【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百六十話 確認事項

12月17日(月)

放課後――月光館学園・生徒玄関

 

 湊から彼のこれまでの経歴について聞いたゆかりは、一日置いて少し冷静さを取り戻すと、やはり彼の言ったことが本当なのか確かめる必要があると考えた。

 昼休みに彼のクラスを覗くと本当に学校に来ていなかったので、ゆかりが何かしらの答えを出すまで学校に来ないのだと思われる。

 答えを出さずに延々と悩み続ける可能性もあるというのに、変なところで相手の意志を尊重してくる甘さを残しているせいで、話を聞いても彼がただの人殺しだとは思えなかった部分はある。

 もっとも、彼が語った話の真偽だけでなく、色々と経歴に不明な点が多かった部分も今日で少しは明らかになるはずなので、ゆかりは目的の人物が来るまで生徒玄関で待っていた。

 そうして、待つこと数分。目的の人物である赤髪の少女が美紀と並んで歩きながら靴箱までやってきたことで、ゆかりは手をあげて相手を呼ぶと話しかけた。

 

「あのさ、チドリと少し話がしたいんだけど、今から二人でちょっと話せない?」

「……湊から話は聞いてるから別にいいわよ。他の人から聞かれる心配のない場所があるから、とりあえず駅の方まで行きましょうか」

 

 用事があると言われれば日を改めるつもりだっただけに、事前に湊から説明は受けていると言われて少し拍子抜けする。

 こっそりと話をする場所まで考えている辺り、チドリも一般とは異なる感覚や経歴を持っていそうだとゆかりは思った。

 許可をもらえたことでゆかりはローファーに履き替え、チドリも風花を待つという美紀を置いて同じように靴を履き替えると生徒玄関を出ていく。

 外に出て駅に向かう途中、会話らしい会話はほとんどなく、交わした言葉は今から行くのがどういった店かという確認程度だった。

 駅について定期券で改札を通過し、やってきたモノレールに乗り込むと、二人の少女は隠れ家的な店である喫茶店“フェルメール”へと向かって行った。

 

***

 

 モノレールを降りると少し歩くと言ったチドリの案内に従い、ゆかりは港区外れの狭い路地を通った先にあるこじんまりとした喫茶店へとやってきた。

 こんな場所に喫茶店があったのかと、今まで通った事もない初めて訪れる場所だった事で、中はどんな雰囲気なのだろうかと興味を抱きながら店に入る。

 扉に付けられた来客を知らせるベルがカランと鳴り、カウンターにいた中年の男性と紅茶を飲んでいたドレス姿の女性が視線を向けてきた。

 

「やあ、いらっしゃい。彼抜きで来るなんて珍しいね。そちらの方は学校のお友達かな? 僕はここの店主をしている五代だ。まぁ、自由に座ってよ」

 

 ぼさっとした黒髪に無精ひげを生やした男・五代に言われ、ゆかりはチドリの後に続いてカウンター席に座った。

 この場所では五代や女性客に話を聞かれてしまうのではと思ったが、チドリに動く気はないようで、座った少女らの前に水とおしぼりを用意して五代がメニューを渡してくる。

 話を聞きたいと言ったのはゆかりであるため、教えてくれる者の希望や指示には従うつもりであるが、これで本当にいいのだろうかと思いつつ注文を決める。

 

「えと、それじゃあチーズケーキとホットのダージリンをお願いします」

「……私はアールグレイとワッフル」

「かしこまりました。用意するから少し待っててね」

 

 注文を聞いた五代はお湯を沸かして紅茶を淹れる準備をしながら、チドリの注文したワッフルを焼く準備も進める。

 目の前でやってもらう事に新鮮さを感じて眺めれば、まだお茶も来ていないというのにチドリが話しかけてきた。

 

「それで湊からはどんな話を聞いたの?」

「え、その、ていうか、ここで話して大丈夫なの?」

「大丈夫よ。二人とも知ってるから」

 

 言われて驚いたゆかりは五代と女性客の方を思わず見てしまう。

 仮に湊の話が全て真実だとして、それらを全て知っているとすれば、この二人も真っ当な世界の住人ではないということだ。

 優しそうな男性と少し高貴な雰囲気のある女性。別にどこもおかしいところはなく、むしろ善人というか親切そうな空気すら感じる。

 そんな二人が所謂裏の世界に通じる人間だと聞かされたゆかりは、チドリの言葉を信じることが出来ず目をぱちくりとさせた。

 すると、チドリの言葉が聞こえていたらしく、何かに感づいた様子の女性客が声をかけてくる。

 

「わたしはチドリちゃんの知り合いのロゼッタ。よろしくね。それより、もしかして、籠球皇子じゃなくて小狼君の方の話でもしにきたの? 学校のお友達にするような話じゃないと思うけど」

「湊が自分で話して、信じられないなら他の人間に聞けって言ったらしいの。こっちはどこまで話したか分からないから、先ずはそこを聞かないと話しようがないわ」

 

 ロゼッタが口にした小狼という言葉にゆかりは首を傾げる。けれど、直前に籠球皇子ではなくと言っていたことから、それが湊のことだというのは理解出来た。

 仕事用の名前、そう考えるのが自然だろう。本名で堂々と仕事をするには彼は若過ぎる。学校生活など日常にも籍を置いているので、全国模試でトップを取り続けていることや、今回の籠球皇子フィーバーなど周囲が騒げばすぐに見つかってしまう。

 その点、偽名を使っていれば仕事中に呼び名に困らないだけでなく、自分の素性がばれるリスクを抑えることが出来る。

 他の者たちが騙している雰囲気はないため、ゆかりは軽く話を聞いただけで湊の言ったことが本当の様に思い始めていた。

 そして、真偽を確かめるために彼から何を聞いたか言う必要があるのなら、すべて話して早く教えて貰おうと考え、ゆかりは先日聞いたことを掻い摘んで伝える。

 

「有里君は自分が人殺しだって言ってた。二万人以上殺してるって。最初に殺したのは施設から逃げるときに大人を百人以上殺して、それからは知り合いの紹介かなんかで裏の仕事を始めて。海外に行ったのは修業目的だったけど、知り合いの女の人が死んでからは復讐でEP社の人を殺して回ってたって」

 

 本当はもっと詳しく言っていた。だが、あのときは彼の身体に残った傷跡に目が行ってしまい。続けて聞かされた話に衝撃を受けてあまり内容が頭に入って来なかった。

 そのため湊が話したときよりも掻い摘んだ説明になってしまったが、これで何となくは理解して貰えただろうかと思いながら尋ねる。

 

「……ねえ、この話ってどこまで本当なの?」

 

 水の入ったコップを両手で掴みながら尋ねる少女は不安そうな表情を浮かべる。

 聞きたいのは否定の言葉であり、彼の家族である少女にはいつも通り彼のふざけた行動に対して呆れた溜め息を吐いてもらいたい。

 だが、ゆかりのそんな思いも虚しく、紅茶のカップを少女たちの前に置いた五代があっさりと肯定してしまう。

 

「かなりざっくりとした説明だけど全部本当だよ。彼、一時期は一千万ドルの賞金首として世界中から狙われてたんだ」

「小狼君を殺すためだけに国聯軍が派遣されたりもしたものね。表じゃ噂にも出ないでしょうけど、裏の方じゃ一番の有名人よ。世界を敵に回しながら裏界最大組織を単独で墜としてしまった化け物って」

 

 一千万ドル、時期によって変わるがおよそ十億円。そんな数字を聞いても一般人ではまるで想像出来ず、むしろ、世界中から狙われて国聯軍が派遣されたという話の方が印象に残った。

 たった一人を殺すためにそれほどの戦力を投入する必要があるとみなされ、それでも青年は生き延びて目的を達成した。

 目的を達成するまでにいくつもの犠牲を払ったが、ゆかりからすれば、一人で桐条グループに潜入して父親の死の真相を暴くのと同じくらい無謀な事なのだろうと想像する。

 もっとも、少女の想像は青年の冒した復讐劇には到底及ばない難度だが、彼が人殺しだという話が真実であれば、どうして彼が人を殺すようになったのかが知りたい。

 そう思ったゆかりは顔を上げるとチドリに尋ねた。

 

「ねえ、チドリと有里君がいた施設ってなんなの? どうして逃げ出す必要があったの?」

「……そうね。まず、湊は八年前に桐条グループの事故で両親を亡くして、自分も半年ほど意識不明だったって話は覚えてる?」

「修学旅行の夜に話してたやつだよね?」

「ええ、それで湊は施設に保護されたというか回収されていたの。私たちよりも先にね」

 

 始まりの少年エヴィデンス。それが研究所で彼が与えられた名前。

 両親を亡くした直後にペルソナに覚醒し、アイギスと共にデスと戦い勝利をおさめた。

 詳しい戦闘の記録はデータが破損して分かっていないが、シャドウから人々を守るための鍵だとして回収された当時の彼は、そのまま目覚めることなく半年も眠り続けた。

 その事を何も知らない少女に素直に話すわけにはいかない。五代たちには協力を要請するという立場から、信用して貰うために全てを話したが、徐々に適性値が上がっていようとまだ適性持ちにすらなっていない彼女に話すのは危険と判断し、チドリは重要な箇所をぼかしつつ話し始める。

 

「詳しく話しても分からないでしょうから簡単な説明になるけど、公にはされていないある病気のようなものがあって、それは現状被害の拡大を防ぐ方法もなく、最悪だと人が死んだりもする危険な物なの。抗体となる物が存在するということは仮説として分かっていたのだけど、ずっと発見されずにいた天然の抗体を湊は持っていた」

 

 病気とは影時間とシャドウ、抗体とは即ちペルソナだ。

 重要な部分はぼかしても本筋はちゃんと伝わる。チドリは一度紅茶で喉を潤すと、真剣に耳を傾ける少女に当時の自分の立場についても説明する。

 

「私はその抗体を受け止める可能性を持っているからと集められた孤児。天然で持っていた湊と違って、抗体を与えられた私のような被験体は、その抗体の副作用で死なないために寿命を縮めるような劇薬を飲み続ける必要があった」

 

 実際は与えられたのではなく、強制的に覚醒させられた訳だが、生きるために命を削る劇薬を飲むとはふざけた話だ。飲まなければすぐに死に、飲んでも遠くない未来に死が待ち受けている。

 大人たちの勝手な都合で集められた子どもたちは、戦闘訓練と実験を受けさせられながら、そんな到底まともとは思えない生活を送っていた。

 

「副作用で死なないための寿命を縮めるような劇薬って、じゃあチドリは今もそれを?」

「いいえ。飲んでいたから普通の人より寿命は縮んでいるでしょうけど、湊が副作用を中和する新しい抗体を見つけて来たからもう飲んでないわ。まぁ、そのおかげで髪は赤くなってしまったけど」

「え、でも、有里君の目の色も治療の副作用って言ってなかった?」

「ええ、同じものよ。ただ、湊は自前の抗体の力をさらに強めるために新しい抗体を入れたの。人によって副作用がどこに出るか不明なんだけど、湊は瞳の色が変わって、私ともう一人は髪の色が変わったわ」

 

 チドリが今も寿命を削る劇薬を飲んでいると思ったゆかりが心配そうに尋ねれば、チドリは苦笑しながら自分の髪に触れて、ちょっとした副作用はあったが現在は大丈夫だと返す。

 湊とチドリでは黄昏の羽根を内蔵した理由が大きく異なっており、湊は搭載せずとも触れているだけで搭載時と同じ効果を発揮するエールクロイツの力を得るとともに、黄昏の羽根の適性を強化する特性を得ようと心臓を包むようにエールクロイツを内蔵した。

 対して、チドリとマリアは黄昏の羽根の適性を強化する特性によって、彼女たちの足りていない適性を補い、それによって制御剤を使わずに済むようにと一度光の粒子に分解して心臓の内部に内蔵させたのだ。

 湊とエールクロイツは既に同化して生身では触れられず、心臓とその周辺を吹き飛ばそうが取り出せないが、チドリたちは未だに半物質状態なので心臓から抜きだすことは出来る。

 ただし、一度内蔵したことで適性が安定したため、いまチドリたちから黄昏の羽根を抜いたところで、彼女たちの適性値から強化された分が減るだけでペルソナが暴走する心配はもうない。

 流石にそこまでは理解出来ないだろうが、ゆかりはチドリが今も劇薬を飲んでいる訳ではないと分かり安堵の息を吐くと、話に出てきた“施設”に対する嫌悪感を露わにしながら返して来た。

 

「ねえ、その病気の研究って違法じゃないの? 人体実験してたってことだよね?」

「当然違法よ。ただ、病気の存在自体は国にも伝わっていないし。研究していた組織は表に影響力を持っていたから、色々とカモフラージュして上手い事やっていたって訳。ま、それも湊が壊滅させてしまったけどね」

 

 あの施設はもうない。逃げ損なった被験体や操られていた被験体がどうなったかは知らないが、少なくとも人工ペルソナ使いの研究は一度終わりを迎えた。

 ペルソナやシャドウに影時間の研究といった物は新しい研究所に引き継がれたようだが、少なくとも以前美鶴に勧誘された様子からすると、今は真っ当に美鶴や真田のサポートと並行して研究しているだけのようだった。

 故に、もう自分たちのような被害者が出ることはないとワッフルを食べながらチドリが伝えれば、ゆかりは紅茶のカップに視線を落としながら小さく呟いた。

 

「言われて少し調べたの。七年前に、人が沢山死んだガス管の破裂事故ってやつ。そしたら、桐条グループ傘下の製薬会社地下でガス管が破裂したって記事を見つけた。チドリたちが居たのってそこなの?」

「よく調べたわね。というか、湊が情報を教え過ぎたのかもしれないけど、私たちがいたのはそこで合ってるわ」

「じゃあ、有里君が桐条先輩を無視してるのは、親を殺されて、さらに自分は実験体にされて、桐条グループを恨んでいるから?」

 

 湊が美鶴を無視しているのは有名な話だ。ただでさえ目立つ者たちが揃っていれば嫌でも注目を集める。

 美鶴は一時期ムキになって湊に話を聞いてもらおうとして、湊が無視し続けていることもあり周囲の生徒からはストーカーなのかもしれないと思われていた。

 その状態ならばただのネタにしか思わないし、まさか裏にここまで複雑な事情が絡んでいるとは考えもしなかったろう。

 事情を知った彼女が、湊の無視する理由をそう考えてしまったのも無理はない。チドリは相手がそう考えた理由を理解しながら、しかし、それは違うと首を振った。

 

「……湊は自分に対してされた事で怒りを覚えることはあっても、恨んだり憎しみを抱いたりはしないわ。欠陥人間だから自分の存在を勘定に含めることが出来ないの」

「じゃあ、彼の両親のこととかチドリたちのことで怒ってるってこと?」

「ええ、簡単に言えばそう。ただ勘違いしないで欲しいのは、湊は桐条美鶴に対して何の感情も抱いていないわ。憎んでいるのは桐条グループで、だけど単純には割り切れないから無関係の相手とは不干渉でいるってだけなの」

 

 世間はグループだけでなくその家族も揃ってバッシングしていたが、美鶴はあの事故とは無関係で、むしろ巻き込まれて辛い思いをしている分被害者だと言える。

 いくら加害者の関係者だろうが、それだけで相手に危害を加えれば、危害を加えた者は加害者と同じレベルまで落ちることになる。

 その事実がある以上、関係のない者を巻き込みたがらない湊にすれば、美鶴が纏わりついて来ることは不快だが、自分と桐条グループの因縁に美鶴を巻き込むつもりなど到底ないのだ。

 

「……訳分かんない。そんな、人ってそこまで完璧に区別したり出来ないでしょ。感情のコントロールなんて、自分にとって大切なことなら余計に難しいはずなのに」

 

 表面的には彼の事を知っているつもりだったが、その表面の部分すら理解できていなかったとゆかりは表情を歪ませる。

 彼のことが分からない。どういった育ち方をすればそんな精神性を身に付けられるのか。理解しようとすればするほど、“理解する事が出来ない”という事実を突きつけられるのだ。

 俯き気味に溢すゆかりを見て、五代たちは普通の人間の感性ならば当然だと、悩む少女に僅かな同情を覚えつつ一つのアドバイスを齎す。

 

「僕たちからすれば全く逆の意見だけどね。彼は感情と思考を切り離す訓練を受けているから、相手が知り合いでも敵なら引き金を引ける。でも、表に出さないだけで傷付いたりはちゃんとしてるんだよ」

「小狼君が上手く出来ているのは感情と思考の切り離しだけ。感情の処理は笑っちゃうくらい不器用でかなり下手よ。人との接し方をみればすぐ分かるわ」

 

 彼は一見まるで理解出来ない存在のように思えるが、シンプルに考えると全体像を捉える事は出来た。

 そう、湊は感情と思考を切り離した上で行動しているに過ぎず、機械的に物事を処理しているようで、実際は己を殺すという一種のやせ我慢でこなし続けているだけなのだ。

 大人が甘やかさないと自分からは甘えて来ない不器用さも含め、湊はまず自分が負担を負うことで物事を処理するのが最善だと考える傾向にある。

 他の者がなんのリスクも負わなければ、自分が損していてもトータルでは誰も損しないと考え、湊はそれをプラスだと捉える。

 自分を勘定に含めないからこその思考であり、その思考の根本には生き残った者としての贖罪が含まれているのだろう。

 一般人がそんな思考を理解出来るはずがないので、その部分を除いた結果と行動パターンから彼がどんな人間かロゼッタが説明すれば、チドリもそれを補足するようにゆかりに話しかけた。

 

「湊は自分を愛せないの。自分みたいな人間は幸せになっちゃいけないんだって思ってる。だから、自分が無条件に受け入れられることには戸惑うし、愛されることを極端に恐がり遠ざけようとするの」

「でも、チドリは傍にいるし。五代さんたちとも親しくしてるんですよね?」

 

 普段から人助けをしまくっているというのに、他者との関わりに拒否感を覚えているというのは意外だ。

 ただ、そんなにも人との関わりを嫌がるのであれば、チドリを家族と言っているのはおかしいし、五代たちに色々と自分の事を話しているのも不自然に感じる。

 そのようにゆかりがカウンター越しに尋ねれば、グラスを磨きながら話を聞いていた五代は苦笑して返す。

 

「僕らは仕事上の付き合いが始まりだからね。仕事の信用もあるから一般的な関係の参考にはならないかな」

 

 湊が五代たちと会ったのは、住む場所を手に入れる仕事を求めてだった。依頼は達成したものの結局報酬は現金で受け取り、二人が揃って桔梗組で暮らす様になってから五代たちは再会したが、それ以降は裏の仕事の仕方を教わるということで付き合いは続いた。

 普段、一緒に行動していたのはイリスだったが、五代やロゼッタも彼に技術指導の一環で同行する事があった。

 仕事での信用に加えてそれなりの時間を積み重ねてきたことで親しくなれたが、真っ当な繋がりではないので一般人の参考にはならないだろう。

 そんな風に五代から言われたゆかりは、今度はチドリの隣の座るロゼッタに視線を向けて遠慮がちに尋ねた。

 

「えと、ロゼッタさんは有里君とその……肉体関係があるって聞いてるんですけど」

「フフッ、情報源はチドリちゃんかしら? まぁ、一線は越えてないんだけどね。彼とのことを心配してるなら大丈夫よ。初めての子でもちゃんと優しくリードできるから」

 

 ロゼッタは何を勘違いしたのか、ゆかりが湊とのそういった行為に興味を持ったと思ったらしく、お節介にもほどがある助言をしてきた。

 アナライズによる相手の弱所を見抜く力と読心能力に習得した技術を組み合わせれば、理論上は湊に堕とせない相手はいない。

 本人すら気付かぬレベルの心身の状態を完璧に把握した上で、最も敏感な部分を最上の技術でもって嬲るのだから、下手をすれば脳内麻薬の過剰分泌で依存性すら出てしまう。

 流石に経験のない少女にそんな事をするとは思えないが、そういったときには湊はとても紳士なので何の心配もなく極上の快楽を得られるはずだった。

 しかし、ゆかりが聞きたいのはそういう事でなく、相手の言葉に乾いた笑みで返しながら、具体的に質問を口にした。

 

「えっと、そうじゃなくて、どうしてまだ子どもだった彼とそんな事をしようと思ったんですか?」

「ああ、最初は美人で可愛い子どもだったんだけど、成長するにつれて男らしさっていうか色気が出てきたの。まぁ、最初からルックスで売り出す事も出来たんだけど、成長したらそういう部分も活かした方が仕事しやすいだろうからって、本人にそっち方面の技術も習得しておくかって訊いたのよ」

 

 確かに湊にそういう事を教えたのは中学校への入学前で、成人女性が未成年の少年とそんな事をするのは同意があろうと犯罪である。

 普通の感性を持ったゆかりが疑問に思うのも当然なので、ロゼッタが当時を懐かしみながら答えれば、ゆかりはチドリと一緒になって真剣に耳を傾ける。

 

「有里君はなんて?」

「覚えて損はないだろうから習得するってすぐ頷いたわ。まぁ、最初は私とイリスっていう彼のもう一人の母親代わりだった人と二人で教えたの。ほら、やっぱり二人きりだと色々と危ないじゃない? 二人ならお互いを監視出来るから一線は越えずに済むってね」

 

 ロゼッタには前科がある。幼いころ変装として少女の格好をしていた湊に発情し、色んな服に着替えさせている途中で襲いかかったところを、戦闘状態に切り替えた湊に沈められたというあまり人に聞かせられない前科が。

 イリスもその事を覚えていたので、彼女よりも高いレベルで技術を持っているロゼッタが教えることに反対はしなかったが、最初は一緒に教えるということで場所はイリスが滞在しているホテルになっていた。

 ある程度経験を積めば、指南役に紅花も加えて異なる相手にも技術が通用するかを試したり、複数人を同時に相手にしたりと様々なシチュエーションに対応できるようにした。

 とはいえ、どんな理由があろうと爛れた世界の話なので、流石にそんな詳しいところまで説明する気はなく、ロゼッタはにっこりとほほ笑んで一つ助言する。

 

「まぁ、彼の生き方を見てきた人間として率直なアドバイスをさせてもらえば、彼の事は信用していいし信頼を寄せてもいいと思う。でもね、真っ当な幸せを掴みたいなら隣に居ようとするのはやめた方がいいわ。そのときは幸せでも、絶対に悲惨な別れになってしまうから」

「ロゼッタさんもそういう経験があるんですか?」

 

 聞き返したゆかりにロゼッタは笑顔で返す。それが何を意味しているのか本当のところは分からないが、彼女のアドバイスは経験則によるものだということはゆかりも理解した。

 まだ若い女性が裏の世界に関わっているのだから、その人生は当然普通ではないのだろう。

 自分が好きになった相手も彼女と同じか、それ以上に闇に染まった人生なのはゆかりにも分かった。

 そうして、湊の語った事が真実だと理解し、彼が語らなかった人生の一端を知った彼女は、財布を取り出すと五代に会計を頼んで支払いをしながらチドリに礼を言う。

 

「今日は色々教えてくれてありがとう。もう少し自分で考えてみる。聞きたい事があったら聞いてもいい?」

「ええ、話せないこともあるけど、貴女が聞きたい事は多分大丈夫な範囲内だから心配しなくていいわ」

「うん、ありがと。お二人もどうもありがとうございました。今日は帰ります」

 

 会計を済ませて鞄を持つと席から立ち上がり、ゆかりは五代とロゼッタに挨拶をして扉へと向かう。

 

「気を付けて帰ってね。二人の知り合いならサービスするからまたおいで」

「はい、ごちそうさまでした。それじゃあ、失礼します」

 

 最初に来たときは思いつめた表情だったが、今はどこか落ち着いた様子だ。自分たちの話が参考になったのなら良かったと、五代たちは笑顔で出ていくゆかりを見送った。

 

夜――EP社・研究室

 

 ゆかりに自身のこれまでの生き方について語って以降、湊は言っていた通り学校に行っておらず、EP社の方で新しい義手やラビリス達の人間化の研究を進めていた。

 生体ボディの骨格となる素材はまだ完成していないが、その間により人間らしい見た目と感触にマイナーチェンジしたパーツが完成した事で、湊は自分の義手を付け替えラビリスと共にデータを取っていた。

 だが、途中で湊の携帯がバイブレーションで震えたため、何かの連絡だろうかと一時中断して携帯を確認していた湊がぽそりと呟いた。

 

「……なるほど」

「どないしたん? 誰からのメール?」

 

 電話なら一言断って話しているはずなので、携帯の画面を見ているだということは先ほどの着信はメールだったのだと判断する事が出来る。

 メールを読んだくらいで湊が言葉を漏らすのは珍しいため、ラビリスが誰からのメールだったのかと尋ねれば、湊は携帯を仕舞って淡々と返す。

 

「ただの知り合いからのメールだ。契約終了の連絡だった」

「お仕事やめたんやなかったん?」

「別口だ。まぁ、その報告を聞くために二十四日は出掛ける。何時に帰るか分からないから先に寝ておいてくれ」

「ん、わかったわ。鍵閉めとくからちゃんと鍵持っていきよ」

 

 湊が大したことではない風に話すからには、きっとそれほど重要な事ではないのだとラビリスは判断する。

 裏の仕事は既に受けていないので心配する必要もなく、帰りが遅くなっても大丈夫なよう忠告すると、ラビリスは湊を誘って中断していた実験へと戻って行った。

 

 

 


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