【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百七十五話 BBQ

――ヤソガミコウコウ

 

 動く歩道ことトラベレーターをいくつも乗り越えて三つ目の質問部屋に到着した一同は、そこで新たな質問を受けた。

 その内容は「好きな子に褒められた。どんな風に?」というもので、選択肢はこれまでと異なり「ステキ!」「かっこいい!」「ブリリアント!」の三つが用意されていた。

 三つ目の選択肢は誰かの口癖を想起させたが、これまでの質問には湊と八雲で答えていたので、他の者たちはここでも彼に選択を委ねる。

 選んで良いよと言われた彼は腕を組んで難しい表情で考え込み、真田が本当に言葉の意味を理解しているのかと訝しむ一幕もあったが、そちらは美鶴が一睨みすれば黙り込んでいた。

 そうして、たっぷり考えた末に八雲が選んだ答えは「うっうー!」というもの。

 他の者ではやはり理解出来なかったけれど、質問している存在はそれで十分だったらしく扉は無事に開いた。

 おかげでさらに先進むことが可能になったところで、今日はここまでにしようという事になり探索は終了。全員が校舎に戻ってくれば、教室の前で待っていた風花がトテトテと小走りで廊下に出た八雲を満面の笑みで迎えた。

 

「皆さん、お疲れさまでした。おかえりなさい、八雲君!」

「ま!」

「こっちで見てたけど大活躍だったね。とっても格好良かったよ?」

「うー!」

 

 褒められた八雲は胸を張りながら腕組みをして背中を見せる。

 “東西南北中央不敗”の文字を見た風花はパチパチと拍手し、望んだ通りの反応を貰えた事で八雲は鼻高々だった。

 そんな二人のやり取りを見ていた他の者たちは、八雲も沢山歩いていたのに元気だなと子どもの体力に軽く驚く。

 戦闘は他の者たちが担当していたが、八雲も如意棒と魔法の籠められた道具を使って数体のシャドウを倒していた。

 子どもがシャドウを見ても一切怯んでいなかったどころか、遠距離からでも攻撃して倒せるなど普通では考えられない。

 となると八雲はただ湊が過去の状態に退行している訳でもないのかもしれないが、ここでは詳しい事を調べることも出来ないため、今は八雲も戦力になり得るとだけ頭に入れておくに留めた。

 しかし、湊が抜けても八雲が戦力に数えられた事は朗報であったとはいえ、小さな子どもを連れての行軍はメンバーに少なくない精神的疲労を負わせてもいた。

 窓の外は放課後の暗さになっているので、ここで一度解散してそれぞれ夕食なり風呂なりに向かうことにする。

 男子たちは先に風呂に向かうらしいが、女子は八雲もいるしどうしようかという話になったとき、少し離れた場所にいたマリーがやってきて八雲を正面から見下ろした。

 

「店長、ホントに縮んでる……。背ちっちゃすぎ、性別訳分かんない……手ぷにぷに」

 

 マリーは赤ん坊を見るのは初めてなのか、やや苦手そうな雰囲気を出していたが、最後には目の前にしゃがんで八雲の手を取っている。

 小さくて柔らかい手を傷つけないよう優しく触れる彼女の顔には慈愛の表情が浮かんでいる。

 その様子から察するに別に子どもが嫌いな訳ではなく、単に美鶴と同じく経験不足からどう触れ合えば良いのか分かっていないのだろう。

 八雲は他の赤ん坊より知能が高いので世話は非常に簡単だ。食べた物も全てエネルギーに変換するのでオムツを汚す心配もない。

 流石に食事の時は食べさせてやる必要があるし、寝るときには添い寝してやらねばならないが、ここには率先して世話を焼きたがる者たちが多数いる。

 故に、マリーも徐々に慣れていけば良いだろうと思い、他の者がマリーと八雲のファーストコンタクトを見守っていると、不思議にそうに自分を見上げている八雲をジッと見ていたマリーが何やら決心した瞳で頷いた。

 

「それじゃあ行くよ。部屋、こっちだから」

「おー……」

 

 言いながらマリーは八雲を抱き上げて立ち去ろうとする。

 抱っこされた方はよく分かっていないのかマリーに抱きついて運ばれるままになっているが、二人が階段の方へ向かっている事に気付いてアイギスが慌てて呼び止めた。

 

「お待ちください! 八雲さんをどこへ連れて行かれるおつもりですか?」

「どこって、私たちの拠点だけど? 店長も私もこっちだから」

「今の八雲さんに大人の時の記憶はありません。怯えて泣き出す前に返してください」

 

 ここにいる八雲にあるのはこの年齢までの記憶と前回退行したときの記憶のみ。

 八十神高校側の者たちとはダンジョン内で挨拶したので既に馴染んでいるが、校舎に残っていた者たちは風花以外初対面になる。

 今はアイギスたちの知り合いと認識しているのか警戒はしていないものの、このままマリーが八雲を連れて行ったときは流石に不安を覚えて泣く可能性があった。

 よって、アイギスがすぐに八雲を返すように要求すれば、階段の方へ向かっていたマリーは振り返る際に八雲を強く抱き寄せ相手の要求を拒んだ。

 

「店長が泣くわけないじゃん。……泣かないよね?」

「まう!」

 

 湊が泣くなどあり得ないと絶対の自信を持って答えつつ、小さいと分からないと思ったのか最後は自信なさげに本人に尋ねるマリー。

 すると、聞かれた八雲は「当然さ!」とばかりに不敵に笑って答えて見せた。

 彼は強さに拘っている節があるので、涙という弱さを見せるつもりは一切ないのだろう。

 赤ん坊がそんな風に強がる必要がどこにあるのか理解出来ないが、八雲を連れて行こうとするマリーに彼が泣かないと答えた以上、そのネタで相手を強く引き止めることは出来ない。

 八雲を自分たちの拠点に連れて行くつもりだった者たちが焦る中、話が終わったなら自分たちは行くぞとマリーが再び歩き出す。

 

「八雲さんっ」

 

 相手を引き止めるための言葉が思い浮かばなかったアイギスは、ただ八雲に行って欲しくない一心で彼の名を呼ぶ。

 そんな行動に何の意味があるんだと、他の者が何か正当性のありそうな引き止めるネタがないか考えていれば、マリーに抱っこされていた八雲がマリーを押して身体を離すと、そのまま少し暴れて拘束から逃れた。

 暴れられたせいで赤ん坊を腕から落とす形になったマリーは焦ったが、当の八雲は苦もなく着地してみせ、そのままマリーの横を通り過ぎると走ってアイギスに抱きつく。

 

「まー!」

「八雲さん!」

 

 八雲が走ってきた事でアイギスが腰を落として屈めば、そのまま八雲がアイギスの首に腕を回すようにしっかりと抱きつく。

 彼が自分の許へ戻ってきてくれた事に安堵の表情になったアイギスも強く抱き返し、そんな二人を周りで見ていた者たちは、八雲にとって誰が一番なのか現われる形になったなと少々残念に思った。

 

「はぁ、やはり八雲はアイギスに一番懐いているようだな。マリー、君の気持ちも分かるが八雲の母親代わりはアイギスなんだ。赤ん坊にとって母親は特別でな。どうか分かってやって欲しい」

「……別に呼ばれたから行っただけだし。私が呼んでも来るから」

 

 自分よりもアイギスを優先された事でマリーが拗ねたようにそっぽを向く。

 けれど、ここを離れようとしない辺り、別に八雲の事を嫌ったわけではないようだ。

 異世界に隔離された閉鎖空間内で不和が起きていれば面倒だったので、メンバー内でそういった事が起きなかったのは幸運と言える。

 心の中で安堵してから話が一区切りついたタイミングで直斗が口を開いた。

 

「ところで、この後はどうしますか? 男性陣は銭湯へ行ったようですが、僕たちも先に入浴を済ませて食事にしますか?」

「私はそっちの方がいいな。戦闘で汚れたり汗かいたりしてるし」

 

 直斗の言葉にゆかりが賛成の声をあげる。

 彼女は後方から援護射撃をする形で戦闘に参加していたが、ダンジョンを歩き続けるだけでもそれなりの運動量になっていた。

 おかげで薄らと汗もかいており、さらに戦闘の中で塵や埃が舞ってもいたので、そういった汚れを落としてサッパリしてから食事をしたいという気持ちが強かった。

 他の者たちもその意見に賛成したことで先に入浴を済ます事に決まれば、アイギスと手を繋いで立っていた八雲に玲が声を掛けた。

 

「はーちゃん、ここのお風呂とっても大きいんだよ。泳いだりも出来るの」

「きゃー!」

 

 お風呂で泳ぐことが出来る。そう聞いた八雲は瞳を輝かせると、お腹につけた黒いポケットをゴソゴソと漁って色々と出してきた。

 “ケロヨン”と赤い字でプリントされた黄色い洗面器、そこに入れられたアヒルの玩具が数匹と召喚器型の水鉄砲、さらに半分に切ったスイカ柄の膨らませ済み浮き輪に水色の水泳ゴーグル。

 洗面器とアヒルたちは玲に預け、本人は浮き輪を潜ってゴーグルを掛けると準備万端とばかりに隣のアイギスを見上げた。

 どうやら泳げると聞いて泳ぐ気満々なようだが、お風呂で泳ぐことは本来マナー違反。

 浮き輪まで使うとなれば他の者たちの同意を得る必要があり、少し困ったようにアイギスが周りを見れば、皆が苦笑気味に頷いてくれた。

 

「あはは、アヒル隊に浮き輪にゴーグルとか完全装備やね……」

「……別に本人が作った銭湯だし泳いでも問題ないでしょ」

「兄さん、召喚器型の水鉄砲なんて作ってたんですね。知らなかったです」

 

 他の者の同意が得られた事でアイギスが改めて泳いで良いことを伝えると、八雲は飛び跳ねて喜んでいる。

 ただし、浮き輪を潜ったまま移動するのは危険なので、向こうに着くまでは洗面器と一緒に玲が運ぶことになった。

 もっとも、各々の着替えの準備があるので、最初に八雲たちの拠点にマリーとメティスの着替えを取りに行くと、二人と八雲は先に銭湯へと移動して、他の者たちは自分たちの着替えを拠点に取りに向かってから合流することになった。

 銭湯では生まれたままの姿になった八雲を見て、本当に男の子だったんだと八十神高校側の者たちが驚く場面や、勢いよく走って洗面器に足を入れた八雲が滑りながらお風呂に向かって最後に跳躍して飛び込む一幕も見られた。

 勿論、後半の危険な行為はすぐにアイギスが叱って止めさせたが、器用だなと思った七歌と千枝が大きい大人用の洗面器を使って試してみたところ、滑走中のバランスを取るのが非常に難しく、そちらに気を取られて浴槽付近で跳躍して飛び込むことが出来ないと判明。

 そんなに難しいのかとりせやラビリスも試してみたが、惜しかったのは浴槽の縁に着地できたラビリスの一回のみで、後は全員縁で引っかかって顔面から浴槽に突っ込むか、高さが足りずに臑を強打したり、そもそも飛べずに滑って後頭部をぶつける結末に終わった。

 赤ん坊ですら自身の腰より高い四十センチのほどの縁を飛び越えられたというのに、身体は大人な自分たちが出来ない事は少なからず衝撃があった。

 敗北感を感じてその事で落ち込んだ者たちは、今日は自分たちが掃除をすると告げ、湊が抜けた事で当番制になった風呂掃除を率先して行なうのだった。

 

――屋上・フードコート

 

 一方その頃、男子たちも湊が抜けた事で風呂掃除や洗濯を自分たちで行なう必要があるという話題になり、とりあえずは全員でやれば良いのではないかという方向で話が纏まった。

 最初は当番制が良いのではとの意見も出たのだが、そうなるとメンバーによって出来に差が出来てしまう。

 本人たちは真面目にやっているつもりでも、性格や器用さによってどうしても差は出来る。

 ならば、全員でやって細かなチェックをすれば一人辺りの労力も少なく済み、メンバーごとの出来の差も生まれなくなる。

 洗濯も同じように全員でやって全員で干せば、怠惰な性格の順平やクマもサボらず小まめにやると思われ、全体の衛生状況は清潔に保たれる事になるだろう。

 そうして、全員で掃除を行ない。綾時、荒垣、鳴上、完二、善の五人が主なチェックメンバーに決まって最終チェックを終えて銭湯を出ると、入浴後でラフな部屋着姿になった男子たちは屋上で夕食を取ろうという話になっていた。

 だが、そこにいるメンバーの表情は食事前とは思えないほど暗く、六人掛けの席に分かれて座っていた順平が溜息混じりに不満を口にした。

 

「はぁ……最初は楽しかったけど、流石に三食この調子だと飽きるのも早いな」

「栄養も何も考えられてねぇからな。強いて言えばカレーが一番マシっていう極端な状態だ」

 

 愚痴を垂れる順平に荒垣がしょうがないだろと同意しつつも言葉で諫める。

 この世界にある食べ物は基本的には文化祭の出し物の延長でしかない。

 中にはジャンボパフェのような珍しい物もあるが、デザートを除く食事系に関しては屋台系のB級グルメばかりが並んでいるのだ。

 これではいくらジャンク好きな男子高校生と言えども早々に飽きてしまう。

 せめてラーメンがあれば違うのにと落ち込む順平に、外の世界の記憶がない善が不思議そうに尋ねた。

 

「玲は毎日美味しそうにドーナッツやタコ焼きを食べているが、君たちはここでの食事が不満なのか?」

「まぁな。別に不味くはないけど特別美味くもねぇし。濃いソース味ばっか続くと飽きるだろ?」

「ここで出されている食事は炭水化物がメインだ。作る手間の関係でそうなってしまうんだろうが、どう考えても栄養バランスが悪い」

「食事はモチベーションにも関係してきますしね。七歌さんたちも野菜が足りないって言ってました」

 

 順平に続いて真田と天田が改善点についても述べれば、善はそういうものなのかと難しい表情で考え込む。

 今までは玲が何でも美味しそうに食べている姿を見ているだけで満足し、自分はそれに付き合って少し食べる程度で済ませていた。

 元々、自分から何かを主張することも少ない少年だけに、“そういう物”と納得してここでの食事にも不満を抱くことはなかったのだろう。

 外から来たものたちが不満を口にしたことで、初めて食事の偏りも認識した様子だ。

 

「やっぱここは、有里先輩の通販に頼るしかないんじゃないっすか? どうです。この野菜たっぷりチャーシュー麺とか?」

「なら、俺は中華丼にしようかな」

「そこはサイドメニュー的なサラダセットとかにしとけよ。つか、本人もいないのに通販してくれるか微妙だろ」

 

 完二と鳴上がタブレットで通販のページを見ながら暢気に話すのを聞いて、そういう野菜の摂り方なら焼きそばでも出来るだろと花村がツッコミを入れる。

 確かに最終的には完二の言う通りに通販に頼ることになるかもしれない。

 ただ、現在、その仕入れを担当している青年がこの世界にいない。

 一応、本人と同一の存在である赤ん坊はいるのだが、相手に通販の注文を頼んでも理解されない可能性が高い。

 となると、食事だけにかかわらず、当分の間は通販に頼らず自分たちで凌いでいくしかないのだ。

 いなくなった彼と同等の力を持つという綾時がいるので、戦力的には足りているに違いない。

 自分たちだけならば不安にも思っただろうが、異なる場所で戦いに明け暮れる同胞もいる。

 今の戦力を考えればこの世界の謎を解いて脱出するのは時間の問題だろう。

 

「まぁ、今はある物で我慢しようよ。そのうち湊も元に戻ると思うから」

 

 だからこそ、食事のラインナップについては我慢しようと綾時が他の者を宥める。

 焼きそば、タコ焼き、お好み焼きにフランクフルト。唐揚げもあればホットドッグだってある。ちょっと違った物が食べたいならカレーライスやトッピングは皆無ながらうどんもあった。

 ある意味遭難中とも言える状態で栄養バランスなど考えてはいけない。贅沢など言わずこれらをローテーションすれば少しくらいは凌げるはずだ。

 

「そうだな。じゃあ。俺はホットドッグにしよう。陽介はどうする?」

「俺はカレーライス……いや、うどんにカレーかけて貰ってカレーうどんでも作ってみるか?」

「お、それも美味そうだな。シンジ、俺たちもそれにするか?」

 

 湊がいつ戻るかは分からない。それは消耗具合と回復スピードによるとしか言えないので、しばらくこの状態が続くとは思われる。

 けれど、残るダンジョンを踏破していく途中できっと彼は復活する。

 前に退行したときも強敵の出現を感知して無理矢理に復活して参戦したのだから、自分たちも今はある物に感謝して食事を頂こうと男子たちは立ち上がった。

 鳴上と綾時はホットドッグを買いに端の屋台へと向かい、真田たちは花村発案のカレーうどんを作るためうどんを買いに向かう。

 クマや天田はどうするか悩んでいたが、クマが椅子に座ったまま悩んでいるとフェンスの向こう側から女子の笑い声が耳に届いた。

 

「およ? 何やら向こうの方からチエチャンたちの楽しそうな声が聞こえてくるクマ!」

 

 声が聞こえてくるのは教室棟と実習棟の間にある中庭の辺り。

 そんなところに出店などあっただろうかとフェンスに駆け寄るクマに順平もついて行けば、そこには予想だにしない光景が待っていた。

 

「はぁっ!? なんで女子らは楽しそうにBBQなんてやってんだっ!?」

 

 本来、そこには何もなかった。ただ何もない空き地のような空間があっただけだ。

 だというのに、順平とクマが見たそこにはキャンプ場にあるようなブロックを組んで作られた竈、そして炭焼き用のグリルで肉や野菜を調理する女子たちの姿があった。

 自分たちの食事を買いに行こうとしていた者たちも、順平の声が聞こえてくると走ってやって来るなりフェンス越しに中庭を見る。

 するとやはり、そこにはベルベットルームの住人らと一緒にBBQを楽しむ女子たちがおり、なんで彼女たちはそんな豪勢なものを食べているんだという疑問が湧く。

 

「あぁ、あの串に刺さった肉とかメッチャ美味そう……」

 

 肉汁が下の炭に落ちるほどジューシーな牛肉が串に刺されて焼かれている。

 屋上まで匂いが届きそうなほど見事な焦げ具合のそれを、調理を任されたのかテオドアが取ってアイギスの皿に載せた。

 貰ったアイギスは礼を言ってから肉を一つ箸で外し、膝の上に座っている八雲に食べさせている。

 口を開けた八雲にアイギスが食べさせてやるときなど、屋上で見ている男子らは善以外の全員が思わず一緒に口を開けてしまったほどだ。

 しかし、八雲が美味しそうにモキュモキュと口いっぱいに頬張ろうと、屋上で見ている者たちの口には唾液しか溜まってこない。

 空しさとひもじさのピークに達した男子たちは、お互いに視線を交わして頷くと屋上から走り去っていった。

 

――中庭

 

 入浴が終わり、今日の掃除当番たちがお風呂を掃除している間に洗濯の準備をしていた女子たちは、掃除が終わって当番が戻ってくると夕食をどうするかという話になった。

 今は湊がいないので通販が使えないだろうという見解はこちらでも一致しており、そうなってくるとある物の中で八雲の栄養バランスを考えてゆく必要がある。

 自分たちは肉体的に大人なのである程度は我慢していられるが、赤ん坊の八雲に同じようにさせるのは酷というもの。

 よって、少ないなりに野菜も摂取できるよう知恵を出し合って考えていると、そういえばとマリーが自分が散策中に見つけた物について話した。

 

「あ、そういえば、発送センターの冷蔵庫に色々なんかあったよ。ジュース取るときに見た」

「なるほど、確かに銭湯とか生活環境を整える準備をしていた兄さんなら、自分がいなくなった後のことを考えて残していてもおかしくありませんでしたね」

 

 彼は最初から自分が倒れる事が分かっていたように準備を進めていたので、予め準備をしていてもおかしくはない。

 客の注文の品を除けば、マリーやメティスはフリーパスで利用できる業務用の冷蔵庫も発送センターには置かれている。

 一応、拠点の冷蔵庫にもいくらかの食材は置いてあるだろうが、確認するなら大きい方からにしようと全員で向かえば、まず最初に発送センターの広さに驚かされた。

 外から見た感じは普通の教室だが、中はまるで他のダンジョンのように別の空間が広がっている。

 発送センターという名前の通りに、沢山の棚と置かれた商品の数々、さらに教室よりも大きいと思われる冷蔵室と冷凍室が並び、部屋の隅には未使用の段ボールや発泡スチロールの箱が詰まれている。

 体育館を銭湯に改造していたときも思ったが、湊はどうやって教室を作り替えているのだろうかと疑問に思いつつ、冷蔵庫ならぬ冷蔵室まで向かった一同はカード認証タイプのロックをあいかに外して貰い、分厚い扉を開けて中に入った。

 

「うわ、寒いね。八雲君は大丈夫かな?」

 

 お風呂上がりで部屋着状態な事もあって冷蔵室の中は非常に寒く感じる。

 自分たちでこれなのだから、パンダの着ぐるみパジャマの下はオムツしか身に着けていない八雲は凍えてしまうのではないかと雪子が心配した。

 そして、アイギスに抱かれている八雲の方を見てみれば、寒いのが楽しいのかアイギスの胸に顔を埋めて遊んでいる姿があった。

 

「うぶぶぅ」

「八雲さん、寒ければ言ってくださいね」

「ふぉふぉふぅ」

 

 ずっとアイギスの胸に顔を埋めたまま話しているので何を言っているのか分からない。

 他の男子からすれば血涙を流すほど羨ましい状況だと思われるが、赤ん坊が母親に甘えているだけなのでアイギスも他の女性陣も特に何も思ってはいなかった。

 八雲が大丈夫であるならば後は探すだけ。そう思って手分けして探そうとしたとき、マリーが自分が見つけた物のところまで歩いて指さした。

 

「ほら、これ。今日の夕食用って書いてるでしょ?」

 

 彼女に続いて他の者たちもそこに向かう。

 マリーが指さした先には、確かに今日の夕食用と書かれた紙が貼られたラップで包まれたバットがいくつも詰まれていた。

 中はカットされた食材や下準備を終えた状態で串に通された食材が入っており、下の方にあった深いタイプのバットにはサラダまで入っている。

 ジュースを探しにこんな場所に入ってきているマリーも謎だが、おかげで八雲に栄養バランスの整った食事を食べさせてやることが出来そうだと頷けば、背後から突然エリザベスの声が聞こえてきた。

 

「どうやら無事に発見出来たようですね。実は八雲様から本日の夕食についてお手紙を預かっていたのですが、説明する手間が省けました」

「え、手紙って兄さんは何て?」

「はい。そこに置かれた食材を使って中庭で“B・B・Q”をして欲しいとの事でした。赤ん坊の自分には量を食べさせておけば良いからと」

 

 見ればエリザベスの手には白い封筒が握られている。

 読んでも良いという相手から受け取ってチドリが目を通せば、シンプルに今日の夕食用に食材を用意した旨と大まかな準備はテオドアに頼んである事が書いてあった。

 用意された食材は優に三十人前はあり、明らかに湊の拠点にいる者とベルベットルームの住人では食べきれないと思われる。

 小さな八雲がどれだけ食べられるか確かめた事はないが、それでも湊ほどではないと思われるので、多い分は八雲の世話をしてくれる者へのお礼代わりなのだろう。

 そんなチドリたちの推測を肯定するように、冷蔵室の扉を開けたエリザベスは食材を持って外へどうぞと案内をしてくる。

 

「中庭ではテオが既に竈とグリルの準備をしております。使い捨ての食器類やテーブルもセッティング済みですので、皆様は食材の運び出しと主賓の八雲様のエスコートをよろしくお願い致します」

「わたしもはーちゃんと一緒に食べて良いの?」

「ええ、全て八雲様の提供ですので、退行前に許可を貰っている私共とメティス様とマリー以外の方も許可を頂けば問題ありません」

 

 湊はいないが八雲も同一人物なので、そちらから許可を貰えばBBQに参加出来る。

 それを聞いた女子たちは、新鮮な野菜のサラダや上質な肉を見たことで、是非ともご相伴に預かりたいという思いが湧いた。

 本人は今もアイギスの胸に顔を埋めるので忙しそうだが、きっと寒い冷蔵室にいる間はずっと同じ調子だろう。

 アイギスから顔を離して鼻が赤くなっても可哀想なので、とりあえず全員で食材を運び出してしまい。向こうについてから許可を取ることにする。

 

「皆、手分けして運んでしまおう。アイギスは八雲と一緒に中庭で待っていてくれ。せっかく温まったのに風邪をひかれては困るからな」

「すみません。皆さん、よろしくお願いします」

 

 美鶴の指示に従ってアイギスは先に冷蔵室から出ると、他の者も手分けしてバットを中庭の方へ運んでゆく。

 食べ物ばかりではあれだからと、フリーパスのメティスが置いてあったペットボトルのお茶やジュースも貰っていき、夕食用の食材が全て運び出されるとテオドアが竈とグリルで調理を開始する。

 竈もグリルも複数用意されていたので、湊が残していた調理方法の書かれた紙を見ながら、七歌やラビリスもテオドアの手伝いをする。

 グリルに置かれた肉が焼けるにつれて肉汁がしたたり網の下の炭に落ちる。

 ジュッ、と一瞬で蒸発した肉汁は煙となって肉を燻し、辺りには炭火調理特有の香ばしい香りが漂った。

 椅子に座ったアイギスの膝の上で大人しくしていた八雲も、良い匂いがしてくると視線でアイギスにまだかなと尋ねてきた。

 

「あーう」

「もう少しで焼けますよ。一番最初の一番美味しいお肉は八雲さんのものです」

「うー!」

 

 一番美味しいという事は一番特別という事だ。アイギスの言葉の意味を分かっているらしい八雲は、特別なものを貰えると聞いて瞳を輝かせて楽しみにしている。

 他の者たちは先に許可を貰って、「まう!」と返事を貰っているので準備を手伝いながら同じように待っている。

 ベルベットルームの住人らはテオドア以外は働く気がないようだが、彼女たちも一番最初の肉を八雲に与える事には賛成なようなので、サラダをつまみながら最初の肉が焼き上がる瞬間を待った。

 

「お待たせ致しました。どうぞ。こちら、最初の一本にと仰せつかっていたシャトーブリアンでございます」

「ぴゃー!」

 

 アイギスの前に置かれた紙皿に串が置かれると、待っていましたとばかりに八雲が興奮した様子を見せる。

 肉の部位を聞いていた美鶴や千枝は目を見開いて驚いていたが、肉の部位など気にしないアイギスは礼を言ってから箸で肉を外してゆく。

 表面は軽くカリッと焦げ目がついた肉は、そっと箸で掴むだけで肉汁がジュワッと溢れてくる。

 このまま食べさせると火傷してしまうので、アイギスがフーフーと軽く冷ましてから口に運んでやれば、八雲は小さい口をいっぱいに開いて肉を受け入れた。

 

「美味しいですか?」

「まーも!」

「フフッ、それは良かったです。沢山あるのでご飯や野菜と一緒に食べましょうね」

「うー!」

 

 一生懸命噛んでから飲み込んだのを確認すると、アイギスは続いて竈の方で炊いたご飯を一口分箸で摘まんで八雲に食べさせる。

 そちらも八雲は美味しそうに食べているので、満足してくれているのなら良かったとアイギスも同じ物を食べてゆく。

 食材は湊が全て下準備を終えていたと聞いているが、スパイスをまぶして寝かせていた肉には十分な味が染み込んでおり、余分なタレなどを掛ける必要がないくらいに旨みが感じられる。

 ご飯の方もモチモチふっくらと炊きあがっており、七歌たちが担当したご飯に八雲もご満悦だ。

 一方、ご相伴に預かることが出来た女性陣も、濃すぎる味付けに飽きていた事もあって生野菜や丁寧に下準備された食材の味に感動を覚えている様子。

 せっせと焼いているテオドアも他のメンバーがたまに交代して食事をしており、湊のように一人だけに負担が行くことは避けられている。

 おかげでその場には笑顔と笑い声が響き、肉と野菜が交互に刺さった串を両手に持った玲がやってくると、最高の笑顔を見せて八雲に感謝の言葉を送った。

 

「はーちゃん、おいしいご飯ありがとう!」

「まう!」

「えへへ、一緒に食べると楽しいよね。おいしい物がもっとおいしくなるし」

 

 善と二人のときはこんな事を考えることもなかった。

 二人でいることが嫌だった訳では決してないが、皆と会ってからの方が食事を楽しいと感じている。

 笑顔と笑い声が響く食事風景を心に焼き付けながら、玲が新しい料理を食べてくると言って離れていくのを八雲が見送れば、急にドタドタと走る足音が響いて校舎の方から男たちが出てきた。

 

「ちょ、お前らなんでBBQなんてやってんだよ!?」

「ああ。そんなのがあるなら俺たちも呼ぶべきだろう」

 

 急に何だと走ってきた者たちの方を見れば、自分たちだけで美味しい物を食べるなんて狡いぞと花村と真田が怒りをぶつけてくる。

 食べていた者からするとそんな事を言われてもという感じなのだが、隠れて食べていたと思われても困るので一応説明しておくかと真っ赤に染まったサラダを食べていたりせが口を開いた。

 

「花村先輩、これプロデューサーが小さくなった自分用に用意してたやつなの」

「ええ、僕たちは有里先輩と八雲君の厚意で同席させて貰っているだけなんです」

「じゃあ、俺たちも有里に許可を貰えばいいのか?」

「はい。僕たちもそうしましたから、鳴上先輩たちも同じようにしてください」

 

 後から許可を貰ってもOKだと分かると鳴上たちの瞳にやる気の炎が灯る。

 食べている者たちの皿やグリルの方を見れば、こちらに来てからは不足がちだった野菜だけでなく、ご飯と相性抜群な“ザ・肉”といった品も並んでいる。

 これは是が非でも許可を取らねばと意気込み、花村が先陣を切って八雲とアイギスに近付くと、本人的には普段とは異なる優しいつもりの声で話し掛けた。

 

「八雲くーん。お兄さんたちも一緒に食べて良いかなぁ?」

「ぶー!」

「ちょっ、そこはOK出すとこだろ?!」

 

 許可を求められると八雲は顔の前で大きくバツを作ってダメだと返す。

 完全に許可を貰えると思っていた花村は驚きずっこけているが、八雲は許可を貰いに来ている者たちを見渡すと、急にアイギスの膝の上から降りてグリルの方へ向かった。

 そこで何やらテオドアと話しているようだが、少しすると八雲は一本の串を持って戻ってくる。

 一体それをどうするんだと見ていれば、彼は天田の前で立ち止まって串を掲げた。

 

「ま!」

「くれるの? って、これピーマンの肉詰め串……」

 

 くれるのは嬉しいが天田はピーマンだと分かるなり嫌そうな顔をしてしまった。

 それを見ていた他の者たちは彼が子どもらしくピーマン嫌いと理解した訳だが、八雲が天田に串を渡すとアイギスの許に戻ってタマネギやピーマンを食べていたことで、自分だけ野菜を嫌がっていては子どもみたいじゃないかと天田もすぐにピーマンの肉詰めにかぶりついた。

 まぁ、そんな対抗心を燃やしている時点で赤ん坊の八雲より子どもな訳だが、嫌いなピーマンを食べていた天田は、最初は複雑な表情をしていたというのに咀嚼を続けていると不思議そうな顔になった。

 

「あれ、おいしい? ピーマンの苦みはあるけど、ハンバーグの部分に下味がちゃんとついててこれなら食べられますよ!」

 

 相手の嫌いな食材だろうと美味しく食べられるようにするのが一流の料理人だ。

 湊はいくつかのジャンルはプロの許で学んでプロ級の腕前を持っており、その技術を駆使すれば野菜嫌いの子どもでも食べられる工夫くらいは出来た。

 ピーマンの肉詰め串もその一つであり、天田が美味しそうに嫌いなピーマンを食べているのを横で見ていた完二が、思わずよだれを垂らしそうになりながら八雲の許に交渉に行った。

 

「な、なぁ、オレにも何かくれねぇか? ほら、後でアイス奢ってやっから」

「むー……な!」

 

 ただ頼むのでは虫が良すぎる。そう考えた完二は交換条件としてアイスを奢ることを約束した。

 すると、八雲はそれなら良いよとばかりに再び椅子を降りてテオドアの許に行くと、今度は紙皿にスペアリブを載せて戻ってきた。

 タレがよく絡まった熱々の骨付き肉を貰った完二は、ありがてぇと頭を下げて礼をしてから皿ごと受け取って肉を頬張る。

 噛んだ瞬間に溢れてくる肉汁は火傷しそうなほど熱いが、旨みの凝縮されたスープを溢すのは勿体ないと我慢して飲み込む。

 熱々の肉汁を飲みながら、甘辛いタレの絡んだプリプリの豚肉を噛んでいれば、いつまで経っても味がなくならないと感動した様子で完二が声をあげた。

 

「おほっ、これうんめぇ! 甘辛い味付けでいくらでもメシ食えそうだぜ! アイスは五段にしてやっから期待しててくれよな!」

 

 ご飯にも合いそうな甘辛い味付けは好みだったようで、完二がアイスは奮発して買ってやると快活に笑って伝えてくる。

 それを聞いた八雲も嬉しそうにしているので、今なら行けるのではと綾時も頼みにやってきた。

 

「僕も貰っていいかな?」

「み!」

「焼きマシュマロかぁ……」

 

 他の者よりすんなり料理は貰えたが、残念なことに肉でも野菜でもなく串に刺さったマシュマロ一つのみ。

 これはこれで美味しいのだが、もっとお腹に溜まる物がよかったなと少し落ち込みながら綾時はマシュマロを受け取った。

 

「はーちゃん、善も一緒に食べていい?」

「う!」

「わぁ、ありがとう! 善、一緒に食べよ。ベーコンでポテト包んでるのがおいしいんだよ!」

「……そうか。それは楽しみだ」

 

 一方、善の食事の許可を貰いに玲がやって来れば、二つ返事で好きに食べて良いよと許可を出した。

 見ていた者たちはこれが男女差別ですかと心の中で涙を流しつつ善を見送ったが、そんな悲しみに包まれている仲間を見かねたアイギスが助け船を出す。

 

「八雲さん、皆さんにも分けてあげてはダメですか?」

「まーまう?」

「大丈夫です。鳴上さんたちが食べても十分な量を準備してくださっていましたから、分けてもわたしたちがお腹いっぱいになる量はあります」

 

 普段は優しい八雲が男子には簡単に許可を出さない。

 そこに何か理由があるのではと思ってアイギスが尋ねれば、どうやら彼は量が減るとアイギスたちがお腹いっぱいにならないのではと心配していたらしい。

 先に食べていた者が後から来た者のせいで我慢するのは可哀想。そう思ったが故に渋っていたようだが、湊が用意したのは全員で食べても十分な量だ。

 恐ろしいレベルの健啖家である湊がいれば違ったかも知れないが、人並みの食事量しか取らない男子が相手ならば大丈夫。

 その事を八雲に教えてやれば、まだ完全に心配は払拭された訳ではないようだが、ある程度は納得してくれたらしく首を縦に振った。

 

「なう」

「ありがとうございます。皆さん、八雲さんが手伝うのなら皆さんも食べて良いとの事です」

『よっしゃー!!』

 

 許可が下りた途端に拳を突き上げ喜ぶ男子たち。八雲の許を離れる前に礼を言って散っていく彼らは、先にゴミを回収したり調理を代わって仕事を手伝い始めた。

 ここでしっかりと信頼を得て今後に繋げる考えのようだが、料理が出来る荒垣、綾時、鳴上、完二がチェックしながら焼き加減を見るようなので、彼らだけに調理を任せても問題はないだろう。

 後から集まった者たちの表情も笑みに変わり、良かったと安堵の息を吐いてからアイギスが八雲の頭を撫でようと隣を見れば、

 

「ま!」

「マ!」

 

 青髪金眼の八雲が彼と少し似た容姿の白髪銀眼の赤ん坊と手を挙げて挨拶をしていた。

 

「八雲さんが増えてるであります……」

 

 増えた赤ん坊の容姿にはアイギスも見覚えがある。

 髪と眼のカラーリングから見て本人に間違いないだろう。

 彼女こそ八雲の女性の側面を司る異界の神、その名は、

 

「あの、ベアトリーチェさん?」

「マウ!」

 

 そうして、アイギスの許に厄介な赤ん坊がもう一人増えた。

 

 

 


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