【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百二十五話 生徒会選挙

4月20日(金)

朝――月光館学園・生徒玄関

 

 その日、朝から生徒玄関は人で溢れていた。下駄箱と購買部の中間あたりに可動式のタイヤ付掲示板が置かれ、そこに本年度の生徒会役員候補の名前が貼り出されたのだ。

 生徒会の役職は中等部と高等部で異なっているが、中等部では『会長一名、副会長男女一名ずつ、会計一名、書記一名、庶務一名』という風になっている。

 役員候補の選出は自ら名乗りを上げる立候補こと通称“自薦組”と、五人以上の推薦による通称“他薦組”の二通りの方法がある。

 毎回ほとんどは自薦組で全役職の候補が埋まるのだが、今年はどうも違うようで幾人か他薦組が混じっていた。

 偶然と言っていいのかは微妙だが、モノレールのダイヤの都合により改札辺りで出会った部活メンバーも、靴を履き替えて掲示板の前までやってくると、そこに書かれた候補者の名前を見て思わず噴き出す。

 

「ぶふっ、あ、有里君ってば他薦で生徒会長候補にされてるじゃん」

 

 笑いを堪え切れずに肩を震わせながら、ゆかりは掲示板左端に書かれた生徒会長候補の一人目を指差す。

 そこにはデカデカと『推薦・3-D有里湊』と書かれている。隣には昨年度生徒会会計を務めていた三年生男子の名前が書かれているが、見に来ている生徒たちは湊の近くに寄って来ては、

 

「先輩、私ぜったいに先輩にいれますから!」

「応援してます。頑張ってください!」

 

 などと、本人にすれば全くありがたくない応援メッセージを伝えて去っていく始末。

 他の候補者はどうかと視線を動かして行っても、他の部活メンバーの名前は書かれていない。

 これは一体どういう事か疑問に思った湊は、学年次席の美紀に声を掛けた。

 

「真田、どうしてお前は名前が書かれていないんだ?」

「さ、さぁ? 推薦は五人以上にされないと候補になりませんから、きっと推薦されていたとしても人数が不足していたからだと思いますが」

「待ってろ。お前ら全員を推薦してきてやる……っ」

 

 面倒なことに自分だけ巻き込まれるのを嫌がった湊が職員室に向かおうとすると、それをさせまいとしてチドリとゆかりが湊のマフラーに手を掛ける。

 最低でも三周はしている長いマフラーを引っ張られれば、当然、ほどける前に首が絞まる。おまけにチドリとゆかりは湊の肩辺りまでしか身長がないので、斜め下に向かって引っ張られた湊は、僅かに顔を顰めて振り返るなり二人の頭に手刀を落とした。

 

『いたっ!?』

「莫迦か。文句を言いたいのはこっちだぞ」

 

 手刀を喰らった二人は攻撃してきた相手に抗議の視線を向けるが、先に危険な止め方をしたのはチドリたちの方だ。文句を言うのはおかしいだろうと湊が口にすれば、機械義手の手刀を喰らった事で冗談抜きに痛かったチドリが小さくローキックを繰り出してから喋り出した。

 

「人気者は辛いわね。精々馬鹿みたいな所信表明でもして落選する事を祈っておくといいわ」

「私、有里君に投票してあげるから頑張ってね」

 

 湊も大概だが、この二人もいい根性をしている。揃って小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、嫌がらせで湊に投票して面倒なことを押し付けてやるという魂胆が見え見えだった。

 だが、今後は学校だけでなくEP社の仕事もしなければならないというのに、学校に縛り付けられる生徒会活動など御免だ。

 どうにかして回避してやろうと頭を働かせた湊は、チドリのいう通りに“馬鹿みたいな”所信表明を行う事で落選しようと画策する。

 

「……やる気は欠片もないが、俺が生徒会長になったら赤点のラインを引き上げて六十点にしてやろう。追試、追々試で九十点以上取れなければ強制で夏期と冬期に補習を受けさせてやる。当然、そいつが所属している部活の人間も連帯責任で補習に参加だ。生徒会役員を除いてな」

「……脅すつもり?」

「言っている意味が分からないな。俺は生徒の学力低下を憂いて改善策を掲げただけだが? 勿論、当選してしまったら民意が支持したと見なして一学期の中間テストから始める予定だ」

 

 チドリが尋ねれば湊は嘲笑を浮かべてしらを切る。ここで生徒会役員を除いてと告げたのは、以前、湊らに喧嘩を売ってきた木戸という少年が今年も庶務として立候補していたからだ。

 彼の他に庶務に立候補しているのは一年生の女子なので、きっと二年生の彼が当選するはずである。学年三十三位は順位としては良い方だが、一気に転落する可能性もあるので、巻き込まれることを嫌がった湊は最初から役員を例外にしておくつもりであった。

 

「尚、最近は地球温暖化が騒がれているから、エコのために補習中エアコンはつけさせない。ブレーカーごと落としておくので、もしもを期待するだけ無駄だぞ。精々苦しむといい」

 

 そして、最後にこれが嫌がらせ以外の何物でもないことも暴露する。途端に部活メンバーは嫌そうな顔と困り顔の二つに分かれた。

 もっとも、湊はこれを所信表明で言うつもりらしいので、言った上で当選すればそれは生徒らに支持されたということになる。

 嫌ならもう一人の候補者に投票すれば良いのだから、仮に湊が通ってしまい赤点のボーダーが引き上がっても文句をいうのは筋違いというやつだ。

 このままでは純粋な人気だけで湊が当選しかねないと睨んだチドリは、自分が湊に投票しないだけでは身を守れないと判断し。巻き添えを喰らわぬよう部活で最も頭の悪い少女に声を掛けた。

 

「……貴女、しっかり勉強しなさいよ。もし、補習を受けさせられることになったら、期間中は毎日ジュースやアイスを奢らせるから」

「ゆ、ゆかりちゃん、ファイト!」

「私たちも教えられるところは教えますから、一緒に頑張って勉強しましょうね」

 

 部活メンバーで最も成績が悪いのはゆかりだ。彼女だけ平均八十点を下回る成績を取っている。

 他の女子らはそんなゆかりが赤点を取らぬように応援したのだが、実際のところ湊が掲げた新たな赤点ラインをゆかりはクリアしていた。

 よって、応援は嬉しいのだが、越えているのに応援されると自分はそんなに馬鹿だと思われているのかとゆかりは不安になる。

 

「い、いや、応援はありがたいけど全教科六十点以上は取ってるからね? そこまで馬鹿じゃないから。ってか、オイコラ有里。そういう私だけに悪意が集まるのやめなさいっての」

「……じゃあ、生徒同士の相互理解を深めるため、学力テストと同じように身体測定の身長・体重・座高も貼り出すか。それも所信表明に組み込むから選ばれれば民意は我に在りだ」

 

 邪悪さすら感じるような不敵な笑みを作って、湊は顔の高さで左拳を握る。それはまるで世界を手中に収めんとする魔王の如き風格を纏っていたが、言っていることは普通に女子にとって最低最悪だった。

 言ったからには本当に所信表明で発表するつもりに違いない。だが、この青年のカリスマを持ってすれば、いくつも私欲にまみれた校則の改正などを盛り込んでも通ってしまうのではないかと思わせた。

 分かれて教室に向かう間、どうかこの学校にまともな人間が大勢いますようにと、チドリたちは心の中で祈るのだった。

 

 

放課後――月光館学園・会議室

 

 放課後、候補者は会議室に集まる様に言われて湊は会議室に来たのだが、上座に座っている教師から見て会議室は二つに割れていた。

 窓側に座っているのは、続投するために今年も立候補した現役生徒会役員メンバー及び立候補した一年生が二名。それと対立する形で廊下側に座っているのは、新たに立候補及び推薦された新規メンバーの二年生と三年生だ。

 現役メンバーが立候補したのは会長に三年の男子が一名、副会長に三年女子が一名、書記に二年男子が一名、庶務に二年男子が一名といった具合である。

 それに対して新規メンバーは会長に他薦された三年男子が一名、副会長に立候補した三年男子が一名、会計に他薦された二年女子と立候補した一年男子が一名ずつ、書記に立候補した三年女子が一名、庶務に立候補した一年女子が一名だ。

 

【会長】他薦:有里湊、現役立候補:三年男子

【副会長女子】現役立候補:三年女子

【副会長男子】立候補:三年男子

【会計】他薦:二年女子、立候補:一年男子

【書記】立候補:三年女子、現役立候補:二年男子

【庶務】立候補:一年女子、現役立候補:二年男子

 

 この時点で副会長二人は対立候補なしで当選になる訳だが、庶務に立候補している現役メンバーの二年男子・木戸武蔵は、足を組んでやる気なく煙管を吸っている新規メンバーの会長候補にいらついた様子で絡んでいた。

 

「なんで、やる気がないくせにここにいるんですか? 面倒なら辞退すればいいじゃないですか」

「……辞退していいのか? まぁ、こっちも勝手に推薦されて連れてこられて迷惑していたから、辞退できるのならありがたいが」

 

 以前泣かされたこともあって湊をよく思っていないようだが、絡まれている湊は気にした様子もなく携帯を取り出していじりながら返事をする。

 その不真面目な態度が余計に木戸をいらつかせるも、木戸が再び言い返す前に湊の隣に座っていた副会長候補の男子と書記候補の女子が馴れ馴れしい態度で話しかけてきた。

 

「えー、会長そりゃないっすよ。オレ、会長が会長になるからって副会長に立候補したのに」

 

 男子の方の名前は渡邊 凛太郎(わたなべ りんたろう)、ゆかりと同じ3-Aの生徒で短めに揃えられた黒髪と身長一七〇台中盤と学年では長身の部類である事が特徴だ。

 

「そうだよ、ミッチー。私もミッチーが会長なら楽しそうだなって立候補したんだから、他の地味メンの下になんか就きたくないよぉ」

 

 対して、女子の名前は西園寺 円(さいおんじ まどか)、小さめの身長と肩甲骨辺りまで伸ばされた緩いウェーブのかかった黒髪が印象的な湊と同じクラスの生徒なのだが、お嬢様のような見た目でありながら、ぶりっ子とでも言おうか小悪魔チックな雰囲気で男を手玉に取る事で有名であり“女王蜂”や“悪女”の異名を持つ。

 相手は湊という名前に因んだ“ミッチー”という愛称で呼んできているが、実を言えば言葉を交わした事は一度もない。それで湊を愛称で呼ぶのだから恐ろしい女である。

 

「……誰だ、お前ら。変なあだ名で呼ぶな。というか俺は会長じゃない」

 

 湊は馴れ馴れしい人間が嫌いだった。よって明確に拒絶の意志を見せるも、二人は気にした様子もなく笑いながら、

 

「うわっ、会長つめてー」

「そんなクールなミッチーも格好良いよ!」

 

 などと言っており湊の理解の外にいる人種だった。

 そんな馬鹿たちとの相手に疲れて嘆息していると、湊側の席に座っていた暗い雰囲気の会計候補の二年女子が小さく手を挙げて発言の許可を求めていた。

 皆が好き勝手に話している事を考えればとても礼儀正しい事である。教師がどうぞと許可すれば、女子は膝の上に手を置いてボソボソと聞こえづらい声で話す。

 

「……あの、辞退していいんですか? だったら、その、私も誰かに勝手に推薦されただけなんで帰りたいです」

 

 暗い茶色の前髪で目がほとんど隠れてしまっている女子の名前は宇津木 香奈(うつぎ かな)、2-Dの生徒で湊と全く接点はないが彼女も湊と同じく他薦によってここにいた。

 自分で立候補した人間ならばやる気に満ち溢れているのだろうが、彼女も勝手に推薦されて呼ばれただけなので、湊と同じくやる気は欠片もないらしく鞄を持って立ち上がりかけている。

 普段ならば辞退も認められるのだが、実は今回はある理由があってそれを認めることが出来ない。ただし、理由を話すとややこしくなるため、男性教師は辞退できない事だけを率直に伝える。

 

「いや、他薦でも辞退は出来ないんだ。有里君も宇津木さんもここに居ておいてくれ。それと渡邊君と西園寺さんは誰じゃなきゃ嫌とか言わない。選挙なんだから民主主義に則って多数決でやるからね」

「えー、でも、そこのチビスケは何か会長に思いっきりガン飛ばしてますけど?」

「うんうん、ミッチーが長身のイケメンだからって嫉妬しちゃダメだよ?」

 

 今時の若者らしい軽いノリで話す二人はお互いに知り合いらしく、仲の良いコンビプレーで木戸のコンプレックスをモロに攻撃する。

 木戸はまだ二年生になったばかりだが、周囲が二次性徴でどんどんと成長している中で彼の身長は伸び悩んでいた。女子の中でも小さい部類の風花とどっこいなので、湊との身長差は三十センチ以上あるのだ。

 一度も話した事のない上級生に身長について触れられた木戸は、肩を震わせて立ち上がると教師に抗議した。

 

「先生、こいつらやる気なさ過ぎとおちゃらけ過ぎしかいないですよ!」

「木戸君、先輩もいるからね。こいつらとか言って指をさしちゃ駄目だよ」

 

 湊と宇津木は他薦だが、自ら生徒会に立候補するだけあって我の強い者が揃っている。それを一人で纏めなければならない生徒会顧問の男性教師は、頭を抱えたい衝動に駆られながらも耐えて説明に移ってゆく。

 

「でまぁ、対立候補がいなくても来週月曜の五限目に全員に所信表明演説して貰うことになる。終わってから投票して、放課後に教師と選挙管理委員で開票して、翌日の放課後に当選者に集まって貰う事になる。だから、全校生徒に新生徒会をお披露目するのはさらに翌日の水曜日の朝だね」

 

 去年の選挙で既に経験している現役メンバーは静かに聞いているが、立候補した新規メンバーの三年二人は興味なさげに「へぇー」と気の抜けた返事をする。

 彼らは本当に湊が上司になるからと立候補しただけのようで、湊がやる気を見せていない事で興味が薄れているようだ。

 そこへさらに、他薦で面倒を押し付けられてイラついている湊が、教師に冷たい視線を送りながら言葉を発する。

 

「……所信も何も、他の生徒らの生活になんて興味無いんだが。ああ、あと、去年までは辞退も出来たはずだ。多分、俺がいるから急遽変えたんだろうが、ふざけた事をした以上は俺も学校側に色々と要求するから覚悟しておけ」

「いやぁ、そのね。君を推薦するって声が女子を中心に五十人分近く来ているんだよ。それを全て突っぱねるのは学校側として出来なかったんだ」

「そうか、数の暴力で個の声を封殺する訳だな。なるほど、そちらがそういうつもりなら俺も遠慮せずに行かせて貰おう」

 

 去年の選挙など留学していた湊は知らないはずだった。けれど、情報なんていくらでも集めることが出来る。

 まさかばれるとは思っていなかった教師は諦めて事情を説明したが、学校側の事情など湊には関係のない事だ。

 アクセサリーの着用許可や私服での登校、高校に入ってからのバイク通学など相手側がすんなりと認めそうな事をいくらかリストアップして叩きつけようと考えながら、湊が氷の視線で教師を射ぬいていたとき、今まで黙っていた現時点で副会長女子に当選が決まっている生徒・高千穂楓が湊に似た冷たい声色で淡々と話しかけてくる。

 

「有里君、別に先生が貴方を推薦した訳ではないわ。そもそも、教師には推薦権も投票権もない。選挙管理委員も教師はあくまで立会人よ。不正が行われて貴方を強制的に会長職に就かせることは出来ないのだから、ここで先生を責めるのは間違っていると思うの」

「……それを言うなら、他薦という制度が間違っているんだ。俺やそこの二年女子のように勝手に推薦されて迷惑している者もいる。おまけに去年までは出来たはずの辞退が出来なくなっているとなれば、学校が一部の生徒と協力して職務を押し付けに来ている可能性も否定できない」

 

 正直に言えば湊の推測はある意味当たっていた。湊は見た目から不良に思われがちだが、秀でたルックスと学力の高さから中等部の広告塔に使われている。

 以前は美鶴や当時の生徒会長を使っていたのだが、美鶴と違って普通に入学してきた一般の生徒なので、学校経営グループの御令嬢よりも湊の方が使い易かったのだ。

 さらに湊は一年の留学を経験し帰ってきたので、海外の学校と姉妹校提携を結んだり、交換留学等の事業にも力を入れようと考えている学校側としては、実際に海外で学んできた一例として取り上げ易いというのもある。

 そんなルックス・学力・経歴と揃った生徒が、生徒会長という肩書きまで手に入れれば、桐条美鶴以上の広告塔になるだろうとして経営母体の桐条グループからも彼を生徒会長にして欲しいと頼まれているのだ。

 高千穂も湊の指摘した学校側の思惑はある程度存在すると睨んでいるので、その点については否定しない。だが、肩書きに憧れやすい中学生がそこまで会長職を拒否する理由がいまいち理解出来なかった。

 

「それは確かにそうね。でも、何をそんなに嫌がるのかしら? 貴方は文化部に所属しているだけだから、運動部と文化部を掛け持ちしている生徒と違って生徒会に来る事は可能よね?」

「学校だけで見ればそうだな。しかし、本来は自由であるべき放課後まで学校側の都合で縛り付けるのか? 生徒総会などで全員が参加するなら納得も出来るが、生徒会はある意味で部活のようなものだ。限られた生徒だけで行う活動に望まぬ人間を巻き込むなどあまりに横暴だろう」

「役員は誰かがやらなくてはいけないのよ。貴方はそれを他人に押し付けて、自分だけは恩恵と自由の両方を手に入れようというの?」

「莫迦か。既に必要人数は揃っている。やる気を見せている者がいるというのに、わざわざ他薦まで認める必要はない」

 

 やりたい人間を押し退けてまで他薦をねじ込む必要はない。それは対立する事になる立候補者の全員が思っている事だろう。

 しかし、高千穂はそれよりも湊の言葉に聞き捨てならない物が混じっていた事で、目を大きく開くと立ち上がって言葉を返してくる。

 

「あ、貴方、いま馬鹿って言ったわね!? 自分をどれだけ偉い人間だと思っているのか知らないけど、人の悪口を言ってはいけないと親に言われなかったの!」

「さぁな。両親は数年前に死んでいて親戚もいないし、ここへ入学するまで学校にも通っていなかったから世間とはずれているかもしれないな」

 

 湊が話し終わった途端、会議室の中からは音が消えてシンと静まりかえっていた。別に湊は隠しているつもりはなかったのだが、両親が既に他界している事を他の者は知らなかったらしい。

 先ほどまでは明るく笑っていた西園寺も、真面目な表情で気になる点について尋ねてきた。

 

「ミッチー、お父さんとお母さんいないの? でも、授業参観のときとか着物の綺麗な人と一緒にいなかった?」

「あの人は俺とチドリの今の保護者だ。あの人たちに出会わなければ、きっと俺たちはここにいなかっただろうな。だから、とても感謝している」

 

 湊とチドリが学校に通って普通の生活を送れているのは鵜飼と桜のおかげだ。衣食住を保障されて、戦う力を付けることが出来た。

 自分一人ではチドリを光のあたる温かな世界で暮らすようには出来なかっただろう。

 だからこそ、湊は彼らに感謝しているし。どうやってかその恩を返そうとも思っていた。

 遠くを見つめるような、どこか黄昏た雰囲気の穏やかな顔でそう話す湊を見ていた渡邊は、相手の境遇に色々と思う事があったのか感動して涙ぐみながら口を開いてくる。

 

「か、かいちょー、めっちゃ苦労してきたんすね。昔、女子に囲まれて羨ましいんじゃクソ野郎死ねとか思ってすんませんしたっ」

「……素直に謝ってきた事は評価するが、わざわざ口に出す必要はなかったな」

 

 湊も普段は他人の心や記憶を読んだりしない。それは他人に興味がないからしないだけなのだが、言わなきゃ知る事もなかったような事を伝えてまで謝ってくる辺り、この一見軽い男でしかない渡邊はそれなりに素直で真面目なやつらしい。

 

「ミッチー、癒して欲しかったら言ってね。他のイモ野郎たちはダメだけど、ミッチーならデートでキスまでOKだからねっ」

「……お前に癒して貰うくらいなら山岸に頼むさ」

「えー、山岸ちゃんってまどかと身長変わらないし可愛いけど地味くない?」

「一人称が名前のお前よりはずっとマシだよ。それと地味とかいうな」

 

 それに対して西園寺も気を遣ってくれているようだがどこかずれていた。自分が女であることを最大限に武器にしようとしている点は異なるも、素の性格はどこか佐久間に似ているようにすら感じる。

 自分の事を客観的に見ても可愛いと自覚しているようだが、一応、他の女子に対しても公平なジャッジは下すようで、風花の容姿を可愛いと認めつつ華がないとばっさり告げた。

 この辺りははっきり物を言う性格なのだろうが、湊にすればそんな人間に癒しなど感じないと思っている。

 チドリやゆかりなどはっきり物を言う人間は傍にいるが、風花のように他者を受け入れて包み込んでくれるような優しさを感じさせる人間は少ない。

 本人は無自覚だが、よく知る者からみれば立派なマザコンである湊は、マザコンだからこそ風花のように母性を備えた人間を実は苦手としていた。

 嫌いだとか受け付けないのではなく、どういう風に接していいのか分からないのだ。

 早くに親を亡くしたというのに、湊は力を与えられて精神が急激に成長してしまった。

 そして、力を持っていたことで周囲から頼られるようになり、心の奥底では甘えたいという気持ちがあったにもかかわらず、それを押し殺して来たことで、母親の愛を求めながらも甘え方を知らない歪な育ち方をしてしまった。

 イリスなどは彼の歪さを理解して、それに沿う形で湊と小狼の両方に母親としての愛情を与えて甘えさせていたが、学生としての“有里湊”しか知らない人間に甘えたり頼る事など出来ない。

 よって、湊は風花のことを本能で好いてはいても、踏み込んで関わろうとはせず他の部活メンバーと接する以上に心の壁を作っていた。

 

「あー、君たち? 所信表明の原稿用紙を配ってもいいかな?」

 

 湊が西園寺らと話していると教師が苦笑いを浮かべながら、手に原稿用紙を持って話しかけてくる。所信表明は原稿を持ちこんでいいことになっているが、時間の関係で四百文字詰め二枚が上限だ。

 生徒らに一応確認を取るような形を見せつつ、誰も答えなかったので教師が紙を配ろうとしていたとき、新規メンバーの二・三年生組の列から手をあげて口を開く者がいた。

 

「あ、オレ素面で話すんでいらねーっす」

「まどかも原稿とかなくても余裕だからいらなーい。ミッチーとそっちの暗い子はいる?」

「……いえ、その、別に話す事ありませんからいらないです」

「俺は赤点のライン引き上げと、身体測定の結果の貼り出しを公約に盛り込むだけだからな。あとは適当に話して時間でも潰すさ」

 

 現役メンバーと一年生の立候補者たちは原稿用紙を受け取るが、湊の列の人間は誰も必要ないとして受け取らなかった。

 その態度が不真面目に映ったのか木戸が睨んできているが、彼より先に高千穂が冷たく感じるようなよく通る声で質問してきた。

 

「赤点のライン引き上げ?」

「ああ、定期試験で六十点以下の場合は同じ問題の追試を受けて貰う。そこで九十点を越えなければ追々試を行い。そちらでも九十点を越えなければ、節電のためにエアコンの効いていない教室で夏期と冬期に補習を受けさせる」

「うはっ、エアコン無しとかキツイっすね」

「因みに同じ部活に所属している人間も補習に関しては連帯責任で受けさせる。ただし、生徒会役員は部活に所属していても免除だ。赤点を取れば個人で受けさせるがな」

 

 現状では三十点が赤点のラインとされているが、それを六十点まで引き上げれば一教科でも赤点を取る生徒は全体の約半数に上るだろう。

 しかし、ここにいる人間はそのラインを余裕でクリアしている者ばかりなのか、大して気にせずむしろ賛同する者すらいた。

 

「なるほど、確かに赤点のラインは私も低いと考えていたから賛成するわ。ただ、エアコンに関しては集中力の低下を招くんじゃないかしら?」

「その場合は設定温度を夏は高めに、冬は低めにしておこう」

「ええ、その辺りが妥当かしらね。それと部活の連帯責任制度については納得しかねるわ。不真面目な生徒が真面目に両立させている生徒の足を引っ張る形になるし。それが原因でどうしても不和を生むと思うの」

「あ、それまどかも思った。女子だと割と多いんだけど。せっかく楽しくやってるのに、一人だけノリが悪い子がいると冷めちゃったりするんだよね。で、そういう時にどうなるかっていうとノリ悪い子をハブっちゃうの。その子を抜けば円満解決みたいな感じでね。部活でも足の引っ張りあいでそういうの出るんじゃないかなぁ?」

 

 言われてみれば成程と湊も一理あると考える。面倒な人間関係を嫌う湊にすれば、学生の本分を疎かにしておきながら権利を主張するのはおかしいのではないかと考え、付いて来れない人間は切り捨てればいいとすら思っている。

 だが、知識を学ぶだけなら塾にでもいけばいい。学校は他の生徒との交流や部活動などを通じて様々な事を学べる場所なのだ。

 連帯責任という枷を付ければ一部の生徒のせいで不利益を被る者が出てきて、そこで生じた不和が組織全体に致命的なダメージを与えることになるだろう。

 本来は学業を疎かにしている者が悪いのだが、それで規則を設けた側に文句を言われても面倒だ。そう思い、湊も連帯責任については保留しておく事にした。

 

「……なら、連帯責任については保留しておこう。だが、部活をしている者が赤点を取った場合は大会よりも補習を優先させる。補習の日程は大会と被らないようにして、尚且つ午前中のみに設定してやれば練習の時間も取れるだろう」

「そうなると体育館を使用する部活の利用時間が重なってしまうんじゃないかしら?」

「ああ、そこらへんは大丈夫。オレ、男バスの副キャプやってるんだけど、夏休みは初等部の体育館も借りれるんだわ。体育館を縦に使うオールコートは人いたら無理だけど、半分に仕切れば二面出来てハーフコートで二組出来るし問題ないっす」

 

 彼らはまだ副会長を除いてメンバーは決まっていない。まだ投票すらも行われていないのだから当たり前だが、それでも場を明らかに支配して話を進めているのは特定の者たちであった。

 それだけで対立候補の者は勝つのは難しいのではないかと思わされ、同じく教師も湊から会長就任を条件に色々とふっかけられそうだと頭を悩ませた。

 その後も湊が落ちるつもりで掲げた所信表明の具体案について議論は進み、ほとんどの者が置いてきぼりになりながら、候補者説明会は最終下校時刻になるまで続けられたのだった。

 

 

 


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