―――アーミー本部、ラボ
「それは……私に、大佐を裏切れということかね」
大西はおどおどと視線を動かしながら、声を潜めて言った。
特務警察の門脇に呼び出され、2人は研究所の一画にある給湯室で話し込んでいた。
「大西博士。あなたはベビールームの3人のナンバーズのみならず、『アキラ』の科学的価値を常に高く評価されてきた」
サングラスをかけた門脇が語る。
「今、統括理事会では、あなたの研究へこれまでになく熱視線が注がれているのです。これは、あなた自身のキャリアの大いなる転換点となる、またとないチャンスです」
「それは……」
「対して、防衛省や財務省の能無し共はどうです?あなたを厄介扱いし、こんな古びた研究所に押し込め、予算は氷柱から滴る水だ。東京の最高幹部会の奴らが、円卓を囲んで何と言っていると思います?アキラは『氷漬けのミイラ』、ベビールームのナンバーズに至っては、『薄気味悪い保育園児』だと。博士!このままここで燻ぶっているおつもりですか?」
「確かに、私は……いや、しかしだな」
大西は、門脇の言葉に思う所があったらしく、骨ばった顎に手を添えて考え込む。
「役人達に言いたいことは山ほどあるさ、そりゃあ。だがね、大佐は私の研究に理解を―――」
「41号の研究についても、そうお思いですか?」
門脇の一言に、大西の視線の動きがぴたりと止まった。
「あの、外部からやって来た木山という女……彼女の意見ばかりを大佐は重用するようになり、あなたは軽んじられていた。違いますか?」
「……」
「
「……そう、そうだ」
大西は静かに門脇の言葉に同意する。
「大西博士。あなたは、アキラをあのまま封印することには、本当は反対なのではありませんか?」
「それは……」
門脇がサングラス越しに、大西の顔をじっと見る。大西は俯いている。
「このラボのナンバーズは、互いに能力を共鳴させることによって、力を高め、発揮することができる。もしも、41号が、ベビールームの者を遥かに超える力を持てば?そうすれば、きっとアキラを―――」
「待て、言うな!」
大西は門脇へとはっと目を見開き、恐怖に駆られたように声を上擦らせた。
「私は―――わたしは、そこまでのことは。いや、違う、……君は、ただの特務警察だろう?なぜそれほどのことを言える?」
「博士。あなたは、研究者としての原点に、好奇心という原動力に、もう一度立ち返るべきです」
門脇は大西の問いに答えなかったが、発した言葉は淀みなかった。
「私も、あの『災厄』については知らない世代です。しかし、ここは学園都市です。
大西は、自分より背の高い門脇の姿を見上げ、ゴクリと唾を呑んだ。
門脇は、静かに語る。
「木山博士の居所ですが、実は既に割れています。彼女が奪った41号の研究成果は、じき、あなたの手に戻るでしょう。そして近々、ここ学園都市におけるアーミーという組織も、解体される。大佐の政治生命もまた然りです」
「何だと。それは、どういう―――」
「博士。我々に力を貸していただきたい」
門脇は、口を半開きにしている大西へと片手を差し出した。
「アキラの研究に身を捧げた、あなたのお父上の遺志を継ぐためにも」
大西は、差し出された門脇の手を見つめ、何度も瞬きした。
―――第一二学区、ミヤコ教団本部 拝殿
「わしも含め、防衛省のラボで研究された実験体……その中でも、能力があると認められた者には、番号が振られた。今のお前達が使う言葉で言い換えるなら……」
「
ミヤコが手繰り寄せようとしていた言葉を、上条が引き取ると、ミヤコはゆっくりと頷いた。
「そう。その、お主達の基準とは違って、番号そのものに力の優劣は無いがな。そして、お主達よりもずっと前からプロジェクトはあったにも関わらず、ごく少数の者にしか付けられていない」
「もしかして、41号ってあの少年が最新?なら……」
上条は訝し気に言った。
「……たった40人少し?」
「いかにも」
ミヤコは自嘲的に笑った。
「
今のところはな、とミヤコは小さく付け加えた。
「あなたの掌に、刻印が見えた」
上条が言った。
「あなたは、19番目という訳か」
「誇れる勲章ではないがな」
ミヤコは、数珠を鳴らして自らの右の掌を、上条に開いて見せた。紫色の刻印が、今度ははっきりと、上条の目に入った。
「……思い出したんです。俺は、今月のはじめ、第七学区の街中で、妙な男の子と出会った。その子は、あなたと同じような印を掌に付けていた。番号は、確か……」
26。老人のような顔をしながら、子どもらしく振舞い、アーミーから逃げようとしていた少年の姿を、上条は思い出した。
「わしの後、20番台以降の子どもたちはな、変異した因子を組み込まれた遺伝子……それらを持って造られた子たちなのだ。彼らは、能力の先天的な獲得と引き換えに、身体・精神の成長に異常をきたしていると聞いておる。お主が遭遇した者も含めてそうであろう」
「それ……もしかして、デザイナーベビーってやつか」
上条は僅かに息を呑んだ。幾ら科学の探求が倫理の壁を押し上げている学園都市であっても、遺伝子操作による人間の生成は国際基準に沿って禁止されていると聞いていた。
驚く上条の様子を見て、ミヤコは首を傾げた。
「……お主はそうか、知らんのか」
えっ何を?と上条は聞き返したが、ミヤコはすぐに姿勢を元に戻した。
「だがの、28番目の子ども。
「アキラってやつ?」
上条は、再びその名を口に出したが、疑問に思うところがあった。
「けれど、あなたの言う、そのアキラってのが、……
つい先刻まで、自分に難癖をつけていた電撃を纏う女子中学生の顔を、上条は苦々しく思い出した。
「そんな奴を、今でもアーミーが管理下に置いているっていうのか?俺が出会った、26番目の子どもみたいに?」
「……28号が、今どこにいるのか、どのような状態にあるのか、わしも知らなんだ」
ミヤコの回答に、上条は拍子抜けした。
「えっ!そんなどこにいて何をしてるかも分からないような奴に、俺が立ち向かえって?何ですかそれ」
「そう憤慨するな。奴は他のナンバーズとも、お前達の頂点に立つ
のう上条当麻よ。森の中に居る人間は、どんなに目を凝らしても、所詮木の一本一本を見定めることしかできん。だがの、一方で、人は大きな網を持って、古来、水を泳ぐ魚を掬ってきたであろう?魚にしてみれば、流れの中を泳いでいた所へ、突如理解し得ぬ力による干渉を受けるのだ。すると……我ら人とて同じこと。もう一つ上段へ掬い上げられる日が来ないと、誰が言えるのだ?お主たちこそ、超能力のその先を目指しているのであろう?なれば、同じことよ。アキラは、流れの中にはおらんのだ」
上条は困ったように、斜め後ろに控えるサカキ達を見たが、3人とも黙って目を伏せたままだった。彼女たちは、信者としての正しい姿なのかもしれないが、上条にとっては訳の分からないことが増える一方だった。
仕方なく、上条はこれ以上話しても埒が明かないと考え、口を開いた。
「あー、で……そろそろご高説は終いでしょうか?」
「おお。もう夕餉の時間かえ?」
揶揄うようにミヤコが笑い、上条は眉間に皺を寄せた。
「いや、もう率直に申し上げますけどね。結局、急に連れ去られてきた割には、よく分かんない話だったし。これ以上俺をここに留め置こうとするなら、本気でアンチスキルに通報しますよ!ほんものの!」
「お前!」
怒って立ち上がろうとしたサカキを、ミヤコが手を挙げて制した。
「若い者は血気が逸るの。まあ帰りたいと申すなら、引き留めんし、確かに連れて来たのはこちらの責だ。七学区への送りの車も出そう。ところで……お主、そもそも何か
あ、と上条は思わず声を漏らした。
コンビニでの、ATMの故障騒ぎをすっかり忘れていた。
いつの間にか、上条はサカキ、モズ、ミキの3人に、周りを取り囲まれていた。
3人とも、蔑むような視線を上条に集中させる。
「いや、あれは、悪いのはビリビリ……」
「上条当麻。もちろん、こちらもタダでお主の力を借りようという訳ではないのだ。わしはミヤコ教の祖たる者として、力を借りる者に正当な対価を与えるのは、当然のことと弁えておるよ」
「た、対価って……入信とからなら、全くお断り……」
「それは無念じゃな。はて、サカキ」
はっ、とサカキが短く返事をすると、ミヤコは惚けたように首を傾げてみせた。
「その破壊された機械とやらは……幾らぐらいで直せるものよのう?このチンケな学生風情に払える額かのう?」
上条は、ぎりぎりと歯ぎしりをした。ミヤコは、微かに口の端に笑みを浮かべているように見えた。
「良かったのですか?」
上条が、神官達に連れられてその場から居なくなった後、杖を片手に広間を去ろうとするミヤコに付き添いながら、サカキが言った。
「うん?」
「上条当麻……幻想殺しを持つ者とは思えぬ、小物でした。あのようにこちらから施しを与える必要はあったのでしょうか」
「俗物だね」
ミキが短く言う。
「顔はあたい、好みだけどなあ。そもそもあれ壊したの、
どこかあっけらかんとした調子で、モズが言った。
ミヤコは、3人の少女が口々に言うのを、面白がるように笑って聞いていた。
「お前達が言うことは最もよの。案ずることはない。
サカキ。その店の主に、話は通してあるか?」
「はい、滞りなく。信徒として、協力を惜しまぬと」
「うむ」
ミヤコは立ち止まり、振り返って、広間背面の巨大な
(……アキラが再び目覚める日は近い)
(((はい)))
3人の少女が、ミヤコの言葉に揃って返事をする。
「41号、幻想殺し、超電磁砲、バイク乗りの少年達……どれも欠けてはならぬ。流れが曲折するか、はたまた本の流れへと引き戻されるか……いずれにせよ、時は近いのだ」
深夜 ―――第七学区、とあるレンタルオフィス
迷彩色の防弾スーツを着込んだ男たちが、物々しく狭い階段を駆け上がっていく。
「4F-6……ここだ」
一つの扉の前で、リーダーが他の隊員に目配せをした。
「油断するな。相手はただの一研究員だろうが、実験体41号と繋がっている可能性がある」
一同が頷くと、リーダーはビルのオーナーから取り上げたマスターカードキーを通す。
扉を開けると、中はビジネスホテルの一室を思わせる、質素な空間だった。照明は点いておらず、代わりに奥の部屋で、ベッド横のテーブルに置かれたコンピューターの画面の光だけが目立っていた。
その画面の光に、下半身だけ照らされて立っている人物が居た。人影を目視した男たちは、銃を向けた。
「木山春生!両手を頭の上にし、壁につけ、背中を向けろ!」
名を呼ばれた木山春生は、一歩進み出た。ディスプレイの無機質な光が、端正な顔を白く照らし出した。木山は、うっすらと笑みを浮かべた。
モズの一人称「あたい」は公式です。