【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三十三話 後篇 部活-勧誘-

――教室

 

 屋上から校舎に入ると、湊は本人曰く拾ったものだという鍵を使い、屋上への扉の鍵をしめて教室へ向かった。

 幸いにも教師に出入りの瞬間を見られずに済み、ゆかりと風花はホッと胸を撫で下ろしていたが、四人が教室に戻り各自の席に戻ると、出て行くときの騒ぎを見ていた者から大丈夫だったかとゆかりは尋ねられた。

 無論、ただ一緒に昼を食べただけなので何の問題もなく、「一緒にお昼食べただけだよ」と返しておいたが、現在ゆかりと風花の意識は湊に向いていた。

 美紀は昼食を食べ終えたのか、いまは自分の席で他の女子と雑談をしている。

 湊が帰ってきたことで、一瞬そちらに視線を向けたが、すぐに話している女子へと戻したので、お互いの間にはまだ何も存在しない。

 そうして、机の横に鞄をかけ終えた湊がどんな風に話しを切り出すのか見ていると、湊は立ち上がり相手の肩を軽く叩き、目線的に見下す形で話しかけた。

 

「……もうどこの部活に所属するかは決めてる?」

「え? う、ううん。見学してからにしようと思って、まだ決めてませんけど」

 

 談話中に声をかけられた美紀は少し戸惑ったようだが、特に嫌な顔もせずに答える。一緒に話していた女子は、一人は怖がり、一人は怖がりながらも湊の顔をジッと見つめている。

 自分の席からそれを眺めていたゆかりは、やはり怖くても顔が良いのは認められているのだなと思ったりもしたが、湊がどんな失礼な発言をするか分からない。

 故に、いつでも乱入できるよう構えて次の発言を待った。

 そして、ゆかりの想像通りに湊は一方的に用件を告げる。

 

「なら、美術工芸部に入れば良い。いまなら部長の席も空いてる」

「え、あ……はい?」

「今日の放課後にミーティングのようなことするから、勝手に帰らないように、以上」

 

 言われた美紀は、首をかしげて頭の上にクエスチョンマークを浮かべているが、用件はそれだけだと湊は席に戻り読書を始めてしまった。

 これでは、相手も何が何だかという感じで、本当に放課後に待っていなければならないのか悩むだろう。

 再度尋ねようにも、湊はイヤホンを付けた状態で読書しているため、相手を気遣える美紀は邪魔をするのは悪いと思い躊躇っている。

 そうして、ゆかりがちゃんと説明しようと立ち上がったところで、教室に誰かが入ってきた。

 

「あ、兄さん、それに真次さんも」

 

 やってきた人物をみて呟いたのは美紀だった。

 一人は短めの髪をした少し肌の白い少年・真田明彦、もう一人は身体付きのしっかりした目付きの鋭い男子・荒垣 真次郎(あらがき しんじろう)

 二人の手には筆記具と教科書類があり、五限目は移動教室なのだろう。だが、その途中にわざわざ真田が妹の様子を見に来たため、一緒に行動していた荒垣は幼馴染の過保護っぷりに呆れているという訳だ。

 教室に入ってきた真田の姿を見て、何人かの男子がびくりと身体を震わせている中、湊だけは視線も向けず読書を続けている。

 すると、真田はそのまま湊の机まで進み声をかけた。

 

「なぁ、君、今日の放課後にボクシング部に見学に来いよ。俺がマンツーマンで運動の楽しさを教えてやるからさ」

 

 最後にキランッと光るエフェクトがかかりそうな、口調は優しく表情は爽やかな笑顔の先輩を演出しているが、目だけはギラギラとしていて一切笑っていないことに周囲も気付く。

 先日、妹を放課後の遊びに誘った男子にも同じような口調と表情で声をかけたのだ。つまり、真田は湊に妹と遊ぶ許可を貰いに来いと言っているのである。

 だが、言われた本人は顔も向けず読書を続けていた。

 これには後ろで成り行きを見守っていた荒垣も、「肝が据わってんな」と僅かに感心する。

 しかし、真田はイヤホンをしていて聞こえなかった可能性もあるとして、相手の肩を掴むと再び声をかけた。

 

「なぁ、放課後、少しボクシング部に来てくれないか? 俺は真田明彦、真田美紀の兄だ。さっき偶然教室の前を通ったときに、君が妹を放課後に誘っているのが見えてね。ぜひ、少し話がしたいんだが、良いだろうか?」

「……放課後は用事がある」

 

 肩を掴む手に力が徐々に籠もっていく事で、湊も本を閉じるとイヤホンを外し、面倒そうに真田を見返して答えた。

 それを聞いた真田の表情は引き攣り、直前までの“良い先輩”の仮面を脱いで厳しい目を向けた。

 

「その用事は美紀に関係しているんだろう? 俺は適当な人間を妹に関わらせるつもりはない。お前が美紀と関わるに相応しいか、実際に確かめてやる。だから、放課後にボクシング部に来い」

「用事があるって言っただろ。先に決まってた予定を遅らせて別の予定を入れるってのは、適当な人間がやることじゃないんですか?」

「っ……相手の了承は俺が取ってやる。それなら良いだろ?」

「俺に行く気がない。それで話は終わりだ。昼休みが終わる前に移動した方が良いですよ、“お兄さん”」

「っ!!」

 

 湊にお兄さんと呼ばれた真田は、目を見開き持っていた物を後ろに放ると、座っていた湊の制服の胸倉を掴んで無理矢理に立たせた。

 一触即発の状況に、クラスの女子が悲鳴をあげるが、流石にボクシングをしているだけあって、真田は相手を殴ったりはしなかった。

 ただし、手は未だに制服を掴んでおり、手に力が籠もるにつれ湊の首を圧迫してゆく。

 

「……お前にそんな呼ばれ方をされる筋合いはない」

「……それで?」

「二度と俺をそんな風に呼ぶな。そして、放課後は部室に来い。でなければ、美紀と関わる事は許さない」

「……部室にはいかない。けど、お前が好きそうな遊びを一つしてやる」

 

 少しの間を置いて答えると、湊は真田の腕を振り払って教卓まで進んだ。そして、真田にも来るよう合図をすると、二人は教卓を挿んで向かい合う形になる。

 

「放課後って3Rもスパーリングに付き合わなきゃいけないんだろ? それは面倒だから、今ここで腕相撲しよう。一回勝負、腕はお前が決める、ルールはそれだけだ」

「お前が勝てば美紀と遊ぶ事を許可しろっていうのか」

「それは真田自身が判断する事だと思うけど、先輩が納得しないようなので、まぁ一応」

 

 確かに、どのような相手と交友関係を結ぶかは美紀が決めることであり、真田は「友達はちゃんと信頼できる相手を選べよ」ということくらいしか出来ない。

 だが、男子に関しては兄として妹を守るのが義務だと思っている。

 見るからに柄の悪い男、それが妹と放課後に遊ぼうとしているなど、絶対に阻止しなければならない。

 そうして、真田は利き腕である右腕を構えた。

 

「……シンジ、コールを頼む」

「ああ? ったく、勝負がついたらグダグダ言うんじゃねえぞ」

 

 先ほど真田が放り投げた物を拾っていた荒垣は、自分の荷物も合わせて美紀に預けると、右手をがっしりと組み合って構えている二人の横に立った。

 ちゃんと教室の者にも見えるよう黒板側に立つ辺り、荒垣という人間の気遣いと性格の良さが伺える。そして、レフェリーとなって湊を間近で見た本人は、周囲に気を遣いながらも幼馴染の対戦相手を観察していた。

 ブレザーで腕の太さは見えないが、身体付きを考えると湊は他の同級生よりもしっかりと鍛えているように見える。

 対して、真田はボクシング部のエースだけあって、線は細い様に見えるが、その中身の筋肉は誰よりも良質に仕上げてある。

 となれば、一つ年上の真田の方が身体が出来上がりつつある分有利に思えるが、結局、勝った者が強いのだ。

 結果が出る直前にあれこれと考えるだけ無駄だと、観察を終えた荒垣はレフェリーとしての仕事を全うする事にした。

 

「いくぜ。レディ……ファイト!」

 

 組み合った手の上に自分の手を乗せると、コールと同時に荒垣はそれを放す。

 

「はあぁぁぁっ!」

 

 瞬間、真田は左手で教卓を掴み、身体ごと力を入れて湊の右手を倒そうとする。

 腕まくりして見えている腕の筋肉が隆起し、女子の何名かは真剣な表情と共にそれに見惚れていた。

 

「……はい、終わり」

 

 だが、真田の気合を無視するように、勝敗はあっさりと決まった。

 普段とまったく変わらない表情で、特別に力を籠めた様には見えない。実際、真田の手の甲が教卓に着くまでは、決して速くない一定のペースで動いていた。

 それだけに、周りで見ていた者は、一体何があってあっさりと勝負がついたのか理解できなかった。

 無論、負けた本人の衝撃は、その比ではないだろうが。

 

「俺が、負けた?」

「おい、アキ、今どうなったんだ?」

 

 驚愕の表情で放された自分の手を見ていた真田に、状況を把握できず心配した荒垣が声をかける。

 それでようやく我に返ったのか、真田は悔しそうに拳を握り、それを震わせながら答えた。

 

「俺の負けだ。力を籠めてもびくともしなかった。それで逆に、あっさりと……おい、お前、名前は?」

「……瀬多 総司(せた そうじ)

「瀬多か。お前の名前、覚えたぞ。今日の放課後に遊ぶ事は許可してやる。だが、カラオケなど個室に二人きりになる場所で遊ぶことは許さん。そのときは俺に伺いを立てろ。いいな?」

「……了解」

 

 相手の返事を聞いてこの場は納得することにしたのか、真田は荒垣から荷物を受け取ると、美紀に「午後も頑張れよ」と声をかけて帰っていった。

 その後ろにいた荒垣は、真田が教室から出て行ったことを確認してから、

 

「騒がしくして悪かったな。ありゃ、病気みたいなもんだから、気にせず美紀と仲良くしてやってくれ」

 

 とクラスメイトにしっかりとフォローを入れていた。

 一同は去って行った上級生二人にやや呆然としていたが、少々強面でも荒垣が良い人であることは理解した。

 そうして、その上級生と騒ぎを起こした張本人は、何故、あの場面で偽名を名乗ったかという疑問を残し、クラスメイトとまた溝を深めたのだった。

 

 

放課後――ラーニング・コモンズ

 

 放課後、ゆかり達は湊の言っていた通りに集まっていた。

 だが、集まっている場所は中等部ではなく、高等部の図書館の中にある部屋だった。

 ここへと連れてきたのは湊で、高等部の施設を利用した事の無い佐久間も、遠くを眺めるように指を伸ばした右手を目の上辺りに当てながらキョロキョロと周囲を見渡していた。

 

「有里君、高等部の図書室にも来てるの?」

「中等部よりラインナップが充実しているし、こっちにはパソコンやDVDもある。暇を潰すなら理想的な環境だって、前にある人に言われて連れて来られた。それ以来何年も来てなかったけど、部屋は学生と教師なら使えるから問題ない」

 

 図書室に入ったときに学生証を提示して、五人は名前を書き、佐久間も教師IDを提示して名前を書いた。

 そして、図書館の奥まで進むと奥にある扉を開けて、六人は沢山の机と椅子にホワイトボードやパソコンも置かれている教室ほどの広さの部屋に入った。

 佐久間は自身の出身大学にもラーニング・コモンズが存在したので、湊と一緒に机を動かして場所を作っているが、他の者はここが何をする場所か分からない。

 そうして、ただ立ってみていると、ドーナツ型に机を並べ終えた佐久間が女子たちに説明をした。

 

「えっとねー、ここはラーニング・コモンズと言って、学生が自由に勉強や議論したりする場所なの。同時に何組も部屋を使う事もあるから、こうやって自分たちで机と椅子を組み換えて、ホワイトボードを持ってきたりするわけなのです」

 

 言って、佐久間は笑顔で自分の席の後ろにホワイトボードを押して持ってくると、他の者へ座るように合図する。

 佐久間から時計回りに美紀・風花・ゆかり・チドリ・湊の順に席に着くと、佐久間は手に持っていたファイルから部活の新設申請書と、新設に関しての注意事項の書かれた紙を配っていく。

 早速、配られたものに目を通していると、佐久間は全員に聞こえるように話しだした。

 

「それじゃあ、説明するねー。まず、有里君の要望で部活を始めるんだけど、美術部を復活させるのではなく、美術工芸部という部活を新設する形になりまーす」

「新設って、活動再開じゃ駄目なんですか?」

「良い質問だね! 答えは、イエス。というのも、美術部の顧問だった美術科の土我(どが)先生がいらっしゃるから、再開って形だと顧問は土我先生になってしまうの。でもそうすると、私だけ仲間外れになっちゃうでしょ? だから、新しく部活を作る事にしましたー」

 

 美紀の質問に答えた佐久間は、「てへへー」と悪戯っぽい笑みを浮かべて、申請書の顧問の欄に自分の名前と判を既に記入済みであることを見せた。

 その下の部活代表者と部員の欄には、部員の欄の二番目に湊の名前が既に書かれている。自分で言いだしておきながら、副部長にすらなる気がないらしい。

 ゆかりなどは、そんな相手の自分勝手さに溜め息を吐きたくもなったが、湊は約束通りに美紀を連れてきた。

 まだ入部するとは決まっていないが、約束はちゃんと守る点に関しては信頼して良いだろうと、佐久間の話を聞きつつ信頼面の評価を僅かに上げておく。

 

「それで、有里君からは、部長が真田さんで、副部長が山岸さんって聞いてるんだけど」

『……はい?』

 

 美紀と風花は佐久間の言葉に目を丸くするが、佐久間は気にせず続ける。

 

「先生もそれで良いと思うの。成績順ってことにしたら、有里君が一番なんだけど、有里君は目立っちゃうからね。かといって、繰り上げ当選で吉野さんを副部長にするにも、同じように目立ってるから、二人が良い子だって知らない先生から何も言われないようにするなら、これがベストかなーって」

「は、え? 成績順って、真田さんが一番じゃないんですか?」

「違うよ? 有里君は満点一位で、吉野さんは二位の真田さんと六点差で三位、それから少し差があって山岸さんが十六位だったの。フフッ、実はこの部活はうちのクラスの成績トップ陣が集まっているのです」

 

 えっへん! と、どこか自慢げに佐久間は座ったまま腰に手を当て、162センチと低くない身長でもかなり豊満だと分かる胸を強調するように張って見せる。

 そんな、本当に年上なのかと思ってしまう雰囲気へのツッコミも忘れ、担任の言葉を聞いたゆかりは背中に電流が走ったかのような衝撃を受けていた。

 湊には授業でのことで成績が良いのではという疑惑はかかっていた。しかし、まさかチドリまでもがぶっちぎりに成績が良いとは思っていなかったのだ。

 

(……あれ? もしかして、この中で一番の馬鹿って私?)

 

 衝撃の事実を受け入れようとすると、さらに突きつけられた残酷な現実にゆかりは沈んだ。

 さして他人に興味がなさそうな湊とチドリ、急に部長と副部長にされた美紀と風花、ただ楽しそうにしている佐久間は、そんな一人ダメージを受けているゆかりに気付かず話を続ける。

 自分が部長に抜擢されていた美紀は、少々戸惑い気味に口を開いた。

 

「あの、私はまだ部活に入ると決めた訳ではないのですが……。それに、この部活がどんな活動をするのかもよく分かりませんし」

「ええっ、そうなのっ!? 駄目だよ、有里君。ちゃんと説明しておかないとー」

「活動日は火・木・土曜日の放課後。活動内容は色々。絵を描いたり、粘土細工をしたり、陶芸や刺繍もしたりする。休日を利用して、美術館巡りだけでなく、何かを作る体験講座にも参加。またインスピレーションを得るため、動物園や水族館、遊園地やお祭にも参加予定」

 

 説明を求められた湊は席から立ち上がると、ホワイトボードに活動日や活動内容を記入してゆく。

 チドリは見慣れており、佐久間は事前に湊の字を見ているため驚かないが、他の者はホワイトボードに書かれた字の達筆さに感心している。

 だが、すぐに気を取り直すと、活動内容の幅広さに疑問を持った風花が質問をぶつけた。

 

「あの、そんなに沢山の活動って出来るのかな? よく分からないけど、美術部って作品をコンクールに出展したりもするんでしょう?」

「今年開催するコンクールの予定表は入手してる。来年も締め切り時期はほぼ変わらない筈だから、一年目は自分にどんな物が合っているかを見つける。そして、二年目でコンクールに応募。三年目は入選や受賞を狙いに行く」

「そ、そっか。確かに向き不向きは分かってた方が良いもんね。ありがとう、納得しました」

 

 うんうんと二度ほど頷き、風花はホワイトボードの内容をメモ帳に記入している。

 風花が先に言った通り、ゆかりや美紀も同様の疑問を抱いていたので、湊の説明を聞くとすんなりと納得する事が出来た。

 佐久間に美術の技術指導が出来るとは思えないが、休日や放課後でも生徒にしっかりと付き合ってくれそうな印象を持っている。

 ならば、ちゃんと自分のやりたい事、作りたい物を見つければ、部活の活動日でなくとも作業するため、部室を開けてくれるだろう。

 場所さえ提供して貰えれば、後は自分でこつこつと作業を進め、時折他の者から意見や感想を貰えば納得のいく作品が出来る。

 行き詰まったときには、湊の言った課外活動などが良い息抜きになるのだろうとして、ゆかりは純粋に楽しそうだなと興味を持った。

 

「ねえねえ、その体験講座って何か既に考えてたりするの?」

「何がしたいか言ってもらえれば、その希望に沿う物を見つけてくる。コンクールの予定表は美術系のしか入手してないけど、美術工芸部って名前なだけで、手芸や写真だって良い。ここは広義の芸術部を目指してるから」

「先生は編み物とか得意だよー。ベッドのまわりには自作の編みぐるみとか、いっぱいあるからね!」

「……そう。それは良いけど、意見がないなら、陶芸でもまずはしてみようと考えてる。必要なのは汚れてもいい服装と各自の飲み物くらいだけど、先に親交を深めたいなら、イチゴ狩りとかもありと言えばあり」

「うえーん、生徒に無視されたー」

 

 ホワイトボードの前で振り向き答える湊の左足に、自身の話を流された佐久間が椅子から降りて纏わりつく。

 がっしりと抱き付きながら、「先生のお話も聞いてー」と瞳を潤ませ見上げているが、相手の反応が鬱陶しいのか、湊はアイアンクローで引き剥がそうとしている。

 

「有里くーん、前が見えないよー。それにちょっと痛いかなーって」

 

 だが、口では痛いと言っている割に、まだまだ耐えられるようで口元は笑っており。相手をしてもらっている事に喜んでいるらしく、佐久間にはそれなりの余裕が見えた。

 湊は昼休みにボクシング部エースの真田を腕相撲で負かしていたので、力は他の男子よりも強いはずなのだが、意外に自分たちの担任はタフらしいと、集まった女子生徒に共通の認識が生まれた。

 そして、表情を引き攣らせながらも、風花は見ていて気付いた事を他の女子らに話す。

 

「思ったんですけど、有里君と吉野さんが佐久間先生のクラスになったのって多分わざとですよね。二人って、その、目立ってると思われてるけど成績は良いし。他の先生じゃ対応しきれないから、新米の佐久間先生があてがわれたんだと思うんです」

「あー、確かにクラスに成績トップが三人とも固まるって変だしね。本当は生け贄のつもりだったってわけか」

「でも、有里君と佐久間先生って仲が良さそうですよね。というより、佐久間先生が有里君を気に入っているというか」

 

 そう話す美紀達の目の前では、アイアンクローが解かれた隙をついて、佐久間が俊敏な動きを見せ立ち上がり、立ったままおぶさるような形で湊の背中に抱きついている。

 大学を出たばかりの若い女性教師が思春期の男子生徒にして良いことではないが、当の佐久間は苛ついている湊とは対照的に「にゃははー、スキありー!」と楽しそうだ。

 そして、そんな様子を冷めた表情で見ていたチドリも、先月のことを思い出し、他の女子たちに伝える。

 

「クマモンは新入生の挨拶をしないかって説明のために、学校が始まる前に校長と教頭の三人で一回家に来てる。しないって答えたらオッサン二人は安心してさっさと帰ったけど、クマモンは湊にやろうよって数時間粘って、結局、晩御飯食べて泊まっていった」

「す、すごいね。二人のお家ってどこにあるの?」

「隣の六徳市。おじじと渡瀬は苦手そうにしてたけど、桜はクマモンと良いお友達になれそうって喜んでた。あと、次の日にバイトで出かけようとしてた湊に遊びにおいでよって家に誘ってたし、クマモンは湊のことかなり気に入ってると思う」

「そ、そうなんだ……本当に大丈夫か? この新米教師」

 

 話の流れを聞く限り、佐久間が自宅に招待したのは湊だけのようで、倫理や世間の目という物を考えれば確実にアウトだ。

 もしかすると、佐久間は普通に仲の良い生徒なら自宅に招待するのかもしれないが、今のところは湊との交流が最も多いため、ゆかり達は佐久間のお気に入りに湊が選ばれたようにしか見えない。

 問題児を押し付けると言う、学校側の汚い思惑は佐久間の特殊な性格によって外れたが、その性格が災いしてPTAになんらかの報告がいきそうだと考えると、ゆかりは今から頭痛がしてきそうだった。

 良いクラスではあるものの、学校一の色物クラスの可能性も同時に浮上し、ゆかりは思わず深い溜息を吐く。

 

「はぁ……って、そういえば先生って二人の家に行ったのよね? じゃあ、なんで入学式の日に同じ家だって気付いてなかったの?」

「……変なのが来たと思ってずっと部屋にいたもの」

「そ、そう……。じゃあ、有里君のバイトっていうのは? 中学生じゃ雇ってくれるとこなくない?」

 

 ゆかりのイメージからすると、中学生でも出来るバイトと言えば新聞配達くらいなものである。

 しかし、いま自分たちの隣で教師を背負い投げの要領で床に落とし、マウントポジションをとって首を絞めている男が、そんなバイトをするようには思えない。

 もしも、自分でも出来るようなものなら、興味があるので紹介して欲しいと思いつつ、その答えを待っていると、チドリはやる気の無い半目で答えた。

 

「ポロニアンモールの骨董品屋。そこの店主が知り合いだから、労働じゃなくて手伝いって名目で私もたまにバイトしてる。時給は一二〇〇円」

「最低賃金が八五〇円ですから、中学生で一二〇〇円ですとかなり良い条件ですね。主な業務内容はどんな事を?」

「一言で言えば掃除がメイン。古い物が多いから、埃を被るとただの汚い物に見える。そうならないよう、棚から降ろしてドライヤーみたいなので埃を吹きとばしたりしてる。レジとかもたまにするけど、配送の手続きが面倒だから、そっちは店主の栗原が基本的にやってる」

 

 バイトという自分たちの知らない世界に興味を持ち、話を聞いていた三人は改めて感心したように頷いた。

 ゆかりはまだ巌戸台にきて日が浅いので、ポロニアンモールにどんな店があるか把握しきれていないが、地元民である風花と美紀は、なんとなくでどの店か理解していた。

 骨董品屋という名前から、鑑定番組に出てくるような壺や掛け軸を取り扱っている印象を持っていたが、クラスメイトがバイトをしているのなら、次に出かけたときに立ち寄ってみようという気にもなってくる。

 湊が先ほど、初回の体験講座に陶芸をしてみようかと言っていたので、自分がどのような焼き物を作るかの参考になるかもしれない。

 そうして、初期から入部するつもりだった風花以外の二人も、実際に入ってからの事を考え出している自分がいる事に気付き、内心で苦笑しながら入部する事に決めた。

 

「ま、弓道部と活動日も被ってないし。結構、楽しそうだから入部してみますか」

「私は、部長はちょっと遠慮したいんですが、先生があの様子ですとほぼ決定事項のようですね」

 

 困ったような笑みを浮かべる美紀の視線の先では、マウントポジションを取られていた筈の佐久間がいつの間にか湊を押し倒し、お互いの頬を擦りつけるようにして首に抱き付いていた。

 二人の身長差は約十センチなので、確かに佐久間の方が体格的に有利ではあるのだが、湊の腕力の強さを昼休みに見ていただけに、それを不利な体勢から覆す佐久間のパワーに驚きを隠せない。

 

「ふははは! 先生に勝とうだなんて五年早いわー! 勝利者の特権でチューしちゃうぞー!」

「……学校、教育委員会、PTAにそれぞれ報告するぞ」

「わわっ!? それはズルイよ、有里君。そう言われると、こっそりしかチュー出来ないじゃん」

 

 一応、自分がしようとしている行為が、三つの組織に報告されれば問題となることは理解していたのか、佐久間は渋々ながら首に回していた腕を解くと起き上がって服装を正す。

 しかし、まだ未練があるのか、眉を寄せて不満顔のまま湊を見つめている。

 もしかすると、自分たちの担任は本気で生徒に手を出そうとする危険人物なのかもしれない。そんな疑いの目で見ていると、自分が見られていることに気付いた教師は、輝くような笑顔で振り向いた。

 

「わーい、なんか注目されてるー! それでそれで? 皆は申請書にお名前書いてくれるかな?」

「あの、やっぱり私が部長じゃないと駄目でしょうか? 入部はしても良いと思ったんですけど、部長となると……」

「大丈夫、大丈夫。なんてたって先生がついてるからね! それに、有里君がいるし問題ナッシィングだよ!」

「理由になってないぞ、酔っぱらい」

「残念でしたー、今日の先生は素面でーす」

 

 服装を元通りにした二人が再び席に着くと、美紀への回答も曖昧なまま、佐久間はおかしそうにケラケラと笑いだした。

 確かに湊の言う通り、佐久間のテンションは時間が遅くなるにつれ、酔っぱらいに近付いているように思える。

 無論、まだ就業時間中であるため、本人が言う通り、アルコールは一切摂取していないのだろうが、素面のまま酔っぱらいのテンションになれる方が稀有な存在である。

 物理的な意味でのその主な被害者がクラスでも硬派な湊であることは、問題が起きないという点で不幸中の幸いではあるが、やはり、自分が部長になるのは決定事項なのだなと、美紀は肩を落としつつ申請書に署名した。

 

「……はい、書けました」

「じゃあ、部員の欄の一番上は副部長の山岸さんが書いてね。岳羽さんと吉野さんは有里君の下でOKだよー」

「は、はぁ……」

 

 副部長の仕事内容も分からぬまま書類を受け取り、風花は言われた場所に署名するとゆかりに紙を回した。

 ゆかりが書き終わると続いてチドリが署名し、既に署名を終えていた湊が紙を受け取ると、全員分の署名を終えた申請書が佐久間に届けられた。

 顧問の自分、部長の美紀、副部長の風花、部員の湊・ゆかり・チドリの名前をそれぞれ確認すると、大切そうにファイルに仕舞い込み、閉じたファイルの表紙を撫でている。

 そうして、三十秒ほどそんな事をしていると、ファイルから手を離し、顔をあげた佐久間が湊に話しかけた。

 

「やったね、有里君。これで君のハーレムランドが建設出来るよん!」

「……そんな物、取り壊してしまえ」

「まったまたぁ、本当は嬉しいくせにー」

 

 佐久間は本気で命知らずなのか、笑いながら湊の頬を右手の人差し指で突いている。

 第三者の立場にいる状態でも、見ていて少々疲れるテンションなだけに、実際に相手をしている湊の心中を察してゆかりは同情を禁じ得ない。

 そうして、どんな表情をしているか視線を向けたとき、一瞬だが湊の目が蒼くなっているように見えた。

 

(あれ? いま、有里君の目が変な色に……ま、気のせいか)

 

 しかし、常識で考えて、瞳の色がコロコロと変化するはずもないので、ゆかりは気のせいで片付けると、最終下校時刻が近付いていたため荷物をまとめ始めた佐久間に倣い、自分も帰る支度を始めた。

 ホワイトボードを綺麗にして元の場所に戻すと、机と椅子はそのままにして帰っても良いという決まりのため、中等部の職員室に戻るという佐久間と別れると、他の者は途中まで一緒に下校したのだった。

 

 

 


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