――稲羽郷土展・最終夜
シャドウを受け入れるには、本人の抑圧された側面であるシャドウの本音を聞く必要がある。
そう話す花村や直斗に従い、一同はウサギのぬいぐるみを抱いた玲ソックリな少女と向き合ったまま相手の言葉を待つ。
《どうして、どうして生まれたの? 私、どうして生まれてきたの?》
ぽそりぽそりと少女の小さな口から言葉が紡がれる。
皆の耳に届く声は玲とそっくりだ。けれど、シャドウらしき少女の声には覇気どころか生気すら感じられない。
湊に似た金色の瞳は絶望に濁り、声には悲痛さが籠もっている。
見ているだけで、聞いているだけで、自分の心までもが暗くなってゆく錯覚を覚える。
だが、それらは負の感情ではなく、相手の少女に対する同情の念の部分が大きい。
彼女は一体何に絶望しているのか。どうして自分が生まれた事を後悔しているような言葉を吐くのか。
これではまるで死を望んでいるように感じてしまう。
「な、なにこの子? 善、怖いよ! ねえ、戻ろうよ!」
「駄目だ、玲。戻らない」
自分ソックリな少女に対し、玲はこれ以上相対していたくないと帰還することを提案する。
第三者から見ても玲のシャドウらしき少女の様子は不気味に感じる。
ならば、本人は誰よりも相手に対して強い感情を抱いていることだろう。
今の様子からすると玲は恐怖がその頭を占めているようだが、帰りたがる少女の腕を掴んで善は相手を見ているように言った。
すると、これまで怯えた様子を見せていた玲のシャドウが急に頭を押さえて叫ぶように声をあげた。
《来ないで……私を、連れてかないでぇぇぇっ!!》
絶叫に近い声をあげ、玲のシャドウは自分の身体ごとウサギのぬいぐるみを強く抱く。
心理分析をするならば、ぬいぐるみは不安な心の表れ、そして他者と共にいたいという思いの表れでもあり、そういった者は癒やしを求めているという。
だが、今の玲のシャドウからは怖れしか感じる事が出来ず、叫んだ少女はどこからか現われた土のような物に身体が飲み込まれ始めていた。
思わず助けに向かいそうになるも、鳴上たちが腕を掴んで止めてくるので黙って見ていれば、少女を飲み込んだ土は肉のような質感を持ち始める。
色は土色だというのに、生物のような生々しい質感が不気味に映る。
だが、それをさらに見守っていると、ぐにゅぐにゅと音を立てて蠢いていた物が徐々に何かの形を作り始めた。
人間のシャドウとはこうも不気味に生まれ出るのか。そんなことが頭を過ぎるが、あくまでこれはシャドウの暴走だと七歌たちは自分に言い聞かせる。
ここでそう言い聞かせておかねば、自分のペルソナも一歩間違えれば同じような状態になってしまうのではという不安が過ぎりそうなのだ。
シャドウとペルソナは本来同一の存在。だからこそ、“暴走”状態のシャドウの姿を覚えていようと心に決める。
七歌や美鶴がそんな事を思いながら見つめていると、視線の先で暴走したシャドウに更なる変化が起きていた。
「ウサギの耳?」
急にピョコンとウサギの耳が出てきた。少女が抱いていたぬいぐるみの物だろうか。
そうだとすると少女が中から出ようと藻掻いている可能性が出てくる。
しかし、今はまだ近付かないように鳴上たちが止めてくるので、玲のシャドウらしき少女の身を案じながら待っていれば、飛び出していたウサギの耳がぴくぴくと動いた。
あれがもしも本当にぬいぐるみの耳ならば、魂の籠もっていないぬいぐるみが動けるはずがない。
となると消去法でウサギの耳はシャドウのものになるが、一体どんな姿に変化するのか気になってみていれば、土らしきものがぐにょぐにょと動き出し、全員の視線が集まったところで鋭い牙を持った獣の頭部が勢いよく飛び出してきた。
『ヒィッ!?』
ホラーやパニック系に耐性のない何名かは、勢いよく飛び出してきた獣の頭部を見て思わず後退る。
よく見ればその頭にウサギの耳がある事に気付けるが、誰がどう見てもそれはウサギではない。
頭部が出てくると続けて筋肉質な腕や、鋭い爪の生えた太い足などが現われる。
ウサギだとすれば足が非常に発達していてもおかしくはないが、腕や腹筋など全身の筋肉が非常に固そうで、戦う前から物理が通りづらいことは分かる。
特撮で見る怪獣や図鑑に載っているティラノサウルスのような姿勢で立つ相手は、ビリビリと空気を震わす咆吼をあげた。
最初に頭部が見えたときに後退っていた者たちは、全長四メートルを超える巨大な敵を前にした事もあり、咆吼を聞いた時には怯んでしまって動けなくなっている。
ダンジョンの番人を前に恐慌状態になってしまうとは厄介だが、幸いなことに恐慌状態になっているメンバーは他の者よりも後ろへと逃げていた。
腰が抜けてしまっている者も含めて、恐慌状態の者たちを数人で護衛しながら部屋の入口付近まで退がれば、残った者たちでウサギの化け物と戦う事が出来る。
何より、こちらには成長した姿に戻った湊がいる。
この世界にやってきてすぐにハートの女王を一撃で屠り、二つ目のダンジョンでは赤ん坊状態でも敵の身動きを封じて大型兵器で倒そうとしていた。
三つ目のダンジョンでは、僅かに成長した姿で三体の敵を倒している。
これまで全てのダンジョンで勝利を収めてきた彼がいれば大丈夫。
誰もがそう思って彼に視線を向ければ、本人はコートのポケットに手を入れたままウサギ型の怪獣をジッと見つめていた。
これからどう倒そうか考えているのか、それともアナライズで敵の弱点を探っているのか。
他の男子たちが恐慌状態の者たちを移動させながら観察していれば、再び怪獣が咆吼をあげたときにようやく湊が口を開いた。
「……中に取り込まれているニコにダメージが通らないか心配だな」
言いながら湊は大型の二丁拳銃を抜いて時計回りに走り出す。
走りながら怪獣に向けて銃弾を放てば、威力特化のファルファッラから放たれた弾丸が当たった部位が小さな爆発を起こして削げてゆく。
連射性と貫通力を高めたカラブローネの弾丸は敵の膝を正確に撃ち抜き、四発、五発と当たれば敵がバランスを崩して膝を着いた。
《ギュラァァァァァァァァァッ!!》
肩や背中の肉が削がれ、片膝を潰された怪獣が怒りに震えながら吠える。
あまりに簡単にダメージを通しているので、凶暴そうな見た目よりも弱いのだろうかと考えてしまう。
しかし、湊を真似してアイギスが突撃銃で銃弾の雨を浴びせてみても、敵の身体に当たった銃弾が硬い金属にぶつかったような音をさせて弾かれた。
これで駄目ならと銃の種類を変えてみるも、対物ライフルクラスでないと十分なダメージは見込めない。
湊の使っているハンドガンに対物ライフルクラスの威力があるとは思えないが、仲間との連携を考えると対物ライフルは危険で使えない。
何より、先ほどの湊が言っていた、「中に取り込まれているニコ」というフレーズが気に掛かる。
玲の傍でボウガンを持って立っている善も、その部分が気になるのか湊に声をかけたそうだ。
敵を間に挟んで反対側に辿り着いた湊が武器を刀に変えたタイミングで、七歌はペルソナを召喚して疾風魔法を放ちながら大声で湊に話しかける。
「エウリュディケ、ガルーラで動きを封じて! 八雲君! さっきの言葉ってどういう意味?! 取り込まれてるのは玲ちゃんのシャドウじゃないの?!」
現われたエウリュディケが巨大な空気の塊を放ち、片膝を着いていた怪獣にそれをぶつける。
倒れた状態で喰らった敵は僅かに身体を揺らしたが、思った以上にダメージは通っていない。
他人のシャドウと戦うのは初めてだが、こうも通常のシャドウより強力だと鳴上たちが今までどう戦って勝利してきたのか気になる。
だが、そんな事に思考を割きかけたところで、刃を寝かせて構えた湊が駆けながら言葉を返してきた。
「そのままの意味だ。取り込まれているのは玲のシャドウだが、その人格は元の記憶を持ったニコのもの。玲というのは記憶を失った彼女に善が与えた名前だからな」
話しながら接近してくる湊に気付き、怪獣は顔を後ろへ向けると湊が近付いて来たタイミングで負傷した足を思い切り蹴り出す。
強化されたウサギの脚力で思い切り蹴り出せば、ボッ、と激しい音を立てて空気の砲弾が飛ぶ。
その威力は七歌のペルソナが放ったガルーラを優に超えており、身体能力のみでそれを放つ脚力の恐ろしさに七歌の背中で冷たい汗が流れる。
だが、身体能力の恐ろしさでは青年も負けてはいない。
「ハァッ!!」
大木をなぎ倒せるほどの威力を持った空気の砲弾も、青年が刀を振るえば霧散して消えてゆく。
続けて二発、三発と続いても湊は流れるような動きで全て切り払ってみせた。
それを見ていた敵もこれでは効果がないと理解したのか、身体を反転させて湊の方へ向くなり、両脚を揃えた状態でロケットスタートの構えを取った。
まさか、と見ていた者たちが思った次の瞬間、怪獣は他の者の視界から一瞬で消える。
「はやいっ!?」
敵の姿がブレたと思えばその場から消え、湊がいた場所にはウサギの耳と刀だけが落ちており、急いで両者がどこに行ったのか部屋中を見渡す。
しかし、他の者たちが見つけるよりも先に、壁の一画から衝突音が響いて爆発したことで全員の視線がそちらに向く。
そこには片耳を切り落とされながらも、頭突きで湊を壁に叩き付けた怪獣の姿があった。
「八雲さんっ」
衝突した壁には天井に届くほど大きなヒビが入り、ぶつかった箇所と周辺の壁は完全に崩れ落ちている。
敵の頭突きで壁にめり込んだ青年の姿は怪獣の影で見えないが、壁際には血溜まりが広がっており危険な状態が予想される。
このままでは不味いとアイギスだけでなく七歌や鳴上が怪獣にペルソナのスキルを叩き込むが、あまり激しく攻撃すると湊まで巻き込んでしまう恐れがあった。
おかげで中途半端に相手の意識を逸らす程度の攻撃しか出来ず、今も壁のところにいる怪獣を湊から引き離せずにいる。
《ガァァァァァッ!!》
今まで頭部で湊を押し潰していた敵が顔を離す。
けれど、そのまま鋭い牙を剥き出しにして威嚇すると、青年を喰らい殺さんと噛み付きに行った。
怪獣の顔が壁の穴に入ると、ゴキリやグチュリ、と耳障りな音が聞こえて壁際の血溜まりが広がる。
こうなれば直接しかないと判断した鳴上が完二に視線を送れば、完二は分かったと頷いてタケミカヅチを呼び出した。
「来い、ペルソナァッ!! あいつを横からぶっ叩け!」
呼び出されたタケミカヅチは雷の形をした武器を振り上げ、敵の真横に到着するなりバットのフルスイングのように振り抜いた。
脇腹から浮き上がるように殴られた敵は、口から血を流しながら宙を舞って離れた場所へと落ちる。
もっとも、シャドウは血を流したりしない。元から生き物ではないのだから、他の生き物とは身体を構成する物質からして異なっているのだ。
そんな怪獣の口からおびただしいほどの血が出てくると言うことは、襲われていた青年がかなりの重傷を負っているという事。
怪獣の動きを警戒しながら誰かが青年を回収してくる必要があるため、床の上を転がった敵が起き上がってくるのを注意して見ていれば、立ち上がる際に相手の口から何かが出てきて地面にボトリと落ちた。
一体何だと視線を向ければ、それは紛れもなく人の右腕だった。
何故そんな物がと血濡れの右腕を見た鳴上は、胃の中のものが迫り上がってくる感覚に耐えつつ、状況を把握しようと思考を続ける。
そして、それが絶体絶命の青年が咄嗟に下した判断の結果だと理解するなり声を張り上げた。
「っ、完二! タケミカヅチにそのまま有里を回収させるんだ!」
「わかったっす!」
怪獣が食らい付きにきた瞬間、彼はきっと片腕を犠牲にして胴体へのダメージを防いだのだろう。
壁に叩き付けられた状態でよくも動けたなと思うところだが、身体の一部を犠牲にしても生きながらえる判断が下せるのは経験によるものなのだろう。
対シャドウ兵器の三姉妹と七歌やチドリが怒りの表情で怪獣に攻撃している間に、敵を吹き飛ばしたタケミカヅチに壁に埋まっていた湊を回収させた。
戻ってきた湊を後退がっていたメンバーの傍に寝かせれば、不自然に腹部が薄くなっており、臓器のほとんどが潰れてしまっている事が窺える。
先ほど敵の口から落ちた右腕も、肘の辺りから先がなくなっており、そこからは大量の血が流れ出ていた。
湊を相手にこれだけのダメージを与えられるなど完全に想定外。番人の強さを見誤り、さらには一番強いからと湊に戦いのほとんどを任せてしまっていた事を反省する。
「天城、すぐに有里の治療を。岳羽さんも頼む」
「分かった。任せて」
「うん。その間、あっちは任せるね」
回復魔法に優れたペルソナを持つ少女らに湊を任せると、鳴上は自分も番人の相手をするべく七歌たちの戦列に加わりに向かう。
相手の突進攻撃は防げない。湊でも反応しきれなかったのだから、他の者ではガードも間に合わず、壁に叩き付けられた時点で即死だろう。
ならば、そうならないよう立ち回って、自分たちに出来る方法で相手を削って行くしかない。
自分たちだけで出来るかは考えない。一度撤退するにしても湊を動かせる状態まで回復する時間を稼がないと行けないのだから。
「ペルソ――――っ!?」
そうして、鳴上がイザナギを呼び出そうとしたとき、部屋の中の温度が急激に下がった気がして思わず発信源の方へ振り返る。
「あり……さと…………?」
突如、部屋の中に巨大な気配を感じ、鳴上だけじゃなく戦っていたアイギスたちと敵までもが気配の主へと視線を送る。
そこには治療が不十分なまま、血を吐き口元を吊り上げて立っている青年がいた。
彼の後ろでは雪子とゆかりが動いては駄目だと言っているようだが、少女たちの話を聞いていない彼は、左手で残った右腕を掴むと肩の一歩手前ほどの位置から引き抜く。
ブチブチと耳に残りそうな嫌な音を立てて彼が右腕の残っていた部分を捨てれば、他の者が驚いている間にコートから新しい腕を取り出した。
「……そう何本も予備はないんだがな」
そう言って彼は新しい右腕を肩口に合せると、カグヤの回復スキルで腕を繋げながら臓器も再生させる。
彼の右腕は久遠の安寧との戦いで失って以降、アイギスの三連装アルビオレ改やEP社製の機械義手を経て、今では人工骨格ではあるものの自分の細胞から作った生体義手になっている。
おかげで腕が千切れたところで接続面からパージし、予備の生体義手と繋いで戦う事が出来るのだ。
もっとも、神経や血管の通っている生体義手をパージするときには、それこそ神経をすり潰される以上の激痛が走り、常人ならば痛みで失神してもおかしくないのだが、湊は自分の身体がダメージを負ってもどこか他人事のように考えている。
痛みなど一過性のものでしかなく、そんな事を気にするくらいなら腕を潰してきた者を殺す方法を考えた方が建設的。
そんな戦闘狂も真っ青な思考パターンを持つ青年は、繋いだ右腕の感覚を確かめるように拳を握り、イメージと感覚のずれが治まったところでコートから片手持ちの大剣である九尾切り丸を出した。
「……よし、いくか」
彼の手にある大剣の表面に青白い光の紋様が走る。
全員の目にその光が残っている間に、彼は地を蹴って怪獣の許へ向かう。
鳴上を追い抜き、アイギスとチドリの傍を走り抜け、七歌とメティスの横を通る瞬間に消えると、ラビリスの目の前に現われ三歩で敵との距離を詰めた。
最大の脅威と認識していた湊に懐に入られた事実に、怪獣は本能からか身体を捻りながら腕を振るう。
だが、目の前に現われたはずの湊の姿はすぐに消え、怪獣の腕がむなしく空を切ると思われた時、怪獣の腕は宙を舞っていた。
《ギュラァァァァァァッ!?》
やった事は非常に簡単だ。相手が攻撃をしようとしてきた瞬間、身体を限界まで地面すれすれに倒して相手の足の間を抜けただけ。
そうして自分の腕が影になって湊を見失った直後、背後から側面に回り込んで大剣を振り上げて彼は腕を切断した。
これでお相子だと言わんばかりの攻撃には、やはり彼は戦闘面では色々と根に持つタイプなのだなと思わされる。
腕を切られた痛みにもがき苦しむ怪獣の傍で、湊はそのまま大剣を振り上げると右足を膝の上から切断。
バランスが取れなくなり倒れる際、さらに続けて左足も膝から切り飛ばす。
残る相手の武器は左腕と鋭い牙の生えた口だけだが、面倒に思ったのか湊は相手の背中に乗ると震脚で踏みつけ、相手の身体を床にめり込ませて動きを封じる。
これはきっと突進で壁に埋め込まれた報復に違いない。そう思って見ている者たちの目の前で、彼は背中に乗ったまま首と左腕を袈裟切りに切り落としたのだった。