【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百七十三話 テニスの皇子様

5月25日(日)

昼――都立運動公園

 

 一学期の中間テストを終えたばかりの日曜日。部活メンバーはラビリスや理緒がテニスの試合に出ると聞いて応援に来ていた。

 都内の学校かテニススクールに通う高校生を対象とした、アーリーサマーカップというちょっとした規模の大会で、この試合で上位に食い込む者が今後の高校テニスや大会に出てくるという意味では、新人戦気分の一年以外は情報収集も兼ねた偵察の場と言える。

 参加人数は一二二人。それまでの戦績によって上位六人が一回戦のシードを得ており、一日目に三回戦まで進め、二日目に続きから決勝までを行うという強行日程だが、残念なことに参加した月光館学園の生徒は全員が一日目に消えていた。

 試合に出るからと土曜日の試験を前倒しで受けたというのに、負けてしまって不甲斐ないと落ち込んでいた者もいたけれど、ラビリスは自分がまだ初心者だと理解していたので、悔しいけど楽しかったと晴れやかな表情をしていた。

 しかし、月光館学園の生徒らが全員既に敗退したのなら、どうして彼女たちが二日目に試合を見に来たのかというと、それは男子の試合を見るためであった。

 

「私、有里君がテニス出来るとか初めて聞いたんだけど」

 

 黒と蛍光色の黄色という二色でデザインされたフレームのラケットを握り、湊が右手のフォアハンドのストロークを見せる。

 深い位置に飛んだボールを相手の選手が空いたクロスに打ち返すも、打つ前にフォームを見て動き出していた湊が、ラケットを持ち替え余裕で追い付き左手のフォアハンドで厳しいコースに打ち込み決めた。

 どんな人間でもボールを打ってから次に動くまでに僅かな時間が必要になる。湊は相手が打つ前に動き出し早くボールに到達して返してくるため、相手にすれば返ってくるまでの時間が短くなり、さらに抜群のコントロールで厳しいコースを攻めるのでほとんどの選手は追い付く事が出来なかった。

 

「……私も初めて聞いたけど。学校でもプライベートでもテニスなんてしてるの見た事なかったし」

「ウチも知らんかったよ。まぁ、ウチが試合に出るっていうたら応援だけじゃつまらんからーってスポーツクラブ経由で参加を申し込んではったけど」

 

 ゆかりだけでなく幼少期から一緒にいたチドリも、現在共に暮らしているラビリスも青年がテニスをしている姿を見た事がなかった。

 事実、湊はチドリたちと出会ってから一度もテニスをした事がない。けれど、彼は純粋な身体能力だけでなく、経験者から見ても唸るようなテクニックを持っていた。

 湊は月光館学園の男子テニス部から出場したのではなく、EP社のスポーツクラブのテニス部門“EPTC”からの応募で参加している。

 といっても、実際にそこでプレーしたことは一度もなく、湊と同じようにEPTCから参加した選手やコーチたちも、初めて見る彼のプレーには純粋に驚いていた。

 最初は籠球皇子がテニスにも進出と色物的な扱いで騒がれていたが、二日目になってからは既にそんな声は消えている。

 ここには全国に行く者やプロを目指している者も参加しているのだ。そんな中で勝ち上がり続けている以上、その実力は本物だと認めるしかない。

 ゲームが終わり湊のサービスに代わる。右手でラケットを持った湊は、高くトスをあげると真っ直ぐフラットのファーストを打ち込んだ。

 

「は、はやいね。何キロくらい出てるのかな?」

 

 打った音が聞こえたと思えば、すぐにサービスコートに届き、相手に触れさせる事もなくサービスエースを決める。

 湊はその長身と長い手足によって他の選手より打点が高いため、ボールの軌道の違いからネットに掛かり辛いという強みがある。

 ジャンプしながら打てばさらに打点は高くなるので、全身のしなりを利用して腕を鞭のように振るって放つサーブは、一九〇キロという速球でも安定して入れる事が出来ていた。

 一九〇キロならば男子なら出せる者も沢山いる。ただ、それを安定して入れ続ける事が出来るかどうかは別の話で、もっと言えば湊のサーブは余裕を残して打っており、彼の一九〇キロは安定して入れられるラインでしかなかった。

 続けて左手にラケットを持ち替えて打ったサーブは、速球ではなく外に逃げるスピン。左サイドからサーブをするなら右手よりも左手で打った方が角度がつくのに加え、直前の速球が頭に残っていたせいで反応が遅れた相手は、駆けこんでギリギリ触れる事は出来たが上手く返せず、苦し紛れのショットは湊に空いたスペースにボレーで決められていた。

 

「駆け引きも上手いですね。素人でも有里君が試合をコントロールしているのが分かります」

「ダー、相手のイグロークも大変デスね。ミナトとの試合はとても疲れそうデス」

 

 湊といま試合している選手はシードではないがそれに近い実力を持った高校三年生。有名なテニスクラブ出身で優勝候補として数えられていたが、自分のテニスをする事が出来ずほとんどポイントを取れていない。

 フォームからの先読みの動き出しの速さを除けば、湊は派手なプレーはほとんどしていない。相手の打ちづらい場所に返し、抜けそうなときは厳しいコースを突いて行くスタイル。

 それだけで試合をコントロールしているので、駆け引きの上手さもあるのだろうが、コントロール重視で相手のテニスを封じる試合運びは、誰にでも出来る可能性があるという点に置いて参考になり、他所の選手やコーチらもビデオで撮影しながら見学していた。

 

「でも、チドリちゃんも知らないならどこでテニスなんて覚えたんだろうね。バスケットよりこっちの方が上手く見えるし。留学中にでもやってたのかな?」

 

 彼のファンだけでなくテニスに関わる者たちもギャラリーとして観戦している試合を見ながら、風花は本当に上手だねと褒めた上で疑問を口にした。

 チドリが知らないとすれば一番高いのは留学中に経験していた可能性である。

 日本よりも海外の方が土地がある分テニスコートも多かったりするので、その国でのテニス普及率にもよるが、一年も海外にいたなら休日に楽しんでいたことは十分に考えられた。

 もっとも、彼が海外にいたころの休日の過ごし方など誰も聞いていないので、本人が試合中のいま答えは分からない。

 そうして、彼のテニスの経験について一同が首を傾げていると、突然後ろから女性の声が聞こえてきた。

 

「あの子がテニスをしていたのは四歳くらいの頃よ」

『……え?』

 

 声が聞こえて全員が振り返る。するとそこには、ニコニコと柔らかい笑みを浮かべた英恵が立っていた。

 すぐ傍に護衛らしき黒髪の女性を控えさせながらチドリたちの元までやってくると、英恵は湊のプレーを見て感嘆の声を漏らす。

 

「はぁ……やっぱり、上手ねぇ」

「……なんでいるの?」

「子どもが試合に出るなら見に来るものでしょう? 丁度こっちに用事があったから、見るために寄ったんです」

 

 尋ねたチドリに英恵は笑顔で答える。少女としてはそういう答えを求めていた訳ではないだろうが、訊かれたことに対しての返答なら間違っていない。

 質問に答え終わった女性はコートに視線を戻し、柔らかな雰囲気で微笑み優しい眼差しで湊を見つめる。

 突然現れた女性に驚いていたメンバーたちもそこで回復し、直前の会話の中に引っ掛かるものを感じた風花が不思議そうに女性に尋ねた。

 

「子どもの試合って、有里君のお母さんですか? あれ、でも有里君のご両親は事故で……」

 

 湊の両親は既に他界している。それは本人が認めており、さらに言えば以前チドリに見せてもらった写真に写っていた女性とも別人だ。

 複雑な家庭で生みの親と育ての親が違い、女性がそのどちらかである可能性も否定できないが、風花が女性の正体について考え込んでいると、驚き混乱した様子のゆかりが話に割り込んでくる。

 

「ちょ、ま、待って。この人有里君のじゃなくて、その、桐条先輩のお母さんの桐条英恵さんですよね?」

「ええ、確かに私は美鶴の母親の桐条英恵です。ゆかりさんとは何度かパーティーでお会いしていましたね。どうもこんにちは」

『こ、こんにちは』

 

 正体が判明するもチドリを除いた一同は状況が飲み込めず、相手につられて挨拶を返す。

 ゆかりに言われてから相手のことを見れば、髪の毛の質やスタイルの良さは確かに美鶴と似ている。

 雰囲気に関しては対極とも言えるくらい違っているが、その点に関しては父親に似たと考えれば違ってもおかしくない。

 故に、彼女が本物の美鶴の母親なのだと認識したところで、美紀は先ほどの会話と相手の正体を結び付けて、信じがたい事実に気付いてしまう。

 

「えっと、桐条先輩のお母さんの子どもが有里君って、お二人は姉弟だったんですか!?」

 

 湊と美鶴が姉弟なら今年一番の驚きのニュースだ。

 二人は共に文武両道でルックスも整っている。少しきつめの目付きで冷たく感じる印象も含めて共通点は多かった。

 だがしかし、二人が姉弟ならば死んだ湊の両親の存在が謎を残す。名字も違っていれば、普段の学校での態度を見ていると姉弟だとはとても信じられない。

 けれど、美鶴の母親である英恵が湊を子どもだと言ったので、一体どういう事だと悩んでいれば、後ろから美紀の疑問に答える声が届いてきた。

 

「いや、私と彼に血の繋がりはない。養子などで義理の姉弟にもなっていないしな」

「あ、桐条先輩」

 

 喋りながら現れたのは制服姿の美鶴だった。メンバーたちが挨拶として会釈すると美鶴も挨拶を返し、そのまま母親の隣まで進んでから口を開く。

 

「お母様、来られるのなら前もって連絡しておいてください。急に体調を崩したらどうするんですか」

「フフッ、美鶴は心配症ね。大丈夫よ、試合の撮影をしてくれている方がいるし、傍には八尋さんが付いていてくれるから」

 

 テニスの試合の事を伝えたのは美鶴だ。その際、美鶴が湊と八雲が同一人物だと気付き、それを英恵に伝えることを桐条も黙認したことで、もう隠す必要がないなら会いに行くのもいいかもしれないと彼女は言っていた。

 本当に来ていそうだと不安になってやってきた美鶴の予想は的中し、英恵は正体を隠しもせずに青年と親しい者らと一緒に試合を観戦していた。

 彼女が作っていた湊に関する記事を集めたスクラップ帳などから、美鶴も母がどれほど湊のことを気に掛けていたのかは分かっている。

 しかし、身体の弱い英恵がこんな場所で長時間試合の観戦をしていれば、体調を崩して倒れてしまうと心配するも、英恵は傍に控えていた黒髪の女性を紹介し、女性も一礼してから自己紹介をした。

 

「英恵様のお傍御用を勤めさせて頂いております、和邇 八尋(かじ やひろ)と申します。本日は湊お坊ちゃまの試合が行われるコート全てに四台のカメラを配備しておりまして、使用人は会場に二十二名来ておりますのでご安心ください」

「そ、そうか……多過ぎるだろ」

 

 仕事が出来そうなクールビューティー系の容姿で淡々と伝える和邇に、引き気味でボソッとツッコミを入れる美鶴。

 試合するコートを先に割り出してのカメラ設置など、あらゆる面で用意周到過ぎて逆に怖い。宗家の使用人は動いていないので、今日この会場に来ている二十二名は全て英恵の暮らす別邸からやってきたことになる。

 バスでも借りてやってきたのか知らないが、それだけの人数を子どもの思い出を残すためだけに導入する辺り、我慢していた分だけ親馬鹿が加速しているのだと美鶴は理解した。

 そうして、美鶴が母の意外な行動力にたじたじになっていると、二人の会話が一区切りしたところでゆかりが再び話しかけてきた。

 

「あの、桐条先輩と有里君が姉弟じゃないなら、英恵さんの子どもってどういう事ですか?」

「私とあの子の母親は親友だったんです。二人は地方で静養している私が寂しくないようにと頻繁に会いに来てくれて、ご両親が用事があるときには別邸に泊まったりもしていましたから、小さい頃から可愛がっていたあの子は実の息子も同然なんです。何より、あの子の母親から自分にもしもの事があればと頼まれていましたから」

 

 他の者は湊の母が子どもの事を英恵に頼んでいても、それはただ大切な子どもを独りにしてしまう事を心配していたんだろうと認識する。

 しかし、実際のところは周囲ではなく、彼の内に存在する名切りの影響を懸念し、英恵に名切りの生まれに関して伝えて頼んでいた。

 それが功を奏して彼は神降ろしを経ても生き残り、今も彼女たちの視線の先でボールを追っている。

 もっとも、英恵があまりに湊の事を気に掛けているため、ゆかりたちは実子である美鶴にすれば複雑なのではないかと横目で見る。

 その視線に気付いたのか美鶴は苦笑し、首を軽く横に振って心配はいらないと返す。

 

「フフッ、流石にこの歳で嫉妬したりはしないさ。実際、私と有里なら有里の方がお母様と過ごしていた時間は長いしな」

 

 実家で桐条家としての教育を受けていた美鶴よりも、自由に暮らしていた湊の方が英恵のもとを訪れていた。

 共にいた時間にすれば湊の方が長かったくらいで、彼とその家族が死んだという報せを受けて廃人のようになっていた姿を思えば、湊が養子になって英恵の傍にいてくれた方が良いとすら美鶴は考えている。

 故に、実子としての独占欲で湊に嫉妬するかと聞かれれば、美鶴は断じてそれはないと答える事が出来た。

 彼女の言葉を聞いて安心したのかゆかりはコートに視線を向け、まだまだ自分は彼を知らないと少々悔しそうにしながらも意外だったと話す。

 

「彼から昔の話とかってあんまり聞いてないんですけど、有里君って桐条家と親しかったんですね。なんか普段の彼の桐条先輩への態度を見てると意外です」

「彼と親しかったのはお母様だけだ。私も父も彼とは数えるほどしか言葉を交わした事はない。愚かなことに大きな家ほど彼らを避けていたからな」

 

 ムーンライトブリッジの事故で鬼が消えてから九年、今尚、鬼の影響は様々なところに残っている。

 蘇った鬼が裏界最大組織を陥とした裏の世界の話ではなく、そのことを知らない旧家や名家も鬼の迷信を信じて鬼の遺産を手に入れようとしていない。

 百鬼の家には表に出せば騒ぎになるような国宝級の物が数多く眠っている。それらは武器や道具を保管している蔵の地下に安置され、時間が経とうと神秘的な輝きを失わずに使える状態で現存している。

 屋敷も含めて管理は九頭龍が行っているが、百鬼の道具を譲ってほしいと頼まれた事はなく、誰もが話題として出す事を避けている節があるため、鬼を忌避する風潮は未だに健在だと美鶴も認識していた。

 ただ、パーティーに出席していても会話にほとんど参加していないゆかりは、湊と八雲をイコールで結べないこともあって美鶴の話がいまいち理解できない。

 

「避けてたって、有里君たちに何かあったんですか?」

「時代錯誤の迷信のようなものです。あの子は少し特殊な生まれで、家が大きくなると人一倍迷信を信じますから避けられていたんです。それと後は彼らに対する嫉妬もあったんだと思います。家柄でも能力でも勝てないので、そういう部分で蔑むことで小さなプライドを守っていたんでしょう」

 

 紀元前から続く由緒ある家柄に、数多の分野で一流になれるポテンシャル、他者を魅了して止まない容姿など百鬼は天から二物も三物も与えられていた。

 プライドの高い者たちはそれに嫉妬し、彼らを呪われた鬼と呼ぶ事で心の平静を保っていたに違いない。

 彼らが死んでからも畏れて大人しくしている辺り、鬼の影響力は計り知れないと思わされるが、英恵たちがそんな風に話していると、湊がマッチポイントで決定的なチャンスを作り出していた。

 ボールを深い位置に打ち込みつつ、左右に振る事で相手の体勢を崩そうとする。かなり厳しいコースを攻めているので、相手は必死に追い付き本当にただ返すだけとなっているが、大きく外に逃げるボールを打たれた事で、相手は追い付くのが精一杯で反対側をがら空きにしてしまった。

 相手も打った後にすぐ気付いたのだろう。時間稼ぎに山なりで返したボールに湊が向かっているのを目にした瞬間、間に合えと空けてしまったサイドへ駆けようとする。

 絶好のチャンス。湊がクロスにフラットで打ち込めば相手はきっと返せない。これで試合は終了だとスイングする湊と駆ける相手選手を皆が見ていれば、

 

「こ、ここでドロップショット」

「相手も愕然としてますね」

 

 なんと湊は空いている絶好のスペースへの直球ではなく、正面へのドロップショットを打って試合を決めた。

 今までベースラインを狙って深い球を打っていたので、誰もが最後も同じショットを打ってくると思っていた。

 しかし、全員がそう考え、相手選手も間に合うかどうか分からないが追い付く可能性を上げるために走り出していたことで、湊は隙を突く全く予想していないショットを打った。

 これには相手も脱力するしかなく、観客も巧いと唸って勝者と最後まで戦い続けた敗者へ称賛の拍手を送った。

 コートの中央に集まり礼をして、結果報告をするためボールを持った湊はテニスバッグを担いでコートを出ると、出待ちをしていたファンと握手をしてやってからメンバーたちの元へやってくる。

 そして、ここに本来いるはずのない人物の姿を発見し、目で何故いるのか尋ねてくる相手に、英恵が小さく手を振って声をかけた。

 

「久しぶりね。勝ち上がりおめでとう」

「……観戦するなら疲れないように座ってみてくれ。急に貧血を起こすことだってあるんだぞ」

「ええ、次はそうするわ。フフッ、でも貴方も美鶴も会ってすぐに同じような事を言うのね」

 

 傍に美鶴もいることで湊も事情を察したようで、英恵の心配をしつつ彼女の傍までやってくる。

 数年ぶりの再会だと思っている美鶴は、二人があまりにあっさりとした再会で済ましていることに驚いているが、英恵の口にした久しぶりというのは数週間程度の話だ。

 数年ぶりも、数週間ぶりも、再会を喜ぶときには同じ“久しぶり”という言葉を使うので、肝心な最初の一言にそれを理解して言葉を選んだ英恵の頭脳プレーである。

 そんな細かい事までは考えていなかった湊と英恵が話していると、傍で二人のやり取りを見ていたゆかりが驚きで唖然としていた。

 

「あ、有里君が喋った……」

「俺は別に無口キャラという訳ではないからな。必要があれば喋りもするさ」

「そうじゃなくて、桐条先輩とは話さないのに、そのお母さんとは話すのが不思議で」

 

 言われてみれば確かにと他の者の視線も集まる。美鶴本人が湊と親しかったのは母だけだと言っていたが、親子の親の方だけと話して子どもとは話をしないのは違和感がある。

 事情を知る者にすれば両者への対応に差があるのも理解出来るが、事情を知らぬ者らが湊と美鶴の事を見て、場に気まずい空気が流れかけたとき英恵が手を一つ叩いた。

 

「そうそう。試合の後は何か用事でもあるのかしら?」

「……別にない」

「そう。なら、今夜一緒に食事でもどう? 貴方と色々話したいの」

「……考えておく」

 

 それだけ答えると湊は試合結果の報告のために大会本部へと去って行った。

 英恵は子どもたちが気まずい雰囲気にならぬよう気を遣ったが、青年と一緒に食事に行きたいというのも本心だった。

 食事には美鶴も連れていく予定で、それを知れば子どもたち二人は微妙な顔をしそうだが、強く希望されれば二人とも断れないと分かっている。

 場の空気を変えるだけでなく、自分の希望もちゃっかり通す強かさは流石の歳の功だった。

 そして、その後の試合も湊は順調に勝ち進み、決勝では第一シードの選手とファイナルセットにもつれ込みながらも、先にゲームをブレイクしてそのまま連取で勝利を収め見事優勝を果たした。

 

――都内レストラン

 

「じゃあ、八雲君の優勝を祝して乾杯」

 

 都内の個室レストランへとやってきた英恵は、ワインのグラスを片手に笑顔で乾杯の音頭を取る。

 それに合わせて湊と美鶴もソフトドリンクの注がれたグラスを胸の高さにあげて応えるが、とても気まずそうに落ち着かない様子の美鶴と、いつも通りの気だるげな顔をしている湊を見て、英恵はこういった場でも湊は口を聞いてあげないのだなと苦笑した。

 湊が美鶴と口を聞かないのは、美鶴が何も知らないで父親を肯定するからで、端的に言えば馬鹿と話しても時間の無駄だからという事らしい。

 確かに美鶴は桐条の暗部をほとんど教えて貰っておらず、影時間に関しての知識は基本的な部分と発生原因が桐条グループにあるくらいしか知らない。

 しかし、そんな部分はどうでもいいのだ。基礎知識として知っておいた方がいいだろうが、湊の言っているのはそういう事ではなく、自分の戦う理由すら理解せずに桐条の罪や人々のためと大層な事を口にしているのが愚かなのだという。

 無関係の者を巻き込んで命懸けで戦うなら、命を賭ける理由くらい把握しておけという事だ。

 

「フフッ、ブランクがあったのに上手だったわね。両利きを活かしたスイッチフォアハンドはお母さん譲りね」

 

 子どもたちが会話できないなら自分から話すしかない。英恵はヒラメのムニエルをナイフで切りながら、青年のどちらも片手のフォアハンドで打っていたプレースタイルが母親そっくりだったと懐かしそうに言う。

 すると、パンを一口大にちぎっていた美鶴が、青年の母親がテニスをしていたとは知らなかったと興味を持つ。

 

「八雲のお母様もテニスをしていたのですか?」

「ええ、高校から始めて三年生でインターハイを制覇するほど上手かったのよ。インターハイ優勝のワイルドカード(特別枠)で出場した全日本選手権では、二回戦で当時のランキング一位と当たって大接戦のファイナルセットで負けてしまったけど。色々なところからプロの誘いがあったくらいだったんだから」

 

 親友の嘗ての活躍を娘に話す英恵はとても誇らしげにしている。

 彼女の言う通り、湊の母親である菖蒲は高校から部活でテニスをしており。高い身体能力とセンスで一年の頃から頭角を現し、三年目にしてついに全国大会を制覇した。

 当時の菖蒲のプレースタイルは湊と同じ両利きのフォアハンドを活かしたオールラウンダー。湊ほど球種は多くなかったが、厳しいコースや空いているスペースを積極的に狙うという、シンプルでいて果敢に攻める攻撃的なテニスは見る者を魅了した。

 青年はそんな母親から幼少期に手解きを受けており、幼い頃からやっている者特有の繊細なボールタッチも習得していたのだ。

 母親から日本の女子トップを苦しめたテニスを学び、さらに遊びながらテクニックを習得していった湊はまさに母親の上位互換。両者のプレーを見ていた英恵には、子どもが親の技を発展させ完成させたように映っていた。

 

「それで、八雲君はどうしてテニスをしようと思ったの? やっぱりお母さんの影響?」

「……本格的にやるつもりはない。ただ、母さんが大会で優勝したことは聞いていたから、俺も一度くらい大会で勝っておこうと思ったんだ」

 

 問われた湊は素直に答える。テニスに特別な思いがあった訳ではなく、あくまで母親との繋がりとして再びテニスをしてみたと。

 ブランクがあったので全力が出し切れたとは言い難い。それでも湊は母親に教わったテニスで見事に優勝を果たした。

 インターハイと都内の大会では出場する選手のレベルに差があり、湊自身この一回の優勝で母親と同じ場所に立てたとは思っていない。

 それでも確かに一つの結果は残した。この結果を受けてこれからまた母と同じように大会に出場し勝ち進んでもいいし、規模は異なっても優勝は優勝だとやめてしまってもいい。

 青年がどちらを選ぶにせよ、話を聞いた英恵たちは、青年が再びテニスをしようと思った理由が、記録としてでもいいから母に触れたかったのだという事を理解した。

 きっと本人は、そう言えばと母がテニスをしていたこと思い出して、なんとなくの思い付きで自分が試合をしたと思っている事だろう。

 テニスと影時間の戦いで種類は異なるが、己が行動の根幹の理由が見えていないのは湊も同じで、しかし、それは青年から早くに親を奪ってしまったことが原因だと分かっている二人は、僅かに目を伏せるとすぐに普段通りの表情になった英恵が湊に話しかけた。

 

「貴方を見ていると菖蒲さんが重なるときがあって懐かしい気持ちになるわ。仕草だったり、考え方だったり、親子だからというより知らずに真似をして似たんでしょうけど、そういうのを見ると彼女が貴方の中で生きているんだってつくづく思えて嬉しくなるの」

 

 両親の良いところばかりを貰って生まれた青年は二人によく似ている。ただ、強いて言えば母親の方が似ており、それは仕草などからも見てとれるので菖蒲のことを知っている者にすれば懐かしい気持ちになる。

 父親よりも母親と一緒にいる時間の方が長かったためだろうが、母親との記憶や思い出が確かに存在した証となって、受け継ぐ形で菖蒲が湊に中で生きているように感じた。

 英恵が昔を懐かしむように目を細めて優しく彼を見れば、食事をしていた青年は眼帯を付けていない左眼の視線を皿に落としてポツリと溢した。

 

「……似てない方が俺は嬉しい」

「どうして、そう思うの?」

 

 もしや、両親のことが嫌いだったのだろうか。そんなはずはないと思っても理由が分からず英恵は不安になる。

 尋ねられても湊は何も答えず、そのまま黙々と食事を続けて全て食べ終わると、最後に水を飲んで立ち上がった。

 

「ごちそうさま。少し用事があるから先に帰る」

 

 立ち上がった湊はポケットから連絡先の書いたメモ用紙を取り出し、それを英恵のところに置くと部屋を出て行ってしまった。

 連絡先は前から聞いていたので今さら教えてもらう必要はないが、二人は久しぶりに再会したことになっているので、美鶴の前ということもあって敢えて連絡先を交換して見せたのだろう。

 そこまで気を回したのなら彼は別に怒って帰った訳ではないと思うが、もう少し一緒に話したかったというのに湊が帰ってしまった事で、英恵は自分の言葉が彼を傷付けてしまったのかと暗い表情になる。

 すると、湊が帰った理由を同じように考えていた美鶴が、あることを思い出して彼の発言の意味を察して、そのことを母に伝えた。

 

「お母様、以前お話した流れ込んできた彼の記憶の中に、うちの研究員らしき者を斬り伏せていくものがありました。そこから推測するに彼は人を殺めたことがあるんだと思います。つまり、先ほどの言葉は“自分なんかと”という意味だったのかと」

 

 美鶴は去年ムーンライトブリッジで湊の記憶を見てから、桐条グループのサーバを調べて過去に研究員が大量に死んだ事件や事故がなかったかを洗った。

 ペルソナに目覚めた湊が回収されていたことは予想していたが、それらしい施設の情報などはまるで知らなかった。

 だとすれば、それは桐条武治が高位IDでしか閲覧できないように制限している可能性が高い。子どもである美鶴は知らなくてもいいと隠されれば、情報戦が得意という訳ではない美鶴では調べようがないため、彼女は研究員の大量死という隠しようのない結果の方から攻めることにしたのだ。

 そして、彼女はある事故の記事に行き当たった。ポートアイランドインパクトから約一年経とうとしたときに起きた製薬会社のガス管破裂事故という記事に。

 ポートアイランドインパクトを起こした桐条グループが今度は被害者になったこともあり、マスコミも大々的に取り上げ、事故当時の写真も映像も大量に残っていた。

 記録が大量に残っていることで調べ物は順調に進み、ヘリを使って上空から撮影したものを見た美鶴は一目でガス管破裂事故などではないと察した。

 なにせ、ガス管の破裂による爆発で建物が真っ二つになることなどあり得ないから。

 ガス管破裂事故とされるものを湊が起こしたのなら、そのときの犠牲者はほとんど彼が殺したに違いない。百人を超える大人を小学校低学年の子どもが殺したなど驚きだが、それを悪行と理解して罪を背負っている彼はまだ正常な判断力を有している。

 力は語られる鬼であったが、心は人であった事を彼女は幸いに思ったが、美鶴よりも青年のことを深く知っている英恵は娘から言葉の意味を教えてもらうと困った顔をして深く溜め息を吐いた。

 

「……はぁ、あの子は昔から自己評価が低かったのよね。研究員を殺めたのも被験体の子どもたちを守るためでしょうに、間違った手段ではあっても正しい行動だったと自分を肯定できないものかしら」

 

 湊の自己評価は最低値。存在するだけで害悪なので処分すべきと、2009年の戦いが無ければチドリたちの前からも消えているくらいだ。

 美鶴もかなり不器用にしか生きられないタイプだが、湊はそれ以上に不器用で生きづらそうに見える。

 子どもたちは二人とも頭はいいのに何故こうも生きるのが下手なのかと疑問を持ったが、頭がいいからこそ一周回って馬鹿なのだろうと、英恵は思わず苦笑しながら湊の置いて行ったメモを大切に鞄に仕舞ってから、パンのおかわりを頼んで美鶴との食事を楽しむことにした。

 

 

影時間――美紀私室

 

「な、なに……これ……?」

 

 夜中にふと目を覚ました美紀は、どこか普段と異なる空気を感じて窓の外に広がる光景に目を疑った。

 緑色の空で眩しいくらいに輝く大きな月、天高く聳える異形の塔、血に見える赤黒い液体が付着した道路など何もかもがおかしかった。

 空が緑色なのも関係あるのか少し息苦しく、不安を覚えた美紀は慌てて部屋を飛び出し、そのまま両親の寝室へ向かう。

 

「お父さん、お母さん!」

 

 二人に会って安心したい。そう思って勢いよくドアを開けると、そこにはベッドの上に転がる二つの棺桶があった。

 あんなものは家にはなかった。両親の姿はなく代わりに棺桶が置かれ、美紀は一体何が起こっているのかと泣き出したい気持ちになるが、他の部屋を探してからでも遅くはないと両親の寝室を後にする。

 リビング、キッチン、トイレ、お風呂、兄の部屋も見ていくが誰もいない。

 時計は零時丁度で止まっていて、何か情報はないかとテレビやパソコンを点けようとしたが反応がなく、ならば携帯はと最後の希望を持ってみたが結果はテレビと同じだった。

 

「な、なんなんですか、これ……。だれか、誰かいませんか!」

 

 家にいても何も分からない。一人でこの訳の分からない状況にいるのが怖くて、美紀はパジャマ姿のままサンダルを履き。外に出ると大声を出して近所の家に向かって呼び掛けた。

 零時と言えば深夜ではあるが起きている人間もまだまだいる。しかし、どの家も電気が消えていて街灯すら一つも点いていない。

 必死に走る美紀がまわりが見えているのは空に浮かぶ月のおかげだ。本来は太陽の光を反射しているだけだが、いま空に浮かんでいる月は自ら発光しているように見えた。

 それも含めて異常事態だが、美紀は既に自分の理解の限界を超えているせいで頭が回らず、ただ誰でもいいから人に会いたかった。

 こんな異常な世界で一人は嫌だった。このままでは不安で頭がおかしくなる。そうして、泣きだす一歩手前で走っていると、少し先の方から物音が聞こえてきた。

 風で何かが転がっただけの可能性もあるが、自分と同じ状況に陥った人かもしれない。そう思って美紀は音のした方を目指し、それほど広くない路地を曲がって音の発生源を見た。

 

「……え?」

 

 音は聞き間違いではなかった。そこには確かにナニかが存在して、ゆっくりと道を歩いていた。

 けれど、そのナニかが美紀には理解出来なかった。ボロボロのフード付きコートを纏った人型のナニかがいるのだが、そのナニかの身体は人のそれではなく火の灯ったランタンになっているのだ。

 姿が異形なだけでなく、そのナニかからは明らかに生きている気配がしない。

 美紀はあれは危険な存在だと報せる本能に従い逃げようとした。だが、恐怖で身体が上手く動かなくなっていた彼女は、無理矢理に走り出そうとして足をもつれさせてこけてしまう。

 

「きゃあっ」

 

 倒れて思わず声を出してしまった美紀は、顔を上げてすぐに自分の失敗を悟った。少し離れた場所にいたナニかが美紀の声に反応し向かって来たのだ。

 相手の移動速度は速くないが、遅いという訳でもない。けれど、美紀は敵が迫っている恐怖で腰が抜けてしまっていた。

 

「い、いやっ」

 

 腰が抜けながらも少しでも逃げようと腕の力で這って行く。意味がない事は分かっているが、逃げようとする本能が美紀にそうさせた。

 もっとも、敵は既に傍に来ていたが。

 

「あ、あぁ……」

 

 美紀から五メートルほど離れた場所で止まった相手は、コートをはためかせながら炎の球を形成し始める。

 あれで自分を殺すのか。見ただけで理解してしまった美紀は諦めて目を瞑ろうとする。

 兄や荒垣、本当の両親と今の両親、部活の仲間たちの姿が浮かんできて、これが走馬灯かと死を覚悟した。

 そして、膨れ上がる炎が発するゴォッという音が耳に届いたとき、目を閉じかけた美紀の前にそれは現れた。

 

「――――え?」

 

 美紀の目に映ったのは、彼女を守る様に美紀と火球の間に降り立った巨躯の青い天使。

 太い腕の一振りで火球を霧散させると、そのまま翼を広げて火球を放った者の元まで拳を振り上げながら飛ぶ。

 相手は突然現れた天使に驚いたのか、火球が消された時点で逃げようとしていたが、動き出しの差でそれは間に合わず、剛腕に殴られ身体をくの字に曲げながら吹き飛び黒い靄になって消えた。

 何が起こったのか分からないが、天使が自分を助けてくれたことだけは分かる。

 命の危機が去ったことに安堵していれば、青い天使が光になって消えていき、天使の身体で隠れて見えなかっただけでそこに人がいることに気付き、美紀はその相手に話しかけられてさらに驚いた。

 

「真田、こんな時間に外を彷徨くな」

「有里君っ!!」

「……っ」

 

 ようやく会えた人間がよく知った人物だったことで、美紀は緊張の糸が切れて彼に泣きながら抱きついた。

 急に抱きつかれて湊は驚いたようだが、美紀が泣いていると分かると小さく溜め息を吐いてから少女の頭を撫で、彼女が泣き止むまでそこを動かなかった。

 

 

 


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