【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百十九話 風花の復学

6月12日(金)

朝――月光館学園

 

 自宅のベッドで久しぶりに休んだ風花は、いつもより早く目を覚ますと学校へ行く準備をした。

 これまで授業は全てテレビ越しに受けていたので支障はなく、ただ自分の足で通学路を歩く感覚に妙な懐かしさを覚えながら学校に向かった。

 それほど友達がいる訳でもないので、通学途中に声をかけられたりすることは殆どないが、靴箱で上履きに履き替え、自分のクラスに行くと現実世界で約二週間ぶりにやってきた風花をみた一部の生徒が「あ、ユーレイの子だ。生きてたんだ」と無自覚ながらキツい言葉を吐いたことで風花は少しショックを受けた。

 相手に悪気はないのかもしれない。元々、イジメを苦に自殺したという噂も出ていたのだから、それを知っていた相手が勘違いするのも無理はない。

 だが、仮に死んでいたとしても、あのように軽い調子で言われると自分の価値がどれほど大した事がないかを突きつけられるようで胸が締め付けられた。

 それでも帰る訳にはいかないので自分の席まで進み、他の者からチラチラと見られていることに気付きながら教科書などを机に仕舞っていれば、一つの足音が近付いてきて彼女の机の傍で止まった。

 

「風花、あんた寮に入るんだって?」

「森山さん……」

 

 やってきた相手は風花を苛めていた森山だった。

 あの日、タルタロスであった事を相手は覚えていない。けれど、あのときの相手が謝らなければと言っていたのは本心のはずだと美鶴から説明があった。

 ずっと心配していて、ずっと罪悪感を抱えていて、風花が学校にいると言われていたから彼女は半分意識のない状態でありながらタルタロスまでやってきたのだ。

 

「カッタイなーその言い方。夏紀でいいから」

「う、うん」

「ま、なんかあったら相談しなよ。いつでも話聞くから」

「……夏紀ちゃん」

 

 そして今日、久しぶりに学校へ来た風花を心配して彼女は声をかけて来たようだった。

 これまでの事がなくなった訳ではない。だが、森山はもう二度と同じ過ちは繰り返さないだろう。

 不器用な相手の優しさに触れた風花は思わず嬉しくなって瞳を潤ませる。そんな少女の姿に森山が苦笑していれば、

 

「お前に相談しても何も解決するとは思えないがな」

 

 教室の入り口の方からよく通る低い声が聞こえてきた。

 和やかな雰囲気を一瞬にして霧散させた無礼な声は誰のものか。森山が振り返れば教室に入ってくる湊の姿があった。

 相手の席は風花の席の近くなので、相手が席についたタイミングを狙い、急に絡んできてどういうつもりかと森山は問うた。

 

「朝からなに?」

「……別に」

「なんかあるならハッキリ言いなよ」

 

 何もなければ突っかかったりしてこないだろう。以前から彼は森山に対して攻撃的であったが、裏でグチグチと言われるのは気分が悪いので、言いたいことがあるなら直接言ってこいと森山は告げる。

 すると、金色の瞳で真っ直ぐ相手を見返していた湊は、そんなに言うなら良いだろうと静かに口を開いた。

 

「じゃあ、一言。……お前、よく恥ずかしげもなく山岸の前に姿を現せたな。加害者のくせに」

 

 瞬間、言葉のナイフが加害者と被害者を襲う。

 彼に言わせれば森山は何も罪を償っていない。謝ったのは意識のない状態で、当時のことを相手は覚えてもいないのだ。

 それでどの面下げて相談に乗ってやるだなどと言えるのか。被害者である風花はとても気まずそうに視線を逸らし、加害者である森山も図星を突かれて言葉に詰まる。

 せっかく好転しかけていた関係を修復不可能なレベルに壊しかねない青年の言葉は、当事者同士の間にだけ流れる空気を教室全体まで広げ、登校してきたばかりの者たちは何があったのかと困惑していた。

 だが、

 

「湊、その辺にしときなさい。最終的な落とし所は当事者同士が決めるんだから」

「風花ちゃんも困ってまうし、忠告以上はしたアカンよ」

 

 新たにやってきた二人の少女が青年を諫める事で場の空気が動き出す。

 彼が何をしたかなど分かっていたようで、彼女たちの対応は実に的確だった。ラビリスの方から罪の意識で押し潰されそうになっていた森山にもフォローを入れ、風花が森山に寮に置く家具を見に行きたいとお願いしたことで二人の間の気まずさは抜けた。

 森山を嫌っている湊は心の中では図々しいやつだと毒を吐いているのだろうが、チドリたちからこれ以上は言うなと釘を刺された事で黙っている。

 そのおかげで朝礼が始まることには教室内の空気は元に戻り、風花も森山と笑顔で会話が出来るようになっていた。

 

***

 

 教室内の空気が正常になった頃、チャイムが鳴ると出席簿を持った佐久間が教室に入ってきた。

 

「みんなー、おっはよー!」

 

 元気よく挨拶しながら入ってきた佐久間は、そのまま教卓まで進んで教室中を見渡すと目当ての青年のところで視線を固定し、輝くようなとびっきりの笑顔を浮かべると青年にだけ特別に挨拶をする。

 

「有里君、おはよう!」

「……ああ」

「うん、今日も元気いっぱいだね!」

 

 他の者たちは心の中で思っただろう。今の返事のどこが元気いっぱいなのかと。

 もっとも、突っ込んだら負けだと思って誰もあえてツッコミを入れなかったが、江古田はどうしたのだろうかと皆が心の中で疑問に思っている間に佐久間は出席を取り。誰も休んでいないことが確認出来ると保護者向けのプリントを各列の先頭に配りつつ皆に話しかけた。

 

「フフン、実は今日は皆にビッグニュースがあるんだよ! さーて、それは一体どんな内容でしょうか?」

 

 言われた生徒たちは一斉に考え始めるが、ビッグニュースと聞くとまず思い浮かぶのは転入生だ。

 しかし、そんな話は一切聞いていないので可能性はゼロ。というよりも、もしも転入生がいるとすれば一緒に入ってきているだろう。

 その存在も確認出来ていないため、誰かが転入してくることや、逆に転校することも候補から外して良いと思われる。

 なら一体何の話だろうかと生徒らが考え始めれば、シンキングタイムに入ってすぐにバスケ部の渡辺が手を挙げた。

 

「はーい!」

「はい、渡辺君」

「先生が産休に入る」

「ハズレー、さらにセクハラで内申点も減点ね!」

 

 佐久間には恋人などいない。二十代も半ばを過ぎた年齢ながらキスの経験も一度だけで、未だに純潔を守っている希少種である。

 そんな彼女が湊に特別な想いを抱いているのは中等部からいる者に取っては常識であり、渡辺が知らないはずがない。それで妊娠しているというのはセクハラだと指摘し、内申点を下げられた渡辺は本気で頭を抱えて自分の発言を後悔している。

 両者のやり取りを見ていた他の者たちは、楽しいクイズの時間から一転して解答を誤れば成績に影響すると分かり躊躇し出す。

 しかし、このままでは佐久間の方から当てていくのではと不安が過ぎったとき、中等部時代に湊と一緒に生徒会に入っていた西園寺が綺麗な作り笑顔で手を挙げた。

 

「はい!」

「西園寺さん、どうぞ」

「センセーが解雇で実家に帰るとか?」

「よーし、喧嘩なら買うぞー」

 

 お互いにニコニコと笑って言っているが両者の間には見えない火花が散っている。

 元々二人の正確は似たようなものなのだが、年上の地味系彼氏持ちでありながらイケメンは別腹だからと湊をデートに誘うような押せ押せ系の西園寺は、自分のお気に入りのイケメンにちょっかいをかけてくる佐久間の事が嫌いなのだ。

 対して、佐久間の方も表面上は良好な関係を築いているように見せているが、心の中ではお前だけにはゼッテー渡さねぇと西園寺に対抗心を持っており、彼の傍にいる訳ありメンバーならともかく彼女だけは絶対に彼の傍にいさせないと思っていた。

 それ故、両者の対立はある意味で当然の結果なのだが、このままでは話が進まないので、佐久間は途中で話を切り上げるともう答える人はいないのかと教室を見渡した。

 

「ほらほら、もっとハッピーな感じのアイデアはないの?」

「風花さんが復学したこととかですか?」

「あ、それもあったね。山岸さん体調よくなって良かったね! でも無理は禁物だからね!」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 美紀の言葉で思い出した佐久間は風花に優しい表情を向けるが、実際のところ彼女は休んでいたのが体調不良ではないと知っていた。

 だが、ここで問題を大きく取り上げてしまうと風花の立場が悪くなるので、あえて全員の前で体調不良だったことを強調してそれこそが真実だったと認識させたのである。

 彼女のそんな細かな気配りを理解していた風花はホッとした顔になり、それを満足そうに見ていた佐久間はここらでタイムアップだと宣言した。

 

「もうみんな頭が硬いなぁ。ここは有里君に一つお手本を見せて貰おうか。じゃあ、有里君正解をどうぞ!」

「……江古田が処分を受けて副担任に降格、繰り上げで篠田文子が担任に着任」

「おっと、両親が離婚前の名前を出すのは減点だよぉ? ちゃんと愛を籠めて佐久間先生って呼ぶようにね。けど、だいせいかーい! なんと今日から私がこのクラスの担任だもんね。お給料もアップアップだよー」

 

 湊以外に佐久間の両親が離婚している事は知らない。よって、彼女の旧姓と両親が離婚していることを知った他の生徒たちは驚いているが、バラしたことは減点だと言いつつも大して気にしていないのか佐久間は給料増額に喜んでいる。

 ここは普通どうして江古田が処分を受けることになったのかという質問が飛び交う場面だというのに、皆の意識が佐久間の素性の方に割かれているからか質問は一切出なかった。

 青年がここまで計算して発言したなら大したものだが、残念ながら窓の外を眺めている彼にそんな計算などなかった。

 そんな風に、話の内容に興味のない青年が窓の外を眺めていれば、再起動した他の生徒らは担任の途中変更による影響を懸念し、何か変わるのですかと佐久間に質問する。

 

「先生、先生が担任になったら僕らは何か変わるんですか?」

「良い質問だね。まぁ、大きな変化としてまず他のクラスの子から羨まれるよ。“あんな綺麗な先生が担任なんてずるいや!”ってね。さらにホームルームの度に会えるようになります」

「……人によっては地獄じゃない」

 

 確かに彼女の容姿はかなり整っている。スタイルも美鶴以上で、身体能力と頭脳は学園内どころか日本国内でも上位に位置するだろう。

 ただ、それはあくまで肉体(ハード)の評価であり、性格(ソフト)の評価で言えば自信満々に自分の価値を語ることも含め残念であった。

 佐久間が担任になった場合のメリットを話し終えたところでチドリがツッコミを入れれば、声には出さないが心の中で何人かが同意して頷く。

 

「そんな事言っていいのかなぁ。担任の先生にはご機嫌取りしといた方が良いと思うけどなぁ」

 

 それを見た佐久間は出席簿をヒラヒラと振って不敵に口元を歪める。

 彼女には以前からそういった傾向があるのだが、上手い具合に権力を駆使して自分に刃向かってくる生徒を叩き潰すのだ。

 湊のようにテストで点さえ取っていれば出席日数すら優遇して貰える特待生ならまだしも、美紀やチドリのような成績優秀者は学費の免除しかされていない。

 そうなるとここで点数を減らされる訳にはいかないため、下手に彼女の機嫌を損ねる訳にはいかなくなった生徒たちは、「江古田め、余計なことをしやがって」と処分を受けて落ち込んでいる相手の知らないところでさらなる追い打ちをかけるのだった。

 

 

放課後――図書室

 

 授業が終わり生徒たちが部活動や自由を求め娑婆へと出ていく放課後。担任と無責任な前任のクラスメイトのせいで図書委員になった七歌は、受け付けカウンターで新しいバーコードのラベルを作りながら、それを入荷されたばかりの本に貼るという作業をしていた。

 

「んでね、環境を変えるために新しく風花って子が寮に入ってくることになったの。まぁ、ゆかりとは友達らしいし、他のメンバーも知り合いみたいだから学校の延長みたいな感じだろうけど」

 

 七歌は一緒に作業している沙織に自分たちの暮らす寮に新メンバーが来ることを話していた。

 これまで実家暮らしだった生徒が突然入寮するなど非常に希なケースだ。そのことに興味を持った沙織がどういった経緯があったのかを尋ねれば、七歌はペルソナの件を伏せつつ、風花が一部の生徒から苛めを受けていた事などを伝えた。

 本人のいないところで言い触らすのは良くないけれど、E組でそういった事があった話を聞いたことがあったのか、沙織はあの話はその子だったのねと逆に納得した様子だ。

 

「へぇ。でも、その子も全く知らない新しい環境よりは、仲の良いお友達のいる場所の方が安心でしょうね」

「別に目的があれば新しい環境も苦じゃないよ?」

「あ、そっか。七歌ちゃんは転入生だったね」

「へへ、この学校で一番のルーキーだぜ」

 

 知らない環境、新しい環境に飛び込むのは勇気がいる。苛めを受けていたようなメンタルの弱そうな少女ならば、環境が変わること自体に不安や躊躇いを覚えるに違いない。

 話を聞いていて沙織はそう思ったようだが、どんな物でもいいので自分なりの目的を持っていれば案外大丈夫だと経験者である七歌は語り、彼女の言い方が面白かったことで沙織も思わず笑ってしまった。

 それに釣られて七歌も楽しそうに笑うが、そういえばと隣にいる少女も二年間の留学で自分と同級生になっていた事を思い出した。

 

「あ、でも、沙織も似たような感じでしょ? 同級生がいないっていうか後輩の中に放り込まれた形だし」

 

 入学当時からいた教師も残っているとはいえ、彼女の元々の同級生は今年の三月に卒業してしまっているのだ。知らない者の中に飛び込むという意味では七歌とそう変わらないだろう。

 自分は大丈夫だったが沙織も同じように気にしていなかったのと尋ねれば、沙織は右手を頬に添えるように首を傾げて考える素振りを見せ、別に気にしたことはなかったと返す。

 

「んー、そうなんだけど、留学前もあんまり大勢とは親しくしてなかったの。委員会を通じてだけど七歌ちゃんと話してる方が長いくらいよ」

「おっ、二人だけの濃い時間という訳ですな!」

 

 偶然の出会いだったが沙織が留学前も併せて一番仲が良いのは七歌だと言った。

 まだ放課後や休日に一緒に遊んだこともなければ、学園内で会っても軽く挨拶する程度だが、こうやって一緒に委員として働くときには雑談に興じている。

 七歌自身もそれを楽しんでいたが、沙織も同じように楽しく思っていたなら非常に嬉しい。そう思ってニカッと笑ってみせれば、沙織は何故だか躊躇いがちに口を開いてきた。

 

「あの、前から少し気になっていたんだけど、一つ聞いてもいいかしら?」

「おう。答えられるか分からないけど、質問するくらいは構わないぜ!」

「ありがとう。じゃあ、その、えっと……七歌ちゃんって同性の方が恋愛対象なの?」

「は?」

 

 流石の七歌も一瞬何を聞かれたのか理解出来ずフリーズする。

 しかし、すぐに言葉の意味を理解すると変な誤解はやめてくれと慌てて否定した。

 

「ババババ、バーロー! こちとら生粋のノーマルだい! そりゃ、可愛い子と遊んだりスキンシップ取るのは好きだけど……はっ!?」

 

 可愛い子や綺麗な人は嫌いではなくむしろ好きだ。そういった相手にスキンシップを取るのも楽しいとは思っている。

 だが、それはそれ、これはこれというやつで、七歌の恋愛対象はバッチリ異性であった。

 何故彼女がそのような発想に至ったのか甚だ疑問だ。どこにそんな要素があったのだろうかと考えた七歌はある一つの可能性に思い至りハッとする。

 そう、その可能性とは沙織が七歌を恋愛対象として見ているということだ。

 これならば「女性が好きなの?」という意味に思われた彼女の質問の意味は一八〇度変わり、「同性愛って興味ある?」という事になる。

 相手のことは好ましく思っているが、出会って間もない上にそういった対象としては見れない七歌としては、とても心苦しいがと相手への配慮をしつつ素直な自分の気持ちを伝える事にした。

 

「すみません、貴女の気持ちには応えられません。これからも良いお友達でいましょう」

「ち、違うよ! 七歌ちゃんが女子相手に変なこと言ったり、スキンシップが激しいって聞いたりしてたから、もしかしてそうなのかなって思っただけなの。別に私がどうこうとかじゃ本当にないから」

 

 付き合うことは出来ないと断りの返事を返され、今度は沙織の方が慌てる番となった。

 言われてから本人もそういった意味に取られる可能性に気付いたようだが、彼女の質問は最初に七歌が思った方で合っていたのだ。

 普段の行動と言動が誤解を生んだようだが、お互いに慌てて嫌な汗を掻いたと思いながら少し落ち着くべく深呼吸して作業に戻ることにした。

 もっとも、新しく入荷された本などそう数がある訳ではない。真面目にやれば残り僅かにとなり、終わったら時間まで何をしようかと考え始めたところで入り口の扉が開いて一組の男女が入ってきた。

 

「でね、三丁目にあったお好み焼き屋が閉店して、その後にウサギの小物を集めた雑貨屋が出来たの。可愛いマグカップがあったから買ったんだけど、学校で使おうと思ったら耳が邪魔でさぁ」

「……そうか」

 

 入ってきたのはこの学校で一番有名な男子と彼のクラス担任になった女性教師。男子の方は興味なさげに返事をしているが、彼の左腕に女性教師が自分の腕を絡めているので、傍から見れば美男美女のカップルに映る。

 しかし、二人はお互いに教師と生徒だ。禁断というよりも都の条例が赦してくれない関係である。

 相手はそれ分かっていてやっているかは不明だが、カウンターに座っている図書委員の二人が彼らを見ていれば、視線に気付いた女性教師が自分の左手で抱えていた分厚い本を掲げて見せてきた。

 

「あ、授業で使った資料の返却だから気にしないで!」

 

 そう言って彼女は貸し出し禁止の棚の方へ歩いて行く。図書室の本には一部貸し出し禁止の物があり、生徒も図書室内でならば閲覧出来るのだが、施設の外へは持ち出し禁止となっている。

 だが、教師はその対象には含まれず、授業で使うときなどには事前に連絡しておけば受け付けカウンターをスルーして借りていくことが出来た。

 彼女たちはそれを返しに来ただけのようだが、二人が奥の棚へと消えていったところで七歌が二人のいる方向を睨み口汚く罵る言葉を吐いた。

 

「ファック、見せつけるように八雲君と馴れ馴れしくしやがって」

「あ、あの、相手は先生だからね?」

「教師である前に女だよ。股にTが付いてない代わりにマタニティーがあるって覚えよう」

「う、うーん……それはあんまり覚えたくないかなぁ」

 

 言われてみれば確かに相手は教師という立場より自分を優先している節がある。というより、学内で湊にあそこまでベッタリ出来る教師など彼女含めて二人しかいない。

 他の女性教師は彼の容姿や成績等を褒めてはいるが、流石に立場や年の差もあって大っぴらには異性として見るような発言もなかった。

 よく学校はそれを問題にしないなと思うところだが、二人は中等部の頃からの付き合いであり、さらに同じ部活メンバーと今も部活動を続けている。

 そのメンバー全員という訳ではないが、ほとんどが成績優秀でコンクールなどにも積極的に作品を出しているようなので、やることさえやっていれば部活メンバーの女子や湊本人が抑えるということで見逃されているようだ。

 無論、そんな事は七歌には何の関係もないので呪詛を吐いて二人のいる方向を見続けているが、七歌がくだらないことに時間を使っていると再び扉が開いてお団子頭の女子が一人入ってきた。

 

「あ、あの、長谷川さん!」

「あ、東田さん。どうしたの?」

「えっと、その、借りてた物理のノート……」

「ああ、もういいの?」

 

 やってきた女子は真っ直ぐ沙織の元にやってくると彼女に話しかけた。

 相手のことは七歌も覚えていたので、借りた物をちゃんと返しに図書室までわざわざ来るとは偉いぞと心の中で褒めてやる。

 別に相手にしてみればそんな言葉はいらないだろうが、沙織が相手からノートを受け取る準備をしかけたところで少女から予想外の言葉が返ってきた。

 

「ミチがなくしたんだ。ゴメンナサイ、怒っとくから!」

「えっ?」

 

 言いながら少女は顔の前で両手を合わせながら頭を下げてくる。本当にゴメンナサイと言葉では言っているが、貸した物を勝手に又貸ししてなくされた沙織としては困惑するしかない。

 そうして沙織がどう返すべきか悩んでいると、

 

「ねぇ、ちょっと!」

 

 相手の態度にムカついた七歌が立ち上がりふざけんなと相手を怒鳴りかける。

 だが、七歌が色々という前に奥の棚の方から出てきた青年が、一連の話が聞こえていたのか冷たい瞳で女子を見ながら話に割り込んできた。

 

「……お前、なんで他人事みたいな言い方してるんだ? 人から借りた物を勝手に又貸ししたのはお前だろ」

「え、そ、そうだけどっ」

「さっさとそいつ呼び出せよ」

 

 女子と青年の身長差は二十センチ以上、男子でも目の前に来られたら威圧感でビビるというのに、さらにそれだけの身長差で見下されながら命令を受ければ、普通の生徒は恐怖のあまり素直に言うことを聞くしかない。

 彼と一緒にいる教師はニコニコと笑っていて話に参加しないようだが、下手に教師が介入するより彼に任せた方が上手く纏まりそうではある。

 ならばここは彼の手腕に期待しようと七歌は涙目で電話をかける女子を眺めていた。

 

 

***

 

 女子が電話をかけてから五分ほど経ってから一人の女子がやってきた。彼女がなくした本人のようだが、相手は自分がどうして呼ばれたのか分かっていないようで、湊がいることに少し驚きつつ近付いて来ると湊がすぐに用件を切り出した。

 

「ノートを持ち主に返せ」

「え、有里君? ノートって何の話?」

「お前がこいつから借りたノートだ。持ち主がなくて困ってる。さっさと返せ」

 

 言いながら湊は沙織を指すが相手は話したこともない年上の女子である。本人は今は同級生だから気にしないでというだろうが、見た目で年上だと理解しながらもこいつ呼ばわりする辺り、湊は欠片も沙織に興味を持っていないらしい。

 けれど、それでも困っている人間を助けるのが彼だ。明らかに不機嫌だと分かる様子でノートの返却を迫れば、言われた女子は萎縮しながらも申し訳なさそうに借りたノートの現状を伝えてくる。

 

「ご、ゴメンナサイ。でも、どこにいったか分からなくて……」

「そんな話は聞いてない。返せって言ってるんだ。分からないなら見つかるまで探せばいいだろ。借りた物を返すなんて当たり前のことだぞ」

 

 お前の言い分など知らない。バッサリと切り捨てて湊は良いから返せと言う。

 女子にすればない物はないという感じなのだろうが、それこそ貸した方にすれば知ったことではない。借りた以上は返せ、出来ないとは言わせない、相手の反論を封じて湊が言えば、又貸しした女子と同じようになくした女子も泣き出してしまう。

 それを傍で見ていた七歌は面倒臭い相手だなと心の中で思っていた。本当に泣きたいのはノートをなくされた沙織の方だろう。悪いのは自分のはずなのに、強く言われた程度で泣くなど自分勝手が過ぎる。

 優しい湊では相手が泣いてしまうと強く言えないだろうが、その時は選手交代しようと椅子から腰を上げかけたところで再び湊が女子に言葉を返した。酷く冷たい声色で。

 

「泣く暇があるなら心当たりのある場所を探してこい。お前もだ。部活やバイトなんて知らない。さっさと見つけて持ってこい」

 

 最後に鬱陶しい虫を払うように腕を横に振れば、女子たちは泣きながら駆け出して図書室を出て行った。

 女子たちの様子からすると二人は湊にちょっとした憧れのようなものを抱いていたに違いない。

 だが、今回の件で完全に見限られたと思っているだろう。全て自業自得であり、勝手に人の物をなくすような無責任な者に同情の余地はないが、それでも一応は言っておくかと今まで黙ってみていた佐久間が彼の許にやってくると苦笑しつつ話しかける。

 

「有里君ってばきっびしぃ。女の子を怖がらせて泣かせるのは良くないよ?」

「……泣きたいのはなくされた方だろ。借金じゃあるまいし、ちゃんと管理していれば返せないなんて事はないんだからな」

 

 借金は自分たちではどうにもならなくなって、泥沼と分かっていながらも生きるために借りる場合もあるため返せないという状況も理解は出来る。

 しかし、ノートはそんな物と違ってただ用事を終えてから返却すればいいだけだ。使って減るようなものではなく、使えない状態になったとすれば自分の管理不行き届きでしかない。

 よって、あんなのは泣いた方が悪いとバッサリ切り捨て、青年が受け付けカウンターの方を向いたタイミングで七歌もサムズアップして彼を褒める。

 

「八雲君、ナイス!」

「……見ていて不快だっただけだ。それよりそっちのお前、理系科目が望ましいがどの教科でも良いからノートを出せ」

 

 ノートを出せと言われた沙織は理由が分からず首を傾げる。隣にいる七歌も同じように不思議に思っているようなので、これは別に彼女の理解力が乏しい訳ではないだろう。

 ただ、別にノートを見せたところで不都合はないため、数学や化学を中心にいくつかのノートを彼に渡せば、それらをパラパラと眺め終わった湊がどこからか取り出したノートにシャーペンと四色ペンで書き込み始めた。

 内容は物理のようだがその筆記速度が半端ではない。何より授業の板書を全て暗記していることに驚きである。

 

「うわぁ、書くのすごく速い。てか、何してるの?」

「ノートの複製だ。あいつらになんか期待するだけ無駄だろ」

 

 七歌に聞かれた湊は答えながら書き続け、五分もかからずに最新の授業内容まで書き込むとノートを沙織に渡した。

 受け取った沙織は最初のページから順に見てゆくが、字の太さや色ペンの使い分けなど、全てが完璧過ぎて思わず感嘆の声を漏らす。

 

「すごい、これ筆跡まで私のノートにそっくり」

「他のノートを見れば板書の写し方の癖くらい分かる。何より竹ノ塚は基本的に同じ授業しかしないからな。話が逸れるときも同じ内容だけあって、余談等で一部のクラスだけ補足で板書が増えたりもしない」

『そうなんだ』

 

 七歌や沙織は他のクラスの授業の様子までは知らなかったようで、全クラス共通の内容と聞いてそうなのかと感心する。

 もっとも、そんな事を知っていようがいまいが湊の見せたノートの完全コピーは他の者には出来ない芸当だ。

 授業内容を全て記憶しておく頭脳、対象の筆跡や書き込みの癖を見抜く洞察力、他のクラスも同じだと把握しておく諜報力、それら全てを持ち合わせて尚不可能と思わせる技能はまさに神業と言えた。

 

「それはやる。自分で写し直すでも、そのまま継続して使うでも好きにすれば良い。元のノートが戻ってくれば一番だがな」

「どうもありがとう。宿題に必要だったから本当に助かるわ」

 

 沙織にノート渡し終えた湊は佐久間を連れて図書室を出て行った。なくされたノートそっくりのノートが手に入った沙織もご満悦で、これでもし女子たちがノートを見つけられなくても困ることはない。

 必死に探している者にもいい薬にだろうし、概ね円満な解決になったなと思った七歌は解決に導いた青年を褒めちぎる。

 

「八雲君って改めてスペック高いよね! うん、自慢の弟だわ!」

「フフッ、ノート貰えて本当に助かっちゃった。お礼に何か返した方が良いのかな?」

「多分いらないと思うよ。まぁ、それでも何かお返しするなら購買のお菓子とかで良いと思う」

 

 そう、彼は別に恩返しを求めて人を助けている訳ではない。単純に自分が見ていて不快だからとか、弱者を助けるのは当たり前のことだからなど、基本的には自己満足でしかないのだ。

 故に、彼はお礼を受け取ることはほとんどないし、それでも受け取って貰うならお菓子程度にするしかない。

 

「あ、八雲君に惚れちゃダメだよ。彼は女泣かせの相が出てるので惚れても自分が哀しくなるだけなのですよ」

「そうなんだ。でも大丈夫よ。私、有里君ってちょっと苦手だから」

「あー、よく知らないと雰囲気とか怖いもんね」

「ううん、見た目は綺麗な人だなって思ってるよ。そうじゃなくて、彼って何も見てない感じがするから苦手なの」

 

 七歌は沙織が彼のことを苦手だと言ったとき意外に思う。誰にでも優しい、頼まれれば嫌と言わない、そんな流されやすいとも言える性格の彼女でも苦手なタイプがいることが驚きだったのだ。

 見た目ならば黒い眼帯を着けていることや、一八〇を超える長身に威圧感を感じてという事で理解も出来る。

 だが、沙織が彼を苦手に思っていたのは、そういった外見からくるものではなく“有里湊”という人物の人間性そのものについてだった。

 

「何も見てないって? 周りのこととかよく見てると思うんだけど?」

「うーん、他人に興味がないって言えばいいかしら。彼って誰のことも必要としてないでしょ? 私は誰かに必要とされたい人間だから根本的に合わないのよ」

 

 言い終わりどこか遠い目をした沙織は貰ったノートを鞄に仕舞い込む。

 彼のような他者を必要としない人間は、誰かに必要とされたい人間にとって己の存在を否定されているように感じるらしい。

 七歌にすれば人助けばかりしている湊も同じ“誰かに必要とされたい人間”だと思っているのだが、彼のような強い人間をそういうタイプだと思うことが出来ないのかも知れない。

 また一つ沙織の内面に触れることが出来た七歌は、頭の中で絆が深まったことを報せる声を聞きながら仕事を片付けると、余った時間に授業で出された課題をして過ごした。

 

 


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