「……解せねぇな」
「何が?」
「こいつは、一介のスキルアウトのリーダーだった奴。それだけに過ぎないだろ?」
助手席の男が、親指で後ろを指し示しながら、運転席の男に疑問を投げ掛ける。
「それがなんで、こんな風に一人だけVIP席を用意して送んなきゃならないんだ?更生院から支部へ事情聴取に呼びつけるだけだろ」
「俺も詳しくは聞いてないが」
運転席の男が、ハンドルを切って車を右折させながら言った。
「この男は、捕まる直前、ボスの座を巡る抗争で引きずり降ろされたらしい。その争った相手ってのが、例の街を騒がせてる新興チームのリーダー格の少年って話だ」
「新興チーム?」
「『帝国』だよ」
「ああ……アレね」
助手席の男が、記憶を思い返すように、窓の外へと視線を移した。
かけているサングラスに、時折街灯が映り込み、光っては消えていく。
2人が乗っているのは、一台のワンボックスカーで、それは陽の落ちた道路を駆けていた。アンチスキルが所有する車の一つで、車両の後部には、何らかの理由で咎を受けた者を乗せるものだった。
「メーワクだよなァ……このクソ忙しい時期に。今日だって、学生街でやらかしたんだろ?あの
「その虚空爆破事件の犯人が逮捕された所に、帝国のリーダーじゃないかって少年が一瞬現れたって話なんだよ」
「へえ。で、捕まえたのかい?ソイツ」
「捕まえられてないから―――」
もうすぐ青に変わるであろう信号を待ち、ハンドルを指でトントンと叩きながら、ドライバーのアンチスキルの男が言った。
「手がかりが欲しいんだろ。現状、そのリーダー格だっていう少年の情報は極端に少ないのさ。今日、学生街、それと南の下町でも目撃されたらしい。そこで、俺たちが今運んでいる後ろの男に、改めて聴取を行うって話だ」
「で、たかだか二十歳にもなんねえこのガキ大将を、わざわざ丁重に送り届けるってのは……」
助手席の男がやや探るような目でドライバーの仲間を見つめると、仲間の男は軽く頷いた。
「口封じ。襲撃の可能性があるということだ」
「あの肉の塊みたいなボーズにねぇ」
助手席の男が、ちらりと視線を後ろに向けた。分厚い強化ガラスの向こうには、うなだれてじっと座る、大柄な少年の姿があった。
「ブタさん、大人しいもんだな。これから捌かれるんじゃないかって顔をして」
「レコーダーに全て録音されてるぞ。誰が相手であれ、人権を尊重した言動をとれ」
「ハイハイ、マジメなんだから―――定時連絡だぜ、ジョー」
フロントに据え付けられた機器の一つが着信音を鳴らしながら点滅し、助手席の男が応答した。
「―――こちら警護457。道路状況は良好。」
『了解、状況の報告を。どうぞ』
「
手短に済ませてスイッチを切ると、助手席の男は軽く伸びをした。
「連絡はいいから、定時に上がりたいモンだぜ、なあ?」
「同感だ」
「―――オイ、ジョー!!前―――」
愚痴をこぼしたその直後、助手席の仲間が跳ねるように体を乗り出した。
ヘッドライトが、不意に道路上によろよろと現れた人影を映し出す。
咄嗟にドライバーの男がガッとハンドルを切るが、遅すぎた。
ぐわあんと衝撃音を轟かせ、護送車が空中に高々と舞い上がった。バンパーやヘッドライトのガラスを撒き散らしながらきりきり舞いした後、空気の抜けたバスケットボールのように重たく弾みながらガードレールに衝突した。それから、上下逆さまに地面を滑って停止した。
前の席に座っていた2人のアンチスキルは動かない。
代わりに、後部のひしゃげたドアを無理やり蹴り破るようにして、中から肥満体の男がよろめきながら降り立った。
「いてェ……何だってんだ……」
額を押さえながら、かつてクラウンと呼ばれるスキルアウトチームを率いていた男、ジョーカーが呻く。
「クソッたれ、鍵は……」
ジョーカーは手錠を繋がれた両手を忌々し気に睨む。ジャラリと金属音が漏れる。
ジョーカーは逆さになった車体の前部を覗き込む。割れたウインドウの向こうに、口を半開きにして逆さ吊りになり、両腕をだらんと垂らしたアンチスキルのドライバーがいる。
「アンチスキルがポシャってちゃ示しがつかねェだろうがよ……」
どこか嬉しそうな口調で独り言を言ったあと、ジョーカーは手錠をはめられた両腕を外から運転席へ差し入れると、ドライバーの男が着ている制服のポケットを何か所か探った。そして、鍵束を探り当てると、手首を柔らかく返して、器用に自身の枷を外した。
「ハッ、こんなとこ早くおさらばだぜ」
車から退いて数歩歩いたが、ジョーカーは気配を感じて振り向いた。
「……お、お前……」
小柄な男が街灯に照らされて、こちらへゆっくり歩いてくるのが見えた。
近付くにつれ、その男は逆立った髪型で、夜闇の中でも分かる獰猛な目つきをぎらつかせていることが分かった。
ジョーカーの脳裏に、血の海で高笑いする少年の姿が蘇った。
「く、来るな―――うわああああ!!!」
ジョーカーは、事故の衝撃で痛んでいた体に鞭打って、出来得る限りの全速力で、反対方向へと走り、夜の街の暗がりへと姿をくらませた。
少年は、ジョーカーを気に留めることもなく、ふらつきながら歩き続ける。
「―――畜生、畜生……」
頭を時折抱えるように抑えながら、島鉄雄は不安定に揺れながら歩き、そして忽然と姿を消した。
7月17日、夜―――
右腕に異物感を感じた。
重たい首をゆっくりと傾けて目をやると、親指の付け根、手首の内側の辺りに透明な管が挿入されている。
透明な連結管は、自身の体の右側へ伸び、そこから上へ向かっていく。視線を上げると、輸液パックが見えた。点滴筒の中を、雫が垂れた。聞こえるのは自身の息遣いだけで、今居る空間は盆に張った水のように静謐だった。
体を起こした。真っ白い寝具が衣擦れの音を立て、それと共に揺らされた輸液カートが軋みながら床を転がる。
閉じていた口を開けると、唇が妙にかさついているのを感じた。それでいて、喉は全く乾いていない。不思議な感覚だった。
「……黄泉川先生!」
どこか聞き慣れた声が飛び込んできて、黄泉川愛穂は自身の五感が一気に晴れるのを感じた。
「鉄装」
黄泉川が、病室の中心へと顔を向けると、鉄装綴里が立っていた。どこか潤んだ目をしている。
「鉄装、私は……」
「学生街で昏倒したんです、黄泉川先生」
鉄装が、早足で黄泉川のいるベッドの傍へ寄って来た。
「布に詰められた石が飛んできて……ちょうど、先生のバイザーにヒビが入っている所に直撃してしまって」
「石……?」
黄泉川が自身の顔をひたひた触って確かめる。額の辺りに、分厚い包帯が巻かれていることに気付いた。
「私はそれで、気を失って―――」
「いや、半分は昼寝だぞ、黄泉川」
厭味ったらしい男の声がした。
「支部長……」
「月詠先生から聞いたぞ。お前、ここのところ碌に睡眠をとっていなかったそうだな」
腕組みしながら、神経質そうに人差し指を動かす工示正影がいた。
「それでいて張り切って街に繰り出して、デモ隊とアーミーの抗争の貰い事故ってヤツか。なあ、警邏業務に当たる前に、装備品の安全規定はクリアしたんだろうな?」
「あの、工示先生。少しお言葉が強すぎでは……」
「いや、鉄装。いいんだ」
黄泉川は首を小さく振り、俯いた。
「……面目ないです」
上官の言葉はいつも以上に棘があったが、黄泉川には言い返す気が起きなかった。彼が指摘したことは、概ね事実だと分かっていたからだ。
工示は、下を向く黄泉川の姿を暫く見つめ、大きくため息をついた。
「……がむしゃらに突き進んだばかりに、ブラックジャック如きに伸されるんだ。先の危険を見通せ。アンチスキルとして必要なことだ」
そして、片手に持っていたビニル袋の中をガサガサと探り、中身を取り出してサイドテーブルにどんと置いた。
黄泉川は、テーブルに置かれた物を見て、目を丸くした。
「……支部長、これ―――」
「増税後にはこんなこと一切しないからな」
自分が今しがた置いた、10カートンはあるだろうかというタバコの箱の山には目もくれず、ぶっきらぼうに工示が言った。
黄泉川と同じく目を丸くしていた鉄装が、何か言いたそうに口をぱくぱくさせた。
「何だ」
「……あの、支部長、ここ、病室……」
「早く隠しとけ。ドクターに白い目で見られたくはないからな」
どこかバツが悪そうに視線を明後日の方向へ逸らす上官の姿に、黄泉川は自然と顔が緩んでしまうのを感じた。
「……ありがたく頂きます」
「間違ってもここで吸うなよ。退院したら、一服でも十服でもして、心も体も休めろ。仲間が皆、お前を心配しているし、何より、お前の学校の子どもたちが待っているだろう。我々は皆、学生たちの前では健気に振舞わければならないのだから」
「ええ」
黄泉川は頷いた。
「それが我々の仕事です」
「なら、次の見舞客との話もさっさと済ませて、今日は寝るんだな」
「客?」
黄泉川が聞き返したとき、工示は早くも踵を返して背中を向けていた。
「私はあいつを好かん。黄泉川、恐らくお前は、もっといけ好かない奴だよ」
工示が早足で病室を出て行くと、間もなく入れ替わるように、少し頭を下げて入り口から別の男が姿を現した。
その大きな体躯に、黄泉川も鉄装も目を見開いた。
「アンタは……アーミーの」
部屋に歩み入って来た敷島大佐に向かって、黄泉川は記憶を辿りながら話しかけた。
「黄泉川、と名を聞いた」
大佐が、低く重みのある声で、確かめるように言った。黄泉川は混乱しながらも僅かに頷いた。
はじめの一瞬、黄泉川は目の前の人物が、体格のよいただの一般人ではないかと疑った。午前中、警備員支部にやって来た時の厳めしいスーツ姿ではなく、今はノーネクタイで、白い半袖のYシャツ姿だった。ただし、シャツはやはりパツパツに張り、隆々とした体つきを隠せずにいた。
「駐屯部隊司令官のアンタが、こんな一介の教師の寝床に、何の御用で?」
黄泉川は疑問を口にする。大佐がゆっくりと口を開いた。
「礼を言いたい」
「礼って……」
黄泉川は、大佐が手にしている物に視線を移した。
大佐の大きな手には、黄色を中心とした花のアレンジメントがちょこんと乗せられている。武人然とした大佐の風貌には、あまりに不釣り合いに思えた。ベッド脇にいる鉄装が、口元を緩ませ、誤魔化すように俯いた。
「私の部下―――入隊したての、若い男だ。君が助けたと聞いた。感謝申し上げる」
「ああ、アレ……」
暴徒化したデモ隊の複数人に袋叩きにされていた兵士の事を思い出し、黄泉川が言う。
「それにしても、おかしいじゃん。いくら部下を助けられたからって、アーミーのボスが、取り巻きもナシに、わざわざこんなアンチスキル一人ごときに時間を割いて来たっていうの?」
黄泉川の疑問に、大佐はふっと、妙に柔らかな表情をした。
「じきに、ボスではなくなるさ」
「え!?」
黄泉川も鉄装も、意外な大佐の一言に驚きの声を上げた。
「最早、隠すまでもない」
大佐は、病室の窓へと目を移した。
その目は、カーテンの向こう側にあるであろう、学園都市の夜景を眺めるかのようだった。
「つい先刻、東京の最高幹部会で、私の解任が決議された。今日の過激派に対する取り締まりによって、学生街に騒乱を引き起こしたことが留めだった。もうじき、深夜にもマスコミの知るところだろう。私は、次の日曜で司令官の椅子から降りる」
大佐は、話に聞き入る黄泉川に再び顔を向けた。
「この7月からか……君たち、アンチスキルとは衝突することばかりだった。この街を守ろうと、志を同じくする者同士である筈だったが、私の指揮は、無用な混乱を招くばかりだった。今更だが、詫びたい」
そう言うと、大佐は短髪の頭をはっきりと下げた。黄泉川と鉄装は、どう声をかけたものか、困って顔を見合わせた。
ややあって、黄泉川は大佐へと顔を向き合わせた。
「いくつか聞きたい、大佐。正直に答えてほしいじゃん」
大佐は、黄泉川の声に顔を上げた。
「未明に、一人の脳科学者が、ウチの支部に助けを求めて駆け込んできた。あの女性が銃で撃たれていたのは、大佐、あなたの差し金か?」
「……否」
大佐の顔に影が差し、唇が苦々し気に歪められた。
「私は、指示していない」
「今日、ウチの支部と十区の職業訓練校に、特務警察がアーミーの部隊員と共に踏み入って来たのは?」
「それもまた。私の名を何者かが勝手に使って、部隊を動かしている……概ね見当はついているが」
「全然部隊を統率出来てないじゃないですか!そりゃ、上から叱られもしますって」
鉄装が呆れたような声を上げた。
大佐は目を細めて鉄装の方を見たが、何も言わなかった。
「……あとひとつ」
黄泉川が静かに言うと、大佐が三度(みたび)顔を向けた。
「今日、セブンスミストに現れたあの少年……島鉄雄を、あなた方アーミーは何故追っている?いや……」
黄泉川はじっと大佐の顔を見つめた。
「
大佐は、黄泉川の問いを聞いて数秒目を閉じた。
「……彼は」
静かに、低く、しかし力の込められた声だった。
「怪物になりつつある……我々の手がそうさせてしまったのだ。取り返しのつかないことになる前に、止めねばならん」
「7月1日の夜だな」
黄泉川が大佐を探るように上目遣いに見る。
「十九学区へ向かうハイウェイの途上で事故があった。倒れていた彼のもとへ、なぜかアーミーが現れた。そして、貴方方は島鉄雄を収容した。私はそれを見た。それから……アーミーが、島鉄雄に何らかの手を加えた。恐らく、私達学園都市の教師が知らないような手を」
黄泉川は、両手をベッドにつけると、裸足の足をひたりと床につけ、立ち上がった。
冷たさに驚くように、包帯を巻かれた額がずきりと傷んだ。
「先生!急に立ち上がって―――」
心配して近寄って来た鉄装を、黄泉川は片手を出して制した。
「どうするつもりだ」
黄泉川は、長身の自分よりも更に背の高い大佐を見上げて言った。語気が自然と強まる。
「貴方はもうすぐ指揮官の座を降りる身だ。それで、島鉄雄を止めると?無責任な事を!この街は今、子どもたちにとって決して安全じゃない。あなた方が手から零したモノによって、波立っているんだ。連続発火強盗、虚空爆破、ドラッグの蔓延、スキルアウト同士の抗争の激化―――それらには悉く『帝国』の手が伸びていて、島鉄雄は、どうやらその頂点にいるらしい。早く止めなければ、子どもたちの身が危ないんじゃん!」
傷を負いながらも迫る黄泉川を前にして、大佐は口を真一文字にきゅっと結んだ。
「無論、諦めてなどいない!」
大佐の声にも、力が入った。
「私には時間はない、だが―――必ず、彼を止めて見せる」
「……その言葉が、嘘ではないことを祈るじゃん」
黄泉川が、腰をベッドに下ろして言った。僅かに眩暈を感じた。
大佐は、黄泉川に、続いて鉄装に向かってそれぞれ一礼すると、踵を返して、扉へと向かった。
その途中で、ふと立ち止まった。
「……君たち、アンチスキルの力を借りるかもしれん。然るべき時には……力を貸してほしい」
「貸すともさ……子どもたちを守るためならね」
黄泉川は、大佐の岩肌のように聳える背中に向かって答えた。大佐は、振り返って表情を見せることはなく、病室を後にして去った。
「黄泉川先生、これ……ガーベラです」
ヤナギで編まれたバスケットから顔を出す黄色い花々に顔を寄せて、鉄装が俄かに声を弾ませる。
「優しさ……でしたっけ、花言葉。見た目に寄らず、悪くないのを選びましたね、あの大佐」
「優しさ、ねえ」
黄泉川は呟いた。あの軍人にも、人情味があるものだと思った。
天井に頭をぶつけそうにしながら、陳列された色とりどりの花々をじっと吟味する大佐の姿を想像して、黄泉川は思わず噴き出してしまった。
病棟の廊下を、大佐が大股に歩いていく。
ふと、携帯電話に着信があり、大佐は応答した。
「私だ―――ああ、今から戻る。木山は転院したようだ。何とか、平和的にアプローチを……何?」
大佐は、相手の声に耳を疑い、歩みを止めた。
「……それは本当か?」
大佐の額に皺が寄り、目が狙いを定めるかのように一気に鋭くなった。