【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百九十二話 帰国と帰国

3月22日(日)

深夜――湊自宅

 

 既に影時間を終えて日付も変わった午前三時頃、明かりの消えたとある一室で押し殺したようにくぐもった声が時折聞こえていた。

 

「ん……ぁんっ…………」

 

 声の出所を探ればそれは部屋に置かれた大きなベッドの方からしており、激しく揺れるベッドの上には重なり一つになった影があった。

 ベッドの揺れが激しさを増すにつれ、くぐもっていた声もはっきり聞こえるようになり、影が大きく揺れたと思えば部屋には一気に静寂が広がる。

 静けさが戻ってどれだけの時間が経ったかは分からないが、静かだったベッドに動きがあり、今まで一つに重なっていた影が二つに分かれて、大きな影が小さな影に寄り添いながらベッド脇に置かれた携帯を手に取った。

 

「……まだ三時か」

「ん……まだやなくて、もう三時やろ。ホンマに、明日はターニャさんの見送りやいうのに」

 

 湊に腕枕されたまま気怠げな様子で話すラビリスは、毛布を肩の辺りまで引っ張り上げると、湊の手から携帯を取って自分でも時間を確認し溜息を吐く。

 汗などで汚れた身体を綺麗にするためシャワーを浴びようかなと考えるが、流石に今はまだ疲労感があって動けず、明日起きてからでもいいかなとも思ってしまう。

 携帯を返した相手は一切の疲れを見せておらず、本当にどんな体力をしているのだと呆れてしまうが、少女は乱れた髪の毛を整えつつ青年に話しかけた。

 

「シャロンさんが言うてはったよ。多分、湊君は性依存症やろうって」

「……話したのか」

「流石に頻度が高過ぎるわ。人になってこういう事も出来るんは分かってたけどさ。元々一緒に過ごしてて抵抗感なかったウチも迂闊やったけど、週三とか週四が普通なんかなって疑問くらい持つし」

 

 以前から性知識については一般教養として身につけていたが、人間の身体になってから湊に求められるようになり、ラビリスは戸惑いつつも受け入れて湊に求められるまま肌を重ねていた。

 真面目な委員長タイプな彼女にすれば、高校生でこんな事をしてもいいのだろうかという葛藤はあった。加えて二人は付き合っている恋人同士という訳でもない。

 それで人間の身体になって一週間ほどで求められれば、本当の目的は身体だったのかと疑って当然である。

 しかし、世間の男性を敵に回しそうな話だが、有名であるが故に青年は別に相手に困っていなかった。本人にその気がないので実行に移したことはないが、ファンクラブの女子数人に声をかければ簡単にフィッシュできる程度に供給体制は整っている。

 ラビリスもそういった裏事情は理解しているので、ただ身体を目的として求めてきた訳ではないと思えた訳だが、コロマルの散歩やお弁当の準備など、青年と違って朝から忙しいラビリスにとって一日おきや連日求められるのは体力的にも厳しいものがあった。

 若さというか思春期の男子はこんなものなのだろうかと、ラビリスが医者であるシャロンにそれとなく聞いてみれば、一回戦だけで終わるのなら連日もあり得るが、三回戦、四回戦と毎回猿のように盛ってくるのなら、それは完全に依存症になっていると指摘した。

 

「あ、別に湊君を嫌ってるんちゃうよ? まぁ、人になって八日目にお風呂で触って来られたんはビックリしたけど。素直にウチとこういう事もしたいって言ってくれたから、本当に女の子として見てくれてたんやなって分かって、お風呂も寝るのも一緒やって今更かなぁ……ってOKしたんやけど」

 

 流石の湊も羽入が泊まりに来ているときは何もしない。羽入の方が二人よりも早く寝付くので、相手が寝てからなら出来なくもないが、もしそんなことをすればラビリスは本気の拳を湊にお見舞いするだろう。子どものいるところで何を考えているのかと。

 対して、家に自分たちとコロマルしかいないときは、コロマルはバルコニーかリビングで寝ているため、二人きりの寝室や浴室で湊の方から頻繁に誘って情事に耽っていた。

 EP社で開発した対シャドウ兵装シリーズのボディに搭載されたセンサー系はどれも高性能だったが、人間の身体ほどダイレクトに刺激が伝わるわけではない。

 まして、生殖機能を持たなかった元ロボットの少女にとって、それらに関係する刺激は全て未知のもの。経験豊富な青年が相手だったこともあり、彼女自身快楽の伴う刺激が癖になってもおかしくなかった。

 ただ、いくらなんでもこうも連日求めてくる今の湊は異常だった。

 ラビリスは聞いていないので知らないだろうが、湊はラビリス以外にも数名の女子と関係を持っている。恋人ではないので浮気にはならないが、一夜限りと言いつつ湊が帰省したときには求められ致しているチドリ、自分から抱いて欲しいと言ったせいで強く断れず放課後や休日に致している風花、仕事で日本に来たときには暗黙の了解として関係を続けているソフィア。

 以上の三名にラビリスを加えた計四名が現在進行形で関係を続けている者であり、ソフィア以外の三人より先に湊と一線を越えたゆかりは、別れて以降はデートやキスもしていなかった。

 留学生と教師を除く部活の女子メンバー五人中、四人が同じ男子に純潔を捧げているという事実は驚きだが、それぞれに今の関係がばれれば泥沼の未来しか見えない。

 

「でもまぁ、自分でも気付いてたんやろ? 意図的に切り替えへんと性欲無いんやしさ」

「……まぁな。診断された事はなかったが、多分元々食事がそうだったんだろうとは思っていた」

 

 一悶着あることは予想しているが、自分が刺されるという最悪の未来までは想像できていない甘い男は、ラビリスから自分の症状に関して自覚はあったのだろうと訊かれ、身体を起こしベッドランプの方へと手を伸ばしながら頷いて返す。

 何をしているのかとラビリスが見ていれば、相手はベッドランプの傍に置いてあった小さな紙箱を取って、避妊具の残りを確認していた。

 まさか、四回もしてまだやるつもりではないだろうなと、呆れ混じりの責める視線を少女は送るが、どうやら既に空だったようで彼は箱をゴミ箱に放り投げて再びベッドに寝転ぶ。

 

「俺は死を理解しているから生の実感が薄い。もっと言うと己の命への執着がない。けど、頭ではそれを当然と受け入れていても、無意識下では生の実感を得ようとする。死を理解している分、生を理解しようと心がバランスを取ろうとするわけだ」

「あー、じゃあ、ご飯いっぱい食べてたんはエネルギーの源を大量摂取することで、こう、間接的に生の実感を得ようとしてたんや?」

「多分な。純粋にエネルギーを蓄えておくために食べてたのもあるんだが、そういった摂食障害の部分がなかったとは言い切れない」

 

 純粋に健啖家なだけだと思われていた青年だが、強靱な肉体の維持にエネルギーが必要という部分を抜きに考えると、好きだから大量に食べていた訳ではないという事実が浮かび上がってくる。

 そも、研究所にいたときの湊は今ほど食べていなかった。英恵に聞けば昔は他の人と同じくらいしか食べていなかったことも確認が取れるだろう。

 では、どうして湊が現在のような状態になったのかを考えれば、多大なストレスと死を視るようになった影響で生の実感が薄れたことが挙げられる。

 

「ほんで次は性依存症も発症したんや? けど、別に今までは何もなかったんやろ。なんで急になったん?」

「あくまで推測になるんだが岳羽と別れたのが原因だと思う。別れたとき強い喪失感や空虚感を覚えたんだ。それでチドリに会いに行ったときに一晩限りという約束でして、空虚感とかが薄れて大丈夫になって、そういった方法で心の隙間を埋める方法を覚えたんだろうな」

 

 生を実感するために無意識に糧となるものを摂取していた青年は、心に空いた穴を埋めるためにチドリを抱いたことで、性行為によっても同じ効果が得られると学び、これまた無自覚に人の温もりを求めるようになった。

 性依存症は幼少期に両親やまわりから十分な愛情を得られずに育った者がなり易い。目の前で両親を失った彼の過去を思えば十二分に予想し得た事態だったが、周囲は彼があまりに普通にしていることでどこか大丈夫だと思っており、実際に発症してラビリスが相談を持ちかけるまで気付くことが出来なかった。

 摂食障害と性依存症、どちらも心因性のものであるため治療は難しく、さらに言えば青年の場合どちらも我慢して症状を抑えられてしまう。

 根本的な解決が望み薄な以上、余計な負担が増えることになるが本人に我慢してもらうしかないか、と話を聞いていたラビリスは困った表情を浮かべた。

 

「んー、生の実感を得るためやと治療は難しいな。湊君の場合は肉体の方で生を実感しづらい要素が多過ぎるから、色々なゴタゴタが終わってからゆっくり治していくしかないかなぁ」

「実害は出ていないし、それしかないな。ま、とりあえず現状出来る治療をしてもらおうか」

 

 言うなり青年はどこから取り出したのか未開封の紙箱を出してきて、口元を小さく歪めながら中から新しい避妊具を取ってラビリスの胸の上に置いた。

 今日はもう終わりだと思っていた少女は流石に驚き、さっき捨てた空箱はなんだったのだと青年に尋ねる。

 

「ちょっ、空やったんやないの?!」

「さっきのは空でもマフラーに大量に入れてるからな。自社製品だけあってコンテナ一つ分は余裕である」

「む、無理やって! 今日はもうホンマに無理! シャワーの時間考えたらコロマルさんの散歩まで二時間しか寝られへんのよ!」

 

 避妊具は一応医療用品でもあるので、EP社でも作っておりユーザーからの評判がいい。湊はそれをコンテナごとマフラーに入れていて、一箱十二個入りの商品を毎日消費しようと数年持つくらいのストックはあった。

 ちゃんと準備しておくのもマナーではあるが、いくらなんでも用意しすぎだとラビリスの顔は自分の身の危険を感じて引き攣り。さらには、現時点でたった二時間しか寝られないのに、まだ睡眠時間を削るというのかと怒りを見せる。

 すると、湊は抵抗しようとする相手の両手を頭の上で拘束し、これまでの情事で汗ばんだ少女の谷間に舌を這わせてから顔を上げると外道の笑みを浮かべた。

 

「……便利だよな。時流操作って」

 

 いくらでも時を圧縮できる。故に、これから何回戦しようが十分な睡眠時間も確保してやれる。

 担当医であるシャロンから時流操作と肉体蘇生を使用するなと言われているはずの青年は、過去最低な能力の使用を宣言し、一人の少女がその犠牲となっていった。

 

 

午前――国際空港ロビー

 

 今日でカナダに帰るターニャを見送るため、空港には佐久間も含めた部活メンバーと美鶴がやってきていた。

 ターニャ本人は手続きのために席を外しているが、残ったメンバーは空いている椅子に座って雑談をしながら時間を潰している。

 すると、他の女子たちと喋っていたラビリスがふと大きな欠伸をした。

 

「ん、ふぁー……」

「フフッ、なんかラビリスちゃんが欠伸って珍しいね」

 

 ラビリスが欠伸をしている姿を初めて見た風花は、相手に悪いと思いながらもくすくすと笑ってしまう。つい先月までロボットだった少女が欠伸をしなかったのは当然だが、話している途中で欠伸をしてしまった本人は申し訳なさそうに謝って返した。

 

「ん、喋ってるのにゴメンな」

「ぜんぜん、いいよ。集合時間早かったもんね」

「いや、別にそれは大丈夫やったんやけど、最近夜はあんま寝れてへんくてさ」

 

 どこか疲れた様子で話すラビリス。そんな彼女を傍で見ていたゆかりは、先日までの自分とどこか重なって見えて、もしや彼女まで自分と同じ状況に陥っているのではと心配して声をかけた。

 

「寝られてないって変な夢を見るとかじゃないよね?」

「ううん、別に変な夢とかやないよ。ただ、どっかの誰かさんが毎日のように人が寝るの邪魔してくるんよ」

 

 ゆかりの質問に答えた少女は言いながら、近くで缶コーヒーを飲んでいた男を責めるような視線で睨んだ。

 寝不足は全てこの男が寝る邪魔をしてくるからである。疲れた様子の少女がそう告げたことで、まわりにいたメンバーは何故そんな事をしているんだと微妙な表情になり、メンバーを代表してチドリが彼を諫める。

 

「……なに子どもみたいなことしてるのよ」

「冤罪だぞ。うちには犬もいるからな」

「コロマルさんはウチらの寝室に入ってこーへんし。てか、子どもみたいな悪戯の方が何倍マシか。あんなん子どもは絶対してけぇへんしな」

 

 寝不足、寝室、子どもは絶対しない。そのワードと被害者と加害者が若い男女であったことで、その場にいたメンバーは一瞬にして正解にたどり着いてしまう。初心な者らは気まずそうに視線を逸らし、以前自分も青年から同じ被害を受けたおかげで耐性がついていた数名は視線だけで詳しく説明しろと告げる。

 周囲が喧噪に包まれている中、その空間だけが妙な緊張感に包まれ。渦中にいる青年は状況を把握できていないのか、どうして女性陣が自分を見てくるのか不思議そうにしているが、とりあえず自分に不利な状況にあることは空気で察したらしい。

 とはいえ、以前自分たちはただの家族で男女の関係ではないと言っていた者が、半年も経たずにかなり爛れた男女の関係になっていた以上、そうなった経緯を話すまで逃がすわけもなく、彼が席を立つ前に捕まえておこうと腰を上げかけたとき、ある意味最高のタイミングでターニャが戻ってきた。

 

「イズヴィニーチェ、カウンターが混んでいて遅れました」

「……大変だったな。ここに座って休むといい」

 

 戻ってきたターニャを労い席を譲り、ゴミを捨ててからトイレに行ってくると湊がその場を離れるまで僅か五秒。あまりの速さに女性陣は目を丸くしながら、けれど、彼の行動は最低に格好悪いとすぐに呆れ顔になった。

 

「逃げた」

「逃げたわね」

「逃げちゃったね」

 

 ゆかり、チドリ、佐久間が同じタイミングで言ったことで、風花や美紀までも困り顔で乾いた笑いを漏らすしかなかった。

 まぁ、普通に考えて同じ部活内のメンバーと別れてすぐに、以前から同棲していたとはいえ他の子とまで肉体関係を持ったと聞けばよくは見られない。

 また、以前付き合っていたゆかりだけでなく、今回の件でラビリスも湊と一線を越えていたことがメンバー全員に知れ渡ったが、ここには当人たちしか知らない関係を持っている者がまだいた。

 チドリに関しては湊がラビリスに話してしまったので正確には当人以外にも知る者はいたが、湊を巡りかなり危ういバランスで成り立っているメンバーの間に、今回の件で僅かな亀裂が生じたのは全員が感じ取っていた。

 

「どうかしましたデスか?」

「いや、何でもない」

 

 そして、来たばかりで状況を把握していないターニャも不穏な空気を感じて尋ねたのだが、これから帰国する彼女に心配はかけられないと第三者の立場にいる美鶴が気にしないように言う。

 不思議そうにしている彼女には申し訳ないが、美鶴としても色々と複雑で他の者に話したくないのだ。

 もし、この件を母である英恵に伝えれば、英恵はそんな不誠実なことはいけないと説教するためだけに学校までやってくるだろう。そこからさらに他にも関係を持っている者がいると明らかになれば、少しミステリアスな好青年のイメージで売れていた皇子の大スキャンダルとして取り上げられる。

 これまでの人気を考えれば流行語に絶倫皇子やら浮気皇子、または多股皇子など不名誉な呼び名が選ばれる可能性もあった。

 彼に色々と負い目のある美鶴としては彼には平穏に暮らして欲しい。学園の風紀を取り締まる側としては見過ごせない事態だが、幸いなことに湊は現在フリーであり現在進行形で関係を持っていると断言できるのは同棲中のラビリスだけだ。関係を持っている相手は他にもいると思われるが、それを証明する証拠はどこにもない。疑わしきは罰せずというやつで美鶴は複雑ながらも今回の件は目を瞑ることにした。

 すると、誰も何があったのか話してくれないことで諦めたらしいターニャが、出発までまだ時間があるからと他の者たちと最後の時間を過ごすため口を開いた。

 

「ンー、こうしていざ帰るとなると寂しいデスね。皆さんと過ごす時間はとても楽しかったデス」

「またいつでも遊びに来るといい。将来、日本で就職する事も出来るしな」

「ダー、そういった選択肢も考えておきますね。日本の建築様式に非常に興味をもったので、大学ではそういった道に進むのも楽しそうデス」

 

 笑顔で話すターニャは、皆と一緒にいった旅行や、留学生向けのイベントで様々な日本の伝統建築を見ることが出来た。それは今までアニメや漫画などサブカルチャーで日本に憧れを抱いていた少女にとって、とても大きな刺激となったらしく、カナダに帰ってから建築系の大学を探すのもいいかもしれないと思うほどであった。

 そんな相手と話す美鶴は同じ新三年生として、自分の興味のあることで進学先を選ぼうとする姿が眩しく見える。

 美鶴は将来家を継ぐために進学先もある程度決まっており、第一志望は帝都大学、第二志望は古都大学と日本の二大トップになっている。彼女の学力ならば十分にA判定を貰えるレベルであり、あとは学部をどれにするかいう選択肢が残っているくらいだ。

 少女の母からその話を聞いている某青年は、美鶴の場合、国内に残らず留学した方が得る物も多いだろうにと視野の狭さを呆れられているのだが、自分で自分の可能性を狭めている美鶴に別れの迫ったターニャが笑顔で声をかけた。

 

「ミツル、ミナトと仲良くデスよ。ターニャは何もしりませんが、ミツルは自分の本当の気持ちを話しません。それではミナトも心を開いてくれませんデス」

 

 言われた美鶴はハッとした表情をする。彼女は部活メンバーよりもそれぞれの関係性が薄い。それ故、外から見ていて湊と美鶴の不仲の原因になんとなく気付いていたようだ。

 美鶴本人は自分が桐条家の人間だから無視されていると思っているのだろうが、それを言えば英恵も同じ立場なので、英恵の使用人たちとも会話をしていた以上、桐条家や桐条側の人間だから話さないというのは間違っている。

 一度一つの考えに嵌まると他の選択肢を想定しない美鶴にとって、今回のターニャの言葉は大きなヒントになったはず。ここから気付いていけるかは本人次第だが、帰る前にアドバイスをしておかなければならない者は他にもいるので、ターニャは他の者たちの方へ向き直ると再び笑顔で口を開いた。

 

「他の皆さんは、ウダーチ、色々と頑張ってください。何のことかは皆さんが一番分かると思うデスから言いませんね」

 

 他の者たちは同じ事に悩んでいる。だからこそ、誰にも肩入れせずにただ頑張れと伝える。

 想いの強さや自覚度は違っているが、大なり小なり全員が無自覚にでも彼に惹かれているのは近くにいれば気づけた。

 無自覚な憧れに、本当に子どものように純粋な淡い恋心、全てを捧げたいと思えるほどの愛まで、一人一人違ってはいても結局は“好き”という想いの表れであり端から見ていると微笑ましくなってしまう。

 きっと最初はこうではなかったのだろうが、長い付き合いの中で間近で見続けて惹かれていったに違いない。

 言われた者たちの中には大人も一人混じっているが、全員が気恥ずかしそうにしているので、これは本当に大変だと心の中で苦笑しながら、ターニャは戻ってきた青年にも言葉を残す。

 

「ミナト、バリショーェ スパシーバ。今まで本当にありがとうございました。いっぱい、いっぱいお世話になったデス。ただ、一つだけ。魅力的な人が沢山いても、女の子はキチンと一人を選んだ方がいいデス。レベッカも心配してるデスからね」

 

 たった一年の付き合いだが、最も深く交流を持った者たちをターニャはしっかりと見ていた。そして、その中の数名が年を明けてから顔つきが大人びてきたことで、彼女たちの視線の先にいた青年と何かあったことは容易に推測できた。

 かなり鋭い観察眼を持っていたターニャの言葉に、青年ははじめ何のことだと白を切るも、流石に海外で世話になった蠍の心臓の構成員の名前を出されると微妙な表情になる。

 伯母であるナタリアを知っているのだから、彼女の仕事についても知っていて、さらに歳の近い構成員と交流があっても不思議ではない。だが、そもそも湊が留学から帰って一年で、ナタリアの姪っ子が丁度日本に留学したがっていたという話の方が出来すぎていたのだ。

 ターニャの個人情報に嘘はない。名前や年齢、どこの高校に通っていたなど、そういった物は全て本物だ。しかし、彼女や彼女の家族が蠍の心臓と無関係かというとそうではない。どの国にも諜報部があり工作員がいるように、民間軍事会社でも情報収集や現地で手引きをする役としての構成員が存在する。

 つまり、ターニャは自分の趣味も半分入っていたが、湊のことを心配して帰国後の経過観察役としてナタリアに派遣されたエージェントだったという訳だ。

 ナタリアという知り合いの親族であったことに加え、戦闘訓練をほとんど受けていない素人の動きだったことで湊は相手の素性を探っていなかったが、帰国直前にネタばらしされたことで本当に嫌そうな顔をみせた。

 

「フフッ、演技は得意デスからね。でも、一緒に楽しんでいたのは本当デスよ」

「……さっさと帰れ」

「ダー。では、皆さん。ダ スヴィダーニァ、また会いましょう!」

 

 シーズンが違うので夏までなら留学の延長は出来たが、一年間彼らを見てきたことで青年が人に恵まれている事がはっきりと分かった。ならば、これ以上の観察は必要ない。

 出会った者たちとの別れは惜しいが、晴れ晴れとした気分でこの地を後に出来るターニャは、最高の笑顔で別れを告げると時間だからと立ち上がり、鞄を手にして手を振りながらゲートの向こうへ去って行った。

 ゲートの向こうに消えていった少女の姿を目で追っていた者たちは、彼女の素性に気付いた青年を除き、親しくなった者との別れで少ししんみりとした空気になる。

 だが、いつまでもここに残っている訳にはいかないので、年長者として先に切り替えた佐久間が全員に声をかけた。

 

「行っちゃったね。じゃ、私たちも帰ろうか。先生、帰りにお昼ご飯食べたいなぁ。有里君も一緒にいこうよ!」

「……別に構わないが」

「やったぁ! じゃあ、ご飯食べるときに汐見さんとの事とかレベッカさん? とかの話も聞かせてね」

 

 見惚れるような笑みの裏に渦巻く黒い炎。安易に昼食の誘いを受けたばかりに青年の逃げ道は消えた。

 

 

夜――巌戸台・某所

 

「お帰り、二人とも。海外での生活はどうだった?」

 

 巌戸台の外れに密かに作られた研究施設。そこで新たに取れたシャドウのデータをまとめていた幾月は顔を上げて振り返ると、扉を開けて入ってきた一組の男女を笑顔で迎えた。

 

「とても楽しかったです。目的通り基礎から鍛え直して色々と覚えることも出来ましたし」

「私も理と一緒に色々と覚えてきちゃったから、多分、桐条さんたちと戦っても私一人で相手出来ると思うわ」

 

 やってきた男女は覚醒前の湊と瓜二つな姿をした少年・結城理と幾月の娘である玖美奈の二人。月光館学園に通っている玖美奈は留学として二年間海外に行っていた訳だが、本来の目的は研究所にいて体術を鍛えられない理の修行だった。

 湊が主にユーラシア大陸に居たため、二人は北米と南米を色々と渡っていたが、その中で玖美奈自身も鍛えていたらしく、ペルソナ能力の差だけでなく対人戦闘においても自分の方が強いだろうと自信ありげに話す。

 けれど、美鶴たち特別課外活動部の顧問になっている男は、まだ何も始まっていない状態でメンバーを潰されては困ると苦笑した。

 

「それはしばらく待ってくれるかな。デス・アバターがまだ出来ていなくてね。色々と複合シャドウは作ってみて改造したりもしていたんだが、しばらくは彼女たちやエヴィデンスに復活するアルカナシャドウの相手をしてもらう必要があるから」

 

 アルカナシャドウの目覚めが近いことは幾月も気付いている。無気力症の急な増加、ゆかりのようにペルソナ使い候補の適性上昇など、人とシャドウの双方にこれまで見られなかった変化が起き始めている。

 いずれ復活することは分かっていたのだから、複合シャドウの一部が意味深な言葉を発していたこともあり、最近の変化はその予兆であると見るのが自然だった。

 ただ、デス・アバターが生まれるまでアルカナシャドウの相手を任せるのはいいが、根本的な問題である桐条側の戦力が揃っているのかが気になり、持っていた荷物を下ろして近くのソファーに腰掛けた理が幾月に尋ねた。

 

「戦力的に揃ってるんですか? メールでは一人抜けたって話でしたけど」

「ああ、暴走事故を起こして荒垣君が離脱していてね。その代わり、岳羽詠一朗の娘である岳羽ゆかり君が先日加入したよ。また、四月になるが転入生で高い適性を持った子が来ることになっている。転入前の健康診断で発覚したから詳細は伝えてないけどね」

 

 一人抜けたが既に候補者は二人居る。それを聞いてなるほどと納得した理は、玖美奈が持ってきてくれたインスタントコーヒーを受け取りながら、最も気になっていたことを口にした。

 

「それで有里湊の方はどうなってます?」

「適性も変動なしで動きはあまり見られないね。たまにタルタロスでシャドウを狩っているくらいだよ。だがまぁ、やはり強いよ。適性じゃ結城君の方が上だが、最高瞬間出力じゃ群を抜いてる。死神クラスのシャドウも高火力スキルで一撃さ」

 

 湊の適性値は留学から帰ってきて以降変化はない。より正確に計れるよう開発した測定器を使ってその結果なのだから、桐条側だけでなく幾月も湊の限界が現在の数値だと認識していた。

 ただし、いくら保有するエネルギー量で理の方が勝っていようと、スキルの威力で言えば湊の方が優れていた。

 継戦能力と高火力はそれぞれ利点が異なり、状況によってどちらが優れているかも変わってくるが、湊は理より適性値が低いだけで保有するエネルギーが少ない訳ではない。そうなると戦況をひっくり返す一撃を放てる湊の方が有利に思われたが、少年の隣でコーヒーを飲んでいた少女が父に言葉を返した。

 

「お父さん、私たちも海外に行ってただ身体を鍛えていた訳ではないのよ。感知される恐れもない海外なら、影時間には好きにペルソナの訓練が出来たんだもの。理が出力で負けていたのはここでは力を出せなかったから。お父さんに聞いたレベルの威力なら私も出せるわ」

 

 理が負けていたのは場所の関係で全力を出せなかったから。出せなかったのはあくまで全力であって、高火力を出せなかった訳ではない。

 加えて、玖美奈も桐条側に感知されぬよう普段は能力を封じる腕輪を付けて生活していたので、封じる必要のなかった海外では日本にいたときよりも強い力を発揮できた。

 飛び抜けた戦力が本人しかいない湊側の陣営に対し、幾月側には並ぶ戦力が二人も揃っていて、相手には守らなければいけない対象がいる以上、圧倒的に不利なのは湊の方であった。

 

「ほう、かわいい子には旅をさせよっていうのは本当だね。しばらくは様子を見るが、必要がないと分かれば諸々の処分は君たちに任せよう」

 

 娘からもたらされた朗報に幾月も喜びを見せる。

 現在、幾月が確認している影時間における勢力は大きく分けて四つ。一つ目は美鶴の所属する特別課外活動部、二つ目が湊の勢力、三つ目が被験体の生き残りと見られる者たち、そして最後が自分たちとなっている。

 幾月が最も警戒しているのは当然湊の勢力だ。彼の元にいるペルソナ使いは被験体だったチドリと対シャドウ兵器のラビリスの二人を確認しており。特別課外活動部のメンバーとも接触していたが、仲間という訳ではないので、湊の経歴を知る桐条と幾月が反対している限りその勢力二つが手を組むことはない。

 三つ目の勢力である被験体の生き残りは、タカヤたちストレガのことであるが、幾月にすれば彼らは放っておいても死ぬ存在でしかない。能力は全員が高水準に達しているものの、制御剤を服用している限り短命は避けられない。

 チームとしては最多人数で全員が戦闘慣れしているため、もし特別課外活動部と遭遇すれば、練度と人数の両方で劣る美鶴たちが負けるだろう。

 しかし、ストレガが進んで桐条側と接触してくることはないと思われるので、やはり警戒すべきは湊しかおらず、幾月は玖美奈たちの成長は嬉しい誤算だと口元を歪めた。

 

「あと少しだ。正しい世界のためにもうひと頑張りと行こうじゃないか」

 

 戦いのときは迫っている。あと少し、もう少しだけ頑張れば望む世界が訪れる。

 そのために十数年を費やしてきた男は、娘と少年と共に勝利を誓い合った。

 

 

 

 




本作内の設定

 原作に存在する主人公の大食漢及び強制多股システムを共に心因性の障害と設定。無自覚ながら生の実感を得ようと大食いするキャラとしてはペルソナQに登場した玲などがいる。

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