7月16日、午後―――第七学区 南の外れの学生寮
「……でさ、“一日十分、聴くだけで演算能力が向上する!!音のシャワー!!って謳い文句でね、ネットのフリマアプリで売買されてるらしくってさー、どーしよ!もしもソレ聞いたら、アタシもいよいよ
「そんな、胡散臭い英語教材じゃないですか、詐欺に決まってますよ佐天さん……」
「またまた信用してないって顔だなー初春!でもさ、実のところ、初春だって、興味あんじゃないの?」
「そりゃあ……もしも、私のレベルが上がったら……そうですね、それこそ、佐天さんや白井さんに今まで受けた仕打ち、2倍返し、いや、2乗して4倍返しに……!」
「どんな仕打ち受けて来たの、初春ちゃん……」
「初春ゥ?アタシがあんたに仕返しされる覚えなんてこれっぽっちもないけどなー?親友じゃあないかあ、我々は!」
「カオリ先輩!騙されちゃダメですよ!この佐天さんは、公衆の面前で、私に対して、数々のハレンチな行為を!」
学生寮が立ち並ぶ路地を、3人の声が歩いていく。快活さに溢れた明るい声、飴玉を転がすような声、そして、小さく、控えめで、しかしどこか楽しそうな声だ。
「てゆーか、白井さんも来ればよかったのになー!あの限定のパフェ、ぜーったい、白井さんも好きだろうに!」
「どうですかね?白井さん、ダイエット中だって、最近言ってたような……」
「白井さんて、あの、
横を歩く佐天涙子と初春飾利に、カオリが聞いた。
「そうそう!あたしたちと同学年なんですよ!常盤台の!」
「常盤台……お嬢様学校だね」
答えてくれた涙子に対し、カオリが小さく笑いながら言った。
「わたしなんかには、想像もつかないや。やっぱり、令嬢って感じなのかな」
「そりゃあ、もちろんそうでしょう!」
涙子は頬に指を当てた。
「そこは、同じ
「お嬢様……」
初春は、腕組みをして難しい顔をする。カオリは興味ありげに初春を見た。
「確かに、白井さんは見た目とってもかわいいですし」
「うん」
「けど、露出趣味があって」
「……うん?」
「口調がお嬢様だし、実家はおっきな会社経営してるらしくって」
「うんうん」
「それでいて、ルームメイトの御坂さんにゾッコンで。多分本気で」
「うーん」
「下着はものすごいきわどくって」
「……見たことあるの?」
「へ?……と、とにかくですね!!」
怪訝そうな顔をするカオリに対して、顔を赤くした初春がぶんぶんと首を振った。
「とっても強くて、頼りになるんです!今日も、銀行強盗を捕まえちゃいましたからね!」
「へえ、すごい……」
カオリは素直に感心した。
「じゃあ、そんな人と一緒にお仕事している初春ちゃんも、きっとすごい人なんだね」
「へ?わたし?」
思いがけず褒められたことで、初春は面食らって立ち止まった。
「ど、どうなんですかね……私なんて、前線にはとても立てないですから、裏方ですけど……」
「何をおっしゃる、初春さん!!」
涙子が、初春の肩をばんばんと強く叩いた。
「カオリ先輩、知ってます?こう見えて初春はすごいんですよ!なんてったって、ジャッジメントになるってのは、ながーい研修を受けて、それから更に!……11こ?12こだっけ?試験を合格しなきゃいけないんですから!」
「13ですよ、佐天さん」
佐天の曖昧な言葉を、初春が静かに訂正した。
「そ、そんなに……」
カオリは口に手を当てて驚いた。照れ臭くて俯く初春の横で、涙子は自分のことのように誇らしげだ。
「じゃあ、それだけの思いがあったってことだよね」
「思い?」
カオリが言った言葉に、涙子と初春は首を傾げる。
「だって、どんなレベルだろうが、ジャッジメントとしてがんばってるんだもの。誰かを守りたいって思いを強くもってるんだよね?それってすごいと思うよ。ほら、私って、こんな気弱な人間だから……守られるばっかじゃなくて、人を守れるようになったらいいなあって。初春ちゃん見てたら、そう思ったよ」
「カオリさん……」
カオリは優しい声色で語り、初春ははにかんだ。
「誰かを守りたい、かあ……」
涙子は、カオリの言った言葉を繰り返し、そっと呟いた。
(レベル0でも、できるんかな?)
3人の頭上を、涼しい風が一陣通り過ぎていく。午後の太陽が、雲に隠れて、辺りが暗くなった。
3人は、第七学区の南の外れにある、カオリの学生寮の前に着いていた。涙子や初春の寮とは別の、古びた建物だ。
「ここまで送ってくれて、ごめんね。2人とも、今日はどうも―――本当にありがとう。楽しかったよ。」
カオリが小首を傾げて笑いかけたことで、涙子は目を丸くした。
「いやあ、やっぱり、……」
「え?」
「カオリ先輩、かわいいですよ!ねえ、初春!」
カオリの顔をピシッと指差して、涙子は初春を見た。
「火曜日、成績会議日で、午後休みじゃん?今度、セブンスミスト行こうよ!カオリさんに、服買お!服!」
「いいですね、佐天さん!」
「ふく……?」
カオリは不安気な顔を見せた。
「私、おしゃれなんて、気を使ったこと今までなくって……」
「だからこそですよ!」
佐天が顔を輝かせる。
「素材がいいんですから!いろいろ試してみましょう!」
「いいの?ほんとに?」
「遠慮することないですって!」
初春も笑って言った。
「私達、友達なんですから!」
「ともだち……」
カオリは、その言葉を噛み締めるように呟いて、再び笑顔を見せた。
「うん、友達、だね。嬉しい、ありがとう」
「そうと決まればァ!そーだなァ、カオリ先輩、ズボンが多いみたいだから、スカート履いてみません?」
「えっ、スカートなんて、制服以外じゃ、持ってないよ」
「へへへっ、それでは……先輩のスカートヴァージンは、この佐天涙子が頂きますね!」
「佐天さん、良からぬことを考えてません!?」
「まさかァ!目の保養にするだけですってば!」
「ほんとですかぁ……まあ、今度は白井さんも来れるといいですね!もっかい誘いますよ!」
「ジャッジメントのお仕事、忙しくないといいね……」
3人の楽し気な声がこだまする路地。
そこから少し離れた物陰で、様子をじっと伺う人影があった。
「……カオリ……」
1人が別れを告げて建物の中に入り、2人がお喋りしながら帰る時も、鉄雄はその場から動かず、何もできなかった。
―――第一九学区、旧市街
十中八九、罠だろう。「取り壊し予定 立ち入り禁止」と張り紙されたガラスに映った自分自身の姿に、白井黒子は心の中で語り掛けた。付近の支柱が折れて倒れかかった防音壁にはより大きいサイズの掲示があり、それによると、この廃ビルは数か月かけて解体工事を行われる予定らしかったが、日付は既に1年程前のものだった。黒子の立つ辺りには、同様に放棄された建物が、そこかしこに所在なさげに佇んでいた。
昼前、連続発火強盗の犯人たちを捕まえた後、美琴と話している最中に聞こえた「声」を、黒子は思い出した。
((そいつの仲間の居場所を教えてやる。一人で来い、小さき
あの時、黒子は周囲をすぐに確認したが、
黒子は、念話が非常に繊細な能力だと聞いたことがあった。不特定多数が往来する中で、恐らくあの時声を聞いたのは自分だけ。すぐ隣にいた美琴は、電磁バリアを張っているためにそもそも念話の干渉を受けないとしても、周りにいた学生たちも、「頭の中に聞こえる声」に気付いた様子は無かった。もしも自分だけに的を絞って話しかけてきたのだとしたら、空気振動だか低周波だか、原理は分からないが、ある程度の練度を備えた能力者だ。
「だからと言って、なんで馬鹿正直に、ほんとに一人で来てしまったのかしらね、私は」
黒子は窓ガラスに映る自分自身に、自嘲的に独り言ちた。付着した埃が、ちょうど顔の辺りを隠している。
話しかけて来た相手は、「一人で来なければ、すぐに人質を殺す」と言っていた。それが脅しでないとしても、所詮相手はどこの者とも知れないスキルアウトだ。相手に誘われている以上、ジャッジメントの仲間やアンチスキル、そして心から信頼を寄せる美琴にすぐ知らせるのが筋だろう。
しかし、黒子はそうしなかった。心のどこかで、「ほんとうに殺されてしまったら?」という恐れがなかった訳ではない。知り合いでも何でもない人物とは言え、自分の行動が基で人の命を奪われるのは居心地が悪い。
そして、銀行強盗を2人捕縛した後で、気が昂ってもいた。ジャッジメントの仲間を狙い傷つけている、帝国の懐に入り込める。自分がケリをつけてやりたい。そうした気負いもあるのを、黒子は自覚していた。きっと、美琴や上司の固法に、また一人で先走ったと、後で叱られるだろう。しかし、大切なジャッジメントの仲間に危険が及んでいることに加え、アンチスキルやアーミーの兵士が何人も傷ついているのを目の当たりにした今、黒子は行動せずにはいられなかった。
もしも、万が一の事があれば―――黒子は、自らの髪をまとめている、右のリボンに触れて考えた。備えはしてあるが、自ら敵陣に入り込んでおきながら、助けを呼ぶような格好のつかない事態にはなりたくなかった。唾をひとつ呑み込んで、黒子は建物の中へと入った。
タンと、ローファーが床を鳴らし、音ががらんどうのエントランスに響く。外から差し込む日光と埃とが合わさって、どこか重みと乾きを持った匂いが鼻を衝く。黒子が足を踏み入れた場所は、過去にオフィスビルの玄関口として多くの人が行き交ったのだろうが、今は什器のほとんどが取り払われており、奥に床と一体になったカウンターだけが残されている。黒子は何歩か駆けて壁を背にし、辺りを警戒した。
床のタイルはところどころひび割れており、天井から落下してきたのだろう、板切れが散らばっていた。隅の方は砂ぼこりがカーペットのように広がっていたが、至る所に足跡がくっきり残っているのを、黒子は確かめた。
誰かがここに立ち入っている。それも、最近。スカートの上から、金属矢を軽く触って確かめながら、確信を強めた時、微かに呻き声が聞こえた。
足跡が何人か分続く先を、黒子は睨み、壁に沿うようにして早歩きで進んだ。念のため、片手に数本金属矢を隠し持った。
動くことのないエレベーターホールの先に、ビルの反対側の窓が見える。そこから右手に曲がる角へと、足跡が続いている。
「だ……だれかいるのか……こっちだ、助けて……」
男の声だ。黒子は周囲を警戒しながら、曲がり角の袂まで忍び足で行き、学生鞄から手鏡を取り出して奥を確認する。曲がり角の先は、ドアのない部屋があるようだ。黒子は鏡をしまうと、角を曲がり、部屋へと足を踏み入れた。
部屋は黒子の入った側から見て左手が、全面ガラス張りとなっていて、電気が通わずとも、まだ明るかった。ミーティングルームとして使われていたのだろうか、長机が何卓か、運び出されずに壁際で積まれていた。そして、長机のすぐ脇で、一人の男が椅子に座らされていた。男は両手を布で縛られているが、それ以上に奇妙な見た目をしている。茶色がかったカラーレンズの丸眼鏡をかけ、頭巾のようなものを被らされおり、真夏だというのに羽織っている長袖のジャケットは、どう見ても秋・冬物だ。当然、その顔には汗が噴き出ていた。
「ジャッジメントですの……その厚着は、自分から進んで着ている訳ではないようですね?」
「も、もちろんだよ」
男が息をつきながら喋った。黒子に向いた男の顔は、にきびが多い丸顔で、清潔感に欠けていた。
「通報を受けて来ました。あなた……帝国に囚われた方?」
「あ、ああ、うん、そうだ。僕は、捕まってる」
黒子の問いに、男はどもりながら答えた。
念話を使ってくる様子はない。少なくとも、目の前のこの男が、自分を誘った本人ではなさそうだと、黒子は思った。
「じゃあ、あなたが、……
黒子が相手の名前を確認すると、男はこくりと頷いた。
「そう、そう。僕だ。僕のこと」
「分かりましたわ」
黒子は1歩前に進んでから、男の背後に空間移動し、椅子ごと蹴り倒した。
がふっ、と息を無理やり吐き出しながら、男は口をぽかんと空けて黒子を見上げた。
「な、なにす―――」
「人質のお名前くらい、ちゃんと調べておくことですわね」
倒れた男のジャケットの裾を、すぐに床に打ち留めると、黒子は言った。
「正しいお名前は、こちらで把握しておりましてよ。自分の名前を間違える人質がどこにおりますの?大方、あなた、帝国の人間でしょう?さあ、人質の本当の居場所を教えてもらいましょうか?」
黒子は部屋を見渡すと、声を一層張り上げた。
「ほかに仲間がいることは分かってますの。出ておいでなさいな。さもなければ、この不摂生者の手足が直接、床に磔になりますわよ!?」
黒子は男から目を離していた。そのため、男が眉間に皺を寄せて、不敵な笑みを浮かべて黒子を凝視していることに気が付かなかった。
「ふわ~~~っとね」
男が呟くのを聞いて、黒子は視線を戻したが、その瞬間、ひどく眩暈がした。
「あれ……」
黒子は側頭を抑え、ふらふらと何歩かよろめくと、そのまま倒れ込んだ。埃臭い床に、自分の体がひどく重たく投げ出されるのを感じてから、黒子は気が遠くなっていった。
「僕の名前かい?ホーズキ男って呼ばれてっけどさ……」
ちょうど自分と向かい合わせになる位置で、倒れたままの男が笑みを浮かべて言ったが、黒子にはその意味を考えることができなかった。
―――第七学区、常盤台中学学生寮
机の上で携帯電話が着信を告げたのに気付き、御坂美琴はそれを取り上げた。
結局、ルームメイトの黒子には、ランチの誘いを断られ、「仕事がある」と言われたたきりだ。結局美琴は一人で部屋に戻り、溜まっていた週末の宿題と格闘している最中だった。
電話の画面に映し出された通知は、以前、初春に頼み込んで、御坂にも特別に届くようにしてもらったあるアプリの通知だった。
その内容を見て、美琴は目を見開いた。
「黒子……!!」
美琴の頭上に、青白い光がバチバチッと音を立てて渦巻いた。