「上条!!」
膝をついた黄泉川が叫んだ。
美琴も驚いた表情で事態を見守っている。
島鉄雄が、上条当麻に殴り飛ばされ、背中を強かに床に打った。上条は追撃の手を緩めず、倒れた鉄雄に掴みかかる。
上条は、鉄雄に馬乗りになり、両手で鉄雄の腕を押さえつけた。鉄雄はもがくが、体格で勝る上条からは抜け出せない。
「野郎ォ!」
怒りの形相で、鼻血を垂らした鉄雄が上条を睨みつける。
「大人しくしてろ!この不良が!」
上条も力を込めて言った。
「女の子相手に、みっともねーと思わねえか?」
「何だと!?」
鉄雄は、首を動かして、遠くからこちらを見守るカオリの方を見た。
カオリは、とても不安そうに、はらはらとした表情をしていた。その両脇を固めるように、佐天涙子と初春飾利が厳しい表情で鉄雄を見返している。
鉄雄は額に汗を浮かべて、再び上条を見た。
「畜生、なんで、力が出ねぇ?」
「無理よ、残念だけど」
もがく鉄雄に向かって言い放ったのは、御坂美琴だった。
「そいつの右手、どんな能力だって打ち消しちゃうんだから。あたしの電撃だってぜーんぜん効かないもの。触られてたらアンタ、力なんか出せないって」
美琴の言葉は、どこか自分の事を語っているかのように誇らしげだった。
「……そうか、てめえ、見た事あるぞ」
鉄雄が眉間の皺を深くして唸った。
「あのアーミーの兵隊どもが逃げ惑う中、俺の手をすり抜けやがった……知ってるぞ」
「そりゃ奇遇だな」
上条が短く言った時、アンチスキルが数名、鉄雄を取り囲んだ。先ほど、鉄雄の念動力を受けても、体を動かせる者だった。数人がかりで、鉄雄の両手首を寄せ合わせ、銀色に光るテープをぐるぐると巻いていく。
「なンだよこりゃ―――
「帯電テープ。静電気防止のアレとは逆のやつじゃん」
電流が走るような感覚で身を捩る鉄雄に近寄り、黄泉川が声をかける。まだ足元が若干ふらついている。
「あんまり手荒なことはしたくないんだけどね。アンタのその様子見てると、ただ手錠かけるだけじゃあすぐ暴れ出すだろうから、我慢するじゃん。後でたっぷりと、色々聞かせてもらおうじゃんか」
「ふざけんな!俺は、強くなったんだ。前とは違う!だから俺は―――」
上条が離れ、代わりに複数の屈強なアンチスキルに囲まれ、立たされた鉄雄が叫んだ。
「ただ、助けたかっただけで―――カオリ!お前だよ!カオリ!」
「やめて!」
涙子が叫んだ。
「無関係な人を大勢傷つけて―――それで、カオリ先輩を言い訳にしないで!そんなの、都合良過ぎる!」
涙子は、カオリを自分の背中に隠すように立った。涙子の後ろでは、カオリが顔を両手にうずめ、しゃくりあげていた。初春が、カオリの背中を何度もさする。
「……ほんとに彼女のことを大切に思うなら」
雷に打たれたような表情をしている鉄雄に、上条は厳しく言った。
「てめえがしたことは、大間違いだ。言っても、まだ分からねえんだろうがな」
「抜かせ……」
鉄雄が呟くように言い、彼を囲むアンチスキルは、鉄雄を両脇から抱えて連れ出していく。
しかし、不意にアンチスキル達は立ち止まった。
「あれ……?」
その様子を見て不審に思った白井黒子のポケットで、携帯電話が震えた。以前、帝国に捕まった後に、新たに支給されたものだ。
黒子は通知を確認し、目を見開いた。
「……黄泉川先生!!」
「介旅は!!」
黒子が焦って黄泉川の名を呼ぶのと、黄泉川が叫ぶのとほぼ同時だった。
重力子の急激な加速を衛星が検知したという通知が、警備員と風紀委員に行き渡っていた。
手首を折られて、アンチスキルに捕まっていた筈の介旅初矢が、折られた方の腕をだらんとぶら下げ、荒い息をつきながら立ち上がっていた。血走った目で、鉄雄をまっすぐ睨みつけている。
近くには、数分前に鉄雄の念動力を受けたアンチスキルが倒れて気絶していた。
「帝国、
介旅が、唾をだらだらと垂らしながら叫んだ。
「お前のせいで!!こんなことに!!アハッヒャヒャッ、みんな死ね、死んじまえッ!!」
鉄雄は怪訝そうな顔をしてから、近くの床をふと見下ろした。
アルミ製のフォーク。鉄雄が現れる直前まで、介旅がカオリに向けていた物だ。
「全員、伏せろ!!」
黄泉川が叫んだ時、再び空気を吸い込むような音が鳴り出し、床のフォークが膝の高さ程に空中に浮かび上がると、古典的な念力ショーのように曲がり出した。まるで、折り紙を折るかのようだった。
黒ずんだ光が、フォークから放たれている。
次の瞬間、爆発音が辺り一帯を揺らした。
――― セブンスミスト付近、繁華街
「……今、何か聞こえなかった?」
「あァ?」
デモ隊の列に再び紛れているケイは、爆発音が聞こえた気がして、竜作に確かめた。竜作は顔を顰めて首を振った。
「この状況で、何が聞こえるって!?」
竜作が言う事も最もだった。一般市民に銃を向けたアーミーのトップへ抗議の意思を突きつける、という名目で動員された労働者たちは、そのトップの人物が予告された時間になっても姿を見せないことに、苛立ちを募らせていた。不満を高めた参加者たちは、今や車の往来を妨げることも厭わず、大通りへ繰り出していた。太鼓やら鉦といった鳴り物をやかましく鳴らし、唾を飛ばしながら警備にあたるアーミーの兵士達を威圧し、詰め寄っていた。はじめは物珍しそうに遠巻きに眺めていた学生たちは、不穏な空気を察して、今やほとんど街頭には居ない。皆、学生街を避けて早々に逃げて行ったか、店舗の中へ身を寄せているようだった。
「……あれじゃない?セブンスミスト!」
押し合い圧し合いされる中で、ケイが声を張り上げて指差した先には、アンチスキルが集まって入り口付近に非常線を張っている、服飾店があった。
「あそこ、何が起こって―――」
「ケイ!」
竜作が急にケイの腕を引き、身を引き寄せた。ケイが何事かと辺りを見回すと、デモ隊を押しのけるように、急にアーミーの兵士が多数現れた。セブンスミストに向かっている。
「こりゃ、当たりだな」
竜作がにやっと笑って言った。
それと共に、デモ隊の面々も口々に叫び始めた。
「軍人だ!ハエ共が寄って来たぞ!」
「戦争はんたーい!!」
「正義は我々にある!アーミー、帰れ!」
「違法集会を解散せよ!!繰り返す!違法集会を解散せよ!」
アーミーの兵士の後方からは、鈍色の防護装備に身を包んだ一団がより機械的に隊列を組んでやってきた。ケイの目に、ざっと50人は見える。
ケイは振り返って叫んだ。
「竜ゥ!あいつら―――」
「あの大佐、この状況でマルキなんか出して来やがって!!」
「畜生、チャンスだってのに!」
竜が歯噛みしながら、機動隊とは反対方向へと、人波を掻き分けていく。ケイもそれに続いた。
目当ての大佐の姿は見えない。こちらに向かっている筈だが、どこで指揮をとっているのか。
「政府の手先め、帰れ、帰れ!」
「暴力絶対反対!!」
デモ隊は、プラカードを棍棒代わりに振り回したり、その辺の石を投石したりしながら機動隊へ向かって叫ぶ。
対する機動隊は、前面の物がライオットシールドを構えて進み、後方の物は警杖を掲げる。
どっちもどっちじゃん、とケイは内心嘆息した。
紫色のアーマーを身に付けたアンチスキル達は、介入せず互いに身を寄せ合い、ただ道の端で身構えている。巻き込まれないことを優先しているようだ。
非常線が張られた店舗で起こっている事件を掻き消すかのように、通り一帯が混沌としつつあった。
――― セブンスミスト、店内
「なんで……僕の最大出力だぞ……」
打ちのめされたような声を聞き、上条は目を開いた。
尻餅をついて怯えている介旅の眼前に、島鉄雄が立っていた。両腕を縛っていた拘束テープは千切れ、手から肘にかけて、肌の広範囲が痛々しく赤く焼け爛れていた。
「ちげえな」
鉄雄が無表情で介旅を見下ろし、言った。腕の怪我を、露ほどにも気にしていないようだった。
「お前の様子、どう見たっておかしいじゃねえか、
鉄雄の言葉を聞いて、上条は辺りを見回した。確かに、音が派手に鳴り、衝撃がフロア一帯を揺らした割には、爆発による熱で焦げた跡は、不自然に鉄雄の立つ場所だけに集中していた。
「ねえ」
近くに座り込んでいる美琴が、上条に囁いた。
「アンタが、防いだの?」
「いや、違う」
上条は小さく首を振った。上条は黄泉川の声を聞いてから、咄嗟に身を守るのが精いっぱいで、右手を使って爆発を防いだ訳ではない。
「じゃあ、なんで……」
美琴が疑問の声を向けた先では、鉄雄が膝をついて、介旅の充血した目を覗き込んでいた。
「何があった、どうしてカオリを狙った……」
「ヒッ」
鉄雄の問いに、介旅の呼吸がより素早くなり、ガタガタと震え始めた。鉄雄は僅かに眉を上げた。
「そうか、『キッズ』を……誰だ?やったのは……アイツか」
鉄雄は立ち上がると、口の端に笑みを浮かべた。
「島君」
離れた場所へ伏せていた黄泉川が、ゆっくり立つと、慎重に声をかけた。
「もうよせ。君も手当てしないと……」
鉄雄は黄泉川を見ると、顔を上げて「ハッ」と笑みを深くした。爛れた皮膚が露わになっている両手を上げ、肩を竦めて見せた。見るからに痛々しいのに、腕を自然に動かしたことが、上条にはとても不気味に思えた。
「大した事ねえんだよこの位。それに、勘違いすんじゃねェ。俺は……傷つかないようにしたかっただけだ」
鉄雄が顔を向けた先では、カオリが泣き腫らした表情で座り込んでいた。涙の痕が頬に濡れて光っている。
「鉄雄君……」
立ち上がろうとしたカオリを、涙子が肩を掴んで引き留めた。
その様子を見ていた鉄雄が興味深そうに首を傾げた。
「
鉄雄は介旅に目を落とし、それから窓の外へと視線を移した。
「……落とし前をつけたらな」
鉄雄が眉間の皺を深くした時、ドタドタと大勢の足音が急に近付いてきた。その場の皆が、足音のする階段の方を向く。
茶色の防弾ベストを身に付けた、アーミーの兵士たちが、アンチスキルと同じ鎮圧銃を構えて押し寄せて来た。
「全員、その場で動くな!」
指示役らしき兵士が声を張り上げ、兵隊は散開する。
奥から護衛に囲まれて現れた男が、辺りを見渡して口を開いた。
「反応はこのフロアだ。誰も逃がすな!」
「もう遅いじゃん!」
黄泉川が叫ぶと、アーミーの一団は動きを止めた。
「……なんだと?」
「もう、彼は、行ってしまったよ」
低い声で聞き返す、渦中のアーミーの指揮官、敷島大佐に対し、黄泉川が静かに言った。
黄泉川の言葉に、上条は振り返ったが、そこには息をつきながらうずくまる介旅以外に、誰の姿も無かった。
「先生、彼は一体……」
上条が黄泉川を見て聴いたが、黄泉川は厳しい表情で、黒焦げになった床の辺りを見つめていた。
その顔には影が差し、疲労の色が色濃く現れていた。
「マジなんだろうな!?あの人質にとった女がカオリってのは……」
喧騒から少し離れた裏路地に停められた一台の車に、帝国の隊長が慌てふためいて乗り込んだ。
「ほんとかどうかっていっても、遠くから撮ってたし、すぐアンチスキルに追い出されたから、実際分からないっすけど、もしマジだったら……」
「いや、いくらなんでもそんな偶然あるかよ、てめえの勘違いだろ!?」
「でも、もし本当だったら?まずくね俺たち」
取り巻きたちが口々に喚く。
隊長は、組んだ両手の指を忙しなく動かした。
「……逃げるんだ」
隊長の額に脂汗が浮かんでいる。
「もしもあのシンクロトロンがカオリに危害を加えたってんなら……少しでも遠くへ、早く逃げるんだ!ほら、すぐ出せよ―――」
隊長が、運転席にいる取り巻きの一人に発進するよう促した、その時、突然車体にドカンという衝撃が走り、乗り込んだ者たちは皆、咄嗟に頭を抱えた。
「なんだ!?」
「オイ、天井が……」
内装の天蓋部分が見事にへこんでいるのを見て、一同は不審がった。
「てっ」
取り巻きの一人が、前方を指差して声を漏らした。
「……鉄雄、様……」
隊長もそちらを見て、口をあんぐりと開けた。
島鉄雄が、車のフロントに乗る形でしゃがみこみ、隊長達をじっと見つめていた。
ガラスについた手は、真っ赤に染まっていた。
次の瞬間、フロントガラスが粉々に砕け散り、隊長達は顔を覆う。
「よう、地獄へお出かけかい?クズども」
鉄雄が目に怒りを滾らせ、薄ら笑いを浮かべるのを、隊長は指の隙間から辛うじて見ることができた。