【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五十四話 自室デート

10月21日(日)

午前――巌戸台女子寮

 

 その日、岳羽ゆかりは朝から大急ぎで部屋の掃除をしていた。

 下着や肌のケア用品など見られたくない物を優先的に片付け、床に直接物を置いていない状態を目指して必死に収納へと物を放りこんでいく。

 

(ああ、もう! 細かい物はケースに入れて全部クローゼットの中でいい!)

 

 テスト期間明けでゆっくり出来るはずの休日の朝から、何故、彼女がこのような事をしているかというと、早朝から空気を読まない彼氏の電話に起こされたからだ。

 九月の終わりから音信不通の消息不明だった男は、中間テスト初日にシレッと学校へやってきた。

 どうして連絡がつかなかったのかを尋ねれば、水没した携帯を買い換えに行ったあと、面倒で電源を一度も付けていなかったという。

 そこは彼の性格を考えるとあり得るので百歩譲るとして、では、なんでテスト初日まで学校に来なかったのかを尋ねれば、仕事が忙しかったからと答えた。

 学生の本分は勉強だ。それを疎かにしてまでバイトに打ち込む必要があるとは思えない。

 まぁ、それはチドリを除く事情を知らないメンバーが、湊の言う仕事を勝手に眞宵堂や中華料理屋のバイトだと思っていることが原因で起こった勘違いだが、どちらにせよ中学生が学業より仕事を優先していればいい顔をする者は少ないだろう。

 だが、それは湊が学業を疎かにしていればの話だ。

 残念なことに天は青年に二物も三物も与えてしまった。ろくに授業を受けておらずとも、自主学習でテストの満点を取れてしまう程度に彼は優秀なのだ。

 成績が良ければ広告塔に継続利用出来るため、結果を残せば出席日数については余り問わないと密約を交わしている学校は何も言えず、学校が言わないのなら生徒たちも強く言う事は出来ない。

 

(服もこのままだとマズイ! 流石に彼氏が来るのにジャージじゃ呆れられる!)

 

 そうして、シレッと学校に復帰した青年はテストを受けると、放課後は滞っていた生徒会の仕事を片付け、他の者よりも明らかに勉強をせずにテスト期間を過ごしていたのだが、テスト期間明けの今日になって、突然ゆかりの部屋に遊びに行くと電話してきたのだ。

 彼曰くテスト期間で誕生日を祝えなかったので、テストが終わってゆっくり過ごせる今日に二人で祝うのだとか。

 しかし、何も女子寮であるゆかりの部屋で祝う必要はないのではと言ったのだが、彼は十時頃に伺うとだけ言って電話をきった。

 あまりに勝手過ぎるとは思ったが、相手は言った事は実際にやる男だ。ゆかりは自分の誕生日祝いにどうして自分が苦労せねばならないのだと怒りを感じたが、彼がやってくるまでの二時間の内に何とか部屋の片づけを終えることが出来たのだった。

 そうして、濃紺のシャツとオレンジの七分丈パンツに着替え、彼が到着するのを待っていれば、九時五十五分、約束の五分前に部屋の扉がノックされた。

 

「はーい!」

 

 返事をしながらゆかりは扉を開けるため入り口に向かう。普段の彼ならば約束の十五分前には来ているはずだが、急なアポだったことで早くいけば迷惑がかかるだろうと、いつもより遅らせたらしい。

 そんな気遣いが出来るのなら、別の場所で誕生日を祝うようにして欲しかったと思ってゆかりが扉を開ければ、そこにはカジュアルな服装の湊と案内したらしい女子たちが立っていた。

 

「ゆかりー、お主は独占禁止法をしらんのかー!」

「皇子を部屋に連れ込んでなにするつもりか!」

「有里先輩、ウチらと遊びましょうよー」

 

 彼の周りにいた女子たちは青年のファンなのか、ゆかりに嫉妬の言葉をぶつけて二人きりにはさせんと怒ってくる。

 さらに後輩の女子らが、湊の袖を小さく掴んであざとく遊びに誘って行かせまいとしており、女子寮に初めて彼氏を連れ込む者が現れたことは、やはり瞬く間に女子寮中のニュースになったかとゆかりは面倒そうな表情を浮かべた。

 

「あー、はいはい。別に私が誘った訳じゃなくて、朝っぱらに電話かけてきて急に部屋に来るとか言う非常識なやつが原因なんで、文句はそっちに言って貰えませんかね」

「有里君、私の部屋ならいつでもOKだよ!」

「皇子、実はこの前美味しい紅茶を貰ったんです。一緒に部屋で飲みませんか?」

 

 ゆかりの言葉を聞いた女子らは、すぐに最高の笑顔を作って振り返り、彼女の目の前で彼氏を遊びに誘うという暴挙に出た。

 こいつら一遍本気で殴っても構いませんかね、と心の奥から囁く声が聞こえていたが、一応は友達であったり見た事のある顔だったりするので、何とか湧き出る感情を抑え込んで手を出さずに済む。

 しかし、自分の彼氏にだったら文句として手を出してもいいはず。心の中で対応を区別しながら、誰にでも甘い青年が女子らにどんな対応をするか見ていれば、彼は袖を掴んでいた後輩の手を離させ、そのまま全員を視界に入れながら静かに返した。

 

「……また時間があれば食堂でお茶くらいしよう。ただ、今日は岳羽の誕生日を祝うために来たんだ。悪いが引いてくれ」

 

 少し申し訳なさそうな笑みでそんな事を言われてしまえば、ファンの子たちは大人しく引き下がるしかない。

 去って行く女子らは、帰る前に挨拶したいので、帰るときには食堂に寄ってからにして欲しいといって湊を開放して帰って行った。

 解放された湊は静かに扉を閉めるなり、先ほどまで浮かべていた表情をやる気のない普段通りのものにしてしまう。

 部活で一緒にいただけあって、あれが完璧に作られた表情であると分かっていたゆかりは呆れた顔をするが、扉の鍵をかけてから用意されていたスリッパに履き替えた湊は、先ほどの女子らについての意見を述べた。

 

「テスト明けのせいもあるのか、随分と姦しいな」

「そりゃ、半分芸能人の君が急に来ると知ればファンは騒ぐでしょうよ。私は部屋の片づけで忙しかったから、ファンの子の相手ばっかりしてられなかったけどね」

 

 ゆかりが湊からの電話を受けたのは、食堂で朝食を食べているときだった。

 そのため、彼が部屋に来る事は他の女子にもばれていて、部屋の片づけをしている最中にファンクラブの女子やただのファンの女子らが何名か部屋を訪れ、一緒にいては駄目だろうかと聞いてきた。

 最初はゆかりもまともに相手をして断っていたのだが、人数が増えていけば、掃除で忙しい事もあって鬱陶しくなってくる。

 最後は、お前らは彼氏とのデートに友人や家族を同伴させるのか、と大きな声で怒鳴って追い返した。

 ゆかりは女子の中でもトップクラスの運動神経を誇っており、キレた彼女が相手だと普通の女子は一方的にぶちのめされる。

 せっかく、少しでも皇子に会えるというのに、顔に痣を作った状態では会いたくない。

 そうして、他の女子らも今のゆかりに近付くのは拙いと、途中からは一切の干渉がなかったことでゆかりは無事に掃除を終えられたのだ。

 その事を聞いた湊は苦笑するが、自分が急にアポを取った事が原因だと分かっていたので、とりあえず謝罪し、持っていた大きな保冷バッグをテーブルの上に置いた。

 

「急に来て悪かった。とりあえず、ケーキ屋が開く前だったからケーキは自分で作ってきた」

「おっと、まさかの手作り……。君のその無駄な女子力にはいつも驚かされるわ」

 

 置かれた保冷バッグの中を見れば、白い紙箱の上に沢山の保冷剤を置いて冷やしてあった。これならば、しっかりとバッグの口を閉じていれば数時間は保つだろう。

 色々と芸の細かい青年のことだから、市販の手作りケーキセットなど使わず、スポンジからクリームから全て自分で用意して作ってきたに違いない。

 父の死後、家に母親がいないときもあったので、少しは自分でも料理をしていて、最近では湊に負けているのが悔しくて料理を勉強しているゆかりも、手作りの誕生日ケーキを準備してくるような女子力を発揮する男にはまだまだ追い付けないなと思いながら、ケーキは後で頂くと言って簡易キッチンの方へと移動させた。

 そして、何も出さないのは悪いからと、先に湊をクッションに座らせてお茶だけ用意し、お茶が出来てゆかりもテーブルにやってくれば、上着を脱いでくつろいでいた湊が話しかけた。

 

「昼はどうする? 料理は俺が作ってもいいし、行ってみたい店があるならそこにするが、時間は先に決めた方がいいだろ?」

「んー、中途半端だし十二時か一時ごろでいいんじゃないかな。それまでは部屋で適当に過ごす感じで。ってか、今日は何時までいるつもり?」

「明日は学校だしな。夕食を一緒に食べるかどうかで変わるが、食べても八時前には帰るつもりでいる」

 

 現在の時刻は午前十時過ぎ。それから午後八時までとなるとたっぷり十時間も一緒にいることになる。

 夏休みのデートでは六時頃に別れていたので、部活の旅行を除けば過去最長といった感じだ。

 時間を聞くと一緒にいることを強く意識してしまい。私室という自分の空間に恋人がいる状況が落ち着かないゆかりは、両手でお茶のカップを持ってちびちび飲みながら、少々上擦った声で湊に喋りかけた。

 

「て、てか、君は女子の部屋に来たってのに落ち着いてるね。こっちは自分の空間に彼氏がいて落ち着かないってのに」

「女性の中で過ごして来たし。チドリと一緒に暮らしてたからな。同年代の女子の部屋にいることには慣れてる」

「ああ、そういうこと。私は一人っ子だからよく分かんないんだけど、そういうときって相手を姉とか妹として見るの? それとも異性として見るの?」

「……女性扱いはするが、基本的には家族扱いだな。俺も一人っ子だから兄妹ってのは分からない」

 

 正式な誕生日的にはチドリの方が年上だが、人生経験の差で湊は自分の方が年上だと思っている。

 ただ、それでもチドリを妹のような存在として見た事は一度もない。自分の命よりも大切な少女のことは、新たに得た“家族”として見ているのだ。

 ゆかりが問うた“異性”として見ると言うのは、そのままストレートに彼女を一人の女として見ながら接するのかという話だろうが、脳の機能を効率的に使うために性的興奮を覚える部位の機能を遮断している湊にすれば、そういった本能に基づいた考え方は無縁のもの。

 裸体を見れば綺麗だという感想を抱きこそすれ、そこで自分の物にしたいなどと下卑た事を思ったりはしない。

 だが、ゆかりがそんな事を聞いてきたということは、本人は純粋な疑問で尋ねただけだろうが、深層心理では湊がチドリを性の対象である異性として認識していると考えたのだろう。

 別に心の中でどんなイメージを持とうと相手の勝手だが、そういった邪推は迷惑であるため、湊はやる気の感じられないアンニュイな表情で話題を変えた。

 

「……そういえば、恋人って部屋で二人きりだと何をするんだ?」

「え? んーと、DVDで映画みたりとか?」

 

 聞かれたところで少女だって湊が初彼なので分からない。だが、漫画やドラマでよく見るパターンでよければと、部屋でのんびり過ごすタイプの行動を瞬時にピックアップしてみた。

 もっとも、今日はそんな予定ではなかったので、DVDを観るためのノートパソコンはあるが、二人で観て楽しむ様なDVDは手元にない。

 今日は湊も特に外に出て過ごすつもりは無いようなので、ちょっと探してみるかと立ち上がってDVDの収納ボックスに向かい。ゆかりは湊が観ても楽しめそうな物はないかを探す。

 彼女が探している間、テーブルのところでお茶を飲みながら待っている湊は、他人の部屋ですることもなく暇なようで雑談を続けた。

 

「岳羽はどういうジャンルが好きなんだ?」

「私はとくに好きなジャンルとかってのはないなぁ。あ、でも、泣ける恋愛系とかはストレス発散のために観たりする。他は話題作とか友達のオススメを借りてくる感じかな。有里君はどんなの観てるの?」

 

 別に特定のジャンルにこだわりはないが、泣いてスッキリしたいときなどに純愛系の映画を観る事はある。

 リアルな恋愛への憧れは持っていなくとも、恋愛や純愛をテーマとした一つの作品ならば問題なく楽しめるため、レンタルショップに行けば『女子のための映画コーナー』の棚にとりあえず寄るくらいには、そういったジャンルの物を観ていた。

 ただ、そのジャンルが好きかと訊かれるとはっきりは答えられない。嫌いではないが感動したくて見るため、どちらかと言えばストーリーよりも雰囲気を楽しんでいるような気がするのだ。

 なので、やはり特定のジャンルよりも流行り物を観るパターンの方が多いと答え、ゆかりは反対に湊がどういった物を観ているか尋ねた。

 

「……とくに観たりはしないが、羽入が人の家で勝手にアニメのDVDとか観てるのを傍で眺めてたりはするな」

 

 隣同士であることは知らないが、羽入と湊の家が近い事は聞いているので、別に遊びに行っていたところで浮気だなんだと叫ぶほどゆかりの心は狭くない。

 学校でも携帯ゲーム機で遊んでいる姿を目にしており、湊の家でアニメのDVDを観ている姿も容易に想像がつく。

 そして、自分の彼氏はきっとオヤツとジュースを用意してやって、後ろの方でパソコンの作業をしながら時折羽入のことを眺めているに違いない。

 面倒臭がりだが、実際は年下に甘くて面倒見がいいため、余計に懐かれることになっているのだろう。

 少し年の離れた兄妹のような関係の二人を想像して笑みをこぼし、ゆかりがさらに続けてDVDを探していれば、そういえば、と言って湊は思い出したように追加情報を述べてくる。

 

「他は貞子の情報収集でリング系を見たりもした」

「なにゆえ、貞子の情報収集なんか……」

「知り合いが知り合いに俺の類似品として紹介したんだ。俺も聞くまで知らなかったが、貞子も両性らしい。まぁ、だからと言って名前が貞夫に変わったりはしないが」

「ま、そりゃね」

 

 ゆかりとしてはホラー映画と今後縁が出来る事はないと思っているが、自分の好きな作品の登場人物が本当の性別を明かしたところで、変装時の名前は本名をもじっただけというのが大概なので、仮に貞子の本名が貞夫だろうと別に気にしたりはしない。

 ただ、姿とセットで貞子としての名前が広まっている以上、別の名前が一般人にまでわざわざ広まる様にアピールしたりはしないはずだ。

 性別の設定がなんであれ貞子は貞子。作品を代表するキャラクターの名前はそのままでいい。

 湊の言葉にそんな風に返して、良さそうなDVDがないためゆかりが諦めて収納ボックスを片付けると、元の状態に戻し終えたところで急に背後から抱きつかれた。

 

「ひゃあっ!? ちょ、な、なにっ!?」

 

 完全に気を抜いていたせいで変な声が出てしまい照れるゆかり。だが、それよりも急に抱きしめられたことで、心の準備が出来ていないと顔を赤くしながら大いに焦る。

 対して、収納ボックスの棚の前で正座していた少女に背後から近付き、とある年代の女性の憧れであるあすなろ抱きを敢行した湊は、彼女の身体をしっかりと抱き寄せて相手の肩に顎を置いて耳許で呟く。

 

「……付き合って三ヶ月なら、どこまで許してくれるんだ?」

「ど、どこまで、許す? ……はぁっ!? ちょ、ダメ! 部屋に来たからってそういう事はき――――っ」

 

 最後まで言い終える前に顔だけ振り向かせて唇を奪う。

 彼女は“禁止”と言いたかったのだろうが、言わせなければゆかりが何を考えていようと効力を発揮しない。

 唇を奪われたゆかりは緊張した様子で身体を固くし、対照的に湊は相手を身体ごと自分の方へ向かせて、片手を頬に添えながら背中にも腕を回す。

 そうして、強くなったゆかりの心臓の鼓動だけが聞こえそうなほど静かな部屋の中で、時間にして十秒ほど経ってから離れれば、ゆかりは恥ずかしさから瞳を潤ませて顔を俯かせた。

 

「……だめって言ったのに」

「何がダメとは言われてない。それに岳羽も本気では抵抗してなかった」

「抵抗したら有里君が傷付くじゃん」

「別に照れ隠しで抵抗されても傷付いたりはしないな」

 

 言って湊は再びゆかりに顔を近付ける。それを察知した彼女は肩をビクリと跳ねさせて固まるが、今度の口付けは優しく頬に落とされた。

 ほんの少しだけ触れる小さな感触。けれど、逆にそれが意識させる事になり、ゆかりはキスされた部位だけがやけに熱く感じた。

 

「な、なんか慣れてる。絶対に中学生じゃない」

 

 自分がこんなにも緊張と照れでテンパっているというのに、青年は顔色一つ変えずにジッと見つめてきている。

 それが何故か悔しくて、ゆかりは変なのは絶対に湊の方であると指摘するも、言われた方は皮肉気に口元を歪めて返した。

 

「緊張して歯をぶつけるよりいいだろ」

「それは……確かに嫌だけど、君みたいに小慣れた感じだと信用出来ない」

「はぁ、随分と我儘だな」

 

 キスどころかその先の経験もあるため、湊が慣れているというゆかりの指摘は正しい。

 だが、それがどうしたというのか。技術は依頼の中で男を惑わし女を騙すために培われた物であっても、今はそこに親愛の情を乗せている。

 相手を自分に近付けてもいい。今この瞬間ならば拒絶したりはしない。そんな思いをしっかりと態度で示しているのだ。

 下手なキスは御免だが、慣れている態度も気に入らないという我儘な姫に、湊は溜め息を吐いて返すと再び顔を寄せて唇を奪う。

 一度目は身体を強張らせていたゆかりも、頬にしたのも合わせて三回目になれば少しは余裕が出る。

 身体の横でギュッと握っていた拳を解き、恐々と上げた腕をそのまま湊の背中へとまわしてゆく。

 少し触れただけで手を引っ込めたくなるが、ゆっくりと少しずつ移動させた事で、最後はちゃんと抱き返す形にする事が出来た。

 

「はぁ、んっ」

 

 最初は触れるだけだったキスも、息継ぎの様に度々離れ、回数が増すにつれて啄ばむ様な形になり、さらに回数が増えれば湊の舌が唇と歯を分け入ってゆかりの口内へと侵入する。

 自分のものではない熱が入って来て、驚き思わず身体を離そうとするも、背中と頭の後ろに回された手がそれを阻む。

 ゆかりも腕を伸ばしている分、二人の身体は余計に距離を縮めていたが、こうなってしまうとお互いの距離はゼロを超えてマイナスと言っていい。

 身体の中に自分ではない異物が入って粘膜の内側を蹂躙して行く。歯茎をなぞる様に舐められ、舌を使って追い出そうとすれば、反対に絡め取られて唾液を流しこまれる。

 身長差の関係で少し上を向く形になりながらも、ゆかりの口からは溜まった唾液がこぼれおちそうになる。

 今着ているのは室内着なので大人しいデザインだが、彼氏が来るからとお洒落な物をしっかりと選んだ。このままでは溢れた唾液で濡れてしまい。せっかく選んだ服から着替えなければならなくなる。ゆかりはそれが嫌だった。

 何か解決法はないかと考えれば答えはすぐに思い付いた。思い付いたらすぐ行動に移すとばかりに、舌を絡ませ口の周りを濡らしても、口内の唾液は溢すまいとゆかりは喉をコクコクとならしてそれを飲んだ。

 

「ん、ふぁ、あっ」

 

 キスを繰り返すにつれて頭が惚けて思考力が低下していく。このまま進むとマズイという危機感は先ほどから抱いているが、キスで得られる充足感と快感によって止めようと思えなくなってくる。

 身体の奥をくすぐられているような、深い場所から湧き上がってくる不思議な快感。その正体が何であるか分からないゆかりは、徐々に頭が真っ白になっていくのを自覚しながら、その先を知りたいと向き合ったまま湊の足の上に座って身体を寄せて、自分からも積極的に舌を絡めに行った。

 そして、

 

「――――――」

 

 完全に頭が真っ白になり、急激な虚脱感を感じてゆかりは後ろに倒れかけた。

 その前に湊が肩を掴んで支えてくれたので床にぶつからずに済んだが、焦点の定まらない瞳で中空を見つめながら、荒い呼吸に合わせて肩を上下させていれば、身体を離した湊がゆっくりと床の上に彼女を寝かせた。

 

「はぁ、ん、はぁ……なんか、疲れちゃった……」

「……そうか。俺は厨房を借りて昼食を作って来るから、岳羽は少し休んでおくといい」

「わかった。任せちゃってゴメンね」

「気にしなくていい」

 

 言いながら立ちあがると湊は部屋の鍵を借りて出ていく。扉が閉まるとすぐに外から鍵がかけられたので、キスのし過ぎで疲れているゆかりが他の女子の相手をしないで済むよう気を遣ったのかもしれない。

 彼のちょっとした気遣いに嬉しく思いながら、ゆかりはゆっくり身体を起こすととりあえず冷めたお茶を飲み干して口の中をさっぱりさせた。

 キス自体の不快感はなかったが、なんとなく普段よりも唾液の粘度が高い様に感じて、終わった後はちょっと口の中が気持ち悪かったのだ。

 それもお茶を飲むことで解決したため、少し火照った身体を冷ます意味も込めて、窓を開けて換気しようと立ち上がりかけたとき、ゆかりは下腹部の辺りが冷たい事に気付いた。

 

(え、なに……?)

 

 見てはいけない。見たらとんでもない事になる。本能が警笛を鳴らしてやめておけと制止してくる。

 しかし、言いようのない不快感と何か冷たい物があると気付いてしまった以上、それを見逃すわけにはいかない。

 別に見たところで死ぬわけでも無し、ゆかりは自分の内からの呼びかけを無視して、穿いていた七分丈のボトムスを見た。

 

(あ、れ……?)

 

 そこにちゃんとボトムスがあった。セールで安くなっていて掘り出し物だと喜んで買ったオレンジのボトムスが。

 けれど、ゆかりの穿いていたボトムスはオレンジ一色だったはずで、ファスナーの周辺だけが濃い色などというグラデーションは施されていなかった。

 これは何だとゆかりがそっと触れてみれば、濃い色の部分はどういう訳か濡れていた。

 キスのときに唾液がこぼれていたのかと考えるも、そうならないように飲んでいたので可能性はほぼない。

 というか、ファスナーの周辺だけでなく、そこからさらにお尻に近い部分まで濡れている以上、口から垂れた唾液が原因とは思えなかった。

 では、向き合う形で抱き合ってキスしていたのに、どうして少女が穿いていたボトムスは濡れているのか。

 嫌な予感がしたゆかりは、湊が帰って来ても気付けるように部屋に近付いて来る気配を警戒しながら、そっとボトムスの中に手を入れてみた。

 

(あ、ああ……やらかしたぁぁぁぁぁぁぁっ!!)

 

 ボトムスに手を入れたゆかりは原因を理解した。と同時に、湊が少し早めに昼食を作るため部屋を出ていった理由にも気付いてしまった。

 よく思い出してみれば、去っていく湊が来ていた服の前面も一部が濡れて変色していた気がする。そこは丁度座っていたゆかりの下半身が押し付けられていた辺りだ。

 戻ってきたら洗ってあげた方がいいのだろうか。というか、着替えを買いに走った方がいいのだろうか。

 自分が恥をかくだけならよかったが、恋人にまで被害を出してしまった以上、謝罪のために顔を合わせない訳にはいかない。

 

(キスしかしてないのに、キスだけでって、っていうか、そんなつもりなかったのに、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!)

 

 この日、ゆかりはいくつか段をすっ飛ばして大人へ近付いた。キスしかしてないが、そのキスが原因で起こった二次災害で階段を上らざるを得なかったのだ。

 汚れた服を着替えてから本当は相手に文句を言いたかったが、途中から自分もキスにどハマりしていたので何も言えず、料理の載った盆を持って帰って来た青年の上着が変わっていたことで、やっぱり相手にも被害を出していたかと深く反省した。

 そして、この日のことを教訓にゆかりは湊にキス禁止令を出した。子どもキスでも回数をするうちに理性が飛んでダメになるので、キスは一切禁止だときつく厳命しておいたのだ。

 青年は最初は相手の反応を見て楽しむためにキスしていたが、途中からはただ相手を気持ちよくさせるためにしていただけなので、禁止令を出されても特に気にした様子もなく「わかった」と短く答えていた。

 少女は相手があまりにもあっさりしていたので、それはそれで寂しいかもと“よく分からない感情”の処理に困りながら、とりあえず大人しく彼氏に誕生日を祝って貰って、手作りのケーキの味に大満足でその日の自室デートを終えたのだった。

 

 


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