「なあ、俺をどこへ連れてこうってんだ?アンチスキルのとこへ連れてくんじゃないなら、何が目的なんだ?」
発進してしばらくたった車内で、上条が訝しんで聞く。
「……やっぱ無視ですか」
車が動き出してからずっとこの調子だ。同じ質問を既に何度かしている。上条ははじめ、コンビニのATMが壊れた件について事情聴取のために連行されるものだと思い込んでいたが、すぐに様子がおかしいということに気付いた。車はとっくに学生街から遠ざかり、バイパスを走り、学園都市の東部郊外へと差し掛かっていた。土地の広さを利用した、ショッピングモールやアミューズメント施設、工場団地が多い第六学区だ。空はすっかり暗くなり、建物や街灯が放つ夜光によって雲が仄かに照らされている。
同じ車内にいる3人の少女は、ほとんど喋らない。音楽もラジオも何もかかっていない車内では、すれ違う車のエンジン音が時折響くだけだ。3人が上条に対して反応しないだけではなく、3人の間でも会話が生まれない、というのが不気味であり、白装束という外見も相まって、上条はどうしようもない居心地の悪さを感じていた。
居た堪れなくなり、上条は咳払いして、口を再び開く。
「もしかして、誘拐ですか?けどよ、俺は何の変哲もない貧乏学生でしてね。揺すったって、割引の総菜買うだけの金だって怪しいもんでしてね―――」
「あのATMは」
助手席に座るサカキが突然答えたので、思わず上条は肩を震わせた。
「学園都市に普及しているモデルの中でも旧世代型だ。しかし、平均的価格はおよそ300万円。器物損壊は親告罪であるから、店舗側との示談交渉の如何によっては―――」
「待て待て!待ってください!突然喋り出したと思ったら、何ですか!」
上条は、機械が再起動したように喋り続けるサカキを慌てて遮った。隣に座るミキがじろりと上条を見やった。上条は憤慨して反論する。
「言ったろ!あれは、ビリビリ中学生がやったことで、俺はただ巻き込まれただけ……」
「機械の前で相手とトラブルを起こしていただろう」
顔を少しも向けずに、サカキが冷たく言う。
「であれば、お前も無関係ではない。御坂美琴の責任の方が大きいだろうが」
「……あのビリビリのこと、知ってるんだ?」
「名の知れた
なら、なぜ自分の名を知っているのか、と上条は聞こうとしたが、それについては先程から何度もまともに答えてもらっていないので、出かかった言葉を飲み込んだ。
「なんだよぉ……せっかくカードが戻って来たっていうのに、弁償しなきゃだなんて……」
「そのカードに期待しない方がいい」
「へ?なんで?」
サカキの言葉に、頭を抱えていた上条は顔を上げた。
「御坂美琴の電撃は強力だ。旧モデルとはいえ、学園都市製のATMにエラーを起こさせる程に」
「だから何だよ?現にこうして手元にカードが―――」
「その電撃を受けた機械の中にあったカードが、まともに使えると思うか?」
「……マジか」
上条はいよいよお手上げだった。確かに、機械から吐き出されたカードは、磁気情報やら何やらが色々と狂ってしまっているだろう。いよいよ砂を噛む生活を覚悟しなければいけないようだ。
「……で、喋ってくれたから、もっかい聞くけど」
上条は、金銭のことを頭から振り払うために、せめて話題を変えようとした。
「アンチスキルに引き渡すのに、こんな長い時間車を走らせる必要はないって、俺にだって分かる。一体どこへ連れてく気なんだ?」
また、サカキも他の2人も黙っている。上条は、車に乗り込んだ当初に、サカキが言った言葉を思い出した。
「み、ミヤコ様って言ってたよな?」
「「「ミヤコ様は」」」
3人が急に同時に喋り出し、上条はぎょっとした。
「「「我らを導く。流れを見定める。我らは流れの中にあり、力は流れを押し留める」」」
「……え、どういう……」
上条は、唐突に唱和した3人の言葉に戸惑った。
その時、車が信号徐々に減速し始めた。上条は、フロントガラスの向こうへと目を凝らした。赤色灯がいくつか見える。
「……検問?アンチスキルか?」
「違う」
答えたのは、車を運転するモズだった。
「アーミー」
その声には、明らかに警戒感が滲んでいた。
「ご協力感謝します!」
きびきびとした口調でアーミーの一兵士が言う。開けられたパワーウインドウから覗かせた顔には、四角い縁の眼鏡をかけていた。
「現在、暴走族及びテロへの対策として、特別警戒中です。免許証の提示を」
運転席に座るモズは、黙って求められた物を提示する。
上条が乗せられた車が停まったのは、工業団地真っ只中の、大型車両が多く利用するであろう、大きな交差点だった。上条達から見て右左折はできないようで、直進のみ、一台ずつ通しているようだ。信号は停められており、代わりに電光板を点けたトラックと誘導灯を手にした兵士たちによって交通整理されている。運転席のモズを始め、3人の白装束の少女は一様に緊張しているように見える。上条は、自身を不当に拘束しているという負い目があるからなのかと疑った。となると、この3人はやはりジャッジメントではないのか。上条がそわそわしていると、隣から脇腹の辺りを小突かれた。
「妙なことをするな」
上条の隣に座る、険しい顔つきをしたミキが囁いた。彼女が単独で喋ったのを聞いたのはこれが初めてだ。上条は唾を飲み込んだ。
「……随分お若いのですね。こんな夜にどちらへ?」
「それを聞くのは野暮ってもんじゃん?兵隊さん!」
突如、今までの雰囲気にそぐわぬ快活な声を運転席のモズが上げたので、上条は驚いた。
「この、後ろの彼!イケメンでしょ?あたいたち、これから4人で楽しもうって訳!」
「あ、ああ、そう……」
アーミーの兵士は面食らったように言葉を詰まらせた。彼がちらりと視線を向けた先には、鮮やかな色彩に雲を染め上げる一画がある。確か、あちらには歓楽街があった筈だ。
隣のミキが、仁王のように眉間に皺を寄せていなければ、上条の気分は揺れたかもしれない。顔は窺えないが、助手席のサカキもきっと同じような表情をしていることだろう。モズの言葉は明らかに偽りで、上条は少しも気が休まらなかった。
「……ほどほどにね、嬢ちゃんたち」
「そっちこそ、ご苦労ォサマ!」
モズが金髪を揺らして努めて明るく答えた。アーミーの兵士は、想像していたよりも柔らかい物腰で、免許証をモズに返した。
「一台ずつ通してます、合図があったら、徐行してお通りください」
「あっ、あの!」
上条は我慢しきれなくなって、口を開いた。サカキとミキが鋭い視線を上条に向けた。
「お、俺、よく分かんないけど、この子たちに連れ去られて」
「えっ?」
閉じかけていた窓の向こうで、兵士が目を丸くして振り返るのが見えた。
「オイ、お前!」
隣のミキが唸るように言った時、突如、辺りに唸りを上げて排気音が響き始めた。
兵士たちが俄かにざわついた時、ボンという重苦しい破裂音と共に、突如前方で火の手が上がった。
上条も、サカキもモズもミキも、黒煙と炎が上がる方を見た。燃えているのは大型の輸送トラックらしいことが、火が描く輪郭から見て分かった。アーミーの兵士達が素早く展開する最中、迫る排気音と共に、怒号のような、やたら甲高い叫び声が混じって聞こえる。
「テロ?もしかして、ゲリラ?」
「違う、あれは……“帝国”!」
上条が戸惑って漏らした声に、サカキが切羽詰まった声で答えた。
目の前で突然、交差点の横方向から
「交戦事態が発生しています!市民のみなさんは、直ちに車を降り、避難してください!」
アーミーからの呼びかけが拡声されて響き渡る。それが聞こえるかどうかのタイミングで、上条たちの乗る車が突然衝撃を受けて揺らされ、今度は車内にけたたましく囀りのような警報音が鳴り響いた。後方から追突されたらしい。
「どうする!サカキ!」
「モズ!私が道を空ける!突破できる?」
「や……やってみる!」
3人の白装束の少女たちは、早口に言い合う。運転席のモズが素早くボタンをいくつか操作すると、まず警報音が止まった。
「え、やってみるって……?」
上条の呟きをよそに、モズはアクセルを踏み込んだ。車がカラーコーンを蹴散らして急発進する。目の前では、炎を背にアーミーとバイカーズが入り乱れている。
まさか、撥ねていく気か。上条は背筋が寒くなるのを感じた。
助手席のサカキが前方に向かって片手を突き出すと、車の進行方向に突風が吹き荒れた。バイカーズのバイクやら、格闘する人影やらが、一緒くたになって吹き飛ばされていく。それによって現れた間隙を、モズの運転する車が通り抜けていく。
「いいぞ、このまま―――」
モズが声を弾ませた時、不意に上条を含め、皆バランスを崩した。どう言う訳か、車が前方へ傾いている。そんな、ここは平坦な道の筈―――上条は顔を窓の外へ向けると、そこには驚愕に目を見開いたアーミーの一兵士の顔があった。
様々な物が宙に浮いていた。アーミーの車両、ひしゃげたバイカーズのバイク、破壊されたバリケード、そして人。兵士も、襲撃犯らしき身なりの若者もいた。そして、上条達が乗る車も、先ほどまでの推進力を奪われ、地面から浮上していた。
上条は、窓外のいくつもの物影の向こうに、一人の男を見た。
その男は、上条と同じ位の少年に見えた。巨大なバイクに跨り、足で地面を支えてもいないのに静止していた。腕組みをし、こちらをまっすぐに見据えている。夜風が炎を揺らめかせ、その顔が照らされる。黒髪を後方になびかせ、広い額が露わになる。上条は、鋭く眼光を放つ目を見た。その目は、自分に向けられているような気がした。
「アイツ
サカキが、震えた声で呟くのが聞こえ、上条は我に返った。不安定な車体の中、バランスを崩した拍子に、上条は右手でアシストグリップを掴んだ。すると、今度は急に上条達の乗る車だけが重力に従って落下し、叩きつけるような衝撃が襲ってきた。
「今だ!!」
モズが叫ぶと同時に、車は力を取り戻し、一目散に炎から逃げ、闘争の現場から走り去る。
何だったんだ、アイツ。
上条の脳裏には、獲物を射貫くような少年の目がやけにこびりついていた。車が落下した時に噛んだのだろうか、口内で血の味が滲んだ。
一台の車が逃げていった。自分の力を、あっという間に縄抜けするように逃れていったのを、島鉄雄は感じていた。
舌打ちをして、鉄雄は前方へ向けていた力を緩めた。浮遊していたヒトもモノも、雪崩を打つようにしてアスファルトに落下する。その中には、鉄雄が率いる帝国の連中も幾人か含まれているが、気に留めなかった。
「気に入らねェな」
鉄雄は、代わりに一人の人間を、念動力で自身の元へ引き寄せた。自分の近くで倒れていた、アーミーの兵士だ。四角い縁の眼鏡が割れ、顔面は血で染まっている。
「待っ、待ってくれえ!」
爪先が地面につくかつかないかの状態で、その兵士は鉄雄の力によって徐々に首を締め上げられている。兵士は苦悶の声を漏らした。
このまま、窒息させるか、首をへし折るか。そうすれば、アーミー共にも、
(できるだけ、人を傷つけないでくれ)
「……先生。アンタの言葉がなんでだか、離れねえんだよなァ」
鉄雄は、兵士を掴み上げていた力を抜いた。兵士は鉄雄の目前に、膝から崩れ落ちる。
「全員、動くな!」
スピーカー越しの怒声が響き渡り、投光器からの眩しい光が自身を照らした。
「武器を捨てて、腹這いになれ!警告に従わなければ、発砲する!」
増援だ、どうします!?と、仲間の誰かが喚いた。
鉄雄はつまらなそうにため息を一つつくと、手を挙げた。
すると、周辺のアスファルトが、ザラメの様に砕け散り、地面が隆起する。投光器が傾き、バリバリと音を立てて光を失った。
「……もういい、引き揚げだ」
周りのメンバーが何事か言う前に、鉄雄は自身が跨るバイクを力で操り、Uターンして走り始めた。
炎は未だ燃え続け、夜空に火の粉を散らしていた。
鉄雄のデコは、広い。
上条さんが乗っている時点で車は念動力で浮かないのではないかとも思いましたが、右手が触れていることを幻想殺しのトリガーと捉えてこのように書きました。