――不思議な国のアナタ
ダンジョン内で遭遇したピンクのウサギを追うことに決めた七歌たち一行。
どちらが先に相手を捕獲するか真田と荒垣が勝負してもいたが、残念ながらウサギの捕獲は困難を極めた。
まず、相手は立った状態でコロマルと変わらぬ背丈と非常に小柄だ。
ウサギなので小さいのは当然かも知れないが、四足歩行で走っている獣と違い、二足歩行の人間が小さな敵を捕らえるにはしゃがむ必要がある。
けれど、しゃがんだ状態では素早く動くことが出来ないので、小柄ですばしっこい敵を相手するには不向きな体勢だ。
加えて、瞬間的に速く動く反射神経に自信のある者たちでも、流石に自分たちのリーチの外側に逃げられては何も出来ない。
ならばと全力で走って追いかけ、最後にヘッドダイブで捕獲できないかと順平が挑戦してみれば、順平が飛び込んだ瞬間に相手は高く飛んで回避し、順平の頭を踏んづけてから逃げていった。
踏まれた順平は獣如きがと怒り狂ったが、散々翻弄されている時点で相手を獣と侮る事は出来なくなっている。
何せ、三つ目のフロアまで降りて来ておきながら、現時点ではまだ自分たちが獣にも劣る存在だから。
「くっ、また壁をぶち抜いて行ったぞ」
行き止まりに追い詰めたと思えば、相手は勢いよく壁に体当たりをしかけて穴を開けて逃げてゆく。
ウサギの形に穴の開いた壁は非常にコミカルだが、追い詰める度にこうも逃げられると悔しさが募ると真田が苛ついた様子で右手に左の拳をぶつける。
全ての壁で同じように出来る訳ではなく、相手も逃走ルートの一つとして数ヶ所で行なっているだけだ。
しかし、このダンジョンにはただの壁に抜け道のギミックなどが仕掛けられているので、そういった物と組み合わせてくれば捕獲はさらに難しくなった。
とはいえ、このダンジョンの秘密を探るのに、現在追っているウサギが秘密を握っている事は間違いないはず。
逃げられた悔しさを飲み込みつつ真田が壁の穴に向かうと、他の者たちも後に続いてウサギの開けた壁の穴を通っていく。
「善、なんか探検みたいで楽しいね!」
「そうか。だが、ここは危険な迷宮だ。皆が一緒にいるからと言っても油断してはいけない」
ペルソナを持たない玲だが、彼女はダンジョンを進むことや敵との戦闘中は怯えた様子で善の傍にいた。
七歌たちのようなペルソナ使いも、覚醒して間もない頃は敵と相対したとき不安を覚えたのだ。
いくらスキルのような力を持っていたとしても、敵を倒す力を持たない一般人の玲が怯えるのも無理はない。
だが、皆と一緒に進むにつれて彼女の怯えもマシになり、時には今のように状況を楽しむ余裕すら出ている。
流石に戦闘が始まれば今のような余裕を見せることはまだ出来ないが、常に不安を感じてストレスから倒れられても困るため、彼女を心配する善を理解しつつも順平が余裕も大事だぜと話しかけた。
「ま、敵がいないときはくらい良いじゃん。玲ちゃんのそういう素直で可愛い反応みてっとオレたちも癒やされるし」
玲のようなタイプの少女は自分たちの周りにはいなかった。
一番近いのは湊の後輩である羽入かすみだと思われるが、残念ながら順平は彼女とそれほど接点がある訳ではない。
となると、特別課外活動部を除くと部活もバイトもしていない順平には後輩がいないため、玲のように非常に素直で可愛い女子は貴重に思えるのだ。
急に褒められた玲は照れて顔を赤くしているが、そんな反応もまた新鮮であるため、順平は玲とは対照的な性格をしたピンクのカーディガンの女子を見ながら言葉を続けた。
「やっぱ素直な子って良いよなぁ。女の子ってのはこうじゃなきゃ、な?」
「……なんで私を見て言うのよ」
「え、それ聞く?」
女子は素直な方が可愛いと言いながら順平が見てきたことで、ゆかりは喧嘩を売ってるんだろうかと思いつつも一応理由を聞いてみた。
すると、順平は聞かなくても分かるだろうと呆れ顔になり、他の者たちに聞いて貰いながらとあるエピソードを語る。
「だってさー。この前、オレとゆかりっちが廊下にいたとき、教室から“岳羽さんってスタイルいいよなー”って聞こえてきたんだよ。そしたら、ゆかりっちってば何て言ったと思う?」
ヒントは無し。直感で良いから予想してみてくれと七歌にクイズを出す。
まぁ、女子は素直じゃなきゃと言いながら順平はゆかりを見ていたのだ。そこから予想するに、きっと素直にはほど遠い言葉を吐いたのだろう。
だが、もしかすると、聞いた者が驚くような言葉を口にした可能性もあるとして、七歌はどうせならそっちに賭けてみようと思いクイズに答えた。
「んー、八雲君のおかげとか?」
「あ、いや、そういう生々しいのじゃねぇよ。つか、二人が付き合ってたの知ってるのって基本は中等部組だけだから」
男子の熱い視線を集め、女子からは嫉妬される事もある少女の身体は、とある一人の青年の手によって育てられたものである。
中等部の時点では、小柄である事を除いても風花の方が胸のサイズで勝っており、ゆかりは細身の体型でバランスは良くても男子の語る“スタイルがいい”には当てはまらなかった。
だが、二次成長が始まると女子は男子よりも明確に体型が変化してくる。
肩や腰など身体が全体的に女性らしく丸みを帯び、胸や尻などには脂肪がついて腰はくびれてゆくなど、その変化は前後の姿を比較すれば一目瞭然だ。
ゆかりは元々弓道部で運動をしていたので身体はしぼられており、そういった身体の変化が始まると他の者よりも分かり易かった。
だが、さらにそのタイミングと重なってゆかりは湊と正式に付き合い。仮初めの恋人から正式な恋人になった当日に結ばれた。
恋人として一線を越えれば後は早いもので、二人は何度も肌を重ね、その際に湊が彼女の身体をマッサージする事もあったので、ゆかりはみるみるうちに女性らしい体つきになり、今では美鶴やアイギスに次ぐプロポーションを手にしていたのだった。
よって、七歌が先ほど口にした“八雲のおかげ”というのは事実なのだが、二人が以前付き合っていた事は公にされていないため、内容の生々しさも含めそんな事は言うはずがないと順平は否定してから正解を伝えた。
「んで、まぁ、そんときは一言“うざっ”だぜ?」
「あー。でもまぁ、そんなもんじゃない? 別にジャガイモに見せるためにスタイル維持してる訳じゃないし」
「七歌っちもそういう系かよ。やっぱ、玲ちゃんみたいな素直な子は稀少だわ……」
順平はゆかりがいかに可愛げがないかを説明しようとしたのだが、七歌もゆかりと同じように感じるタイプだったことで、ゆかりが特殊なのではないと現実を突きつけられた。
逆に玲のような素直なタイプこそが稀少であり、順平はポケットに入っていたスナック菓子を玲に渡しつつ、「玲ちゃんは素直なままでいてね」と真剣に願っている。
他の者たちはその様子にやや呆れているが、そんな事を話ながらも一同はダンジョンを進んでおり、現われる敵をサブペルソナを使って倒しながら新たな力に慣れていると扉に辿り着いた。
同じような扉はこれまでにも見ているので、またフロアの区画を隔てる部分に辿り着いたのかと気を引き締める。
こういった扉を抜けた先には、今までよりも強いシャドウであったり、F.O.Eが縄張りを彷徨いていたりするので彼女たちの警戒は正しい。
そして、前衛である真田が最初に扉を潜れば、その先には木に生えたバラの花を絵の具で赤く塗っているF.O.Eたちがいた。
「またトランプのようなF.O.Eか。しかし、やつらは何をしてるんだ?」
「どうやらバラを塗っているようであります。花の色は日光などを浴びる事によって発色すると思っていましたが、実際はあのように職人たちが一つ一つ染めていたのですね。なるほどなー」
バラの花を塗っている敵は今までと同じようなトランプ兵の姿をしている。
ただ、アナライズした風花によればこれまでのF.O.Eよりも気配が強いらしいので、奥のフロアにいる分だけ強いのだろう。
そんな敵がバラの花を塗っている光景は異様としか言えないが、間違った知識を覚えようとしているアイギスに、美鶴がその知識が間違っていないことを指摘する。
「いや、君の知識は正しい。どうやらあれはおとぎ話の通りに赤いバラを作っているようだ」
「あ、塗り終わったら次のバラに向かってますね。塗ってる間は集中してるみたいだし、そこを利用したら上手く抜けられるかも」
美鶴も不思議な国のアリスは原書で読んだことがある。
その中には、赤いバラを植えるところを間違って白いバラを植えてしまい。女王に見つかる前に庭師たちが急いで赤く塗っているという場面がある。
ここにいるF.O.Eはきっとその再現だろうと思っていれば、バラを塗り終わったF.O.Eが次の白いバラに向かい、再びバラを赤く塗っていることに気付いた。
F.O.Eたちは自分たちの縄張り内で行動し、そこに敵が入ってきたときにのみ反応するため、上手く通れば戦闘を避ける事が可能だと判明している。
ならば、ここでは敵がバラを塗っている間に通るのが正解だろうと七歌は判断し、敵が新しいバラを塗り始めたときに通ろうと皆に話す。
「んじゃ、次に敵が塗り始めたら慎重に通り抜けるよ」
「わん!」
「ん、コロマルどうしたの?」
他の者たちが七歌の言葉に頷いてタイミングを計っていると、少し離れた場所からコロマルが他の者たちを呼んだ。
一体どうしたのだとそちらを見れば、コロマルの傍に
きっと本来はバラの木に水を与えるための物なのだろうが、ここを通り抜ける際にも役立ちそうだと荒垣がコロマルが呼んだ意図を察する。
「なるほどな。それを使って絵の具を落としちまえば、敵はそっちに気を取られて安全にいけるって訳か」
「その作戦ならば囮が多い分安全度も増すだろう。私も賛成だ」
「わん!」
ただ相手の隙を突くよりも、先に囮を沢山用意しておいた方が安全なのは確実。
ならば、玲のためにも囮作戦に賛成だと善が言えば、コロマルも誇らしげに尻尾を振って見せた。
他者たちからも特に反対意見は出ず、先に囮のバラの準備をすることに決まれば男子たちが率先して動いてバラの絵の具を落としてゆく。
このときに敵に見つかれば作戦は失敗するので、行動は常に慎重にしなければならない。
池で水を汲んで木まで走り、敵がいないうちにバラの絵の具を落として撤退する。
すると、敵が白いバラがある事に気付いて塗りに来るので、背後を通ってまた別のバラの絵の具を落とすことを何度も繰り返した。
おかげで複数いる敵をほぼ同じエリアに集めることも出来、一同はタイミングを計って素早く後ろを通り抜けることが出来た。
「おっし、何とか抜けられたぜ!」
「はぁ、なんか精神的に疲れた。F.O.Eも簡単に倒せるなら苦労せず進めるのに」
F.O.Eのいるエリアを無事に抜けられた事で順平が晴れ晴れとした表情になり、ゆかりは対照的に疲れたと深い溜息を吐く。
確かに彼女の言う通り、F.O.Eを倒せるなら策を弄する必要もない。
だが、今現在の戦力ではアルカナシャドウに近い反応を持つ敵を複数相手取るのは非常に危険だ。
パーティーには善と玲というペルソナを持たぬ者もおり、尚且つ先に何が待っているかも分からない現状では、今のように戦闘を出来るだけ避けて進んだ方が安全と言える。
ゆかりもそれは分かっているので強くは言わないが、やはり敵に見つかるのを恐れながら進むというのは精神衛生上よくはなかった。
「ゆかちゃん、元気出して。はい、ドーナッツあげる」
「ああ、うん。ありがとう玲ちゃん」
疲れた様子を見せるゆかりを気遣って玲がドーナッツを取り出した。
一体どこに持っていたんだという謎は尽きないが、彼女の心遣いが嬉しかったゆかりは素直に受け取り糖分を摂取する。
甘い物を食べてゆかりも少し元気が出たらしく、彼女が立ち直るとメンバーは移動を再開した。
進んでも進んでもほとんど景色に変化はないが、奥に進めば進むほど出てくる敵は強くなっている。
それがメンバーたちに進んでいる実感を与えてくれるのだが、少し進んだ場所で再びピンクのウサギを発見した。
「お、ウサギ発見!」
「いい加減この鬼ごっこも終わりにしたいものだな」
「あ、でも、また行き止まりに絵があります。これまで通りならまた逃げられますね」
先ほどのゆかりほどではないが美鶴も疲労は感じている。
ウサギを追うほど奥に進んでいるので、ここに来て追跡を止めようとは思わないが、いい加減目的地について欲しいのが本音だ。
しかし、先の通路に視線を向けたところ、天田はまた壁に絵が掛かっているのを発見する。
実はこれまでウサギを追っていると行き止まりで壁をぶち抜いて逃げられていたのだが、その壁には絵が掛かっている事が共通していた。
ならば、今回もきっと同じ方法で逃げられるだろうと思って追ってみれば、案の定、これまで通りウサギは絵の掛かった壁をぶち抜いて逃げていった。
「まぁ、これで先に進めると思えばマイナスではない。先を急ごう」
予想されていた事だけに美鶴は気にした様子もなくウサギの開けた穴を通ってゆく。
他の者たちもそれに続いて穴を通り抜け、さて今度はどこにウサギがいるのだろうかと移動すれば、南京錠のかかった一つの扉を発見した。
見るからに怪しいそれは嫌でも注意を引く。その場にいたチドリが扉にアナライズを掛けて危険がない分かると、湊と同じようにピッキングスキルを持つアイギスが鍵を調べ始めた。
「……ダメですね。とても丈夫なようで破壊は難しく、ピッキングで開けようにも特殊なタイプなようで難しそうです。これならば鍵を探した方が早いでしょう」
「そっか。むー、鍵があればいいけど、とりあえず別の道を行ってみるしかないか」
七歌の中でピッキングマスターの称号を持つアイギスで無理なら諦めるしかない。
このダンジョンに鍵があるのかは分からないが、扉とは別の道もまだ残っているので、そちらに希望を託すしかないかと七歌は歩き始める。
他の者たちも七歌に続いて進んで行こうとすれば、ラビリスとチドリとコロマルが扉の前に残っていたため、一体何をしているのだろうかと足を止めた。
すると、急にラビリスがペルソナを呼び出し、ストリングアーツと呼ばれる固有スキルの赤い糸を鍵穴に入れ始めた。
それを見ていた他の者たちはまさかという表情になって扉の前に戻り、少し待っていれば、カチャン、という音と共に南京錠が外れた。
「ん、よし。ほら鍵なら開いたで」
「すっげー! つか、前から思ってたけどその固有スキルって応用利きまくりだろ!」
「……応用が利く分、使い方を決めておかないと中途半端になるし、咄嗟に図形を思い浮かべたりで扱いづらいのよ」
鍵開けはチドリが内部構造を把握し、その指示を受けてラビリスが糸を動かしたようだが、それにしても便利なスキルだと順平は絶賛する。
しかし、強力な力を秘めたスキルではあっても元は丈夫な長い糸でしかない。
これで剣や盾を瞬時に作り出し敵を屠るには、戦闘中だろうと発揮できる頭の回転と応用力が必要になるので、順平が言うほど簡単な物ではないとチドリが指摘した。
加えて、ラビリス自身も他の者が言うほど自分がスキルを使いこなせているとは思っていない。
それは以前、湊が若藻をアリアドネに変化させ、“ストリングアーツ・椿”というオリジナル技を披露したことがあったのだ。
ストリングアーツは複雑な形状ほど構成に時間がかかるのだが、湊は非常に複雑な形状の椿を即座に作り上げて敵を倒していた。
自分以上に複雑な形状を、技の発動からほとんどラグもなく構成し、尚且つ敵を倒すために工夫された形状と威力にも驚かされた。
そんな自分以上に技を使いこなしている者を知っているからこそ、ラビリスはあやとりの本を参考にしながら作成可能な形状を増やし、それを出来るだけ速く構成できる特訓を行なっている。
今の鍵開けは応用みたいなもので、言われるほどすごいことではないので、他の者から礼を言われた彼女は笑顔で気にしないでくれと返し、開いた扉の先へ向かうことにした。
――不思議な国のアナタ・最終章
鍵付きの扉の先へ向かうと、ウサギとバラ塗りのF.O.Eが同じエリアにいる事が度々あった。
ウサギを追おうにもF.O.Eが邪魔で上手くいかず、かといって戦闘するのも躊躇われた事で、先にF.O.Eをバラの木におびき寄せ、その隙にウサギを追うという作戦に出た。
やはりというかF.O.Eは決まった行動パターンを取るらしく、バラの木におびき寄せさせすれば突破は簡単だった。
けれど、順調に行っていたと思われた探索も、とある部屋にさしかかったところで足止めを喰らった。
なんとそこには徘徊するF.O.Eが三体もいたのである。バラの木も三本あったので、それぞれに敵をおびき寄せれば良いのだが、部屋の北側にいたF.O.Eが丁度通路を塞いでいるせいで、その敵を離れたバラの木に誘導する必要があった。
だが、F.O.Eはバラの木一本に付き一体しか担当せず、担当するのは一番近いF.O.Eだという事で、他の者よりも離れている北側のF.O.Eを別の場所に誘導するには全員の知恵を絞らされた。
上手く北側のF.O.Eを誘導して道を通ることが出来たときには、思わずハイタッチをし合うほど喜んだものだが、その甲斐もあって一同は無事に最下層に辿り着いた。
これまでとは明らかに異なる雰囲気。先に待っていたウサギも最早逃げる気はないのか立ち止まっており、それならばと順平が捕まえようとする。
「よっし、ついにゲットだぜ!」
ようやく捕獲完了だ。そう思って手を伸ばせば、順平が触れる前にウサギはその場で消えてしまった。
風花に調べて貰っても反応が完全に消えているらしく、どうやら本当にここまでの案内役でしかなかったと推測される。
ずっと捕まえるために追っていたメンバーにすれば、最後の最後でなんだそれはとやる気を削がれるが、一同の視線の先には物々しい空気を出している鉄門があったことで、何とか集中力は途切れていなかった。
「あれの向こうにボスがいるみたいだね。この場所を考えると多分“ハートの女王”かな」
「フッ、相手が誰だろうと敵ならば倒すまでだ」
「アキ、そういって油断すんじゃねぇぞ」
不思議な国のアリスが元になっているのならば、ボスは十中八九“ハートの女王”だと思われる。
風花もこの先からF.O.Eを超えるアルカナシャドウ級の反応を感じるそうなので、いよいよこのダンジョンのボスとの対面だと全員が武器を構えて戦闘モードに思考を切り替えた。
善と玲は最後尾に配置し、咄嗟に反応出来るコロマルとアイギスが脇を固める形で鉄門を開いて中に入る。
するとそこには、大きな宝箱に頬摺りしている、王冠を被り派手なドレスを着た巨大なシャドウがいた。
敵は七歌たちが入ってくると頬摺りをやめ、宝箱を壁際まで滑らせてから振り返る。
《危険、危険を感じるぅぅぅぅ! ダメよ、これは絶対に渡さなぁぁぁぁい!》
宝箱に頬摺りをしているせいで分かりづらかったが、背筋を伸ばして立った相手は非常に大きかった。
大きさだけで言えばこれまでのアルカナシャドウを超えているほどで、それが強さに直結する訳ではないがシャドウが喋った事も含め自然と全員が警戒度を引き上げる。
《アンタはずっとここにいるの! 絶対にこの世界からは出さないわよぉぉぉ!》
「フン、お前の許可など知った事か。俺たちはお前を倒し元の世界に帰らせて貰う」
「ああ、私たちはここから出る。そう決めたんだ」
この場所から出さないと叫ぶハートの女王に真田と善が言い返す。
相手が何を言おうと関係ない。自分たちはお前に勝ってここを出るのだと。
だが、二人の言葉を聞いたハートの女王は、何がおかしかったのか突然お腹を抱えるようにして大声で笑い始めた。
《あーはっはっはぁぁっ!! おもしろい、おもしろいわぁ! アナタが出してくれるだなんて、なーんてお優しいのかしらねぇ?》
相手はどうやら最初に逃がした宝箱を奪われまいとしているようだが、話を聞く限りこの世界に閉じ込めた元凶だと思われる。
ならば、これ以上の会話は不要。そもそも、会話がちゃんと成り立っていたとも思えないが、全員が武器を構えたところでハートの女王は持っていた扇を広げて声をあげた。
《来なさいあんたたち! ロイヤル・ストレート・フラァァッシュ!!》
女王の声と共に敵と七歌たちの間に光が広がり、そこにトランプ兵の軍勢が現われる。
スペード、ハート、クラブ、ダイヤの四つのスートに分かれ、各スートごとに絵柄を除く一から十までの数字を司る兵が揃っている。
突然現われた女王を守る四十体のシャドウにメンバーらは気圧されそうになるも、こいつらを倒して自分たちは女王の許に辿り着かねばらないと気合いを入れ直す。
「全員、なんとしてでも女王に辿り着いて倒すよ!」
『おおっ!』
七歌のかけ声と共に前衛組がトランプ兵へと突撃する。一番槍を担った真田は、クラブの一を殴り飛ばして敵を数体巻き込むと、その隙にペルソナを召喚する。
「こい、カエサル!」
真田の呼び声に応え、その手に剣と地球を持った男性型ペルソナのカエサルが現われる。
進化した真田のペルソナは仲間のペルソナよりも強い気を発しているが、それがハッタリではないと証明するように剣に雷を纏わせて敵へと振り下ろした。
「カエサル、ジオダイン!」
振るわれた剣の軌跡に合せて迸った雷は、トランプ兵の一画へと落ちて数体の敵を一度に消滅させる。
それを見て数は多いが一体ごとはそれほど強くないと理解すると、真田に続いて順平と荒垣もそれぞれの武器で間近の敵を切りつけた。
「おっらぁ!」
「くらいやがれ!」
順平と荒垣が切った敵が周りのものを巻き込んで倒れる。そのタイミングで後ろから走ってきたコロマルと天田が倒れた敵を切りつけて止めを刺した。
前衛がそのように敵に切り込んでいる間に、後衛組も魔法と遠距離武器で援護して敵を減らしてゆく。
前衛組のように簡単には倒せないが、二発、三発と当てて確実に数は減らすことが出来ていた。
ここまで来る間にシャドウとの戦闘で疲れていたが、ここが正念場だと全員が気力と体力を振り絞って女王を目指す。
だが、そんなとき最奥に控えて七歌たちとトランプ兵の戦いを観戦していたハートの女王の声が響いた。
《なかなか頑張るじゃなーい? で・も、シャッフルターイム!》
戦いを見ていた女王が再び扇を広げて振ると、その瞬間、減ったはずのトランプ兵が復活して軍勢が再び四十体に増えていた。
相手がそれほど強くなかったことで突破は容易だと思っていた者たちは驚愕し、復活したトランプ兵が一斉に押し寄せてきた事で戦線を戻される。
集まってくるトランプ兵を必死に殴りながら後退する真田は、敵のデタラメな能力に苦い顔を浮かべた。
「なっ、倒しても復活するだとっ」
「ちょっ、これじゃあ、いくら倒したってキリがねーよ!」
戦線を押し戻されそうになりながらも前衛組は踏ん張り、何とか最初の位置で敵を叩いてゆくも、相手の“シャッフルタイム”とやらが無限に使えるのであれば消耗戦になり負ける。
今はまだ敵を後衛組の許に行かせるかと前衛が頑張ってくれているが、肉弾戦をしている前衛組の体力、スキルを使っている後衛組の気力、それらがどこまで持つか分からない以上、雑魚を無限に生み出し続ける相手の能力は非常に厄介と言えた。
前衛組と後衛組の中間の辺りでどちらにも混ざって対応していた七歌も、このまま持久戦に持ち込まれれば負けることは理解していた。
だが、捨て身の一点突破で短期決戦に持ち込もうにも、四十体の敵の壁は流石に厚すぎた。
「くっ、流石にこう多いとっ」
「天田っ!!」
二体のシャドウに押され天田が倒れる。それを庇うように荒垣が飛び込んで敵を倒すが、その際に腕を切られて傷を負っている。
怪我をした二人が下がる隙を作るためコロマルがペルソナで炎を放つが、すぐに女王が“シャッフルタイム”で兵士を補充してしまう。
力が足りない。数が足りない。不利になってからないものを嘆いてもしょうがないことは分かっている。けれど、このままでは撤退も難しいため、何かないかと七歌は考え続けた。
そしてそのとき、
「――よう、待たせたな!」
自分たちの背後、この部屋に入ってきた鉄門の方から声が聞こえ、七歌たちは僅かに視線をそちらに向けた。
するとそこには、馬鹿としか思えないダサいポーズを決めた同世代の少年少女が立っていた。
自分たちが必死に戦っているというのに、そんなポーズを後ろで決められていると無性に腹が立つ。
七歌が怒鳴るよりも先にアイギスが真顔で彼らの足下にマシンガンを掃射し、当たらないよう配慮されていたとはいえ、現われた者たちは全員が驚いてあたふたしていた。
「おわっ、ちょ、タンマタンマ! ふざけた事は謝るから、とりあえず助太刀させてくれ!」
「そっちは左舷を担当して! 混ざると指示が難しいから!」
「了解!」
相手が一体誰かは分からないが背後から攻撃して来なかったという事は敵ではないらしい。
アイギスの威嚇射撃を喰らっても助太刀させてくれと言っていたので、相手は最初から援軍としてここに来たのだろう。
その事を瞬時に理解した七歌が指示を出せば、ヘッドホンを掛けた少年と太刀を持った少年が駆け出し、七歌に言われた通り左舷の敵を吹き飛ばした。
先頭にいた敵が吹き飛べば、さらに後ろから走ってきた緑ジャージの女子がトランプ兵に跳び蹴りを放っている。
七歌たちの方にも徒手格闘で戦おうと思えば戦える女子はいるが、普通に考えて武器で戦った方が強いので実際にやるものはいない。
だが、緑ジャージの女子はフットワークを活かすために足技を選んでいるようで、敵を蹴り飛ばすとすぐに後退していた。
「来やがれ、タケミカヅチ!」
女子が後退するなりそこへ雷マークのような武器を持ったペルソナが現われ、そのままトランプ兵とクマの着ぐるみを薙ぎ払った。
いつの間に新手のシャドウが現われていたんだと七歌は気付くのが遅れた事を反省するが、先ほどのペルソナを召喚した厳つい男子が諸共薙ぎ払ってくれた事で危機が去ったことに安堵する。
援軍が左舷を抑えてくれている事で、七歌たちはスキルで回復するが、そのとき援軍組の赤カーディガンの女子がチアリーダーのようなペルソナを召喚して回復を手伝ってくれた。
その間に寄ってくる敵は、帽子を被ったボーイッシュな女子の小さなペルソナが素早く切りつけて倒してくれたことで十分に治療することが出来た。
これなら自分や美鶴も前衛組に合流しても良いかもしれない。七歌がそう考えていると、
《アハハハハっ! むだ、むだ、むーだ! いくらやってもアタシの兵士たちは倒せないわよ! だって、一体いればぜーんぶ復活出来るんですからぁ!》
そう言うなりハートの女王は再びトランプ兵を復活させた。これを初めて見る援軍組は驚いたようだが、直前の敵の言葉で状況は把握したらしい。
折角稼いだ距離を押し戻されまいと、援軍組から細身のハンマーを持った黒髪の女子と身の丈ほどの棍棒を持った青みがかった髪の小柄な女子が前衛に合流する。
「これは流石にっ」
「
お互いにフォローできる距離で戦う二人も、人海戦術で攻められれば危険だと理解しているらしく表情は優れない。
だが、最初に敵に向かっていった太刀の少年が仲間を鼓舞するように声をあげる。
「全員踏ん張れ! 一体でもいれば増えるなら、増える前に倒せば良いだけだ!」
「おいおい、それが難しいからどうすんだって話だろ!」
「うっさい、花村! そんなの気合いでどうとでもなるっしょ!」
恐らくリーダーは太刀の少年、そしてヘッドホンの少年と緑ジャージの女子は順平とゆかりのような関係だ。
戦いながら援軍の戦力を把握していると、視界の端で先ほど薙ぎ払われていたクマの着ぐるみ型シャドウが立ち上がるのが見えた。
援軍組はそれに気付いていないのかトランプ兵に集中している。
このままではマズいと思った七歌は銃を持っているアイギスに叫んだ。
「アイギス、クマ型シャドウを撃って!」
「了解であります!」
善と玲の護衛をしながら援護を担当していたアイギスは、すぐに照準を合わせるとクマの着ぐるみ型シャドウを狙い撃つ。
しかし、その指が引き金を引こうとした瞬間、前衛として戦っていた黒髪の女子が声をあげた。
「待って姉さん! クマさんは味方です!」
クマの着ぐるみ型シャドウが味方と言われ、七歌たちは全員が頭にクエスチョンマークを浮かべる。
けれど、援軍組の子が言うのならそうなんだろうと、アイギスも照準を他のシャドウに合せて攻撃を再開した。
最初にふざけたポーズを取っていた事も含めて、援軍組は訳の分からないメンバーが揃っている印象を持つ。
ただ、立ち上がったクマもクローでトランプ兵を切りつけているので、先ほどの黒髪女子のいう事が真実だったことは七歌たちにも理解出来た。
「けど、やっぱりこれじゃ埒が明かないっ」
援軍が来てくれた事で状況は好転した。消耗戦になって押され掛けていたところを、イーブンにまで巻き返せているだけ十分マシなことは確実である。
しかし、今の七歌たちには敵を突破する策がない。援軍組のリーダーの少年もそれは分かっているようで、どうにか誰か一人でも抜け出て女王の許に辿り着けないかと考えているようだが、今のところ解決策は何も思い浮かんでいないようだ。
ハートの女王はそんな七歌たちが兵士らを突破出来ないことが楽しいらしく、扇で扇ぎながらご機嫌で眺めている。
《なかなか楽しませてくれるわねぇ。そんなアンタたちにお礼として特別なものを見せてあげるわぁ! 来なさい、ジョーカーズ!》
そして、楽しませてくれるサービスとして、女王の目の前に二体のシャドウを新たに召喚して見せた。
一体は黒い鎧に長槍を持ったシャドウ、もう一体は黒い鎧に大剣を持ったシャドウ。
人間より少し大きい程度のトランプ兵と比べ明らかに異質。その身の丈は三メートルを優に超し、放つ気配はダンジョンのF.O.Eに匹敵していた。
新たに現われた敵を見た瞬間、戦っている間、女王がずっと余裕を見せていた理由が分かった。
一体でもいれば簡単に復活出来るトランプ兵団に加え、自分を守る近衛兵として強力な二体のシャドウを持っていたのだ。これで自分が負けると考える方が無理がある。
「全員後退して! 密集して身を守って!」
ジョーカーズと呼ばれたシャドウが動く前に七歌は叫んでいた。
こいつらには勝てない。一体ずつ、いや、二体でも自分たちと援軍組で一体ずつ分担すれば倒せた可能性はある。
しかし、トランプ兵を相手にしながらでは倒すことなど不可能。
敵を見て思考が一瞬止まっていた者たちは、指示に反応してすぐに動き出していた。
前衛組が後退するのを援護するため後衛組がトランプ兵を銃とスキルで押し留める。
けれど、新たに現われたジョーカーズはトランプ兵たちを蹴散らしながら、一直線に七歌たちの方へ向かってくる。
このままでは撤退が間に合わない。そう考えた七歌が一人で敵に向かっていけば、援軍組のリーダーも同じように考えたのかもう一体の敵へ突撃していた。
「七歌っ!!」
「相棒っ!!」
美鶴とヘッドホンの少年の声が響く。
明らかに無謀としか思えないリーダーたちの特攻。仲間が逃げる時間を稼ぐためだとは理解出来ても、二人が犠牲になって時間を稼ぐなど納得できない。
他の者たちが苦い顔で二人を追おうとするが、その前に七歌たちとシャドウは衝突するだろう。
敵までは残り十メートルもない。一太刀当てて避けよう。このときリーダー二人の思考は不思議な事にシンクロしていた。
同時に武器を握り直し、同時に顔をあげて敵を見つめ、同時に地に足をついて武器を振り上げる。
そして、七歌たちとシャドウの丁度中間地点の空間がひび割れ、二人は思わず飛び退いていた。
最初に見えたのは黒い炎纏った腕。
それが勢いよく突き出されると空間を破壊しながら黒いローブを纏った人型の何かが現われ、向かってきていたシャドウの腹をすれ違い様に殴って壁まで吹き飛ばしてゆく。
壁に衝突した二体のシャドウはそのまま靄になって消えてゆき、突然現われた存在にハートの女王は激昂する。
《ななな、なによ、なによ、なんなのよぉ!! 急に出てきて、わたしのジョーカーズを倒したですってぇ!!》
女王が叫んでいる間に乱入者の破壊した空間のひび割れは直り、場に静寂が戻るとそこには黒いローブを纏った者だけが佇んでいる。
敵も突然現われた存在に驚いているようだが、そんなものは七歌たちだって一緒だ。
二人のリーダーを追いかけていた者たちはリーダーたちに追いついて立ち止まっているが、そうしている間に乱入者はローブのフードを外し、状況が分からず混乱している七歌たちに話しかけてきた。
「――――はぁ、集団戦をすべき状況で何故複数の個人戦をしてるんだか」
やる気の感じられない気怠げな声、そして、他の者に呆れたような上から目線の話し方。
自分たちの聞き慣れたそれが耳に届いたとき、七歌たちは絶望的な状況が覆った事を確信した。
「八雲君!」
「有里!」
二人のリーダーが同時に彼の名を呼ぶ。言ってから同時に何故君たちが知っているんだと見合うが、フードを外した彼の顔を見たとき、直前まで希望に輝いていた者たちの表情が引き攣った。
何せ、その顔は彼のものと思われる血で濡れていたからだ。
見れば、ローブの袖や裾からは血が流れ出ており、立っている彼の足下には既に血溜まりが出来ている。
何故、現われたばかりの彼が満身創痍なのか。理由は分からないが、この場で一番重傷なのは間違いなく湊だ。
敵もそれが分かったようで、ジョーカーズを倒されたときの怒りは治まり、満身創痍で現われた湊に嘲笑を向けている。
《なーによ、アンタ。既にボロボロじゃなーい。ジョーカーズは不意打ちで倒せても、私の兵士たちの相手は無理みたいねぇ! アハハハハッ!》
「いいか。こういった状況で重要なのは後衛だ。前衛はあくまで時間稼ぎの壁役。その間に後衛が敵を殲滅する広範囲攻撃を放つか、一点突破で敵の大将を狙うんだ。間違ってもお前たちがやったような前衛が敵に辿り着く時間稼ぎを後衛が担うことはない」
青年は完全に相手の事を無視して他の者に戦い方をレクチャーしていた。
それが勘に障ったのか女王がトランプ兵を差し向けるが、敵が辿り着く前に青年は実践してみせようとペルソナを召喚する。
「 ペ ル ソ ナ 」
《グルォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!》
大気を震わし顕現するは冥王の力を宿した死の神。
背中から迸る黒い光の翼を広げ、宙に浮いた八基の棺が飛んで敵を包囲する。
トランプ兵の先陣が青年に迫ろうとも彼は動じることなく大将に狙いを定め、彼が薙ぎ払えとばかりにその腕を振れば、八基の棺からは空間を埋め尽くすほどの雷が走り、死神の口からは混ざり合う赤と黒の奔流が放たれハートの女王を飲み込んでいた。
空間を埋め尽くし眼を焼くほどの閃光がトランプ兵を蹂躙する。
敵を包囲する八基の棺それぞれから電撃の最上級スキルが放たれているのだ。
包囲されている以上、敵に逃げ場などなく連鎖的に消滅してゆく。
そして、そんなトランプ兵を従えていた女王も、迫り来る黒き奔流から身を守ろうと腕で顔を守るが、ガードの甲斐もなく光に触れた先からその身を蒸発させ消えていた。
一方、あまりの攻撃の規模に、その場にいた者たちは攻撃の余波で吹き飛ぶまいと地面に伏せる。
光が止み、音が止み、そうして攻撃によって融解した床の熱が漂ってくれば、顔をあげたときには敵は全て消え去り、後には悠然と佇む青年だけが残っていた。