【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三十四話 体育教師

4月8日(金)

午後――中等部・グラウンド

 

 中等部の体育の授業は一年生のときだけクラス単位で、二年生からは二クラス合同で男女別に分かれる。

 1-Dの体育は火曜二限目と金曜五限目にあるため、身体測定で火曜日の授業が潰れたことで、第一回目は金曜日の五限目となった。

 昼食の後という事で、半袖とハーフパンツの体操着に着替えてグラウンドにやってきた生徒達は、皆、若干面倒そうにしている。

 ゆかりもその一人であり、隣を歩いていた風花に愚痴をこぼす。

 

「はぁ……火曜日の二限は良いけど、なんで金曜日は五限なのかねー。お昼食べた後に運動とかやってられないっての」

「そうだね。最初は体力テストをやっていくらしいから、今日は持久走じゃないといいなぁ」

「外でやる体力テストって、持久走・50M走・立ち幅跳び・ハンドボール投げしかなくない? 長座体前屈・上体起こし・反復横とび・握力は体育館でやったりするじゃん」

 

 クラスの人数を考えると、それらを全てやるには最低でも野外と屋内で各二時間ずつは必要だろう。

 走る種目を同日に行うとは思えないので、持久走にしろ50M走にしろ、今日は走らなければならない事がほぼ確定し、ゆかりはがっくりと肩を落とした。

 それを風花が慰めようとしている後ろでは、普段はおろしている髪をゴムでポニーテールにしたチドリと美紀が並んで歩いていた。

 部活はまだ許可が下りていないが、佐久間から後は部室の調整だけだと聞いているため、同じ部員ということで美紀の方から話しかけるようになったのである。

 

「吉野さんは運動は得意ですか?」

「普通。でも、疲れるのは嫌い」

 

 実際のところ、チドリの運動能力は同年代男子よりも上なのだが、チドリは他の同年代がどれだけ動けるか知らないので、自分が思っていることを素直に答えた。

 そんな淡々と答えるチドリに、美紀は口元に握った右手を当てながらくすくすと苦笑で返す。

 美紀自身、そこまで他人に誇れるほど運動が得意という訳ではないが、兄がボクシング部のエースということで、妹にも期待がかかって様々な運動部から勧誘された。

 中にはマネージャーになってくれと言ってきた男子部もあり、そのような部活は兄である真田が『お話』して来なくなったが、今でも選手として試しに入部しないかと誘われることもある。

 本人としては、当初から部活は一つの文化部だけで良いと考えていたので、美術工芸部に決めた以上は、他のどこにも入るつもりはない。

 しかし、かけ持ちでも良いからと必死にお願いされて、それを断るのも心苦しく思っていたので、ここで少しばかり手を抜いて、クラスメイト経由で「真田美紀は運動はからっきし」という噂を広めてみるのも良いかもしれないと考えた。

 

(……でも、やっぱり駄目ですね。皆が頑張っているのに、一人だけ手を抜くのは良くないです)

 

 本日の種目はまだ分かっていないが、先ほどまで考えていた事を頭から振り払う。

 風花と同じように何事にも真摯な性格をしている美紀は、仮に勧誘が増えるとしても、卑怯なことは良くないと、一生懸命に今日の授業に臨むことにした。

 そうして、顔をあげて女子よりも先にグラウンドに集まっていた男子たちの方を見る。

 その中に、同じ部活の唯一の男子メンバーで、尚且つ、学年で自分よりも上の成績である湊を見つけ、一人で何をしているのかジッと見つめると、湊だけ服装が浮いていることに気付いた。

 前を歩いていたゆかりも同じ事に気付いたのだろう、美紀が言うよりも早く口に出していた。

 

「……なんでブーツやねん」

「あれ、岳羽さんって関西の出身だったの?」

「え? いや、京都にいたこともあるけど、関東の人間だよ?」

 

 やった後に自分でも後悔するような下手なノリツッコミをしてしまったのだが、風花が違う部分に食いついてきたので、耳だけ赤くしながらゆかりはそのまま会話を続ける。

 ゆかりの言った通り、湊も他の者と同じように体操着に着替えていたが、上は長袖のジャージを着ており、靴は運動靴ではなく脛辺りまである革のブーツだった。

 マフラーを装備したまま、チョーカーもしていたので、流石に運動時に怪我をする可能性を考えて教師からストップがかかるのではないかと思えた。

 そして、そんな事を考えつつ話しながら歩いて行き、グラウンドに下りる階段に座って本を読んでいた湊の元までやってくると、一番初めにゆかりが声をかけた。

 

「君さ、もうちょい運動しやすい格好にしようよ」

「……俺、見学だし」

「もしかして体調悪いの? 保健室に行くなら一緒に行こうか?」

「そういうのじゃない。とりあえず、医者の診断書は学校に渡しているから、体育は基本的に見学だ」

 

 風花が様子を窺うため、心配そうな表情で腰を屈めて顔を近づけてくると、湊はその額を軽く手で押して距離を取りつつ訳を話した。

 もっとも、その診断書は知り合いの医者に書かせた虚偽の内容であり、湊の身体はいたって健康そのものだ。

 だが、無駄な体力を使いたくないという理由で、そんな真似をしている事を知っているチドリは、ムスッとしながら湊に不満の籠った目を向けている。

 他の三人はチドリの表情に気付かず、もしや、湊は何か重い病気を患っているのではないかと心配そうに見ていた。

 

***

 

 湊とチドリの存在は生徒だけでなく、教師の間でも話題となっている。

 二人の目と髪が後天的ながら天然であると知っているのは、入学前に保護者である桜から学校用の診断書を受け取って読んだ者たちのみで、担任である佐久間と保健室の養護教員、中等部の校長と教頭の四名だけである。

 そして、事情を知らない多くの教師は、湊はカラーコンタクトをつけ、チドリは髪を染めていると思っているのだ。

 無論、ただ勝手にそう思っている訳ではなく、二人がピアスを初めとしたアクセサリーを多数身に着けているため、同じようにファッションの延長線上と考えて判断しているのだが、授業を担当する教師の対応は大きく分けて三通りだった。

 まず最も多いのは、教師らしく二人の格好を注意し、湊の冷たい視線で睨まれながら学校側に許可を取っていると言われ、かなりの精神的疲労を感じて授業に入っていくタイプ。

 次に多いのは、二人の姿を見て蔑むような視線を送ると、不快そうにしながら無視して授業を進めるタイプで、出席を取った後は、湊が窓の外を眺めていようが、完全にいないものとして他の生徒のみを相手にして授業をしていた。

 そして、最後に、これは女性教師に多かったのだが、初めから注意などせず完全に二人に怯えて恐る恐る授業を進めるタイプで、不良という人種に免疫がないらしく、ただ黙って席に座っているだけの二人に見られるだけで挙動不審になっていた。

 以上の三種、疲弊・無視・怯えと極端な反応をみせているが、1-Dの体育を担当する体育科の盛本(もりもと)は、同僚達の情けない態度を見て、自分はガツンと言ってやると意気込んでいた。

 身長は一九四センチ、髪型は角刈り、ピッシリとした白のポロシャツに下は黒のジャージで、首からホイッスルとストップウォッチを下げてグラウンドまで下りてくる。

 高校と大学時代にラグビーをしていて、今年で三十二歳だが、トレーニングの賜物か未だに現役時代と変わらぬ体型を維持していた。

 

(うーむ……お、あの二人か、見るからに柄の悪いクズだな)

 

 集まっている生徒の中に、一際目立つ髪色の女子と服装の男子を見つけ、同僚達から聞いていた特徴と一致することから、ニヤニヤと笑いながら二人が噂の人物であると理解する。

 教師がやってきた事で、喋っていた生徒らが集まってくる中、湊だけはただ一人階段で本を読んでいたため盛本は顔を顰めるが、粛清は他の者に指示を出してからだと我慢した。

 

「おーし、集まっているな。俺がお前たちの体育を担当する盛本だ。部活は男子バスケ部の顧問をしている。女子は今年だけだが、男子は来年も担当するかもしれんから、今から胡麻をすっていた方が良いぞぉ。アッハッハッハ!」

 

 最後に冗談めかして豪快に笑い、まずは体育会系の教師であることをアピールする。

 自己紹介の際に、わずかにジョークを挿む事で、生徒たちの印象を良くしておく狙いもあり、生徒の大半が笑ったことで狙いは成功したと内心でも笑った。

 

「それじゃあ、まずは基本の並びを作るぞ。火曜日に測った身長は覚えているな? 男女別で一列に並べ。お前らから見ると左に行くほど背が高くなるようにな」

 

 盛本が指示を出すと、男女別に分かれた生徒がお互いの身長を教え合って正確に背の順を作ってゆく。

 男子の何名かは、離れた場所にいる湊に視線を送ったりもしていたが、盛本が、

 

「並んでないヤツと欠席してるヤツは気にするな」

 

 と言ったので、今いる者だけで並ぶことになった。

 そうして、男女背の順で二列が出来ると、生徒の動きを見ていた盛本が続いての指示を出す。

 

「これが基本の二列横隊だ。縦並びなら縦隊というから覚えておけよ。次に点呼を取るが、俺が“番号”と言ったら、お前らは右から順に数を言っていけ。ただし、四は“し”、七は“しち”と発音するように。男女ともお互いに釣られるなよ? それでは、番号!」

 

 盛本の掛け声とともに、生徒は順に番号を言っていく。小学校では習わなかったことなので、何やら慣れない様子だが、お互いに釣られて間違えるということなく言い切る事が出来た。

 生徒の中には声の小さい者もいたが、盛本の今日の目的は既に決まっている。よって、声が小さい者は次回以降に直させることにして、次の動きの指示を飛ばす。

 

「では、女子は大きく一歩後ろに下がれ。そして、点呼で偶数を言った者は、斜め右後方に一歩動くんだ。つまり、いま右に立っている者の後ろという事だな。……よし、空いたところは右に詰めろ、これが四列横隊だ。次回からは、授業開始の時点でこの並びで整列しておくようにな」

 

 それだけ言うと、盛本は生徒をその場に座らせて出席を取り始めた。

 離れた場所で本を読んでいた湊も返事をしたので、一応、出席に丸印をつけると、出席を取り終わってから生徒らを体操するため広がらせた。

 次回からは、日直の生徒が掛け声の当番をするようになるが、今回は手本を見せると言って準備運動をさせてゆく。

 準備運動が終わると、続けて腕立て二十回、前後のペアで腹筋三十回と馬跳び二十回をさせて元の隊形に戻らせる。

 そして、今からトラックを一周走らせるのだが、その前に盛本は二人の生徒の名を呼んだ。

 

「よし、それでは今からこの隊列のままトラック一周走って来い。だが、吉野、有里、お前らは俺のとこに来い」

「……何か用?」

「何だ、その口の利き方は!」

 

 呼ばれたチドリが列から外れて盛本の前に出ると、盛本はチドリの言葉使いを注意した。

 相手によって敬語も使える湊と違い、チドリは誰が相手であってもタメ口+呼び捨てが基本であったため、教師である盛本がそれを注意する事はなにもおかしくはない。

 学校というのは、社会に出る前に最低限の教養とマナーを学ぶ場なので、仮に心の中で相手を見下していようが、目上の者には敬語を使うように言う事は至極真っ当なことだ。

 だが、大男がいきなり幼い女生徒を怒鳴りつけるというのは、いくら礼節を教えるためであっても、周囲からすれば良いようには見られない。

 走り出そうとしていた生徒達も、盛本の声を聞くと一体何だと、立ち止まって怪訝そうに事の成り行きを見ていた。

 チドリを注意していた盛本は生徒のそんな様子に気付かず、腕組みをして胸を張ると、自身よりも三十センチ以上も背の低い相手を見下すように声を張り上げた。

 

「お前は学校をなんだと思っているんだ! 学生のくせにピアスなんぞ開け、髪もド派手な色に染めて。ここはファッションショーの会場じゃないんだぞ!」

「これ、地毛なんだけど?」

「そんな日本人いるか! 俺が黒く染め直してやる、こっちに来い!」

「痛っ」

 

 髪を染めてきた生徒がいた場合、それを染め直せるように黒の髪染めスプレーが職員室には常備されている。

 その事は、該当生徒がいた場合に教師が染め直すという事を含めて、入学案内の時点で告知していたので、そこまで連れていこうと盛本はチドリの腕を掴んだ。

 だが、あまりに乱暴に強く掴まれ、チドリが声をあげると、その声に反応し動く影があった。

 

「お前、その手を離せ」

「……あ?」

「さっさと離れろ。チドリに触れるな」

 

 読んでいた本を階段に置いたまま、湊は目を大きく開いて立ち上がり階段を降りてきた。

 低く感情の抑えられた声は、中学生に出せるレベルを超えた尋常ならざる凄みを含んでいる。

 しかし、所詮は中学生だと、チドリの腕を掴んだまま振り返った盛本は、自分に命令してくる湊に注意した。

 

「お前もか、有里! 目上の人間には敬語を使えと教わっとらんのか!」

「……いいから離せって言ってるだろ」

「っ!?」

 

 やってきた湊は、相手の言葉を無視してチドリの腕を掴んでいた相手の腕を強く握る。

 そのあまりの強さに怯んだ盛本は、掴んでいた腕を離し、湊の腕から逃れるように腕を振って数歩下がった。

 離れて湊に掴まれた部位を見ると、十秒にも満たない時間しか掴まれていなかったというのに、くっきりと指の痕がついている。

 本人にその意思はなくとも、先にチドリに暴力を振るったのは自分だということも忘れ、盛本は湊を睨むと怒声を張り上げた。

 

「貴様、教師に暴力を振るったな! 生徒がそんな真似をして良いと思っているのか!」

「俺は腕を掴んだだけだ。お前もチドリにやったことだろう?」

「学園始まって以来の問題行為だぞ! 貴様を停学にして保護者を呼び出してやるからな! 退学も覚悟しておけ!」

 

 頭に血が上っているためか、話を全く聞いていない相手に、湊もチドリも嘆息して呆れたような視線を向ける。

 それがさらに頭に来たのか、盛本は湊に近付いて襟元を掴むと、身長差を利用して相手を持ち上げた。

 身体ではなく、服を掴んで持ち上げるには、かなりの力で服を引っ張らないと支えられないため、掴まれている方は首が絞まるのだが、激昂している相手は気付かず言葉を続ける。

 

「どこまでも大人を馬鹿にしおって! 生徒が一丁前に教師に逆らうな!」

「……っ」

 

 言った直後、盛本は右腕を振り抜いて湊の頬を殴りつけた。

 掴まれていた手を離されたことで、浮いた状態で攻撃を喰らった湊は、殴られた勢いで倒れて地面を転がった。

 

「有里君っ!?」

 

 様子を見ていた生徒からどよめきが起こり、ゆかりたち部活メンバーが心配して駆け寄ってくると、他の生徒も同じように集まってくる。

 一方、傍にいたチドリは目を見開き、直後に殺意の籠った視線を敵に向けるが、敵の殲滅よりも先に倒れた湊を気遣って傍らにしゃがみ様子を尋ねた。

 

「湊、大丈夫?」

「……口の中、切った」

 

 口元を拭いながら立ち上がり、横を向いて唾を吐くと、確かに赤いモノが混じっていた。

 それを見た風花や何人かの女子から息を飲む音が聞こえてくるが、立ち上がった湊は、他の者を下がらせると、敵と定めた者を真っ直ぐ視線で捉えた。

 

「……先に手を出したのはお前だぞ」

 

 言い終わったときには、湊は一歩を踏み出し、二歩目に右足で固い地面を踏み抜いて、空中を滑るように移動していた。

 その一連の行動が行われるまで僅か一秒、そして、相手の目の前に左足で着地した瞬間、周囲にバンッ、と何かの炸裂音が響き、空中で腰溜めにされていた右腕が真っ直ぐ打ち抜かれた。

 

「っ……おぼぇっ!?」

 

 腹部を殴られた盛本は、足と腹筋に力を籠めたにもかかわらず、踏ん張りきれず後方に吹き飛び地面を転がると、止まったときには苦しそうに胃の中身を嘔吐し、咳き込んでいた。

 湊の一撃が決まり、吹き飛んだ相手が止まるまで、実際には六秒はかかっていたが、武道の試合はおろか、殴り合いの喧嘩もほとんど見たことの無い生徒達は、一瞬のことで何が何だかと状況が呑み込めていなかった。

 しかし、同じクラスの少年が三十センチ以上も身長差のある巨漢を、拳の一撃で吹き飛ばし、沈めたという事実だけは理解出来た。

 

「……あ……り、さとぉ!」

 

 転がったときについたのか、顔を土で汚した盛本が顔色を青くしながらも、地面に蹲ったまま恨めしそうに湊を睨んでいる。

 怨嗟の声を吐いた直後、再び咳き込んでいるが、湊のまわりにいる女子は冷たい視線でそれを見ている。

 どうやら、今まで湊に恐怖感情を持っていた者も、激昂して先に手をあげた大人には強い不信感を抱いたらしい。

 そして、以前、湊に朝の挨拶をしてきた女子が、湊の傍にやってくると声をかけた。

 

「有里君、口の中切ったなら保健室行こうよ。私、今日は日直で保険室の場所も知ってるから連れて行ってあげる」

「……必要ない、すぐに止まる」

「有里君の怪我を放っておいたら、私が怒られちゃうの。だから、お願いだから案内させて?」

 

 腕を引っ張られてそう言われてしまうと、そこまで強く拒否しようと思っていない湊は従うしかない。

 俯き小さく溜め息を吐くと、顔をあげて頷いて返した。

 そのように湊の了承を得られた女子は、嬉しそうな輝く笑顔を見せ、吐瀉物の傍で蹲ったままの盛本を迂回するように階段まで進み、湊の本を回収すると階段を上がって行った。

 

「お、おい、お前たち! ごほっ、ごほっ……まだ、授業は終わってないぞ! 戻れー!」

 

 まだ授業時間は三十分ほど残っているが、日直の女子の後ろを続く湊のさらに後を、クラスの女子たち全員がついてゆく。

 腹部を押さえてよろよろと立ち上がった盛本が制止の声をかけるが、誰一人として振り返らずに帰って行ってしまい。

 慌てて盛本が帰って行く者らを追おうとするも、先ほどの一撃でかなり深いダメージを負ってしまったため、数歩進んだだけでよろけて地面に膝をつく羽目になり。階段に手をついて悔しそうに「くそっ、くそっ」と呟いていた。

 全員が湊を案じてついて行った訳ではないが、真面目な美紀や風花でさえ、今回の盛本の行動は許せないと授業のボイコットを決めた辺りに、女子たちの本気度が伺える。

 そうして、自分たちはどうすべきかと悩み、帰るタイミングを逃した男子たちは、授業終了のチャイムがなるまでグラウンドで立ちつくしていた。

 

――保健室

 

 湊は更衣室で着替えると、日直の女子と合流し、一緒にいたチドリと風花と共に中等部の保健室へやってきた。

 本当は何人も同行したがっていたが、いつの間にか委員長のような立場になっていた美紀があまりに大人数で行くのもどうかと諌め、他の女子を大人しく引き下がらせると、学校へ向けた授業をボイコットした理由説明をまとめておくと言って教室へ帰って行った。

 そうして、保健室へ向かう先頭を歩いていた湊が扉に手をかけ開くと、中にいた女性の一人が慌てた様子で何かを隠そうとしていた。

 

「わわっ、有里君だ! 姫子センセ、隠して隠して!」

「そうは言っても、既に見つかっているからな。無駄だと思うぞ?」

 

 何故、彼女がここに居るかは不明だが、湊が入ってきたことに気付いた佐久間は、中等部の保険医である女性にビールの缶を渡そうとする。

 しかし、保険医の言う通り、湊は佐久間が持っている缶の柄を既に見て記憶していた。

 故に、冷めた瞳を向けると、佐久間はしょんぼりと肩を落として勝手に言い訳を始める。

 

「び、ビールじゃないもん。ノンアルコールのビール風飲料だもん」

「……仕事はどうした?」

「フフン、先生は金曜の五限はお休みなのです。なので、お友達の姫子先生と酒盛りをしてました」

「……帰れ」

 

 一応、話を聞いてやったが時間の無駄だったと嘆息すると、湊はすぐにばっさりと切り捨ててやる。

 すると、佐久間は中身のまだ入った缶を保険医の使っている事務机に置き、湊の腰に向かってタックルした。

 

「うわーん、見捨てないでー」

「うぐぅ……っ」

 

 その、全身砲弾と呼べそうな見事なタックルを喰らった湊は、歯を食いしばり何とか倒されないよう耐えきるが、刹那の瞬間だけ瞳が蒼くなった事をチドリは見逃さなかった。

 そうして、普段の瞳に戻っていても、湊が多大なストレスを感じていると理解したチドリは、湊の腰に抱きついたままの担任の脇腹を、靴の底で強く押しやった。

 

「わきゃーっ!?」

 

 急に横から力が加わると、バランスを崩した佐久間はそのままひっくり返る形で倒れる。

 他の女子二人と保険医が少々驚いた顔をしたが、このままストレスを感じ続けると、湊の瞳が蒼くなってしまうので、それを阻止するために元凶を断つのは止むを得なかった。

 倒れたときに後頭部を打ったのか、佐久間は手でさすりながら起き上がり、自身を文字通り足蹴にした生徒に非難の声をぶつける。

 

「先生を足蹴にしたなー! 吉野さんだけ夏休みの宿題多めにだすからねっ」

「……それより、湊が盛本とか言うゴリラに殴られて口の中切った」

「ん? ああ、本当に用事があってきたのか。なら、ほれ、私の膝を枕に寝て口の中を見せてみろ」

 

 チドリの言葉を聞いた保険医はやれやれという表情を見せるも、すぐに長椅子に移ると自身の膝をポンポンと叩いて湊を誘った。

 そんな保険医の名前は、櫛名田 姫子(くしなだ ひめこ)。今年で二十六歳で佐久間よりも長身だが胸は標準サイズであり、何故か高等部の女子制服の上に白衣を羽織っている。

 服装に目を瞑れば、その尊大な口調も雰囲気も大人の女性と言える分、何かと子どもっぽい佐久間よりはマシかもしれない。

 ただし、腰まで伸ばしている艶髪のところどころに寝癖のような跳ねっ毛があり、四つあるベッドの内の一つに携帯ゲーム機やお菓子が置いてあることから、暇なときはそこで寝ているのが丸分かりであるため、実際は同じくらいに残念な相手であった。

 そうして、櫛名田に膝へと誘われた湊が、一体どんな対応を見せるか他の者が注目していると、湊は棚にあったグラスの一つをとって、それに水道水を入れて口を濯ぎ出す。

 

「……ふむ」

 

 無言で誘いを断られた櫛名田は、眉を寄せて不満そうにするが、湊の吐く水が朱に染まっているのがチラリと見えたので、薬棚に向かうと、口の中に貼れる絆創膏のような役目を果たす透明なシートを取り出した。

 

「ほら、これを切った部分に貼るといい。貼り方は切手とほぼ同じだ。ただし、患部周辺は乾かしておけよ。なんなら、私が貼れる状態に」

 

 相手の言う事も無視して、近くにあったティッシュで患部の周辺を拭くと、湊はシートを水で濡らして口内の粘膜に貼りつけた。

 最初は変な感じがしたのか、口をモゴモゴとさせていたが、すぐに慣れたようで、櫛名田のプライベートスペースと化したベッドに向かい、湊は一枚ずつ小分けになったソフトクッキーの大袋を手に取り、そこから一つ取り出し食べ始めた。

 口の中を切ったというのに大丈夫かと女子たちが心配する中、起き上がりノンアルコールのビールの残りをあおっていた佐久間は、長椅子に腰をおろして湊に話しかける。

 

「ねぇねぇ、盛本って体育科の盛本先生だよね? なんで殴られちゃったの?」

「あいつ、私の髪が地毛だって知らなくて、染め直してやるって腕を強く掴まれたの。それで湊が怒って腕を離させたら、今度はキレて教師に逆らうなって」

「なんとも勘違いしたやつが居たものだな。それは他の奴らも見ていたのか?」

 

 櫛名田が尋ねると、風花たちがしっかりと頷いた。それを見て、佐久間と櫛名田は視線を交差させ、佐久間が頷いて返す。

 そして、櫛名田が引き出しから書類を取り出し、机の上の羽根ペンで何かを書き始めた。

 

「……殴られたのは左の頬だな。濯いだ水が赤くなるほど出血していたようだし、病院への紹介状を書いてやろう。まったく、原人め、大切な生徒に手を出すとは」

 

 実を言えば、血はここへ来るまでに止まりかけていた。

 しかし、先ほどの佐久間のタックルを受けた際に、歯を食いしばるほど力を籠めてしまい、再度傷口が開いたのである。

 湊たちが制服に着替えているため、殴られてから経っている時間を計算した櫛名田はその可能性にも気付いているが、被害を受けた当人が何も言わないので、可愛いヤツめと思いながら佐久間には伝えないでいた。

 すると、湊が再び出血した原因に気付いていない社会科教師が話に加わる。

 

「歴史を専門にしてる私としては、原人と一緒にして欲しくないんですけどねー。でも、教頭先生には他の先生方に連絡してくれるよう私の方から言っておきます。ゴメンね、二人とも。先生たちがちゃんと髪のこととか連絡してなかったせいで嫌な思いさせちゃって……」

 

 心から申し訳なく思っているように表情をくしゃりとさせると、佐久間は湊とチドリに深々と頭を下げ謝罪した。

 風花と日直の女子は、担任が頭を下げて謝っていることに衝撃を受けているようだが、確かに事前に事情を学校側に伝えていたのに、それが全ての教職員に伝わっていなかったのは学校側のミスだ。

 今回の件も、学校側が事情説明を怠らずしっかりとしていれば防げた事態であるし、盛本の軽率な行動も十分に問題だが、世論を考えた場合の責任は学校と盛本で4:6の割合ほどになるだろう。

 当然、教師が生徒に手を出したということで保護者に連絡がいくだろうが、それを桜たちから聞いた喧嘩っ早い組員たちは全面戦争だと意気込むかもしれない。

 佐久間は以前に家に行った事があるので二人の家が極道だと知っているが、無論、そうなる可能性を考慮して謝罪した訳ではないだろう。自分たちの責任で生徒に怪我を負わせてしまった。その事を心から申し訳なく思っているだけだ。

 そうして、佐久間がいつまでも頭を下げていると、湊は傍まで近付き後ろ襟を掴んで引っ張り上げた。

 

「わわっ、ちょと、有里君っ!?」

「……別に謝ってもらう必要はない。けど、体育の担当教官は、チドリや他の女子のためにも替えてやって欲しい」

「あ、うん。教頭先生と学年主任に言えば。一年のもう半分のクラスを受け持ってる柿原(かきはら)先生っていう女性の先生に替えて頂けると思う。二人の事も、今日の放課後に言っておくから、また連絡するね」

 

 顔をあげた佐久間の頭に湊はポンポンと優しく二度ほど手を置いた。

 身長で言えば湊の方が低いが、生徒にされたことでも嬉しかったようで佐久間の顔に明るさが戻り、にっこりと笑って喜んでいる。

 佐久間に元気が戻ったことで風花と日直の女子が安心していると、紹介状を書き終えた櫛名田が冷めた表情で湊を見つめ、書類を手渡した。

 

「……童貞にしては、随分と女の扱いに慣れているな。騒ぎに巻き込まれるトラブルメーカー体質だと見抜き、入学より目を付けて楽しみにしていたが、その様子だと女性関係での問題も起こしそうだ。これは大人・医者・教師・女の四つの立場からの忠告だが、責任を取るつもりがないならするな。人間なら欲望に理性で勝て……余談だが、私は二十六だがまだ処女だぞ?」

「帰るぞ。こいつらの傍にいるのは、お前たちの教育上よくない」

「……あれ? 先生も含まれてる? 有里君、それはあんまりだよ! 先生は姫子先生みたいに歪んだ趣味はしてないもん!」

 

 女子たちの背中を押して保健室を出ようとしている湊に、佐久間は人差し指だけ伸ばした手を頭の横にやり、鬼の角を表し自分が怒っているとアピールして抗議する。

 就業時間中にノンアルコールとはいえ、ビールを飲んでいた者にそのように言われた櫛名田は眉を顰めるが、湊と佐久間が揃ってこき下ろすのには理由がある。

 櫛名田の表向きの趣味はゲームとアニメ観賞だが、本人が生き甲斐にしているのは騒ぎを第三者の立場で眺めること。また、美しい者が浮かべる様々な表情を眺め、性別を問わず時にB辺りまでつまみ食いするのも趣味だったりする。

 今年から中等部にやってきた二人は、流石につまみ食いの事はまだ知らないが、何かにつけて湊へセクハラを働こうとしているのは体験・目撃しているため、被害者と生徒を守る教師として警戒していた。

 故に、湊は櫛名田が自分以外に目を付けないよう佐久間の言葉に何も返さず、そのまま急いで出て教室へと帰っていったのだった。

 その後、佐久間も終わりのホームルームをするため職員室に一度帰ると言って保健室を出ていき、職員室で湊を退学にすべきだと騒いでいた盛本を、頬にシステマのストライクを放つという力技で黙らせ。

 ホームルームを終えて帰ってきたときには、櫛名田と共に五限目での盛本の行動を話し、教頭には教師陣に湊たちの瞳と髪の事情説明の徹底を誓わせ、最後に体育教官の変更までを約束させた。

 それにより、湊が盛本を殴ったことは正当防衛だと不問とされ、盛本は三割の減給六ヶ月の処分がくだり、中等部校長・教頭・盛本が揃って日曜日に菓子折を持って二人と保護者に謝罪に行くという結果になった。

 その際、子どもたちは眞宵堂のバイトに行っていたのでいなかったが、応対した桜が組員も縮みあがるような凄みを見せたため。以降、謝罪に行った三名は、子どもたち二人に対し常に低姿勢で接するようになったのだった。

 

 

 


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