「じゅ、10万3,000冊の魔導書!?すごーい、インデックスちゃん!」
「えへん!私の名は『
「でも、君、一体どこにそれだけの本が?もしかして、端末を翳せば
「モズの言ってる言葉は、ニュアンスがよく分からないんだけど、とにかく勝手に見られると意味がないからね、秘密だよ、ひ・み・つ♪」
「んもー、インデックスちゃんてば、ほんとかわいい!撫でていい!?ってか、この生地、マジで肌触りよさそー」
「それはね、聖骸衣って言ってね……」
「やかましい……」
ワンボックスカーの最後尾座席に座るサカキは、うんざりした顔で呟いた。
「あいつ、凄い虚言癖の持ち主なんじゃないか。魔導書だの服の結界だの、魔術師が自分からべらべら種明かしするか?」
同じく3列目のシートの隣に、やや頭を下げて窮屈そうに座るミキが胡散臭そうに言った。
サカキは頷き、目の前の2列目の座席で、愉快そうに話に興じる、金髪のカーリーヘアと時々波打つ純白のウィンプルに目をやった。
「インデックス」と名乗る少女を、目的地まで送り届けること。無事に済めばそれで良いし、万一、彼女が言う「追っ手」とやらに遭遇したとしても、それも良いと、ミヤコ様が語った。任務とはいえ、幼さを前面に押し出して、ぺちゃくちゃとまくし立てるインデックスは、サカキが苦手なタイプだった。
モズはよくああも話に付き合えるな。心から楽しそうに、インデックスに顔を向ける仲間に感心していると、運転席の神官が口を開いた。
「もうすぐ高速を降ります。イギリス清教の教会までは、小一時間程です」
「おっ!インデックスちゃん、近付いて来たよ!こっからは第七学区!あたいたちもよく遊びに来る、若者御用達の街さ!」
モズの言葉に、インデックスはシートベルトを伸ばし、両手を窓に押し当て、外の風景に目を丸くしていた。まるで初めて都会に出て来た田舎娘、といった様相だ。
やがて車は、減速し、料金徴収のレーンに差し掛かる。
しかし、徐行して通過する筈のレーンで、停車した。
「……おかしいな」
運転手の神官が怪訝そうに言った。
サカキ達も首を伸ばして前方を窺う。
レーン出口のバーが下りている。不正通行だったり、自動車に搭載されたICカードが無効だったりした場合などの現象だ。
「あの、どうしたんでしょうか?」
神官が、運転席側の窓を下ろし、近くのスピーカーに向かって呼び掛けた。
「……認識に失―――……まま待機してください……」
スピーカーから返って来たのは、不自然にノイズが混じった自動音声だった。
「なあ」
ミキが窓の外を指差した。
「何だこれ?」
サカキは、ミキの指差した先を見た。
下ろされたバーの少し手前、車両検知器が納められた白いボックスに、黒色のスプレーで、星型を丸で囲った落書きのようなものが描かれている。
「
インデックスが、不意に警戒した声で呟いた。
すると、突然彼女はかちゃかちゃと焦ってベルトを外し始めた。それを見たサカキは、目つきを鋭くして口を開いた。
「おい、お前。何勝手に―――」
「ここで降ろして!」
インデックスが焦った声で言い、スライドドアの取っ手をがたがた掴んだ。ロックがかけられている。
「どうしたのさ!」
モズがなだめようとすると、インデックスは振り返った。
これまでに見なかった、切迫した表情だった。
「貴方たちはとにかく逃げて!バックしてでもなんでもいいから、ここから離れて―――」
「そんな無茶な―――」
「おい、あれ―――」
ミキが再び窓の外を見て言った。
「どうして、あんなに長く……」
夏の日差しを浴びて、葉の緑色を深めたツツジの枝葉が、路面を這うように伸びて来ていた。
その近付く様は、無数の掌、指が蠢くようだ。
「運転手さん!窓!すぐ閉めて!!」
インデックスが金切り声を上げた。慌てて神官がスイッチを押し込み、窓を上げる。
窓が閉まり切るのとほぼ同時に、蠢く枝葉は、あっという間にサカキ達の乗る車を取り囲んだ。擦過音を立てて窓を這い、車体を下から持ち上げた。
ぐらり、ぐらりと、サカキ達の身は揺らされる。一行は、はしゃぐ幼子が振り回す虫かごの中の虫だった。
「こいつら!」
脳をぐわんぐわんと揺らされながら、サカキは必死に頭を巡らせた。自分は
「おい!お前!魔術師なんだろ!何か打開する策は無いのか!!」
ミキが身を乗り出し、インデックスの肩を掴み血相を変えて叫んだ。寡黙な彼女がこのような声を上げるのは、それだけ切羽詰まった状況だということかもしれない。サカキの胸には、一気に焦りが高まった。
しかし、詰問されたインデックスは、目に涙を浮かべて首を振った。
「わ、わたしは、知識を持っているけど、つ、使い方を知らない―――使えないんだよ」
「嘘だろ!この―――」
「うわっ!入って来やがった!」
突如、神官が慌てふためいた。いつの間にか、車内前方の送風口から、夥しい量の枝葉が侵入してきていた。それは、獲物を探すかのように、車内の四方八方へ枝先を伸ばしていく。
「モズ!」
サカキは覚悟を決めた。
「くそ雑草をこの車から引っ剥がして!私がみんなをできるだけ遠くへ運ぶ!」
「なら、私は置いてって!」
モズが何か返事をする前に、叫んだのはインデックスだった。
「奴らの狙いは私!私を置いて行って!みんなだけで逃げて!」
「ダメ!」
モズが叫んだ。
「アンタも一緒に来るの!」
「モズ!ミヤコ様は―――」
「でも、この子は力が使えないんでしょ!」
サカキの言葉をモズが遮った。
「置いてくなんて、アタイは嫌!せめてここから遠くへ逃がそう!お願いだよ!」
モズは右手を力強く開き、その手首を左手で握り締めて前方へ構えた。モズが得意とする衝撃波を放つ構えだ。
「く、来るなァ!」
神官が恐怖に駆られて声を上げた。身体に、枝葉が這いより始めている。
「クソッ!」
ミキが中段の座席に身を乗り出し、逞しい腕でインデックスを抱えて睨みつけた。
「後できっちり話してもらうからな!一体、何がどうなってんのか―――」
「全員、踏ん張れ!!」
サカキが叫び、モズが目を見開いた。
「いくよッ!!」
モズが目を瞑って腕を押し出すと、車を取り囲んでいた。枝葉が一斉に擦れ合う音を立てて、ひしゃげ、折れ曲がり、力を失くした。車に侵入していたツツジの触手は、葉を撒き散らして震えながら一気に後退していく。下方から押し上げていた力も一瞬弱まり、車は衝撃と共に地面に降り立った。
久しぶりに、フロントガラスの視界が晴れた。抜けるような青空が見える。
サカキは不意に手近のスイッチを押して、窓を下げた。
頬に涼しい風を感じた。その新しい空気を、自分の思う通りに、練り上げる。
車は突風と共に前方へ運ばれ、降りていた遮断バーを意図も簡単に吹き飛ばし、金属音をけたたましく上げながらアスファルトを滑り、横倒しになって止まった。
「みんな無事か!!」
サカキが叫ぶと、インデックスを離さず抱えていたミキが、顰め面をしながらぬっと身を起こした。
「もう当分、車には乗りたくないな」
言いながら、ミキは片腕をインデックスから離し、上へ向いたドアへと何度か叩きつけた。
ドアはひしゃげ、最後は接合部品を散らしながら青空へと舞い上がった。そして、ミキが作った出口から、全員が車外へと這い出した。
「た、助かった……」
「いや、まだだ」
膝をついて息を荒くする神官に、厳しくサカキが声をかける。
ツツジの化け物はまだ生きていた。モズの念動力によって多量の枝葉を切り落とされていたが、それでも残った部分がこちらへと這い寄ってきている。
「お願い」
インデックスがサカキの白装束の裾を掴んで言った。目には明らかに光る物を浮かべている。
「私をとにかく遠ざけて!高く放り投げられても、この服が守ってくれる―――私、平気だから!」
「あぁ、喜んでそうするよ」
皮肉を込めてサカキが答えると、インデックスは目を伏せた。
「今日会ったばかりなのに、ここまで守ってもらえたこと、絶対忘れない―――」
インデックスが視線を落とす先、足元のアスファルトに、いくつかの黒い染みが生まれた。
「インデックスちゃん」
息を荒くしながらも、モズが肩をそっと叩いた。
「必ず、目的の場所へたどり着きな!約束だよ!」
モズが、汗を輝かせ、笑みを浮かべている。
その顔を見て、インデックスが頬を赤くし、こっくりと頷いた。
そして、インデックスの華奢な体を、ミキが抱え上げる。
砲丸投げのように、遠心力をつけて、インターチェンジ近くの、手近なビルの屋上目掛けて放り投げる。
そこへ、サカキが突風を送り、着地点を調整する。
今朝、尖塔に引っかかっていたインデックスを救出する時にとった手段と同じだ。
純白の修道服は、青空を背景にはためき、金糸の刺繍が一度、陽の光を反射して煌めいた。
夏だな、と、サカキはふと場違いな感想を浮かべていた。
「こいつら……まだ襲って来やがる」
ミキが唸った。インデックスは遠くへと去ったが、植物の化け物は未だ蠢き、サカキ達を取り囲もうとしていた。
「無理に戦うことはない、引き揚げ―――」
サカキの言葉は途中で切られた。
今までにない、弾丸のような速さで、鋭利な枝先がこちら目掛けて伸びて来たからだ。
サカキは咄嗟に跳躍し、空気の流れを操作しながら上空へ逃れようとした。
「あっ」
思わず声を上げた。硬い感触を伴った枝が、蔓のように足首に巻き付いている。
サカキの体は一気に地面へ引き戻され、叩きつけられた。
胸の空気が強制的に痛みを伴った咳となって、サカキの口から押し出される。
咄嗟に自身の身体の周りの空気圧を高めたことで、衝撃をいくらかは軽減できたが、それでも全身が痛い。
周りを必死に見渡すと、神官は既に縛られ、ミキやモズはそれぞれ植物と格闘していた。
不味い―――
サカキは既に身動きが取れなかった。ただでさえ体が痛み、力が入らないのに、四肢に枝が絡みつき、地面に大の字に引き倒されている。
サカキの目の前に、枝と葉が生い茂り、その中心で蕾が膨らみ、額が開き、そして白色と桃色のコントラストが美しい、ツツジの花が咲いた。
それはサカキの顔の大きさを優に超える、巨大な花だった。
「この……季節外れなんだよ、化け物―――」
首筋にも冷たく這い寄る感触を感じながら、サカキは毒吐いた。
サカキは、眼前の巨大な花と向き合わざるを得なかった。
花の色模様が、マーブリングのように流れ、いつしか人の目のように見えた。
ショッキングピンクの雌蕊が、サカキの鼻先をくすぐり、雄蕊の根本、花弁の中心部分に、ぽっかりと穴が空いた。
「Dedicate --- the Index of Prohibited Books ---」
ブルガリアン・ヴォイスのような、大地の脈動を放つ、幾重にも響く声だった。
サカキは、その声に射貫かれて、全身に冷たい物が走るのを感じた。
絶体絶命の状況は、突如として終わった。
花がけたたましい悲鳴を上げて、サカキから遠ざかり、萎んでいく。
四肢を拘束していた枝も同様だった。
「何が―――」
サカキが身を起こすと、元々ツツジが植わっていたであろう、料金徴収レーンのすぐ脇の一帯が、轟轟と炎に包まれている。オレンジの軌跡が高々と躍動的に描かれ、
その炎を見つめて、一人、長身の人物が立っていた。サカキは、陽炎で揺らめくその背中を見つめ、口を開いた。
「……何者だ」
インデックスとは正反対の、漆黒の衣を纏った男が振り返った。
目元でバーコードの刺青がひくっと動き、男は冷たくサカキを見下ろした。