず、湊は無粋な出歯亀へと冷ややかな口調で声をかけた。

 

「……こんな時間に散歩か?」

 

 抱きついていたザシキワラシが身体を離したタイミングで、影から二人を見ていた存在に声をかけると、相手は砂浜との境界になっているコンクリート製の階段から降りてきて、含みのある微笑で言葉を返してくる。

 

「こんばんは。満月はまだ先ですが、月の綺麗な晩は散歩をしてみるものですね。このように不思議な出会いがありますから」

 

 下りてきたのは、素肌に纏った橙色の麻柄半袖シャツの前を全開にし、青いヴィンテージ物のジーンズを穿いたタカヤ。その後ろには上下ともスポーツメーカーの白いジャージを着て、小さなアタッシュケースを持ったジンもいる。

 二人は湊よりも年上で既に二次性徴を迎えており、今では湊より十センチ以上背が高くなっている。

 もっとも、一年もすれば湊も十センチ以上背が伸びているだろうから、現時点でのことなどまるで気にしていない。

 だが、近くにやってくると、僅かに見上げる必要があるため、その点だけは面倒に思っていた。

 タカヤとジンは、湊の元までやってくると、湊の背に隠れるようにしているザシキワラシに視線を送る。そして、初めて見る顔に興味を持ったのか、「ふむ」と小さく声を漏らすと湊に話しかけた。

 

「チドリにしては小さいと思っていましたが、別人でしたか。そちらの方は仕事仲間ですか?」

「……違う」

「おや……。では、どういったご関係で?」

「話す必要性を感じない。用がないなら、俺たちは帰るぞ」

 

 言い終わると、相手が何かを言う前に湊は階段に向かって歩き出した。

 ジンがそれを見て少し驚いた様子を見せるが、タカヤは湊のつれない反応にも慣れているので、小さく息を吐いて肩を竦めるに止めている。

 しかし、全く何もしないかと言えばそうではなく、湊とザシキワラシが階段を登り切ったところで、ジーンズのベルトに差していた大型の拳銃を抜いた。

 ジンが制止するも間に合わず。しっかりと足元を固め両手で構えると、タカヤは湊の背中に向かって躊躇いなく引き金を引いた。

 瞬間、爆発音が浜辺に轟き、文字通りにタカヤの握る拳銃が火を噴いていた。

 決して人間を殺すために使う威力ではない、クマであっても一撃で仕留められる凶弾が湊に届こうとしたとき、それは氷壁に阻まれ止まっていた。

 

「……そういう事ですか」

 

 湊を守るため両手をかざし、紫水晶の瞳でタカヤを睨んでいた少女を見て、タカヤは得心がいったと拳銃をベルトに戻す。

 タカヤが使用した銃の名前は『S&W M500』、2005年現在の時点で世界最強の威力を持つ回転式拳銃と呼ばれるものだ。

 発射から急速に弾速が落ち始めるため、三十メートルほど距離が開いていた事でザシキワラシは防いでみせたが、距離が十メートル程度だったならば防御に張った氷壁は破壊され、湊はファルロスに蘇生して貰わなければならない重傷を負っていただろう。

 威嚇や反応を見るというには、あまりに過ぎた威力の代物を容赦なく放ったタカヤを敵と定め、ザシキワラシは野球のアンダースローのように腕を振るうと氷槍を地に走らせる。

 

「モロス、アギラオや!」

 

 一直線に地を走りタカヤを狙う氷槍をジンのモロスが壁となり、さらに巨大な火球をぶつけて防ぐ。高温の火球が氷と衝突し、周囲は真っ白い水蒸気に包まれるが、追撃の様子は見られない。

 相手が敵と見なしたタカヤを仕留めようと威力と確実性を優先したことで、速度が犠牲になりジンは何とか召喚と撃墜が間に合ったが、視界が悪い状態では分が悪い。

 そうして、気を張った状態で視界が晴れるのを待っていると、階段の上にいた湊はザシキワラシの頭に手を置き、氷のように冷たい蒼い瞳でタカヤを見ていた。

 

「……新しい玩具の自慢か?」

「ええ、発売されたのは二年ほど前ですが、色物という扱いの割に人気でしてね。やはり、最強の拳銃という響きに惹かれる者が多いのでしょう。かなりの値が張り、手に入れるのに苦労しました」

 

 言われてタカヤは再び銃をベルトから抜き出し、月光で照らして相手に見えるようにして話す。

 タカヤがこの銃を湊に見せるのは初めてだ。今でも交流は続いているが、それぞれが別口で仕事をしていることもあり、休日らしい休日もない事から、自然と会う機会は減っていた。

 マリアは湊に会うためにポロニアンモールの眞宵堂に出向いてくることもあるため、以前と変わらぬ親交が続いているが、湊とチドリが中学校へ通い始めることで会う時間が減ると知ったときには、悲しそうな顔を見せた事もある。

 そのときは、湊がお揃いのアクセサリーとして、菱形のアレキサンドライトが一つあしらわれた黒いレザーチョーカーを買い与え、ベルベットルームで防護処理を施して貰うと大変な喜びを見せていた。

 入学を機にチドリがタンザナイトの付いたお揃いのピアスを欲しがったのは、バイトで店に行った際に、その事をマリアの口から聞いたためなのだが、湊は仮面舞踏会としての仕事で席を外していたので未だに知らなかったりする。

 そんな湊は傍に落ちていた空き缶を空高く放り投げると、マフラーに手を入れ拳銃を取り出し、引き金を数度引いた。

 放たれた弾丸は真っ直ぐに空き缶を貫き、空中で踊った空き缶にまた次の弾丸が吸い込まれる。

 そうして、地面に落ちてくるまでに三回ほど舞った空き缶が傍に落ちてくると、タカヤはそれを手に取り感嘆の声を漏らす。

 

「……ほう、大したものですね。私には出来そうにありません」

 

 タカヤが確認した缶に開いた穴は湊が引き金を引いた回数の倍だ。つまり、一発のミスもなく、全ての弾が缶を貫通したことになる。

 空中でイレギュラーに舞う物体に続け様に当てるなど、余程のコントロールと反射神経がなければ不可能。小さな空き缶でこれならば、人間など外しようがない巨大な的にしか思えぬだろう。

 そうして、手に取った缶を捨ててタカヤが再び湊を見やると、湊は瞳の色を戻して口を開いた。

 

「大艦巨砲主義でもあるまいし、威力過剰の武器は自分の身体にも影響が出るだけでメリットがない。それなら、こういった小回りの利く、連続射撃が可能な武器の方が何倍も優秀だ。前に使ってたデザートイーグルはどうした?」

「部屋に置いていますよ。サイドアームにはなりませんしね。今はこれ一挺で仕事をしています。元々、それほど命中率は高くないので、威力に特化している方が向いているんですよ。身体への影響も、影時間で補正が働いていれば片手でも撃てますし」

「ペルソナで殺せば良いだろ。そんな一発撃っただけでもメンテしなくちゃならないものより、よっぽど手間も費用も掛からない」

「それではあまりに味気がない。超常の存在よりも、凶器の方が簡単に死をイメージ出来るので、純粋に相手の死への恐怖を眺めるにはこちらの方が優れているのです。なにより……貴方も殺しにペルソナを使っていないでしょう?」

 

 真っ直ぐ瞳を見据え、その奥にある湊の感情を読みとろうとするようにタカヤが口の端を歪める。

 しかし、湊が殺しにペルソナを使わない理由は、単純に自身の戦闘技術を鍛えることを目的にしているからであり、それ以外の理由は存在しない。

 そう、存在しないはずなのだが、タカヤは湊の中に何かを見たのか、銃をベルトに差し込むと歩き出し、階段の上にいた湊の元までやってきた。

 後に続いたジンは状況が掴めず静観し、マスターを守るように動こうとしたザシキワラシは、湊が頭に手を置いたままなので動くことができない。

 そうして、死と眠りの兄弟神をその身に宿す二人が視線をぶつけあうと、すぐにタカヤは湊が向かおうとしていたのとは別方向へと歩き出した。

 言葉も残さず去っていくのかと思い、湊がザシキワラシの頭に置いていた手を下ろすと、

 

「――そういえば」

 

 そう言って、去っていく背中に湊が視線を向けていることを分かっているのか、タカヤは背中を向けたまま湊に言葉を投げてきた。

 

「入学祝いという訳ではありませんが、仕入れた情報を一つ教えておきましょう。なんでも、貴方と同じ武術を使う壊し屋がこちらに来ているようです」

「……何日前の情報だ?」

「二日前ですよ。どこかの金持ちが日本に長期滞在するので護衛につけているのだとか。当人は武術家ですが、その護衛対象が中々に悪人らしいです。殺しの依頼が入ったときには、ぶつからないよう祈った方が良いでしょう」

「……そう、か。わかった。覚えておく」

 

 それだけ答えると、湊もザシキワラシを連れて歩き出した。

 話をしていた当人らの後ろをゆく者たちは一度振り返り、あんな話の終わりで良かったのかと疑問を持ったが、お互いが見えなくなっても振り返ることなく歩き続けたため、黙って従い隣へ移動した。

 そして、湊は自宅へ、タカヤとジンは依頼のため別の街へ去って行ったのだった。

 

深夜――桐条コンツェルン・本社

 

 桐条コンツェルンのビルの一室。そこで桐条武治は机の前に座り、送られてきた封筒の中身を眺めていた。

 手にあるのは月光館学園の生徒名簿、そして、各生徒の影時間への適性検査の診断結果。

 桐条グループは同じグループ出資の元に作られた月光館学園の生徒らに、年次はじめに行われる身体測定と学期ごとに行われる内科健診を利用して、密かに適性検査も受けさせていた。

 これは、自分たちが学校運営に関わっているため、生徒に検査を受けさせやすいことが実施している最大の理由だが。他にもペルソナに目覚めた者の年齢が、丁度その辺りの子どもであったことも大きな理由となっている。

 当然、子どもだけを対象にしていては適性の高低が正確に判断できないため、同じようにグループ会社の社員にも健康診断を利用して受けさせているが、今のところ子どもの方が潜在的に高い適性を有しているという結果が出ていた。

 

「…………」

 

 そして、今年の検査結果はほとんどが例年と同じ不適格で溢れていた。

 影時間への適性は誰もが有していて適性ゼロというのはあり得ない。だが、影時間に象徴化しないレベルまで高い者は稀であり、ラボの職員のように人工的に強化しない限りは、ペルソナに目覚める可能性を有している者でもない限り、そこまで高い適性を持つのはあり得ないという報告も上がっている。

 故に、いま桐条が難しい表情をして眺めている“適性有り”という判が押された生徒は、明日か一月後かは分からないが、自身の娘と同じようにペルソナに目覚めるのだろう。

 そう思いながら持っていた他の書類を脇に置き、二人の生徒の書類を手に取った。

 

(……似ている。いや、きっと本人なのだろう。だが、何故だ。どうして、この地に戻ってきた?)

 

 桐条が悲痛な表情で見つめる紙には、身体測定と適性検査の結果が書かれ、学生証用に撮影された湊の写真が貼られていた。そして、もう一枚の紙にはチドリの写真が同じように貼られ、そのすぐ上に“適性有り”の判が押されている。

 エルゴ研時代に、湊が赤髪の少女を大切にしているという報告は、桐条の元まで届いていた。

 ならば、既にペルソナに目覚めている娘以上の数値を叩きだしたこの二人は、あのエルゴ研壊滅の日に脱走して行った二人に違いない。

 桐条の命令で追手を放つということは最後までなされなかったが、それとなくペルソナの暴走と思われる事故事件がないかの調査はさせていた。

 幸か不幸か、その結果は発見できずというものだったので、子どもたちは遠くに逃げたのだろうと思っていた。

 食事や衣服は影時間になれば簡単に盗む事ができる。そうして、自分たちの痕跡を隠しながら密かに生きていると、そう思っていたのに、全ての始まりの少年が再びこの地に現れた。

 現れた理由は分からない。単純に住み慣れた街に戻ってきた可能性も十分にあり得るが、わざわざ中学校に通う必要性を感じられない。

 湊の真意を理解できない桐条は、出口のない思考の迷宮を彷徨い続け、その不気味さに軽い疑心暗鬼に囚われる。

 

(復讐か、それとも、何かが始まるのか? 八雲君が生きていることを九頭龍に……いや、今更言ってどうなる。葬式に出ておきながら黙っていたとなれば、私だけでなく家同士の衝突問題になる。影時間を消す方法も分かっていない今、そんな事になれば研究の継続も危うくなってしまう)

 

 桐条は書類を机の上に投げ出し頭を抱える。じんわりと滲む汗をハンカチで拭うと、急激な喉の渇きを覚えて、傍に置いていたペットボトルの水を一気に呷った。

 

「……ハァ、ハァ」

 

 ペットボトルの中身を全て飲み干すと、冷たい物を摂取した事で頭も冷えたのか、先ほどよりも冷静に考える事が出来るようになっていた。

 実際のところ、湊はいままでもずっとこの街の傍に留まっていたが、それを桐条は知らぬので、自分の持っている情報だけを使い現状で推測出来る事をはじき出してゆく。

 湊が何のために戻ってきたのかは現時点では不明。少なくとも、顔を見られて存在を桐条側に知らせても問題がないと考えている可能性は高い。

 湊が大人の中にいても聡明であることは、エルゴ研で湊が齎した研究データを目にすればすぐに分かり。その湊が桐条の学校に通うことで存在がばれる可能性を考えない筈がない。

 そのため、桐条が考えた通り、湊は身元がばれることをリスクだと思っていないと言うことになる。

 

(次に、彼らの現在の強さだが……少なくとも弱体化している可能性は外して良さそうだ)

 

 ペルソナ使いにとって適性の高さは、ほぼそのまま強さと言い替えて良い。

 適性をただ持っているだけの人間と比較すれば、桐条の娘である美鶴も遥かに高い数値が計測されているが、湊はおろか、チドリにすら倍以上の差を開けられている。

 さらに、美鶴のペルソナである女帝“ペンテシレア”は火炎属性の弱点を持っているので、火炎属性魔法が主体であるチドリのメーディアと戦闘になった場合には、たった一撃で敗北することも考えられた。

 いくら研究データの収集ばかりで実戦を経験していないと言っても、流石に仲間もいない状態で倒れられては困るので、イレギュラーシャドウや湊たちと敵として遭遇した場面を想定し、娘にラボにいるシャドウの実験個体との戦闘訓練を徐々に始めさせようと決意した。

 そして、逸れかけた思考を再び湊たちの事にシフトさせていく。

 

(今のところ大きな動きは見せていない。積極的な接触は避け、遠目からの監視を徹底させるのが最善か。動きがなければそれで良いが、下手に触れて眠れる獅子を起こすわけにはいかない)

 

 今後の方針は決めた。消極的だと言われれば確かにそうだが、湊にはペルソナを使わずに一夜で百人以上の銃を持った大人を殺してみせた前科がある。

 そのときは影時間で身体能力が上がっていたから可能だったと推測されたが、肉体が成長した今なら、さらに地力が上がっていて影時間外でも簡単に人を殺せるはずだ。

 ならば、湊が通っている学校には娘もいるため、最上級の厳戒態勢を敷いて臨むべきである。自分たち大人が復讐の対象になるのは報いとして受け入れるが、自分たちを苦しめるために子どもを見せしめに殺されるなどあってはならないのだから。

 桐条は適性有りと判断された二人への対応を、『接触を許可せず監視に留める』と決定すると、その旨をメールで通達し、パソコンの電源を切った。

 そして、部屋を出るため席を立ったとき、ある少女のデータが記載された書類が目に止まり停止する。

 少女の名は、『岳羽ゆかり』。

 

「……彼の娘も八雲君と出会ってしまった。偶然か、必然か、何も起きなければ良いが」

 

 厳しい表情で呟くと、書類を全てファイルに戻し。それを手にとって部屋を後にしたのだった。

 

 


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