【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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 第七学区――― 病院前交差点付近、雑居ビル

 

「……遅い」

 竜作の呟きは、埃臭く重みをもった部屋の空気に圧し潰されるようだった。

 竜作が狙撃の準備を整えて待機している部屋は人の出入りが少なかったのであろう書庫であり、うず高く積まれた紙の束から漂う黴臭さが、効きの悪い空調と相まって、竜作を圧迫していた。その上、竜作が今手をかけているプロトタイプの狙撃銃はバッテリーからの通電を必要としており、排熱で更に部屋の温度が上がっていた。引っ切り無しに目に染みる汗を、その度に竜作は拭わなければならなかった。いっそ目の前の窓を全て開け放ってしまいたいが、踝程の太さもある狙撃銃が目立たないようにするため、開け幅は最小限に留めるしかなかった。

 

 今、道向かいに見える大病院のロータリーには、黒塗りの高級車が停車している。事前情報で得た特徴通り、その車内には、アーミーの駐屯部隊の指揮官が乗車している筈だった。車が通用口前に横づけされてから、5分は経っている筈だが、一向に人が降りてくる気配が無い。機を逃さないため、屈んだ体制でスコープを覗き続けていた竜作だったが、いい加減に痺れを切らし始めていた。

 

 じわりじわりと肌を阻む暑さの中、病院の前でデモ隊が上げる声が経の様に感じられる。いつもならば竜作の心を昂らせる筈のシュプレヒコールも、この時は集中を乱す喧騒としか感じられなかった。

 

 突然、携帯電話がイヤホン越しに着信を告げる。竜作は横目で画面を見て相手を確認すると、応答した。

 

「……まだだぞ」

『竜。悪い知らせだ―――空振りかもしれねえぞ』

「何だと?」

 通話相手の竜の仲間、島崎が告げる。彼は今、竜作とは別の場所から、万一狙撃が察知された場合に備えて監視している筈だった。

 

「アーミーとアンチスキルの通信を傍受した……ここから西の学生街でテロ騒ぎがあって、その対応にあの大佐が当たるらしい」

「悪いが、お前の言うことはよく分からん」

 苛立ちを滲ませ、スコープを覗き込みながら竜作が答えた。

「なぜわざわざアーミーのボスが陣頭指揮にあたる?ここまで来ておいて」

 

『それがだな、竜。噂の新入りの実験体(ナンバーズ)だ……41号と呼ばれる少年が現れた。そのテロ騒ぎに絡んでいるらしい』

「バイカーズ上がりだっていう奴か―――おっと」

 

 島崎と話している途中、スコープの向こうで、車から降りてくる人影を認め、竜作は一瞬緊張を高めた。しかし、降りて来たのは大柄で短髪が特徴的なあの大佐ではなく、スーツ姿でやせ型の部下らしき男だった。男が降りた途端に車が発進したのを見届けて、竜作はため息をついて身を引いた。車ごと打ち抜くという手も無いわけではないが、それ程、腕に覚えはなかった。

 

「おい、今、車が出てったぞ。どうする?」

 竜作は、傍らに置かれた缶コーヒーを喉に流し込んだ。すっかり温くなっている。

 

『本部は、その新しい実験体とやらの情報も欲しがってたぞ』

 

「そうか、写真でも撮りに行くか?」

 竜は半ば投げ槍に言うと、口を拭った。

 ターゲットが居なくなった以上、この狙撃砲は、今はお役御免だ。

「……めんどくせえな、片付けんの……」

 結局、一発もその力を発揮することのなかった堅牢な得物を見下ろし、竜作は独り言ちた。

 

『なんか言ったか?』

「ちげえよ、こっちの話だ」

 あの店主には期待外れの結果になったな、と竜作は心の中で呟き、それから口を開いた。

 

「ケイに連絡を。そのナンバーズがお出ましやがったって場所はどこだ?」

 

 

 

 同時刻 ―――

 

 耐火、耐爆性能を高めた堅牢な車内でも、駐車場の向こうから発せられる声のうねりは微かに届いた。それらが、自分をはじめとしたアーミーに向けられているものだと分かっていて、敷島大佐は静かに目を閉じていた。「平和の破壊者アーミーは出て行け」とか「銃声はいらない、豊かな暮らしをよこせ」などと聞こえてくる。

「……平和を破壊するもの、か」

 ここ最近の報道攻勢を見れば、あの革新派デモ隊だけでなく、一般人だって遠からず似たような感想を持つのだろうと考え、大佐は自嘲的に呟いた。

 41号出現の報せを受け、急遽部下の一人を木山春生が入院するという病院へと代理で差し向けたあと、車は動き出し始めていた。

 

「41号は学生街西方の服飾店『セブンスミスト』に出現したとの情報。そこでは別事件の容疑者が既に立てこもっていて、アンチスキル達が警戒している中で現れたということ……怪我人等の仔細な状況はまだ分かりません」

 部下が述べる報告を聞き、大佐は閉じていた目を開けた。

「……一帯を封鎖し、民衆を遠ざけろ。付近のエリアに展開している兵力に加え、機動隊に出動を要請する」

「アンチスキルには何と?」

「過激派のテロ予告が入った、とでも流せ」

 

「あの、お言葉ですが、大佐」

 少し間を置いて、部下がゆっくりと言った。

「デモ隊共が殺気立っている中、もし機動隊を展開するとなると、後の状況が……本国政府からの視線も、一段と厳しくなるやも―――」

 

「いいか、誰が真に平和を守るものなのか、それを証明する時だ」

 大佐がきっぱりと言った。

「六学区での、あの惨状を見ただろう。41号が暴れ出してみろ、それこそ、両手では到底数え切れぬ人死にが出てもおかしくはないのだ!それが、若者だろうとあのデモ隊連中であろうと、守るべきことは変わらん。我々は、まずリスクを、より大きなリスクを見極める……私のクビが今や皮一枚で繋がっているのだとしても、できることをするまでだ」

 罵声にも近い声が道沿いから飛び交う中、大佐が乗る車は加速していった。

 

 

 

 ――― アパレルショップ 「セブンスミスト」

 

 くぐもった、途切れ途切れの悲鳴と、泣き腫らしたような荒い息遣いが響いている。それ以外、物音を発する者がいない。

 折られた片手を抱き寄せるように抑え、介旅初矢は膝をついて喘いでいる。その傍の床には、今まで彼が虚空爆破(グラビトン)事件で凶器にしてきたのと同じ類であろう、アルミ製のフォークが落ちていた。

 

 蹲る介旅を除いて、その場の誰もが突如現れた少年に目を釘付けにしていた。少年は、上げていた片手を静かに下ろし、ただ、じっと苦悶の声を上げる介旅を見下ろしていた。その黒い双眸はとても冷たく、傷ついた獲物が息絶えるのを待つのをじっと待っているかのようだった。

 

 

 

「……鉄雄くん!」

 

 黄泉川の思考は、カオリが発した声で再起動した。突然、アンチスキルも行方を追っている重要人物の島鉄雄が出現したことに驚きっ放しだったが、目が覚めたような感覚だった。

 なぜ、ここに島がいる?どうやって来たのだ?白井黒子と似た空間移動(テレポート)にも思えたが、彼は念動力(テレキネシス)系の能力者だと書庫(バンク)のデータにあった。いや、そもそも無能力者(レベル0)判定だった筈だ。

 いや、今はそんな思考に耽っている場合ではない。

 黄泉川は、ピンを引き抜きかけていた発音筒を一旦納めると、いつの間にかカラカラに乾いていた口をこじ開けた。

 

「確保ッッ!!」

 

 言うが早いか、黄泉川は弾かれたように駆け出した。

 

 

 

 何が起こったのかは、佐天涙子には分からない。ただ、突然、冷たい顔をした怖そうな少年が()()()その場に現れ、カオリ先輩を羽交い絞めにしていた学生風の男は苦しみ出して、蹲った。彼の腕から解放されたカオリ先輩は、両手を口で押えて、驚きの表情で現れた少年を見つめている。カオリ先輩を助けようとしたのであろう、白井さんも、御坂さんも、知らない男の人も、アンチスキルの先生達も、動きを止めたままだ。

 

 涙子は、幾筋もの涙の痕を頬に作っていたが、突然の出来事に涙は引っ込んでいた。しゃっくりが出そうになり、ゴクリと唾を飲み込む。

 

 てつおくん。

 カオリが口にした名前に、涙子は聞き覚えがあった。

 

 名前を呼ばれた瞬間、少年の冷たい顔が少し緩み、カオリの方を見た。

 ほっとしたような、安心したような、少し優しげな顔。

 

「……あの人。」

 涙子はその顔にも覚えがあることに気付き、手を握ったままの隣の初春の方を見た。初春も涙子を見返した。

 

 確か、カオリ先輩がバイカーズに襲われた時に―――。

 

 記憶をたどっている途中、「確保!」という声が急に響き、涙子はハッとして顔を上げた。

 

 周辺を取り囲んでいたアンチスキルが一斉に動き出し、まず蹲る介旅を床に押さえつけた。それとほぼ同時に、2人のアンチスキルはカオリの側へ駆け寄り、肩を抱く。髪の長さからして、2人とも女性だろう。

 

「っか、カオリ先輩!」

 涙子は、胸の閊えが急に外れたように声が口をついて出た。アンチスキルの先生が、先輩を保護して、犯人も取り押さえられた。

 もう大丈夫―――。

 

「待てよ」

 

 少し高めの少年の声が、冷や水のように涙子の耳に飛び込んできた。

 

 

 

 犯人が確保され、安堵したのも束の間。

 白井黒子は唇をぎゅっと結び、目の前の光景に、一気に警戒を高めていた。

 

 カオリを保護した2人のアンチスキル、黄泉川と鉄装が、介旅から引き離すべくカオリを支えて歩き出したところ、2人とも急に顔を歪ませて膝をついた。カオリは戸惑ったように2人を見つめている。

 

 島鉄雄。黒子が風紀委員(ジャッジメント)として入手している情報の限りでは、十学区の職業訓練校の1年生であり、15才。なぜ彼の名を知っているのかと言えば、7月のはじめの月曜日、第七学区の外れの倉庫街で、バイカーズ同士の抗争の処理に駆り出された時に遭遇したことがある。確か、あの時は暴力を振るわれ怪我をしていた上、意識も混濁していたように見えた。その後、何故かアーミーの管轄下の病院に搬送されたとも聞いたが、詳細は知らない。

 

 しかし、目の前で、冷たい顔をして、再び手を胸の高さに上げている少年は、その時の気弱そうな人物とはまるで別人だった。冷酷に、相手をいたぶるような表情。

 

 島鉄雄は、念動力を二人のアンチスキルに行使していた。

 

「か、からだが、重い……」

 眼鏡をかけたアンチスキルの一人、鉄装が両手を床について苦悶する。

 その隣で黄泉川は、顔に汗を浮かべて横たわっている。腕を床に這わせてもがいてるが、なかなか思うように身動きがとれないようだった。

 

「待てよ、警備員(アンチスキル)

 鉄雄が、口を開いた。声変わりしきっていないかのような、ハスキーな少年の声だった。

「俺は、その子に会いに来たんだ」

 

「随分な能力(ちから)じゃん、島君。誰にレッスンを受けたのか、興味が湧くね……」

 顔を僅かに上向かせ、横たわった黄泉川が絞り出すように言う。目は、歩み寄って来る鉄雄を睨んでいる。

「この子はね、さっきまで怖い思いをしてたんだ。今、必要なのは、保護し、休ませることじゃん……」

 

「そうかい」

 黄泉川の言葉を適当にあしらい、鉄雄はカオリに歩み寄る。

 

「カオリ……」

 彼女の名を呼ぶとき、鉄雄の表情は急に柔らかいものになる。

「待たせちまったな」

 

 カオリは、蹲るアンチスキルの2人を見て、それから、目の前の鉄雄を見た。

「……ほんとに、鉄雄君?」

 足が僅かに震えている。

 

「え?」

 鉄雄が怪訝そうな表情をしたその時、

 ブツッ、と針を強烈に打つような音が何度か響き渡り、鉄雄が前によろけた。

 介旅を拘束した他のアンチスキルが、鎮圧銃を構えていた。発射したのは恐らく、彼らがよく使うゴム弾だ。

 

「敵対的行為!新たな対象を拘束する!」

 男の声が響き、膝をついた鉄雄に向かって、アンチスキルが突撃する。

 押さえつけるような念動力の束縛から逃れた黄泉川と鉄装は、よろめきながら再びカオリを支えてその場から離れる。

「先輩ッ!」

 涙子と初春が上擦った声を上げて、カオリに駆け寄った。

 

「ッ野郎ォ!」

 鉄雄が顔を怒りに歪ませて、振り返り様に腕を振り抜いた。

 

「効いてない!?」

 黒子が思わず声を漏らしたその時、鉄雄を拘束しようと向かっていたアンチスキル達は、突風が吹いたかのように後ろへなぎ倒され、数m弾き飛ばされた。展示されていた商品の列へ突っ込む者、棚ごと倒れ込む者もいる。

 ハラハラと、色とりどりの衣服が舞っている。その鮮やかさとは反対に、一帯は再び緊迫した雰囲気に包まれていた。

 

「止めなさい!!」

 美琴が電撃を放ち、青白い閃光が一気に鉄雄へ向かう。

 鉄雄は片手を美琴の方へ向けた。常人であれば、電撃を予見することなど不可能である筈だが、とにかく鉄雄が翳した掌に閃光が奔り、バチイッという強烈に鞭打つような音が木霊した。

 

「嘘ッ!?」

 必殺技の超電磁砲(レールガン)には遠く及ばないにしろ、美琴の電撃は、人間一人を昏倒させるには容易い威力だった筈だ。美琴が目を見開いた。

 対する鉄雄も、全くダメージが無いという訳ではないらしい。尻餅を一度ついていた鉄雄はよろよろと立ち上がり、こめかみを押さえている。鉄雄が鋭い目で美琴を睨んだ。

「今のは効いたぜェ!頭痛ェのになァ、このガキ!」

 

「やめろ!」

「させませんわ!」

 

 美琴に向かって、フロアの床にヒビが地割れのように奔って行く。上条が美琴を咄嗟に押し倒すのと、黒子が鉄雄の頭上に空間移動し、首筋を回し蹴るのと、ほぼ同時だった。

 

「お姉様によくも!」

 言いながら、黒子は金属ピンで鉄雄のズボンとシャツを床に縫い付けた。鉄雄は何が起こったのか理解し切れない様子で、身動きが取れなくなった自分の体を見る。

「観念なさい!でなければ、次は()()が、あなたの肉を抉りますわよ?」

 鉄雄が見上げた先に、黒子は残りのピンを掲げた。照明をギラリと反射している。

 しかし、黒子の予想に反して、鉄雄はニイっと笑みを浮かべた。

「そいつはどォかなァ?」

 黒子の細い踝を、拘束した筈の鉄雄の手が力強く掴んだ。

 

 硬い床に打ち付けた筈のピンが、全て抜け、黒子の周りを漂っている。

 この多対一の状況で、ここまで正確な操作ができるのか。黒子は自分の考えの甘さを悔やみ、その場から転移して逃げようとしたが、起き上がった鉄雄に足を掬われた。

 今度は黒子が床に伏せる番だった。

 集中が乱される。焦る黒子の目に、自分が先ほどまで得物にしていた、いくつもの金属ピンが映る。真っ直ぐに、切っ先をこちらに向けている。

 

「磔に―――」

 鉄雄が勝ち誇って言いかけたその時。

 

「うおおおッ!」

 鬨の声を上げて、上条が突っ込んできた。

 上条の右手が振り抜かれ、確かに鉄雄の顔面を捉えた。

 


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