――稲羽郷土展・第一夜
通る際に聖なる炎を持っていなければならない扉に阻まれ、聖なる炎を探していた一同は、炎が燃えさかるかがり火から松明で炎を運び、炎が燃えていないかがり火の台に炎を移して回った。
炎を移したおかげで新たな中継地点が出来、燃焼時間に難のあった松明でも新たなかがり火に炎を移すことが出来た。
そうして、何とか元来た道の途中にあった封印された扉を潜ることが出来たのだが、その頃になるとアイギスに抱っこされた八雲がウトウトと船をこぎ始めていた。
「八雲さん、眠いのなら眠っていいですよ」
「みぃ……」
背中をトントンと優しく叩きながら小刻みに上下に揺らしてあやすアイギス。
ほとんど瞼が降りていた八雲は、一定のリズムで身体が揺れるとリラックスしたのか、そのまま瞼を完全に閉じて小さく寝息を立て始めた。
小さな右手でアイギスの服を掴みながら寝る姿は、ここが危険なダンジョンだと忘れてしまうくらいに穏やかだ。
気持ちよさそうに寝ている八雲を見てアイギスも微笑むと、リストバンド経由で小さな毛布を取り出し、メティスに手伝って貰いながら寝ている八雲を包む。
聖なる炎が燃えるかがり火もあるので、このダンジョンは比較的暖かいが油断は禁物だ。
寒くないようにしっかりと毛布で防寒対策し、さらに何かに包まれることで赤ん坊は安心感を覚えるため、こんな場所でも八雲が気持ちよく眠れるように手配する。
しっかりと毛布で包んでから抱っこ紐で固定してやれば、アイギスはこれで大丈夫だと満足げに頷いた。
「泣き疲れた事もあって、ぐっすり眠っているようであります」
「そうか。泣き疲れてしまったのでは無理もない。アイギスは後方で八雲を休ませてやれ」
アイギスが八雲が深く眠っていることを報告すれば、美鶴もそうかと頷いて彼女を隊列後方へ向かわせる。
その際、八雲が泣き疲れたという部分を強調して話していたが、二人は数瞬だけ真田の方へ視線を向けながら口にしていた。
二人の視線の意味を理解した真田は非常に居心地が悪そうだ。
ただ、ここでムキになって泣き疲れた事だけが原因じゃないと反論すれば、二人の傍で冷たい視線を向けてきている女性陣から総攻撃にあうに違いない。
八雲からガム攻撃を受けて怒っていたラビリスでさえ、真田の行動は躾ではなく暴力だと批難していた。
他の女性陣はもっと露骨で、赤ん坊を殴るなんて人として最低だと敵意を向けてきている。
このままでは危険なので、また八雲が目を覚ましてから彼のご機嫌取りをするように男子からアドバイスを貰い、そのまま大人しく進んでいると広い部屋に出た。
「む、これまでのとは色違いのF.O.Eがいるぞ」
ここに来るまでに見た瓢箪型のF.O.Eは緑色をしていた。
こちらから近距離まで接近しない限りはその場から動かないものの、聖なる炎が燃える松明を持っている時だけは逃げるように離れて行っていた。
しかし、新たに見つけたオレンジ色の瓢箪型F.O.Eは、不思議の国のアナタにいたトランプ兵のように決まった範囲を移動している様子だ。
相手の移動する範囲のエリアがなわばりのようなので、そこに入りさえしなければ対処は容易。
今は八雲が眠ったばかりなので、まわりが五月蝿くなってしまう戦闘を避けたかったアイギスにとっても敵の習性はありがたかった。
《一定の範囲を動いているようです。行動パターンが色違いのF.O.Eとは異なる可能性があるので、聖なる炎を持っているときには特に気をつけてください》
「そうだな。前のやつは動かない、逃げるって消極的なタイプだった。なら、今度のやつは動く、向かってくるって行動的なタイプかもしれない」
色が違うだけでなく行動パターンにも違いがあるのであれば、対極な動きをする可能性が考えられる。
そう判断して鳴上が炎を持っているときは向かってくる事も考えておこうと伝え、一同は相手のなわばりを避けるようにして先へと進んでゆく。
色違いのF.O.Eがいるエリアになってすぐに見つかった封印された扉は、そこを抜けると最初に入ってきた場所から見えた地下への階段があるところに繋がっているらしい。
構造を把握する事が出来ても、ダンジョンのギミックに苦戦させられるせいでモチベーションの維持に苦労する。
それでも現われる枯れ木のようなシャドウやレスラータイプのシャドウを倒し、メンバーたちは火の着いていないかがり火に聖なる炎を移しながら、着実にダンジョンの第一層を攻略していった。
――稲羽郷土展・第二夜
「これは……」
聖なる炎を使ったギミックを攻略し、メンバーたちと共に何とか第二層へと足を運ぶことが出来た途端に鳴上が呟く。
上の階から降りて来たメンバーを待っていたのは、サウナを思わせる蒸し暑さと壁際に配置された灯籠に映るマッスルなシルエットだった。
マッスルなシルエットはボディビルの基本ポーズである“フロントダブルバイセップス”、“アブドミナル・アンド・サイ”、そして有名な“サイドチェスト”と一定の時間で形が変化している。
花村や荒垣は嫌な予感がするのかゲンナリしているが、自分の肉体を鍛え上げる事を趣味としている真田は興味深そうに「ほぉ……」と口元を歪めている。
別に真田に男色の趣味などないが、鍛え上げた筋肉を持つ者として何か感じるものがあるようだ。
他のメンバーは急な温度の上昇に戸惑っているというのに、変な部分で楽しめるとは元気な物だと美鶴たちが思わず呆れていたとき、
「むぅ……」
アイギスの胸元から苦しそうな声が聞こえてきた事で、アイギスたちの視線が八雲に集まった。
「あ、姉さん、このままだと不味いです。兄さんが熱中症になってしまいます」
「アイギス、毛布を取ってから濡れタオルとかで冷やしてあげて」
今の八雲は薄手の毛布に包まれて抱っこされている。
ただでさえ赤ん坊は体温が高いというのに、日本の夏のような蒸し暑い場所で毛布に包まれていれば暑さで参ってしまう。
メティスと七歌に言われてアイギスは迅速に行動し、彼を包んでいた毛布をリストバンドに収納すると、今度は持ってきていた水筒の水でハンカチを濡らして八雲の首筋にあててあげた。
先ほどまで暑さで寝苦しそうにしていた彼は、濡れたハンカチが触れたときにはビクリと身体を揺らしていたが、すぐに慣れて気持ちよさそうに安定した呼吸を繰り返している。
汗で額に張り付いた前髪を整えてあげながら、アイギスはこれで大丈夫だと頷いた。
「状態、安定したようです。ですが、このフロアの環境は幼い八雲さんには厳しいかもしれませんね」
「起きたら大丈夫かもしれんけど、赤ちゃんやから体温調節が難しいかもしれんね。時々そうやって首のとこ冷やしてあげたり」
寝ている間の方が体温が高いので、起きてからならば問題ないかもしれない。
しかし、赤ん坊は自分たちが思っている以上に弱い存在だからと、ラビリスは妹にしっかり様子を見ておくよう言いつけた。
普段は色々と八雲に厳しく当たることもあるが、それは母親代わりであるアイギスが中々叱ることが出来ないでいるからだ。
そういった事がなければラビリスだって基本的には八雲にだだ甘であり、常に彼の身の安全や機嫌を気にしている。
妹であるアイギスもその事を理解しているため、姉の言葉に頷いて返すとリストバンドから団扇を取り出して八雲を扇ぎ始めた。
女性陣がそんな風に八雲の体調を気にしているとき、雰囲気が変わったダンジョンについて考えていた花村が、近くにいた鳴上に少し青ざめた顔で話しかける。
「なぁ、相棒。お前、このフロアをどう見る? 俺は嫌な予感しかしねぇ」
「……そうだな。完二、前衛を任せていいか?」
「あ? そりゃ、別に構わねぇッスけど、急になんスか?」
完二のペルソナは電撃系のスキルが使えるものの、その真価は敵に接近して繰り出す物理攻撃で発揮される。
その点を考慮してこれまでも戦闘になれば前衛を務めて来た訳だが、急に改まって前衛を頼まれた理由が分からない。
不思議に思って完二が聞き返せば、鳴上はどこか視線を泳がせながら理由を告げた。
「いや、そこの影みたいな敵が出るかもと思ってな。そういうのは完二の担当だろ?」
「ななななな、何言ってんだコラァ!! んなモンの担当になった覚えなんざねぇよ!」
そこの影というのは様々なポーズで肉体美をアピールしているマッスルたちの事だ。
月光館学園の者たちには理解出来ないが、八十神高校側のメンバーたちは完二救出の際に似たようなものを目にしたことで既視感を覚えている。
完二もそれを察したのか、葬り去りたい過去の話題を掘り返された気になって必死に反論する。
ただ、完二と鳴上たちのやり取りの意味を理解していないのか、純粋に戦闘の向き不向きで考えていた綾時が真面目な様子で口を開いた。
「でも、僕たちの中でパワータイプと言えば君か真田さんか荒垣さんくらいだからね。湊がいればアザゼルとかで対抗出来るだろうけど」
「あー、確かにそうだな。瞬間的なパワーならともかく、タフネス込みなら先輩ら三人しかいねーな」
綾時がそれぞれの能力を元に隊列について意見を言えば、頭の後ろで腕を組んでいた順平も同意して頷く。
このままでは収拾がつかなくなるどころか、非常に嫌な予感しかしない敵の相手を押しつけられるかもしれない。
ならば、話の流れを修正して完二に押しつけてしまおうという打算があったにせよ、綾時に続いて順平にまで言われたことで、完二は自分が勘違いをしていたと思ったのか冷静さを取り戻した。
「ああ、なんだ。そういう事ならそう言ってくださいよ」
「悪い。陽介の言葉で誤解させたみたいだ」
「そっスね。花村先輩だけはガチで嫌なモン押しつけてただけッスけど」
「俺だけかよ! ぜってぇ、伊織もそうだっただろ!」
実際に自分が悪いので花村も強くは否定出来ないが、自分だけが嫌な物を他人に押しつけるクズだと思われるのは納得がいかない。
ならばと自分と同類の臭いがした順平も巻き込んでみたが、男子の話し合いが一区切りついたと思った美鶴が声を掛けてきた。
「話はまとまったか? なら、近接向きの者たちを前衛に配置した隊列で頼む。この暑さで体力の消耗も増えるだろう。休憩は小まめに取るぞ」
『了解』
結局、自分だけがクズ扱いされて終わってしまったが、花村もここでずっと話していても意味がないことは分かっている。
ただでさえ暑いのだ。このフロアにいるだけで体力も精神も消耗してゆくのだから、少しでも早く攻略して次のフロアに行くなり、ダンジョン自体を制覇してしまった方がいい。
メンバー全体の事を考えて言葉を飲み込んで隊列を組み、全員の準備が整ったところで階段前から出発する。
嫌な予感を感じている一部の男子たちとは対照的に、女性陣やコロマルなどはスヤスヤと眠っている八雲を見てモチベーションを維持できている。
これなら、彼を守るために全員で団結して戦えるだろうと思って進んでいると、区画を仕切る扉が見えてきた。
封印されていた扉とは異なり、前方に見えている扉は問題なく開く事が出来る。
そうして、到着した扉を全員で潜ってみれば、入ってすぐにある堀の向こう側に異形の存在がいた。
《み、皆さん、そこにいるのはF.O.Eです! 完全に皆さんを狙っています。すぐに逃げてください!》
校舎から索敵をしていた風花から慌てた様子で通信が入ってくる。
彼女が伝えてきたF.O.Eとは堀を挟んだ向こう岸で自分たちを見ている敵のことだろう。
顔には鬼を模した目元を隠す面を被り、右半身が赤、左半身が黄色と身体の左右で色が分かれている。
それだけならば変わった配色だと思う程度だが、視線の先にいるものはボディビルダーのようにポーズを決めたフンドシ姿のマッスルであった。
身体の表面が汗で光っているようにも見える敵は、面の下に見える口元を歪めて
女性陣は生理的に受け付けず、男子たちは本能で逃げなければと判断した。
《その敵ヤバいよ! 普通の敵より速いみたい!》
「んなの見れば分かるつーの! おい、全員急いで逃げるぞ!」
「花村君の言う通り、全員で逃げるよ。あっちに扉があるからそこまで走って!」
花村と七歌の言葉に頷いたメンバーたちは一斉に走り出す。
逃げるメンバーたちを追ってF.O.Eも走ってくるが、サイドチェストを崩さずに走ってくるので余計に恐怖を煽ってくる。
堀を迂回してまで追ってくる筋肉の化物。
踏み出した足が地面に着く度に筋肉は隆起し、右足が着いたときには右胸筋が、左足が着いたときには左胸筋がピクリと跳ねている。
そんな怪しげな筋肉の動きだけでも夢に見そうだが、フンドシで覆われた股間の盛り上がりもいつの間にか目に焼き付いてしまって離れなくなっている。
次の扉まで逃げる途中、最初にF.O.Eがいた場所の傍に地下へ向かう階段が見えた。
残念なことに間に堀があるのでフロアに来てすぐ次のフロアへと言う訳にはいかないが、目的地がハッキリした事は朗報である。
筋肉の化物に勝つ手段がない以上は逃げるしかないが、どうにかF.O.Eを回避か排除するかして次の階へ向かうことを心に決める。
「あと少しだ! 全員中に駆け込め!」
迫り来る筋肉の恐怖に足が止まりそうになるも、鳴上は仲間たちを鼓舞して扉まで走り抜けと叫んだ。
あの筋肉に追いつかれたらどんな目に遭うか分かったものではない。
その恐怖を糧に全員が隣の部屋まで走り抜けると、扉が閉まってF.O.Eが追って来ない事を確認し、全員が安堵の息を吐いた。
「あっぶなー! なんとか逃げれたよー!」
「ギリッギリセーフだぜホントに!」
なんとか逃げ切れた事で、千枝と花村がかなり危なかったと改めて安堵する。
仲間たちもそれに全力で同意して頷き、一部の者は座り込んで呼吸を整えている。
周囲に敵の反応がないからこそ休めている訳だが、出鼻からこれでは先が思いやられるとゆかりが大きな溜息を吐いた。
「はぁ……あんなのがいるとか聞いてないんだけど。てか、次の階段があったのアイツの傍じゃなかった?」
「ええ、それは僕も確認しました。回り込むか倒すか。もしくは何らかの手段で足止めをするかですね」
逃げることに集中している者もいたが、ゆかりは僅かに周囲を見る余裕があったようで、堀の向こう側に地下行きの階段がある事に気付いていた。
運動が苦手なはずの直斗はしっかりと見る余裕はなかったものの、職業柄少しくらいは周囲を見ていたことでゆかりと同じく階段を見つけていた。
自分たちを追って来ていた色んな意味で恐ろしいF.O.Eが階段の傍にいたので、そんな相手に気付かれないよう階段へ向かうのは非常に骨が折れそうだ。
とはいえ、倒さないのであれば何とか気付かれないよう階段へ向かうか、何かしらの方法で相手を足止めしてその間に階段を降りてゆくしかない。
一つ前のダンジョンでは精神をすり減らしたが、今回はそれとは違った意味で心身共に消耗しそうな予感がする。その事でゆかりらが溜息を溢していれば、呼吸を整え終わった玲がどこか楽しそうに善と話をしていた。
「ねぇねぇ、さっきのF.O.Eみた? フンドシつけてたよ、フンドシ!」
「ああ、そのようだ。やはり、ここは祭りを模した迷宮のようだ」
玲が喜んでいるポイントがおかしい気もするが、確かに先ほどのF.O.Eはフンドシを締めていた。
股間部分がやけにもっこりしていたせいで直視することは出来なかったが、玲以外にも見ている者は何人もいた。
フンドシ野郎と呼びたくなる敵が出てきたと言うことは、下手をすると御神輿なども出てくるかもしれない。
ダンジョンのギミックにはこれまでも驚かされてきたが、今回はひと味もふた味も違いそうだと思っていたところで、アイギスが抱っこしていた八雲が目を覚ました。
「くぁ……あむ」
F.O.Eから逃げる際に激しく揺れたことが原因だろう。まだ眠そうな顔で目を覚ました八雲は、小さな口をめいいっぱい開いて欠伸をするなり、そのままアイギスの胸に口をつけた。
まだ半分寝ぼけているのか八雲は服越しに吸い付いており、もしかすると喉が渇いているかお腹が空いているのかもしれない。
そう思ったアイギスは先ほどの残りである桃ジュースの入ったほ乳瓶を取り出し、ほ乳瓶の乳首で八雲の口の辺りを突いてやる。
すると、目を閉じたまま吸い付いていた八雲もほ乳瓶の存在に気付いたのか、まだ目を閉じているがアイギスの服から口を離してほ乳瓶の方へ吸い付いた。
一生懸命に吸い付いてジュースを飲んでいる様子から察するに、どうやら喉が渇いていたらしい。やはり赤ん坊にこの蒸し暑い環境は辛いのだろうと思いつつ、アイギスは再びハンカチを濡らして八雲の首を冷やしてやる。
「八雲さん、本当に辛いようなら校舎に戻って良いですよ。お留守番している間はマリーさんが遊んでくれますから」
「むー」
「そうですか。でも、帰りたければ言ってくださいね。無理をするのはダメですよ」
相手の体調を気遣って校舎で留守番しておくことを提案してみたが、八雲はいやいやと首を横に振って見せた。
マリーと一緒に遊ぶのは好きなようだが、だからといってアイギスから離れて留守番するのは嫌らしい。
ジュースを飲みながら左手だけでほ乳瓶を持ち、空いた右手でアイギスの服を掴んで離れない事をアピールする。
赤ん坊のそんな素直な態度にアイギスも苦笑すると、相手の意思を尊重して彼をこのまま同行させる事にした。
本当に辛くなればいつでもアイテムで校舎に戻ることが出来る。だからこそ、他の者たちもアイギスの決定に異論は挟まず、全員の体力がある程度回復して先へ進むことにした。