「単刀直入に申し上げますわ。日曜日の『帝国』に対する攻撃の計画……お止めなさい」
カウンターから引っ張って来た丸椅子に座るなり、白井黒子は甲斐や半蔵たちに向かって言い放った。
「……どんな説教を垂れにきたかと思えば!」
山形が反抗的に言った。
「てめえらジャッジメントに言われる筋合いはねえよ。これは俺たちの問題だ。口出しすんな」
先ほど、黒子に制圧された男を店外へ運び出してから、少しずつ客が増えて来た。甲斐たちにとっては見知った顔が多く、その多くが、見慣れない黒子に向かって怪訝な顔を向けたが、黒子は一切気にする素振りを見せず、凛とした態度だった。
黒子は山形にやや鋭い視線をぶつけた。
「勘違いしないで頂きたいのですが、私は今、
「どういう意味だ?」
甲斐は、黒子の言葉の真意を探ろうとする。
「あなた方にこうして接触している目的は主に2つ。1つ目は先程の問いです。まあこれは元々、別の方からの言伝なのですが……私も同意見ではありますわ。理由は先程、そちらの殿方が仰っていた通り」
そう言って、黒子は半蔵の方に掌を差し出して示す。
「帝国の件は、最早あなた方でどうにかなる問題ではありません。相手は
「……ずいぶんと言ってくれるな」
何か反論したそうな山形を制し、甲斐は努めて冷静に言った。
「だが、さっき仲間が言った通り、どう動くかは、俺たちが決める。アンタがそうやって脅してきた所で、ハイそうですかとはいかねえな」
甲斐の返答に対して、黒子がため息を一つついた。
「そうお答えになると思いましたわ」
それから、切り替えるように顔を上げた。
「では、2つ目の目的。私からあなた方に聞きたいことがあります」
「……鉄雄の居場所なら、俺たちが聞きてェぞ」
山形が不機嫌な顔をして言ったが、黒子は首を振った。
「いいえ、島鉄雄のことでも、金田正太郎のことでもありません」
「じゃあ、誰だ?」
甲斐が問うた。
「“アキラ”」
黒子の言葉が、はっきりと甲斐、山形、半蔵、浜面の4人に届く。
「この名に聞き覚えは?」
甲斐と山形が黙って顔を見合わせる中、手を挙げたのは浜面だった。
「何日か前、帝国の手先とやり合ったんだ。その中の一人、
やはり、と黒子は頷いたが、どこか物足りなそうな表情をしていた。
「レベルアッパーの副作用で錯乱した患者に共通する症状ですわ。昏睡状態に陥る直前に、その名前を口にするらしいんですの。“アキラ”と。あなた、ほかには?」
「い、いや、悪ぃけど、それぐらいだ。俺から言えるのは。別に、そういう名前の知り合いがいる訳じゃない」
黒子が真剣な目をして顔を寄せて来たので、浜面は顎を引いた。
浜面の返答に対して、黒子はやや残念そうな表情を見せた。
「私は、帝国自体を止めることも大事だと考えていますが、この原因不明の昏睡に陥った人々を救いたいのです。帝国がバラまいてきたという、レベルアッパーが諸悪の根源。今や、SNSや動画サイトにも面白半分にレベルアッパーの音源を流す輩が後を絶たない始末。イタチごっこですわ。これ以上被害が広まる前に、この事件を止めたいのです。私は、“アキラ”という名にカギがあるのだと思います。ですから、あなた方が知っていることを、教えて頂きたいのです」
言い切ると、黒子が頭を下げたので、甲斐も山形も面食らった。
ジャッジメントといえば、自分たちバイクチームとは対照的な優等生の集まりであり、常に目の上のタンコブのような存在だった。その一員が、こうして自分たち不良に頭を下げて来ると、戸惑うばかりだった。
それでも、甲斐から言える事は少なかった。
「し、真剣にお悩みのとこ悪いけどさ……帝国のことならともかく、ドラッグに溺れた連中の戯言なんざ、俺ら気にしてなかったというか―――」
「“アキラ”と関係があるかは分からないけど」
半蔵が唐突に、思い出したように言い、黒子や甲斐はそちらへ顔を向けた。
「今、俺たちスキルアウト仲間の間で噂になっている言葉があるんだ。レベルアッパーがなぜ聞いた者の能力を引き上げるのか―――それは、『神様のおかげ』だって」
「かみさまァ?」
山形がわざとらしく片手を耳に当てて聞き直した。
「よせよお前、帝国のバカ共が、実は宣教師だったってオチ?なんだっけ、今流行りのあの宗教、甲斐?」
「ミヤコ教?」
「そうそう!平安だか平城だかなんだか知らねーけどさ、カルトじゃねえかまるで!」
山形がまくし立てる横で、黒子は締まった表情のまま、半蔵へと問い掛ける。
「その、神様、というのは?」
「
半蔵が言った。
「噂ではそう呼ばれてる。
「有益な情報かもしれませんわ。お聞かせいただき、感謝申し上げます」
黒子が一度頭を下げ、立ち上がった。
「再度お伝えしますが、帝国について、日曜日はアンチスキルの先生方へお任せなさる方が賢明ですわ。帝国は今や暴走状態。その持てる能力は未知数。どんな危害を加えてくるか分かりません。理性が通じる相手ではありませんの。アンチスキルが、最大限の態勢で臨む位には」
「忠告ありがたいけどよ、アンタはどうなんだ」
甲斐は立ち上がった黒子の顔を見据えて言った。
「どう、とは?」
相変わらず、凛とした佇まいで、黒子はこちらを見返している。
「ジャッジメントとして、あんたはどうするんだってことだよ」
甲斐も立ち上がり、先程から心に浮かんでいた疑問をぶつけた。
自分たちに行動の自制を促す以上、学内の治安維持が任務であるジャッジメントも、今回出る幕は無いはずだった。
「大人たちに任せきりにするのか?知ってるぜ。帝国はジャッジメントを狙って、現に何人もやられてるそうじゃねえか。アンタ、優秀なんだろ?何も感じねえのか?帝国に、このままやられっ放しでいいと思ってるのか?」
口調は自然と厳しいものになっていた。
黒子は暫し目を閉じて、甲斐の言う事を黙って噛み締めているようだった。
「……あなたの言うこともごもっともですわ。私は、帝国が憎い。傷ついた仲間の分も、彼らを倒したい」
黒子が目を開け、再びまっすぐ甲斐をみた。明るいブラウンの大きな瞳が、店内の照明を映して静かな輝きを放っている。
「そして、それと同じくらい、街の人々をこれ以上巻き込む訳にはいかない、とも思っています。傷ついてほしくないのです。それはたとえ、バイカーズやスキルアウトたるあなた方だってそうです」
「……おかしいこと言うじゃねえか。俺らはアンタら、ジャッジメントと散々やり合ってきたんだぜ?敵って言ってもいいはずだ」
山形や半蔵、浜面が目を丸くして黒子の言葉を聞いている中、甲斐は敢えて挑発するように口を開いた。
「ええ、そうですね」
黒子は毅然と言った後、笑顔を作った。甲斐もこれには驚かされた。
「けれど、大切なのは、過去に何があったかではなく、今この瞬間何をすべきかではありませんか?」
その言葉が胸の内に投げ込まれ、甲斐の心は俄かに波立った。
「私は、自らがやるべきことをするまでです」
「おい、このタコ親父!てめえジャッジメントと知ってて
「そうがなり立てるなって山形。アンチスキルから言われたんだよ、あの
「どうしたよ、甲斐……」
黒子が去った後、山形がマスターに食ってかかる脇で、半蔵が甲斐に声をかけた。
甲斐は、手を組んで座り、黙り込んでいた。
「……いや、さ。金田がいてくれたらなァって」
俺はどうするべきなんだろうな。
言葉の後ろ半分は、胸の内だけで呟いた。
過去よりも、今、か―――。
甲斐の脳裏に、黒子の言葉が反芻していた。
同日 深夜―――第七学区、水穂機構病院
開け放った窓からは、夏の盛りには珍しい、涼やかな街風が吹き込んだ。カーテンを揺らして俄かに差し入って来た月明かりが、窓際に置かれたボトル入りの
ガウンをややはだけさせ、手術痕の残る左肩を露わにする。
唇を噛み、意識を生々しく膨らんだ部位へと集中させる。
身体が沸騰するように熱い。
自分の思考が、ほかの誰かと一緒に重なって働いている感覚がする。
眩暈と共に不意に体が重たくなり、椅子に背を預けた。
大量の発汗があり、のろのろと肌のそこかしこをタオルで拭う。
荒かった息が落ち着いて来たので、左肩に目をやる。
元通り、何も痕跡は残っていない。何度か回してみても、違和感はない。
それが分かると、急激な空腹感に襲われた。
常人とは比べ物にならない早さで治癒を進めたせいだろうか。ここを出たら、とにかく何か口にいれなければ。
服装を整えると、デスクの上の、コンピューターの残骸―――ハードディスクを中心に、念入りに破壊されている―――に目をやり、部屋を後にする。
廊下は深夜であっても、煌々と明るい。
腕時計に視線を落とす。この時間、決まって彼女が巡回に来る筈だ。
「あら、木山先生?」
柔和な笑みに、少し心配そうな様子を混ぜた表情を浮かべ、中年の夜勤看護師が声をかけてきた。
「眠れません?窓を開けて見たらいかがかしら、今夜は風が気持ちいいですよ?」
「ああ、そうでしたね」
正面に立ち、少し背を曲げて、相手の顔を、目をまっすぐ覗き込む。
「あの……」
「木山春生という患者は、あなたに諭されて、病室へ戻り、夜風を受けて落ち着き、眠った」
そう言って、怪訝そうな表情に変わった相手の額に触れる。
「何も異常はありませんでしたよ」
額から指を離すと、相手はどこか呆けた表情になった。返事は無い。
「お勤めご苦労様です。感謝していますよ。そこの病室のベッドが丁度空いてるんです。お休みになってはいかがです?鍵は私が閉めておきますから」
手を差し出せば、看護師はゆっくりと頷き、首からぶら下げたIDと一体型のカードキーを渡してくる。
自分の首にそれをかけ直してから、木山は廊下の天井の一角にある監視カメラを一瞥する。
前以て位置を確認しておいたそれは、すぐ横の壁の方向へと見当違いに向いている。
「良い夜を」
そう言うと、木山春生は病棟を去った。
7月21日(金) 午前 ―――第七学区、
「初春!休んでいなくて大丈夫ですの?」
入室早々に黒子が驚いた声をあげる。それに対して、マスク姿の初春(心なしか、頭の花飾りも萎れているように見える)は、片手だけ上げると、黙ってコンピュータに向かい続けている。
「あの、初春―――」
「白井さんが調べてくださったキーワードについて、調べたんですけど」
初春が早口に言うと、画面の向きを変えて、傍に歩み寄った黒子にも見えるようにした。
「何のことはない、一発で出てきました。これ、今のトレンドなんですが……」
黒子は、初春と一緒に画面を覗き込んだ。
………………………………………………………
3. プラチナムフライデー
4. 大覚様
5. #もうウンザリだよ民自党
6. アキラ万歳
7. #講民党根津幹事長の議員辞職を求めます
8. #この夏当てよう!ゲコ太SSR
………………………………………………………
黒子は額を押さえた。
「こ、こんな堂々と……?しかも、アキラって名前まで」
「下手にクリックしてタイムラインを見ない方がいいです。出てくるのはアイドルのライブとか食レポに見せかけて、レベルアッパーの音声を乗せた動画がうじゃうじゃ。いわゆるスパムトレンドです―――とびきり有害な」
初春はそこまで矢継ぎ早に言うと、背もたれに体を預けて伸びをしてから、大きなため息をついて点を仰いだ。
「無論、同僚にも声をかけて、片っ端からハッシュタグとその関連投稿を全削除するよう、運営会社へ要請を出していますが……はっきり言って時間の無駄です。こうしている間にも、どれだけレベルアッパーの罹患者が増えるか……」
初春の言葉を聞いて、黒子は背筋が凍る思いがした。
まだレベルアッパーの根源に迫れてもいないのに、事態は悪化の一途を辿るばかりだ。
黒子は、とりあえず違う話題を出すことにした。
「ハァ……木山先生から何か連絡はありましたか?昨日直接はお会いできなかったので、データをお送りしたのですけど」
「いえ、私は把握してませんが―――」
初春が否定したその時、別室から大股に
「ちょうど、そのことで話があるの」
勢いよく話しかけて来たので、黒子も初春も背筋を正した。
「今、水穂機構病院から連絡があって―――木山春生先生が、行方不明だって」
黒子も初春も、言葉をしばらく失った。
何かしなくては。でも、やるべきことは、何なのか―――どうすればいい?
焦りとは裏腹に、新しい情報が立て続けに入ってきたことで、黒子の思考はかき乱されていた。
原作の甲斐には、かつては恵まれた環境で育った、という設定があります。
黒子の過去に囚われるべきではないという考え(アニメ電磁砲の第一期で発言していたでしょうか)は、彼にとって響くものがあるのではないかと思います。